2009年1月30日金曜日

それとなく口説いてみると言う手もある

昨夜、テレビを観ていると電話が鳴った。表示された番号は、滅多に掛けて来ないキニコ。1月分の生活費兼お小遣いの100ドルを、キニコの口座にまだ入れていなかったから、またしてもカネの催促かと思いつつ受話器を取った。

キニコの大学近くにある銀行はワコビアだったので、グリニッチのワコビアで口座を開いた。けれど、夫の銀行はシティ。シティでは、名義の違う他銀行間の送金には25ドルの手数料が掛かる。100ドルのために25ドルなんて払えない。ワコビアまで行けばいいんだけど、寒いしめんどくさいし。どうせまだお年玉が残っているだろうからと放置していた。

「ママ、ちょっと教えて欲しいことがあるんだけど」
意外や意外、用件はお金ではなかった。
「あのさー、日本語の授業でわからないことがあるの」
そして、タイトルとなった文章を読み上げた。
「それとなく口説いてみると言う手もある」ってどういう意味?

キニコは後期から日本語の授業を取り始めた。

「何がわからないの?」
「それとなく、と、口説く」
「それとなくは、えーと、その、何となくって言うか、相手にわからないように、ほのめかすって言うか・・・」
「indirectlyってことやろ」と横からコイオ。
「ま、そう。フンイキで分からせるみたいな・・・。口説くって言うのは、男が女を、女が男をデートに誘うとか付き合ってとか言う・・・」
「それだけちゃうやろ、説得するってことやろ」
「あ、そっか。そんな意味もある。その一文だけじゃ、状況がわからないよ。何の話?」
「ベティーとXXの・・・の話」
「何だかよくわからないけど、男女の話みたいだから、やっぱりくどくはデートに誘うとかって意味だよ」
「よくわかんない。この文章、英語にしなくちゃいけないんだけど・・・」
「それは自分で頑張って。じゃぁね」

テレビジャパンで、解体新ショーのいいところだったのに、見逃したじゃないの。

それにしても、日本語の授業を取るって言っていたから、新聞でも読むのかと期待していたのに、小説でもなさそうだし、一体どんな授業なんでしょう。

2009年1月28日水曜日

また雪・・・

ほんと、今年は寒いし雪も多い。
今朝は夜中の3時ごろから降り始め、起きたらまだ降っていて、20センチくらい積もっていた。学校は休校。ニュージャージからコネチカットにかけて、広範囲で休校になっていた。

大家さんと息子が総出で、7時ごろから来て除雪してくれていたけれど、除雪する側から降り積もっていく。2時間半くらい作業していた。ようやく10時前に雪は止み、コイオも会社へ。

ニュースで、この辺りの市町村は軒並み今年の除雪予算を既に使い尽くしてしまったと言っている。予算がないからって、除雪しないわけには行かないので、別の予算を使う事になるのだろうけれど、不景気で資金不足の市町村が多いらしいから、大変だ。グリニッチも例に漏れず。

午後から気温がぐっと上がって、今度は雨。雪が全部溶けないうちに雨で、夜には再び気温が下がって零下になるらしい。明日は道路が凍って、また学校が2時間遅れかなぁ。氷に覆われないうちと、先ほど嫌々外に出て、車の除雪をした。あ~、もう疲れた。早く春になって欲しい。

2009年1月26日月曜日

川の字

このところずっと川の字で寝ている。
あ、バレッタ症候群の悪化防止用に相変わらずベッドを傾けたままなので、さしずめ「滝」ってところか。

寝始めは、川じゃなくて、「|・|」こんな形。それが次第に川の字に変わる。

川の字の真ん中は、勿論シナコではなくジョダ。最初はとぐろを巻いているので「・」なのだが、次第に四肢がびよーんと伸びて頭はフトンの外に。

ジョダの抜け毛は半端じゃないので、ベッドの上で洗濯物をたたんだり、洋服を広げることが多いので、そもそもはベッドの上に乗られるのも嫌だった。そこで寝るときは、寝室のドアを閉めてジョダが入れないようにしていた。

ところが、前の家のドアノブは普通の丸形だったのに、今の家はレバーの形をしている。ジョダは足でそのレバーを押し下げれば、ドアが開く事に気づいてしまったのだ。

最初は下のソファーで寝ていたジョダだが、気温が徐々に下がり始めると、いつの間にか部屋に入ってきて、朝気がつくとベッドの端のほうで丸まっていることが多くなった。それが更に寒くなり、夜中にベッドの中にもぐり込むようになった。ジョダが寝ていたところには、毛がべっとり。

ある日ペットショップで「Shed X]なるものを見つけた。何でも、これを餌に混ぜて毎日与えると、抜け毛が減ると言うのである。どろっとした透明の液体で、オメガ3とか6とか9が入ってるらしい。騙されたと思って購入。

これをジョダに与え始めて1ヶ月ほどしたころ、本当に抜け毛が減っているのに気が付いた。しかもジョダの毛質がとても柔らかくなって、普段あまり生えていなかったお腹の当たりの毛もビロードみたい。

最初はジョダが来るのを嫌がっていたコイオも、今ではジョダが湯たんぽ代わり。ベッドに入るなりジョダを呼びつけている。

人間にも効くか? 抜け毛にお悩みの方、お試しになっては。

2009年1月21日水曜日

しょうもない話

我が家の1階のトイレには、日めくりカレンダーがある。毎日ユーモアとちょっとした面白い話が書いてある、と広告にあったので、ネットで購入したのだが、はっきり言ってがっかりの内容。

でも、昨日のはちょっと面白かった。

1841年に第9代大統領となったヘンリー・ハリソン(67歳)は、自分の強さを誇示しようと、馬に乗ったパレードに、帽子・手袋・コートなしで参加。続いて、雪の中を1時間半あまりにわたる就任演説を行なった。ところが肺炎にかかって、就任からわずか1ヶ月で死亡。だが、このわずかな期間の中で、ひとつだけ彼が守った選挙公約がある。「2期目は、出馬しません」

亡くなったのは気の毒だけど、笑っちゃいますね。

就任演説

昨夜になってようやく演説の原稿がネットで入手できた。今朝の新聞にも全文が掲載されていた。

それを読むにつけ、ほんまに心に響く、鼓舞される、ええ内容やなぁと改めて感じる。

オバマ大統領は、就任演説の中で世界に向けたメッセージを盛り込んだ初めての大統領だったそうだ。外国人の私が心を打たれた理由のひとつはそう言うことにもあったのだろう。

演説と言うものは往々にして美辞麗句が並び、リップサービスに過ぎないことも多い中で、彼のスピーチには信念が込められていた。この信念が、様々な勢力や圧力に捻じ曲げられることもあるのだろうけれど、どうか出来るだけたくさん具現化して欲しい。(そうなったら、市民権取ろうかな、とさえ思う。)

去り行く人を悪く言うのはいいことじゃないけれど、ブッシュはどんな気持ちであのスピーチを聞いていたのだろう。いや、きっと何も感じていなかったに違いない。

ブッシュのことは大嫌いだけれど、ひとつだけスゴイと思えることがある。それはどれだけ非難されようと、罵倒されようと、決して動じないこと。私なんか靴を投げられたら、きっと精神衰弱で寝込むと思う。きっと彼は、誤って車で人を跳ねて殺したとしても、その夜はぐっすり眠れる、そんな人に違いない。それを精神力と言うのか、回路がどっかで切れているのかはわからないけど。

昨日の株式は、これまでの大統領就任日の中で最大の下げ幅だった。オバマ大統領になって、企業への規制が始まることを予想しての不安を反映したのじゃないかと思う。(素人の読みだから、よくわからないけど。)でも、私はそうなればと歓迎する。

富は分配されるべき。一人の億万長者や企業をさらに肥やせば、シャンパングラスのピラミッドのように、雫は徐々に下に垂れて、結局は平等に行き渡る、と言うのがこれまでの市場至上主義、企業擁護の考え方だった。でも実際にはそんな事は起きない。だって一番上のシャンパングラスは、一番下のシャンパングラスの数千倍の大きさなのだ。え、それじゃあ上の大きなグラスは支えられない? そんなことはない。莫大な開発費を投じて、特殊な樹脂で作られた特別仕様の超軽量グラスだから、ちゃんと乗っているのだ。そして更に容量を増やすべく、日夜努力が重ねられている。つまり富むものは更に富み、貧しいものはいつまで経っても下支えから脱することが出来ない、そんな構図なのだと思う。

再び庶民もアメリカンドリームが夢見れるようになればいいのになぁ。

2009年1月20日火曜日

オバマ大統領就任式

朝からテレビをつけっ放しにして、オバマ大統領の就任と演説を楽しみにしていた。

就任の誓いの言葉を途中で忘れて詰まっちゃったけど(と思ったら、判事の方が語順を間違えたので戸惑ったらしい)、続くスピーチは素晴らしかった。これまでの間違った(と言う言葉は使わなかったけど)方向性からの転換とアメリカの再出発を誓い、期待と希望を与えてくれた。

