2007年10月31日水曜日

ハロウィーン

今日はハロウィーン。

シナコは、間際になって、友達の家に、ありあわせの洋服を持って出かけて行った。ちらっと見たらオレンジのセーターに黒いスカートか何かをバッグに詰めていた。あれで何になるつもり? えー加減なコスチュームで、お菓子のみを目当てに回るつもりらしい。

で、私とジョダコだけが、ひっそりと家に取り残された。私の方も、それほどやる気なし。夕方にスーパーで一応お菓子を買って、今は外灯を灯し、家の中には幾つもキャンドルをたいて、にわかに前向きになったのに・・・。

何なんだ! もう7時を30分も回ったと言うのに! 来たのはたった一組だけ! しかも斜め向かえのシナコの同級生とその友達。
こういう行き止まりの小さな通りは、効率が悪いから、子供たちも心得たもので、家が密集したところにしか行かないのだ。それでも去年は20組は来たのにな・・・。

ああ、またお菓子が売れ残る・・・。

親子とも熱の入っていたリヤドやカリフォルニア時代が懐かしいな~。

2007年10月30日火曜日

フランス - 大学事情6

シンガポールの友人が、キニコを送り込まれては大変と、「フランス語やりたければ、フランスに行けばいいじゃない」と言って、何とか矛先をよそに向けようと、焦ったメールを寄越した。

フランスの大学に入れるくらい、フランス語は出来ないよ。
でも、この際、一応学費状況は調べてみるかと、いろいろと検索した。

わかったことは、さすが社会主義が浸透した国だけあって、大学の学費は殆ど無料! 払っても100とか200ユーロとからしい。(これでも学費が値上がりしたと、大学生がデモしたとか。)もちろん、これはフランス国民の話。

そこで、留学生は幾らぐらい払うのか、あちこち調べたけれど、とうとうはっきりとはわからなかった。
パリ大学の北キャンパスって言うのか、Universite Paris -Nordというところのサイトで、外国人学生からスタートして、徐々に質問に答えて、最終的に申し込みに何が必要か・・・までは出たものの、実際の数字にはお目にかかれなかった。

質問も、学士か修士か博士か、から始まって、フランス国内の高校を卒業しているか、フランス語の検定試験を受けているか・・・などなど、多岐にわたっていた。答えによって、次の質問が出てきて、段階的に知りたい情報にたどり着くようになっている。

留学生としては、EU圏内や、旧フランス領のアフリカからの学生を想定しているのだろう。恐らく彼らの授業料は低く設定されていると思う。もしかするとフランス国民と変わらない可能性もある。

非フランス語圏からの語学留学でないパリ大学への正規の個人留学生はかなり少ないのだろう。私が最終的に行き着いたところは、特定の申し込む書を請求するサイトだった。フランス語検定の結果と卒業証明は必要なようだ。

個人でパリ大学のソルボンヌで勉強する方法はあるようだ。しかし、これも直接大学に行って、申し込みをする。行って見なければ、どのコースに空きがあるか、どのフランス語特訓コースに入れるかわからないようだ。でも、ソルボンヌでオファーされる授業は取れるらしい。授業料は単位ごとに支払うようで、200から2300ユーロと、あるジャーナルストが書いていた。短期ではいいけれど、長期はビザの問題もあるから、複雑そう。住む所も個人手配だ。

アメリカからの留学はたいていがフランスの大学とアメリカの大学で提携している「交換留学」の形になる。この場合は、ビザもちゃんと発行されるし、フランスで取得した単位もアメリカの大学の単位となる。レジデンスはきちんと確保されているが、学費はアメリカの学校に支払うため、年間の費用は上がりも下がりもしない。まあ、休みごとに帰省してこない分安くなるだろうが、どうせ、「せっかくだからXXに旅行したい」などと言って来て、さらに負担が嵩むのは目に見えている。

淳ちゃん、悪いけどやっぱり、キニコはシンガポールだな。よろしく!

