2008年5月27日火曜日

トシ

私には年下の友人が多い。
大学院や仕事場を通して知り合った友達が多いからだ。

大学院時代もクラスで一番年上だったし、仕事場の同僚の中でも最初の1年を除いてはずっと年長だった。
仕事場では、自ら汚れ役を買って出て「ババア」ネタで笑いを取っていたが、本当はこれっぽっちも自分がババアだとは思っちゃいなかった。

えーそうだったの?と言っているキミ。そうだったのだよ。今こそ語る真実。口ではババアと言いんがら、内心はこれっぽっちもババアだとは思っちゃいなかったのさ。ま、みんなはどう思ってたか知らないけど。私の方は、みんなと全然変わらない積もりだったのであ~る。

昔から年齢よりはずいぶん若く見られてきた。17歳のときは小学生で通ったし、社会人になってからもディズニーランドは学生料金で入れたし、プールでは高校生にナンパされるし。夫とデートしてた時は父子と間違われた。・・・ま、こういうのは若く見られたとは言わず、子供に見られたと言うべきか。

外国では特に東洋人は若く見られるし。だから口ではババアといいながら、自分は若いとずっと思ってきた。

ところが、どうだ。ここ1、2年は肉体的に、物理的に年齢を感じるようになったのだ。
実際に年を取ったと感じる場面が出てきて、愕然としている。なんて悲しい!

この先は男性の読者には、読まずに飛ばしてもらいたい。

まず、これまでデオドランドなど必要としなかったのが、脇の下に汗をかく! 夜中に寝汗をかく! ま、ま、ま、まさか、これが噂のホットフラッシュか!

だいたい性格が悪くなった。いや、それも言うなら、更に悪くなった。しつこくなった。短気になった。そして日本語でもムードスイングと言うのか、感情の起伏が激しくなった。

今のところ、まだオンナだけど(こういう事を公な場であるブログに平気で書けるところがオバハンだ!)それもいつまでのことだろう。昔に比べると閉経が早まっていると聞く。寿命は延びているのに、それに反してオンナの寿命は縮まっているとは、不思議だ。

と言うことで、先日の誕生日も、誕生日というのは嬉しいのだけれど、またひとつオバハンになったことは全く憂慮すべき出来事であった。

2008年5月26日月曜日

長い長いペンギンの話


いぬいとみこ作のこのお話を知っているでしょうか?

かなり有名なお話だと思っていたので誰でも知っているものと、自分の文章がちょっと長くなったときにしょっちゅう「長い長いペンギンの話になってしまった」とか書いていたら、どうやら若者には通じないらしい。

もうあまり読まれてないのかなぁ。
かく言う私もストーリーは覚えてないし、わが子に読んでやった記憶もないんだけど。

同世代の諸君は知っているよね?

Tocqueville



誕生日の翌日に行ったのがこのレストラン。お誕生日もさることながら、アメリカのお母さんを歓待するためでもあった。噂通り、おいしかった。

このレストランは環境に優しい「グリーン」の特別メニューとしてGreenmarketというメニューがある。季節によって内容が変わるのだが、食材や調理法に気を使っている。主に通常の有機食材に加え、「糞便こやし」で育てた野菜や、持続可能な点に着目した方法で食品を生産調理したものもある。

みんなは普通のメニューから選んだけれど、私はGreenmarketのメニューから選んだ。

Greenmarketのコースを注文したお客には、下の買い物袋が進呈される。


嬉しくて翌日のお買い物から利用している。

ウェイターのお兄さん(?)が、どう見ても中東の血が混じっているようで、尋ねずにはおれない。
「あの・・・失礼な質問をしたいのですが・・・。」
すかさずシナコが、「ママ、やめて!」

尚も、「答えたくなければ答えなくていいんですけれど、どちらのご出身ですか?」
「何だ、そんなことですか。アルジェリアです。でも大学からはフランスでしたが。」
「やっぱり~! 絶対アラブのどこかだと思ったんですよね。私たち、本当はアルジェリアに暮らすことになっていたんですよ。でも内戦が起きて、結局翌年サウジに行きました。夫は何度もアルジェに行ってます・・・」べらべらべらべら話す私に、夫もシナコも嫌そうな顔。

でもウェイターはとっても優しくて、最後にブログに載せるからと被写体にもなってもらった。



「また来てくださいね!」
「うん、来ます」って答えたから、今週から10月12日のコロンバスデーまでGreenmarketのメニューが刷新されたので、また行かなくちゃ!

