2008年12月24日水曜日

メリークリスマス! & 書き納め

今日の午後、パリへ出発です。
滞在先のアパートは、一応インターネット環境を条件に探したので、多分インターネットは使えるのでしょうが、フランスだし、余り信用しておりません。(それともしばらくご無沙汰している間に、フランスにも文明開化の灯がともったのかなぁ。)

おそらく落ち着いて座ってブログを書く時間もなさそうですので(そもそも、自分のPCは持って行きません、娘は持っていくらしいので、いざとなったら借ります)これで今年のブログをおしまいにしたいと思います。

長ったらしい文章にも関わらず、今年1年、ご愛読ありがとうございました。
来年も、オモロイ、楽しい、為になる、愚にもつかぬことを書き綴りたいと思います。

Have a Merry Christmas and a Happy New Year!

PS. Blackberryはフランスでも使えるようにしましたので、メールは確認できます。

散髪

シナコが散髪に行き、髪が短くなった。ちょっと長めのおかっぱ頭で、まさに「東洋人」という風情。キニコには、中国人みたいと言われている。

随分前から髪を切りたいと言っていたものの、なかなか行く機会がなかった。と言うのも、私は日本人の髪を切るなら、日本人(または韓国人)と頑なに思っているから。これはこれまでの幾多の悲しい経験に基づいている。アメリカで髪を切る度に何度後悔したことか。たいていは、お金を払って髪を切った後に、自分で切り直していた。

日本人の髪は上手に切らないと、ガタガタが目立つ。これがガイジンの髪だと不思議と上手く流れて、きれいに見えるのだ。アメリカ人が下手と言うより、日本人の髪質に慣れていない、髪質にあった技術と道具を持ち合わせていないと言うことだと思う。日本人が、アフリカ系の人の髪を上手に切れないのと同じだ。

オハイオ時代、最初のころは自分で切っていたが、後半は韓国人の美容師を見つけ、いつも彼女にお願いしていた。現在はマンハッタンの日本人美容師のA子さんにお願いしている。シナコも8ヶ月ほど前、春休みに一度行ったことがある。「切るなら、日本人に限る」とシナコにもずっと忠告して来た。

A子さんには幼稚園と小学生の子供がいるので、平日は日中、週末は土曜日しか仕事をしていない。シナコは平日は無理だし、土曜日はたいていクラブ、ピアノ、友達の誕生会など、予定が入っている。それでずーっと、文字通り「伸び伸び」になっていたのだ。

本人も痺れを切らしたのと、切った部分が「10インチ(25センチ)以上の長さなら寄付できる」と聞いて来て、一昨日、寄付を受け付けているモールの中にある美容院に今日こそは行くと言う。

「どうなっても知らないよ」と私。
「友達は上手だって言ってたもん」
「日本人の友達?」
「違うけど」

切った髪は、がん患者のためのカツラに使用される。寄付と言うアイデアには賛同するし、物は試しと連れて行った。もちろん美容師はボランティアではないので、10インチを切り取った後、カットをお願いすれば当然料金は発生する。

シナコの髪を担当したのはヒスパニック系の女性。最初に髪を束ねて、ゴムで止め、止めた状態で10インチ分を、ハサミでジョキジョキ。余り切れないハサミなのだろう。ゴムでとめて太くなっていることもあるが、長いことジョキジョキやっていた。シナコの髪質はそれほど太くないのに。

切り取ったゴムで止めた髪の束を横に置き、それから洗髪、カットとなった。

さて、仕上がりは・・・。

案の定である。前髪はかなりガタガタ。長い部分が後から落ちてきて、真ん中部分には急に短くなった凹んだ箇所。後ろは散切り状態・・・。
料金は40ドルなり。チップも入れて46ドル払った。

帰宅するなり、
「ママ~、お願い、なんとかして~。これじゃ、どこにも行けない!」
「ほ~ら、言ったでしょ、絶対こうなるって。言ったって聞かなかったでしょ」
「だって、寄付するなら、A子さんのところじゃ無理だったもん」
「それはそうだけど。これで、やっとわかったよね」

それから1時間ほどかけて、シナコの髪を調整した。
自分で言うのもナンだけど、私の腕は悪くない。2005年に日本に帰るまで、10年以上娘たちの髪を切って来たし、今でもキニコの髪は時々切る。さらに、道具もプロ級の物を持ってるのだ。今回、アメリカに来る直前、日本で行っていた美容院でお願いして、そこの業者さんから特別に買ったのだ。定価が一本25,000のハサミと、18,000のすきバサミ。割引セール中で、2本で2万円だった。このハサミだと、切っていても絶対に髪が逃げない。逃げないからまっすぐ切れる。

A子さんは一本5万円のハサミを使っていると言う。日本人は道具にもお金をかけているが、アメリカ人の同僚に話すと、何故道具にそんなにお金をかけるのか信じられないと言うらしい。恐らく、大して切れないハサミでもボロが出ない髪質なんでしょう。

1時間後、
「良かった~! ママ~、ありがとう!」
と、いつになく素直なシナコであった。

2008年12月22日月曜日

今年の流行

車で出かけたとき、何台もこんな装いの車を見かけた。
ちゃんと角も見えるかなぁ。
(車種も色も同じですが、うちの車ではありません)

Snow Storm (大雪)



金曜日はスノーストームで学校はお休み。朝9時ごろから降り始め、夜9時ごろまで続いた。積雪量は沿岸部のこの辺りで30センチくらい。内陸部はもっと多かった。

その夜はコイオの会社のクリスマスパーティー。あまりの天候で、2時ごろまでは行く気なし。でもジョダを出すついでに外に出てみたら、思っていたほど歩きにくくもなかった。新雪でしっかり積もっているから、上を歩いても少ししか凹まないで、しっかり歩ける。相変わらず雪は降っているものの、気温はそれほど低くない。

この天気だと来ない人も多いだろう。すると恒例の「くじ引き」に当たる確率が上がる。関連会社などからの寄付で、毎年、大画面テレビだの、食事券、旅行券などが当たるのだ。

にわかに行く気になった。足元が悪いからスノーブーツを履いて、靴は紙袋に入れ、コイオのブーツも持ったら、大荷物になった。パーティー会場がグランドセントラル駅に隣接されたホテルだったから行く気にもなったのだ。駅から出ずに行ける。

何故グリニッチ駅まで車で行かないかって? そりゃ戻ってから車に積もった雪をどけるのは大変だし、駐車場内の除雪に来なかったら、車は出せないかもしれないからだ。

さて、パーティーの参加者は心なしか少なかった。が、読みが外れたのは、配偶者は参加していなくても、社員は来てるのよね。どうせ会社に来てるんだから、当たり前か。しかも、忘れていたけど、くじ引き券は参加者一人あたり一枚じゃなくて、一家に一枚だった!