2007年10月29日月曜日

カナダ - 大学事情5

カナダの学校も、キニコの志望校リストに入っていた。未だに入っているのかどうかは知らないが、カナダドルが強くなってきた最近でも、居住州外のアメリカの州立大学に行くよりは安い。(ちなみに、本日のレートは1CAD=120.54、1USD=114.19)

下記は、カナダでも有名なトロント大学(オンタリオ州)とマギル大学(ケベック州)の、2008-2009どの文系学部の学費である。

<トロント大学>
カナダ市民・永住権保持者 CAD5,836 (USD5,594)
留学生             CAD18,906 (USD18,121)
食事つき宿舎         CAD8,400~12,278
(カッコ内のUSDは、トロント大学のウェブサイトの数字。USDで支払うオプションもあるのだろう。)

<マギル大学>
ケベック州民          CAD1,768
州外市民・永住権保持者   CAD5,140
留学生             CAD14,700

マギルの寮費は見つけられなかったが、トロントの範囲と変わらないだろう。
キニコはフランス語の勉強を続けたいと言っているから、ケベック州のマギルがいいじゃん! シンガポールがだめなら、カナダだ! ・・・入れてもらえたらだけど。

(ちなみに、キニコが大学で勉強したい科目は、フランス語と生物。なんで、こんな全然かけ離れた科目なの・・・。将来はパスツール研究所でアフリカの病原菌でも研究するか?)

お金で大学を選ぶのは悲しいけれど、これが現実。払える範囲内で選んで欲しいよ、本当に。

じゃあ、どうして比較的安い日本が選択肢に入らないの?という疑問の声が聞こえそうですね。
パパは残念そうだが、どうやらキニコの選択肢には、日本は全く入っていないようだ。本人が日本や日本語に興味があれば、大学の4年間で、なんとかまともな日本人に戻ることも可能だと、私は思っているけれど、興味がない限りは中途半端に終わりそうでもある。キニコ自身は、もはや日本語で勉強をする自信はないらしい。4年前に今の学校を選んだ時に、将来は、アメリカの大学に行く、つまり英語で勉強を続けていこうと、決心した訳で、それ以降、彼女の考えは変わっていない。

キニコが終わっても、あと2年後にシナコが控えていると思うと・・・。シナコはパパの願いどおり、素直に日本の大学に行ってくれるでしょうか・・・。

友人2

頭が$$$$になり過ぎて、少し疲れたので、ここらでまた私のお友達を紹介しよう。

その名を、Cちゃんと言う、マンハッタンに住む彼女とは、ウン十年来のお付き合い。大学生だった頃、KDDのオペレーターという、とても待遇の良いアルバイトをしていた。当時は、国際電話はKDDの独占市場。電話代も今とは比較にならないほど高く、それゆえ家から直接電話をかける人も少なかった。間違い電話だったり、相手が出るまでに時間がかかったりしても、すべてが電話料金に跳ね返るからだ。

記憶があいまいだけれど、当初はアメリカへの直通電話(単に番号を繋ぐだけ)で、3分間、3400円くらい、指名通話で5400円くらいしていたように思う。それも私がオペレーターとして仕事をしていたわずか3年間に、どんどん安くなっていった。最終的には、直通で1000円台、指名で3000円台まで下がったようにに思うけれど・・・。今、ネットで当時の国際電話料金を調べたけれど、出てこなかった。誰か、覚えていない?

ついでに、もう少しKDDのバイトの話をすると、当時KDDは独占がゆえに儲かって儲かって仕方がなかった。そこで、私たちアルバイトの身分も、「短時間制職員」と言うもので、ちゃんと厚生年金手帳ももらい、会社の福利厚生施設も、社員と同様に利用できた。毎年ひとつ配ってくれた、中に乾パンや非常時のグッズが詰まった銀色の「非常袋」。嬉しがりの私は、お出かけ時の鞄に使っていたっけ。あと、年に1-2回、レクリエーションと称して、高級レストランでご飯が食べられたり、ハイキングがあったり、六甲山荘でお泊りしたり・・・。

私の就業時間は午後8時から12時。別に9時から午前1時というシフトもあった。3日制と5日制のアルバイトがあり(6日もあったっけ?)、私は月水金の3日制。お給料も普通のバイトより全然良いので、学生のみならず、今で言うフリーターのような人もいました。今のフリーターと違うところは、彼らは昼間は、司法試験や弁理士になるための勉強をしていたな。また、昼間は別の仕事をしている人もいました。