お散歩

このところ全然散歩に連れてもらっていないので腐っていたけど、流石に今日はあんまりお天気が良くて、ママも家にいるのがもったいないと思ったか、ナナ(シナコは先週から家に来ているアメリカ人のおばあさんのことをこう呼んでいる)へのサービスの積もりか、車でビニーパークまで散歩に連れて行ってくれた。

「どうせ、知っている人には誰も会わないから、そのままの格好で大丈夫」と、ママは庭の掃除をしたそのままの格好で、ナナも髪型も整えずパパから借りたTシャツを着て出かけた。

駐車場所を探していると、気和がティナと散歩している。ママは一瞬自分の服装に目をやったようだが、車を止めて声を掛けた。

「ティナ! 噂をすればって言うけど、今朝、気和の話が出たところだったのよ。」

リバーサイドからグリニッチに引っ越すことになって、今の家は借り手を捜している最中。今朝、家を見たいというお客さんを連れて来た不動産屋の女性が、僕を見て言った。

「この犬と同じ種類の犬を飼っている人を知っているわ」。
「気和のことでしょ?」

しばし車の窓越しにおしゃべりしていたが、近くに車を停めて一緒に散歩することに。
驚いたのは以前会った時は中年太りだった気和が、とってもスリムになっていたこと。

「気和は痩せたね。」とママが言うと、ティナは「食べる量を減らして、栄養管理をして特別な餌に変えたの。逆にジョーダンは太ったわね。」
「そ、誰も散歩に連れて行かないから。」
そうだ、そうだ、もっとボクを散歩に連れて行ってくれ!

さらにおしゃべりは続き、ナナはオクラホマから来ていて、以前はアリゾナ州ツーソン(Tucson)に住んでいたと言うと、ティナの両親はツーソン生まれツーソン育ちだと言う。世間は狭い。

その後、ナナは足が痛いからと公園のベンチに腰掛けて本を読み、僕たちは一緒に公園の周りを歩くことに。

ママはティナになぜ引っ越すことになったのかを話している。
「キニコの学費が高すぎて。夫の見せかけの収入は多すぎて、奨学金もあまり出ないし。」
「本当よね。一番苦しいのは中流家庭よね。何ももらえないし。うちの夫が日本に仕事を見つけたのは、そう言うこともあるの。うちは奨学金は全くでない。学費と寮費と生活費を合わせると、年間5万ドルでしょ。税金は48%だから、実際には学費を払うにはそのために10万ドルの収入がなければならないってこと。」

そう聞いて、改めてアメリカの私学に子供を通わせるのは大変だなぁと思ったよ。何だ、ボクの予防接種なんか、キニコの学費に比べたらちっぽけじゃないか。しかも、ママの癒しになっている僕と、ママの怒りの根源にしかなっていないキニコと、どっちがお金の使い甲斐があるんでぃ。

公園にはガチョウの親子があちこちにいた。
リスだったらすぐにでも追っかけたくなるんだけど、なんだかコイツらには興味がわかなかった。

ボクが無視しているもんで、それを面白がってママは写真を撮っていた。











(気和については2007年11月10日の「ガールフレンド?」を読んでね。

2008年5月22日木曜日

誕生日!

今年も誕生日を迎えてしまった。この歳になると、半ばヤケクソに年を取っている気がする。

先週は、ご主人のお誕生日に、マンハッタンの高級レストラン(最高が30のZagatの格付け28!)Le Bernardinで、ご主人をご馳走をすると言う友人が、義理の娘(4月生まれ)と、1週間後が誕生日の私も一緒に招待してくれた。

どのお料理も超級でおいしかった。給仕も超級で、写真を撮るために、ちょっと席を立って、ナプキンを椅子に置くと、次の瞬間には新しいナプキンが差し出されたりして・・・貧乏性の私は、もったいなーと思ってしまった。

写真は、私の前菜。鯛のお刺身に金箔があしらわれ、ゆず風味のソース。フランス料理なんだけれど、メニューには和食をアレンジしたものがたくさんあって、ホント、おいしかった。

Le Bernardinのウェブサイト 


週末には、アメリカのお母さんが来るのに先立ち、私と次女を夫がマンハッタンの御寿司屋さんに連れて行ってくれた。生まれて一番おいしいおすしだった! (値段もそれなり。) 普通の江戸前ではなく、創作寿司の変わりダネだけど、舌の上でとろけるトロ、サーモン、ウニ・・・。あぁ思い出しても垂涎もの。

Sushi of Gariは英語のウェブサイトしかないので、青山のSushi Gariのサイトです。
http://www.sushi-of-gari.com/


そして、誕生日当日の昨日。夫はアメリカのお母さんを招待するのも兼ねて、彼女が食べられるアメリカンフレンチのレストランTocquevilleを予約。皆でのお食事を楽しみにしていたら、前日の夜10時ごろ、キニコから電話。

「ママ、ヘラクレスの上演、明日の夜9時なんだけど・・・来る?」

正直言って、思わずムカっとした。せっかくお誕生日をマンハッタンのレストランで・・・と楽しみにしていたのに、サイテイ! 何が悲しくて片道1時間40分の長女の学校に、しかも夜遅く行かなくちゃいけないの。それも招待されるのが前日の夜? なんで、この子はいつもこうなわけ? 相手の予定とか考えてないの?