大統領が言った様に、現在の状況も昨日今日に起きたことではないし、問題が山積みなだけに、一朝一夕には成果が現れないだろう。でも、これまでのブッシュ政権の単独主義から脱して、各国と協力して行くと言った世界へのメッセージには、聞いていて嬉しくなったし、大いに期待したいと思う。

それにしても200万弱とも言われる人々が就任式を見に集まっていた。去年の春に桜を見にワシントンに行ったとき、公衆トイレの前に長い列が出来ていたのを思い出して、トイレは大丈夫かなとしょうもない心配をしてしまった。ニュースで「4100のポータブルトイレが用意された」と出ていたから、200万人として、487人につき1個。今朝のワシントンの気温は華氏で20度台(-5~-2℃)、風があって体感温度は11度(-11℃)・・・。スタンドでホッカイロを売ったら、売れただろうな~。

就任式を見ようと集まった人々の大半が黒人だった。この寒いのに・・・と思ったけれど、もし私がアフリカ系アメリカ人だったとしたら、やっぱりこの歴史的瞬間を自分の目で見て感慨に浸りたいと思ったに違いない。

とうとうオバマ氏が大統領になったと思うと、本当に今日は嬉しい。

2009年1月19日月曜日

映画いろいろ

同じく、「アメリカ人の半分はニューヨーク・・・」で触れられていた映画のうち、下記を見つけた。

この頃、日本のドラマの多くも、インターネットで無料で見られることを知って感激していたのだけれど、本当にいろいろ無料で見られて便利。

「華氏911」を作ったMichael Mooreの「Sicko」
http://video.google.com/videoplay?docid=6646340600856118396
アメリカには国民健康保険がない。またプライベートな健康保険を持っていても、保険料は高いし、自己負担金額がとても高い。さらに治療内容が保険会社に制約や拒否され、医師が勧める治療が受けられない場合もある。あるいは、既に治療した後に来た請求額が、法外な額で、そのために破産する人もいる。
こんな状況をインタビューを通して見せるドキュメンタリー。

カナダに国民保険があるのは知っていたけど、自己負担ゼロなんて知らなかった。移民するならカナダです!

「Death of a President」
http://video.google.co.jp/videoplay?docid=-383900990793045743&ei=W7ZzSdb7Ap7OqwLYia2yBQ&q=Death+of+a+president
イギリスのチャンネル4が作成したテレビ映画。ドキュメンタリー風に仕立てたフィクション「ブッシュ暗殺」。実際のビデオクリップなどをデジタルで細工して利用。アメリカでは放映されず。
どう見ても本物のドキュメンタリーの見事な仕立て。プロットもよく出来ていて、楽しませてくれる。ちりばめられたエピソードに込められたブッシュ政権への批判。

「30Days」シリーズ
マクドナルドだけを食べ続けたらどうなるかを自ら試したドキュメンタリー「Super Size Me」を作ったMorgan Spurlockのテレビシリーズ。既に50くらいある。本当は彼がオサマビンラディンを探しに行くエピソードを探したのだけど、フルのビデオを見つけられず。たくさんあった中から、面白そうなのを下記に4つ紹介。実は、私もまだ見てないんだけど:

「最低賃金で生活する30日」
http://www.hulu.com/watch/5287/30-days-minimum-wage

「子供のいるゲイカップルとの30日」
http://www.hulu.com/watch/24921/30-days-same-sex-parenting#s-p1-so-i0

「ストレートの男性がゲイと暮らす30日」
http://www.hulu.com/watch/5293/30-days-straight-man-in-a-gay-world

「アメリカのムスリムと暮らす30日」
http://www.hulu.com/watch/5276/30-days-muslims-and-america

暇つぶしにどうぞ。

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実は、上を書いたとき、Sickoの半分までしか見てなかった。今トレッドミルでエクササイズしながら(8日も続いている、快挙でしょ)残りの半分を見た。

子供を産んで(タダ)、子供を保育所に入れたり(1時間1ドルほど)政府派遣のナニーに見てもらいながら仕事したり買い物し、子供が大きくなったら大学に入れて(タダ)、老いて自分が病気になったら医者に見てもらって(タダ)、しかもおいしいパンが毎日食べられる。TVAは20%ほどで、所得税も高いけど、住むなら、特に子育てするなら、フランスだ! 今からフランス語勉強しようかな。(いえ、もう子は産みませんが。)

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書き足りなくて、さらに追記。

北欧は言うまでもなく、カナダ、フランス、イギリス、イタリアなどは、自己負担は殆どゼロで、医療が受けられる。税金が少々高くても、安心して生きられて、死ねるんやったら、よっぽどそのほうがいいと、私は思うけどね。

日本も健康保険の自己負担比率は上がる一方。介護保険料も上がる一方。土日祝は乗用車の高速料が一律1000円やて? そんなん要らんから、介護や医療を充実させて!といいたい。アホウ総理大臣にはすぐにでもやめてほしい。けど、代わりがおらんのかなぁ。

あ、3日ほど前のニューヨークタイムズの一面(アメリカの新聞は一面に記事の「さわり」の部分が書いてあって、続きは他のページに飛びます)にこんな記事が出ていた。コイズミを総裁に推すかどうかの時に、実は野中広務さんを総裁にと言う声があったそうな。その時、アソウが「本当にそんな人を総理にしていいんですかね」言ったそうな。「そんな人」とは、野中さんが部落出身者だから。その場に居た亀井さんが証言。NY Timesの記事には、部落とは何ぞやというのも詳しく書いてあった。そんなことを平気で言う奴が、首相だなんて。はやく辞めて欲しいものです。

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母の短歌、「箸止めて天下国家を語る夫、聴衆われは喉詰まるなり」を読んで、コイオが「キミって、ほんまに親父さんそっくりやな」と言いました。

2009年1月18日日曜日

Stephen Colbert ホワイトハウス晩餐会

下に書いた本で知ったのだが、2006年4月に開かれたホワイトハウスの特派員向け晩餐会に、コメディアンのスティーブン・コルベアが招待され、その時に行なったスピーチ。

ブッシュを揶揄する内容で、めちゃくちゃ面白い。しかし晩餐会に相応しくない辛らつな内容と言うことで、殆ど報道されなかった。唯一C-SPANがスピーチをノーカットで放送したそう。

これを知って、早速検索したら、YoutubeでC-SPANのビデオがあった。今、観ても十分面白い。ブッシュの頬が引きつりそうな様子、会場の微妙な反応も。

http://video.google.com/videoplay?docid=-869183917758574879

コルベアって、なかなかヤルのね。

ところどころ聞き取れない所があったのだけど、スクリプト見つけました。
http://politicalhumor.about.com/od/stephencolbert/a/colbertbush.htm

アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない

というタイトルの本を読んだ。
コイオが会社の人から借りてきたのだが、取り上げて、一気に読んでしまった。

私がブログで時折触れる今のアメリカの歪んだ社会と政治。それを様々なエピソードや事実を織り交ぜて、おもしろおかしく簡潔に解説してくれている。テレビや新聞は、ある事件のある断面を細かく報道しても、過去の報道に含まれていた前後の話や背景までは書いていない。気の向いたときにしかテレビも新聞も見ない私のような者には、漠然としかわかっていないことが多い。そうした事件も、背景も含めて簡単に説明してくれたこの本で、随分すっきりした。

とにかく、アメリカの政治、社会の現状にご興味をお持ちのかたには、是非ご一読をお勧めしたい。

共和党とエバンジェリカルと呼ばれる福音派との関係、そしてこの二つが、いかにアメリカ社会を歪曲させたかが全体を通して書かれている。と言うか、歪みを書く上で、この二つなくしては語れないのだ。

高校時代に留学した家庭の宗派は、まさにこの本の中で「キリスト教原理主義」とまで呼ばれている、福音派の中でも最も右よりのサザンバプティスト。しかしそのコミュニティーに住み、その価値観の中だけで暮らしていると違和感を感じない。またその価値観を他人に押し付けることなく、価値観が同じ輪の中に留まっているなら諍いも起きない。ただ福音派の多くは「布教」を重要視している。良いものを外に広めたいという純粋な動機から来ているのだが、それが政治的に利用された。いや、教会と政治家の互いの利害が一致したのだ。

私の目からは、アメリカのお母さんを含め、信心深いサザンバプティストのクリスチャンたちも、言ってみれば犠牲者。洗脳され利用されているとしか思えない。右派メディアから歪んだ情報を与えられ、「これこそ真理、あんたたちは正しい」とずっと叩き込まれているのだから。(なんて言っても、お母さんは、歪んだ放送をしているのは3大メディアにCNNでしょ、と一歩も譲らないのだが。)

