2008年12月24日水曜日

メリークリスマス! & 書き納め

今日の午後、パリへ出発です。
滞在先のアパートは、一応インターネット環境を条件に探したので、多分インターネットは使えるのでしょうが、フランスだし、余り信用しておりません。(それともしばらくご無沙汰している間に、フランスにも文明開化の灯がともったのかなぁ。)

おそらく落ち着いて座ってブログを書く時間もなさそうですので(そもそも、自分のPCは持って行きません、娘は持っていくらしいので、いざとなったら借ります)これで今年のブログをおしまいにしたいと思います。

長ったらしい文章にも関わらず、今年1年、ご愛読ありがとうございました。
来年も、オモロイ、楽しい、為になる、愚にもつかぬことを書き綴りたいと思います。

Have a Merry Christmas and a Happy New Year!

PS. Blackberryはフランスでも使えるようにしましたので、メールは確認できます。

散髪

シナコが散髪に行き、髪が短くなった。ちょっと長めのおかっぱ頭で、まさに「東洋人」という風情。キニコには、中国人みたいと言われている。

随分前から髪を切りたいと言っていたものの、なかなか行く機会がなかった。と言うのも、私は日本人の髪を切るなら、日本人(または韓国人)と頑なに思っているから。これはこれまでの幾多の悲しい経験に基づいている。アメリカで髪を切る度に何度後悔したことか。たいていは、お金を払って髪を切った後に、自分で切り直していた。

日本人の髪は上手に切らないと、ガタガタが目立つ。これがガイジンの髪だと不思議と上手く流れて、きれいに見えるのだ。アメリカ人が下手と言うより、日本人の髪質に慣れていない、髪質にあった技術と道具を持ち合わせていないと言うことだと思う。日本人が、アフリカ系の人の髪を上手に切れないのと同じだ。

オハイオ時代、最初のころは自分で切っていたが、後半は韓国人の美容師を見つけ、いつも彼女にお願いしていた。現在はマンハッタンの日本人美容師のA子さんにお願いしている。シナコも8ヶ月ほど前、春休みに一度行ったことがある。「切るなら、日本人に限る」とシナコにもずっと忠告して来た。

A子さんには幼稚園と小学生の子供がいるので、平日は日中、週末は土曜日しか仕事をしていない。シナコは平日は無理だし、土曜日はたいていクラブ、ピアノ、友達の誕生会など、予定が入っている。それでずーっと、文字通り「伸び伸び」になっていたのだ。

本人も痺れを切らしたのと、切った部分が「10インチ(25センチ)以上の長さなら寄付できる」と聞いて来て、一昨日、寄付を受け付けているモールの中にある美容院に今日こそは行くと言う。

「どうなっても知らないよ」と私。
「友達は上手だって言ってたもん」
「日本人の友達?」
「違うけど」

切った髪は、がん患者のためのカツラに使用される。寄付と言うアイデアには賛同するし、物は試しと連れて行った。もちろん美容師はボランティアではないので、10インチを切り取った後、カットをお願いすれば当然料金は発生する。

シナコの髪を担当したのはヒスパニック系の女性。最初に髪を束ねて、ゴムで止め、止めた状態で10インチ分を、ハサミでジョキジョキ。余り切れないハサミなのだろう。ゴムでとめて太くなっていることもあるが、長いことジョキジョキやっていた。シナコの髪質はそれほど太くないのに。

切り取ったゴムで止めた髪の束を横に置き、それから洗髪、カットとなった。

さて、仕上がりは・・・。

案の定である。前髪はかなりガタガタ。長い部分が後から落ちてきて、真ん中部分には急に短くなった凹んだ箇所。後ろは散切り状態・・・。
料金は40ドルなり。チップも入れて46ドル払った。

帰宅するなり、
「ママ~、お願い、なんとかして~。これじゃ、どこにも行けない!」
「ほ~ら、言ったでしょ、絶対こうなるって。言ったって聞かなかったでしょ」
「だって、寄付するなら、A子さんのところじゃ無理だったもん」
「それはそうだけど。これで、やっとわかったよね」

それから1時間ほどかけて、シナコの髪を調整した。
自分で言うのもナンだけど、私の腕は悪くない。2005年に日本に帰るまで、10年以上娘たちの髪を切って来たし、今でもキニコの髪は時々切る。さらに、道具もプロ級の物を持ってるのだ。今回、アメリカに来る直前、日本で行っていた美容院でお願いして、そこの業者さんから特別に買ったのだ。定価が一本25,000のハサミと、18,000のすきバサミ。割引セール中で、2本で2万円だった。このハサミだと、切っていても絶対に髪が逃げない。逃げないからまっすぐ切れる。

A子さんは一本5万円のハサミを使っていると言う。日本人は道具にもお金をかけているが、アメリカ人の同僚に話すと、何故道具にそんなにお金をかけるのか信じられないと言うらしい。恐らく、大して切れないハサミでもボロが出ない髪質なんでしょう。

1時間後、
「良かった~! ママ~、ありがとう!」
と、いつになく素直なシナコであった。

2008年12月22日月曜日

今年の流行

車で出かけたとき、何台もこんな装いの車を見かけた。
ちゃんと角も見えるかなぁ。
(車種も色も同じですが、うちの車ではありません)

Snow Storm (大雪)



金曜日はスノーストームで学校はお休み。朝9時ごろから降り始め、夜9時ごろまで続いた。積雪量は沿岸部のこの辺りで30センチくらい。内陸部はもっと多かった。

その夜はコイオの会社のクリスマスパーティー。あまりの天候で、2時ごろまでは行く気なし。でもジョダを出すついでに外に出てみたら、思っていたほど歩きにくくもなかった。新雪でしっかり積もっているから、上を歩いても少ししか凹まないで、しっかり歩ける。相変わらず雪は降っているものの、気温はそれほど低くない。

この天気だと来ない人も多いだろう。すると恒例の「くじ引き」に当たる確率が上がる。関連会社などからの寄付で、毎年、大画面テレビだの、食事券、旅行券などが当たるのだ。

にわかに行く気になった。足元が悪いからスノーブーツを履いて、靴は紙袋に入れ、コイオのブーツも持ったら、大荷物になった。パーティー会場がグランドセントラル駅に隣接されたホテルだったから行く気にもなったのだ。駅から出ずに行ける。

何故グリニッチ駅まで車で行かないかって? そりゃ戻ってから車に積もった雪をどけるのは大変だし、駐車場内の除雪に来なかったら、車は出せないかもしれないからだ。

さて、パーティーの参加者は心なしか少なかった。が、読みが外れたのは、配偶者は参加していなくても、社員は来てるのよね。どうせ会社に来てるんだから、当たり前か。しかも、忘れていたけど、くじ引き券は参加者一人あたり一枚じゃなくて、一家に一枚だった!

おまけに、もっとショッキングなことが。中堅以上の駐在員は、くじ引き券に予め蛍光マーカーで印がしてあり、実はこれらはくじ引きの入れ物には入れられないのだそうだ!! なるべくローカルの社員に当たるようにとの配慮らしいが・・・。えぇー! そんなー! うちだって大画面テレビ欲しいよ!(どこの駐在員の奥さんも文句を言ってなかったけど、なんでみんなそんな寛大なの? 『来年からは、一家に一枚は止めて、参加者ひとりひとりに券を配って、社員の分は除いても、配偶者のは入れてください』と総務の人に頼んだら・・・コイオは嫌そうな顔をしていた。)

さて、パーティーの後、グリニッチ駅に帰り着いたのが11時頃。既に雪は止んで、道路は除雪されていたが、歩道は除雪されていなかった。みんなに踏まれて、ぼこぼこになっていて、歩きにくい。

翌朝、大家さんが除雪に来てくれた。でも、途中で雪が降って来たので、全部しないで帰ってしまった。

日曜日。少し暖かで気温がプラスに転じた。積もった雪が溶け始めたのは良いのだが、半分以上は車が通って踏み固められている。大家さんの土地の中はそれでも平坦なのであまり問題はないのだが、心配なのはここから大通りに出るまでの坂道。

越してくるときの一番の懸案は、果たして雪のときにこの坂が上れるかと言うことだった。近所の人に聞くと「大丈夫」と言うので安心したのだが、後で彼らはみんな四駆に乗っているのを知った・・・。

普通の雪ならともかく、このまま一旦溶けた雪が凍ると、どんな車だって滑るだろう。この坂は私道だが、うちの大家さんの持ち物でもない。待っていても誰も何もしてくれないから、歩く道兼タイヤのトラクション確保のために、片側の一部だけでも雪と氷をのけようと、スノーショベルを持ち出した。とりあえず一番下まで歩けるようにした。更に作業してると、すぐ下の地区のデュプレックスに住む女性も出てきてくれて、二人でちょっと頑張った。でも固まって取れない部分は、彼女が塩をまいて、しばらく待ってからやりましょう、という事に。

話しているとあまり長時間戻ってこないので、コイオが様子を見に来て、その後ちょっと手伝ってくれた。(彼はこういう作業を自ら進んでやることはないのである。どっちみち、彼のやり方が気に入らなくて、すぐに私はケチをつけるんだけどさ。)でもそれ以上は固まっていて、どうしようもなかったのでギブアップ。

今朝、気温がぐっと下がり、摂氏マイナス12度。学校は1時間半遅れ。テレビでもあらゆる箇所で凍っていると報道している。6時、外でエンジン音がして覗いて見ると、大家さんが塩をまいている。この中だけじゃなく、坂道も下まで塩をまいて、1時間以上作業していた。

先ほど彼から電話があって、「今朝の状況を見て驚いた」と、前面凍ってしまってことを謝っていた。彼はここから30キロほど離れたところに住んでいるのだが、日曜日は雨が降ったらしいのだ。その雨であたりの雪は流されたらしく、てっきりグリニッチも雨だったと思っていたんだって。私が除雪したことを話すと、これからは遠慮せずに言ってくれと言われた。

今、外に、大家さんの息子とヘルパーがやってきて氷を割っている・・・。申し訳なかったなぁ。昨日大家さんに言ってれば、もっと簡単に氷が取れたのに・・・。日曜日だから悪いと思ったけど、逆にそれがいけなかった。

今朝は右手がひどい筋肉痛。


2008年12月18日木曜日

シナコと一悶着

昨日の朝のこと。
いつものようにシナコはなかなか起きてこない。目覚ましは延々と鳴っているのに、止める気配もない。
部屋へ行って、
「起きなさい! 6時15分だよ!」
「わかってる!」
「わかってるんだったら、ベッドから出なさい」
「うるさい、あっちへ行って」

しかし全然起きた気配がない。再び、
「6時20分だよ!まだ寝てる気?」
「わかってる! うるさい!」
「わかってるって言って、あとで全然知らなかったとか言うでしょ!」
「言わない。わかってるってば」
「寝過ごしたって、絶対送って行かないからね!」

やはり起きて来ない。
「いい加減にしなさい。6時25分になってるんだよ。まさか今からシャワー浴びたりしないでしょうね?」
「・・・浴びる」
「何考えてるの! 時間ないでしょ!」
「うるさい!」

そして6時半ごろになってシャワーを浴びている。信じられん。6時45分迄には家を出なければバスに間に合わないと言うのに。

だいたい、この前日も前の夜に宿題をしているうちに寝てしまって、最後まで終わっていなかったため、朝に少しだけやる時間が欲しくて、私を拝み倒し、「お小遣いから50ドル(=1か月分)払うなら」と言う交換条件で、送って行ったのだった。

前日から、これこれこういう事情で送って行ってくださいと言うのなら送ってあげるのだが、寝坊したら送って行くのでは、それを宛てにしてぎりぎりまで起きて来ないのではないかと思うのだ。

シナコの眠りの深さは、尋常では考えられないくらいの深さ。起こすと必ず寝ぼける。毎回、起こすのに本当に疲れる。いい加減に何とかできないと、一人暮らしを始めたらどうするんだ。きっと、頭のどこかで、寝てもいいという意識が働いているからだと思うのだが。

オハイオ時代も、託児所として利用していたYMCAから家までは車で2分の距離。ピックアップしてから家に着く迄の、わずか2分に寝てしまう。寝ても起きてくれるのならいいのだが、寝たら最後、起きない。車から降ろすのも大変で、毎回ピックアップした後は、家に着くまで、「寝ないでよ」「寝てないよね」と15秒ごとに確認する。うっかりすると寝てしまうのだ。

毎日のクラブ活動、週1回のボイスレッスン、2週に1回のボランティア、週1のピアノ、おまけに大量の宿題、と非常に忙しいのはわかる。でも難しい授業ばかり選んだのも自分だし、忙しくなるのは予想していたはず。それにギリギリまで宿題しないで、インターネットでテレビドラマを見てる。だから夜更かしして朝寝坊しても同情の余地なしなのだ。

濡れたままの髪で、ジャケットを着ずに手づかみで、寒空の下へ飛び出して行った。既に6時48分。前夜は雪だった。道路の雪は今朝は解けていたけれど、バスは早めに来たんじゃないかな・・・。

案の定、5分ほどして帰ってきた。玄関に立ち尽くしている。当然、私は知らん顔。

しばらくして、
「ねぇ、送って行ってくれない・・・?」
「行きません。あれだけ、うるさいとか言われて、誰が送って行くものですか」

「パパ、送って行ってくれない?」
「そんな時間ない」
「えー、送ってくれて、そのまま車で会社に行ったらいいじゃない」
「あほか」

「・・・ママ、送って行ってくれませんか?」
「嫌です」
「・・・え~、どうしたら送って行ってくれるの? 何か代わりにするから」
「結構です。何もして欲しいくないです」
「え~、何かして欲しいことあるでしょ? 何でもしますから」
「いいです。歩いて行けばいいでしょ。それか大通りを走ってるバスに乗るか」
「歩いたら40分かかっちゃう。バスは全然来ないし」
「ママは中学のとき毎日40分歩いてました」
「だって、今からじゃ遅刻するもん」
「遅刻すればいいじゃない。休んでもいいよ」
「休みたくない、行きたいもん。遅刻もしたくない」
「そうやって、ごちゃごちゃ言っている間に歩いて行けば」
「そんなの無理」

延々こんな会話が繰り返された。私は昨日と言う昨日は、絶対に送っていくもんか!とかなり頑なに頑張った。でも、シナコはとってもとってもシツコイのである。こっちがだんまりを決め込んでも、しつこくしつこく食らいついてくるのだ。これを20分も続けていると、本当にゲンナリしてしまう。

で、とうとう、
「わかった。じゃあ、送ってってあげるけど、本当にこれが最後だからね! もう2度と寝坊したからって送りません。今度からは歩いて行きなさい。そうでもしないと、学習しないんだよ! その旨、ちゃんと紙に書いて。書いたら連れて行ってあげる」

そこで、シナコが書いた一筆がこれ。



次は、すんなり歩いていきますように!

2008年12月16日火曜日

National Do Not Mail List

電話での勧誘を一切断るために登録するNational Do Not Call Listの存在は広く知られている。

今度は更に、迷惑なダイレクトメール(郵送)を断ることができるようになったらしい。数日前に偶然ラジオで聞いた。

早速、インターネットで調べてみた。
詳しく読んでみると、ダイレクトメールを送る会社がやっているらしいが、各社が共通して使用しているリストの中から、希望者の名前を削除するというシステムらしい。要らないと言う人に送るのは無駄だという主旨らしい。National Do Not Call Listのほうは法的強制力があるので、罰則規定があったと思うが、こちらのほうは自発的な試みらしいので、強制力はなく、しつこく送り続ける業者からのダイレクトメールを阻止することはできないとのこと。逆に、特定のジャンルのダイレクトメールだけを希望することもできる。

毎日毎日これでもかとカタログやジャンクメールが届き、読みもせずにリサイクル用の紙袋に移している。紙袋もすぐに一杯になってしまい、月に1回のリサイクル紙収集日に出しそびれたら、翌月まで待たねばならない。だから量が減るのなら嬉しい。どれくらい効果があるのか不明だが、登録してみた。

あ、そう言えば、明日はリサイクル紙の収集の日だった。早朝に来るから今から出しておかなくちゃ。よくぞ思い出した!

National Do Not Mail Listの登録先はこちら。
https://www.directmail.com/directory/mail_preference/
(公的なサイトではありません。問題があっても関知しませんので、あしからず。)

キニコ、免許を取る

19歳を目前に、二度目の正直で、今日ようやくキニコは運転免許証を取得。
めでたし、めでたし。

前回は夏休み中で、運転試験を受けに来た子達が大勢いて、私は3時間も待たされた。挙句の果てが不合格。今回は受験者がほとんどいなくて、1時間後には全てを終えて、免許証を手にしていた。

前回の不合格の理由は、制限時速オーバーと一旦停止を正しく守らなかったこと。試験官は前と同じ人だったらしく、今回はダメだった部分だけを確認したので、運転時間もとても短く終わったらしい。車を降りる時点で既に合格を知らされたそうな。

と言うことで、今後は晴れて私はシナコの送り迎えから解放されます!
バンザーイ! (冬休み中だけだけど)
早速今日の夕方からシナコの体操の送り迎えを命じました。

で、夜になって気づいた。保険に入っていなかった・・・。
以前、保険会社に問い合わせた時に、免許を取った時点で連絡してくださいってことだったのに。
慌てて電話したら、もう時間外で留守電でした。

今夜は雪。道路のコンディションが悪ければ、明日は私が送り迎えかも。ちぇ。

ビッグスリー(2)

この頃、ブログの更新が頻繁だね~と言われる。
カウンターを付けて、1日にこんなに多くの人がアクセスしているんだと知ったら、何か新しいことを書いておかないと申し訳ない・・・と思って、書いていました。

ここ数日は、仕事があって忙しくしているのですが。

ビッグスリーについては、ブリッジローンが検討されている模様。実現すればGMとクライスラーはなんとか年を越せるのかな。

前回のブログで書いた、チャプター11で根本から経営を刷新すると言うのは正論だと思う。でも労働者や周辺への影響を考えると、確かに厳しい意見かもしれない。

正論だけじゃ、世の中上手く行かない。そのことも分かる。
それでも・・・。

やはり今回は、チャプター11で会社側に意思決定の余地を与えずに、思い切った改革をしないといけないと思う。そうすればUAWの力も弱まるし(この期に及んで、賃率のカットに合意しなかった)、労働者の意識改革にも繋がると思うんだけど。

一派一からげに語っても、個人個人のレベルでは、当てはまらない場合もあるし、私の偏見も大いに入っているけれど、思うに、アメリカの労働者は、概ねサービス精神ゼロ。与えられた仕事を100%もしない。経験したことのある人は多いと思うのだが、お店に行ったって、自分たちのおしゃべりに没頭して、お客が待っていようが知らん顔。

これは日本人の特質なのかもしれないけれど、往々にして私たちは与えられた仕事の120%を無償でこなそうとする。少なくとも私はそう。量での場合もあるし、効率や質での場合もある。自分自身と競争したりして、今日10出来ていたら、明日は11やろうと思う。コレやってと頼まれれば、アレも必要だと考えて、両方やる。そうじゃない?

アメリカも、昔はこんなじゃなかった、と思う。私が覚えている70年代のアメリカは、全てにおいて先進国だった。トイレもきれいだった。それが今、ここのどこが先進国なの、と感じさせられることが多い。このままじゃ、この国は衰退の一途。過去の栄光にだけ捕らわれて、自分たちの衰退・後退に気づいていない。

私にはそう言う思いがあるから、アメリカにカツを入れる良い機会だと思った。でもそれにしては代償が大きすぎる?

一方、今の日本の自動車業界の契約社員の解雇の話を聞いていると、本当に大変だと思う。企業の立場に立って契約社員の制度を奨励してきた政府に対して、ずっと腹を立ててきた。この制度は企業の成長の上で、便利なようで、実は何にも貢献しないと思う。契約社員が愛社精神を持つことなんてあり得ないから。

契約社員の人たちって、自ら選んでそうなったんだろうか? それとも雇用してくれるところがなくて、仕方なく? 前者なら彼らにも責任がある。一昔前にはこういう人も多かったのかもしれないけど、今は正社員になりたくてもなれない人が多いんでしょう。

この先どうなるんだろう。
ある中小企業の経営者が、とにかく今は耐え忍ぶしかない。じっと息を潜めて何とか持ちこたえたら、再び良い日がやってくるだろうって言っていた。本当にそれしかないみたい。

とにかくまじめに頑張れば、乗り越えられそうな・・・。それとも現実はそんなに甘くないのだろうか。

契約社員がどんどん解雇されている一方で、介護施設などでは人手不足と言っている。この辺もわかりません。資格がないとできない仕事なのか、それとも、こんな状況でも仕事を選んでいるのか・・・。

世の中の景気がこんなに悪い中、パリに旅行に行くなんて・・・ちょっと心苦しい気もする。切符は9月に買っていたのだ。ここまで景気が悪くなると、せっかくパリに行っても、るんるん気分で遊べないなぁ。今回の目的は、昔住んでいたあたりを懐かしく回って、ヴァレリーと、この10年余の話をキャッチアップすること。あとは、ひたすら食べる。

2008年12月12日金曜日

ビッグスリー

ビッグスリー救済案が上院で否決された。
確かにこれら三社が転んだ場合に、経済に与える影響は計り知れないとは思う。でも私は救出には反対だった。チャプター11(会社更正法)の下で整理再生するべきだと思う。

ビッグスリーの現在の惨状は、不況によって悪化したにしろ、根源は別のところにある。残すために残すというのは間違いだ。厳しすぎるかも知れないが、要らない部分は大きくそぎ落として、必要な部分だけを再生すればいい。一時的にビッグスリーのみならず自動車業界全体、地域全般、そして全世界の経済が影響を受けることは間違いないし、しかもその「一時」がどのくらいの期間に及ぶのかはわからないけれど、存続価値が大幅に失われた会社を必死に守っても仕方がないと思う。

労働組合UAWも諸悪の根源だったとしか言いようがない。労働者を搾取から守ったと言う意味で、UAWも過去にはその存在意義があった。でも今のUAWは既存の権利を守ることだけに必死で、それが効率や生産性の向上を阻んできたとしか思えない。

UAWではないが、ある日本の会社が、あるアメリカの製造会社に対して、日本で開発された新製品の製造のための研修を行うのに通訳として雇われたことがあった。日本から来たエンジニアが、アメリカの生産ラインで働く労働者に製品の作り方を説明するのだ。実際の部品を利用して、バラバラの部品が完成品になるまでの組立工程を全て行なう。

このときにアメリカの会社から説明があった。「組立作業はこられの作業者の仕事ですから、日本の方は、一切作業をしないでください。」 つまり実践してお手本を見せることも、部品をあっちからこっちに持ち運ぶこともいけない。全て口頭で説明して、アメリカ人作業者にさせなければならない。

ぱっとやって見せてしまえば簡単なものを、それができないのである。理由は、作業を代わりに行うことが労働者から仕事を奪ったと見なされるから。

そうは言っても実際に全てを作業者にやらせるというのは無理で、一部は日本のエンジニアがやるところもあった。その時、作業者は言うのだ。「僕らは構わないんだけど、これが労働組合に知れるところになると困るので、内々にね」と。

こうした一面を見ただけでも、労働組合が本来の目的を超越して、労働者を過保護・過干渉していることは明らか。いまや逆に労働組合に搾取されているような状態と言える。

ビッグスリーがスモールワンになることもあるかもしれない。淘汰されるのは仕方がないと思う。
(とは言いえ、きっと私の仕事にも大きくが影響があるんだろうから、歓迎すべきことではないのだけど・・・。)

ステーキ

昨日は生憎の雨で、シナコを体操の練習があるYWCAにドロップして、すぐに駅に向かった。ラッキーなことに、駅近くの高速の高架下に丁度一台分の駐車スペースが空いていた。75セントをパーキングメーターに入れた。これで4時間は大丈夫。多分6時以降は無料だと思いつつ確信がなかったので。

駅に着くや否や、5時の電車がホームに滑り込んできた。良かった。これを逃すと30分後までないのだから。ニューヨークのグランドセントラル駅に着いたのが5時45分。コイオとの待ち合わせまであと15分。慌てて駅構内にあるカード屋さんへ走り、結婚記念日用のカードを探す。あまりチョイスはなかったので、適当なのを選んで、そこでペンを借りてサインする。結婚記念日への深い思い入れが、15分前にカードを買うという行為によく表されている。

外は大雨。こんな日、マンハッタンのタクシーは絶対につかまらない。地下鉄と歩きでレストランへ。行ったのはQuality Meatsと言うところ。こんな雨の日に空いているんじゃないかと思ったら、レストランはすっごく混んでいた。カップル、友人同士もさることながら、スーツ姿の男だけのグループで、一見してビジネスディナーとわかる人たちが多い。ふん、マンハッタンのビジネスはまだまだ大丈夫なのだなと思った。(ビッグスリーがこけるまで?)