不機嫌な声で、
「えー、明日? 何でもっと早く言わないのよ。明日はママの誕生日なんだよ。そいで、みんなでマンハッタンでお食事しようと思って、パパがレストラン予約してくれてるんだよ。」

「そ・・・。」

長女はそもそも、自分の毎日の様子とか予定とか、大学のことも、必要最低限の内容すら連絡してこない。それにずっと腹を立てていた私。ちょうどその日も、アメリカのお母さんと、お互いの娘の悪口大会を開いたばかり。

しかし、長女がこのヘラクレスの舞台を自分でプロデュースして、友達を借り出して公演することは聞いていた。もうすぐ卒業だし・・・、せっかく誘ってくれるし・・・仕方がない、行くか・・・と、しぶしぶレストランの予約をキャンセルし、シナコとお母さんと三人で見に行くことにした。

学校のイベントとしての催しではなく、あくまでキニコが自発的に公演するものだから、小規模なものだろうと思って行ったら、公演が始まる時、講堂は生徒でいっぱい。全校で550人しかいない小さな学校だが、おそらく全校生徒が集まっていた。先生の姿もちらほらあった。

内容は、ヘラクレスのストーリーに合わせてダンスすると言うもの。言わばミュージカルだけれど、ダンスだけで誰も歌わない。パクパクミュージカルとでも言うか、歌はBGMの歌謡曲。総勢80名が出演し、友達が踊っているものだから、観客も大喜びだった。とにかく、ユーモアたっぷり、笑いの連続で、なかなか楽しめた。

公演前にキニコが舞台に登場し、協力してくれた仲間や先生に謝辞を述べた。そして、
「今日は、母の誕生日です。この公演を母にささげたいと思います。」
だって!!

まっ、涙ちょちょぎれものでしょ!? みんなが私を見て拍手してくれるし、思わず立ち上がって、片手を開いて大仰なお辞儀をしようかと思ったけど、キニコを恥ずかしがらせては・・・と、寸でのところで思いとどまった。


さて、帰宅したのは真夜中。夫は既に休んでいる。

ふとテーブルを見ると、花瓶に花が。
(はて、キニコに用意した花束を、持っていくの忘れたんだっけ? いやいや、舞台の後に渡したよなぁ・・・。)
まさかと目を凝らすと、カードがささっている!


そして、今夜こそ、再びマンハッタンでお食事だ。今、Zagatを見たら、こちらも26の格付けだった。ちなみにSushi of Gariも26。散財させてるなぁ・・・。

ひょっとして、今年はサイコウの誕生日かも!

2008年5月19日月曜日

引っ越します!

にわかに忙しくなった理由のひとつはコレ。

3週間前、突如思い立った。引越ししよう!
当初、夫は乗り気でなかった。なんと言っても駅まで徒歩2分という通勤の便は譲りがたいものがあったようだ。

でも1か月3900ドルという家賃がもったいないと思ったのだ。

「サンゼンキュウヒャク?!」 家賃を聞いて驚いた人は少なくないと思う。でもこの数字は、ニューヨーク近郊に勤める日本人駐在員で、我が家と同じような家族構成の人が支払う平均的な額なのである。信じられないけれど本当なのだ。金融関係の仕事をする外国人駐在員の場合は、もっともっと高いところに住んでいんじゃないかと想像する。

この家は、私たちが赴任する前に、夫が2ヶ月近く、週末の度に、合わせて50軒くらいの家を回ってようやく見つけた家だった。「3,000ドルくらいまでで見つけて」とお願いしていたけれど、「そんなものない。犬がいるからアパートはダメだし。」 レベルの高い公立高校がある理由で、希望していたニューヨーク州のウェストチェスター郡スカースデールでは、とうとうめぼしい物件は見つからず、更に20分通勤時間が長くなるグリニッチまで範囲を広げて、ようやく妥協できる物件として見つけたのがここだった。

そう言う苦労があったのを知っていたから、この家賃にも、家にも文句は言えなかった。(あ、嘘。ゲジゲジが出たときは、散々文句を言った! だいたい3900ドルも払うのに、お掃除が行き届いていなかったし。)

住めば都で、ゲジゲジにはすっかり慣れ、「あら、また!」 ぱっとティッシュでつまんで、ポイと捨てられるまでになった。アイツ等は弱たんで、動きも鈍いし、全然怖くないことがわかったから。

そんな訳で、仕方なくこれまでは、この金額を泣く泣く払って来た。でもこれがローンの金額で、苦しくても後々自分のものになるのだ、と言うのなら話は別だが、このお金は賃料で、後にはな~んにも残らないのである。

アメリカに駐在するなら、広くて大きな家に住むことを夢見る人は多いだろうし、日本では味わえない暮らしを満喫したいと思うのも当然かもしれない。夫も、おそらく家族に駐在でしか味わえない一軒家暮らしの醍醐味を味わわせてやろうと思ったのかもしれない。その気持ちには感謝するけれど、やっぱ、もったいない。

キニコの学費がべらぼうに高いことが判明した今、何とかしてお金をセーブする必要がある。食費を切り詰めても、欲しいものを買わないで我慢しても知れている。一番簡単に大幅に支出を抑えることができるのは、もっと家賃の安いところに引っ越すことである。

会社によって、家賃の支払形態は異なる。家賃に上限があり、そこまでの金額を会社が全額負担してくれる場合。夫の会社の場合は、家賃を考慮した給与の額になっており、安く上げればその分可処分所得は増えるし、高ければ生活は逼迫する。家にどれだけお金をかけるかは個人の問題。


思い立ったら吉日の私。早速物件探しを始めた。今日日はインターネットで簡単に調べられるのだ。調べてみると、意外にも3,000ドルちょっとあたりでめぼしい物件が続々あった。すぐに気になる物件については問い合わせをした。