深夜に仕事が終わるのだが、帰りは全員タクシー。相乗りだったけれど、楽チンでした。

C ちゃんとは、入社の時期は少しずれていたし、シフトも違っていたように思うけれど、休憩やレクリエーションで一緒になって、仲良くなった。確か90分に1回の休憩があったので、1日2回は休憩。休憩は15分だったっけ? そうそう、会社にはお風呂も食堂もあったので、クラブを終えて来る学生や、下宿にお風呂がない学生は、KDDをもっぱら銭湯代わりにしてたよね。私も時々お風呂に入りました。結構立派な浴場だったと思う。

まあ、類は友を呼ぶって言うか、お互い英語が好きだし、アメリカが好きだし、ってことで仲良くなり、一時は一緒に教会にも足を運んだね。カナダから宣教師が来ていて、彼らと話すのが楽しかった。

私はKDDのほかに、ポスターの輸入をしている小さな会社の輸入事務兼社長秘書みたいなバイトもしていた。大学を卒業するに当たり、このアルバイトの後任として、Cちゃんを紹介。

私がパリに駐在になった年、彼女も日本での仕事をやめて、ニューヨークの大学に留学することになった。アメリカに渡るとき、パリ経由で、私のパリのアパートに1週間ほどいたっけ。その時ヴァレリーにも紹介した。(今月Cちゃんはパリに旅行に行き、そこでヴァレリーとマリアに会った。私はまだ1度もマリアに会ったことないのに!)

以来、彼女は日本に戻ることなく、ニューヨークで結婚し、現在に至っている。これまでは、殆ど手紙やカード(電子革命以降はEメール)のやり取りに加え、お互いが、アメリカや日本にいるときに、2年に1度会う程度だったけれど、去年8月に私がコネチカットに来てからは、2週間と空けず、会っている。

私がモントレーに留学したのは、実は彼女がきっかけ。彼女は私が入学する1年前にこの学校を卒業した。

私がここにCちゃんのことを挙げようと思ったのは、実は、Cちゃんと言うよりは、ご主人のMのことを紹介したいと思ったから。とにかくスゴイ人物だと思う。いろんな意味で。

CちゃんがMと出会ったのはNYCに到着して直後。彼らは私と夫が結婚した翌年に結婚したが、当時Mは60歳を越えていた。Cちゃんのお父さんよりも年上。私もびっくりしたもん。実は、その前年だったかな、イギリスにいるもう一人の友人が、55歳の男性と結婚。その時もびっくりしたけれど、Mはそれより10歳近く年上だったから。結婚するって聞くまでは、Mと付き合っていることは知らなかったように思う。確かずっと「下宿先のオジサン」という風に聞いていたよね?

最初は面食らったし、お金持ちのMだから、Cちゃん、お金に目がくらんだの・・・と思わないこともなかった。でもあれから、ウン十年。オシドリ夫婦の2人を見ていると、本当に幸せそうだ。

驚くのは、Mのバイタリティー。とにかく、寸暇を惜しんで何かをしている。とっくに仕事は辞めているけれど、彼が何もしていない時って全くない。ニュースレターを発行したり、本を書いたり。流石ユダヤ人だけあって、絶対に無料ではくれないけれど。真面目な貢献者の私は、ちゃんとニュースレターも購読したし、彼の著作も何冊か買っています。但し、内容は、面白い。語彙が豊富だから、辞書引かないと読めないんだけれどさ。

とにかく元気で、年に何度も旅行に出かける。ホテルや食事にはお金は惜しまないのに、飛行機のビジネスクラスにお金を使うのはもったいないと、いつもエコノミー。身長も体重もそこそこあるし、あのエコノミーで国際線はしんどいんじゃないかと思うのだけれど・・・。

NY市内でも、いつも地下鉄とバスを利用している。流石に85歳の今年は、ちょっと背中が痛かったり、肩が痛かったりで、医者通いをするようになっているけれど、でも、やっぱり世間の85歳と比較すると元気元気です。

頭がいいだけに、頑固者でもある。こうと決めたら譲らない。それを上手に操作しているのがCちゃんなのだ。いつもMを立ててながら、でも何となく上手に舵取りをしているかな。