前菜はハマチの刺身&アボガドと、あれはなんて言うのだ。生牡蠣や海老・ロブスターなどが載ったプレート。正直言って、ステーキが来る前にお腹が一杯になった。

ステーキは焼き加減とか焦げ具合はとっても良くて、味も良かった。
が、やっぱり日本のお肉には敵わない・・・と言うのが私の結論。しかも大きいし、全部は食べられなかった。今後ステーキの時は、前菜なんかすっ飛ばして、いきなりお肉を注文しよう。そのほうが美味しく食べられるだろう。でも、やっぱりもうNYのステーキはいいや。

コイオにカードを渡す。コイオも今朝は「何にもないからね」と言っていた癖に、ちゃんとカードを用意していたじゃないか。
「いつ買ったの?」
「え、今日。会社の下で。」
ま、お互いそんなもんだ。でも用意しただけましでしょ。

帰りは更に大雨。グリニッチの駅から歩いて帰っていたらびしょぬれになっていたので、シナコの「せい」で駅に車で行ったのではなく、シナコの「お陰」で駅に車で行ったことになった。

帰宅するとシナコはまだご飯を食べていなかった。可哀そうに、ジョダもまだ餌をもらっていない。「なんで残したお肉持って帰ってくれなかったのよ~」と文句を言いながら、シナコは電子レンジで昨日の八宝菜をチンして食べた。

2008年12月11日木曜日

キニコの冬休み

明日の午前中でキニコの大学の授業は終わる。早っ!
大学から駅までのバスは事前に予約が必要だし、電車の切符も事前に買ったほうが安い。
先日、キニコが電車で帰ろうか、それとも迎えに来てくれる?と電話で聞いてきたときに、つい慈悲深い気持ちになってしまって、迎えに行ってあげると答えてしまった・・・。後悔。

と言うわけで明日は片道3時間、渋滞すれば4時間の道のりを、ペンシルバニア州の片田舎まで往復せねばならない。これで1日つぶれる。ガソリンがちょっと安くなって良かった。

大学の休みは1月18日まで。1ヶ月も! 高い学費取っておいて、ぼったくりだよね。8月25日始まって5月12日まで。途中、10月に5日、11月に1週間、冬休み1ヶ月、3月に10日のお休みがある。1ヶ月30日として、200日余りしか学校にいないんだよね。すぐお金に換算したくなるんだけど、5万ドル÷200日=250ドル。1日250ドル! 

あぁ、キニコが帰ってきたら、またしても言い争いになるのかと思うと気が重い。今の学校が気に入らないと言って、随分前から編入を口にしている。編入そのものに反対しているわけじゃない。高い学費を払っているのだから、嫌々行って欲しくはない。でも、口で言っている割には、アクションが伴っていないのだ。そこのところに腹が立つ。本気で編入するなら、もうそろそろ願書をだしていい頃なのだ。

キニコの言い分は、「学校の授業が面白くない、中味がない。あれなら高校の授業の方がずっとレベルが高かった。」でも良く考えてみると、それもそのはず。キニコの高校は私学で、しかも他とは比較にならない最高級の授業だった。クラスの人数だって平均10人~12人ほど。質が高くて当たり前。

編入先は公立を考えているようだから、授業の質は更に落ちるだろう。自分が受身である限り、授業から得られるものは、どんどん少なくなる。そのところが分かっているのだろうか。

私が話そうとすると聞く耳を持たないし・・・。正直言ってキニコの帰宅は、ちょっと気が重い。

パリ~!

今日で結婚20周年!

結婚式は12月11日だったけど、法律的には11月16日がそうだった。なぜ入籍だけ早くしたか。別にできちゃった婚という訳でもない。本当は私の両親と姉夫婦の結婚記念日である11月23日に、うちも合わせようとしたのだ。生涯祭日で、いいなぁと思ったから。ま、結果的には勤労感謝の日は生涯祭日にはならなかったけど。

届出の前後の日付なら、いつでも入籍できると思い込み、16日に区役所に行った。すると過去にさかのぼっての日付では提出できるが、先の日付ではダメだと言われた。また来るのがめんどくさいし、わざわざ会社を半休してたので、もういいか、とその日に提出してしまった。

波乱万丈の20年、と言うわけでもなかったけれど、7年の別居で、あわやこれまでかと思った時期もあった。でもまあ何とか無事に今日と言う日を迎えることができた。ぱち、ぱち、ぱち。

と言うわけで、今日は2人でステーキハウスに行く予定。別段ステーキがどうしても食べたいと言うわけでもないが、ニューヨークに来て一度もステーキを食べに行ったことがないと、ずっと私が文句を言っていたのでステーキと相成った。肉好きのシナコもおまけで連れて行ってやろうと一応誘ったのだが、一昨日と昨日はコーラスのコンサートのリハーサルと本番のために体操部の練習を休んだので、3日連続で休むのは嫌だと、辞退された。実は一緒に行ってくれたほうがありがたかったんだけど。だって5時からの練習に早めに送って行き、その足で、駅の駐車場に車を止めて5:00の電車に飛び乗らねばならない。レストランは6時半にしか予約が取れなかったので。シナコは練習後はタクシーで帰宅することになる。

さらに20周年を記念して、出会ったパリに旅行に行く事にした。ニューヨークからパリは、日本と比べるとずっと近い。駐在中に是非行きたいと思っていたのに、いまだ実現していなかった。フランス人の親友のヴァレリーとも、もう10年余り会っていない。娘のマリアちゃんはもう6歳になっていると言うのに。

と言うことで、冬休みの1週間はパリで過ごすことになった。当初は娘たちはお邪魔虫と思っていたが、家族揃って海外旅行なんて、この先ないかもしれない。二人ともフランス語を勉強してる(た)し、仕方ない、連れて行こう。ホテルは高いし、4人だと2部屋要るので、アパートを借りた。1ベッドルームだが、リビングのソファーがベッドに変わる。

特に何をするという目的はない。一番楽しみなのはヴァレリーとマリアに会えること! そして焼きたてのパン、カフェクレーム、ワイン、フォアグラ、マカロン、アンジェリーナのモンブランとショコラ・ショー・・・食べることばっかりやな。ちょっぴりユーロが安くなってくれてよかった。

2008年12月9日火曜日

海外留学

メディアでもしょっちゅう話題になっているが、このブログでもアメリカの大学の学費が異常に高いことはもう何度も書いて来た。

1週間くらい前のニューヨークタイムズの記事で、「学費の安い大学への進学(パスポート要ります)」と題打った記事があった。それによると、アメリカの私大の学費があまりに高いので、海外の大学に進学する者が増えているとのこと。

実例として挙げられていたのが、イギリスのUniversity of St. Andrews。この大学では現在、全校生徒7200名のうち1230名がアメリカ人だそう。10年前はわずか200名だったらしい。本年度の入学者350人中アメリカ人は100人以上だそうだ。St. Andrewsと言う学校を私は知らなかったのだが、アメリカのアイビーリーグやリトルアイビーに進学する代わりに選んだと言う生徒が記事に載っていたから、名門なんだろう。

無論、留学理由は、選考基準の違い、カリキュラムが違うので興味ある科目だけ履修できるとか、アメリカにない科目の専攻だったり、本来の目的である海外生活体験と言う理由もあるにはあるが、急増の理由はやはりお金だろう。

St. Andrewsのサイトで学費を調べてみたら、2008-2009年度の学費は11350ポンド($16884)。食事を含む寮費は、寮によって異なり4200~5710ポンド($6250~8500)。アメリカの私大と比較して2万ドル余り安いことになる。渡航費を含んでもまだ安い。

みんな考えることは同じでアメリカ国外の大学の競争もこうして激化してるのだから、キニコがカナダのマギルに入れなかったのも仕方ないな。

2008年12月8日月曜日

バレット食道

「バレット食堂」という飲食店名の変換間違いではありません。
これは、先日、夫のコイオに下された診断。

食道に胃酸が逆流して攻撃されると胸焼けが起き、これが繰り返されると食道炎(焼肉の食道園やおまへん)になってしまう。健康な状態では胃と食道の間には「噴門部」という部分があり、胃酸が食道に逆流するのを防いでいる。しかしこの機能が何らかの理由で不全になると、慢性的に胃酸が逆流し、食道であるにもかかわらず胃の粘膜に近い構造の粘膜組織ができてしまう。これをバレット食道と言うそう。

コイオがGERD(胃食道逆流症)であることは去年の健康診断でも言われており、ずっとprilosecと言う市販の胃酸を押さえる薬を飲んできた。それでも良くならず、今回は一歩進んだバレット食道の診断。

バレット食道の人の2割は食道がんになる可能性があるらしく、組織検査をすることになった。看護婦さんは「みんながみんなガンになるわけじゃないですから・・・」とコイオを励ましてくれたそうだが・・・。コイオの家系はガンの家系。父親は前立腺がんで亡くなっているし、叔父(母の弟)は白血病で亡くなっている。

今回の診断に本人もかなりショックだったと見え、これまで何度私が言っても聞かなかったのに、今後はミントを一切食べないと言った。(信じられないと思うが、ミントを1日で一缶くらい「食べて」しまっていた。あんなものは通常1日数個「なめる」程度でしょ。)

のみならず、朝のコーヒーも半杯にし、その後一切飲まない。お茶やコーラなどカフェインのあるものは一切やめ、食事も早めに取り(お陰で帰宅が少々早くなった)、就寝の3時間以内は何も食べない。

休むときも身体を起こして寝たほうが良いらしいので、金曜日にコイオが会社に行っている間に、どんな補助具があるのか、インターネットで調べてみた。

腰から上を少し起こすための斜めのパッドがあるのだが、これはシーツとマットレスの間に入れるものらしい。我が家はクィーンベッドなので、シングルサイズのパッドを買えば、マットレスの半分以上の幅のパッドが私の側に進出することになる。うーん、やだなぁ。

更に調べると、こうしたからだの半分を起こすパッドを使用するより、からだ全体を斜めにしたほうが寝やすいし効果的だとのこと。角度をつけるために、マットレスとベッドフレームの間入れる斜めのサポートがあるのだが、このサポートが200ドル程する。

もう少し調べると、最も手っ取り早く、経済的かつ効果的な方法は、「ベッドライザー」と呼ばれるベッドの高さを上げるための「足」を入れること。

既に私たちのベッドではベッドライザーを使っている。ベッドの下が衣装ケースの入る収納スペースにするために、4本の足にライザーをかませているのだ。このうち足元の2つのライザーを外せば良いのだ。

早速ライザーを2つ外した。するとベッドが斜めに傾く。最低15センチの高低差をつけなければならないらしいが、これで前後の高低差は13センチ。ま、いいでしょ。

「お前がしんどいからいいよ」とコイオは言ったが、私も試してみたかったので金曜の夜はそれで寝てみた。
確かに傾いてはいるけれど、体はまっすぐなのであまり違和感なく眠れた。

が、翌朝目が覚めると、体が前に滑っていて、足が2センチほどベッドの裾からはみ出ていた・・・。更に何だか腰が痛い。翌朝が土曜日で、いまだ時差ぼけを理由に昼前まで12時間も寝ていたからか?

土曜の夜もこの状態で寝たけれど、コイオは全く問題ないらしいが、私の場合は、やはり腰の辺りに体重がかかるらしく、目覚めると腰が痛い。今朝は朝方腰が痛くて目が覚め、身体を180度回転させて、足を高いほうにしたら、腰の辺りがすっと楽になった。やっぱりこの斜めのベッドは私には合わないらしい。

これは床を分けるか、ツインを2つ並べたタイプのキングサイズのベッドにするか、いびつに段が付こうともコイオの側にパッドを挟むか、今まで通りにコイオの食道に胃酸を逆流させるか・・・どうしたらいいかなぁ。

ちなみに組織検査の結果が土曜日に来て、「悪性細胞は発見されませんでした」とのこと。まずは一安心。

PS
なぜ夫のブログでの名前がコイオなのかと聞かれたことがあるのですが、「恋しい夫」と書いて恋夫。
と思わせておいて、本当は夫の顔は非常に濃いので、濃男、です。

2008年12月4日木曜日

日本滞在記

今日はようやく腹痛も収まった。けど昨夜はお腹が痛かったから睡眠導入剤を飲まなかったら、2時半に目が覚めて4時半まで寝る努力をしたけれど寝付けず、とうとう起き出した。

ボストンの仕事が終わったらゆっくりしようと思っていたのに、帰宅するなり有難いことに、翻訳の依頼が舞い込んで、しかも「簡単に終わる内容です」と言われて受けたら、蓋を開けてみると結構細かくて時間がかかる。おまけに期日も厳しくて、日曜日一杯に仕上げなければならない・・・。

腹痛で体力を消耗し、寝不足でしんどい身体に鞭打って、翻訳もしなくちゃならぬ。留守の間に家も散らかっている・・・。だからブログなんて書いてる暇などないのだ。

と言いながら、古くならないうちに・・・。

まず、今回の帰国で痛感したのが、日本の少子高齢化の現実。10月に両親が遊びに来たとき、出かける度に「アメリカはほんまに子供が多いのう」と父が言っていたが、逆に日本に帰って、なんて老人が多いんだと思った。

特に実家の芦屋は顕著。スーパーに買い物に行くと、白髪頭かごま塩頭しか目に入らない。レジではカートに乗ったカゴをレジの台に移すのが専門のおじさんが巡回している。老人には重たい作業だからだ。(乗せ換えてくれるおじさんも、結構老人だったんだけど。)

またレジの横には別の列がある。何の列かと思いきや、母が「今日はお米を買ったから配達してもらう」と買ったものを持って、その列に並びなおす。65歳以上は配達無料なんだそう。へぇー。

私がうろうろしていた時間帯が子供たちが学校に行っている時間なのかどうかわからないけど、確かに関西でも関東でも、あまり小さい子を見かけなかった。本当に子供が減っているんだなぁ。

今回、急遽関西に戻ることにした理由は義母。最近言動がおかしいと気づき始めた。夫を亡くして25年間一人暮らし。自分でも一人暮らしの限界を感じて、最近は同居を口にし始めた。当初は義母がまだまだしっかりしていると思っていたので、なんとしても阻止せねば・・・と思っていたのだが、帰国して義母の様子を見て、あぁこれは一人では無理かもしれないと感じた。

かと言って長男であるコイオの兄も住居は千葉だし、さほど広くもないマンションに二人の息子のうち、まだ一人が住んでいるし、今すぐにと言うのは難しい。うちも海外だし。住み慣れた大阪を離れるというのもどうなんだろう。

私の姉がケアマネージャをしていて、独居老人で支援が必要な場合は介護保険を利用して色んなサービスが受けられるから申し込めばと助言してくれ、取りあえず義兄が申し込んでくれた。最近はちょっとしたお手伝いに来てもらったりしているよう。

確かにそう言う年齢に自分が達して来たきたのだとも言えるけれど、高齢化の問題を身近に感じる今日この頃。

さて、関東に移動して数日仕事したあと、中学時代からの友人の家に転がり込んだ。彼女は私がフランスに住んでいた時に半年あまり私のアパートにいた。以来あだ名はイソウロウ。今度はイソウロウのアパートに私が居候。しょっちゅう会っている訳ではないけど、会えばすぐに昔の2人に戻る。こういうのを腐れ縁って言うのかな。

再び地方巡業に出た後、今度は大宮の友達の家に転がり込む。大宮に滞在中は、大いに笑い転げた。お寿司を食べに行ったり、1日はオハイオからの友達がもう一人加わって、3人で盛り上がった。噂に聞いていた「豆乳鍋」も食べられたし、お仕事を通して知り合った別の友人に、私のたっての願いで「博多一風堂」のラーメンを食べに上野に連れて行ってもらった。

残念だったのは友達が風邪を引いていて、あまり引っ張り出すこともできず、日中は我が身の癒しの時間にしようと、毎日マッサージやらフェイシャルらに勤しんだ。

この辺りだけなのか、今じゃ日本のどこでもそうなのか、オイルマッサージ、タイ式マッサージ、岩盤浴、サウナ、スパ、フェイシャル、整体、ネイルケア・・・ありとあらゆるお店が至る所にある。大宮・浦和界隈のこうしたお店の割引券がホットペッパーという無料誌にたくさんついていて、それらを駆使して毎日違う店に通った。

1日目は友達も一緒に行ってくれたオイルマッサージと足の角質除去。足はつるつるになるし、マッサージは垂涎もの。

2日目は岩盤浴・ボディーマッサージ・フェイスマッサージのセット。安っぽい外観とは異なって、中は高級リゾートホテルのような造り。小鳥のさえずりが聞こえる。ドーム型の岩盤浴に45分のあとは60分のマッサージ。「強くお願いします」と言ったら、本当に結構な力でマッサージしてもらって、時々痛いくらい。最後はフェイスマッサージ。思っていたのとは違い、ボディーマッサージの続きで、顔の筋肉とか頭皮のマッサージ。これもちょっと痛かった。

3日目。これぞ今回のハイライト。顔のしみ取り体験。若い頃から好んで思い切り太陽を浴び、お化粧だって30過ぎまでしていなかったことがたたって、お気づきの通り私の顔はシミだらけ。どうしたものか。今回も資生堂のお姉さんに「騙されたと思って」と言って騙されて、高いHAKUのローションを購入させられ、カバーマークのお店でも、「これで隠せます」とコンシーラーを買わされ、挙句の果てに、自らこんなお店に飛び込んでしまった。

お店では、まずカウンセリングと称して30分もお姉さんとお話。そのあと150分の施術が待っているのである。広告では「メラニンのお土産をお持ち帰りいただけます」とあった。ところがイオンの力だかなんだかでメラニンを除去するというトリートメントは1回では無理。何回も通って徐々に取っていくため、私のような一元さんには無理だと言う。その代わり、「今日はお顔の汚れを取りましょう」ってことで、ありとあらゆることをされた。

極めつけはこれ。顔中ぐるぐるにさせられたあと、お姉さんが鏡を持ってきて、「はい、見てください。」
目まで覆われているのに、見えるか・・・と思いながら鏡をかざすと、ガーゼの隙間から見える。思わず爆笑。何やこれ! 仮面ライダーのショッカーの一味か。何でも電気を通して顔にはりとつやを与えるとか。

あんまり面白いから、お店のお姉さんに写真を撮ってとせがんだ。「じゃ、お客様の携帯のカメラで」と言われ、「いえ、私は持ってないんです。貴方ので取って送ってください」と厚かましいお願いをする。だってあんまり面白いんだもん、皆さんにシェアしない手はない。(羞恥心ちゅうもんがアンタにはないんか?)



この後、お願いだからメラニンのお土産持って帰らせてと食い下がり、ちょっとだけメラニン除去をやってもらった。半径1ミリにも満たないほ~んの小さい点の部分のシミの上に、金属の突起物を当ててグルグルすると、あーら不思議、黒いメラニンが少し取れる。でもその下部にもまだまだあるので、実際は時間をあけて、少しずつ取っていくそうな。この日取ったメラニンは、言ってみれば、地球上の全陸地が私のシミとすると、淡路島の表面の部分をちょっと剥がしたくらい。全部取るには、かなりの投資と忍耐が要求されそうだ。

あーつくづく、人の弱みに付け込んだ商売だ。

2008年12月3日水曜日

お腹痛

めずらしくお腹をこわしている。こんなに腹痛が続いたことはないのに・・・風邪引いたのかな。

今日は仕事が早く終わり、2時半には解放されたので、6時にはボストンから帰った。

今回の仕事場は機密保持の理由でセキュリティーが非常に厳しい所で、トイレも一人では行けませぬ。必ずエスコートが付くのである。会議のメンバーに女性がいないことも多く、そんなときは男性がエスコートしてトイレまで付いて来て、終わるまで外で待たれるのであります。何と落ち着かない。

幸い今回は女の子が会議のメンバーにいたので、トイレの度に彼女に付いて来てもらった。昨日からお腹の調子が悪く、会議の途中、何度中座しようと思ったことか。なんとか休憩まで頑張って、彼女にお願いしてトイレへ。あまり何度も行くものだから、「お腹壊しているの・・・」と告白せずにはおれません。

ホテルに戻った後も、みんなでシーフードを食べに行きましょうと盛り上がっていたのに、一旦部屋に戻ったら緊張が解けたせいか、猛烈にお腹が痛くなって、食事に出かける時間までの1時間を殆どトイレで過ごした。レストランに出かける気力もなくなり、結局は断って、ずっと部屋で過ごした。(ロブスター食べたかったなぁ。)幸いこのホテルは、簡単な夕食が無料で用意されているので、それを部屋に持ち込んでちょっとだけつまんだ。

暖かいお風呂につかったら、ちょっと治まり、早々と寝るにした。夜中にお腹が痛くて一度目が覚めたけれど、しばらくするとそれも鎮まってくれた。朝になり、何だかすっかり治っているような気がしたけれど、やっぱり何か食べると調子が悪くなる。でも食欲はあるのだ。

と言うわけで、今日も頻繁にトイレへ。ボストンから家までのドライブ中も何度かお腹は痛くなったものの、緊急停車は必要なく、なんとか無事家に帰った。でも、ずっとシクシク痛い。何だろうこれ。大腸炎かなぁ。

時差ぼけもちょっと残っているし、ビオフェルミンを飲んで、今夜はさっさと寝ます。体重ちょっとは減ったかなぁ。

2008年12月1日月曜日

お帰りなさぁ~い!ました

2週間の日本滞在の後、昨夜遅くコネチカットに戻りました。案の定、ワシントン乗り継ぎのJFK行きは、大した雨でもないのに、天候の為キャンセル。代わりに用意された飛行機は翌日の便。翌日(即ち今日)は、明日からの仕事のための移動日なのです。だからなんとしても昨日中に家に帰り着かねばなりません。

カウンターに行き、ラガーディア行きとニューアーク行きを確認するが全て満席。スタンバイするかと聞かれたけど、スタンバイして乗れる確証はない。我が家に程近いローカル空港のホワイトプレーンズ行きにあと1席だけ空いていると言う。小さな空港行きは便数が少ないし機体も小さいから、リスクはあったけれど、一か八か賭ける事にした。(その後、ラガーディア行きとニューアーク行きも一部キャンセルになったので、スタンバイしなくて良かった。)結局この便も4時間ほど遅れたけれど、なんとか無事に帰ることができた。でも予想通り荷物は出て来ず。クレームを出して、今朝航空会社に問い合わせたら、今日の1時ごろまでに荷物を宅配するという。今、もう2時半なんだけど・・・。(さっき運送業者から電話があったから、荷物が来ることは間違いないらしい。)

行きも経由地のサンフランシスコで、整備不良で6時間遅れ、関空に着いたのは夜の10時半。入国が済んで荷物が出てきたのが11時半。西宮行も、尼崎行もバスは終わっていて、大阪行きの最終バスにかろうじて間に合った。梅田に着いたのは12時半。

新阪急ホテル前のバス停からJR大阪駅へは、地下道に降りるか陸橋を渡るしか手がない。今回は、私にしてはめずらしくコンパクトに荷物をまとめたつもりだが、それでも重たい荷物を持って階段の上り下りをする気にはなれず、ホテル前の大通りの横断歩道もない交差点を、信号も無視して、斜めに横切って大阪駅へ。夜中だったから車も少なかった。

こんな遅い時間なのにホームには電車を待つ大勢の乗客。そうだ、今日は「花金」だった。鈍行で座っていくか、快速に乗るか悩んだが、少しでも早く到着したいので、快速待ちの列に並ぶ。荷物があるから、もたもたして変なところに変な格好で立つ羽目になりたくないなぁ。

電車がホームに入って、扉が開く。早く乗って荷物を置く場所を確保したいと思っていると、後ろに並んでいた人たちが、われ先にドアへと流れ込む。思わずムッとして、「順番抜かししないでください!」と叫ぶ。「じゃあ、さっさと乗ってください!」と抜かした兄ちゃんに言い返される。

そこで我に返って恥ずかしくなる。あぁ、ここは大阪だった。並ぶという文化はないのだった。

電車の中でもみんな大声で談笑している。皆さんほろ酔いとは言え、ほんま、関西人はようしゃべるわ。

さて、じっくりと日本滞在記を書きたいところだけれど、明日と明後日はボストンで仕事なので、今夜、車で移動。そのための準備をせねばなりません。続きは帰ったらね。

PS
ブログの「読者」という欄を作ってみました。読者にどんな人がいるかってことらしいですが、多分ハンドルネームで登録できると思うのです。お読みの方、登録してみてください。
勧められて、ブログのカウンターも設置。これでどのくらいアクセスがあるか見られるのだけれど、自分でブログを書くために、内容を表示して確認したりしているうちに、どんどんカウントが上がっていっている・・・。

2008年11月26日水曜日

日本

実は今日本にいます。15日に到着して、今日で10日ほど経ちました。
2週間ほどの日程の中で、仕事も入れていて、あまりにあわただしい日程だったので、殆どのお友達には連絡もしてなくて・・・ごめんね。

と言うわけで、ほぼ2日に一度は場所移動があって、そのため今回は私にしては珍しく靴は履いたきりすずめ、洋服も限られた数しか持ってこなくて、荷物は最小限にしたつもり。それでも機内持ち込みできる最大サイズのキャスター付きバッグは重たくて、しかも日本は階段の上り下りも多く、エスカレータやエレベータがないときも。おまけに人、人、人・・・。この荷物で雑踏の中を歩くのは一苦労。

そんなときに日本にはこんな素晴らしいシステムがあることに気がついた。
宅配便!
信じられないくらい確実に着く。値段だってそれほど高くない。

と言うわけで、自分の実家や夫の実家で託されたお土産は日本出発前に泊めてもらうお友達の家に送り、キャスター付きバッグは、実家→栃木→池袋→東京の友達の家→埼玉の友達の家と、自分の行動にあわせて順送りに。

しかもユニクロ大好き、買い物大好きだから、行く先々で何故か荷物が徐々に増える。いまやバッグはパンク寸前。買い物したいけど、もう買えない。悲しい。

さて、一通りの仕事を終えて、今は最終地の埼玉の友人宅。今日は彼女は家でお仕事があるので、私は邪魔しないように、もう少ししたらお出かけします。もうお買い物もできないので、今日はフェイシャルとボディーマッサージの至福のひと時を過ごす予定。この手のお店がこの界隈にはすごく一杯あって、友達は「ね、日本っていいでしょ? 帰っておいで」と言います。確かに、アメリカに気軽に行けるこの手のお店は、こんなにたくさんないなぁ。私が知らないだけなのかなぁ。

明日はオハイオからもう一人友人がこの家にやってくるので、久々に3人で宴会?できるのをひたすら楽しみにしております。

2008年10月30日木曜日

円高

ブログなんて書いてるバヤイじゃないんだけど・・・、今の円高対策としてノーベル経済学賞にも匹敵するアイデアを思いついたのである!