ただ、当初見たサイトは何年も前からの情報が全て一緒くたになっていた。また他のサイトでも、インターネットに掲載されている物件はたいてい少し古い情報で、問い合わせると、「既に決まりました」というものばかり。でも、その際に、こういう条件で探していますと不動産屋にお願いすると、その日のうちに、「こんなものがありますがご覧になられますか」と連絡が来た。

それから1週間、一人で何軒か見に行き、週末は夫とシナコも一緒に見学に行った。シナコは、やはり我が家を「ボロイ」と思っていたので、引越しのアイデアには賛成だった。

3,000ドルと言う予算では、ほぼ一軒家は望めない。あっても、殆どが住みたくないような代物。必然的に、見た家の殆どがデュプレックスという二個一になった家や、一見、一軒家風だが、2階は別の人が住んでいるとか(出入り口は別)、あるいはコンドと呼ばれる集合住宅。2ベッドルームもオプションに加えたし、ガレージなしもOKとした。

2年前の家探しの時、ガレージは必需品だと思っていた。念頭にはオハイオの冬の寒さがあったから。ほぼ同じ緯度に位置するコネチカットも、冬は厳しいと思っていた。実際、キニコの学校がある辺りは雪深く、気候はオハイオと変わらない。

ところが同じコネチカットでも海に面するこのあたりは全く違っていた。目の前の海はロングアイランドサウンドと言い、ちょうど入り江になっている。海流がなく、恐らく浅い。コネチカットで雪が降っても、このあたりだけ雨と言うことも多い。外に駐車したとしても、雪下ろしをしなければならない回数は、1年におそらく片手で数えるくらいであろう。オハイオ時代のように、夕方仕事を追えた後に、暖気しながら、あゎゎゎと震えて、車全体を覆う雪を降ろし、素手では触れない凍るようにつめたいハンドルを握って車を運転・・・なんてことは、この辺りではめったに起きないということがこの2年間でわかった。

もうひとつわかったのは、今住んでいるリバーサイドやオールドグリニッチは一軒家の多い一際閑静な住宅街。シナコの友達が近所にたくさんいるので、この近くが希望だったのだが、比較的値段も高く、デュプレックスは殆どない。すぐ西のコスコブにはデュプレックスが多く、またその西のグリニッチでは、駅の北側でグリニッチアーべニューより西は、ごみごみしていて安い。どちらもスクールバスの圏外。われわれの予算に合う殆どの物件はこのあたりに集中していた。


間もなくコレだ!と思えるものを見つけた。

グリニッチ駅から西へ徒歩12分のデュプレックス。ここには同じ大家が所有するデュプレックスが2棟と、1階部分がガレージで、上が住居となっている1軒の合計5軒が同じ敷地内にある。

最初に見た時の感想。外に停まっている車がみんなBMWだのベンツだのの外車だった。ここに住めば、おそらくこの中で一番見劣りする車が我が家の2台だろう・・・。

比較的築が浅く、3ベッド。Unfinishedの地下室もあるが、壁のブロックにはきれいにペンキが塗られ、下もタイルが引いてある。我が家の不気味な地下室に比べたら、ほーんとにきれいだった。1階はリビングとダイニングキッチン。2階に3部屋とバスルームがひとつ。デュプレックスの庭は共同という場合が多いのに、ここは一軒分が囲われて小さいながらもプライベートな空間。ジョダオにはもってこい。

ファミリールームとリビングの二つの居間がある現在の家と比較すると、ひとつに減るし、バスルームもひとつ減る(但し1階にトイレはもうひとつある)。地下室のスペースは半分以下。前庭はなくなり、裏庭は4分の1ほどになる。ガレージもなくなる。(2台分のガレージのひとつは、その上に住む人が使用し、もうひとつはこれら借家のメンテナンスを受け持つ大家の息子が物置に使用している。)

スクールバスもない。歩けば小一時間なので、送り迎えが必要になる(泣!) 「ママが中学の時は片道40分を、重たい鞄を持って山の上の学校まで歩いてました!」と説得してるんだけれど・・・。ま、ちょっと歩けば路線バスが走っているので、最悪はこれに乗ることもできる。但し30分に1本くらいで、おまけにいつ来るのか宛にはならなそうである。

現在そのデュプレックスに住んでいるのは、若いロシア人の夫婦に2歳の子供。家のレベルとしては、スターターファミリーと呼ばれるこのくらいの人たちに適当なものである。ここでの標準に当てはめると、我が家のような、大きな娘が二人いる4人家族には小さすぎる。でも、我々は、なんたってウサギ小屋慣れした日本人。しかもキニコは殆ど家にいなくなるはずだし、これでも日本のマンションよりは広い。何を文句があろう。

と言うわけで、取り合えず夫が譲れない「駅まで徒歩圏」と言う条件は満足したし、ナ、ナ、ナント言っても新しい家の家賃は2500ドル! 一月1400ドルもセーブでき、掛ける12で16800ドル! 私が働くよりよっぽど手っ取り早い! (でも、働けよ、と夫には釘を刺された。)

さっそく、この家を借りたいと申し入れたら、大家さんは二つ返事でOKをくれなかった。家を案内してもらった時に一度会っているにもかかわらず、「もう一度会って話をしたい」と喫茶店に呼び出された。喫茶店には不動産屋も同席。