おまけに、もっとショッキングなことが。中堅以上の駐在員は、くじ引き券に予め蛍光マーカーで印がしてあり、実はこれらはくじ引きの入れ物には入れられないのだそうだ!! なるべくローカルの社員に当たるようにとの配慮らしいが・・・。えぇー! そんなー! うちだって大画面テレビ欲しいよ!(どこの駐在員の奥さんも文句を言ってなかったけど、なんでみんなそんな寛大なの? 『来年からは、一家に一枚は止めて、参加者ひとりひとりに券を配って、社員の分は除いても、配偶者のは入れてください』と総務の人に頼んだら・・・コイオは嫌そうな顔をしていた。)

さて、パーティーの後、グリニッチ駅に帰り着いたのが11時頃。既に雪は止んで、道路は除雪されていたが、歩道は除雪されていなかった。みんなに踏まれて、ぼこぼこになっていて、歩きにくい。

翌朝、大家さんが除雪に来てくれた。でも、途中で雪が降って来たので、全部しないで帰ってしまった。

日曜日。少し暖かで気温がプラスに転じた。積もった雪が溶け始めたのは良いのだが、半分以上は車が通って踏み固められている。大家さんの土地の中はそれでも平坦なのであまり問題はないのだが、心配なのはここから大通りに出るまでの坂道。

越してくるときの一番の懸案は、果たして雪のときにこの坂が上れるかと言うことだった。近所の人に聞くと「大丈夫」と言うので安心したのだが、後で彼らはみんな四駆に乗っているのを知った・・・。

普通の雪ならともかく、このまま一旦溶けた雪が凍ると、どんな車だって滑るだろう。この坂は私道だが、うちの大家さんの持ち物でもない。待っていても誰も何もしてくれないから、歩く道兼タイヤのトラクション確保のために、片側の一部だけでも雪と氷をのけようと、スノーショベルを持ち出した。とりあえず一番下まで歩けるようにした。更に作業してると、すぐ下の地区のデュプレックスに住む女性も出てきてくれて、二人でちょっと頑張った。でも固まって取れない部分は、彼女が塩をまいて、しばらく待ってからやりましょう、という事に。

話しているとあまり長時間戻ってこないので、コイオが様子を見に来て、その後ちょっと手伝ってくれた。(彼はこういう作業を自ら進んでやることはないのである。どっちみち、彼のやり方が気に入らなくて、すぐに私はケチをつけるんだけどさ。)でもそれ以上は固まっていて、どうしようもなかったのでギブアップ。

今朝、気温がぐっと下がり、摂氏マイナス12度。学校は1時間半遅れ。テレビでもあらゆる箇所で凍っていると報道している。6時、外でエンジン音がして覗いて見ると、大家さんが塩をまいている。この中だけじゃなく、坂道も下まで塩をまいて、1時間以上作業していた。

先ほど彼から電話があって、「今朝の状況を見て驚いた」と、前面凍ってしまってことを謝っていた。彼はここから30キロほど離れたところに住んでいるのだが、日曜日は雨が降ったらしいのだ。その雨であたりの雪は流されたらしく、てっきりグリニッチも雨だったと思っていたんだって。私が除雪したことを話すと、これからは遠慮せずに言ってくれと言われた。

今、外に、大家さんの息子とヘルパーがやってきて氷を割っている・・・。申し訳なかったなぁ。昨日大家さんに言ってれば、もっと簡単に氷が取れたのに・・・。日曜日だから悪いと思ったけど、逆にそれがいけなかった。

今朝は右手がひどい筋肉痛。


2008年12月18日木曜日

シナコと一悶着

昨日の朝のこと。
いつものようにシナコはなかなか起きてこない。目覚ましは延々と鳴っているのに、止める気配もない。
部屋へ行って、
「起きなさい! 6時15分だよ!」
「わかってる!」
「わかってるんだったら、ベッドから出なさい」
「うるさい、あっちへ行って」

しかし全然起きた気配がない。再び、
「6時20分だよ!まだ寝てる気?」
「わかってる! うるさい!」
「わかってるって言って、あとで全然知らなかったとか言うでしょ!」
「言わない。わかってるってば」
「寝過ごしたって、絶対送って行かないからね!」

やはり起きて来ない。
「いい加減にしなさい。6時25分になってるんだよ。まさか今からシャワー浴びたりしないでしょうね?」
「・・・浴びる」
「何考えてるの! 時間ないでしょ!」
「うるさい!」

そして6時半ごろになってシャワーを浴びている。信じられん。6時45分迄には家を出なければバスに間に合わないと言うのに。

だいたい、この前日も前の夜に宿題をしているうちに寝てしまって、最後まで終わっていなかったため、朝に少しだけやる時間が欲しくて、私を拝み倒し、「お小遣いから50ドル(=1か月分)払うなら」と言う交換条件で、送って行ったのだった。

前日から、これこれこういう事情で送って行ってくださいと言うのなら送ってあげるのだが、寝坊したら送って行くのでは、それを宛てにしてぎりぎりまで起きて来ないのではないかと思うのだ。

シナコの眠りの深さは、尋常では考えられないくらいの深さ。起こすと必ず寝ぼける。毎回、起こすのに本当に疲れる。いい加減に何とかできないと、一人暮らしを始めたらどうするんだ。きっと、頭のどこかで、寝てもいいという意識が働いているからだと思うのだが。

オハイオ時代も、託児所として利用していたYMCAから家までは車で2分の距離。ピックアップしてから家に着く迄の、わずか2分に寝てしまう。寝ても起きてくれるのならいいのだが、寝たら最後、起きない。車から降ろすのも大変で、毎回ピックアップした後は、家に着くまで、「寝ないでよ」「寝てないよね」と15秒ごとに確認する。うっかりすると寝てしまうのだ。