つまり、ドル建てで取引するからいけないのだ。
ドルで50%、残りの50%を円で取引したら、ドルが上がれば円が下がる、その逆も真なりで、プラスマイナスゼロ。誰も損しないし、誰も得しないでしょ?

「この考えいいでしょ? 頭良いと思わない?」とコイオに言うと、
「全然、良い考えと思わない。」
「なんで全然良い考えって思わないのよ。こんな賢いこと、どうして誰も思いつかないのか。」
「ドルは基軸通貨だから、だれも円で半分なんてしない。それにプラスマイナスゼロじゃなくて、損得が取引している両者に分配するだけだよ。」
「いまやドルは基軸通貨じゃなくて鬼畜通貨かキチガイ通貨じゃん。それに、ドルが上がると、円が下がるから、プラスマイナスゼロになるはずでしょ!」
「そうかな。俺はそう思わないけど、やってみてみ」と言って、コイオは今朝、会社に出かけました。

と言うことで、早速具体例を出して考えてみよう。

1000円の商品をアメリカに輸出する。取引を決めたときのレートが1ドル=100円だったとして、500円は円で、5ドルをドルで受け取る契約にする。

代金を受け取る時点のレートは1ドル90円。
日本企業が受け取るお金は、500円+5ドルなので、実際は円に両替すると950円。・・・あれ?
アメリカ企業が払うお金は、500円+5ドル。500円を両替するには5.55ドル必要。ってことは10.55ドル。・・・あれれ・・・。

日本企業が10ドルで売っていた場合は、900円しかもらえなかったわけだから・・・そっか、やっぱり為替リスクを両者に分配しただけか・・・。

なんでや、なんでや。ほんじゃ、誰が得してるねん? 

やっぱり、私の場合はノーヘル経済学賞。脳みそ使ってエネルギー減らしただけ損した。

2008年10月29日水曜日

人気ブログ?

本当はブログなんてかいているバヤイじゃないのですが。
と言うのも、引き受けた翻訳の仕事の納期が今週末。日曜から今朝まで出張に出かけていてその間手付かず。予めわかっていたことなので、出発前に必死になって大部分の翻訳を済ませ、帰って残りを仕上げればいいだけの状態にしていた。なのに、なのに、それなのに、一昨日になって、依頼された内容に大幅に変更が生じ、かなりやり直さなくちゃいけなくなった。しかも納期は殆ど延長されず。

でもこの出張中の出来事を書かいでか、とPCに向かう。(納期延長してくださいまし!)

(その1)
出張の行き先は、以前に社内通訳として仕事をしていた頃に訪れたことのある会社。懐かしさも相まって、更に楽しかった。

今回もエンジニア関連の通訳だったけれど、技術関連の仕事は、話を聞いていて面白いので大好き。勿論、中味は2割もわかってないのだが。エンジニアという人たちの頭の中ってどうなっているんだろう。知識と経験に基づいて、頭の中で連鎖反応が起きているみたい。

「ここがAだと、Zってことだよね。」
「え、Zですか? あぁ、AだとBになるから、CとDがEになって、FがGでしょ・・・ふん、ふん、Zになりますねぇ。」

トーシロウの私には何が何だかわからないけれど、取りあえず聞いたまま言ってると、みんなが、ふんふん頷いている。いつも一人取り残されるけど、そう言うやり取りが面白い。

また、特記すべきは、日本から来られた2人のエンジニアのうちのお1人。初対面であるにもかかわらず、開口一番「いつも、ブログ読ませてもらってます」だって!
うっそー!? 何で~!? ホントびっくり。滅多なことは書けないわ。

この方、「エンジニア」のステレオタイプとは大きくかけ離れた方でありました。つまり、とてもおしゃれ。一緒に出張に来られていた方にも、「お前ももっととがった靴をはかんと」と、レクチャー。ご本人の出で立ちは、ピンストライプの黒のスーツに、ベージュのスエードのベスト。シャツは衿が、大きめのボタンでおしゃれに留まったエンジ色に、濃い同系色に黒っぽい柄のネクタイ。靴はテーパー状でつま先は四角い黄褐色。夕食に出かけた時は、滑らかな皮(カーフ)の黒のジャケット(革ジャンじゃないよ)。バックパックはオレンジ系茶色の皮製。

足りなかったのは、太い金のネックレスに、金のローレックスかしら。
滅多なこと書けへんって言うて、書いてるやない!
(読んではりますよね・・・ネタにして、すみません。)

失礼を承知で、「あの、間違われたことないですか?」と聞いてしまったら、
「ないです。僕はどこから見ても立派なサラリーマンでしょ。本物はもっと怖いです」とおっしゃってましたが・・・。(ちなみに髪型もジャパニーズマフィア風でした。)

(その2)
帰りの飛行機。前のほうの席で、たくさんの荷物を頭上のコンパートメントに入れようと立っているおじさん。似てるなぁ・・・。でも、ガイジンってみんな同じ顔に見えるし。でも、やっぱり似てる。本人じゃないかな。でも自信がないから、前の席に座っているお兄さんをつついて、
「ね、あの人、David Gergenじゃない?」
と確認したら、やっぱりそう。
CNNのコメンテーターとして、よくAnderson Cooperのニュース番組に出てる人です。テレビで見ると、頭が薄くって貧相な感じだったのに、実物は飛行機の天井に頭が届くので、前かがみにならなくちゃいけないほどの長身。ダンディーでかっこよかった。きっと真正面から捕らえるカメラアングルが悪いのね。

(その3)
飛行機で隣合わせた50がらみの韓国人のおじさん。釜山にある国立大学の教授。コロンバスで学会があったそうな。専門はコミュニケーションサイエンス。通信科学ってテレパシーの勉強か(アホか)。名詞を見たら、マスコミ学科だそうです。それで日本の新聞の質問をしたのね。

「どうして日本人はそんなにたくさんの新聞を読むのか?」
「だって、うちのお父さん、毎朝新聞持ってトイレに30分こもってるの。どこのお父さんも新聞ないとトイレで困るのよ。そうするとお母さんは自分が読むものがなくなるものだから、別に神戸新聞取ってるよ。」
果たして、私のジョークは通じていたか。

「日本にはどうしてそんなに新聞が多いのか?」
「多いって、全国紙は赤旗と聖教新聞除いたら、3紙だよ。朝日、読売、サンケイ」
「そうだっけ。じゃ韓国の方が多いな。全国紙は5紙はあるし、小規模なところを入れると9紙ある。一時は購読者の争奪戦が激化しててね。」
「日本でも、契約欲しさにいろいろ物くれるよ。私は読売を6ヶ月契約してた。だって洗剤とかビール券くれるから。6ヶ月ごとに契約するとその度にくれるんだもん。」
「洗剤? せこいなぁ。韓国なんて、一時は自転車とかくれてたよ。ある新聞は壁にかける鳩時計のクックークロックを配っていて、クックー新聞なんて揶揄されていたよ」
「え、じゃ韓国紙を取ろうかしら」

「ね、ところで私って好奇心旺盛なんだけど、質問していい?」
「どうぞ」
「一般の韓国人は、やっぱり過去のことで日本人が嫌いと思っているの?」
「いや、それは僕たちより上の世代のこと。確かに、こんなことがあったと聞くと、愛国心から腹は立つけれど、だからと言って今の日本に対して嫌悪感を持ったりはしていない。」
「ふ~ん。それはよかった。じゃ、竹島についてはどう思う?」
「あれは、日本は放棄したんだ。そして韓国が領土だと宣言したんだから、韓国だよ。」
「え、放棄なんてしてないよ。」
「1945年に、日本が日本の領土とした中には入っていなかった。だから放棄したってことだよ。対馬と同じこと。対馬も以前は王国で、対馬の王が朝鮮に入れてくれと言って一時は朝鮮になったけれど、維持費がかかりすぎて、朝鮮は放棄したんだ。その後日本に併合された。」
「対馬の話は知らなかったけど、その場合は朝鮮が放棄したんでしょ。日本は竹島を放棄してないよ。少なくとも日本政府は放棄したとはみなしていない。」
「でもそれ以前に朝鮮が竹島を領土としていた。19XX年・・・」
「日本は竹島をもっと早くから領土としているよ、そんな文献があるんだよ」
「それは知らなかった」
「じゃあ、私の意見聞いてくれる? 私はね、物事の見方が平行線をたどっている限りは解決しないから、いっそ竹島を半分こにすればいいと思うのよ。」
「半分こ・・・。そう言えば、朴大統領時代の副大統領XXが、竹島を爆破しちまったらいいって言ってたな。爆破するよりは、半分このほうがいいか。」

かくして竹島は、日韓それぞれの代表により、半分ずつに分割される事になりました。めでたし、めでたし。

「それにしても、キミ、日本人にしたら、はっきり物を言う人だね」
「どうも、アメリカに長く住み過ぎたらしいわ」

2008年10月23日木曜日

デポジション・デビュー

今日、初めてデポジションの通訳をした。
これまでにも何度か、デポの通訳の打診はあったのだが、経験がないため断ったり、あるいは経験がないことで最終的には依頼されなかったりした。

このあたりでは結構デポの通訳需要があるので、機会があればやってみたいと常々思っていた。今回の仕事は時間も短いし、それほど込み入った内容ではなさそうなので、挑戦してみることにした。

日本の皆さんにはデポジションという言葉は馴染みがないと思うので少し解説すると、デポジションは辞書で引くと宣誓証言とか宣誓供述とあるが、正しくは「証言録取」と訳すようである。

デポジションはたいていが弁護士事務所で行なわれる。通常は、証言を求める側が場所を用意するらしい。

アメリカの民事訴訟では、デポジションで得られた当事者や第三者の証言を、「証拠」として裁判所に提出することが出来る。そのため、デポジションでの証言は正式な記録に残されることになる。

・・・実は、このことを、私は今日弁護士事務所に着くまで知らなかった。

デポの場所となる部屋に入ると、速記タイピストとビデオ撮影担当者が既に到着していた。勿論、さも当たり前のように平然と彼らと握手したのだが、内心は「うゎ、全部、取られるんやんか・・・」とびっくりしていた。つまり、今日のデポが証拠として採用される場合は、法廷に私の声が流れるわけだ・・・。

そして、もうひとつ知らなかったこと。デポが始まる前に証人が「真実の全て、真実のみを述べる」と宣誓することは知っていたが、まさか証人よりも先に自分が宣誓しなくちゃいけないとは知らなかった。

手順として、速記タイピストは、証人を宣誓させる以前に、「本訴訟において、行政・司法通訳における倫理規定と専門家としての責任に基づいて、技術・判断・能力の最善を尽くし、正確、完全、かつ公平な通訳を行うこと」を通訳者に右手を挙げて宣誓させるのである。

でもデビューはまずまずの成功でありました。

ただ、ひとつつまづいた言葉がある。complaintと聞いて、品質の仕事をしていた私の頭に最初に浮かんだ言葉は「苦情」。そして「文句」。でもこの場合はその言葉じゃないよ~と言うのは分かってたんだけど、思い浮かばない。辞書を引いてようやく「申し立て」と言ったが、「告訴」の方が正しかった。ごめんなさい。

2008年10月20日月曜日

ジジババのお帰り~

2週間あまりの日程を無事終えて、ジジババはめでたく日本に帰りました。先ほど電話があって無事着いたとのこと。

この家を発って空港に向かうべく、愛車オデッセに乗り込み、口々に言う。
「シートベルトは、これじゃの。おー、入ったで。」
「私のも、すっと入りました。ようやく、すんなりシートベルトが出来るようになったと思たら、帰らなあかんのやねぇ。」
「ほんまやのう。身体もなじんで、やっと快腸になったのになぁ。」
と言いながらも、未だにオデッセの自動スライドドアの閉め方を父は学習していない。ドアを開けたまま、私が閉めるのを待っている。

最初のナイアガラへの2泊の旅。ラクイサ(アメリカのお母さん)とのハプニングもなく、楽しく過ごすことができた。私は自分が話すと、人が話す分も合わせて3倍話さないといけないので、極力話さぬようにした。

母:「いやぁ、お母さんとやっと会えて、いろんなお話できて嬉しいわ。でも、娘に通訳させていると、本人の悪口言えないわね」
ラクイサ:「大丈夫、その時は、シナコを呼べばいいじゃない」

その後、実際に私の悪口を言う為にシナコが呼ばれたかどうかは知らないけど。

母:「この前、娘が電話で通訳して、お母さんとお話したでしょ。あのことをエッセイに書いて投稿したら、入選したのよ」
ラクイサ:「あら、是非読みたいわ。訳してね」と私に言う。
そうだったの、私もまだ読んでないよ。

ナイアガラへの道すがら、助手席に座ったラクイサがどんどん私に話しかけてくるので、時々その内容をまとめて後部座席の両親に説明していたら、「いいよ、全部訳してくれなくても」と母が言う。私を気遣ってと思っていたけど、ひょっとして一方的なラクイサの話を聞くのがめんどくさかったから? されどラクイサ。「いーえ、私の話はどれも重要だから、一言漏らさず全部訳してちょうだいね! わっはっはー!」

ホテルはカナダ滝の真正面。「シニア料金」の割引が効いたので滝の側の部屋を取ったのだが、大正解。目の前にカナダ滝が見えて圧巻でした。(今回はマリオットにしたけれど、前に泊まったお隣のシェラトン・フォールズビューもとても良かった。ナイアガラに行くなら、このどちらかをお勧め。シェラトンはアメリカ滝に近いシェラトン・オンザフォールズもあるから、間違えないように。)

ナイアガラに着いた翌日は、曇りのち雨。ホテルから目の前のケーブルカーで滝の近くへ降りる。滝の裏側のツアーを終えて、いざ霧の乙女号へ向かって歩こうと言う段になって、「ワシは、もうええ。ホテルに帰る」と父。朝の儀式が、時差ぼけでホテルを出る前に終わっていなかったのが、ここへ来て、父のお決まりの表現を借りれば「エンジンがかかった」らしいのだ。父は一人で再びケーブルカーでホテルへ。貸しきりだったそう。そりゃそうだ。あの時間に戻る人なんていないわ。

そこで女3人で霧の乙女号へ。帰りは雨に打たれたけど、船で既にびっしょりだったし、もらったポンチョが役に立った。
http://www.maidofthemist.com/en/

その日は父の77歳の誕生日。滝を見下ろすスカイロンタワーの上にある、1時間かけて360度回転するというレストランを予約していたのだが、あいにくタワーは雲の中。よっぽどキャンセルしようかと思ったけれど、せっかくだから行くことにした。ガラガラだろうと予想していたのに、雨だからと予定が変更できないツアー客でレストランは結構埋まっていた。案の定、視界はほぼゼロ。見えるのは雲ばかり。
http://www.skylon.com/

景色は見られなかったけれど、ディナーの後に、突然ピアノがハッピーバースデーを奏で出し、ろうそく1本を立てたケーキが父に運ばれてきて、みんなに歌ってもらって、嬉しそうだった。

しかし、翌日判明したのだが、父はただ私たちが歌っているだけだと思っていたそうだ。ピアノの伴奏の音もも、店中の客が歌っていたのも全然知らなかったそうな。父は耳が遠いのである。

ナイアガラ2日目の夜は2度目の大統領討論会。ホテルの部屋に戻ったときは大方が終わっていた。

帰り道、良いホテルだったねーと言う話になったときに
ライクサ:「でもひとつだけ難あり。フォックスニュースが入らなかった」
私:「えっ? そうだったの?」
ラクイサ:「そうよ。じゃなかったら、なんで私がCNNを観てたと思ってんの?」
私:「私への配慮かと思った・・・」
ラクイサ:「まさか!」 
そして両親のほうを見て「彼女とわたしは政治的な見解だけは合わないのよ、ね?」
父:「お母さん、心配せんでえーです。何やかんや言うたかて、どうせコイツには、選挙権はないんやから。は、は、はー!」

行きはピークまでは今一歩と言うところだったのに、たった2日後の帰りのドライブでは紅葉した景色が最高にきれいだった。毎年きれいな紅葉が見られるわけじゃないので、これはとってもラッキー。とにかく、少し進む毎に「わぁ~きれー!」「すっごいきれー!」「めっちゃきれー!」を連発するので、ラクイサまでも「キデー!」

ナイアガラから戻って翌日は、キニコの母校、ホッチキスを案内。学校を見て父が言う。
「こりゃ、学校ちゅうよりは、美術館みたいな建物やな」
確かに、改めてきれいなところだと思った。その後、近くでランチを食べ、そこから少し北に行ったマサチューセッツ州にあるNorman Rockwell Museumへ。私は彼の絵が好きなのです。
http://www.nrm.org/

その後、ニュージャージーのベッツィーの家にラクイサを送って行った。本来は3時間半の道のりが、3連休の初日であったため、ジョージワシントン橋で大渋滞およびハプニングで、5時間かかった。

渋滞中、橋の少し手前で右手の高速の出口に長い列ができていた。列の最後尾のバスが4車線目のレーンをふさいでいる。そのレーンを走っていた私は、少しレーンにお尻がはみ出たバスをかわして通ろうとした。途端にバキっと言う大きな音が。

何じゃ?と思ってみたら、隣のラクイサが「あらー!見てコレ!」
なんと、右のサイドミラーが根こそぎ折れて、電動ミラーのワイヤだけでぶら下がっているじゃありませんか! はー、やってしまった。バスにも傷がついてるだろうけど、そんなの知ったこっちゃないし、あっちも渋滞、こっちも渋滞で、誰も追って来られない。こっちも止まるのも戻るの無理。サイナラ~とゆっくり現場を去りながらも、またしても夫コイオの怖い顔が浮かぶ。

みんなを見渡して、「いい、このサイドミラーはNorman Rockwellの駐車場に停めていた間に、誰かにぶつけられて折られたことね。絶対コイオに私がやったって言わないでよ! 怒るから。」
父:「ええけど、お前、ようそんな悪知恵がすぐに思い浮かぶのう」
私:「だって、前にバンパーぶつけたときに、チカちゃんに『何で言うたん? 黙ってたら分からへんかったのに』って言われたから」
父:「ホンマ、お前ら、悪知恵が働くのう」

そして父は母に向かって、「おい、お前が言うたれ。あいつが言うよりホンマっぽいやろ」
母:「そんなん、私じゃなくて、おじいちゃんが言うてよ」
父:「あかん、ワシは笑ろてしまう」
母:「じゃ、車に乗ったときに、まずラクイサが気がついたってことね」
ラクイサ:「それで、私が見てと言って、みんなでびっくりして憤慨した」
母:「あかん、私も笑ってしまう」
私:「あかんよ、笑ったら! 怒ってないとおかしいねんから」
母:「あかん、笑うわ」
父:「あかんぞ、お前が笑ったら」
母:「ほんなら、おじいちゃん言うてよ」
父:「あかん、ワシは笑う」

ラクイサ:「それにしても、このミラーは当たったときに折りたたまないの?」
私:「日本のオデッセは折りたためたのに、これは折りたためないの。そうや! これは車が悪いんやわ! 衝撃で折りたたむようになってたら、壊れへんかったのに」

ようやく橋を抜けて、スピードが出せるようになった。すると突然ゴーン、ゴロゴロ、ガンガンと音がする。見るとワイヤだけでぶら下がったサイドミラーが突風に煽られて窓ガラスやボディーに当たっている。まずい。サイドミラーだけならまだしも、ボディーにも傷がついたとなりゃ、ますますコイオが怒る。仕方なくスピードを落とす。が、トラックが横をすり抜けると、風圧でその度にガーン、ガラガラ、ゴロゴロ。

ラクイサが窓を開けて何とかしようとしたが、どうにもならない。
仕方なくサービスエリアに出て、対処することに。
母:「ハンカチでくるんだら?」とハンカチを取り出したけど、小さすぎてくるめない。「あ、ベッツィーにあげようと思ってたお土産の風呂敷があるやん。あれで包み。」

風呂敷で包んで、ラクイサのアイデアで結び目を窓ガラスの内側にはさみ、ようやくミラーは動かなくなった。
「ほら見て。あんな風呂敷、誰が欲しいねんとか悪口言うてたけど、役に立ったでしょ」と母。

しかし、窓ガラスに白い丸い風呂敷包みが張り付いた車はとても奇妙。横を走る車の視線を感じる。

本当はラクイサをドロップした帰りに、マンハッタンに寄って、ペンシルバニア駅に9時過ぎに着くキニコを拾って帰ろうと思っていたのだが、ベッツィーの家に着いたのが9時。そんな時間もなくなった。私たちが10時半に帰宅したとき、既にキニコは一足先に電車で帰っていた。キニコの大学は、中間考査が終わってその日から4日間のお休みなのだ。

ドアを開けて、開口一番、コイオに向かって私は叫んだ。
「めっちゃ、腹立つねん! 聞いてよ! サイドミラー壊されてん!」
コイオのすごーく不機嫌な表情を見て、笑うと言っていた両親も、まじめにお芝居をする気になったらしい。
「お母さんが一番最初に見つけはってん、ね」と母がフォロー。

しかしコイオの不機嫌さはどうやらミラーのことばかりではなさそう。
「キニコの顔、見て来てみ」

キッチンで何かを食べていたキニコの顔をのぞいて、私のお芝居の怒りが、本物に変わる。
「何を考えてるの!?」

キニコは鼻にピアスを空けていたのである! 
と聞くと、すぐに鼻輪を思い浮かべそうであるが、鼻輪ではなく、左の鼻の上の方にインド人の女性がつけているようなピアスをしている。

もうミラーのことはそっちのけで、コイオと私でキニコをしかり始めた。
「何でそんなところに穴を開けるのか」
「私の身体じゃない」
「アンタの身体でも、パパとママが養育している以上は好きにできないの。やるんだったら、自分で自立して生きていけるようになってからしなさい。それまでは許さない。すぐに外しなさい」
「いやだ」
「そんなんやったら、出て行け」
「これが最後だもん、もうあけないもん」
「そのうち、お臍や眉にも開けるんでしょ」
「そんなん、しないもん」

しばらくこんな応酬が続き、キニコはおいおいと泣き出したが、私たちは無視。
そこへ、母がやってきて、「もうやってしまったことは仕方ないじゃないの」
・・・で、私のほうはその話題をドロップすることにした。コイオは2、3日機嫌が悪かったけど。

車のほうは翌朝ディーラーに持っていって部品を発注。3日後には修理完了。その間、風呂敷包みをぶら下げたままでは恥ずかしいので、ミラーは取り外してもらった。

と言うことで、両親がいた間のハイライトはミラー風呂敷事件かも知れません。(未だにコイオは真実を知りませぬ。)

日曜日。マンハッタンのアッパーウエストにあるオーシャングリルと言う店で、私のアメリカの家族とキニコを除く我が家の総勢11名が集結してのブランチ。

ベッツィーは、彼女が16歳のときに日本の我が家に遊びに来たときのアルバムを持ってきて見せてくれた。父が半紙に墨で書いたベッツィーの名もあったが、本人はすっかり忘れている。

そうそう、ラクイサをベッツィーの家に送って行った時に、ベッツィーが母に見せようと人形を持って来た。それは当時母がベッツィーのために作ったもの。私たち娘もみんな作ってもらったけど、今も持っている者は誰一人としていない。「いやー、大事にしてもらって! 懐かしいわぁ」と、母はとても感激していた。

レストランで、カナダのお土産をラクイサはスザーンに渡していた。これを雪解けの機会にしたいと思っていたようだが、残念ながら、そうはならなかった模様。(あれからスザーンと話をしていないと、ラクイサが今朝の電話で言っていた。)夫のバーニーのほうは、普通にラクイサと会話していたんだけどな。



ブランチの後は、みんなでセントラルパークを散歩。その後私たちはミュージカルのライオンキングを見るためにブロードウェーに。これにはキニコも参加。

翌日、父が言う。
「昨日、あのザコバの前を通ったやろ」
「ザコバ~? なんやそれ?」
「ほれ、何や、オノヨーコか誰かの・・・」
「・・・ダコタハウスのこと!?」
「そうや、そのザコバ」
落語家の家やないねんから・・・。

ミラーの修理が終わった日は、キニコが大学に戻る日。またキニコの運転免許の実地試験の日でもあった。1時のテストの予約に2時間待たされた挙句、テスト結果は見事「不合格」。次の再試験は冬休みの12月に予約を入れた。教官からもらった紙には、「一旦停止の線を越えて止まった」が3回、「制限速度30マイルを45マイルで走った」とある。終わってから友達に電話で「あの、バカ教官が・・・」と話していたが、「そういう言葉は使わないの。バカはアンタでしょ」 (キニコは「お尻の穴」と言う英語を使ってました、はい「麻生」さんです。)

大学へキニコを送りついでに、両親をペンシルバニア州に住むアーミッシュの村に連れて行こうと、寮でキニコをドロップした後は、ランカスターという町に行って泊まった。翌朝、午前中一杯をアーミッシュ観光にあて、その後お土産を買って帰った。あまり興味がないかなと思っていたけれど、二人とも結構、興味をそそられたようで良かった。
http://www.pbase.com/terry434/amish&page=all

日本語でのマンハッタンバスツアーと言うのがあって、両親だけで参加。友達のチカエと4人で昼食を食べた後、2人をツアーに送っていき、私はチカエと、お茶して待っていた。

さて、どんなツアーだったかと聞くと、想像していた2階建てバスではなく、ただのマイクロバス。参加者も両親を入れて8人。ガイド兼運転手の日本人のおじさんが、運転しながら前を見て話すので、耳の遠い父には3割しか聞こえず。また「右手を見てください」と言われて、一番後部座席の両親が自分たちの右手を見ていたら、どうやら運転手さんの右手だったらしく、どの建物のことやらわからなかったそうな。「上のほう」と言われても、バスの天井で何も見えないし。バスを降りたのは、唯一バッテリーパーク。遠~くに自由の女神を眺めるだけ。エンパイヤステートビルも外から眺めるだけ。「逸話や歴史の話は面白かったけど、いったいどこを走っているのやら、さっぱり分からなかったわ。」しかも、前の座席に陣取った6人組みは、今朝の飛行機で日本から来たばかり。時差ぼけで、バスに乗るなり船をこいでいたので、これじゃ、ガイドさんのやる気も削がれるわな。