「いや、あの日、ご主人はあまり嬉しそうでなかったから。ボクは自分が貸す家にはみんながハッピーな気持ちで住んで欲しいから・・・」と言う。確かに見に行った日は、狭いと言う理由で夫は乗り気ではなかった。でも、「2500ドルだよ、2500ドル。3ベッドで、あの綺麗さで、地下もあって、2500は絶対に得だよ!」と言う私の説得で、夫は結構乗り気になっていた。で、「夫も娘もあの家が気に入っています。本当は、われわれに支払い能力があるか、正直言ってそれを心配されているんじゃないですか?」と聞くと、「はっきり言って、それもあります。」

大家は私たちが引っ越す理由がお金をセーブしたいからと聞き、しかも3900ドルのところから2500ドルのところに移ると聞いて、ものすごく警戒していた。借金があって支払いに困っているのじゃないか・・・と疑っていたらしい。そこで信用調査もされた。(されたと言うか、自分でやって、その書類を提出させられた。驚いた。既にキャンセルしたものも含めた、これまでにアメリカで持っていたクレジットカード24枚の全ての取引結果がぞろぞろ出てきた。カードを作ると、初回の買い物が20%オフとか言う文句につられて、その1回のために作ったカードが何枚あるか・・・。初めてオハイオに引っ越した時、お金がなくて、分割払いで払った家具代まで。怖ーい。) でも、全てに関して「期限内に支払い。延滞なし」と書かれ、「優秀な」信用履歴の持ち主であることが証明された。ふん!どんなもんでぃ。(夫のほうは信用履歴が短いので、ちょっとしか出て来なかった。)

「それにしても、あそこにお住まいの方は、皆さんいい車に乗ってますね。」
私が言うと、大家さんも「ほんと、僕も常々思ってました。僕の車も古いトヨタだから。でも僕はノーウォーク在住だから、そこじゃみんな車はそんなもの。」 
グリニッチで銅線を扱う小さな会社を経営している大家さんは、本当は大金持ちなんだろうけど。

余談だが、ご自分の信用履歴をご覧になりたい方は、下記のサイトで無料で1年に1回見ることができる。(本人確認のため、細かな質問をされるのだが、一時的に郵便を転送させてもらっていた友人の住所まで質問内容に出て来たときは、一体どこまで知られているのか、本当に恐ろしくなった。)
https://www.annualcreditreport.com/cra/index.jsp


引越しは6月末か7月初。今の家の借り手が早く見つかれば、もう少し早く引越しできる可能性も。

先週末辺りから、不動産屋に連れられて、興味のあるという人たちがこの家を見に来始めた。お陰で常に家の中は片付いていて、気分もいいのだ。あの荒れ放題のシナコの部屋さえ、今はすっきり片付いている。これって、思わぬ副産物。

基本的に私は引越しが好き。だって不要なものが思い切って処分できるし、掃除も隅々までできる。これから引っ越すまで忙しいけれど、気分は浮き浮きである。だいたい、唯一の例外である5年間同じ家に住んだオハイオを除いて、結婚してから2年置きに宿替えして来たので、ちょっと同じところに長くいると、動きたくなるのだ。

ところで、今のこの家、4100ドルで広告が出ていた。このボロ家に4100ドルねぇ。どこまでもがめつい大家である。なのに昨日も日本人が二人、おとといも一人、今日も留守中に誰かが見に来ていた。

見学に来る前には必ず不動産屋から連絡があるものの、家人が留守の場合も、自由に家に入れるように、合鍵が用意される。

合鍵は写真のような入れ物に入れ、ドアノブなどにつるされる。この家も、Multiple Listingと呼ばれる複数の不動産屋の扱いになっており、この容器を開ける鍵は(レーザーのようなもので電子的に開錠していた)、それぞれの不動産屋が持っている。

私が物件探しをしていたときも同様で、Multiple Listingの場合には、何軒もの不動産屋から同じ物件の情報が入ってくる。賃貸者が支払うコミッション(通常は家賃の1か月分)は、その家を実際に扱う不動産屋と、実際にお客を連れてきた不動産屋の間で折半するらしい。

下のウェブサイトの一番上の2500ドルが新しい我が家。
上の電車の駅名をそれぞれクリックすると、各駅周辺の物件が見られます。
残念ながらリバーサイドをクリックしても、今のこの家は、現時点では掲載されていません。
http://www.shoenrealty.com/ct_l.asp?codeloca=110


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明日から来客があり、しばらく忙しくなる。2週間後のキニコの卒業式に参加したいと、オクラホマ州からアメリカのお母さんがやって来ることになっている。キニコの卒業もさることながら、ニュージャージーとブルックリンに住む実の娘とその家族に会うことも兼ねている。実の娘たちは冷たいもので、出迎えてもくれないし、家に遊びに来いとも言ってくれないらしい。私はもう何十年もお世話になっているし、空港への送り迎えもするし、”義理の息子”の中で一番優しいと言われている夫も、マンハッタンでご馳走してあげようと言ってくれている。どことも、実の子供と言うのは冷たいものなのだな。