オバマ大統領の誕生まであと2日。次の4年間、はたまた8年間で、どれくらいゆがみが矯正されるのだろうか。是非是非頑張って欲しい。ホント、心から期待している。

ところで、2日ほど前のNYタイムズのコラムで、「ブッシュ政権の違法行為について、調査を行なうか」と
いう質問に対して、オバマ氏が「後ろを向いていては進歩しない。我々は前を見て進むべきだ」と語り、実質的には「調査しない」と答えたとあった。このコラムニストは、「過去の過ちを正さない限り、同じ過ちが繰り返され、進歩がないので、絶対に調査すべき」と書いていた。私も同感。いや、そんな大それた動機じゃなく、本当にアイツが嫌いで許せないので、アイツの数々の悪事は暴露すべきと思う。

「アメリカ人の半分はニューヨークの場所をしらない」
町山智浩 著
文芸春秋ペーパーバック
ISBN978-4-16-370750-1

2009年1月16日金曜日

会葬御礼

ウチの母の人間性がだいたい分かったところで、こちらの文書を紹介。
これは数年前に書いて、ある新聞社に投稿したところ、佳作で入選した。入選作は新聞紙上に掲載されるのが通常だが、「面白いのですが、内容的に懸案があるので掲載は見合わせていただきます」と連絡があったそう。ま、それもそうかも。でも面白い。個人的には、おしまいにもう一工夫あったらなぁ、と思う。






楽吟集

昨日、母より荷物が届いた。送られてきたのは和菓子、うえがきの鶯ボール、レトルトパックのぜんざい、などなど。中に母の書いた文章のコピーが入っていた。ほんまに送りたかったんは、これやろう。

母は文章を書いたり、川柳を作ったりするのが好きなのだが、どうやら今度は短歌も始めたらしい。しかも「はつらつ芦屋」とあるから、市の老人向け広報紙と思しき配布物に、それらが定期的に掲載されているようだ。

せっかく送ってくれたので読んでみたら、まあまあ面白いので、ここにコピーを載せます。パソコンがあるにも関わらず、未だに文章は古いワープロで書いているので、テキストファイルでは送れず、紙のコピー。それをスキャンした写真ですが、写真上をクリックすれば、大きくなるので読みやすくなります。






2009年1月15日木曜日

私道

今朝は雪。始業前に特別授業のあるシナコを送ろうと外に出たら、車が雪に埋もれていた。積雪はまだ3センチほどでやわらかい雪だったから、すぐにきれいになったけど。

既に大家さんが来て、アパート(デュプレックスはアパートの分類に入る)の前の私道の除雪をはじめてくれていた。まだまだ雪は降り続いているので、イタチゴッコ。でも少しでも除雪しておけば、雪の上を走ったタイヤが踏み固めてしまう雪が少なくて済む。固まると氷になって、スリップするし、かち割らないと取れない。先週末は雪の直後、夜中にフリージングレインが降って、全面氷になって大変だった。

シナコを送った後、私もスノースショベルを持ってお手伝い。大家さんが来ないときも一人で除雪したりして、夫も含め、近所の人は私を変だと思っている。先日もお隣の人が「除雪は大家さんがやるって知ってるよね?」とわざわざ教えてくれた。勿論知ってる。でも半分は楽しいのと、もう半分は、固まってしまう前になんとかしたいのだ。

今日は大家さんが私道とドライブウェイの除雪をやってくれるので、私は私道を出た公道沿いの歩道の除雪をした。以前だれも除雪しないから固まってしまって、長らく歩道が使えないことがあった。

公道沿いの歩道はその脇の家の人が除雪しなくちゃいけないらしい。でもウチの通りを出たところは、何時も誰もやらない。多分、脇の家に住むのが一人暮らしのおばあちゃんだから。少し先に行くと、車のディーラーやレストランがあって、その前はきちんと除雪してある。

オレンジの部分が坂=私道(=UTE PL)。OLD FIELD RDは公道。
私道沿い右手に所有者が違う3つのアパート(デュプレックス)群がある。私道の左手の広い土地にぽつんとある家が、高齢のおばあちゃんの家。

雪が降ると一番心配なのは、前述の私道。ここは、かなり急な坂で、凍ってしまうと助走をつけて一気に駆け上がらねば登れない。近所の人の車は、みんな四駆や全駆で、あまり気にしてないようだけど。

この私道の頂上がウチの大家さん所有のアパート(斜線部)。他の誰も除雪しないので、いつも大家さんが除雪してくれている。当初は大家さんの土地と思ったら、違うんだって。誰が持ち主なのかも知らないらしい。でもこの坂が凍って一番困るのは坂の上に住む私たちなので、大家さんが率先してやってくれている。周りの木の伐採だって大家さんがお金を出してやってくれている。舗装もしたいんだが、と先日言っていた。「でも、全部大家さんがやるなんて、不公平じゃない」と私。

この大家さん、スーパーナイスと前から言っているけど、本当にそう。今朝は坂だけでなく、お隣のアパートまで除雪してあげていた。「ここの大家さんは高齢だから」と言って。ウチの大家さんだって60代後半と見受けられるので、決して若いわけじゃない。以前は坂下の公道沿いのおばあちゃんの家のドライブウェイまで除雪していたらしい。そしたらおむかえの元気なオバサンが窓から顔出して、「あ、ウチのもついでにやって」と言ったので、それ以降はやめたそう。

雪はまだまだ振り続いていたので、2時間ほど仕事したあと、大家さんは一旦帰り、雪が降り止んだ午後一に再び除雪に来ていた。大家さんは会社を経営しているので、仕事もあるのに。私は毎日家にいるから大家さんの働きを見ているけど、近所の人は日中家にいないので、大家さんがどれほど熱心にやってくれているかは知らないと思う。

直後に大家さんから電話。「もしも、もしも、だよ。君にその気があれば、市役所に行って私道の所有者が誰か調べてきてくれないかな。勿論、興味があればでいいんだけど。」

お役所は何かと時間がかかるし、大家さんもどこでどう調べて、どのくらい時間がかかるのかわからない。「前に用があって市役所に行ったら、職員が皆を待たせたまま45分も電話しててね。あまりに腹が立ったから、『僕の払う税金は、決して君の給与にはならないようにと限定を付けてやる』と言ってやった。こっちは仕事を抜け出して行っているのに」 

土地の所有者などの情報は開示情報なので、誰でも閲覧できるらしい。超級に暇な私だし、どうやって調べるのか興味あったので、すぐに引き受けた。

午後、市役所に行って、受け付けで事情を話すと「Accessor's Office(査定課)」に行けと言われた。査定課で事情を話し、地図上で場所を示すと、「私道については納税義務がないから、わかるかしら」と言いながら、すぐさま奥へ行って調べてくれた。15分ほどで用事は済んだ。

結果は、やはり私道の所有者が誰であるかはわからなかった。市役所に登録されているのは、あくまでも納税対象となる土地のみ。「土地の所有者が土地を買った時の不動産譲渡書類に範囲が指定されているので、それを見るしかないわね」と言って、近所のアパートに関する情報をくれた。つまり私道沿いのアパートを持つ各大家さんに確認するしか術がなさそうだ。

すぐに大家さんに上記内容を報告。すると折り返しメールで、「本当にありがとう! 君はなんて積極的でエネルギッシュな人なんだ! 君みたいな人が僕の家に住んでくれていて嬉しい」と言われた。よし、これで来年の家賃は据え置きだろう。

2009年1月14日水曜日

バースデーケーキ

昨日はキニコの19歳の誕生日。
晩御飯のリクエストは好物のグラタン。1月生まれでよかった。真夏でもグラタン作れと言われることがあるのだけど、暑い盛りになんでグラタン食べなあかんねんとすげなく却下する。誕生日やったら、そうもいかんかったかも。

ケーキを買いに出かけるのもめんどくさいなぁと思い、じゃぁ焼いてみるかと思い立った。焼くほうが面倒な気がしないわけでもないが、着替えなくていいし、幸い材料もみんなあるし。(結局最後に、イチゴを買いに走りましたが。)

今の私を知る人は(と言うか、今の私しか知らぬ人は)昔はお菓子作りや編み物・洋裁が好きだったなどとは想像もつかぬことでしょう。何を隠そう、体育は2でも家庭科は5だったのだ。そう言えば、その昔、コイオに編んだ手編みのベストを、コイオが着なくなってあげたのでしょう。先日、父が「よそ行き」に着ておりました。(←そのくらい腕が良かったと言いたい。)キニコやシナコも手作りの洋服を着ていたこともあったのです。大昔の話やけど。

スポンジケーキは焼いたことなかったし、家には長方形の型しかなかったけど、じゃじゃ~ん!
ちゃんとふわふわで、上出来。母の威厳を取り戻した一瞬である。

コイオは出張で不在のため、コイオの分はメールで配布。
それにしてもケーキを焼くなんて、サウジの有閑マダム時代以来の出来事。どうりで北極から寒気団がやって来て、今日から気温がどんどん下がり始め、金曜日には-18℃になるらしい・・・。