翌日の土曜日はマチネでミュージカル「オペラ座の怪人」を見に再びマンハッタンへ。父はミュージカルは、もうええ、とミッドタウンにある「日本囲碁クラブ」へ碁を打ちに行く。残念ながら、その日のお客は父とアメリカ人の大学生一人だけ。初心者の学生に父が教える羽目に。「先生」と呼ばれる囲碁クラブのおじさん(日本からわざわざ3ヶ月交代で来ているそう)とも打ったそうだけど、あまりに人がいなくて、期待を裏切られたらしい。

オペラ座の怪人で、私は前半の途中から意識を失った。やっぱ、私のミュージカルに対する理解はライオンキング止まりです。ちなみに母もコイオも居眠り。しっかり見て面白かった~と言ったのはシナコだけ。

夜はチカエとマブ男さんも一緒に中華街で晩御飯。海鮮料理が中心の中華料理店(Fuleen)は、とっても美味しかった。特にdungeness crab(アメリカイチョウガニ)が! これから中華はここにしよう。ご飯の後、マブ男さんがガイド、チカエの通訳で、夜のダウンタウンを案内してもらう。マンハッタンの夜景が見られるRiver Cafeへ行ったが、残念ながら結婚式の貸切となっていて入れず。横からブルックリン橋とマンハッタンを眺めた。

この2週間余、予定が全くないのは3日ほどで、殆ど毎日のように何か予定が入っていて忙しかった。それでもせっかく来ているので、常に何かしていたい父は、予定のない日は退屈気味。そんな日は母と長い散歩に出かけていた。結果的には結構フルで楽しんで帰った模様。

でも一番良い目をしたのは私かも。外食も多かったが、この間に食事の支度をしたのはたったの1度、昼ごはんにチャーハンを作っただけ。あとはずっと母がおさんどんをしてくれた。一応悪いから「手伝おうか」と心にもない声は掛けていたが、いいというので、全~部お願いした。

買い物に行っても父が払うと言うので、お言葉に甘え、遊びに行った費用も含めて全部2人に出してもらった。いいのかなぁ・・・と思いつつも、出すと言うので、お願いしました。ちなみに誕生日のディナーは私が出しましたよ~。それも払うと言ったけど、誕生日のお祝いを自分で出させるのは申し訳ないからね。

年金暮らしの両親に払わせて・・・と罪悪感がないわけでもありませんが、カネ食い虫のいる我が家への思いやりとありがたく受け取っておきますです。ちなみに父曰く、母はシルバーセンターでのアルバイトで羽振りが良く、父にも月に2万円のお小遣いをくれているそうであります。

シルバーセンターと言うのは、芦屋市が斡旋する老人の派遣アルバイト。登録者は60歳(?)以上の市民。派遣先もやっぱり市民か市に関する仕事。母は週1で、子供のいない大学教授夫妻の家に3時間掃除に行き、これまた週1で病気で寝たり起きたりの奥さん(子供7歳)のところに食事を作りに行く。3日分くらいをまとめて作っておくそう。また不定期で火災報知機の検査をよそのおじいさんとペアで回っている。掃除のほうは3階建ての家なのに、掃除機が1つしかなくて持って上がったり降りたりがしんどいそう。家の中にエレベーターもあるのに、電気代が高いので止めてあるんだって。「各階に掃除機おいてもらったら? うちですら各階にあるのに」と私。これホント。地下はもらったやつ、1階は簡易の充電式のやつだけど。

食事のほうは楽しいらしい。そこのお譲ちゃんがとっても可愛いんだって。「おばちゃまのピラフは本当においしい」と、母の焼き飯は、このオタクではピラフに格上げされる。「おばちゃまの作るものが大好き」といつも言ってくれるそうな。

ちなみに、母はシルバーセンターでのアルバイトの他、ボランティアで盲人のための朗読をし、毎朝、早起きして山へ散歩に行き、同窓会と称して小学校の同級生と月一でハイキングに出かけ、幼馴染を含む高校の同級生4人組でしょっちゅう旅行したり食事したりと、超級に元気で忙しいのである。父も子供にテニスを教えたり、碁会所へ行ったり、母の不在時に家を掃除したりしているそう。

そんな話を聞きながら、母が食事の支度をするのを眺めておりました。食事の後は、いつものごとくコイオがさっさと後片付け。それを見て母が、「お義母さん、こんなん見たら泣かはるわぁ」
「よう、躾けてありまっしゃろ?」と私。
「慣れてますから」とコイオ。
「おじいちゃん! おじいちゃんも、ちょっとは見習ってよ」

3日ほどすると、父が自分で食べたものを流しに運び、洗っているではありませんか。はて、日本に帰っても続いているかなぁ。

そんなわけで、両親がいた間は極めて充実した食生活だったわけです。帰国した日の夜の分も前日に用意しおいてくれました。従って本日より普段の悲惨な食生活に戻りま~す。

しかし両親の帰国を誰よりも誰よりも惜しんでいるのはジョダ。と言うのも2人がいた間は朝晩1時間ずつお散歩に連れて行ってもらっていたから。朝はたいてい母が。夜は、母が食事の支度をしている時は父が。外出から帰って来たときは、その足で2人で散歩に行ってくれていました。ジョダは少しスリムになったみたい。

「お陰で、ええ冥土の土産ができました」と言ってたけど、そのくらいの土産では足らんと冥土の人に言われるかもしれんので、もうちょっと土産を増やしに、また是非来てくださいまし。今度は1日分とは言わず、1か月分くらいの食事の支度して帰ってちょうだい。

2008年10月4日土曜日

ジジババの到着

空港に迎えに行ったら、到着時間から実際に出てくるまで1時間も待たされた。入管で時間がかかったそうな。

前の人を入国管理官が連れてどこかに消えてしまい、なかなか戻って来なかった。その後、戻って来て両親に質問するも、両親は全く英語を解せず。

管理官は両親にどうやら何ジンかと聞いている模様。「日本のパスポート見せてるんやから、聞かんでもわかるやろ」思いながらも『ジャパニーズ』と答える。管理官は、後ろに並んでいる東洋人に向かって何か聞いたが、彼は「コリアン」と答えている。するともう少し後ろのほうに並んでいた人が、少し日本語が分かると言って、助けに来てくれ、ようやくめでたく入国。


車の後ろの席に乗り込むや父は、「ほんま、アメリカちゅうところはわからんなぁ」
「何が?」
「このシートベルトがどないなっちょるかわからん。なんじゃこれは、どないなっとるんや?」
「それは、真ん中の席のベルトでしょ。パパのは、あっち。」
「えっ? そうか、ようわからんのう。」
すると私の隣に乗った母も、「私のもないわ」
「ないわけないでしょ、そこやん、振り向いて見てみ」
「はー、あった、あった、そやけど、これがなかなか入らへんのよね~」
「どこにあるか、わからん。どないなっちょるんや。お~、これか。ほんま、アメリカ言うところは、わからんところやの~。」

アメリカやないでしょ。
だいたい、この車はオデッセ、日本車やで。

かくして、車に乗るたびに「アメリカ言うところはわからんの~」を繰り返しながらシートベルトを探している。

2008年10月3日金曜日

副大統領候補の討論会

昨日は早々と夕食の支度を追え、一分たりとも逃さずディベートを見る万全の体制を整えていた。

開始直前にコイオ(夫を以降こう呼びます)が帰宅。
「テレビ見なあかんから、ごはん出してあるから勝手にして」と告げて、いそいそと居間へ移動。

こんなにして臨んだのに、なのに、なのに、それなのに、不覚にも最後の30分は意識不明に陥り、気がついたらディベートは終わっておりました・・・。

なんでや~!

つまり、期待したほどのエンターテイメント性はなかったのであります。十分な練習を積んだのか、ディベートの司会者が優しいからか、CBSのケイティークーリックとの単独インタビューで見せたような場面は皆無。実際、ディベートが始まった直後は、「こりゃペイリンに軍配が上がったか・・・」と思ったほど、彼女は画面を見据えて語る一方、バイデンのほうは司会者のほうを見てうつむきがち。声もあまり抑揚がない。

でも、まもなくバイデンもトーンが上がってきて、やはり討論の内容だけを見ると、バイデンは質問に直接答える一方、ペイリンのほうは自分の言いたい内容へ話を持っていく。逃げたわけだが、うまく強調したい内容に摩り替える作戦でもあった。

同性愛者カップルの「権利」について、ペイリンが「結婚以外は認める」と言い切ったものだから、エバンジェリカルな保守派からブーイングが出るのでは。

そのあたりまで記憶はあるのだが・・・あとは覚えておりません。睡魔に負けました。

言ってみれば、投票権もなく物見胡散的に選挙を眺めている者にとっては、興奮する場面もなく、面白みにかけたということでした。

あ、こんなことしてるバヤイじゃない。ジジババを空港に迎えに行かねば!

2008年10月2日木曜日

会食

昨夜、マンハッタンでお寿司を食べた。

少し前に友人のブログを覗いていて、アッパーイーストに10貫以上食べると「半額」になるお寿司屋さんがあると言う。味もいいそうだし、是非行って試してみたいと、夫にお願いした。

「そんなもん、10貫なんて、誰かて普通に食べる量やないか。初めから半額を前提にして値段をつけてるに決まってる」

まぁ、そうなんだろうけれど、やっぱりどんなものか試してみたい。Cちゃんに話すと、「私も行きたい。マビ男もいいかな?」

マビ男さんが来るのは私は全然構わないのだが、夫は英語を話すのが面倒なので、嫌がるに違いない。さりとて、Cちゃんだってご主人に来るなとは言えない。

かくして、4人でその激安すし店に行く事になった。夫は「俺は貝になる」と宣言。

シナコはマンハッタンが嫌いだし、親と出かけるのはもっと嫌いなので、不参加。

Cちゃん夫妻とは6時過ぎにグランドセントラル駅のコンコース内にあるMetrazurというレストランのバーで待ち合わせて、夫の仕事が終わるのを待つ。しかしMetrazurは人が一杯。反対側にあるCiprianiのバーが空いていたのでそちらに移動。私はキール・ロワイヤル、Cちゃんはシャンペン、マビ男さんはモルトウィスキー。こういう時間っておしゃれでいいなー。

7時過ぎに夫がやってきて、皆でタクシーでおすし屋へ。店に足を一歩入れてちょっとショック。写真で見た以上にみすぼらしかったから・・・。でも、外観じゃない。中身よ。

しかし、更なるショックが。今日はウニはありません・・・だって。ウニは私の大好物なのだ。寿司はウニに始まってウニに終わる。コレ、私が何十年も守ってきた伝統の食べ方。あー残念。でも気を取り直して注文。

味的には、美味しかった。ものすごく美味しいかと聞かれたら、ものすごくはつかないけれど。半額になると、回転すしの値段と同等になるから、そう思うととても値打ちがある。お店の人もとても良心的な対応だたった。

ただ出てくるのが遅いのである。「一人で握っているから、仕方ないよ」と言うけど、でも、やっぱり一人にしても遅いよ・・・。

でも、食べる物がないのが功を奏したのか。その間はおしゃべりで埋めるしかない。貝になるはずの夫だったが、直接マビ男さんに話しかけられて、黙っているわけにもいかない。マビ男さんも夫を思いやった分かりやすい会話をしてくれる。「今の金融問題は仕事には影響ありますか」とか、自分たちのブラジル旅行の計画とか。夫は何度もブラジルに出張しているから、その辺の話題なら問題ない。

マビ男さんに、ハワイのコンドを使っていいよって言われて、「ホント!?」とすごく喜んでいたけど、アンタが会社休まなきゃ、いけないでしょうが。山ほど有給休暇あるのに。

お寿司を待っている間に、私は(夫も少し飲んだけど)サッポロビールの大瓶2本とマビ男さんたちが注文した日本酒も飲んで、かなり酔っ払った。帰りの電車では、またしても爆睡。夫は新聞を読んで起きていたので、乗り過ごしせず。酔っ払って登る家の前の坂は、しんどかった・・・。

お勘定は、私たち2人分で、合わせて40貫くらい(越えていたかも)食べて、ビール2本、お味噌汁2杯で120ドルくらい。うん、やっぱり回転すし並み。安いわ。ちなみにCちゃん夫妻は我が家ほど食べてないので90ドルほどでした。

2008年9月30日火曜日

理学療法

フィジカルセラピーが日本語で理学療法とは知らなんだ・・・。理学療法と聞いても何のことだかピンと来ないけれど、フィジカル(身体の、物理的な)セラピー(療法)なら、なんとなく想像がつく。

シナコはクロスカントリーをやっているのだが、1ヶ月ほど前から足が痛くなり、ここのところは走らずにずっと見学。靴が悪いからと、ランニングシューズも新しいのを買わされた。中敷のクッションも買わされた。
〆て120ドル也。

それで少しは良くなったものの、整形外科から派遣されている学校のクラブのトレーナーに、「多分シンスプリント(過労性脛部痛)だろうけど、疲労骨折の可能性も無きにしも非ずなので、整形外科に見てもらいなさい」と言われて、しぶしぶ(私が)予約を入れた。

子供が病気とか怪我をすると、世のお母さん方は、まずは心配するのだろうけれど、私が最初に思うのは、めんどくさい、である。だって、予約を取るまでの過程が面倒だし、医者に連れて行かねばならないのも面倒。とは言え無視できないので、予約を取ることに。先週の初めのことである。

トレーナーが働いている整形外科は、保険の指定医じゃないので、自己負担割合が増える。おまけに最初の予約が10月7日。これじゃあ、余りにも先過ぎ。インターネットで保険医を探した。グリニッチにはなくて、一番近いところはニューヨーク州のホワイトプレーンズ。車で15分ほどだけど、そこで先週木曜日に予約を入れた。

診断の結果、恐らく疲労骨折はない。炎症を起こしているので、市販の抗炎症薬を6週間飲むこと。それと、理学療法を週に3回、1ヶ月ほど受けなさい、とのこと。

えーーー、そんなぁ。どう見ても命に別状ないし、そんなに痛そうじゃないし。週に3回も連れて行くの~。面倒くさいよ、それに一体幾らかかるのだ!?

しかし、じゃあ行きませんって訳にも行かず、またしてもインターネットで保険の効く理学療法士を探した。幸いこの町にあった。早速、今日の夕方、第1回目のセラピーに連れて行った。

「お宅の保険はいいですよ。免責額もないし、3割負担だけですから」と、何も聞かないのに窓口のおばちゃんは言う。
「1回の治療ってどのくらいかかるんですか?」
「内容によりますけど、120ドル~200ドルくらいですね。」
げっ。その3割負担x週3回x1ヶ月・・・。私の頭の中に$$$が飛び交った。

まもなくシナコが呼ばれた。セラピストは私くらいの年齢の女性。シナコに一通り質問をし、いろんな姿勢や動きをさせて言った。「この機会に、足だけでなく、他の筋肉も強めましょう。お腹の筋肉がちょっと弱いようだけれど、そう言うところが弱いと、それをかばって、他に負担が行きますから」だって。ふ~ん。

さらに「どんな靴を履いて走っている? どのくらい履いている? 普段は何を履いている?」と聞かれ、
「1年くらい同じランニングシューズを使っていたけれど、最近新しいのを買いました。中敷も入れています。普段はゾウリ」とシナコが答える。

「走る靴は、3ヶ月に1度、長くても6ヶ月に1度は買い換えないとダメ。中敷を敷いたのは正解ね。ゾウリは最悪よ。あれは一番足に悪い。ちゃんとした靴をはかないと」

えー、ランニングシューズを3ヶ月に1足? そんな・・・。また$$$が頭を飛び交う。確かにだんだん寒くなるのに、いまだゾウリで学校に行ってるのは、いただけないけど、また新しい靴を買わねばならないのか・・・。$$$

「足は冷やしている?」
「・・・・あ、時々は・・・」
「ちゃんと冷やさないとだめ」

私が、「アイスパック売ってますか? 家では常時氷を作ってないものですから。」
「ありますけれど、20ドルもしますよ。それより、冷凍食品のミックスベジタブルとかコーンとかなら、1パック2ドルほどでしょう。あれでいいんですよ」

確かに2ドルは安いけれど、食べ物を粗末にするのはなぁ、と妙なところで、お金に寛大になってしまう。

シナコが、一昨年、去年と足首もくじいて、走れなかったり体操ができなかったりもしたことも話すと、それにも対応したセラピーをしてくれるそう。

で、今日のところは、超音波で足をマッサージしてもらっておしまい。次回からはトレーニングのメニューを組んでやるそうである。(置いてある器具は、ジムそのもの。)

筋を伸ばしたり、他の筋肉を強くしたりして、怪我を防ぐというのが目的らしいが・・・。う~ん、こんなのって、保険で通うほどのことなんだろうか。何だか、スポーツセラピーみたいだ。それにしても、これから週に3回。超面倒臭い! (ちなみにシナコは偏平足らしい・・・)

両親の訪米

今週、日本から両親が遊びにやってくる。3日~20日までの2週間半。当初、父から電話があり、
「お前のところに3週間ほど遊びに行こうと思ってな。」

私が、「3週間も?」と言うと、父は私が「来てくれるの?」という語尾をはしょったと勝手に理解して、「おお、ちょっと長めに行っちゃるわ」と嬉しそうだった。(父は長州出身である。)

カリフォルニアの大学院の卒業式に来てくれたので、今回でアメリカは2度目。東海岸は初めて。せっかく来てくれるのだから、メジャーな観光スポットを案内しようと、とりあえずナイアガラの滝へ連れて行く事にした。

アメリカのお母さん(以下、長いので、ラクイサと言う)は、前々からうちの両親に会いたいと言っていた。だが丁度両親がアメリカに来る時期に、オーストラリアへ旅行に行く事になっていて、今回は会えなくて残念と言っていた。

その彼女から、1ヶ月ほど前に電話があり、「オーストラリアはキャンセルした。ひょっとしたらそちらに行けるかも。」

と言うのも、ラクイサの妹のパトリシアが急遽大動脈の手術が必要になり、オーストラリアに行っている場合時じゃなくなったと言うのだ。2年前に心臓近くの大動脈解離でバイパス手術を受けたのだが、ずっと出血が続いていて、度々輸血を受けていた。

「術後の経過がよかったら、そちらに遊びに行く」と言う。来てくれるのは非常に嬉しいし、これまでずっと話に出てきたお互いの存在を、お互いに紹介できるのはとてもいい機会だと思う。

しかし、実現するとなれば、正直言って頭も痛い。


・・・果たして、手術は成功した。

手術はヒューストンでハリケーンアイクが襲う2日前に行なわれた。片側の肋骨の下を背中からお腹にかけて真横に切って、大動脈を30センチ「修理」したそう。その後、ハリケーンの被害で町中は停電。病院には自家発電があるので大丈夫だったが、2日間は病院のドアが閉じられ院内立ち入り禁止。面会もできなかった。町の人たちが病院を避難所として利用するのを避けるための対処だ。

当然ラクイサの宿泊していたホテルも停電。シャワーも浴びられない、トイレも流せない。病院が関係者にのみ解放された後も、ホテルの停電は続いていた。気の毒に思った看護婦が、内緒でホテルに泊まっていいと言ってくれたので、退院するまで夕方6時から朝6時までは、パトリシアの病室に隠れて過ごしたらしい。手術から8日目に退院となり、傷口をホッチキスで止めた状態で、パトリシアとラクイサは車で700キロ余りの道のりをオクラホマまで帰った。途中知人の家に2泊したらしいけれど、それにしても、出産で1週間入院する日本人と違って、こんな大手術でも1週間で退院させられて、しかも車で700キロも移動するアメリカ人てつくづく逞しい。

ここで私の悩みは現実性を帯びてくるわけだ。まず両親に断らねばならない。「来はるって言うものを、来るなとは言えないでしょう。アンタがお世話になってるんやから、そりゃ頑張るしかないでしょう。お父さんにはちゃんと話しておくわ」と母。

そうなんだけど、我が家は狭い。キニコの部屋にエアマットレスを入れて、両親には寝てもらおうと思っているのだけれど、ラクイサはどこに寝ればいいのだ。「私はどこだっていい」と言うけれど・・・。地下のソファーかな。ソファーベッドは壊れているし。でも地下は寒いのだよね。夫が出張なら、私がソファーで、ラクイサにベッドを明け渡すか。出張に行ってもらうか・・・。

寝るところは何とかなるとして、母はともかく、父とどんな会話が成立するというのだろう? しかもそれを誰が通訳するわけ? 父の通訳不可能な駄洒落、ラクイサの日本人が興味を持ちそうもない話題、トイレに新聞を持って入り風呂上りは裸で歩く父、所とかまわず物を出しっぱなしで足をどこにでも上げるラクイサ・・・この2人が同じ屋根の下に数日間暮らすことになるなんて。おまけに食べ物の嗜好は全く違うし・・・うぐぐぐ・・・。

「で、2人が来たら、何をするの?」とラクイサ。
「マンハッタン観光と、あとナイアガラに連れて行こうと思う」
「ナイアガラは誰が行くの?」
「シナコは学校だし、夫も仕事だから、私と3人だけで。」
「あ~ら、4人はどう?」

かくして、4人でナイアガラに行く事になったのである。

ラクイサはナイアガラ出発前日にやってくることになった。ナイアガラから戻った翌日にはキニコが休みで帰ってくるので、ラクイサにはベッツィーのところに移ってもらうようにお願いした。案外彼女も、ベッツィーのところに行かなくてはならない口実ができて良かったのかもしれない。(以前に書いたが、実の娘たちとの関係がこじれているのである。)

両親とラクイサが一緒に過ごすのはナイアガラも含めて4泊。さて、どうなりますやら。

加えて、前回父がカリフォルニアに来た時に、つまらぬことで私とケンカになり、「わしゃ帰る!」「どうぞ、帰れば!」と言う応酬があった。母が間に入って仲を取り成したわけだが、果たして今回は揉め事もなく終わるのでしょうか。乞うご期待であります。

アメリカの祝日、いろいろ

今日はローシュ・ハッシャーナーというユダヤ教の祭日で、シナコの学校はお休み。この辺りはユダヤ人が多いため、ユダヤの祭日でも学校がお休みになると言うのが、オハイオと比較してびっくりしたこと。

厳密には、アメリカには「国の休日」と言うのはないらしい。前に、1月1日と7月4日の年に2日だけは、国の休日とどこかで聞いたのだが、どうやらそれも違うらしい。代わりに「国の休日に当たるもの」と連邦政府が認めている日が11日あり(10日は毎年、1日は4年に1度)、殆どの州で少なくともこの11日は祝日になっている。

1月1日
1月の第3月曜(キング牧師の誕生日)
1月20日(大統領就任式の日、これは4年に1度だけ、つまり今度の1月20日はお休み)
2月の第3月曜 (ワシントンの誕生日、最近はプレジデンツ・デー、大統領の日)
5月の最終月曜 (メモリアルデー、南北戦争以降の戦没者を追悼する日)
7月4日 (独立記念日)
9月の第1月曜 (レイバーデー、労働者の日)
10月の第2月曜 (コロンバスデー、コロンブスの日)
11月11日 (ベテランズデー、退役軍人に敬意を表する日)
11月の第4月曜 (サンクスギビングデー、感謝祭、秋の収穫に感謝する日)
12月25日

上記をベースに、あとは州や学区単位で休日が決まる。殆どの州でイースターもお休みになっている。


ローシュ・ハシャーナーがどんな日なのか知らないので、調べてみた。どうやらユダヤ暦のお正月らしい。安息日に当たるため、一切の労働が禁じられている。

7000億ドルの法案が下院で昨日否決されたけれど、今日はローシュ・ハシャーナーだから、アメリカ議会もお休み。アメリカの政治と経済に対するユダヤの影響は信じられないくらい大きい。どうしてそんなに大きいのか。人数的には大していないはずなのに、$$$的にかなりの影響力があるからだろうか。いっそのことイスラエルがアメリカの51州目にでもなってくれたほうが判りやすい気がする。別国でありながら無視できぬ影響力を持っていると言うのが、私の理解を超えているから。

ところでユダヤの歴史は今日で5769年目を迎える。これって「中国4千年の歴史」を上回る、すごいじゃん。

中国と言えば、その4千年の歴史の中で、火薬や印刷、紙、羅針盤を発明した。あるアメリカ人が中国で何かの特許料を請求したら、「中国が火薬や印刷、紙の特許料を、アメリカに請求したことがあったか」と言って拒否されたとか。

で、ユダヤ暦の1年目て、アダムとイブが生まれた日??? 調べたら、なんと「天地創造」から今年で5769年ということでした・・・。う~ん、ならば「天地創造説」は地質学的に破綻しているんじゃないの?