最近Mは、こんなことをよく言う。「Cに料理を習えと言ってるんだ、俺が死んだら、どうやって食べていくか心配だから。」

この2人。ほんの数年前までは、毎日、昼と夜を外食していました。本当に毎日だよ! しかも、どちらの食事もしっかり食べるの。朝ごはんも、コーヒーだけなんてことなく、しっかり。

そう言えば、うちの娘たちは、未だに10年以上前に彼らの家に泊まった翌朝にMが用意してくれた朝食を忘れていない。確か、ベーグルにスモークサーモン、シリアルにはブルーベリーやラズベリー、ヨーグルトに、フレッシュオレンジジュース・・・。何たって晩御飯にシリアルを食べているような私たちだから、子供は「すっごーい!」と感激していた。でも、私は、リビングの床のペルシャ絨毯をシナコが汚すのではと、はらはらしていたんだ。

ここ数年は、ようやく1日2回の外食に疲れ、お得なメニューがあり、比較的混まないランチを外食にし、夜はずっとMが料理。私も何回か夕食を一緒にさせてもらったけれど、結構おしゃれなものを作ってくれます。

で、先のMの発言となるわけです。
先週、ランチを一緒にしたときは、最近はCちゃんが時々料理を一緒にしているとのこと。
「Cは、俺が死ぬ話をすると嫌がるんだよ。」
私は、自分もいつ死ぬかわからないし、これだけは娘に知っていて欲しいってことがあるから、一応遺書は作成した。まだプリントアウトして署名してないけれど。
「そうだよね、準備しておかないと、いつ誰が死ぬかは、これだけはわからないもん。私は、お葬式はして欲しくないし、お墓も建てて欲しくない。だって、お金かけたくないし、娘が墓の守をするために、どこに住むかわからないのに、遠路はるばるそのために来なくちゃいけないというのは気の毒だから。」と言うと、
「俺は、火葬してもらうことになっている。で、散骨してもらう。」
アメリカでは、確か高温で焼くから、骨は残らずに灰になる。(日本の場合は、一旦骨になったのを砕くらしい。)
「でも、Cが希望するなら、家に持って帰ってもいいし・・・。」
「そんなん、持って帰って、邪魔にならへん?」
「アパートの窓からNYCに撒いてあげよか?」
「でも、外から風が拭いて、アパート中に灰が散らばったりして」
「そしたら、掃除機で吸うわ。」
「どうせ、掃除機の後ろから一杯出てくるから、家中Mだらけになるなぁ・・・」
三人で大爆笑しました。

私の目にはMは、まだまだ長生きしてくれそうです。案外私たちの方が先かもって思うくらい。

つい最近、Mは本を2冊続けて出版しました。
私はそのうち1冊しか読んでいないけれど、面白かった。2日で読んじゃった。内容は、賛否両論ありそうだけれど、エンターテイニングだと思うし、娘にも読ませたいと思う。(キニコに、読めばと言ったら、今はいいとすげなく断られた。ま、確かに今、学校で読むにはちょっと問題があるかな。教育方針が違うと、よその親御さんに、キニコからこんな本を借りた!と非難されないとも限らないからね。)

興味のある方は、Barns & Noble のサイトで、Womanizer, Knowing wonderful women で検索してください。

私は今、この本を翻訳させてもらおうかなって思ってます。乗り気じゃないCちゃんを無理やり誘って、一緒に。

シンガポール!? - 大学事情4

シンガポールに住む友達が、冗談で、「シンガポールにキニコを寄越したら?」と提案してきた。

シンガポールは、ここからは遠いから、万一そうなったら、休みの度に、キニコを彼らの家に転がり込ませればいいか! そうすれば、交通費は安く済む。日本も近いし。

シンガポールは、教育熱心な国として知られている。資源のない国だからこそ、人材がすべてなのだ。シンガポール国立大学は、かなりレベルの高い大学としても知られている。ただし、本当に優秀な学生で、家が裕福であれば、皆アメリカの大学に進学してしまうために、世界ランキングで見ると102~150位、アジアの大学で見ると10から18位の間になる。ちなみに、同列の大学としては、筑波大学がある。

ランキングの話は次回にするが、友達の提案に触発されて、すぐさまシンガポール国立大学の学費を調査してみた。そこでの大発見!!

な、な、なんと、シンガポールの政府は、この大学の授業料の大半を肩代わりしてくれるのだ!