と言うことで、またしばらくブログが更新できそうもありません・・・。

避妊(2)

にわかに忙しくなって、しばらくブログを更新できなかった。

高校生のピル使用に関しては、以前住んでいたオハイオでも事情は同じなのかしらん、とあのブログを書いた直後に、元同じ職場だった生まれも育ちもオハイオの友達にメールで尋ねてみた。彼女にはキニコと同い年の娘がいる(優秀なんだわ、これが)。

彼女の返事のメールには、こう書かれていた。
「聞く相手としては、私は一番相応しくないかも。私自身、ピルを使用したことがないし、もちろん娘も使っていません。さりとて、私たち夫婦もこういう話は娘にきちんとしているし、彼女も必要とあれば私たちに話してくるでしょう。私の席の周りにいる数名の同僚にも聞いてみたけれど、どこの娘もピルは使用していないようです。」

なるほど。
やっぱり、比較的リベラルな人が多い東海岸特有の事情なのかしら。それとも、恐らく保険が利かないピルの使用は、お金持ちでなきゃそんな早くから使わないとか、そう言うこともあるかも。

2008年5月7日水曜日

ボクの価値

またしても、ボクの価値がアップした。
価値が上がっても、これまで以上に大事にされたりもしないんだけど、ま、これで簡単に捨てたりはされないでしょう。

数日前、ママに連れられて予防接種を受けに行った。予防接種のタイミングからは、既に5ヶ月も遅れてたんだけれど、めんどくさがり屋のママは延ばし延ばしにしていました。

ようやく重い腰を上げて連れて行ってくれたのはいいのだけど、僕は前回はアレルギーが出て死にそうになったので、ドキドキものでした。そこで、今回は 「事前にアレルギー予防の注射を打ちましょう。一番アレルギーの出やすいレプトスピラは辞めて、ボルデテラ、ジフテリアは打ちましょう。ジステンバーとパルボウィルスは免疫力が残っているか調べて、血液検査と寄生虫のテストもしましょう。」

日本で義務付けられている肝心の狂犬病は、毎年接種じゃなかったので、今回はパス。(それだったら、連れてくるんじゃなかった・・・)とママは思っているようでした。

「それでお幾らになるのでしょうか?」
ママが聞くと、先生はコンピュータのところに行って、
「これと、これと、これと・・・・注射とテストだけで、400ドルちょっとですね。」

ママは一瞬息を呑んだようだったけれど、この人は、100ドル越えると何が何だか解らなくなるのだ。で、「じゃあ、お願いします」なんて言ってたよ。僕は家に帰ったら、「え、このアホ犬のために400ドル?!」とパパが怒るのが想像できて、小さくなっていた。

すべてが終わってから、会計でママは462ドルも払っていました。
帰宅してから、なにやら書類をごそごそやってから、ママは叫びました。
「オハイオじゃ、注射全部打っても40ドルじゃない! アレルギーも出なかったし! これからは車でオハイオまで注射しに行こ!」

翌日、またお医者さんから電話があり、
「ジフテリアの免疫力が低い結果がでましたので、注射を打ちに来てください。値段ですか? 35ドルです。」
この35ドルに診察料が更に加算されるのだ。

ママは、二つ返事で、「では金曜日にお伺いします」だって。流石に今回は合わせても70ドル程。オハイオに行くガソリン代のほうが高そうだ。

2008年5月5日月曜日

避妊

またしてもキニコがこの週末、帰宅していた。卒業前に学校でシニアダンス(プロムのようなもの)と言うイベントがあるのだが、そのためのドレスを買いに。デパートに連れて行くと、運よくセールをしていて、98ドルでドレスをゲット。また数百ドルかかるのか・・・と恐れていただけに、ほっとした。

ちなみに、ダンスのエスコートに、悲しいかなボーイフレンドのいないキニコは、1年下の男の子を誘った模様。そいで彼の分もキニコが(=私が!)チケット代(35ドル)を払ったのだ。情けなや~。

「シニアダンスの前日には、大勢でマンハッタンのビレッジでロフトを借り切ってパーティーするんだけど、行ってもいい?」とか、「卒業式のあとは10日くらい家には帰らないからね。みんなと色んなところに行くの」とか、卒業を間近に浮き浮きムード。

「行ってもいいけれど、どこにいるか、誰と一緒か必ず連絡すること。お酒とドラッグは絶対に禁止!それと、セックスするなら必ずコンドームは使うこと。口は使わない。病気が移るかもしれないから。避妊はもちろんのこと、病気も怖い。コンドーム持ってる? 買って持っていく?」と私。
「分かってるよ。馬鹿じゃないから。そう言うことは学校の授業でも教えられている。まずそういうことしないし、もしその場合はちゃんとする。ママって私のこと信用してないんだね。」
「信用しているから、行かせるんじゃないの。だけど、アンタがどこで何をするか確認するのは親として当たり前でしょ。それに、そう言う状況になったら判断力が鈍るもの。もうどうでもいいわ~・・・ってなっちゃうから言ってるの。コンドーム要る?」
「要らない。必要だったら、学校の保健室のトイレに行けば置いてある。」
「へー?! さすが。」