現在のアメリカではダーウィンの進化論が学術的な裏づけがないことから、それを唯一の事実として学校で教えるのは誤りであり、「進化論という説もあるが、天地創造説もある」と、両方教えろという声がある。勿論、エバンジェリカルなキリスト教徒の意見であるけど。

進化論に学術的な裏づけ証拠がないと言うのは、私も知らなかった。つまり進化を示唆する物はたくさんあるけれど、実際に進化したことを証明する突然変異の化石とか、ある種とある種の間を結ぶものが欠如していると言うのだ。

でも進化論が証明されていない=天地創造説にはならないとは思うのだけど。前回、アメリカのお母さんがウチに来たときに、この話になって、ビデオは見なくちゃいけなかったし、本も買ってくれて、「読め」と言われてしまった。有識者の中で、進化論支持者が、創造説支持者に変わった経緯を見るのは興味深かったけれど・・・。

今回は、そう言う話題に至らないことを願っている。

2008年9月26日金曜日

コイズミ

コイズミさんが辞めると表明して、えらいニュースになっている。
町の声を聞いても、「えー、もうちょっと続けて欲しかった」とか、惜しまれる声があるけれど、なんで?って思う。

鳴り物入りの首相だったし、期待も大きかった。
自民党を変えるとか言ってたけど、彼のせいかどうか分からないけど、確かにかなり弱体化した。

でも彼の功績って一体何?
郵政民営化は確かに実現したけれど、それがいったいどんなメリットを国民にもたらしたというのだろう。

はっきり言って、かき混ぜるだけ、かき混ぜて、後は野となれ山となれで辞めていくのだと思う。多分自分の無力感をひしひしと感じているんじゃないか。お友達のジョージももうすぐ任期が終わるし、丁度潮時だと思ったんでしょう。

とんだお騒がせ男だったと言うのが、私の彼に対する印象。

ところで、アソーさん、国連総会にお出になっていますが、彼の名前が、取りざたされないかなぁと密かに楽しみにしている私であります。(アソーって響き、英語のある下品な言葉に似てますでしょ?)

2008年9月24日水曜日

はしたない話

ウォシュレットの続編であります。

無事取り付けが完了。ところが、パイプのつなぎ目のどこからか、水が少し漏れている。あちこち調べて分かったのが、トイレのタンクとパイプとのつなぎ目。どうやらタンク側のパッキンが古くなっていて、新しいパイプを繋いだのがきっかけで、漏れ始めた。

翌日、グリニッチーアベニューにある金物屋さんに歩いていって、パッキンを買って来た。

話は脱線するけれど、グリニッチアベニューと言うのはこの町の目抜き通り。ティファニーやバカラなんかもあるおしゃれな通りなのである。そんな通りに金物屋があるのも不思議。これまで見かけたことなかったけど、インターネットで住所を調べると確かこの通りにあるはず。でも、その番地の前まで行っても、見当たらない。番地の辺りを行ったり来たりしながら、やっぱり、引越したのかなぁ。

ふと見ると、ラルフローレンがやっているRUGBYというブランドのショップの入り口のすぐ脇に、金物屋の小さな入り口があり、RUGBYの地下に向かっている。RUGBYの『暖簾』(シェード)の下になっているから、ぱっと見たら全然わからない。

普通の金物屋さんよりはちょっとおしゃれ。結構品揃えも良く、お目当てのパッキンをゲット。

しかし、歩いて買い物に行けるなんて、この家は便利だなぁ。アベニューまでは徒歩で20分ほどなので、決して近くはないけれど、丁度いい運動になります。

パッキンを交換したら、水漏れも止んで、ウォシュレットの完成であります! イェ~イ!

+++++

嬉しくて、別に用を足したいわけでもないのに、とにかくシートに腰掛け、試してみることに。

早速、パネルにある「お尻」マークのボタンを押す。す、すると・・・。えーどうなってるのよ~! ものすごい勢いで温水が飛び出して来て、お尻を直撃するではありませんか! オオ、水の勢いが強すぎたか、と、びっくりしてレベルを一番下にまで下げる。しかし、まだ水は容赦なくお尻を攻撃する。こりゃ、どうなってるんだ? 慌ててストップボタンを押した。

パネルをよ~く見てみると、噴水みたいなマークがある。押してみる。シャワシャワ~と優しく温水が噴出した。あ~これだったのね。じゃあ、こっちの「お尻」マークは何なの?

お尻マークの下には、小さな文字で「ターボ」と書いてある。何じゃこりゃ? 説明書を見ると、このターボ機能は「浣腸洗浄」であると書いてあるじゃありませんか。ご丁寧に、水が体内に入って、そのあと、体外に排出されるイラスト付きで!

こんな機能、日本のウォシュレットにはないよね? ほーんとびっくりした。

・・・使用後、ワタクシのお尻から水が排出されたことも追記しておきましょう・・・。

+++++

実は、あんまりにはしたない話なので、書こうかどうしようか迷ったけれど、アーライに次ぐオモロイ話、嫁入り前の娘じゃないから、気にしないことにした(笑)。

2008年9月19日金曜日

最近のニュースに寄せて

このところのムカつくニュース。

(1)
最も腹立たしいのは、太田農林水産大臣の辞任。辞めたら責任取れるわけ? 本当の責任の取り方を履き違えてるんじゃないの? 彼が農林水産大臣だった在職期間中の給料でもって、汚染米で作られた製品を買い取れって言うんだ。「心配ない」って言ったのは、アンタでしょ。前言撤回したにしろ、いまだそう思っているのは明らか。問題は、既に消費されているものじゃなくて、今製品として残っているものなんだよ。アンタが心配ないって言うなら、私産を投げ売って、買い取って、自分で消費するなり、販売するなりしてみろよ! 辞めて責任取が取れるなら、こんな簡単なことはない。私だって、今から、母親・妻を辞めて、単なる同居人に成り下がりたいと思います。これで、母・妻としての(飯炊き)責任から逃れられるので、自由に(宅配に頼って)生きたいと思います。

(2)
次に腹が立ったのは、ペットの火葬場に関するニュース(クローズアップ現代)。
ペットの火葬場の所在地・建設に関しては法律がないそうである。で、業者が住宅地の真ん中に簡易の償却施設(ニュースの映像で見る限りは、焼き芋屋さんのトラックと大差なかった)を使って営業しても、それを規制することはできないそう。

ええっ!? 仮にも火を使うのでしょ? 防火法はどうなのよ? 近隣の住民は臭いなどで悩ませられていると言う。

確か、ごみ焼却炉は、温度が低すぎて、煙と共に大気汚染物質が多量に排出されるから規制の対象になったはず。黒煙が出てるって言うんだから、やっぱり「公害」だよ。だれか死んだペットの胃の中に、爆発物でも仕込んで、こんな危険性もあると、問題提議をすればいいのに。(私って過激?)

焼却施設に関しては、住宅地に出来ることは大いに問題あり。でもペットの霊園はどうかなぁ~。

ウチの千葉のマンションの出入り口近くには、小さな三角地帯の墓地がある。ブロック塀でかこまれ、入り口もどこだかわからない。(マンション購入時には気づかなかった。) でも、夜に帰宅するときに、その側を通るのはちょっと怖いのよね~。これがペット霊園だったら、怖くないのに。今朝、夫が出勤するときに、「ねぇ、ペット霊園の方が、あの墓地よりいいよね? 代わりに立候補したいくらいだよね? 何で、黙っているのよ!? 絶対ペット霊園のほうが、怖くないでしょ?」
夫は、しぶしぶ頷いて、家を出て行きました・・・。

あ、でも、勿論ジョダは、市役所かどこかに引き取ってもらって、オシマイであります。霊園だなんて、勿体無い! だいたい、自分の遺言にも「私の墓は作るな」って書いてるんですから。将来どこに住むか分からない子供たちが、私の墓の守をしなくちゃいけないなんて、あまりに気の毒。死んだら、死んだんだから、墓なんていりません。娘たちが希望するなら、遺影でも持ち歩いて、そこに語りかけて(唾かけて)もらうだけで十分。

(3)
オハイオ通信の記念すべき2回目に登場したオプラ・ウィンフリー。あの時、オプラのブッククラブについて触れた。彼女が勧める本には、その旨記されている。でも今日のBarns & Noble(アメリカの大手本屋)のメールで、オプラ・ブッククラブが推奨する最後の本が紹介されていた。ってことは、ブッククラブが終わること? 最近は全然、推奨本は読んでないけれど、何だかひとつの時代が幕を閉じたようで、少し物悲しい。

(4)
リーマンブラザーズとAIGの話で、アメリカの新聞は持ち切りだけど、大半の意見はAIGを救済すべきではなかったと言うこと。AIGの経営破たんからの影響は免れただけに、そうでなかった場合はどうだったかは分からないけれど、実質これで助かった人はみんなお金持ち。保険会社だったから一般への影響を考慮して救済されたということもあったけれど、実際に問題があったのは保険部門ではなく投機部門。

リーマンブラザーズにしても、その他の破綻した銀行にしても、はたまた政府の注入を受けて破綻を免れた全世界の銀行・企業にしても、調子のいいときは、全ての管理職をはじめ、社員も会社の儲けを享受し、調子が悪くなると、関係ない納税者のお金がつぎ込まれる。彼らの場合は、実質的な「調子」って言うのは、数年後までは結果が分からないものなのに、出来高で利益を得るって、ちょっとおかしくないか。しかも、規模が大きくなればなるほど、社会に与える影響が大きいと救済されて、一個人(つまり、我が家)は救済されない。これも変だ! (バブル崩壊のせいで、我が家のマンションは購入当時の4分の1に限りなく近い。売るに売れずに、借金だけをせっせと払っている。それを誰が助けてくれるって言うんだ!?)

悲しい話

しばらく前に、まがい物(韓国製)のウォシュレットをインターネットで購入したら、サイズを間違っていたって話を書いたけれど、あれから色々ありました。

当初は交換できないとか、交換できてもかなりの費用がかかるとか色々言われたので、実はメーカーにも交換してもらえないか問い合わせをしていた。でも、こちらのほうも返事がなかったので、あきらめて購入先に返送した。その3日後にメーカーのお兄さんから電話。

「気の毒だから、じゃあ交換してあげます」
「えー、もう返送しちゃったわよ」
「あら、そうだったの。それは遅くて、悪かったね」
「じゃ、向こうに品物が着いてからも、またごちゃごちゃ言われたら、連絡していいですか?」
「いいですよ。でも、僕たちが貴方にコンタクトしたことは、あちらには内緒に。本来はメーカーは介入するべきじゃないから。」

韓国人のお兄さんでしたが、私がメールに、「日本人はみんなToto崇拝者だけれど、私が試しに韓国製品を買う事にした。良かったら友人に勧めようと思う。このあたりは裕福な人が多いし、いいマーケットだと思うよ」なんて書いていたから、電話くれたのかな。

とりあえず、返送しちゃったので、反応を待つ事に。しかし待てど暮らせど連絡なし。物は既に購入先に戻っているはず。2週間待って、痺れを切らせ、再びメールをした。すると、今度は珍しく折り返しの電話。

「どうやら、返品されたもののコンディションは大丈夫なようなので、丸型の在庫を調べて、あればすぐに発送します」とのこと。一瞬、これはペナルティーなしで、交換してもらえるのかと期待したが、そんなに世の中甘くない。その後“酔っ払い”と題したブログに書いたように、返送料としての75ドルをカードで支払えば明日にでも発送とのメール。

そして今日、待望のブツが到着したのである! 両親の訪問に間に合ってよかった!
喜び勇んで、早速取り付け。2度目だから、サッサかできる。

ところが・・・。
が、が~ん! またしてもサイズが大きいのだ。あれ、また間違ったサイズを送ってきたの?
慌てて、ウェブサイトで丸型のサイズを確認したけれど、確かに返送されたものは丸型だ。ってことは、要はウチのトイレが小さいの? 取り付けはできたのものの、ウォシュレットのシートの方が大きいものだから、シートの下に2センチほどトイレのボウルが内側に覗いている。


そこでインターネットでウォシュレット(そのもの&モドキ製品)の規格を調べたら、どれも同じサイズなのよね。ってことは、やっぱりうちのトイレが標準より小さいのか・・・。あ~あ、悲しい!

(でも、普通、こんなもんなんですかね?)

2008年9月16日火曜日

犬 vs. 猫

早く餌を食べさせてと、小屋の中に座ってクンクンうるさいジョダを尻目に、食器洗い機の中身を空にしながら、もし生まれ変わるとしたら、犬と猫と、どっちがいいだろうと考えを巡らせた。

自分が与える愛情以上の愛情は与えられず、楽しみと言えば食べることだけ。しかも来る日も来る日も同じドライフードで、気まぐれに与えられる人間様の残り物を、次はいつだろうと、空しい期待をしながら、それだけを楽しみに生きる毎日。

外に出るときは紐につながれ、徘徊する自由も与えられず、たまに同輩に出会って挨拶すれば、「うるさい!」とご主人様にしかられて、おしっこをする権利も、ご主人様の気の向くままの時間に合わせて、マーキングの本能に逆らって、一箇所でジャアジャア。

対して、いつでも好きなときに好きなところにいて、食べることもさほど楽しみではないから、気の向いたときに餌を口にすればいい。おなかが一杯なのに無理に食べることもないし、ご主人様がうっとおしければ、なでようとする手をくぐりぬけ、ぷいと場所換えすればいい。外に出たけりゃ、ふらーっと出て行けばいいし、外が怖けりゃ日柄一日家にいればいい。トイレの時間も指定されることはなく、誰気兼ねなく、思ったとおりに行動すればいい。気が向いたら、たまにご主人様に愛想を振舞うのもよし。

うーん、こう考えたら、断然猫だなぁ。

え?上の犬は一般的な犬の話じゃなくて、単にジョダのことだって?

そうか。ちっと不憫になって、餌入れに入ったジョダのドライフードの上に、最後の一枚になったスライスのスイスチーズを乗っけて、「OK!」と叫ぶ。

小屋から飛び出し、あっと言う間に平らげて、餌の容器も嘗め回している。

こういう至福の一瞬があるなら、犬も悪くないかなぁ。

キニコの大学生活 (1)

キニコが大学に行って1ヶ月。

その間、届いたメールは3本。どれも3行以下。
電話があったのが3回。1回はシナコからの電話への返信で、キニコが発した言葉は「シナコから電話あったけど」だけ。1回は留守録(音声不良により聞き取れず)。最後の1回は、キニコの学生ローンに関するパパの再三再四の質問メッセージに対する返事。

こちらからは、上述のローンに不備があって、再三電話はしているが、いつものようにぶっきらぼう。ったく、アカウンタビリティーってのは、アイツの為にある言葉かと思う。莫大な資金を出して、大学に行かせてあげているんだから、ちゃんと状況報告しろよっ!って思うんだけどねー。

先日電話した時は、
「面白くないから、編入しようかな。ミシガンか、ノースカロライナ大か、サザンキャル」などとほざいていた。アホか! 性根がないと言うか、イージーって言うか。

電話の度に、こちらも腹が立つし、加えてめんどくさくいので、必要がないと電話しないのだが、昨日は、ちょっとは母親らしく優しいトーンで探りを入れてみるかと受話器を取った。

実はもうひとつ理由があった。
昨日の午前3時45分。熟睡中に突然電話のベルが鳴り響き、何事かと思って受話器を上げると、
「ディキンソン大学から緊急連絡です」と言う自動音声メッセージ。
「今朝、午前2時より、キャンパス全体が停電になっています。州の電気会社が原因調査をしていますが、現段階では復旧の目処が立っていません。XXビルだけは電源がありますので、緊急シェルターとなっています。」

もう、止めてよー、こんな夜中に。キチンとしてるとは言え、夜中にたたき起こされる身にもなってよ!

で、キニコにはこの停電のことを聞きたかったのだ。実はあの電話の直後に、「キニコ、大丈夫?」と愛情一杯の声を絞り出して、キニコに電話して起こしてやろうかと言う考えが一瞬頭を過ぎったのだけど、眠たすぎて実行不可能だった。だから、責めて「親は夜中にたたき起こされてたんだよ。アンタに電話して、起こしてやろうかと思ったけどやめた。優しいでしょ」と一言言いたかったんだよね。

さて、電話をかけると、キニコは3人部屋から2人部屋に移ったと言った。2人部屋を無理やり3人仕様にした所に押し込められていたのは、どうやら6人だけ(つまり2部屋だけ)だった模様。しかも、2人部屋にも、まだ空きがあったらしく、移動が可能になったとのこと。

キニコの新たなルームメイトは、ホッチキスの9年生の時にルームメイトだったリズ。当時、お母さんの職業が弁護士で、お父さんの職業が科学者って聞いてたまげたっけ。「科学者」なんて職業の人、後にも先にもこの人だけだわ。リズのルームメイトが、入学後たった1日で大学を辞めてしまったので、キニコがそこに移ったそう。

「授業は難しい?」
「簡単」
「どう、学校楽しくなった?」
「まあ、まあ。」
「んなこと言って、勉強しないで友達と遊んでばかりいるんじゃないの」
「友達、いないもん」
「わ、暗~!」
「今から、明日の授業でグループで発表があるから、集まってやらなきゃいけないの。」
「あっそ。ほんじゃ、またね」

結局、肝心の停電騒ぎについて聞くのを忘れた。でもどうせみんな寝てて気づいてもいなかったんじゃないかなぁ。

2008年9月15日月曜日

レッドソックス&ボストン

土曜日、レッドソックスの試合を見にボストンまで行ってきた。

日本に住む友達の友達が、ご夫婦でアメリカ旅行に来て、レッドソックスの試合を観戦しようと、チケットを購入したけれど、あいにくの雨で試合は延期。その埋め合わせ試合がこの土曜日だった。既に帰国した彼らから、友人がそのチケットを貰い受け、私たちに送ってくれた。

当初、松坂が見られるかも!と非常に興奮していた夫と私だったが、発表されたスケジュールを見ると投手はByrdとなっている。松坂は4日前の火曜日の登板になっている。が~ん!

そもそも野球に限らずスポーツ全般に興味のない私。現在の日本のプロ野球選手で、名前を挙げられる選手はゼロ。メジャーリーグでも、イチロー、松井、松坂止まり。オカジマに至っては、つい5日前まではオカザキだと思い込んでいたくらいである。

松坂が投げないと知って、急遽行く気が半減。ボストンまでは、スムーズに行って片道3時間。でも常に渋滞している。更に、ハリケーンアイク上陸寸前まで、ヒューストン出張だった夫が無事に帰って来られるか。はたまた帰ってきても、ボストン界隈の天気予報は雨になっているし。行けるのかなぁ、行きたくないなぁ・・・と言う思いがよぎる。

金曜日、夫は予定を変更して朝一のフライトでNYに戻った。土曜日、ちょっと曇っていはいたものの、お天気は持っていた。

しかし、レッドソックスの衣装に身を包んだファンで埋め尽くされた球場に足を一歩入れた途端、それまでの低いテンションから、一気にテンションが上がってしまった。わぁー楽しそう! 見上げると少し晴れ間も広がっている。席に着く前に、食べ物をゲットしようと見回した。生ビールのスタンドが目に入る。
「ビール飲もうか?」
「どうぞ」
夫の二つ返事に、更にテンションは上がる。(夫は自分があまり飲まないので、普通は私が飲むのを、ことあるごとに牽制するのだ。)

さぁて、試合が始まった。「誰も知らないから、面白くないかも」と、数日前に別の友達にメールで訴えたら、返信メールで有名選手をリストアップして解説してくれた。その名前だけを頭に叩き込んで来たら、おー、出てる、出てる。Pedroia, Ortiz, Lowell。他にも観客が着ているTシャツにプリントされた名前を見て、あの人も有名なのね、とミーハー心を満足させた。

レッドソックスはフロリダ・タンパベイと首位争いをしているため、観客も興奮しているし、球場も一杯。

でも、私の試合に対する興味はこれくらい。あとは他のところに興味がそそられる。デッドボールである選手が一塁へ。その時、電光掲示板に表示されたのは Hit by Pitch (投球により、ヒット)。へぇー、デッドボールって英語じゃなかったの?
フォアボールは、Base on balls(ボールで塁に出る)、送りバントは Sacrifice (犠牲)だし。犠牲フライは素直に Sacrifice Flyだったけど。

ボードに記されている略語や、バッターが塁に出た時に示される数字がさっぱりわからない。この辺はスポーツに通じている夫の方が早くも解明。ABはAt Batt。ある投手に対する、バッターの成績を示すときに、例えば AB 10, H 3, HR 1 なら、対戦10回、ヒット3回、ホームラン1回ってこと。またあるバッターが打った後、4→3 と表示されたら、二塁が取って、一塁へ送球って意味。1がピッチャー、2がキャッチャー、3が一塁、4が二塁・・・と言う順番らしい。

そんなことを面白がっていたら、「あ、ナイスキャッチ!」 思わず拍手!
「何やってるの?」と夫。
はっと我に返って見ると、キャッチしたのは対戦相手のトロント・ブルージェイズでないの。ひぇー! 何だか周りから白い目で見らているような気がする。恥ずかしいったらありゃしない。

さて、場内では売り子が様々なものを売りに来る。ホットドッグ、コットンキャンディー、ピーナツは勿論、ボストンだからクラムチャウダーまで。ちなみに、リーガルシーフーズ製。後でリーガルシーフーズに食べに行く予定にしていたのでチャウダーはパス。「ピーナッツ!!」と叫ぶ。

さも当然の様に、ピーナツの殻を座席の下に捨て始めると、夫が「この空き箱に入れたら」と言う。「これが普通なんだよ、ほら周りを見てよ!」と言ったものの、やっぱりばら撒くのは止めて、おとなしく空き箱へ。

話は脱線するけど、去年、ミネソタに仕事で行ったときに、ステーキ屋で食事をしたときのこと。テーブルの下や座席の周りは、ピーナツの殻だらけ。当然のように、ステーキが運ばれるまで、みんなでピーナツを食べ、殻を辺りに撒き散らした。そう言えばブログに載せようと、頼んで写真まで取ってもらったっけ。(写りがいまいちだった。)一緒に行ったのは、オハイオの人たちで、「ステーキ屋じゃこれが常識」って言ってたけど、NYのステーキ屋にはない光景。(らしい。まだ一度もNYでステーキ食べさせてもらってない!)

球場で買ったピーナツには、殻に塩がついていて、のどが渇く。「あーのどが渇いた・・・。」と漏らすと、「ビール買ってくれば」と天の声、に聞こえた夫の声。

そうなのです。日本の球場の売り子から当たり前に買えるビールが、ここでは買えないのであります。スタンドを下りて、売店まで行かないとだめなのです。理由はビールを買うに当たって、誰しも身分証明を提示しなくちゃいけないから。席が中ほどの場合は、ピーナツやホットドッグなら、売り子が商品を投げたり、他の客がリレーで手渡す。代金やつり銭もリレー。でも身分証明を投げたり、他人にリレーさせるって訳には行きませんからね。

さて、試合の途中、どこのゲームでも恒例のTake me out to the ball gameの曲が流れ、観客が一斉に歌いだす。(参考まで。http://jp.youtube.com/watch?v=umQVgv5foi4
7回の表が終わると、Seventh inning stretchがあって、観客は立ち上がってストレッチ。
そして藪から棒にSweet Carolineの歌がスピーカーから聞こえ、観客が一緒になって替え歌を歌う。
http://jp.youtube.com/watch?v=UBoWZPdPCoA

肝心の試合のほうはボコボコで、8対1で負け。それゆえ出番は少なかったけれど、でも数回はウェーブもやって来た。

てなわけで、試合結果は散々だったけれど、試合以外のところで大いに楽しんだわけです。

9回裏のツーアウトで、球場を後にした。1回35ドルの駐車場は、入れたときには、両サイドは真ん中に向かって車を2重並べて駐車させ、中央の3列は出口に向かって前後びっしり隙間なく駐車させていたので、こりゃ出す時に待たされるなぁと案じていたら、残った車がキチン整理して並べてあって、すぐさま出せる状態。これにはびっくり。

レッドソックスのホームグランドのFenwayは、都会の真ん中にある。周りには事務所やお店やガソリンスタンドがあるのだが、試合のある日は、これらの建物の空きスペースがことごとく駐車場に転じている。モービルもマクドナルドもバーガーキングも例に漏れず。1回につき35~45ドル。

次に目指すはリーガルシーフーズ・レストラン。ボストンに仕事で来る度に行っていて、夫にも味合わせてあげようと思ったわけだが、どうせ行くなら本店にしようと、ブラックベリーでグーグル検索。出てきた住所を、少し前にEbayでゲットしたポータブル・ナビのGarminに入力。

ところが着いて見ると、確かにリーガルシーフーズと書いてはあるけれど、なにやらフンイキが違う。車も1台しか停まってないし、周りは倉庫。目を凝らすと、品質管理センターって書いてある。グーグル検索で一番上に出たサイトの住所を、確認もせずに信じたのが馬鹿だった! でも中で働いていたおじさんが、一番近くの店舗を教えてくれた。一番古いお店はボストン側じゃなくてケンブリッジなんだって。

レストランに入る。何から何まで、これまで行ったお店と同じ。(当たり前か。)いつものようにロブスタービスク、夫はクラムチャウダーを注文。生牡蠣、ホタテ貝の貝柱のソテー、ココナッツ・シュリンプも。でもちょっと脂っこくてヘビーだった。一人白ワインも飲む。るんるん。

さて、今回のボストンへの旅には、実はもうひとつのハイライトがあったのです! 友達が無理やり?貸してくれた「青春歌年鑑」の69年~72年までのCDを、往復7時間ほどの道のりでずっと聞いていたのであります。勿論歌えるところは、全~部歌って。

69年は半分くらいだったのが、だんだんと歌える曲目が増えて、71年くらいになると、ほぼどの曲も歌える。それにしても不思議。少なくとも1番の歌詞は、メロディーが流れ出すと、つい口をついて出てくるのだ。と言うことで、往復路はカラオケ三昧でありました。あ、もち、夫は黙々と運転。

主な曲目をご紹介すると・・・
69年 白いブランコ、夜明けのスキャット、真夜中のギター、港町ブルース、フランシーヌの場合、いいじゃないの幸せならば、長崎は今日も雨だった
70年 黒ネコのタンゴ、京都の恋、圭子の夢は夜開く、老人と子供のポルカ、もう恋なのか、白い色は恋人の色
71年 私の城下町、知床旅情、また逢う日まで、花嫁、17歳、京都慕情、雨の御堂筋、空に太陽がある限り、あの素晴らしい愛をもう一度、戦争を知らない子供たち、翼をください、誰もいない海、水色の恋
72年 女の道、瀬戸の花嫁、ひとりじゃないの、喝采、太陽がくれた季節、夜明けの停車場、結婚しようよ、虹と雪のバラード、終着駅、せんせい、男の子女の子、どうにもとまらない