毎日のクラブ活動、週1回のボイスレッスン、2週に1回のボランティア、週1のピアノ、おまけに大量の宿題、と非常に忙しいのはわかる。でも難しい授業ばかり選んだのも自分だし、忙しくなるのは予想していたはず。それにギリギリまで宿題しないで、インターネットでテレビドラマを見てる。だから夜更かしして朝寝坊しても同情の余地なしなのだ。

濡れたままの髪で、ジャケットを着ずに手づかみで、寒空の下へ飛び出して行った。既に6時48分。前夜は雪だった。道路の雪は今朝は解けていたけれど、バスは早めに来たんじゃないかな・・・。

案の定、5分ほどして帰ってきた。玄関に立ち尽くしている。当然、私は知らん顔。

しばらくして、
「ねぇ、送って行ってくれない・・・?」
「行きません。あれだけ、うるさいとか言われて、誰が送って行くものですか」

「パパ、送って行ってくれない?」
「そんな時間ない」
「えー、送ってくれて、そのまま車で会社に行ったらいいじゃない」
「あほか」

「・・・ママ、送って行ってくれませんか?」
「嫌です」
「・・・え~、どうしたら送って行ってくれるの? 何か代わりにするから」
「結構です。何もして欲しいくないです」
「え~、何かして欲しいことあるでしょ? 何でもしますから」
「いいです。歩いて行けばいいでしょ。それか大通りを走ってるバスに乗るか」
「歩いたら40分かかっちゃう。バスは全然来ないし」
「ママは中学のとき毎日40分歩いてました」
「だって、今からじゃ遅刻するもん」
「遅刻すればいいじゃない。休んでもいいよ」
「休みたくない、行きたいもん。遅刻もしたくない」
「そうやって、ごちゃごちゃ言っている間に歩いて行けば」
「そんなの無理」

延々こんな会話が繰り返された。私は昨日と言う昨日は、絶対に送っていくもんか!とかなり頑なに頑張った。でも、シナコはとってもとってもシツコイのである。こっちがだんまりを決め込んでも、しつこくしつこく食らいついてくるのだ。これを20分も続けていると、本当にゲンナリしてしまう。

で、とうとう、
「わかった。じゃあ、送ってってあげるけど、本当にこれが最後だからね! もう2度と寝坊したからって送りません。今度からは歩いて行きなさい。そうでもしないと、学習しないんだよ! その旨、ちゃんと紙に書いて。書いたら連れて行ってあげる」

そこで、シナコが書いた一筆がこれ。



次は、すんなり歩いていきますように!

2008年12月16日火曜日

National Do Not Mail List

電話での勧誘を一切断るために登録するNational Do Not Call Listの存在は広く知られている。

今度は更に、迷惑なダイレクトメール(郵送)を断ることができるようになったらしい。数日前に偶然ラジオで聞いた。

早速、インターネットで調べてみた。
詳しく読んでみると、ダイレクトメールを送る会社がやっているらしいが、各社が共通して使用しているリストの中から、希望者の名前を削除するというシステムらしい。要らないと言う人に送るのは無駄だという主旨らしい。National Do Not Call Listのほうは法的強制力があるので、罰則規定があったと思うが、こちらのほうは自発的な試みらしいので、強制力はなく、しつこく送り続ける業者からのダイレクトメールを阻止することはできないとのこと。逆に、特定のジャンルのダイレクトメールだけを希望することもできる。

毎日毎日これでもかとカタログやジャンクメールが届き、読みもせずにリサイクル用の紙袋に移している。紙袋もすぐに一杯になってしまい、月に1回のリサイクル紙収集日に出しそびれたら、翌月まで待たねばならない。だから量が減るのなら嬉しい。どれくらい効果があるのか不明だが、登録してみた。

あ、そう言えば、明日はリサイクル紙の収集の日だった。早朝に来るから今から出しておかなくちゃ。よくぞ思い出した!

National Do Not Mail Listの登録先はこちら。
https://www.directmail.com/directory/mail_preference/
(公的なサイトではありません。問題があっても関知しませんので、あしからず。)

キニコ、免許を取る

19歳を目前に、二度目の正直で、今日ようやくキニコは運転免許証を取得。
めでたし、めでたし。

前回は夏休み中で、運転試験を受けに来た子達が大勢いて、私は3時間も待たされた。挙句の果てが不合格。今回は受験者がほとんどいなくて、1時間後には全てを終えて、免許証を手にしていた。

前回の不合格の理由は、制限時速オーバーと一旦停止を正しく守らなかったこと。試験官は前と同じ人だったらしく、今回はダメだった部分だけを確認したので、運転時間もとても短く終わったらしい。車を降りる時点で既に合格を知らされたそうな。

と言うことで、今後は晴れて私はシナコの送り迎えから解放されます!
バンザーイ! (冬休み中だけだけど)
早速今日の夕方からシナコの体操の送り迎えを命じました。

で、夜になって気づいた。保険に入っていなかった・・・。
以前、保険会社に問い合わせた時に、免許を取った時点で連絡してくださいってことだったのに。
慌てて電話したら、もう時間外で留守電でした。

今夜は雪。道路のコンディションが悪ければ、明日は私が送り迎えかも。ちぇ。

ビッグスリー(2)

この頃、ブログの更新が頻繁だね~と言われる。
カウンターを付けて、1日にこんなに多くの人がアクセスしているんだと知ったら、何か新しいことを書いておかないと申し訳ない・・・と思って、書いていました。

ここ数日は、仕事があって忙しくしているのですが。

ビッグスリーについては、ブリッジローンが検討されている模様。実現すればGMとクライスラーはなんとか年を越せるのかな。

前回のブログで書いた、チャプター11で根本から経営を刷新すると言うのは正論だと思う。でも労働者や周辺への影響を考えると、確かに厳しい意見かもしれない。

正論だけじゃ、世の中上手く行かない。そのことも分かる。
それでも・・・。

やはり今回は、チャプター11で会社側に意思決定の余地を与えずに、思い切った改革をしないといけないと思う。そうすればUAWの力も弱まるし(この期に及んで、賃率のカットに合意しなかった)、労働者の意識改革にも繋がると思うんだけど。

一派一からげに語っても、個人個人のレベルでは、当てはまらない場合もあるし、私の偏見も大いに入っているけれど、思うに、アメリカの労働者は、概ねサービス精神ゼロ。与えられた仕事を100%もしない。経験したことのある人は多いと思うのだが、お店に行ったって、自分たちのおしゃべりに没頭して、お客が待っていようが知らん顔。

これは日本人の特質なのかもしれないけれど、往々にして私たちは与えられた仕事の120%を無償でこなそうとする。少なくとも私はそう。量での場合もあるし、効率や質での場合もある。自分自身と競争したりして、今日10出来ていたら、明日は11やろうと思う。コレやってと頼まれれば、アレも必要だと考えて、両方やる。そうじゃない?