2007-2008年度 <市民権・永住権所有者>  単位はシンガポールドル
               授業料全額  奨学金  負担額
文系             25,110    19,000  6,110
理系(医・歯を除く)    28,510    22,400  6,110
医・歯            97,020    79,500  17,520

これで驚いていてはいけない。シンガポール政府は、留学生に対しても寛大なのだ。

2007-2008年度 <留学生>  単位はシンガポールドル
               授業料全額  奨学金  負担額
文系             25,720    19,000  6,720
理系(医・歯を除く)    29,120    22,400  6,720
医・歯            98,770    79,500  19,270

これを米ドルに換算すると、概算の負担額は、文系と理系で、4,700ドル、医・歯で、13,489ドルなのだ!

但し、いい話には、必ず条件があります。

シンガポールとしては、優秀な人材を育てるだけでなく、やはり自国に貢献して欲しいと考えるのは当たり前。奨学金と引き換えに、下記の条件が課されます。

文系・理系の留学生は、卒業後3年間、シンガポールの企業で働くこと。医科・歯科の学生は、国籍に関係なく、卒業後一定期間、シンガポールの厚生省の下で仕事に就くこと。この一定期間は、医学生の場合は、市民・永住権保有者が5年、留学生が6年、歯学生の場合は、市民・永住権保有者が4年、留学生が5年となっている。

しかし、文系・理系なら卒業後、就職先が確保されているようなもの。オイシイ話だと思いませんか。

キニコは中国語を勉強しているし、もってこいじゃないの。上記には寮費が含まれていないけれど、そうだ、提案した友達に「責任を取って」もらおう。彼らの家に下宿させようじゃないの。よし、シンガポール国立大に決まりだ!と、早速キニコにメールを送った私でした。

・・・しかし、狭き門に決まってるよなぁ。それに、きっとキニコは、$$$の目になっている私の話には乗ってこないだろう・・・。

2007年10月28日日曜日

実際の授業料 - 大学事情3

では、具体的に、今の授業料が、各校で一体どのくらいなのか、代表的な数字を見ていこう。

まずは私立大学。学費はアイビーリーグであってもなくても、リベラアーツカレッジでも、そう大差がないので、取り合えず10校を選んだ。

            授業料   寮費
ハーバード     34,988  10,622
プリンストン    33,000  10,980
スタンフォード   34,800  10,808
MIT        34,986  10,400
ジョーンズホプキンズ 35,900  11,092
ボストンカレッジ 35,674  11,720
シカゴ       34,005  10,608      
NYU       35,283  11,780
ウィリアムズ   35,670   9,470
ウェルズリー   34,994  10,826

次は、州立大学の学費である。先に説明したように、州立の場合は、居住者と非居住者で、授業料が違う。寮費は同じである。

ちなみに、下記は、US News & World Report誌が、今年8月に発表した「ベストカレッジ」で、州立大学のトップ10にランキングした大学である。一番最後の<>の数字は、私立大学も含めた時のランキング。57位のオハイオステートと、64位のコネチカットもデータに加えた。カッコ内はキャンパス名。

            授業料(州内) (州外)    寮費
UC(バークレー)     8,384   27,452   13,848  <21>
バージニア        8,500   27,750    7,435  <23>
UC(LA)         7,034   26,102    12,420 <25>
ミシガン(アンナーバー) 10,341   30,154    8,230  <25>
ノースカロライナ(チャペルヒル)5,340   20,988    7,696  <28>
ウィリアム&メアリー  9,164   26,725    7,385  <33>
UC(サンディエゴ)   14,912   26,524  10,237  <38>
イリノイ(アーベイナ)   10,503   23,896   8,196  <38>
ウィスコンシン(マディソン)   8,808   21,438   7,574  <38>
オハイオステート(コロンバス)  8,565   21,177    7,365  <57>
コネチカット       8,842   22,786   8,850  <64>

上記のように、州立大学の方が、授業料や寮費にばらつきがある。

州外の授業料は、私学より5000ドル~1万ドル安いとは言え、それでもかなり高い。私学の方が資金力があるので、公立よりは援助金を出してくれる可能性がなきにしもあらずである。