と言うことで、友達に友達の友達のチケットを送ってもらって、友達に試合解説してもらって、友達に借りたCDで道中も盛り上がって、本当に楽しいボストン旅行でありました。

帰って、夫が一言。
「あー、疲れた!お前、あんな歌ずっと歌ってて、疲れへん?」

今朝のニュース

朝からリーマンブラザーズの倒産、バンカメによるメリルリンチの買収、ハリケーンアイクによる被害などニュース・ネタには事欠かないアメリカです。

ハリケーンアイクでは、2005年のハリケーンリタでの避難で、道路が大渋滞を起こし、それが理由で今回は避難しなかったという人が多く被害に会っているし、サブプライムローンから端を発したアメリカの金融危機も、バブル崩壊後の日本がたどったと同じ道を歩んでいる気もする。

やっぱり人間は過去からあまり学習しないものなんだなぁ。

+++++

そんな中で、私の興味を引いたニュースは、低所得者層、とくに黒人の多い地区で、親の感心をもっと教育に向けさせようと、学校でのイベントに参加すればお金が貰えるというシステムが、全米のあちこちで試みられているそう。

賛否両論ありそうだけれど、私は結構いい試みだと思う。子供の教育に関心がゼロではなくても、いざ参加するとなれば、仕事を休まねばならない、下の子を誰かに預けなければならない、交通手段がないといった事情の人々が存在する。また教育に関心がなく、単なるお金(1回25ドル程度)目当てで参加したとしても、実際に学校に顔を出し、話を聞くことで、想像もしなかった情報が得られたり、子供の教育に開眼するひともいるのではないかと思ったから。

テレビカメラを意識してのコメントかも知れないけれど、事実ある母親は、「これからは、たとえお金が出なくても参加します」と言っていた。私も学校から懇談会や説明会の呼び出しがある度に、内心「めんどくさ・・・」と思って参加するのだけど、その度に、「あぁ、こういうシステムがあったのか」とか、「これをやっておかなければいけないんだ」と、知ることになって、参加した良かったと思うことが殆どだから。

いや、それが母娘ケンカの要因になり、家庭不和に至っているから、やっぱ、参加しないほうが良かったのかな。(来週、シナコの懇談会だ・・・。)

2008年9月12日金曜日

酔っ払い

ガールズナイトと称して、2ヶ月に1度くらい、マンハッタンで女友達と美味しいものを食べてお酒を飲む会を開いている。メンバーは最大で4人。昨日は3人で、ミッドタウンの「蕎麦鳥人(トット)」で食事をした。

前回も日本食レストラン。日本酒のテースティングと言う特別イベントがあり、ありとあらゆる日本酒が少しずつ食事と共に出て来て、帰りは結構ふらふら。途中の駅までは同じ電車の友達がいたので、おしゃべりしていたお陰で、寝込んで乗り過ごすなんてことはなかった。

このトットと言う店は、焼鳥鳥人、鳥巣、居酒屋力などマンハッタン内にたくさん姉妹店がある。確かにおいしい。でも、予約は3名以上からしか取らないし、予約を入れる時間も7時迄だったり。一番人気の焼鳥鳥人では、何時も長蛇の列。初めて行った時は2時間待たされた。次に電話で予約したときも、丈居高な口調。「予約があっても、全員お揃いでないと御席にはご案内できませんからね」と釘をさされた。

同じく、昨日の蕎麦トットでも、「お揃いでないと御席にはご案内できません」と前もって言われていた。ところがメンバーの一人が、仕事先から戻る電車が途中で止まってしまい、何時になるかわからないとの連絡。取りあえず先に着いた二人でバーで飲みながら待つ事にしたが・・・。

「この店、美味しいんだけど、なんていうか殿様商売って言うか、予約は3人以上、しかも7時まで。全員揃わないと席に案内できないとかさ。電車が止まってるんじゃ、いつになるか分かんないし、私たちずっとここで待たされるのかなぁ・・・。」
バーテンの前で思いっきりぶつくさ言ってみた。

するとバーテンさんが姿を消したと思ったら、少しして、先ほど「お揃いになるまでバーでお待ちください」と言った案内係の人が、「お先にお席にご案内します」だって! ぶつぶつ言ってみるものだ。

立ち往生していた彼女は、途中から地下鉄に乗り換えて、まもなく到着。3人の宴が始まった。

食べ物はやっぱりおいしい。お酒もおいしい。3人で一番大きなサイズ(720ml)とその半分を飲んだから、1リットルは飲んだらしい。

途中ペイリンの話になった。私はどうもペイリンが嫌い。ペイリンのスピーチは内容がなくて、人の揚げ足取り、実体を伴わない言葉だけの非難。だからかな。でも民主党候補側だって、そう言うレトリックは使ってるし。でも言い方が嫌なんだよね。これって「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」で、共和党候補だから嫌いなのか。けど、マケインのことは、そこまで嫌いじゃないし・・・。

そんな風に思っていたら、友達も同じ意見で、あー同じ意見を耳にするというのは、何て心地良い。ペイリンって、意地悪そうで、自己顕示欲旺盛で・・・。嫌い。嫌な奴ってのは、生理的に受け付けられない。今はいろんなところから、彼女がこれまでに市長、州知事としてやってきた内容に対する批判の記事やメールやブログが出回っている。火のないところに煙は立たないって言いますからね。

あとは本の話や・・・他に何を話したか覚えてないけど・・・盛り上がり、あっと言う間にお開きの時間。今回は一緒の電車で帰る友人はいないから、寝過ごさないようにしなくちゃ。駅に着くと、10分前に電車が出たところ。次の電車は20分後だが、既に電車は構内にいるので、座って待つ。寝過ごさないように、降りる駅の到着5分前に携帯電話のアラームを設定。抜かりなし。

近くの席で、男性がしゃっくりをしている。アメリカ人も酔っ払うとしゃっくりするのかぁ、と変なことを考えた。「ヒック! エクスキューズミー」 「ヒック!・・・エクスキューズミー・アゲン」 なかなか礼儀正しいんだけど、しゃっくりは留まることを知らない。

はっと気づくと、電車は動いていて、検札の車掌さんに椅子の背をドンドン叩かれて目が覚めた。切符を見せて、再び夢の中へ。するとアラームが鳴った。あと5分で到着だ。

ふと我に帰ると、電車が駅に止まっている。慌ててドアから外を見た。・・・リバーサイド駅。あーやっちゃった。2駅も乗り過ごしていた。ここで降りてもタクシーなんかいないし、歩けば1時間半はかかる。仕方ない、終点のスタンフォードまで行こう。

スタンフォードからタクシーで帰ったら30ドルはする。調べるとあと10分ほどで下り電車が来る。ってことで、2ドル25セントの切符を買って電車で帰りました。

電車の中でメールをチェックすると、例の揉めに揉めたウォシュレットの会社から、「75ドルの交換手数料を払えば、明日、交換品を出荷します。クレジットカード番号を電話連絡のこと。」 メールが来たのは30分ほど前。向こうは11時前だし、こんな時間に仕事しているのかな・・・といぶかしく思いながらも電話したら、ちゃんと出た。クレームのときは、何度電話しても出なかったのに、こんな夜中に一発で出るなんて、変な会社。でも、これで待望のウォシュレットが来る! 酔っ払っている割には、私ってちゃんとしてるなー、と感心して電話を切る。

グリニッチ駅を降りて、家までしっかりした?足取りで歩きながら、このブログの文面を考えておりました。うん、私は酔っ払ってなんかいない。今朝はちょっぴりかったるいけど、頭は痛くないし、次のガールズナイトが楽しみだ!

2008年9月10日水曜日

笑えます

よその人のブログ読んでて、見つけました。
お楽しみください。

http://www.youtube.com/watch?v=h4DJvphcoVo

グリニッチのカーディーラー

駅に近いこともあって、我が家の近所には色々なお店や事務所がたくさんある。またグリニッチの中でも、とりわけカーディーラーが集まっている地域でもある。しかも、流石グリニッチという車種を扱うディーラーばかり。

徒歩圏内にあるディーラー(または扱っている車種)は下記の通り:

Honda
Volks Wagen, Lamborghini, Audi
Proche, BMW
Lexus
Infiniti
Acura
Saab & Caddillac
Mercedes-Benz
Aston Martin, Bentley, Bugatti, Ferrari, Maserati, Rolls Royce

ホンダ以外は高級車ばかり。
(ちなみに、ウチはこのホンダでオデッセを購入)

これ以外のディーラーは、私のカロ子ちゃんを整備していもらっているお隣のコスコブにあるToyotaと、唯一のアメ車のディーラーで、Jeep, Chrysler, Dodgeを扱っているポートチェスター近のディーラーが1軒あるだけ。

2008年9月5日金曜日

通訳環境

この前、久しぶりにある会社のイベントの仕事を受けた。
前回のイベントのときは、散々な出来で、我ながら凹んだのだけれど、初めてで右も左も分からずのぶっつけ本番だったんだから、仕方ない・・・と自分を慰めておりました。

今度は2度目だし、事前に資料も頼んだし、簡易通訳機器も準備してもらった。スピーカーにもマイクを付けてもらい、その声が別の受信機を通して私の耳に直接に届くようにした。

結果は、自分でも驚くほど違った。スピーカーの声が良く聞こえるというのは、こんなに楽なことなのだと思い知らされた。

少し前に日本の番組で、人間の耳には、実は100%聞こえているわけではない。聞こえない部分は脳が自然に補っていて、あたかも聞こえているように感じるのだと言っていた。

テレビでは、音を消した部分が複数ある文章を聞いて、どのように聞こえているかを体験し、あとでそれをスローで流して、消してあった部分があったことを示す・・・こんなことをやっていたと思う。

例えば、「ミルキーはマ△の味」と聞くと、脳は自然に「マ」を補って、「ママの味」と聞いたように思うのだ。(こんな例じゃなかったけど、要するにそういう原理。)

知っている言葉なら自然に補えるけれど、初めて耳にする言葉の場合はこの限りじゃない。通訳として会議に参加すると、初めて耳にする言葉がたくさんある。参加者の名前がそう。これが鈴木さんだの佐藤さんだの、スミスさんだのだったら、たとえ1音聞き取れなくても、想像できる。ところが、今や知られる苗字でも、10年前に、「ヒガシヤクバル」や「ペイリン」や「オバマ」と言われて、参加者の中にそう言う名前の人がいることを予め知らなければ、聞き取れなかったときに、再生するのは不可能。

他にも固有名詞やその会社特有の略語と言うのが一番しんどい。
例えば、「That's フォー エイフォーユー on テントウェルブ」とかいきなり言われて、頭に???が並ぶ。

「今何ていいました?」と聞ける状況なら聞くが、往々にして、通訳の存在なぞ無視されて、延々と会話が進む、という状況があったりする。だから仕方なしに、何とかお客様のために通訳しようと努力するのだが。

「A4U用で10月12日です」かな・・・。
「御社用の48で、1012に記載のものです」・・・なんて可能性もある。

いずれにせよ、いきなりは無理なのよ。英語が分かれば、通訳できるとお思いの方も多いのですが、何の話をしているのか、どういう状況なのか、ある程度説明されていないと全然わからない。

上記の場合も、あとになってA4Uってのが建物の通称だってことが分かった訳だけれど、そんなの咄嗟にはワカランのである。

で、スピーカーの声を直接耳にして、思ったのが、同時通訳ブースでの通訳という環境がなんと恵まれていることか、と言うこと。無論、しょっちゅうブースで通訳されている第一線でご活躍の大先輩の方々の、私なぞは足元にも及ばぬのであるから、環境が整っているから出来るのだと言っている訳では全然ありません。

めったにブースでの通訳の仕事なんて回ってこないシモジモ通訳の私ですが、ブースで通訳するときは、3人交代が普通なので、稼動時間は3分の1。しかもたいていの場合は事前にたっぷり資料がやってくる。(それはそれで、予習が大変ではある。またアウトプットもレベルの高いものが求められていることも事実。)環境的には恵まれている。

ところがシモジモ通訳が担当するのは、往々にして事前資料も十分になく、いきなり社内用語が飛び交う中、英語人と日本語人が互いにコミュニケーションを計ろうという会議ではなく、どちらかの言語人が主流で話しをする中、小さくなっている我がクライアントさんが、話の中身だけを傍聴しようと、遠慮がちに会議に参加して、私の通訳に耳を傾けている・・・こんな会議だったりするのです。

固有名詞が飛び交い、それが人物なんだか社名なんだか商品名なんだかもわからず、何とかジョウシキと自らのチシキに照らし合わせて思いを巡らせていたら、その人の発言が終わらぬうちに、別の人物が彼の言葉尻を捉えて、かぶせるように話し出す。かと思ったら、ウェベックスなどの電話会議システムを通して会議に参加している人のくぐもった声が、突然スピーカーを通して聞こえてくる。

こんな三つ巴の中、別人の声に主語がかき消され、・・・・is not so bad (○○はそれほど悪くない)とか言われて、次の会話がずっと代名詞で続いたりすると、ついぞ何の話かも判明せず。心の中で、はたまた声に出して、「お客様、ごめんなさい、でも分かりません」と叫ぶしかないのだ。(こういうときはしばし沈黙して、話を聞いて、「××って言うような話をしているみたいです」と、お茶を濁す。)

しかも通訳機器が用意されていないと、お客様に聞こえるようにするためには、ある程度の声で話さなくちゃいけないが、そうすると自分の声にかき消されて余計に聞こえないと言うジレンマに陥る。

言わんんとしているのは、こんな環境では、通訳の能力以前に、「通訳不可能」と言う事象が起きていると言うこと。雇われている以上「できません」と放り出し得ぬ部分もあり、お客様のために何とかそこで起きていることを伝えようとはするけれど、伝えられなくて、悶々とするのです。

で、冒頭の久しぶりの会議の話に戻るのですが、ここではこんな説明が英語で聞こえて来ます。

「エリザベスに似てますが、これはマドリッドでオラクルです。スクールバスとプラスターがあります。」

実はこの会社はアパレルで、スタイル名は基本的に女の子の名前、素材名や色の名前はフンイキにあわせて命名されているのでした。初めての時はそんなことも知らないものだから、「これはエリザベス」なんて言われて、モデルの名前だと思っていたし、「マドリッドは神のお告げです・・・スクールバスと土壁がある・・・」ってなんのこっちゃ?となるわけです。

そこで、「オラクル」って何ですか?と尋ねたとしましょう。
最悪の返事は、
「あ、通訳さん、オラクルはオラクルで分かりますから、そのままでいいです」

先ほどの会社の場合は、ちゃんと「生地の名前です」って教えてくれたのだけれど、実は上のような回答をされることが間々あるのです。知りたいのは、それが何なのかであって、どう訳すかではないのです。それが何かで、表現が変わるし、日本語だったら数え方だって変わってくる。

しかし、このアパレル会社も毎年数多くのスタイルを出しているので、だんだんと使える名前が切れて来ているらしい。ハリケーンの名前も、最近は普通の名前が使い尽くされて来たからか、はたまた「マイノリティーの名前が使われないのは不公平だ」と言う声に応えてか、グスタフだの、バーサだの、クリストバルだの、あまり一般的でない名前が登場し始めた。

それで今回のイベントでも、聞き慣れない名前のオンパレード。アブリア、カメッロ、フレウィン、ヴァウン・・・。本当にそんな名前あるのかよ。もう忘れちゃったけど、日本の名前もあった。それも、いったいつの時代の名前って感じの「マツ」とか、「スエ」みたいなのだったりした。

で、もしもスピーカーの声がちゃんと聞こえてこなかったら、
「△レウィンに似てますが、これは△ドリッドでオラ△ルです。スクールバスとプラス△ーがあります」
と言われて、訳せます?

2008年9月4日木曜日

無知

生意気なことをブログに書きながら、実は福田総理の辞任騒ぎで、久々に日本の政治に注意を払ったわけでした。だから、本当は何にも分かっちゃいない。

「8月2日に組閣したばかり」とニュースが伝える中で、紹介された大臣の中に、「消費者行政大臣」なんて変な大臣があるのを知って、へぇーいつの間にとぃ!驚いた。

で、思わず隣にいた夫に訴えた。

「そんな、いろいろ大臣作るんやったら、ついでに右大臣、左大臣も作ったらどうなんよ。
そうや、ついでに、三人官女も入れたらええねん。五人囃子と笛、太鼓も忘れたらあかんで~」

は、は、はー!
自分で言って、おかして、おかしくてウケまくってたのに、夫は冷たい一瞥をくれただけで、全然笑ってくれなかった。おもしろいやんか、ねぇ?

ところで、野田消費者行政大臣は、実は高校時代の留学仲間なのです。同期で、彼女はシカゴのオリエンテーションで気分が悪くなって倒れた、というエピソードがありました。
が、実は、そのことも、彼女のことも全然覚えてない。残念。こんなに偉くなるんだったら、親しくなっておけばよかったなぁ。

日本人と民主党

傾向としてアメリカに住む日本人(日系アメリカ人ではなく日本国籍を持つ日本人)には、民主党支持者もしくは民主党の政策に賛同する人が多いように思う。少なくとも、私の周りにいる日本人は殆どそうだ。

どうしてなのか。
数年前、ある友人にこの疑問を口にした時、彼女が説明した内容に深く納得してしまった。

「民主党が支持している政策と、日本が当たり前と思っている、あるいは日本で受容されている政策や考えが同じからだよ」

具体的には、
日本では銃の使用が禁じられている
日本では堕胎は合法であり、倫理的にもあまり抵抗なく受け入れられている
国民皆保険で、全国民に健康保険がある
多神教ゆえ、熱狂的なキリスト教信者の考えには賛同できない

なるほど、本当にその通りだわ。

個人差はあるが、民主党の考えは、銃規制、プロチョイス、ヘルスケアシステム改革、同性愛者への理解が挙げられる。それゆえ、日本人には素直に受け入れやすいのだと思う。

一方、共和党的な考えの例は、軍事的に強いアメリカを支持し、キリスト教的価値観が重視され、生活(倫理面でなく、福祉・税金面)に対する政府の介入を最小限にする。 (←というのが私の理解だけど、間違っている?) 言い換えれば、強者を支援し、そのことにより、社会全体が潤うという考え方。

二つ目のキリスト教価値観以外は、日本人の中でも賛同する人はいるかもしれない。特にある程度の富を成した人なら、なお更でしょう。

ところで、日本でも福田首相が辞任して政界が揺れているけれど、私は実は福田氏に多少同情している。無責任であることは否めないけれど、周りだって、彼を総裁に選任したんだったら、サポートするべきだった。連立の公明党にしたって、民主党にしたって、自分の党の存在意義をアピールすることばかりに必死で、政治の足を引っ張っている。本当に国民のことを思って政治をしているとは思えない。今の日本の政治がまともに機能しているとは思えない。どうして国民の声が届かないのか。政治家が実際の国民の生活を経験していない、浮世離れした人ばかりの手によるからじゃないかしら。政治家になるには、少なくとも10年以上の社会生活を経験した人でないとダメとか、条件付にすればいいのに。

昨日は共和党の党大会でペイリン副大統領候補の演説を聞いて、腹が立ってテレビに文句を言い、TVジャパンで日本のニュースを聞いてもムカついて叫び、同じくテレビを見ていた夫や娘に嫌がられております。

2008年8月29日金曜日

マケイン

マケインが副大統領候補者を、今しがたオハイオで発表した。
(会場はデイトンのライトステート大学だった。なつかし。)

やるじゃん。共和党もなかなか手ごわい相手を選んだ。

副大統領候補は、現アラスカ州知事のセラ・ペイリン、44歳。
女性ってことだけじゃなく、5人も子供がいて、一番下は4ヶ月。おまけに長男は陸軍に入隊してイラクに派遣されている。市長、州知事と短いながらも「長」という立場も経験しているし。

大統領選は、人種・性別のマイノリティーの戦いになった模様。

ますます目が離せません。

*****

一夜明けて。

「手ごわい」と思ったのは、全く素人判断だったか。

朝から、珍しくフォックスニュースをつけたら、どうやら共和党支持者の中から、どうしてペイリンなんか選んだのかと言う怒りの声が後を絶たない模様。ロサンジェルスタイムズ紙でも、リスキーな選択としている。

「女性」で「若い」と言う理由で選んだのなら、他にも資格のあった人物はいたはず、と言っている。
ペイリンの弱みは、これまで共和党がオバマが大統領として不適当な理由として一番に挙げていた「経験不足」。それがそのまま、マケイン陣にバックファイヤーする形になる。

2008年8月28日木曜日

オバマ

民主党の候補がヒラリーではなく、オバマに決まってから、がっかりしていた。
本当に彼で大統領選に勝てるのか、とても懐疑的だった。

予備選挙が始まる前は、どう考えても今年の選挙では民主党が優勢。共和党には勝ち目はないと思われていた。ところが、それぞれの候補者が、オバマとマケインに決まった後は、僅差となった。元ヒラリー支持者の中には、マケイン支持に回る者まで現れる始末。

私の目からは、これまでのオバマにはオーラがないというか、パンチがないと言うか、何かが足りなく思えていた。薄っぺらい感じがしていたのだ。それに対して、一昨日のヒラリーのスピーチはパンチがあったし、昨日のクリントンのスピーチも魅力的だし、あぁどうしてヒラリーじゃないのよ、と嘆いていた。

月曜から開かれていた民主党の党大会を締めくくる今日が、オバマが民主党の大統領候補者としての指名を受託するための演説。

45分くらいの内容だったが、素直にとっても良かった。スピーチを聞いていると、本当に彼が大統領になればこの国は変わるのではないかと期待に胸が膨らんだ。細かな政策も挙げていたし、上滑りじゃない情熱が伝わってきた。これなら、行けるかも、とにわかに希望を持ったわ。(”支払い可能な大学の授業料”なんて言われると、小躍りしたくなる。)

演説後、共和党寄りのフォックスニュースがなんて言っているか興味深くて、すぐにフォックスに切り替えた。結構素直に感激しているコメントがアナウンサーやコメンテイターから聞かれたのには驚いた。一人のコメンテーターは、「マケインの公約を使い古された民主党の公約だと批判していたけれど、オバマが公約したことこそ、使い古された民主党の公約」と述べていたが、別のアナウンサーは、「確かにそうだけれど、感動せずにはいられなかった」と言った。

来週の共和党大会とマケインのスピーチがどうなるかな。

党大会が終わると、討論が始まる。11月の選挙まで楽しませてもらえそうだ。

マイバッハ

娘をどこかに送っていった帰り、グリニッチを東西に横切る通称ポストロードの左車線を走っていると、突然前の車が停車した。ウィンカーも出していないけど、どうやら左折したいらしい。右車線に出たくても、前の車との車間距離がなくて、ひたすら前の車が左折するのを待つしかない。

イライラ。どうして指示器を出さないの! アメリカでは指示器を出さずに曲がるやつが多い。ぷんぷん! 眺めていると、チューリップに似たマークと共に、MAYBACHとか言う名が目に入った。
メイベックって何や?

あっ、思い出した! 先日、ある日本人から聞いたメルセデスが出した超高級車、マイバッハだ!
へぇー、こんな形してるの。後ろにはカーテンもついてる。これは、運転手に運転させる車だわね。でも、さすがグリニッチ。こんな車走ってんだ~。

ウェブで調べたら、値段は€231,000 ($344,000) ~ €300,000 ($477,000)だって。日本では「価格は約4400万円から」とあった。すげ!

ムカつくから、ちょっとぶつけたろかと思ったけどやめた。

お金持ち

夏休みにキニコは親知らずを4本抜いた。レントゲンで見たら、まだ全て根が出来ていない段階。でもこれらが生えそろってしまえば、大枚をはたいて矯正した歯並びが崩れてしまう。そう歯医者に言われて、外科手術をする歯科医、正しくは「口腔顎顔面外科医」を訪れた。

アメリカでは、医療と同様で、普通の虫歯治療や歯のクリーニングをしてくれる、いわゆる「ファミリーデンティストリー」とその他の専門医で別れている。だから、歯を抜くには、別の専門医に行かねばならない。大学が始まる前の週に、4本全て抜いてもらった。

昨日、請求書が届いた。4本で2,700ドル余り! 保険が下りるはずなのに、保険金額が差し引かれていない。先ほど電話したら、後から保険会社から連絡が来て、実際の請求額は500ドルだそう。ほっ。(それでも500ドル!)