2009年1月13日火曜日

エクササイズ

何事も長続きしたことがないのが唯一の自慢・・・と言えるくらい、子供のころから物事を継続したことがない。一番長くてお習字(書道と呼べる域には達さなかった)の約9年。これも途中で2回くらい中断している。中、高、大のクラブ活動、オルガンもピアノも、編み機も、水彩画も、エアロビも、テニスも・・・全て途中で棒を折った。(あ、かろうじて続いているのが結婚生活。これも7年の中断有りだけど。)

何事もまずは形から入らねばならぬタイプ。編み機も買ったし、水彩画の用具も揃えたし。エアロビのウェアに、テニスのアウトフィット。エクササイズマシンも今まで何台購入したか。

特に体を動かすことが苦手。色黒で運動神経抜群そうな外見とは裏腹に、体育の成績と来たら、小学校では一重マル。高校では5段階評価の2なんてこともあった。(これは授業中のおしゃべりがたたったと信じているのだが。)

あまりに体を動かさないから、このままでは寝たきり老人街道まっしぐら。これではイカンと少し前から真面目に思っている。そこで、ヨガのDVDを友達に借りたり、ウォーキングを始めたり、トレッドミル(ランニングマシン)で走ったり、一応、試みては見た。

勿論ヨガのためにマットを購入、ウォーキングのためにウォーキング用アウトフィットと靴を購入。ウォーキング中の時間活用のため、ポッドキャストでニュースでも聞こうとiPodも購入。トレッドミルでただ歩くのも勿体無いから、DVDでも見ながらとSex & the Cityの全シリーズを購入。

しかし案の定どれも1,2回で終わった。ヨガはマットを引くのに場所作りをしないといけないのが面倒だし、DVDをセットするのも面倒だ(日本のDVDだから接続しなおさないといけない)。ウォーキングはiPodが上手く使いこなせず、いちいちPCに繋いで内容を入れ替えるのも面倒。そうこうしているうちにキニコにiPodも取られた。トレッドミルでSex & the Cityを見ようとセットしたら、トレッドミルが出す音がうるさ過ぎて、音声が聞こえない。

どれも途中で辞める口実に過ぎないのだが。

しかしこの景気の悪さで、仕事もなく毎日家にいる。「夜の間に出来ること」をしようと思い、やっぱり体力造りしかないなぁと奮起。

最近はYoutubeで日本のドラマが見られる。ただ単にドラマをぼーっと見ている時間も勿体無いし、トレッドミルをやりながら見れば一石二鳥だ。但しトレッドミルの騒音問題がある。そこで、この週末、ワイヤレスヘッドフォンなるものを購入! これで騒音を気にせず、ドラマを見ながら歩けるではないか!

と言うことで、早速昨日2マイルを歩いたり走ったりしました! ネットで上沼恵美子のラジオ番組を聴きながら。

ただ・・・購入したBluetoothのヘッドフォン。めちゃくちゃ雑音が入る! しかも10mの範囲で使用可能なはずが2mも離れると雑音が急激に増える。おまけに、PCを開けるたびに設定しなおさないといけないし・・・。あぁ、もはや途中で挫折する口実は山のようにあるわ。今日はどうしようかな・・・。

2009年1月10日土曜日

著名な知人

既にご承知のように、私は非常にミーハー。
で、自分の功績でもないのに、知人の功績を自慢したり、著名な知人を自慢したくなる。

会社勤めをしていた数年前、「著名な知人自慢」と称して、各自が接点のある有名人をリストアップして、誰がスゴイ人を何人知っているかを、同僚と競い合った。知人と呼べなくても、どこかで言葉を交わしたことがあるとか、同じ学校出身とかでもリストに加えることができた。結果はダントツで私が一位。

ま、内容は、緒方洪庵の4代目直系(小学校の同級生)、館ひろし(「英語上手いですねぇ」と言われたことがある)、元ゴダイゴのトミー・スナイダー(1,2回食事したことある)、デザイナーの高田ケンゾー(昼食時にしばしば見かけた)、もんたよしのり(我が家御用達の蒲団屋さんの息子)、デザイナーのマダム花井(彼女の代わりにニナリッチの陶器を買わされた)、萬田久子(彼女の使い走りでディオールの化粧品を買いに行った)とか、全くくだらない内容なんだけど。

そんな中に、アップル社のiPodの生みの親とも言われ、現在はPalm社の取締役会長(Executive Chiarman)を務めるジョン・ルビンスタイン氏がいる。ま、直接知っていると言うより(会ったことはあるけど)、彼はこのブログにもしばしば登場する友人チカエの義理の息子、つまり彼女の夫マビオさんの息子なのである。

そんなわけで、ジョンがメディアに登場すると、マビオさんから連絡があるのだが、今日もそんなビデオクリップのサイトが送られてきた。通訳の練習をするのにも丁度いいので、サイトを紹介します。http://www.palm.com/us/products/phones/pre/palm-pre-ces.html

冒頭でジョンが「メキシコの家でぼーっとしてたら」と言うようなくだりがありますが、まさに今、チカエとマビオさんは、ジョンのそのメキシコの豪邸で休暇中。あ、違った。今はマウイだった。その後メキシコ、ブラジル、ガラパゴスで、チカエは3末まで寒いNYには戻らないのでした。と言うわけで、私は仕事も暇だし、遊び相手もいなくて腐っております。つまんないなーーーー。

2009年1月9日金曜日

時代錯誤か、天然記念物か

ニューヨークタイムズの記事。

アラバマ州のある刑務所の囚人たちは、ロクな食事が与えられずどんどん痩せて行っていた。原因は食事の管理を任されていたある保安官が、囚人たちの食費を削って、私服を肥やしていたからだ。

驚くのは、これが全く合法だと言うこと。この保安官は囚人ひとり1日当たり1ドル75セントの食費をけちりにけちって、3年間で21万ドル余りを儲けたらしい。今の囚人の数が300人らしいから、計算すると1.75ドルを1.10ドルに削っていたことになる。そもそも1日の食費が1ドル75セントと言うのが極めて少ないのに。

おなかを空かせた囚人の証言で、当の保安官は「囚人の世話を怠った」ため、投獄1日、反省書で改善提案を提出させられた。

この法律と言うのが、「1日ひとり当たり1ドル75セントの費用の残りは、管理している州の保安官が貰ってよろしい」と言うもの。

法律が改正されない限り、今後もこの問題を絶やすことはできないと裁判官は語る。ネットで見ると他の郡での同様の内容を、Associated Pressが去年の5月に報じている。

この州法が出来たのは1927年。

公民権運動のずっとずっと前のこと。当時アラバマ州にいた囚人のほぼ全員が黒人だったと容易に想像できる。黒人から搾取するのは当たり前のことだった。

ところがそれだけじゃなかった。実は「1日ひとり当たり1ドル75セント」と言う額も当時のまま! 当時としてはかなりの額。つまり、それだけ保安官が良い目をしていたということなのだが。

アラバマ州にある67の郡のうち、12郡が現在でもこのシステムを継続している。21世紀にもなって、まだそんな法律が生きているなんて、アラバマってホンマ、すごいところやわ。

2009年1月8日木曜日

愚問?

このところ、ずぅっと疑問に思っていることがある。

TVジャパンで見るNHKニュースで、連日仕事がなくなった派遣労働者の悲惨な状況を報じている。で、私が不思議に思うのは、何故アメリカでは、解雇されている労働者のことが、それほど取り沙汰されていないか、である。失業者の数じゃ、絶対アメリカの方が多いはず。

今日発表になったアメリカの失業率は7.2%、対して日本の失業率は3.9%(2008年12月26日総務省発表の11月時点の数字)。アメリカの労働省発表の2008年12月現在の16歳以上の失業者数は、約1100万人。対して日本の総務省発表の15歳以上の失業者数は11月現在で256万人。人口比が、日本1億3千万に対して、アメリカ3億なので、仮に日本の失業者数を倍にしても、アメリカの状況の方がはるかに悪いことが明確。

なのに、アメリカで解雇のニュースになっているのは、元リーマンブラザーズの社員が貯金で食いつなぎながら、職探しパーティーに参加している様子とか、まばゆい学歴の下に「年俸10万ドルで雇ってください」と書いたプラカードを首につるして、マンハッタンの街角で立っている人の姿、はたまたMBAを持ちながらタクシーの運転手をしている人とか、特殊な人の報道ばかり。

おびただしい数に上ると思われる解雇された普通の労働者のことが、何故取りざたされないのだろう? 