アメリカも、昔はこんなじゃなかった、と思う。私が覚えている70年代のアメリカは、全てにおいて先進国だった。トイレもきれいだった。それが今、ここのどこが先進国なの、と感じさせられることが多い。このままじゃ、この国は衰退の一途。過去の栄光にだけ捕らわれて、自分たちの衰退・後退に気づいていない。

私にはそう言う思いがあるから、アメリカにカツを入れる良い機会だと思った。でもそれにしては代償が大きすぎる?

一方、今の日本の自動車業界の契約社員の解雇の話を聞いていると、本当に大変だと思う。企業の立場に立って契約社員の制度を奨励してきた政府に対して、ずっと腹を立ててきた。この制度は企業の成長の上で、便利なようで、実は何にも貢献しないと思う。契約社員が愛社精神を持つことなんてあり得ないから。

契約社員の人たちって、自ら選んでそうなったんだろうか? それとも雇用してくれるところがなくて、仕方なく? 前者なら彼らにも責任がある。一昔前にはこういう人も多かったのかもしれないけど、今は正社員になりたくてもなれない人が多いんでしょう。

この先どうなるんだろう。
ある中小企業の経営者が、とにかく今は耐え忍ぶしかない。じっと息を潜めて何とか持ちこたえたら、再び良い日がやってくるだろうって言っていた。本当にそれしかないみたい。

とにかくまじめに頑張れば、乗り越えられそうな・・・。それとも現実はそんなに甘くないのだろうか。

契約社員がどんどん解雇されている一方で、介護施設などでは人手不足と言っている。この辺もわかりません。資格がないとできない仕事なのか、それとも、こんな状況でも仕事を選んでいるのか・・・。

世の中の景気がこんなに悪い中、パリに旅行に行くなんて・・・ちょっと心苦しい気もする。切符は9月に買っていたのだ。ここまで景気が悪くなると、せっかくパリに行っても、るんるん気分で遊べないなぁ。今回の目的は、昔住んでいたあたりを懐かしく回って、ヴァレリーと、この10年余の話をキャッチアップすること。あとは、ひたすら食べる。

2008年12月12日金曜日

ビッグスリー

ビッグスリー救済案が上院で否決された。
確かにこれら三社が転んだ場合に、経済に与える影響は計り知れないとは思う。でも私は救出には反対だった。チャプター11(会社更正法)の下で整理再生するべきだと思う。

ビッグスリーの現在の惨状は、不況によって悪化したにしろ、根源は別のところにある。残すために残すというのは間違いだ。厳しすぎるかも知れないが、要らない部分は大きくそぎ落として、必要な部分だけを再生すればいい。一時的にビッグスリーのみならず自動車業界全体、地域全般、そして全世界の経済が影響を受けることは間違いないし、しかもその「一時」がどのくらいの期間に及ぶのかはわからないけれど、存続価値が大幅に失われた会社を必死に守っても仕方がないと思う。

労働組合UAWも諸悪の根源だったとしか言いようがない。労働者を搾取から守ったと言う意味で、UAWも過去にはその存在意義があった。でも今のUAWは既存の権利を守ることだけに必死で、それが効率や生産性の向上を阻んできたとしか思えない。

UAWではないが、ある日本の会社が、あるアメリカの製造会社に対して、日本で開発された新製品の製造のための研修を行うのに通訳として雇われたことがあった。日本から来たエンジニアが、アメリカの生産ラインで働く労働者に製品の作り方を説明するのだ。実際の部品を利用して、バラバラの部品が完成品になるまでの組立工程を全て行なう。

このときにアメリカの会社から説明があった。「組立作業はこられの作業者の仕事ですから、日本の方は、一切作業をしないでください。」 つまり実践してお手本を見せることも、部品をあっちからこっちに持ち運ぶこともいけない。全て口頭で説明して、アメリカ人作業者にさせなければならない。

ぱっとやって見せてしまえば簡単なものを、それができないのである。理由は、作業を代わりに行うことが労働者から仕事を奪ったと見なされるから。

そうは言っても実際に全てを作業者にやらせるというのは無理で、一部は日本のエンジニアがやるところもあった。その時、作業者は言うのだ。「僕らは構わないんだけど、これが労働組合に知れるところになると困るので、内々にね」と。

こうした一面を見ただけでも、労働組合が本来の目的を超越して、労働者を過保護・過干渉していることは明らか。いまや逆に労働組合に搾取されているような状態と言える。

ビッグスリーがスモールワンになることもあるかもしれない。淘汰されるのは仕方がないと思う。
(とは言いえ、きっと私の仕事にも大きくが影響があるんだろうから、歓迎すべきことではないのだけど・・・。)

ステーキ

昨日は生憎の雨で、シナコを体操の練習があるYWCAにドロップして、すぐに駅に向かった。ラッキーなことに、駅近くの高速の高架下に丁度一台分の駐車スペースが空いていた。75セントをパーキングメーターに入れた。これで4時間は大丈夫。多分6時以降は無料だと思いつつ確信がなかったので。

駅に着くや否や、5時の電車がホームに滑り込んできた。良かった。これを逃すと30分後までないのだから。ニューヨークのグランドセントラル駅に着いたのが5時45分。コイオとの待ち合わせまであと15分。慌てて駅構内にあるカード屋さんへ走り、結婚記念日用のカードを探す。あまりチョイスはなかったので、適当なのを選んで、そこでペンを借りてサインする。結婚記念日への深い思い入れが、15分前にカードを買うという行為によく表されている。

外は大雨。こんな日、マンハッタンのタクシーは絶対につかまらない。地下鉄と歩きでレストランへ。行ったのはQuality Meatsと言うところ。こんな雨の日に空いているんじゃないかと思ったら、レストランはすっごく混んでいた。カップル、友人同士もさることながら、スーツ姿の男だけのグループで、一見してビジネスディナーとわかる人たちが多い。ふん、マンハッタンのビジネスはまだまだ大丈夫なのだなと思った。(ビッグスリーがこけるまで?)