先日、大家さんの息子のマイケルが、ドアのペンキを塗りにやって来てくれた。玄関のドアを新品に交換してくれたのだが、ドアの色を、敷地内の他の棟と同様の緑色に塗るため。

作業中、彼と世間話をしていた。彼の本業はタイル職人。先週まではバーモント州に建設中の、ある別荘のタイル作業に出かけていたとのこと。何でもバスルームが6つもある別荘だそうな。持ち主はグリニッチに住む口腔外科医だって。

「彼のグリニッチの自宅は800万ドル(8億円)は下らないし、別荘も300万ドルはするよ」とマイケル。キニコの親知らずの請求書を見て、そりゃ別荘も建つわな、と思った。

学校が始まる前に、キニコは再び同級生のAのところに遊びに行った。ちょっとだけ痩せていたそう。やっぱりバイパス手術の目的は、痩身だったそうである。あの年齢でそんなことして、本当に大丈夫なのかなぁ、と他人事ながらちょっと心配してしまう。

2008年8月26日火曜日

ご近所

この家に引っ越して、すでに1ヶ月以上が過ぎた。
これ以上片付かないから、さっさか写真でも撮ったらいいんだけれど・・・そのうちにね。

家が繋がっていたり、小さな敷地内なので、よく近所の人に会う。生垣を挟んでお向かいの敷地にもまたデュプレックスがある。先日、そこに住むトミーと言うおじいさんが、お庭で栽培したトマトときゅうりとバジルを届けてくれた。ほーんとに新鮮で美味しかった。

我が家のすぐお隣は、グレッグとシェリルと言う40歳くらいのご夫婦。ご主人にはしょっちゅう会うのに、奥さんには会ったことなくて、別居か離婚でもしたのかと思ってたら、おととい初めて会った。出かけようと、玄関の鍵をかけていたら、「パーティーするから、車が一杯駐車するけど、ごめんなさいね」と言いに出てきた。感じのいい人だった。

その横にある棟は1階が車庫。2台分あって、ひとつは上の住人である学校の体育の先生をしているスーザンという60歳のオバサンが、もうひとつは大家さんが物置に使用している。

2週間ほど前、郵便を取りに出たら、スーザンが外出から戻って、車から荷物を降ろしているところだった。休暇に行っていたのと聞くと、「休暇は、来週から。今回は訓練。」

スーザンは予備兵士として登録しているので、半年に一度くらいは訓練があるらしい。2月には退役するそうだが。実際に戦地に召集されたことがあるのかと聞いたら、イラク戦争の一番最初に派遣されいたそう。それは大変だったね、と言うと、「いや、逆にあの時はまだゲリラ戦になっていなかったのでラッキーだった。最初に派遣されたグループだったので、何もなくて大変だったけど。随分してバーガーキングが出来たときは、ものすごいご馳走に思ったよ。それまでずっと保存食だったから。」

当初はバグダッド、しばらくして、悪名高きアブグレイブに移ったそう。虐待で逮捕された例の女性は、彼女の部隊だったそう。「あの子が食らったのは3年だったけど、ボーイフレンドと同じ位の刑期じゃないとおかしい。自分の仕事でもないのに、わざわざ虐めに出向いて行っていたのだから。」

まぁ、良くしゃべるオバサンで、気がついたら45分くらい経っていた。最後のほうはどうやって話を切り上げようか悩んでいたら、うまい具合に彼女の携帯が鳴った。ほっ。

反対側のお隣にある棟にも2軒住んでいて、一番向こうが日本人の家族。小学生と幼稚園の男の子がいる。ご主人のほうは、下見に来たときに会っていたが、ようやく最近になって、奥さんに会った。「駐在員夫人」と言うイメージぴったりの小奇麗にした美人だった。(どうせ、汚らしい格好でうろうろしているのは私くらい。)

我が家に近い側には、クリス(だったと思う)とジェームスという男性が二人で住んでいる。多分ゲイのカップル? 家の周りにきれいにお花を植えて、クリスが、感心するほど朝晩まめに水をやって世話をしている。大きな犬もいて、これもクリスの犬。

昨日、ジョダの散歩に出ようとしたら、スーザンが休暇から戻って荷物を下ろしていた。ボートをどこかに持っていて、それで海に行っていたそう。また、話が長くなりそうだから、ジョダに引っ張られるふりをして早々にその場を離れました。

2008年8月23日土曜日

ウォシュレット

友人がウォシュレットを自宅のアパートに取り付けた。実際に取り付け作業をしたのはご主人だけど。「なんと快適!」との声を聞いて、さらに、10月に両親がアメリカに遊びに来る事になり、ウォシュレットなしで生きられないと思われる我が父は、こちらに居る間中、便秘になるのではと思い、この機会に取り付けることにした。ああ、なんと思いやり深い娘!

正確に言えば、Totoのウォシュレットではなく、韓国製の物だから、電気式ビデ、または尻洗浄機とでも言うのかな。こんな名前じゃ売れないよなぁ。

今、調べたら「温水洗浄便座」と言うそうな。ま、その韓国式温水洗浄便座を、友人に教えてもらったウェブサイトで調べて注文した。Totoのウォシュレットと比較しても遜色なく、ウォシュレットにはない水道用のフィルターがついている。こちらの水は鉱水が多いし、水道水にいろんなもが混じっている(その証拠にトイレの水のタンクの蓋を開けると、底のほうに何やら一杯溜まっている)から、フィルターなしじゃすぐに詰まってしまうんじゃないかと思われる。

注文してから待つこと1週間。ようやく到着して、ルンルン気分で取り付け開始。思った以上に簡単で、最後に便座をスライドして乗っけるだけ。これで完成がと思いきや・・・。がが~ん!!

な、な、なんと、注文した便座の形状が我が家のトイレのサイズに合わないでないの! そんなはずはない。ちゃんと調べて計ったのに。再びウェブサイトを開いて、もう一度サイズの測り方のページへ。

シートを止めている2本ボルトの中間点から便器の先までの距離が、16.5インチかそれ以下なら丸型シート。16.5インチかそれ以上なら長型シートとある。計ったとき、我が家のトイレの寸法は16.5インチ。ぱっと図を見て、長型だと思って注文したが、実際には1.5インチほどシートのほうが大きい。再度計ってみると、丁度16インチ。(ボルトの位置ってのが、実際にシートを外すまではわからなかったのよね・・・。)

それにしてもこのインストラクションはいい加減。ぴったり16.5だったら、どっちなんだよ。だいたい、16インチのうちのトイレでも、余っている長さは、0.5インチじゃない。優に1.5インチはあったから、上記はオカシイ。


怒っていても仕方ない。せっかく取り付けたチューブやスクリューナットを再び取り外し、元の便座を取り付ける。早速交換して欲しいけれど、未使用と言えど、チューブやパイプは一旦取り付けてしまった。便座だけは、まっさらだから、この部分だけ交換してもらえばいい。他の部品は全て共用だし。


販売元に電話したがカスタマーサービスは電話に出ない。仕方なく、カスタマーサービスにメールを書く。「全て未使用で、取り付けを一度もされていないものなら、返品可」との返事。でも、部品は一旦取り付けたから、便座だけ交換して欲しいとメールを打つと、「全て一体で売っています。部品と本体を分けることは出来ません」との返事。

メールではもどかしい。電話で話したいから、電話をかけてとメールを打っても、「誤解を避けるべくすべて通信記録を残すため、返品交換に関しては、電話でのやりとりは受けておりません。」

もう、ほんっと、あったまくる!

結局、全部返送することになったのだが、「商品に傷がある場合のみならず、袋が空いた部品、箱にダメージがある場合も、かなりの交換費用(1割~5割)が課されます」とか言ってきて、めっちゃくちゃ頭にくるけれど、交換してもらえないと使えないし、とうとう昨日返送しました。450ドルの製品に、返送料だけで70ドルだよ。とほほ・・・。

こうなったら、破れかぶれ。もうどうでもいいから、早く新しいのが来て、取り付けて、このゴタゴタから解放されたい。(あー、交換に幾らかかるんだろう・・・。) 結末まであと3週間?

2008年8月22日金曜日

キニコ、大学に行く

昨日、キニコを大学に送り届けました。

もっと遠いのかと思いきや、案外近くて、車で片道3時間半。尤も出発したのが朝の5時半で、難関のジョージワシントンブリッジを「高速」で走り抜けられたのが大きかったのでしょう。(帰りは普段よりひどいストップ&ゴー状態。)

キニコがオハイオみたいと言っていたけれど、確かに近辺の景色はオハイオそっくり。ま、オハイオ州はお隣だから。大学のある町はとても小さな町。町の中に入って、お店のあるあたりを抜けると、その先にキャンパスがある。ゲートで囲まれたキャンパスではなく、辺り一体がキャンパス。

日本の皆さんにはゲートに囲まれていないキャンパスって言うのは馴染みがないかも。私も大学には囲いがあるものと言うイメージだったから、ある一角がキャンパスっていうのがちょっと不思議だった。でも田舎じゃ別に囲いも必要なさそう。

9時に到着して、登録を済ませ、早速寮の部屋に荷物を運び入れる。キニコの寮の前には長い車の列。並んで待ちながら、これからあの山のような荷物を3階にある部屋に何往復して運び込むのか・・・と思っていたら、誰かが車の窓をたたく。
「紫色のTシャツを着た生徒が居ますよね。彼らが荷物を運び込みますから、運転席に一人だけ残ってくれたらいいです。」

見ると紫色のTシャツを着た生徒たちが寮の前で何人も待っている。そして順々に到着する車から、荷物を降ろして、運び込んでくれている。

なんて素晴らしいシステムだ。(でも、新入生だけか。次からは自分たちでやるのか・・・。)キニコは、高校時代から使っていた冷蔵庫(しかも2個!)を持って行くといって聞かないし、荷物も多すぎるくらい多い。しかも3階だ。

さて、無事に荷物が運び入れられ、車を駐車して部屋を見に行ってびっくり。キニコは3人部屋。3人部屋か2人部屋かの選択肢はない。通知が来たときに3人部屋と記されていた。2人部屋に比べ3人部屋のほうが寮費が安い。だらかそれでもいいじゃないかと思っていたが、部屋を見てびっくり。安いと言っても半年の差額は120ドル。あの条件じゃ、あまり得した気分にはなれなかな。

と言うのも3人部屋は、2人部屋にベッドと机と洋服ダンス(チェスト)をひとつずつ多く押し込んだだけ。ベッドのひとつが2段ベッドになり、目の前の壁が本棚になっている二つの机の間に、一枚板を渡して机にしてあるだけ。だから本棚はない。代わりに目の前にエアコン。本棚とクローゼットは二つしかない。これを3人でシェアしなければならない。

キニコの到着が最後だったので、既に一等地は占領されていた。この状態には、私もムッとした。でも、キニコの対応はオトナだった。2段ベッドの下が空いていたので、これは良かったかな。ま、これから3人でもめながらやっていくんでしょう。

それにしてもあの大量の荷物が収まるのかと心配したが、1時間もしないうちに、持ってきた鞄も容器も空になり(多少、家に持ち帰るものも出たが)、何とか形に収まった。

教訓。大学の入寮については、「早い者勝ち」。一番に乗り込んで、一番良い場所をゲットしよう。

ところで寮は男女一緒。流石に部屋は混合ではないが、別に階に寄って別れているわけでもない。日本人的にはちょっとびっくりするが、最近のアメリカの大学ではめずらしくない。

さて、キニコの大学生活、どうなりますやら。(さっそく10月の半ばに休みがあって帰ってくる・・・。早っ!)

2008年8月17日日曜日

奥田英朗

彼の名を初めて知ったのは、米原万理の「打ちのめされるほどすごい本」を読んで。

(米原万理の作品は大好き。本当に本当の惜しい人を亡くしてしまったと思う。あの人の脳ミソをどうにか保存することが出来ていたら・・・と、本気で思う。)

「打ちのめされるほどすごい本」は、米原万理がいろんな雑誌に書いていた書評をまとめたものと、後半は闘病日記。

この書評の中で彼女が「良かった」と書いたものの中から、自分が興味ありそうな本を買い集めた。確かに「アタリ」が多い。

そのアタリの中の一冊が奥田英朗の「最悪」だった。

この「最悪」をきっかけに、次々に彼の作品を読んだけれど、殆どハズレがない。軽いけど、「精神科医・伊良部」シリーズは、ちょっと風刺も入っていて面白い。お勧めです。(そういえば、「打ちのめされる・・・」には、村上春樹の作品はなかったなぁ・・・。)

村上春樹

2月頃、マンハッタンでの仕事のあとに、友人たちとレストランで夕食を食べたときのこと。途中から、近所に家がある友人のご主人(アメリカ人)も加わった。

本の話題になったとき、そのご夫婦が二人して村上春樹を絶賛。NYUで数学を教えているご主人は村上ファンで、英訳された作品をたくさん読んでいるそう。「ノーベル賞に一番近い日本人作家って言われているんだよね。」

村上春樹の名前は知っていたけれど(昔は村上龍と区別がつかなかった。後者がテレビに登場するようになってようやく区別がつくようになった)、作品は一冊も読んだことはなかった。そんなにすごい作家なら、よし! 何事も「形から入る」私は、早速本を買い集めた。丁度日本に帰国する前のことだったので、ブックオフ・オンラインでたくさん購入して実家に送りつけた。

最初に読んだのが「アフターダーク」。ところが、あまり面白くなくて、途中で止まってしまった。代表的な作品じゃないし、これじゃ村上の良さはわからないのだろう。

しばらく手をつけないでいたが、最近になって「ノルウェーの森」を読んだ。必死に読み終えたという感じ。だってのめりこめないし、ヘンチクリンな話しだし、うーん、私の読み方が悪いのかなぁ? あ、ノルウェーの森は初期の作品だし、ひょっとしてもっと最近の作品がスゴイのかも。

次に挑戦したのが「海辺のカフカ」。「ノルウェーの森」よりさらに太い文庫本の上下2巻。しかし、これもダメ。もう読むのがしんどい。でも読まねば彼の良さはわからない。とにかく、文章はどうでもいいから、ストーリーだけでも追おうと、超級の斜め読み。ところが話の展開も妙。ひょっとして、最後まで読めばこれがみんな繋がって、な~るほど!と納得するのかも。(部分的には面白いと思えるところもあるにはあった。ネコと会話できるおじさんのところは面白かった。)

ところが、最後まで読んでも、変な話のなぞは解けない。では、何か哲学的なものが含まれているのか。いや、それもなさそう。文章も英語の文章を日本語訳にしたような文章なのだよ。これがいいのかも知れないけれど・・・。

誰かに、何かをしていいかと聞かれて、「もちろん」なんて答える日本人はあんまりいない。でも村上の文章中の会話には頻出する。実際のところ、私はしょっちゅう口にするんだけれど、これは英語のOf courseの直訳。別に意識して使っているわけではなく、アメリカに長くいると、つい口をついて出ていしまう。私に限らず多くの日本人が使っている。でも、純粋の日本人(と言うのも変だけど)は、こんなこと言わないよね? 超ドメな、うちのオカンやオトン、兄弟姉妹は絶対に使わない自信がある。

とにかく、村上春樹はダメでした。これは文学価値のわからぬ私が悪いのか? 
そこで昨日、髪を切りにマンハッタンのA子さんのところへ行ったとき、彼女に聞いた見た。彼女もたくさん本を読む人。

「あたしもダメだった。途中でやめちゃった。」
なるほど。私が悪いわけじゃなかったのね。

A子さんのところに行った後は、恒例のCちゃんとの待ち合わせ。近くのホットチョコレート屋さん(Max Brenner ここのイタリアンのホットチョコレートは、パリのアンジェリーナのホットチョコレートと同じくらい濃い)でひとしきりダベる。

「私も読んだけど、アカンかった。」
おー、やっぱり。そう聞いて、自分は普通だったのかと安心する。そうなると今度は、いったい村上のどこがいいのか不思議になる。わっからなーい。今度、Y子さんに聞いてみよう。

それにしても、「ノルウェーの森」にも「海辺のカフカ」にも、女性が男性を”手でイかせてあげる”シーンが頻出する。セックスシーンの一部としてじゃなくて、ただそれだけ。よっぽど村上春樹って、コレが好きなんだろうなぁ。「そうやろ」とCちゃんに言われ、自分のこの意見に自信を持った。

2008年8月10日日曜日

引越し(4)

この家に引越しして既に1ヶ月近くになろうとしている。引越し後、丸2日かけて、以前の家を隅々まで磨きたて――ホント、住んでいるときにこれくらい掃除しろよと思うのに、出るに当たってそこまでやらなくていいだろうと思うほど、半ば意地になって掃除した――その後はインディアナポリスでの仕事まで連日「地方巡業」に出ていたものだから、殆どこの家で寝ることがなかった。

一連の巡業が終わり、この先しばらくは「失業」状態で毎日この家にいるのだから片づけを再開すればいいのだが、一旦勢いがそがれてしまうと、再び取り掛かる気にならない。

ってことで、新しい家の写真を掲載しようにも、散らかった状態で写真が撮れないのよね。

さて、住み心地ですが、何と言っても日当たりが良くて明るい。これがとっても嬉しい。

日当たりの良い家というのは万人に好まれるのかと思いきや、世の中にはそうでない人もいることを、2、3日前に発見。友人のCちゃんは、昔から陽に当たるのが大嫌い。お出かけのときも、長袖、帽子もしくは日傘。最近ならこういう装束の人も珍しくないけれど、彼女は20歳の頃からコレ。対して当時の私は巷の大学生と同じく、日焼けを好み(どうせ地黒で色白にはなれないから、いっそのこともっと黒くなろうという発想)、Cちゃんと連れ立って歩くときは、彼女が日陰、私は日向と、道の両側を別々に歩くということがしばしばあった。そのCちゃんが住むマンハッタンのマンションは南向き。彼女は「北向きやったらええのに・・・」と、信じられないことを言う。彼女いわく、芸術家も北向きの家・オフィスを好むそうな。日光が入らないので作品の色目を正しく判断できるから、だって。作品も色褪せないしね。

ま、私は芸術家でもないし、凡人なので、明るいこの家が気に入っている。ただし大家さんも言っていた通り、この家はちょっと安普請。「僕らはこの家を前の大家から買ったんだけれど、とても安っぽく建ててられているんだ。ちょっとずつ改善しているんだけれど。」

引っ越してまもなくブレーカーが毎日何度も飛ぶ事件が起きた。そもそもこの家に引っ越すことに心から賛成していなかった夫は、それみたことか、と、とても機嫌が悪かった。電気屋さんが来てくれて、「配線が緩んでいた」ってことで、修理したらすぐに直ったのだけれど・・・。

次は玄関のドア。ドアが閉まらない。無理して閉めると、外から鍵で開かない。困って大家さんに連絡すると、既に新しいドアが注文されていた。大家さんもドアの締りが悪いことに気づいていて、我が家とお隣のドアを既に注文済みだったのだ。早速翌日に取り付けてくれた。さらにストームドア(玄関のドアの外側に入るガラスのドア)も新たに発注してくれていた。ドアは別棟の家と色調を合わせるために、近々緑色に塗るのだそう。

最後にこれだけは大家さんにも直せないのが水道の音。昼間は気にならないのだが、ある時、翌朝早いので私は早くから休んでいた。そこに夫が夜遅く帰宅してシャワーを浴び始めた。すると水道管に水の流れる音がベッドルームにとても大きく響き、思わず目が覚めてしまった。

これだけ我慢すればOKなんだけれど・・・。安普請というのは否めないなぁ。ただし、大家さんのフットワークは軽いし、本当にいい人たち(親子)なので、我慢しよう。こんなにいい大家さんって、そうなかなかいないと思うから。

昨日も庭の雑草をみんな抜いて帰ってくれた。大家さんの仕事にしろ、放置していた自分がちょっと恥ずかしかった。せっかく色々やってくれるから、もうちょっとこの家を整えないと。

ワイルドスワン

文庫本で3冊、しかも斜め読みできないぎっしりの文章で、読むのに時間がかかったけれど、一読の価値あり。かなりショックだった、と言うのが読後の感想。

世の中の常識人には既知のことだったのかもしれないけれど、中国の文革について「知識人や都会人が農民の生活を知るために地方に労働にやられた時期」くらいにしか理解してなかったので、本を読んでその実情を知って愕然とした。

文革に至る中国革命あたりの話は、私が生まれる以前の「昔のこと」であるから、心を揺さぶられることはなかった。ショックの元は、これが進行していたのが、私がのほほんと青春時代を過ごしていた際に、隣国でこんなことが起きていたと言うこと。しかも当時、全く知らずにいたと言うこと。

さらに今の中国の状態を思うに、対象が元通りに逆転しただけで、相変わらず一部の人間が権力を掌握し抑圧されている人々が存在する。中国3000年の歴史で、そうでなかった時代ってあったのだろうか。

2008年8月4日月曜日

ぼやき

飛行機の遅延、キャンセルは慣れっこになっていると言えど、やっぱり疲れるし、気を揉むし、気分のよいものではない。

ついこの前も、ニューヨークからロス行きの直行便がキャンセルになった、と、出発日の午前中にエアラインからメッセージが入っていた。最終的にはデンバー経由でなんとかロスにたどり着くことが出来た。でも便を変更するのに、エアラインのカスタマーサービスのオペレーター4人と延べ2時間にわたって電話しなければならなかった。

と言うのも、当初エアラインが「気を利かせて」押さえてくれた代替ルートは、テキサス経由。一旦はそれで了承したものの、良く考えるとハリケーン「バーサ」が熱帯低気圧に変わってテキサスにいるとか、朝のニュースで言っていたのを思い出したのだ。テキサスなんかで足止めを食らっては、翌日の仕事に間に合わない。再びエアラインに電話。ラスベガス経由の別の航空会社の便があると聞いて、それなら仮にラスベガスで足止めを食らっても、車でロスに行くことが出来る。ところが、問い合わせてもらうとこちらは満席。じゃあ他の便を・・・と探している最中に電話が切れた。その日は午前中ボストンで仕事があり、自宅に向けて車で移動中だった。途中で携帯の電波が届きにくくなって切れたのだ。4度目の電話で運よく空席のあったデンバー経由便は、もともとの出発時間より2時間早い。が、これも遅れていたので、なんとか乗ることができた。お陰でデンバーでの乗り継ぎ時間はゼロ。つまり到着した途端にボーディングで、効率は良かったものの、乗れないんじゃないかとかなりあせった。

今日も12時半発のシカゴ行きが出発したのが5時。ただ素直に空港で待っていたわけじゃない。その前の便も遅れいていたから、その便にスタンバイし、それに乗れないと判った後には、そもそも2時発の便が2時55分発で先に出発することがわかった。こちらにもだめもとでスタンバイしようと並んだが、門前払い。ようやくシカゴに到着したのは7時(シカゴ時間の6時)。とっくにインディアナへの乗り継ぎ便は出てしまっていた。次の便にスタンバイして、これはなんとか乗れた。これに乗れなかったら、そのままレンタカーして行こうかと思っていたところ。と言うのも、目的地はインディアナポリスから車で1時間半のイリノイ州の町。シカゴからなら車で3時間。空港で何時間も待つくらいなら、車で行ったほうが早いからだ。

インディアナポリスからこの町までの運転は快適だった。夜道の運転は嫌いだけれど、まっすぐな高速道路に殆ど車もいない。制限速度は時速70マイル。クルーズコントロールはまさにこんな道路のためのもの。前の車のテールライトが小さく見え、後ろの車のヘッドライトも遠くに見える。高速道路の脇には蛍が飛んでいる。

レンタカーでXMラジオを聴くのを楽しみにしていたのに、今日の車にはXMがなかった。ちぇっ。でも選んだ車は珍しく「ニッサン」(アルティマ)。しかもはじめての「キーレスエントリー」車で、最初はどうやってエンジンをかけるのか戸惑った。ハンドルも「テレスコープ」って言うのかな、引っ張ると手前に伸びるやつ。

そういえば、少し前に借りたアメリカ車(どこの何か忘れた)には往生した。ミラーとシートを合わせて機嫌よく出発したのはいいのだが、地図を見ようと車内灯をつけようとしたら、どこを探してもライトをつけるスイッチがない。外は真っ暗。私は未だに「紙のカーナビ」(マップクエストかグーグルマップを印刷したもの)を愛用しているので、これが読めなきゃどこにもいけない。仕方なく路肩に車を止め、10分は探した。よっぽど横をかすめる車を止めて、一緒に探してもらおうかと思った。10分後、なんと、ヘッドライトを点灯するところと同じ場所に車内灯のスイッチがあることを発見。車内灯のスイッチ、普通こんなところにないよね!? もうちょっとこういうの標準化して欲しいなぁ。

ところで、引越ししてから、地方巡業が続き、ブログのアップデートができませんでした。引越し後、3日間は掃除と片付けに精を出したけれど、そこでストップ。写真を撮って披露するに至りません・・・。そのうち・・・。もうしばらくお待ちください。

2008年7月9日水曜日

肥満

昨日のNYTimesに、アメリカ小児医学会が、8歳児からの小児にコレステロールを下げる薬を処方することを推奨した、と言う話題が取り上げられていた。勿論、賛否両論。

食べる子供に食べるなと言うのは、かなり大変なことらしいけれど、(わが子は逆で全然食べなかったから、食べるのを禁じると言う苦労を私は体験していない)、それにしても今の肥満児の大半は、飽食の上、偏食で運動不足が原因と分かっているのだから、それを安易に薬に訴えるというのはどうなんだろう。

先日、引越し荷物を運ぶべく、車で移動中に、助手席に座ったキニコが言った。
「明日、Aが手術するんだよね。」 

Aと言うのは、キニコの高校の友達で、当時は4台分のガレージがついた大邸宅に住んでいて、リバーサイドの海の側に、ダウンサイズするべく新しい家を建設中だった。今はその新しいところに移っている。(2007年2月9日付けの「コネチカット通信 その2」参照。)

「どうしたの?」
「胃のバイパス手術をするの。」
「え、それって、胃を摘出して、腸と食道をつなげる手術?」
「うん、そう。」

極度な肥満の人が受ける手術だ。知人にも一人手術を受けた人がいる。かなりの肥満で、手術前は心臓に負担がかかり過ぎているため、このままでは命が危ないと言われていた。ちょっと体を動しただけで、息切れしていた。手術後の一時期は本当にほっそりしていたけれど、今は少し戻っている。でも以前の病的なレベルではない。ご夫婦でダンスをしたり、体を動かしているからだろう。手術によって体が動かせるレベルになったと言うことだ。

一方Aは、卒業式の日に見かけたけれど、確かに太ってはいる。けれど、それ以外の健康的な問題はなさそうで、若さから溌剌、ぴちぴちしていた印象を受けた。決して手術が必要なほど病的な肥満には見えなかった。それなのにバイパス手術?

詳しい事情は分からないから、憶測で書くのだけれど、太った人が殆どいないこの界隈で、肥満と言うのは耐え難いことなのかも知れない。そこでバイパス手術をして、大学が始まる前の夏休み中に、一気に痩せてしまいましょう・・・なんて考えなのだろうか? でもたったの18歳。本当にそれでいいの?