コイオの意見は、「アメリカはそもそも契約社会だから、違法でない限り問題視はされない。」

解雇されても文句は言えないし、この状況は今に始まったことではないからか。サブプライムローンが払えなくて、家を追い出されるという話は、これまでになかったことなのでニュース性があるが、契約労働者の解雇はニュース性がないと言うことか。

同じ質問を、アメリカに住む日本人の友達にぶつけたところ、とても納得のいく興味深い分析が返って来た。それを、そのまま紹介させてもらうことにする。

+++++

私はアメリカではそれほど問題にならないのは、再生のチャンスが大きいからなんだと思う。

1.レイオフが日常的に行われている
2.転職が日常的に行われているので、再就職のハードルが低い(雇用の流動性がずっと高い) 
(日本は年齢制限がまだ合法だったりして、一度離職すると再就職がものすごく難しくなったりする。また、技術職でも会社が違うとそれまでの経験を買ってくれない場合多し。)
3.アメリカ人のほうが、社会的な救済措置が多いと思う(日本の福祉政策はよくわからないので推測)。
たとえばスープキッチンとかフードスタンプなどで食いつなぐことに慣れているし、それを恥とも思わない。日本だとそれを自分の恥と思う(悲惨と考える)傾向が強い。
4.持ち家率が高い。家さえあって、食料はフードスタンプで食いつなげばなんとかなる。あるいは、家を売って食いつなぐこともできる。(そのかわり貯蓄率が低いんだが・・・)
5.副収入を持っている人も多いし、奥さんが働く率も高そうだし、なによりも奥さんの収入レベルも日本の奥さんより高そう。日本の奥さんってパートやアルバイトレベルが多くない?
6.仕事がないから大学に入りなおすというオプションもある。日本にはほとんどない。

つまりは日本だと仕事に依存する割合が経済的にも精神的にも高いんだと思う。
一度レイオフされたら、もう人生終わり的な傾向が強いといいましょうか・・・。

+++++

1と2については全くその通り。3の周りからの手助けや救済の機会が多いことと、それに素直にすがれる点も、確かにそうだと思う。4にしても、日本の家計に占める家賃やローンの割合は非常に高いから、仕事がなくなれば、翌日から支払いに困る。5も6も然り。

再生のチャンスが多い。だからこそ、こんな状況下でも、悲惨さを強調する報道が殆どないアメリカに対して、日本のニュースは暗さを際立たせるものばかり。経済の悪化をメディアが煽っているのじゃないかと思わせる。

今朝、テレビで大江健三郎さんがコメントしていた。「意思による楽観」が必要だって。その通りだと思う。努力して楽観的になる。必要なことだわ。期せずして同じようなコメントを一昨日も聞いた。日本のテレビ番組に出ていた元CBS?のプロデューサーか何か。「成功の秘訣は、楽観的であること。」

伊藤忠の社長がインタビューで、「わが社の財産は人です。だからできるだけ守る。朝の来ない夜はありません」と言っていた。「朝の来ない夜はない」と言う言葉に心から賛同。この言葉、どうやら吉川英治の使った言葉だそうだけど、今はまさにそう言うときじゃないかな。夜にしかできないことをしながら、じっと朝が来るのを楽観的に待つ。それが一番。ってことで、私はナイトクラブででも働こうかなー。

ところで、上記の友人のコメントに、一点だけ誤りがある。私もつい最近まで日本では年齢差別・性差別を容認した求人広告が許されていると思っていた。しかし2007年10月から(ま、つい最近ですけど)求人での年齢制限の禁止が義務化されていた! 試しにネットで求人広告を検索したら、確かに「30歳までの男性」なんて言葉は消えていました。

2009年1月7日水曜日

賢いかアホか

小さな子供を持つある友達が、「子供が頭が良いかどうか、小さいころからわかるもの?」と聞いてきた。

私は「わからない」と答えた。だって、小さいころ賢そうだったのに、やっぱり大したことないと判明したわが子の例もあるし、だいたい賢いかどうか判断している私の基準が低かったわけだし。自分があまり頭が良くないものだから、ちょっと賢いことを言った娘をうっかり頭が良いと思ってしまったのである。これは世間的にはかなり低い物差しで計っていたことになる。が、それに気づかないでいた。しかし、人生長いし、これからひょっとしたら頭角を現すかもと、わずかな期待を込めて「わからない」と答えたのだ。

ところが、別の友人の年賀状で、息子さん2人がそろって京大・東大と言うのを知った。ひぇー、ぶったまげた。その友人も頭脳明晰。今は博士課程で勉強している。ご主人も頭が良い。彼女は「仕事が忙しくって、ロクな子育てをしてこなかった」と言う。じゃ、子育てのスタイルはうちと全く同じじゃない。(私の場合は、自分が楽しむのに忙しくて、だが。)なんで結果が違うのよ! 

他の友人たちを見渡して、なるほど、やっぱり親が頭が良いと、やっぱり子供も同じようにお勉強が出来るケースが多い気がする。なんだ。なんでこんな簡単なことに早く気づかなかったのか!

そこで先の質問に対しての答えが出たような気がした。

子供が賢い(勉強が出来る)かどうかは、DNAが決めることなのだ!

トンビがタカを産んだのは昔のこと。それは勉強したくてもできない時代の話で、実はトンビだと思われていた人は、そもそもタカのDNAを持った、中味はタカだったに違いない。

と言うことで、皆さん悩むのはやめましょう。カエルの子はカエルです。自分たちのDNA以上の子はできないので、勉強のことはなるようになるから無駄なことは考えず、義理人情に厚く、礼儀正しく、他人を思いやれる子供に育てる努力をしましょう。

子供の躾に失敗した者からのアドバイスであります。

ちなみに質問した友達は賢いので、彼女の子たちも同様にお勉強ができるでしょう。

2009年1月5日月曜日

パリ <感動編>

<感動編>

1.うまい!

ほんと、おいしかった! おいしくて、おいしくて、おいしかった!
何がって、何もかも。特にパン。バター。フォアグラ。

<パンとバター>

フランスのパンとバターはどうしてこんなに美味しいのだろう。小麦が違うのだろう。牛が違うからだろう。とにかく美味しい。バターは輸入してこの近所でも売っているけれど、パンだけはフランスでないと食べられない。

パンは各パン屋さんが毎朝自分のところの炉で焼いている。だからおいしい。到着の翌日。近所のパン屋さんがクリスマス続きで閉まっていて、その先に見つけたチェーン店のパン屋「Paul」でパンを買った。日本でも展開しているPaul。高価だけどおいしいと、有難がって買っていたけれど、今回食べ比べてみて、やっぱパンは普通のパン屋さんに限る。ルーブルの庭にも屋台を出したり、手広くやっているPaulのパンはイマイチだった。

我が家の朝は、近所のカフェで始まった。大人はカフェクレーム(=カフェオレ)、子供たちはショコラショーに、タルティーヌを注文。タルティーヌとは、名前は優美だが、単にバゲットにバターを塗っただけのもの。それにジャムが付いて来る。これをカフェクレームに浸して食べるのが、なんとも美味しい。

シナコはすっかりパンとバターに惚れ込み、レストランでもどこでも、それさえあればOK。おかわりまでするので、注文の品が運ばれる前にお腹が一杯になっている。

カフェにはタルティーヌかクロワッサンしかない。周りの人を見ると、パン屋で買ったパンを持ち込んで食べている。なんだ、こうすればいいのか。

次からは、私はりんごの入ったショソン・オ・ポムを、キニコはシュッーケットを買ってカフェに入る。コイオとシナコはタルティーヌがお気に入り。シューケットと言うのは、シュークリームの皮に砂糖が付いただけのシンプルなお菓子。ヴァレリーと会社に行っていた頃、朝のバスの中で2人でよく食べた。


<クレープ>

町のあちこちでクレープ屋の屋台がある。クレープにはまったのはシナコ。クレープ+Nutella(日本でも売っているへーゼルナッツとチョコのペースト)+パナナの組み合わせがお気に入り。

<クロックマダム>

カフェ・カルーセルで注文したクロックマダム。


2.パタパタ

観光客の集まるところパタパタ有り。これは20余年後の現在も変わらなかった。

パタパタとは、私たちが名づけた鳥のおもちゃ。飛ばすとパタパタするから。パリに旅行したことのある人は恐らくアフリカ人が売っているこれを目撃してるでしょ。相変わらず、サクレクール寺院の前、トロカデロ広場などで、飛ばしていた。一度も買ったことないけど、20年以上も続いているってことは、ヒット商品なのかなぁ。


3.日本語

な、な、なんと、ノートルダム寺院に日本語の表示があった!