前菜はハマチの刺身&アボガドと、あれはなんて言うのだ。生牡蠣や海老・ロブスターなどが載ったプレート。正直言って、ステーキが来る前にお腹が一杯になった。

ステーキは焼き加減とか焦げ具合はとっても良くて、味も良かった。
が、やっぱり日本のお肉には敵わない・・・と言うのが私の結論。しかも大きいし、全部は食べられなかった。今後ステーキの時は、前菜なんかすっ飛ばして、いきなりお肉を注文しよう。そのほうが美味しく食べられるだろう。でも、やっぱりもうNYのステーキはいいや。

コイオにカードを渡す。コイオも今朝は「何にもないからね」と言っていた癖に、ちゃんとカードを用意していたじゃないか。
「いつ買ったの?」
「え、今日。会社の下で。」
ま、お互いそんなもんだ。でも用意しただけましでしょ。

帰りは更に大雨。グリニッチの駅から歩いて帰っていたらびしょぬれになっていたので、シナコの「せい」で駅に車で行ったのではなく、シナコの「お陰」で駅に車で行ったことになった。

帰宅するとシナコはまだご飯を食べていなかった。可哀そうに、ジョダもまだ餌をもらっていない。「なんで残したお肉持って帰ってくれなかったのよ~」と文句を言いながら、シナコは電子レンジで昨日の八宝菜をチンして食べた。

2008年12月11日木曜日

キニコの冬休み

明日の午前中でキニコの大学の授業は終わる。早っ!
大学から駅までのバスは事前に予約が必要だし、電車の切符も事前に買ったほうが安い。
先日、キニコが電車で帰ろうか、それとも迎えに来てくれる?と電話で聞いてきたときに、つい慈悲深い気持ちになってしまって、迎えに行ってあげると答えてしまった・・・。後悔。

と言うわけで明日は片道3時間、渋滞すれば4時間の道のりを、ペンシルバニア州の片田舎まで往復せねばならない。これで1日つぶれる。ガソリンがちょっと安くなって良かった。

大学の休みは1月18日まで。1ヶ月も! 高い学費取っておいて、ぼったくりだよね。8月25日始まって5月12日まで。途中、10月に5日、11月に1週間、冬休み1ヶ月、3月に10日のお休みがある。1ヶ月30日として、200日余りしか学校にいないんだよね。すぐお金に換算したくなるんだけど、5万ドル÷200日=250ドル。1日250ドル! 

あぁ、キニコが帰ってきたら、またしても言い争いになるのかと思うと気が重い。今の学校が気に入らないと言って、随分前から編入を口にしている。編入そのものに反対しているわけじゃない。高い学費を払っているのだから、嫌々行って欲しくはない。でも、口で言っている割には、アクションが伴っていないのだ。そこのところに腹が立つ。本気で編入するなら、もうそろそろ願書をだしていい頃なのだ。

キニコの言い分は、「学校の授業が面白くない、中味がない。あれなら高校の授業の方がずっとレベルが高かった。」でも良く考えてみると、それもそのはず。キニコの高校は私学で、しかも他とは比較にならない最高級の授業だった。クラスの人数だって平均10人~12人ほど。質が高くて当たり前。

編入先は公立を考えているようだから、授業の質は更に落ちるだろう。自分が受身である限り、授業から得られるものは、どんどん少なくなる。そのところが分かっているのだろうか。

私が話そうとすると聞く耳を持たないし・・・。正直言ってキニコの帰宅は、ちょっと気が重い。

パリ~!

今日で結婚20周年!

結婚式は12月11日だったけど、法律的には11月16日がそうだった。なぜ入籍だけ早くしたか。別にできちゃった婚という訳でもない。本当は私の両親と姉夫婦の結婚記念日である11月23日に、うちも合わせようとしたのだ。生涯祭日で、いいなぁと思ったから。ま、結果的には勤労感謝の日は生涯祭日にはならなかったけど。

届出の前後の日付なら、いつでも入籍できると思い込み、16日に区役所に行った。すると過去にさかのぼっての日付では提出できるが、先の日付ではダメだと言われた。また来るのがめんどくさいし、わざわざ会社を半休してたので、もういいか、とその日に提出してしまった。

波乱万丈の20年、と言うわけでもなかったけれど、7年の別居で、あわやこれまでかと思った時期もあった。でもまあ何とか無事に今日と言う日を迎えることができた。ぱち、ぱち、ぱち。

と言うわけで、今日は2人でステーキハウスに行く予定。別段ステーキがどうしても食べたいと言うわけでもないが、ニューヨークに来て一度もステーキを食べに行ったことがないと、ずっと私が文句を言っていたのでステーキと相成った。肉好きのシナコもおまけで連れて行ってやろうと一応誘ったのだが、一昨日と昨日はコーラスのコンサートのリハーサルと本番のために体操部の練習を休んだので、3日連続で休むのは嫌だと、辞退された。実は一緒に行ってくれたほうがありがたかったんだけど。だって5時からの練習に早めに送って行き、その足で、駅の駐車場に車を止めて5:00の電車に飛び乗らねばならない。レストランは6時半にしか予約が取れなかったので。シナコは練習後はタクシーで帰宅することになる。

さらに20周年を記念して、出会ったパリに旅行に行く事にした。ニューヨークからパリは、日本と比べるとずっと近い。駐在中に是非行きたいと思っていたのに、いまだ実現していなかった。フランス人の親友のヴァレリーとも、もう10年余り会っていない。娘のマリアちゃんはもう6歳になっていると言うのに。

と言うことで、冬休みの1週間はパリで過ごすことになった。当初は娘たちはお邪魔虫と思っていたが、家族揃って海外旅行なんて、この先ないかもしれない。二人ともフランス語を勉強してる(た)し、仕方ない、連れて行こう。ホテルは高いし、4人だと2部屋要るので、アパートを借りた。1ベッドルームだが、リビングのソファーがベッドに変わる。

特に何をするという目的はない。一番楽しみなのはヴァレリーとマリアに会えること! そして焼きたてのパン、カフェクレーム、ワイン、フォアグラ、マカロン、アンジェリーナのモンブランとショコラ・ショー・・・食べることばっかりやな。ちょっぴりユーロが安くなってくれてよかった。