それにしても、上の数字だけを見れば、正直言って、キニコの進学先は決まったようなものである。コネチカット州立大学に進学してくれたら、本当に楽なのだ。しかし、それしか選択肢がないというのも、日本の事情と比べると、ちょっとかわいそうな話である。

このアメリカの現状を、日本と比較してみよう。
下記は、現在の日本の代表的な大学の学費である。
先のグラフのデータと同様に、入学金の4分の1を授業料に加えた。国立は標準の授業料と4分の1の入学金、私学は、すべて文学部、もしくは文系の学部の費用で、4分の1の入学金のほか設備費を加えたものである。(ちなみに、国立大学87校のうち、学士で標準額と異なった授業料を設定した学校は全くなかった。つまり独立法人後も、一律授業料の状況が続いている。)

2007年入学
        授+入+設  ドル換算(1$=115円)
国立大学    606,300   5,272
慶応       898,650   7,814
早稲田    1,011,000   8,791
上智       972,250   8,454
ICU      1,392,000  12,104
同志社     888,500    7,726
津田沼    1,010,150   8,783
関学       924,500   8,039

こうしてみると、日本の私立の学費が、アメリカの居住者が支払う州立大学の授業料と大差ないことがよくわかってもらえると思う。

だからこそ、アメリカでは、家庭の経済的ニーズに基づいた援助金、ファイナンシャルエイドの役割が大きい。

大学のコスト - 大学事情2

前のブログのグラフの数字について説明しよう。

すべては私がかき集めた、平均の数字である。円からドルへの換算は1ドル115円として計算した。

まず、日本の数字から説明するが、ここには下宿費用や食費は含まれない。入学金の4分の1を、1年分の入学金として換算し、授業料に加えた。残念ながら、ここ数年の私学の平均費用のデータは、みつけることは出来なかったが、同じような推移を継続していると考えられる。

一方、アメリカの「授+寮」というのは、授業料に寮費(部屋代と食費)を加えた数字である。アメリカの場合は、殆どの学生がキャンパス内の寮に暮らす。その割合は、特に1-2年生では100%に近い。この食費は、学校に支払うキャンパス内での食費であり、外食は含まれていない。また、これ以外に、教科書代、文具教材費、交通費、小遣いが必要であり、カレッジボード(SATテストを行なう機関)の試算では、年間平均3500ドルとなっている。

3500ドルは一見高そうだが、多くの学生が自宅から離れて暮らすことを考えると、妥当な数字だと言えるだろう。現在キニコですら、交通費を除いて、年間の教科書・教材費とお小遣い(洗濯代、日用品を含む)で、年間1500ドルは使っている。これに遠距離の交通費が加わるのだ。

キニコが現在希望している幾つかの大学を想定して考えても、やはり飛行機かアムトラックでないと帰宅できない。感謝祭、クリスマス、春休みなどの長期休暇に帰宅することを考えると、交通費も馬鹿にならない。正直言って、帰って欲しくないのだ。

州立大学の授業料は、州内に居住する学生の授業料である。アメリカの場合、州外の大学にも入ることが出来るが、授業料は大幅に高くなり、州外の学生の費用を払う。尚、この金額は海外からの留学生でも同じである。

頭痛 - 大学事情1

このところ、私を悩まし続けているのは、大学のことである。キニコがどの大学に入ってくれるのか、それによって、私たちの生活が大きく左右される。

本来ならば出来るだけ優秀な大学に入って欲しいと望むところなのだろうが、私たちの悩みは、いかに経済的に、できるだけ我々にとって負担の少ない進学先を、キニコが納得して選んでくれるか・・・。

高校生活をプレップスクール、すなわち優秀な大学への進学を前提とする学校に行ってしまった(行かせてしまった)が故に、同輩たちと同様の進学を望むことが、娘にとっては、極当然のことなのだ。 私とて、キニコが今の学校に入った時点で、ここまで考えは及ばなかったし、また、あの時点から比較しても、事情は更に悪化した。