まず、入り口に、Bienvenue! Welcome! Wellkommen! Benvenuto! 欢迎! などの各国語に混じって日本語で、「よこそ!」

よーく見ると、「よ」と「こ」の間に無理やり小さく「ぅ」が挟まれ、一番最後に書かれていたと思しき「う」が塗りつぶされている。どうやら、もともとは「よこそう」だった模様。

中に入ると、またしても各国語で注意書き。日本語は、
「あなたがあなたの帽子を脱ぐことを望んでください」
静かな聖堂の中で、笑いをこらえるのに苦労した。


4.フランス語

自分のフランス語に感動! 英語で返答されても、めげずにしつこくフランス語を使う度胸は大したもの。すっかり忘れていると思っていたけれど、聞くと結構思い出すじゃないの。蚤の市では、娘に代わって交渉。8ユーロの手袋は6ユーロになるし、この時だけはママのフランス語も感謝された。

それがどうだ。パリにいる間は話さ(せ)ないくせに、家に帰ってからのキニコの言い草。「ママより私の方が絶対フランス語わかってると思う」だって。ふん、言葉なんて、使ってナンボなのだ。へたくそでも何でもちゃんとコミュニケーションできればいいのだ。

負けを認めるのは残念だが、実力ではコイオに劣る。当たり前だ。あっちはフランス語研修生で、会社のお金をたくさん使って、いろんな学校に通って、びっしり勉強していたんだから。こっちは、日本語ペラペラのフランス人の同僚がいる日本の会社で、仕事にフランス語なんて殆ど要らない。駐在前に私だけフランス語研修に行かせてもらえず、後になって頼み込んで3ヶ月だけベルリッツに通わせてもらったのみ。そんなで、必要最低限はなんとか言えるんだから、立派なもんだ! あ、発音だけは、私の方がましだ。コイオのRなんてHになっちゃって、ひどいものだ。わっはっはー!

コイオは根がええかっこしいなので(=恥をかきたくない)、英語が通じれば敢えてフランス語を使おうとしない。相手が英語を解するのがわかると、するりと英語に切り替える。フランス語を話すの楽しくないのかなぁ。それとも単に私が嬉しがり?


5.犬のフン

フランスに住む友人が、「パリもきれいになったよ。随分ウンコも減ったし」と言っていたので、そりゃ良かったと思っていた。20余年前、飼い主が犬の糞を拾わない場合は罰金500フランという条例が出来、みんなで期待したのに、有名無実化。それが最近また条例だか法律ができて、改善していると言っていたのだ。

が、感動するほど、全然変わってなかった! とにかく、町に出たら、足元見ながらしか歩けない。うっかりほかの事に気を取られていると、いつ踏むかわからない。観光客の多い場所は、あまり心配しないでよかったけど、(つまり、犬が少ない割りに、踏む人数が多いので、すぐに形跡がなくなる)けど、アパートの近くやヴァレリーの家の周辺では油断ならない。歩道が特に危険なので、車が来なければ選んで車道を歩いた。

犬が落とした1箇所に留まらず、踏み広げられて、危険箇所が大幅に拡大して点在しているのだ! アパートを一歩出てから戻るまで、全く気が抜けない。子供たちにも「ウンコ踏んだら罰金だからね!」と常に注意を促す。

友達の言を鵜呑みにするほど私もパリを甘く見てはいなかった。各自にスリッパの持参を強要。室内に一歩入ると、外履きの靴はさっさと脱ぐルールを徹底した。だって目に見えていなくても、その断片はどこかに付いているに違いないもの。

「日本人は神経質だね。フランス人が健康なのは、あのばい菌と共に暮らして免疫性を高めているからだ」とその昔ヴァレリーは豪語してたけど。流石に子供ができて、「私もあのフンは何とかして欲しいわ」と今回は言っていた。

キニコが1歳半のとき、ヴァレリーのところに3週間ほど遊びに行ったのだが、公園に行く道で転んで、手を付いたところに・・・。あーおぞましかった!


6.エレベーター

パリの建物は古い。とっても古いから、そもそもはエレベーターなんて付いていなかった。そこへ5階以上はエレベーターが必要という法律でも出来たのか、はたまた単なる利便性の追求か、螺旋階段の真ん中の空いているスペースに、後付で無理やりエレベーターを設置しているところが多い。

私たちが借りたアパートも細い螺旋階段(階段のステップ部分は木で出来ていて、主に人が歩く外側は磨り減って凹んでいる)の真ん中に、無理やりエレベーターが取り付けてあった。

写真じゃ判り難いが、幅50センチほど、奥行き80センチほどのスペースしかない。コイオの体の幅で一杯、かろうじて3人が縦一列に並べる。二つ折りのドアが閉まるときには、中の人間は更に奥に身を寄せないと、ドアが人につかえて閉まらない。

パネルには、「3名・225キロまで」ってあるけど、典型的なオハイオの人だったら、エレベーターに体が入らないだろうな・・・。


7.ヴァレリー

なんたって、今回の最高の感動はヴァレリーに会えたこと!

待ち合わせの地下鉄の駅の階段を上がると、上でヴァレリーが待っていた。第一声は、最初にシナコの顔を見て、「わー、本当に全然変わってない、と思ったら、シナコだった。そっくりやん!」

抱き合って再会を喜び合った後、
「やぁ、ヴァレリーも変わってないやん。昔から老け顔だったから、それが幸いしたね~!」
「ほんと、相変わらずひどいこと言うね」

昼食を近くのイタリアンレストランでみんなで食べた。

食事中、ヴァレリーがつくづくと言う風に言う。
「あー、ジョダコちゃんがキレイでよかったー」
「はぁ?」
「だって、ジョダコちゃんは、可愛くなかったやんか」そして、わが娘たちとコイオを見て、
「だってほんまやん。ね、コイちゃん? 昔はあんまり可愛くなかったよね?」
コイオは嬉しそうに大きく首を振っている。

私のこと毒舌って言うけど、どっちが毒舌だか。でもヴァレリーの言うことはホント。フランスにいた時代がきっと私の人生で最も醜く、体重も妊娠時を除いて最高だった頃である。ついでに言うなら当時の夫も今よりもっと太っていて、ダサい格好だし、お互いこれ以上にないくらい醜かった。フランスと言う不毛の地(つまり他に適当な相手が誰もいない)でなければ、恐らく付き合ってなんていなかったと思う。当時の証拠写真をお見せしたいところ。そのうち、笑いのネタに事欠いたら登場させようかな。

その後ヴァレリーのアパートへ。
「ここは、子供の家なの」とヴァレリー。見渡すと、すべてマリア仕様のデコレーション。「マリアがもっと小さかったときにやったから、そろそろ変えないと行けないんやけどね」と言いながら見せてくれたトイレはこんなの。壁にはマリアが覚えるようにと50音表が貼ってあったが・・・。

「このクリスマスツリー可愛いでしょ?」
「えー、趣味悪~!」
「ほんとに、ひどいこと言うね~」
「だって、ホントだもん」


翌日の夜は、未だまともなフランス料理を食べていないと言ったら、ヴァレリーがFLOを予約してくれた。マリアはパパとお留守番。日本の表参道にもFLOがあったけれどまだあるのかな。今、調べたら、やはりレストランはなくなっていてケーキやお惣菜だけの展開らしい。ヴァレリーもFLOは10年ぶりと言っていたが、もてはやされた一時期と比べれると、ずっと庶民的になっていた。レストランではなくブラッセリーなので、もともと庶民的な雰囲気なのだが。

次の日、ヴァレリーのオフィスへ行った。ヴァレリーは古着を日本に輸出している。クリニャンクールの蚤の市のすぐ側にオフィスと倉庫がある。中を見てびっくり。倉庫には、袋に入った古着がうずたかく積まれている。景気の良いときは「トン」単位で日本に輸出していたらしいけれど、景気が悪化して、最近はめっきり減ったらしい。

「何でも欲しいものを持っていっていいよ」と言われ、女三人はがつがつと物色し、ハイエナのごとく獲物を頂戴した。「そんなに取ったら悪いやろ」とコイオはサッカーサポーター様のマフラー一本のみ。キニコは同じくマフラーと手編みのカーデガン。シナコはセーターと帽子とベルト。一番浅ましかったのが私。皮のロングコートとフリフリのナイトガウンをせしめた(いつ着るねん?)

ランチは近くのカフェでクスクスを食べ、仕事のあるヴァレリーと一旦別れて、夜はヴァレリーの家の近くの中華料理店に行った。あとから、マリアとマリアの友達、そしてマリアのパパのアルノーが加わり、にぎやかだった。

アルノーのことをマリアのパパと書くのは、ヴァレリーとアルノーが別れているから。そもそも2人は結婚していなかった。フランスの場合は結婚していなくても結婚に順ずる共同生活者の形式が認められている。2人はそう言う形で一緒に住んでいた。マリアが1歳のころに別れ、養育権を争って裁判までした2人だが、今はとても仲が良いそうだ。「マリアのために、いいでしょ」とヴァレリー。

時々アルノーはヴァレリーの家にも泊まっている。このときもそうだった。但し寝るのはマリアの部屋で。仲のいい2人を見て、元の鞘に収まればいいのにと思ったりもするが、恐らくある程度の距離が保たれているから良いのだろう。再び「家族」として生活するには、面倒なことがたくさんある。その面倒を越えられるだけの愛情があるかどうかが、一緒になるかどかを決めるのでしょう。お互いに彼氏彼女ができると、今の関係を持続するのは難しくなるだろうな。

最後の晩餐の中華料理店では、お互いに不自由な言葉で話す。私は下手なフランス語、コイオもフランス語、アルノーは英語、ヴァレリーも下手な英語。だって自分が流暢な言語で話すと、必ず置いてきぼりを食らう者が出るから。フランス語だと私がわからない、英語だとヴァレリーがわからない、日本語だとアルノーが分からない。このへんてこりんな会話が非常に楽しかった!