2008年12月9日火曜日

海外留学

メディアでもしょっちゅう話題になっているが、このブログでもアメリカの大学の学費が異常に高いことはもう何度も書いて来た。

1週間くらい前のニューヨークタイムズの記事で、「学費の安い大学への進学(パスポート要ります)」と題打った記事があった。それによると、アメリカの私大の学費があまりに高いので、海外の大学に進学する者が増えているとのこと。

実例として挙げられていたのが、イギリスのUniversity of St. Andrews。この大学では現在、全校生徒7200名のうち1230名がアメリカ人だそう。10年前はわずか200名だったらしい。本年度の入学者350人中アメリカ人は100人以上だそうだ。St. Andrewsと言う学校を私は知らなかったのだが、アメリカのアイビーリーグやリトルアイビーに進学する代わりに選んだと言う生徒が記事に載っていたから、名門なんだろう。

無論、留学理由は、選考基準の違い、カリキュラムが違うので興味ある科目だけ履修できるとか、アメリカにない科目の専攻だったり、本来の目的である海外生活体験と言う理由もあるにはあるが、急増の理由はやはりお金だろう。

St. Andrewsのサイトで学費を調べてみたら、2008-2009年度の学費は11350ポンド($16884)。食事を含む寮費は、寮によって異なり4200~5710ポンド($6250~8500)。アメリカの私大と比較して2万ドル余り安いことになる。渡航費を含んでもまだ安い。

みんな考えることは同じでアメリカ国外の大学の競争もこうして激化してるのだから、キニコがカナダのマギルに入れなかったのも仕方ないな。

2008年12月8日月曜日

バレット食道

「バレット食堂」という飲食店名の変換間違いではありません。
これは、先日、夫のコイオに下された診断。

食道に胃酸が逆流して攻撃されると胸焼けが起き、これが繰り返されると食道炎(焼肉の食道園やおまへん)になってしまう。健康な状態では胃と食道の間には「噴門部」という部分があり、胃酸が食道に逆流するのを防いでいる。しかしこの機能が何らかの理由で不全になると、慢性的に胃酸が逆流し、食道であるにもかかわらず胃の粘膜に近い構造の粘膜組織ができてしまう。これをバレット食道と言うそう。

コイオがGERD(胃食道逆流症)であることは去年の健康診断でも言われており、ずっとprilosecと言う市販の胃酸を押さえる薬を飲んできた。それでも良くならず、今回は一歩進んだバレット食道の診断。

バレット食道の人の2割は食道がんになる可能性があるらしく、組織検査をすることになった。看護婦さんは「みんながみんなガンになるわけじゃないですから・・・」とコイオを励ましてくれたそうだが・・・。コイオの家系はガンの家系。父親は前立腺がんで亡くなっているし、叔父(母の弟)は白血病で亡くなっている。

今回の診断に本人もかなりショックだったと見え、これまで何度私が言っても聞かなかったのに、今後はミントを一切食べないと言った。(信じられないと思うが、ミントを1日で一缶くらい「食べて」しまっていた。あんなものは通常1日数個「なめる」程度でしょ。)

のみならず、朝のコーヒーも半杯にし、その後一切飲まない。お茶やコーラなどカフェインのあるものは一切やめ、食事も早めに取り(お陰で帰宅が少々早くなった)、就寝の3時間以内は何も食べない。

休むときも身体を起こして寝たほうが良いらしいので、金曜日にコイオが会社に行っている間に、どんな補助具があるのか、インターネットで調べてみた。

腰から上を少し起こすための斜めのパッドがあるのだが、これはシーツとマットレスの間に入れるものらしい。我が家はクィーンベッドなので、シングルサイズのパッドを買えば、マットレスの半分以上の幅のパッドが私の側に進出することになる。うーん、やだなぁ。

更に調べると、こうしたからだの半分を起こすパッドを使用するより、からだ全体を斜めにしたほうが寝やすいし効果的だとのこと。角度をつけるために、マットレスとベッドフレームの間入れる斜めのサポートがあるのだが、このサポートが200ドル程する。

もう少し調べると、最も手っ取り早く、経済的かつ効果的な方法は、「ベッドライザー」と呼ばれるベッドの高さを上げるための「足」を入れること。

既に私たちのベッドではベッドライザーを使っている。ベッドの下が衣装ケースの入る収納スペースにするために、4本の足にライザーをかませているのだ。このうち足元の2つのライザーを外せば良いのだ。

早速ライザーを2つ外した。するとベッドが斜めに傾く。最低15センチの高低差をつけなければならないらしいが、これで前後の高低差は13センチ。ま、いいでしょ。

「お前がしんどいからいいよ」とコイオは言ったが、私も試してみたかったので金曜の夜はそれで寝てみた。
確かに傾いてはいるけれど、体はまっすぐなのであまり違和感なく眠れた。

が、翌朝目が覚めると、体が前に滑っていて、足が2センチほどベッドの裾からはみ出ていた・・・。更に何だか腰が痛い。翌朝が土曜日で、いまだ時差ぼけを理由に昼前まで12時間も寝ていたからか?

土曜の夜もこの状態で寝たけれど、コイオは全く問題ないらしいが、私の場合は、やはり腰の辺りに体重がかかるらしく、目覚めると腰が痛い。今朝は朝方腰が痛くて目が覚め、身体を180度回転させて、足を高いほうにしたら、腰の辺りがすっと楽になった。やっぱりこの斜めのベッドは私には合わないらしい。

これは床を分けるか、ツインを2つ並べたタイプのキングサイズのベッドにするか、いびつに段が付こうともコイオの側にパッドを挟むか、今まで通りにコイオの食道に胃酸を逆流させるか・・・どうしたらいいかなぁ。

ちなみに組織検査の結果が土曜日に来て、「悪性細胞は発見されませんでした」とのこと。まずは一安心。

PS
なぜ夫のブログでの名前がコイオなのかと聞かれたことがあるのですが、「恋しい夫」と書いて恋夫。
と思わせておいて、本当は夫の顔は非常に濃いので、濃男、です。

2008年12月4日木曜日

日本滞在記

今日はようやく腹痛も収まった。けど昨夜はお腹が痛かったから睡眠導入剤を飲まなかったら、2時半に目が覚めて4時半まで寝る努力をしたけれど寝付けず、とうとう起き出した。