それでふと思った。
「今年の夏、ピルをもらいに産婦人科に行こうか。どう?」
「そんなの、友達みんな飲んでるよ。ジェナなんか4年前からピルを飲んでるよ。お父さんが飲みなさいって言ったんだって。でもこの4年間、ボーイフレンドいたことないのに。は、は、は。」
「へー! さすが、アメリカやなー。ジェナのお父さんって何してるの?」
「医者。」
「やっぱり。ほかにみんなって誰よ?」
「リズでしょ、アンバーでしょ、XXでしょ・・・。生理も軽くなって楽だって。」
「エレンとかキュリとかは?」
「彼女たちは韓国人だから、飲んでない。」
日本人と同じような感覚だな。

そっか。高校生からピルを与えるのか・・・と、かなり驚いた。これは、リベラルな人が多いこの辺り、あるいは裕福な家庭でのスタンダードなのか。それとも全寮制の学校だからなのか。

一方、キニコのオハイオの同級生の中では、既にパパやママになっている子たちがたくさんいるようだ。キニコが中学のときに2週間だけボーイフレンドだったタイラーは既に2児の父らしい。

概して保守的なオハイオでは、高校生のピルの使用は一般的ではないのだろうか? 高校生の娘を持つ友人に今度聞いてみよう。ピルは通常保険でカバーできるのだろうか。そのあたりもピル使用の明暗を分けそうだ。

あ、ところで、シナコの友達はどうなのかな。シナコは超級の晩生だから、聞いても知らないかなー。

・・・早速、今、聞いてきた。やっぱり、「知らない! 何で私が知ってるの」だって。シナコは、こういう会話しないんだな、きっと。

2008年5月2日金曜日

わたしのペット史

実家では、イヌもネコも飼っていた。犬は常に外犬でオス、猫は常にメスだった。

最初のイヌはシェパードと柴犬の混血で、ラッキーと言う名の不幸なイヌだった。子犬でもらわれて来たが、訓練もされずに「あほ犬」呼ばわりされ、気がついたら保険所行きになっていた・・・。これまたアホな三人娘がまだ小学生になる前の話。

余談だが、ラッキーにまつわる三女の話。ある日母は、庭の七輪で魚を焼いていた。ラッキーが盗まぬよう、「見張っていてね」と三女に頼んで家の中へ。しばらくして戻ると、七輪に乗っていたはずの魚が消えている。思わず「ラッキー!」と叱る。ふと横を見ると、口の周りにこげた魚の皮をいっぱいつけた三女が満足気に微笑んでいた。

次が最初のネコのミミコ。これまた三人娘、特に次女に「猫かわいがり」と呼ばれる虐待を受けていた。ネコが落ちるときは必ず足から降り立つと聞き、好奇心旺盛な次女は、塀の上(屋根の上だったか)からネコを落とし、ちゃんと足から落ちるか実験した。また2本の前足と2本の後ろ足を、両の手にそれぞれ握って、自分の首の周りにぐるりと巻きつけ「ネコのえりまき~」と、得意げに友達に見せた。

三人娘が小学生の頃、実家を建て替えるために、3ヶ月ほど近所のアパートに引越した。ミミコはこれ幸いとアパートにはついて来ず、そのまま実家に残ったので、母が毎日餌を運んだ。そのうち、お向いの人が、「食事はうちであげますよ」とミミコに餌を与えてくださるようになった。3ヵ月後、ミミコは我が家に戻らなかった。お向いのお姉さんの香水の香りを漂わせ、あちらの家の塀から見下ろしている。呼んでもフンという顔。次女の虐待から解放され、ミミコは幸せに暮らしましたとさ、めでたし、めでたし。

次女が中学1年生のとき、近所の家で子犬が産まれた。毛がむくむくして可愛かった。我が家にやってきて、ムクと名づけられた。この頃より次女はようやく動物愛に目覚め、虐待はしなくなった。長女、三女がいい加減な散歩にしか連れ出さない中、次女は頻繁に散歩に連れて行ってやった。シャンプーしたり、毛を刈ったり、時にはマジックでメガネや眉毛を書き込んで、おしゃれもさせてやった。

1年ほどして、長女がチビと言う名の、長女と同じく貧相でチビな子犬を拾ってきた。ムクとチビは馬が合い、兄弟のように暮らした。

次女が高校2年生のとき、学校に迷いネコがやってきた。とても人懐こいネコで、帰宅する次女について来た。「ステやん」と呼ばれた。「捨て猫」だから、と思われていたが、本名が「ステファニー」と言うことは余り知られていない。超人懐こく、とっても可愛がってあげたのに、ある日誰かについていってしまったのか、帰ってこなかった。

しばらくして、弟(そう、この三人娘には年の離れた弟がいた)が雨の中、段ボール箱の中に捨てられて弱りきった子猫を拾ってきた。よったり、よったりとしか歩けなかった。そのネコはヨッタリと呼ばれた。よっちゃんは、拾い主に似て、あまり利発ではなかった。しかもやきもち焼きだった。来客があると、来客の持ち物にいたずらしたり、洗いたての洗濯物におしっこをするなどの、嫌がらせをした。余りの悪態ぶりに母も常に頭を悩ませていた。ある日、結婚した長女が、初めての出産で帰省することになり、赤ん坊にいたずらをしたら・・・と恐れた母は、よったりを自転車に乗せて遠いところに捨ててしまった。赤ん坊の顔を観るまで、生まれた子の顔が「猫面」だったら・・・とずっと母は怯えていた。