8.エグゼルマンス

24 Exelmans これがわたしが20余年前に住んでいたアパートの住所。パリの16区の端のほうにある。ヴァレリーのアパートからも徒歩5分。

今回訪れてみて、殆ど変わっていなかったのにびっくり。ただアパートの入り口にはコードが設けられ、中には入れなかった。昔はそのまま入れる無防備なところだったんだけど。

建物の1階のカフェも、並びにあるお惣菜やさんやアラブ人の果物屋さんもそのまま。その横にあった自動車修理屋さんが、「大阪」と言う名の、なんちゃって日本飯屋になっていたが。

アパートの目の前の駐車スペースもそのまま。駐車する時や車を出す時は、前後の車のバンパーを付きながら徐々にスペースを広げていたんだけど、今でもそんなことやってるのかなぁ。

パリ <感心編>

<感心編>

1.無料地図

シャルルドゴール空港に到着し、荷物が出てくるのを待っていたとき、ふと見るとエッフェル塔の形をしたものが。近づくとパリの地図が各国語で用意されている。おー、なんと気の効くこと。私の持っていたパリの地図は20年前のもので、地下鉄の路線図は大幅に変わっていたので、実際この地図が非常に役立った。案外、フランスって親切じゃない。(仏語、英語、中国語、アラビア語だけで、日本語はなかったけど。)

2.18歳未満無料

美術館や歴史的建造物への入場料は、全て18歳未満は無料。ユーロが高くて、入場料もとても高く思えたのだが、この制度は素晴らしい! 無論とっくに18歳のキニコもパリでは18歳未満に早代わり。身分証明の提示もないから、ひょっとしたら私も無料で行けたかも?

3.各国ニュース

パリで借りたアパートでは、ケーブルか衛星か知らないけれど、かなりの数のテレビチャンネルを見ることが出来た。普段あまりテレビを見ない私がチャンネルを回すことはなかったけれど、テレビっ子のコイオはアパートにいる間はずっとテレビをつけている。CNNとBBC以外はフランス語チャンネルだったので、当然娘たちはTVに見向きもせず、もっぱらインターネット。(驚いたことに、ちゃんと繋がった!)

最もよく見ていたチャンネルはユーロニュース。ユーロという名前ながらも、ヨーロッパのみならず、アジア、中東、アフリカと、世界各国のニュースをやっていた。アメリカのニュースはアメリカ中心の報道しかないので、日本同様、ヨーロッパも広範囲をカバーしているのだなぁと改めて思った。アメリカの偏狭な報道にしかさらされていないアメリカ人が偏狭になるのも仕方ないか。

4.英語

20年前のパリと現在のパリとの最大の違いは、今やどこへ行っても英語が通じると言うこと!

フランスがフランス語を守るために多大な努力を払っていることは知られている。20年前のフランス人の態度は、悔しかったらフランス語を話せと言わんばかりに、たとえ英語を理解しても、フランス語でしか答えないというものだった。けれどEUになって人の動きが加速し、もはやフランス語だけで諸外国と対応することに限度を感じたのか。いや、自然と「共通語」としての英語なくしては、機能しないので、必然的に皆が英語を習得したのだろう。いまやタクシーの運転手から、駅の窓口の人に至るまで、流暢でないにしろ、誰でも英語を話す。

逆にこれはショックだった。嬉しがりの私は、下手ながらも一生懸命フランス語で話そうとするのに、答えがみんな英語で返って来るのだ。娘たちのフランス語の練習になればと思っていたのに、あえてフランス語を話さなければならない場がない。つまんない!

<タクシー>

フランスのタクシーは通常3人までしか乗れない。安全のため、基本的に助手席には人を乗せないからだ。だから4人の私たちは街中の移動は全てメトロかバス。しかし帰りの空港まではタクシーが必要。荷物もあるし、ミニバンのタクシーでなければならない。

到着時に手配していたリムジンは、貸しアパートのエージェンシーが紹介してくれたところ。到着後にすぐにアパートにも連絡してくれると言うことで、お願いした。料金は、通常は95ユーロのところ、割引で80ユーロ。

アパートを管理しているおばさんが教えてくれたのが英語のできるタクシー会社。ちゃんとした英語で受付をしてくれる。料金は通常のタクシー料金なのでCDG空港まで、荷物料とチップを入れても45~60ユーロ。前もって乗客4人に荷物が4個なのでミニバンガ必要と言って予約すれば、手配してもらえる。

便利なので、パリに行かれる方はご利用どうぞ。英語の通じるタクシー会社の電話番号は、01.41.27.66.99 です。

5.レストラン

フランス料理にしても、イタリア料理にしても、コースで食べることはご存知の通り。
レストランと言うところでは、少なくとも前菜とメインを注文しなければならない。軽く食べたいなら、レストランに来るなと言うわけである。

駐在員だった頃、日本からのお客様や出張者と一緒に食事に行くことがよくあった。当然のことながら、日本から来た人はみんな本格的なフランス料理が食べたい。そこでレストランに行くが、食前酒に始まり、ワインも飲んで、前菜、メイン、デザート、コーヒーと注文する。特に典型的あるいは珍しい料理やデザートは自分が率先して注文して、他の人にも味合わせてあげるというサービス精神を発揮するが故、さほど食べたくなくても、無理やり食べる。しかも、出張者やお客様の来る時期というのは偏っていて、レストラン通いが連日続くと言うこともあった。汚い話だけれど、あまりに食べすぎて苦しくて、何度家に帰ってから吐いたことか・・・。

ところが、今はフランスのレストランでも、前菜だけ注文したり、メインだけ注文したりしても、大丈夫なようだ。余りおなかが空いていなかったので、レストランに入る際に「前菜だけでも大丈夫?」と確認したら、「どうぞ、どうぞ。心配しないで」と言うお言葉。その後、ヴァレリーとランチを食べたときも、彼女もハナから一品だけ注文するつもりで、「全然問題ないよ」と言っていた。おお、これで気が楽になった!

余談だが、フランス語の前菜は、導入部と言う意味の「Entree」。なのに、昨今のアメリカのレストランのメニューにある「Entree」は、メインコースと言う意味。ヴァレリーも最初アメリカに来たときに間違えたと言っていたが、一体誰が前菜をメインにしちゃったんだ??

パリ <驚き編>

今日からコイオの会社もシナコの学校も始まり、ようやく平常に戻った。とは言え、それはコイオとシナコに関する話で、私とキニコはまだまだ冬休みモード。ずっとパジャマ姿でだらだら。当分仕事の予定もなさそうだし、しばらくはこのダラダラが続きそう。

みんなが家にいると独りPCに向かうのもはばかられ、ブログも更新できず。今日からやっとブログだけは心置きなく書けます。

さて冬休みのパリ旅行について。

これほど堪能できた旅行はここしばらくなかったかも。予定したことも殆ど出来たし。また、常にブログねた探索モードになっているから、いろいろと観察して、驚いたり、感心したり、感動したり。

と言うわけで、10余年ぶりのパリの感想を項目別にご紹介しましょう。

<驚き編>

1.人が多い!

こんなにも人が多かったパリは初めて。夏休みのパリの観光客の多さは知っていたし、20年余り前ではあるが、パリのクリスマスや年末時期だって体験している。しかし、今回のパリの混雑ぶりは前代未聞。何故こんなに?