ボストンの仕事が終わったらゆっくりしようと思っていたのに、帰宅するなり有難いことに、翻訳の依頼が舞い込んで、しかも「簡単に終わる内容です」と言われて受けたら、蓋を開けてみると結構細かくて時間がかかる。おまけに期日も厳しくて、日曜日一杯に仕上げなければならない・・・。

腹痛で体力を消耗し、寝不足でしんどい身体に鞭打って、翻訳もしなくちゃならぬ。留守の間に家も散らかっている・・・。だからブログなんて書いてる暇などないのだ。

と言いながら、古くならないうちに・・・。

まず、今回の帰国で痛感したのが、日本の少子高齢化の現実。10月に両親が遊びに来たとき、出かける度に「アメリカはほんまに子供が多いのう」と父が言っていたが、逆に日本に帰って、なんて老人が多いんだと思った。

特に実家の芦屋は顕著。スーパーに買い物に行くと、白髪頭かごま塩頭しか目に入らない。レジではカートに乗ったカゴをレジの台に移すのが専門のおじさんが巡回している。老人には重たい作業だからだ。(乗せ換えてくれるおじさんも、結構老人だったんだけど。)

またレジの横には別の列がある。何の列かと思いきや、母が「今日はお米を買ったから配達してもらう」と買ったものを持って、その列に並びなおす。65歳以上は配達無料なんだそう。へぇー。

私がうろうろしていた時間帯が子供たちが学校に行っている時間なのかどうかわからないけど、確かに関西でも関東でも、あまり小さい子を見かけなかった。本当に子供が減っているんだなぁ。

今回、急遽関西に戻ることにした理由は義母。最近言動がおかしいと気づき始めた。夫を亡くして25年間一人暮らし。自分でも一人暮らしの限界を感じて、最近は同居を口にし始めた。当初は義母がまだまだしっかりしていると思っていたので、なんとしても阻止せねば・・・と思っていたのだが、帰国して義母の様子を見て、あぁこれは一人では無理かもしれないと感じた。

かと言って長男であるコイオの兄も住居は千葉だし、さほど広くもないマンションに二人の息子のうち、まだ一人が住んでいるし、今すぐにと言うのは難しい。うちも海外だし。住み慣れた大阪を離れるというのもどうなんだろう。

私の姉がケアマネージャをしていて、独居老人で支援が必要な場合は介護保険を利用して色んなサービスが受けられるから申し込めばと助言してくれ、取りあえず義兄が申し込んでくれた。最近はちょっとしたお手伝いに来てもらったりしているよう。

確かにそう言う年齢に自分が達して来たきたのだとも言えるけれど、高齢化の問題を身近に感じる今日この頃。

さて、関東に移動して数日仕事したあと、中学時代からの友人の家に転がり込んだ。彼女は私がフランスに住んでいた時に半年あまり私のアパートにいた。以来あだ名はイソウロウ。今度はイソウロウのアパートに私が居候。しょっちゅう会っている訳ではないけど、会えばすぐに昔の2人に戻る。こういうのを腐れ縁って言うのかな。

再び地方巡業に出た後、今度は大宮の友達の家に転がり込む。大宮に滞在中は、大いに笑い転げた。お寿司を食べに行ったり、1日はオハイオからの友達がもう一人加わって、3人で盛り上がった。噂に聞いていた「豆乳鍋」も食べられたし、お仕事を通して知り合った別の友人に、私のたっての願いで「博多一風堂」のラーメンを食べに上野に連れて行ってもらった。

残念だったのは友達が風邪を引いていて、あまり引っ張り出すこともできず、日中は我が身の癒しの時間にしようと、毎日マッサージやらフェイシャルらに勤しんだ。

この辺りだけなのか、今じゃ日本のどこでもそうなのか、オイルマッサージ、タイ式マッサージ、岩盤浴、サウナ、スパ、フェイシャル、整体、ネイルケア・・・ありとあらゆるお店が至る所にある。大宮・浦和界隈のこうしたお店の割引券がホットペッパーという無料誌にたくさんついていて、それらを駆使して毎日違う店に通った。

1日目は友達も一緒に行ってくれたオイルマッサージと足の角質除去。足はつるつるになるし、マッサージは垂涎もの。

2日目は岩盤浴・ボディーマッサージ・フェイスマッサージのセット。安っぽい外観とは異なって、中は高級リゾートホテルのような造り。小鳥のさえずりが聞こえる。ドーム型の岩盤浴に45分のあとは60分のマッサージ。「強くお願いします」と言ったら、本当に結構な力でマッサージしてもらって、時々痛いくらい。最後はフェイスマッサージ。思っていたのとは違い、ボディーマッサージの続きで、顔の筋肉とか頭皮のマッサージ。これもちょっと痛かった。

3日目。これぞ今回のハイライト。顔のしみ取り体験。若い頃から好んで思い切り太陽を浴び、お化粧だって30過ぎまでしていなかったことがたたって、お気づきの通り私の顔はシミだらけ。どうしたものか。今回も資生堂のお姉さんに「騙されたと思って」と言って騙されて、高いHAKUのローションを購入させられ、カバーマークのお店でも、「これで隠せます」とコンシーラーを買わされ、挙句の果てに、自らこんなお店に飛び込んでしまった。

お店では、まずカウンセリングと称して30分もお姉さんとお話。そのあと150分の施術が待っているのである。広告では「メラニンのお土産をお持ち帰りいただけます」とあった。ところがイオンの力だかなんだかでメラニンを除去するというトリートメントは1回では無理。何回も通って徐々に取っていくため、私のような一元さんには無理だと言う。その代わり、「今日はお顔の汚れを取りましょう」ってことで、ありとあらゆることをされた。

極めつけはこれ。顔中ぐるぐるにさせられたあと、お姉さんが鏡を持ってきて、「はい、見てください。」
目まで覆われているのに、見えるか・・・と思いながら鏡をかざすと、ガーゼの隙間から見える。思わず爆笑。何やこれ! 仮面ライダーのショッカーの一味か。何でも電気を通して顔にはりとつやを与えるとか。

あんまり面白いから、お店のお姉さんに写真を撮ってとせがんだ。「じゃ、お客様の携帯のカメラで」と言われ、「いえ、私は持ってないんです。貴方ので取って送ってください」と厚かましいお願いをする。だってあんまり面白いんだもん、皆さんにシェアしない手はない。(羞恥心ちゅうもんがアンタにはないんか?)