2年後、長女は近所で黒猫を拾い、飼えないからと実家に押しつけた。ヨッタリへの罪滅ぼしと、再び飼うことに。名前はクララ。アルプスの少女ファンの母は、ハイジの友達のクララから取ったという言うが、クロ猫だからクララという単純な発想だということは明らか。その1年後、クララがモモを生んだ。母は、「山口百恵が好きだから」と言うが、クララにモモと言うなんの脈略もない名づけに、母のセンスが推し量られる。

この後、相次いで次女も三女も実家を出て、残ったのは両親、利発でない弟、ムク、チビ、クララにモモ。

母は、ペットが死ぬ度に、遠方に住んでいた次女に黒い縁取りのある手紙を送った。初めて受け取ったときは、どなたが・・・と思って封を切ったが、中身は、「ムク逝去」、「チビ臨終」、「クララ死去」のお知らせだった。

ある日、老猫となったモモが、実家のガレージで寝そべっていた。仕事から戻ったあまり利発でない弟が、バックで車をガレージに入れようとすると、のそのそと、ガレージを離れるモモだった。が、その日は耳も聞こえなくなっていたのか、モモはその場を動かなかった。「ギャー!」と言う声に驚いて見ると、モモが車に轢かれていた。利発ではないが人一倍優しい弟は慌てふためき、急いで獣医へ。何とか一命は取り留めたものの、下半身不随に。

あわや寝たきり老猫かと思ったが、数ヶ月の母のマッサージとリハビリの甲斐あり、モモはみごとに普通の生活ができるまで復活した。それからしばらく生きていたが、数年前、17歳?で息を引き取った。

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実はこのほか、シマリス、セキセイインコ、亀も飼っていた。

シマリスのポリーには、籠から指を入れた時に血が出るくらい深くかまれて、思わず籠を蹴っ飛ばした。籠が上下さかさまになって扉が開き、逃げ出してしまった。さようなら、3000円!(1975年の話)。

セキセイインコのチー子は、真夏に、風通しが良いように庭の木の枝に籠をぶら下げてあげた。が、すっかり忘れて、気がついたときは籠の床に転がっていた。炎天下の日光にさらされて、水入れも空っぽだった・・・。哀れなチー子には、自作の哀悼歌を歌ってお別れした。

金魚鉢で金魚と共存していた亀。ところが突如、金魚が尾ひれの溶け出す恐ろしい病気にかかってしまった。日に日に尾ひれが小さくなって、ついには泳げなくなり、水槽に浮かんでしまう病気だ・・・と思っていたら、ある日、亀が金魚を食べているのを目撃。急遽、亀を小学校の池に放しに行った。

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さて、長女と三女は、現在ネコを飼っている。実家では常に犬は外で、ネコは家の中で飼っていたから、身近な動物のほうが可愛くて、二人はネコ派だ。

次女もずっとネコ派だった。が、娘たちにせがまれて、6年前にとうとう犬を飼った。気分屋なところが可愛いと思っていたネコだったが、家の中で犬を飼ってみて、ころっとイヌ派に寝返った。つれなくされても、叱られても、常にぴたっと寄り添って来て、気分屋のところがなく、いつでも大喜びでいそいそと主人を迎える犬の可愛いこと!

それとも、あまりに憎たらしい娘たちの反動で、従順な犬が可愛く思えるのだろうか。

ねこ新聞

今朝、夫が出かけたまま、つきっぱなしになっていたTVジャパンの「ペット相談」とか言う番組を、見るとはなしに観ていると、番組の最後のほうで「ねこ新聞」なるものが紹介された。

原さんという男性(編集長)が退職後に始めた月刊誌で、発行2年目で脳溢血で倒れられ、しばらく休刊されていただが、数年間のリハビリの後、2001年より復刊。猫ファンの間で根強い人気だとか。

紹介された新聞を見ると、毎月の表紙になっているプロやアマチュアによる猫の絵がなんとも愛らしい。著名人も多く猫エッセイを寄せているようで、猫が大好きなわが母親にはもってこいの母の日のプレゼントだと、早速、実家の住所で購読注文した。

母は絵も好きだし、文章を書くのも大好きだから、そのうち「ねこ新聞」にも寄稿するであろうと想像している。また盲人のために本や新聞を朗読して録音するボランティアもやっていて、いつも「何か読むものはない?」と探しているので、猫好き盲人のための格好の録音材料になると、我ながら素晴らしい母の日のプレゼントを見つけたと大満足。

原さんは、後遺症で体に麻痺が残ったが、この新聞を出すことを生きがいにされているそう。奥さんと二人の編集社で、暖かいものが伝わって来た。テレビの原さんの言葉に関西なまりを聞いた気がしたのだが、お住まいは東京だし、気のせいかと思っていた。すると注文後に送られてきた奥様のメールに、ご主人の出身は神戸の六甲と書いてあり、なんだか更に身近に感じてしまった。

猫好きの方、チェックしてみてください。 http://www.nekoshinbun.com/