~ディズニー~

到着した25日はどこもお休みなので、確実に開いているディズニーランドへ。パリまで来て、何が悲しくてディズニーランド、とお思いでしょうが、そもそも我が家はディズニー好き。今回は中でも一番ディズニーびいきのキニコのたっての願い。少々の混雑なら想定内だったけれど、ファストフードを買うにも45分ほど並び、挙句に座る場所にさえ苦労する。シナコがうるさいので、乗りたくもないスペースマウンテンに、北風吹きすさぶ寒空の下80分間並び、挙句にジェットコースターに老体が揺さぶられ、気分も悪くなる。それにもめげず、次は予めファストパスを取ったロッキーサンダーマウンテンへ。しかし向かう途中にパレードとなり、どうにもこうにも反対側に渡れない。他のディズニーランドなら、随所にパレードの切れ目で渡してくれる箇所が設けてあるのに、そんな合理的なシステムはなかった。仕方なくパレードが終わるのを待つが、その後の混みようは空前絶後。ありとあらゆる方向に一斉に動き出す群集に恐怖を感じるほど。子供とはぐれた母親が子供の名前を呼び続ける悲愴な声がこだまする。

寒さと人の多さにぐったりして、22時の閉園よりずっとずっと早くパークを後にした。ま、25日は何処も閉まっているから、みんな考えることは同じなのだ、と思っていたが、あにはからんや。混んでいたのはディズニーばかりではなかった。

ところで開園当時はユーロディズニーと呼ばれていたのが、いまや名称はディズニーランド・パリに(フランス語風に言うならデスネロン・パリ)。「ユーロ」のイメージが貨幣になっちゃったからか。

~アンジェリーナ~

勤めていた会社の事務所があったリボリ通り。そこにある「アンジェリーナ」は、今回どうしても行きたかった場所のひとつ。日本では銀座プランタンに入っている。目的はここのモンブランとショコラショー(ホットチョコレート)。モンブランの底のメレンゲが、なんとも言えず美味しい。その昔、私がパリを離れる時、ヴァレリーがここのモンブランを握って空港に見送りに来てくれた。飛行機の中で涙を流しながら食べたなぁ。

アンジェリーナの前に来てびっくり。店の前に長蛇の列! 数人並んでいることは過去にもあったけれど、店の外に溢れているなんて。しかもその長さたるや10メートルはある。うっそー! でもここであきらめるわけにはいかない。30分ほど待ってようやく席に案内される。

以前、欲張ってモンブランとショコラの両方を一人で注文する過ちを犯した。あまりに濃厚な味に一人じゃ絶対に両方を制覇するのは無理。日本では日本人向けにハーフサイズのモンブランを置いているが、パリにはオリジナルのでかいサイズしかない。今回は4人なので、ショコラ1つにモンブラン2つを注文。おなかが空いていたからクロックマダムも2つ注文。クロックマダムはクロックムッシュー(いわばgrilled cheese sandwitchにハムを挟んだもの)の上に目玉焼きが乗ったやつ。私一人でモンブラン1つをペロリと食べたが、残りの3人は苦しそうであった。

私の記憶にあるショコラショーはもっともっと濃厚だった。でも出てきたものは意外にゆるかった。これだとマックス・ブレナーで一番濃いイタリアンホットチョコレートくらい。昔は冷えたショコラがカップにべとっと引っ付いて垂れないくらいだったと思うんだけど。

帰宅してから日本で買った旅行書を見ていたら、濃厚なのは「ショコラ・アフリカン」と言うらしい。昔はそう言う区分けはなかったのに・・・。

実は、いつものように、バカバカで、「文字ばかりのアメリカの旅行書よりガイドブックは日本に限る」と、せっかく日本で買って来たガイドブックを忘れて出かけたのである。飛行機の中で見ようと思っていたから、殆ど内容も把握せず・・・。ショコラ・アフリカン、飲みたかったなぁ。

~ベルサイユ~

ここでもチケットの購入に長蛇の列。それより、何より、中の混雑がすごかった。ベルサイユはコの字型をしているので、一方の端からもう一方の端までぞろぞろ歩く事になるのだが、外側が回廊、内側に部屋が広がり、その前にはロープは張ってある。つまり歩くところが狭い上に、皆が一方方向に進まねばならない。前の人が展示物や説明に見入って、はたまたオーディオガイドに聞き入って立ち止まると、後ろは動けない。部屋の随所に係員がいて、「立ち止まらないでくださ~い」「前進してくださ~い」と叫んでいる。背が低い私に見えるのは前の人の背中ばかり。幸い、ここの場合は建物の壁や天井にも見るべきものはたくさんある。が、どのみち、芸術音痴の私は一生懸命見る気もないのだが。

~ルーブル~

今回の混雑の最高はルーブル。入館に際してセキュリティーを通らねばならないのだが、その入り口前の列の長さたるや・・・。ディズニーランドのスペースマウンテン80分待ちに相当する長さだった。幸い中は広いので、混んではいても一方方向にしか進めない訳ではなく、他は飛ばして、目玉だけをちょこちょこ見て回ることができた。

モンマルトルでも、「こんなに人がおったんは初めて」とコイオと顔を見合わせるくらい。百貨店ギャラリーラファイエットも、あまりの人に、そそくさと出る。

マドレーヌ近くにあるお菓子屋さんラデュレ。マカロンがおいしい。買いたかったけれど、長蛇の列であきらめた。アンジェリーナのモンブランは唯一無二だけど、マカロンは他でもおいしいし。翌日アパートの近所のお菓子屋でマカロンを買って食べた。おいしかった。

それにしても何故ゆえこんなに人が? 景気が悪いと言っている割りには観光客が増えていることは確実。昔も並んだ場所はたくさんあった。しかし「元旦の初詣か!」と思うほどの混み具合は初めて。さらに日本人観光客は、過去と比べるととても少ない。その昔はどこもかしこも日本人だったのが、いまやチラホラ。英語もあまり聞こえてこない。驚いたことに最も頻繁に聞こえてくる言語はフランス語だった。ヨーロッパ人の観光客も多かったのが印象的。ユーロになってヨーロッパ内の旅行がし易くなったと言うのは頷ける。でもフランス人が多いと言うのがなんとも不思議だった。

2.高い!

~ユーロ~

とにかく何でも高い! 高くて、高くて、買い物好きな私も何にも買えなかった。ほんとに。

金遣いの荒いキニコですら、結局使ったのは、クリニャンクールの蚤の市での5ユーロのみ。

そもそも5つで10ユーロだったブレスレットを、私が「6つで10ユーロ」と頼んだら、お兄さんが「じゃ、7つにしてあげる。」「いえ。戦争になります。6つで10ユーロ」 お兄さんは不思議そうな顔でOKと言った。娘たちが選んでいる間、私は下手くそなフランス語を駆使しお兄さんとしゃべっていた。お兄さんが、「さっき戦争になるって言ったけど、どういう意味?」「だって7つじゃ、3と4になって、2人で割り切れない。だから戦争」「あーそう言うことか。じゃ、8つにしてあげるよ」「ありがと!」私はけんかになると言いたかったんだけど、そんな表現知らないし、guerre(戦争)しか思いつかなかったのだ。

一方シナコのほうは、普段は財布の紐が硬いのに、クリスマスプレゼントに2人それぞれに与えた100ユーロを全部使い切った。「せっかく来たんだから」と一見賢そうな意見だけど、どうやらコイツはこの頃買い物に目覚めたらしい。一昨日もお年玉握り締めてマンハッタンに友達と買い物に行ってたし。

本来は円高なので日本人なら少し前と比較して随分買い物しやすいと思うのかもしれない。でも我々はドルベース。ドルとユーロの交換レートは1.5対1.0。つまり1.5倍。でも物価を見みると、どう考えても1ユーロ=1ドルが妥当と言うところ。1.5倍にするとあまりの高さに手が出なくなってしまう。

アメリカを出る前に盗難対策にドルのトラベラーズチェックを作った。そもそもはユーロで作ろうと思ったのだが、アメリカの銀行は外貨の旅行小切手を扱っていないらしい。パリでの両替レートは、1ユーロ当たり1.5ドル以上。対してパリのATMでアメリカの銀行口座から直接現金を引き出す場合のレートは、手数料を入れても1.44ドルくらいだった。それに気づいて、結局小切手は使わず。

~税金~

フランスの消費税にあたる付加価値税のTVA(テーベーアー)。20余年前も10%以上だったと思うのだが、今やそれが19.6%! 日本で消費税の引き上げに反対とか言っているけど、元がたったの5%なんだから、どんなに上げても10%以上にはならないでしょうに。ちなみに、私は引き上げに賛成。財源がないのなら、借金するより消費税を上げればいい。但し、加工品や嗜好品を除く食品は非課税にすべき。

他国の付加価値税を調べてみてびっくり。19.6%なんて驚くに値しないんだ。20%以上もワンサカあるし、大半の国が15%以上。一桁の国の方がめずらしい。そんな希少な国をリストアップすると、最低がイランの3%。次いで日本とカナダ、パナマ、マレーシア、カナリア諸島の5%。7%台がシンガポール、タイ、スイス、だって。

~チップ~

な、な、なんと、フランスのレストランやカフェでの請求書が、いつの間にかチップ込みになっていた! ユーロ導入以来のことか? しかし請求書のどこを見ても「サービス料込み」の言葉は見つからない。知る人ぞのみ知る慣習か。

確かにカードで支払う際に、アメリカなら、食事代金とは別にチップを加える欄があるのに、それがなかった。あるレストランでウェイトレスに「チップはどうやって加えるの?」と質問すると、「現金にして。金額に加えるには、前もって言ってくれないと。でもそうすると経営者側に行くだけで、私たちはもらえないの。だから現金にしてね」 

ヴァレリーに教えてもらうまで、請求額に加えてチップを払っていたのだから、道理で何処に言っても「メルシー」だけじゃなく「ボクー」が付くはず。本当にサービスが良くて心づけを払いたいときは、「気持ち」の金額を現金で残せばいいんだって。