この後、お願いだからメラニンのお土産持って帰らせてと食い下がり、ちょっとだけメラニン除去をやってもらった。半径1ミリにも満たないほ~んの小さい点の部分のシミの上に、金属の突起物を当ててグルグルすると、あーら不思議、黒いメラニンが少し取れる。でもその下部にもまだまだあるので、実際は時間をあけて、少しずつ取っていくそうな。この日取ったメラニンは、言ってみれば、地球上の全陸地が私のシミとすると、淡路島の表面の部分をちょっと剥がしたくらい。全部取るには、かなりの投資と忍耐が要求されそうだ。

あーつくづく、人の弱みに付け込んだ商売だ。

2008年12月3日水曜日

お腹痛

めずらしくお腹をこわしている。こんなに腹痛が続いたことはないのに・・・風邪引いたのかな。

今日は仕事が早く終わり、2時半には解放されたので、6時にはボストンから帰った。

今回の仕事場は機密保持の理由でセキュリティーが非常に厳しい所で、トイレも一人では行けませぬ。必ずエスコートが付くのである。会議のメンバーに女性がいないことも多く、そんなときは男性がエスコートしてトイレまで付いて来て、終わるまで外で待たれるのであります。何と落ち着かない。

幸い今回は女の子が会議のメンバーにいたので、トイレの度に彼女に付いて来てもらった。昨日からお腹の調子が悪く、会議の途中、何度中座しようと思ったことか。なんとか休憩まで頑張って、彼女にお願いしてトイレへ。あまり何度も行くものだから、「お腹壊しているの・・・」と告白せずにはおれません。

ホテルに戻った後も、みんなでシーフードを食べに行きましょうと盛り上がっていたのに、一旦部屋に戻ったら緊張が解けたせいか、猛烈にお腹が痛くなって、食事に出かける時間までの1時間を殆どトイレで過ごした。レストランに出かける気力もなくなり、結局は断って、ずっと部屋で過ごした。(ロブスター食べたかったなぁ。)幸いこのホテルは、簡単な夕食が無料で用意されているので、それを部屋に持ち込んでちょっとだけつまんだ。

暖かいお風呂につかったら、ちょっと治まり、早々と寝るにした。夜中にお腹が痛くて一度目が覚めたけれど、しばらくするとそれも鎮まってくれた。朝になり、何だかすっかり治っているような気がしたけれど、やっぱり何か食べると調子が悪くなる。でも食欲はあるのだ。

と言うわけで、今日も頻繁にトイレへ。ボストンから家までのドライブ中も何度かお腹は痛くなったものの、緊急停車は必要なく、なんとか無事家に帰った。でも、ずっとシクシク痛い。何だろうこれ。大腸炎かなぁ。

時差ぼけもちょっと残っているし、ビオフェルミンを飲んで、今夜はさっさと寝ます。体重ちょっとは減ったかなぁ。

2008年12月1日月曜日

お帰りなさぁ~い!ました

2週間の日本滞在の後、昨夜遅くコネチカットに戻りました。案の定、ワシントン乗り継ぎのJFK行きは、大した雨でもないのに、天候の為キャンセル。代わりに用意された飛行機は翌日の便。翌日(即ち今日)は、明日からの仕事のための移動日なのです。だからなんとしても昨日中に家に帰り着かねばなりません。

カウンターに行き、ラガーディア行きとニューアーク行きを確認するが全て満席。スタンバイするかと聞かれたけど、スタンバイして乗れる確証はない。我が家に程近いローカル空港のホワイトプレーンズ行きにあと1席だけ空いていると言う。小さな空港行きは便数が少ないし機体も小さいから、リスクはあったけれど、一か八か賭ける事にした。(その後、ラガーディア行きとニューアーク行きも一部キャンセルになったので、スタンバイしなくて良かった。)結局この便も4時間ほど遅れたけれど、なんとか無事に帰ることができた。でも予想通り荷物は出て来ず。クレームを出して、今朝航空会社に問い合わせたら、今日の1時ごろまでに荷物を宅配するという。今、もう2時半なんだけど・・・。(さっき運送業者から電話があったから、荷物が来ることは間違いないらしい。)

行きも経由地のサンフランシスコで、整備不良で6時間遅れ、関空に着いたのは夜の10時半。入国が済んで荷物が出てきたのが11時半。西宮行も、尼崎行もバスは終わっていて、大阪行きの最終バスにかろうじて間に合った。梅田に着いたのは12時半。

新阪急ホテル前のバス停からJR大阪駅へは、地下道に降りるか陸橋を渡るしか手がない。今回は、私にしてはめずらしくコンパクトに荷物をまとめたつもりだが、それでも重たい荷物を持って階段の上り下りをする気にはなれず、ホテル前の大通りの横断歩道もない交差点を、信号も無視して、斜めに横切って大阪駅へ。夜中だったから車も少なかった。

こんな遅い時間なのにホームには電車を待つ大勢の乗客。そうだ、今日は「花金」だった。鈍行で座っていくか、快速に乗るか悩んだが、少しでも早く到着したいので、快速待ちの列に並ぶ。荷物があるから、もたもたして変なところに変な格好で立つ羽目になりたくないなぁ。

電車がホームに入って、扉が開く。早く乗って荷物を置く場所を確保したいと思っていると、後ろに並んでいた人たちが、われ先にドアへと流れ込む。思わずムッとして、「順番抜かししないでください!」と叫ぶ。「じゃあ、さっさと乗ってください!」と抜かした兄ちゃんに言い返される。

そこで我に返って恥ずかしくなる。あぁ、ここは大阪だった。並ぶという文化はないのだった。

電車の中でもみんな大声で談笑している。皆さんほろ酔いとは言え、ほんま、関西人はようしゃべるわ。

さて、じっくりと日本滞在記を書きたいところだけれど、明日と明後日はボストンで仕事なので、今夜、車で移動。そのための準備をせねばなりません。続きは帰ったらね。

PS
ブログの「読者」という欄を作ってみました。読者にどんな人がいるかってことらしいですが、多分ハンドルネームで登録できると思うのです。お読みの方、登録してみてください。
勧められて、ブログのカウンターも設置。これでどのくらいアクセスがあるか見られるのだけれど、自分でブログを書くために、内容を表示して確認したりしているうちに、どんどんカウントが上がっていっている・・・。