そんな現実的なことを考えるよりは、当時は、浅はかにも、「末はハーバードかプリンストンか」とさえ一瞬思ったのだった。

まぁ、そんな夢は、キニコがプレップスクールに入って間もなく、きれいさっぱりと崩れ去った。フランス語ではいきなりCは取るは、他も今までに見たことのないBのオンパレード。やはり上には上がいる。全国各地から集まった優秀な生徒たちの中で、キニコ自身、現実の厳しさを意識しただろう。あれから3年余り。キニコは何とか学校でも中の中というレベルは保っているものの、有名大学から、「無料でいいですから、是非我が校に来てください」というオファーが来るほどの成績もタレントも持ち合わせてはいない。

そんな中、キニコが望む進学先と、我々の経済的余裕の間に大きな隔たりがあり、非常に頭が痛い。勿論、ない袖は振れない。払えないものは払えないのだが、今の我家の一筋の望みは、一体どのくらい奨学金(経済的援助金)が出て、そのギャップを埋めることが出来るか。

しかし、データを見る限りは、殆ど望みがない。それでも温情に訴えて、どのくらい得ることができるか、それだけである。そして、それでも尚且つ支払えない場合、素直にキニコに理解してもらうこと。そこが一番頭の痛いところである。現実的には、キニコにあきらめてもらう可能性が、今のところは一番高そうである。

こうやって、文字を並べていても、なかなか今のアメリカの大学事情は、その場に身を置く者でないとわかってもらえないと思い、私が調査したデータをご紹介しよう。 下は、ここ30年間の、アメリカと日本の学費の傾向である。

ご覧のように、アメリカの学費は年々うなぎのぼりで、特にここ10年間の上昇は凄まじい。平均で私学は、1万ドルの上昇、州立でも3000ドル上がって倍額になっている。

日本の場合は、通常入学時の授業料がそのまま4年間保持されるが、アメリカの場合は年々上昇する。キニコの高校でも、入学時と比較すると、4年目の今年では、6000ドル上がった。

現在のキニコの学費は、奨学金(援助金)をもらっているものの、やはり我々にはきつかった。それでも今のままなら、青息吐息ながらなんとかあと4年間続けられるかも知れない。しかし、私立大学の費用は、遥かにそれを上回るのだ。

2007年10月10日水曜日

ガールフレンド?

久しぶりに気和に会った。ちょっと痩せていたように思う。
それとも、ボクの方が太ったのかな。最近、中年太りか、お腹のあたりが出てきたんだよね。
いや、お腹の出具合では、ママちゃんの横に並ぶものはいない。この前、妊娠したって言ったら、ボクもシナコも信じたもん。

久々に会ったのに、気和はボクのにおいを嗅ごうともしないで、綱でお母さんを引っ張ってる。
気和のお母さんは、
「ゴメンね。今朝東京から帰ってきたばかりで、しばらくちゃんと散歩に連れて行ってもらってなかったものだから、気和、ちょっと待って。」

「東京!?」
「そうなの。夏に主人が転職して。東京のドイツ銀行なの。一応2年契約で、気に入れば更新するかもしれないけれど、次女があと2年で高校卒業だから、それまでは私は行ったり来たりするつもり。」

この家族とは、ボクを通じて知り合ったのだ。

ここに引っ越して間もなく、キニコがボクを散歩していると、向こうからボクそっくりな奴がやってきた。ボクは今までそっくりな奴に会ったことがなかったので驚いた。向こうも、初めてそっくりな奴を見るみたいだった。

向こうのお母さんが、「ラットテリア?」と、声をかけてきた。
それがきっかけで、仲良くなった。

ボクは、あいつの名前が「気和」なんて、超日本的なのに驚いた。アメリカ人の家族なのにさ。漢字まであてがわれちゃって。
気和は、アンタだって日本人に飼われているくせに、ジョーダンなんて、ハイカラな名前つけられちゃってさ、と言いたげだった。
気和の家族はお上品な感じで、この近くの大きな家に住んでいる。お父さんはアメリカ人だけれど、早稲田に留学していたらしく、家族で10年近く東京に住んだことがあるんだってさ。娘は2人とも結構日本語が話せるらしい。

「エリカがバレーボールの試合や練習で、帰宅が遅かったから、殆ど散歩に行ってないのよ。」
「あ、この前、バレーボール部で、洗車やってたでしょ。エリカちゃん、見たよ。」
「そうそう、オールドグリニッチで・・・わかった、わかった、気和」
気和が、うるさく催促するものだから、お母さんもママちゃんもおしゃべりをあきらめることにしたみたい。