キニコ曰く、「結構やっぱり太ってたよ。それに、急に太ったの。」

そりゃ、あの学校やこの近辺の標準に照らし合わせると、かなり太ってはいる。けれど、中西部に行けば、まだまだ上がいる。

美容整形するノリでバイパス手術をするのだとしたら・・・。

本当はバイパス手術をしなければならない、健康上の理由があるのかもしれない。是非そうであってほしい。

2008年7月8日火曜日

引越し(3)

今日は引越しは中休み。朝一にピアノの運送業者が来て、ピアノだけは新居に持って行った。

あとはお掃除。私は地下に掃除機をかけた。その間に娘たちには、家中の高いところ、出っ張ったところに掃除機をかけて拭き掃除をしてって頼んだのに、30分もしないうちに、「疲れた、明日でいいでしょ?」 何だか怒るのも疲れた。自分でやったほうが、よっぽどきちんとできるし、効率もいい。アイツらに任せると、結局私がもう一度やらなくちゃいけない羽目になりそうだ。

ところで、引越しの度にワンサカ処分しているように思うのに、あるわ、あるわ、山のような荷物。普段は使わないものを、新居の地下に運んだけれど、大家さんが用意してくれた4つのラックはもう一杯になり、それでも入りきらないものが外に溢れている。

現在、こちらの家には最低限の物しか残っていないんだけれど、はっきり言って、それだけで十分生活できている・・・。

実は、私は普段は「捨てられない」人。つい「もったいない」精神が出て、「捨てる」と言う行為がなかなかできない。ならば買わなきゃいいんだけど、こっちは「もったいない」精神が働かず、つい買ってしまう。それで物は増える一方なのだ。・・・使わないのに。

日本の場合は、「捨てる」しかオプションがなくて、おまけに、処分するのにお金まで払わなくちゃならない。それでなかなか処分できないでいた。

思い起こせば、サウジ時代は良かったなぁ。誰かが帰国をするたびに開くガレージセールに便乗させてもらって、我が家の不要品を一緒に売るのだ。こうして処分すると、罪悪感は感じないし、おまけに結構いいお小遣いになったし。(売っている側から、すぐ横で誰かが処分しているものを買って帰ったりするんだけど・・・。) 3ヶ月に1度はガレージセールに参加していたような気がする。

お客さんには、コンパウンド内でメイドや作業者として働いている人たちが多く混じっていて、本当にありとあらゆるものが売れるのだ。最後に売れ残っても、貰ってくれるし。ありがたい処分方法だった。

アメリカでもガレージセールは出来るけど、結構その準備が面倒。そこで、私はもっぱら「寄付」と言う手段に訴える。サルベーションアーミーやグッドウィルと言ったところが、不要品をみんな引き取ってくれる。だから同じく罪悪感をあまり感じずに処分できる。

お金はくれないけど、その代わり「寄付」したものの領収書をくれる。価値は自己申告。一体どのくらいで申告すれば良いのかわからなかったので、物知りのMに相談したら、「売れる価格の4分の1くらい」だそう。なるほど。寄付した金額は、減税の対象になるのだ。

今も我が家の地下に、不要品が堆く積まれている。いや、減税対象の宝の山だ。

どんどん石油の値段が上がっている。その影響が一番如実に現れるのがガソリン代。

アメリカでは毎年IRS(国税庁)が法定マイレージを発表する。法定マイレージとは、仕事で自家用車を利用した場合の経費計算に使用する数字。この数字の根拠は、ガソリン代と実際の車の使用料である。一律の数字なので、HUMMERで行こうが、カローラで行こうが同じ経費となる。

通常は、会計年度の始まりである1月1日より毎年新たなマイレージが適用される。今年1月からの法定マイレージは50.5セントだった。例えば、私が車で仕事に出かけ、往復の距離が100マイルだったとすると、$0.505x100=$50.5 つまり50ドル50セントを経費として計上することができる。ガソリン代だけを考量すれば、儲かったなんて思うかもしれないが、車はオドメータの距離が延びる度に確実に価値は低下するし、メンテも必要になる。

1年ごとに更新される法定マイレージが、今年は異例にも7月1日に再び更新され、58.5セントになった。私がアメリカに越してきた2006年からの変遷を見ると、
2006年   44.5セント
2007年   48.5セント
2008年1月 50.5セント
2008年7月 58.5セント
と急激に上昇しているのがわかる。

それでも、実際のガソリン代の高騰と比較すると、まだまだ追いついていない感はある。2006年の夏に私がアメリカに越してきた時、この界隈のガソリン代は1ガロン当たり2ドル台の後半だった。それがすぐに3ドルの大台に乗った。まもなく全米のガソリン代が3ドルを突破し、大騒ぎになった。

それも束の間、今やこの界隈のガソリン代は5ドルを目前としている。(今日、近所のガソリンスタンドの看板は$4.85とかだった。) 

グリニッチ界隈のガソリン代は、全米でガソリン代が最も高いとされるカリフォルニア州のそれに匹敵するか、それ以上。先日ロスに行った時だと、少なくともロスのほうが10~20セント安かった。

トライステート(マンハッタン周辺の州、即ちニューヨーク、ニュージャージー、コネチカット州の総称)で最もガソリンが安いのがニュージャージー。税金の差なのだが、最近では常に30~50セント安い。だからニュージャージーを通る時は必ず給油することにしている。

全米で比較的ガソリンが安いオハイオ州ですら、今や4ドルを目前としている。1ガロン4ドルは、リッター当たりに換算すると約118円。日本と比べたらまだ安い、なんて思うかもしれないが、車がライフラインであるアメリカ人にとってはまさに死活問題。

数年前にオハイオに住んでいた頃、愛車の日産サニーを満タンにしても20ドル程。それが先日、現在の愛車のカローラを満タンにしたら、51ドルだった。(私は$4.85のガソリンスタンドには行かず、いつも少し安めのスタンドに行っている。この日のこの店の値段は$4.59だった。) オハイオ州との価格差を考慮しても、倍額になったってこと。毎日通勤に車を使わざるを得ない人たちを思うと、本当に厳しいよな。その分、給料が上がってるわけじゃないのだから。

全米のガソリン代がつぶさに分かる、こんなサイトを見つけた。
こんなの見ながら、どこで給油しようか考えるのだろうか・・・。
http://www.fueleconomy.gov/FEG/gasprices/states/index.shtml

昨日だったか、タンクを持ってメキシコにまでガソリンを買いに行くトラックの運転手さんたちがニュースになっていた。その気持ち、わかるよ。

2008年7月7日月曜日

引越し(2)

世間は独立記念日の3連休と言うのに、我が家はまさに引越しに明け暮れた3日間だった。
お陰で、家の中の殆どの物は新居に移動。残るは大物と、日々必要な細々とした物。案外この細かいやつが最後に面倒なことになりそうだ。

新居は、改めて狭いと痛感。でも地下がとてもきれいなので、かなりの物が収納できそう。バスルームにタオルをしまえるようなキャビネットもないし、キッチンの収納も今と比べると少なくなるので、普段使わないものは全て地下に収納することになりそう。

今の大家さんもいい人だったけれど、どうやら今度の大家さんはスーパーナイスみたい。そもそも、地下室に新しいタイルを敷いて壁をきれいに塗ってくれるとは、聞いていたけれど、実際はそれだけでなく、地下室のメーターがむき出しになっていたところはクローゼットを付けて隠してくれ、窓にはブラインドを付けてくれた。「シナコちゃんが、地下にソファーを入れたいって言っていたから、この方がいいでしょ」と大家さん。また収納用のラックも、新しいのを4つ入れてくれていた。

しかも2階のカーペットは新しいものが敷かれて、ブラインドもほぼ全部が新品に変わっていてびっくり。鍵を貰いに行った日には、古いゴミ箱とリサイクルの容器を見て、「新しいものを買ってあげる」と言われ、2階のマスターベッドルームのドアも、締りが悪いうえにガラス戸(変なの)だったので、新しいドアに換えてくれると言う。

不動産屋さんの人も、あの大家さんは普通では考えられないくらい親切、と言っていた。そして「つまりは、それだけきれいに住んで欲しいってことですよね」と釘を刺された。ジョダコの毛が落ちるし・・・すぐに汚れそうだけれど、ちゃんときれいにしなければ・・・とプレッシャーがかかる。

各ベッドルームの大きさは変わらないけれど、現在あるリビングとファミリールームを合わせた広さが、リビングひとつになって、3分の1になる。今のファミリールームに2枚敷いてあるラグが、新しいリビングでは1枚で用が足りてしまった。余った1枚を地下の反面に敷き、ソファーを2つ置く。リビングには取り合えずソファーはひとつ。お金に余裕が出来たら、一人がけのソファーを買おうかと話している。リビングには更にピアノも入るし、それで一杯になるだろう。

困ったのが私のどでかいデスク。今はリビング(ダイニング)に置いているけれど、行き場がない。そこでシナコの小さなデスクと交換してもらい、小さなデスクのほうをキッチンに置いて私のオフィスとすることにした。キッチンも、テーブルに加え、このデスクと本箱、ファイルケースなどが入って、一杯一杯になる。

でもひとつ嬉しいのが、メインベッドルームのクローゼットはウォークインで、今まで別のところに溢れていた洋服がみんなクローゼットに収まったの! 超嬉しい。

ま、狭くはなるけれど、その分光熱費も安くなるはずだし、掃除の時間も少なくて済むはず。あ、でも、今度はセントラルエアコンなので、一日中エアコンつけていると、やっぱり電気代高くつくのかなぁ・・・。

明日ピアノを運送して、10日に残り全てを運ぶ。11日、12日で、この家をお掃除して・・・おしまい!

2008年7月2日水曜日

受け売り

友達が紹介してくれたサイトの受け売りですが・・・

オモロイ!
見て頂戴。

http://goldeneggsblog.blog44.fc2.com/blog-category-4.html

大阪弁がええがな~。でも、情けない通訳・・・私も、この程度か・・・。
私のお気に入りは、Vol.5の「乗り突っ込み」だす。

2008年6月28日土曜日

キスゲ

キスゲ? 何だそりゃ?
サスケとか、キタロウとか、キクラゲみたいに変な名前。

これ、花の名前。
私が「水仙」と信じて疑わなかった庭の花は、キスゲと言うのだそう。今日、友達からメールがあって指摘された。恥ずかし!

キスゲとは、
ユリ科の多年草。山野に自生し、高さ1メートル。葉は線形。初夏、鮮やかな淡黄色のゆりに似た花が咲き、夕方開いて翌朝しぼんでしまう。そのため「夕すげ」とも呼ばれる

だって。

2008年6月27日金曜日

笑い

外に行くと、私はよく笑う。実家でもよく笑う。
でも自分の家ではあまり笑わない。って言うか、私がおかしいと思うところと、娘たちがおかしいと思うところの、ツボが違うらしい。夫のは、もっと思い切りずれている。全然面白くないテレビの場面で笑っている。

さて、通訳の仕事中に笑うなんてご法度。
スピーカーが面白いジョークを言っても、訳す前に笑ってはいけない。しかも、自分は笑ったものの、それが通訳できない言葉遊びだったりなんかすると最悪。

ところがその法度を冒してしまった・・・。

私の通訳中、聞いている人たちは、次々に噴出した。
私はひたすら笑いをこらえていた。だって笑うのは失礼な場面でもあったからだ。幸い笑い声は、別室のスピーカーには聞こえない。だからこそ、私と同室にいる人たちは笑っていられるのだが。

必死で笑いをこらえながら通訳している私の横で、ついに同僚たちまでが噴出した。
しかも、一人は涙を流して、ついには鼻までかみだした・・・。
笑ってはいけないと思うと、どんどん込み上げて来る、
もう限界。通訳している言葉が震える、そして途絶える・・・肩が震える・・・。

取り合えず5秒くらい黙ってしまったけれど、手をつねりながら、残りは何とか踏ん張った。
ひどいよ、ひどいよ! アンタたちまで笑うなんて!と同僚を恨みながら。

でも、ホーント可笑しかった。そして楽しかった!

2008年6月26日木曜日

韓国

ようやく昨日の朝、帰宅しました。

宿泊していたホテルのインターネットが有料(10ドル弱!)だったので、仕事関連の重要な連絡以外はBlackberryで済んでしまうので、ネットを利用したのは1日だけ。今日びはビジネス向けのホテルではどこでもインターネット無料なのに、ちょっといいホテルだと有料だなんて。金持ちビジネスパーソンは気にしないのでしょう。どうせ会社持ちだし。

さて、夏休みはがんがんバイトして、しっかり稼いでもらおうと思っていたキニコは、毎日家でだらだらしている。どうして積極的にバイトを探そうとしないんだ!と、本当に腹が立つのである。余り私が怒っているから、家の中の手伝いは結構積極的にやってはくれているけれど。

その上、先日は、「韓国に行きたいんだけど」となどと言ってきた。

「韓国でもシベリアでも北極でも、どうぞ。但し自分のお金で行くならね。お金は出しません」と答えた。すると、ちゃっかり父親に相談。彼は飛行機の値段や、マイレージでチケットが取れるか調べたらしい。私は夫にも、「私は反対だよ、行くなら計画的にお金をためて、冬休みでも、来年にでも行けばいい」と言ったけれど。私が出かけている間に、マイレージで韓国・日本行きの航空券を取っていた。

もし行くなら、ついでにジジババ孝行をして来いと言ったので、帰りは日本に寄ることになった。しっかりジジババに仕えて来るといい。(でも、あいつには、入学祝をせしめようと言う下心があるに違いない。)
韓国では、友達の家に遊びに行くのだという。キニコには仲の良い韓国人の友達が数人いる。

キニコの高校の3割ほどは外国からの留学生だった。中でも韓国人が一番多く、ついで中国系。中国系の場合はアメリカ永住者も多かったが、韓国人は家は韓国という子が多かった。ちなみに日本人はキニコ一人。もう一人、下の学年にお母さんが日本人と言うハーフの子がいたけれど。

中学までのキニコの友達にアジア系はいなかった。学校に日本人はいたし、補習校にも通っていたが、何故か親しい日本人の友人はなかった。ところが、高校に入ってからは、徐々にアジア系の友達が出来始めた。思うに、彼らの中に同様の文化を見出して、親しみを感じるようになったのではないか。勿論アジア系としか付き合わないわけでなく、アメリカ人の友達も多かったけれど。

私なんかは、やっぱりアジア系の人と一緒にいると、なんだかほっとする。何故だろう。構えないで良いというか。サウジ人の友人とも、「やっぱりアジア同士だと通じるところがあるね」と、話したことがあった。

私やキニコの世代は、韓国人と一緒にいても何のわだかまりも感じないし、相手も同様である気がする。もう一世代上の人たちでも、私がアメリカで出会う人たちは、日本や日本人に対して、過去の出来事に捕らわれていないと思う。勿論、過去の出来事をすっぱり忘れているわけではないだろうけれど。

なのに、どうして政治の世界では、いつもいつも「対日感情」が取り沙汰されるのか。これはもう、煽られて、故意に作り上げらている感情でしかないんじゃないかと疑いたくなる。

ただ、私たちが出会う韓国人は、少なくとも外界に触れることの出来る、開かれた環境にある韓国人。他のドメドメの韓国人の間ではどうなのか。機会があれば尋ねてみたい気がする。

2008年6月19日木曜日

ホンマ、疲れました

車で行けば4時間ちょっとのところに、飛行機で出かけた。1泊でとんぼ返りの予定だ。車か飛行機かで悩んだ末、翌日からまた遠出の予定があるので、スタミナを温存するため飛行機にした。そして案の定、結果はその逆。どれほど車にすれば良かったと後悔したか。

昨日は家を出たのが1時半。ホテルにチェックインしたのが真夜中。しめて10時間半の道のり。帰りは、向こうを出たのが4時、家にたどり着いたのが11時。しめて7時間。

昨日は空港で7時間、今日は空港で4時間半を過ごした。しかも空港は冷房が効き過ぎていて、体の芯まで冷えた。(これからは本気で毛布を持参するわ。)

飛行機が遅れることは、今や日常茶飯だけれど、これほどひどいのが2日連続なんて、よっぽど日ごろの行いが悪いのだろうか。

行きは、乗るはずの飛行機がキャンセルに。5時発の次の便は既にオーバーブッキングされていて、ボランティアで席をギブアップする人を募っているくらい。8時の便に変更しておきながら、一応この便にスタンバイしたけれど、結局乗れなかった。しかも8時の便も、飛行機が飛んで来ず、じりじりと遅れ、最終の9時半の便はキャンセルになり、8時の便が結局9時半までずれ込んだ。この便までキャンセルになって、真っ暗な中をレンタカーで行かなきゃいけないのかとハラハラした。無事飛行機は来たが、遅延の理由は「メンテナンス」。でも燃料が高騰する中、本当は4便を2便に集約したんじゃないかと疑ってしまう。

帰りは、案の定、早々と1時間遅れになっていた。でも嬉しいことに、1時間遅れの表示はそのまま変更されず、飛行機もこちらに向かってるとのことで、ちょっとほっとした。ようやく飛行機が到着。これでひと安心。

すると、「タイヤ交換を行います。15分ほど済むので、まもなく搭乗できるでしょう。」とアナウンス。
ところが、15分過ぎても、30分過ぎても、外では延々とタイヤ交換作業が続いている。大丈夫かな・・・。最終的には、ダメってギブアップするのでは。そうなるとこれがNYへの今日の最終便。明日からまた出かけるし、這ってでも帰らなきゃ・・・。

でも、ようやく1時間以上待たされた後に搭乗開始。乗り込むと、フライトアテンダントが、「どの席でも結構ですが7列目より後ろに座ってください」だって。
つまり1列目から6列目には座ってはいけないと言うのだ。

素直に従いながらも、むずむず。やっぱり理由は聞きたい。
「どうして、7列目以降なんですか?」
「重さとバランスの問題です。」
バランスたって、乗っている乗客が全員後ろに座っているんだから、こんなにバランスが悪いことはないのだ。
「本当はタイヤがバーストしたときに、後ろのほうが安全とかじゃないの?」
周りの乗客が苦笑した。(もしシナコが一緒だったら、思いっきり嫌そうな顔をしたに違いない。)

自分で縁起でもないことを言っておきながら、ふと、本当にこれが人生最後の日になるかも知れないと言う不安が胸をよぎった。
どうしよう、もしもそうなったら・・・。
このハプニングは、一体誰がブログに書くんだ・・・?

2008年6月14日土曜日

愛は傷つけない by ノーラ・コーリ

本を読みながら、何度も何度も本の内容から離れて考え込んでしまった。

日本にいると、いかに日本が男尊女卑的な社会か、半ば感覚が麻痺してわからなくなってしまう。
でも、海外にいると、そんなところが浮き彫りにされ、余計にそれを強く感じるのだ。

一昔前の日本は、ある面それも致し方のない部分もあっただろう。情報もなければ、社会的に受け入れられていた部分があるからだ。それが、徐々にこれではいけないと言う意識と理解が世界的にも得られて来たにも関わらず、生活が近代化し質が向上した日本社会が、精神的な発展を殆ど遂げていないのはどうしてだろう。

それは、社会の中枢にいる男性が、そう言う考えを浸透させないがための制度を維持しようとしているからではないか。女性の進出を妨げ、妨げられたが故に社会的に身分の低い女性を、あざ笑い、あざ笑うことで自分の優位性を誇示しようとする。

このブログを読んでいる男性は、俺はそう言う人間じゃないと思っていることでしょう。でも、果たしてそうでしょうか。きっと多かれ少なかれ、自分が優位な立場にあることから満足感を得ているんじゃないでしょうか。

「妻より稼ぎが良い」と言うのが、優位性を感じる最も大きな要因だと思う。何を隠そう、家の中のことをたくさん手伝ってくれる、一般的にはとても「よく出来た」我が夫ですら、「俺より稼いでから言ってくれ」と言ったことがある。彼にとっては何気ない言葉だったかも知れないが、私はかなり悔しい思いをした。(未だに覚えているほどだもん。)

でも私が彼より稼げないのは、単に私の能力が彼より劣っているからだろうか? そうじゃない。社会のシステムがそうさせているのだ。おそらく私が男だったら全く違っていただろう。(そうじゃ、なかったりして。) 

念のため、この本はDVの本だが、肉体的な暴力と言うより、主に精神的な暴力としてのDVについて書かれた本である。だから、被害者である女性にではなく、男性諸君に、是非とも読んで欲しい本である。加害者としての男性には、全く加害者としての意識がないから、この本を読むことで、女性たちがどう感じているのか是非とも気づいて欲しい。

「愛は傷つけない」を読んでみたい方は、下記のサイトからメールにて注文を入れてね。
http://www.caretheworld.com/japanese/books/books.html

私の体験で、こんな例がある。ある日本人管理職男性が、部下に当たるある女性のアメリカ人マネージャーに言った。
「キミは、女性なのに、非常に良くやってくれている。本当に感謝しているよ。」
通訳をしている私は固まった。はて、このまま訳して良いだろうか?
即座の判断は、「女性なのに」を飛ばすことだった。うっかり口が滑ったかも知れないと、良心的に解釈したからだ。

しかし、その後も彼は、たびたび、「女性なのに」を連発した。以降は、きっちり訳させて頂いた。それは彼の考え方の根幹にあるものを、この女性にもしっかり伝える必要があると思ったからだ。

日本人男性の考え方の根底には、無意識にもこんな思いがしみこんでいるのではないだろうか。

もうひとつ、この本にあったある女性の話で共鳴した点がある。私の常々の思いが、その文章に的確に表されていた。そのまま引用させてもらう。

「夫の転勤が決まってから2週間は殆ど家に帰ってきませんでした。その間、私は引越しの手配、学校の手配、など全て自分でしました。企業は子供への教育アドバイザーを設置するものの、妻の今の仕事をどうするか、妻の海外でのキャリア、帰国後の仕事への復帰など考えもおよばないでしょう。これは子供以下の扱いです。彼らは妻が仕事をやめ、夫についていくのは当然と見ています。妻の人生に対する尊敬の念が夫にも、企業側にもありません。」

企業側にすれば、夫についていくのが当然ではなく、夫が単身で行き、妻や子供は残るというオプションも与えている、と言うのでしょう。そう言うことを言っているのではなく、帯同するための便宜をもっと図ってくれてもいいと思うのだ。会社からのフォローは全くなしで、アメリカで働きたければ、これこれこういう憂目に会いますが、それは覚悟の上でね、なんて、余りにあんまりだ。

それと、今回のブログの文頭に書いた海外で初めて浮き彫りになる日本社会の男尊女卑・・・って言うか、女性排他主義と言ったほうがもっと正確かな。

アメリカに来たら、いたるところで夫婦同伴の機会があるだろう、と思っていたら大間違いであった。仮にも日本の有名企業でグローバルに仕事をしている夫の会社。郷に入れば郷に従えで、アメリカ文化を受け入れているのかと思いきや、夫の企業のみならず、どの日系企業もまるっきりドメドメな習慣・文化をニューヨークに持ち込んでいるのだと発見。(オハイオで仕事していた会社は違ったんだけど、日系企業マイナーなオハイオじゃ、地域に溶け込む努力を図っているが、「日本」と言って大きな顔ができるNYでは事情が違うのだと思う。)

何も日本文化を前面的に否定する気はない。でも、夫の仕事と言う点で、家族を排除するような、家族の存在を無視するような、そんな習慣、どうなんだろう。(もちろん、日本にいる間はそれが当たり前で、みんな疑問にも思わないわけだが。)夫の会社も、あたかも自分の会社のように愛したいと思っても、残念ながら、この2年間で私の気持ちは後ろ向きになるばかりだ。

会社の集まりは、男だけか、妻だけ。だれがよその奥さんに会って楽しいのだ。(いや、楽しい時もあるけど。)でも、私が会いたいのは、夫が一緒に仕事をしている人の奥さんではなく、一緒に仕事をしている人そのものだ。その人たちを知れば、共通の知人も増える。「xxさんの奥さんの○○さんは・・・」なんて話をしても、夫は上の空だもん。

日系人社会が小さかったサウジ時代は、家族ぐるみでお付き合いが出来た。夫婦共通の友人ができた。正直言って、我が家が最も輝いていた、最も楽しかった時代だ。

ところが、NYに来てからは、日本人社会がデカ過ぎるから、そう言う集まりはなくなった。同時に妻の存在も無視されるに至った。(無視はされても、簡単には自由にはさせてくれないのだ。)

先日も、夫だけが、日系企業とニューヨークにある日本人関連組織、および日本と利害のある米国企業の出席するディナーパーティーに出た。何でもブラックタイ(正装)で出席を要求される立派なディナーパーティーである。それに、夫が一人で出席すると言うのだ。ブラックタイで男だけ? 私はのけぞった。 

夫が持ち帰ったパーティーの出席者リストを、早速色分けしてチェック。(私も暇と言うか、こだわると言うか。)ざっと見て400名くらいの出席者の中で、出席者の内訳は下記の通り:

日本人のカップル:  18組
アメリカ人カップル:  23組
日本人女性(単身):  19人
アメリカ人女性(単身):68人 
野郎の単身:    約230人 (多分4分の1は日本人)

出席者の大半が単身の男性と言うのを見て、いかに考え方に隔たりがあるか、上記の数は如実に伝えている。思うにアメリカ人男性で単身で出席した人の中には、「どうせ日本人はみんな単身で参加するんだから、釣り合いが取れない」と、妻を伴うことをやめた人も多いだろう。

このディナーは1972年から続いている伝統的なものらしく、40年近くたったNYでもこの状態だなんて、日本での「女性排他主義」は、おそらく止むことはないんだろう。

ちなみに、「なんで、私は招待されないのよ~! ブラックタイで男だけなんて馬鹿みたい!」という言葉に対して、夫は、
「俺かて、行きたいわけやない。それに、高いディナーなんやで。」

行きたくなきゃ私が行ってやるのに。女には高いディナーを食べる値打ちもないってわけ?