2009年10月25日日曜日

紅葉2




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紅葉

ただいまジョダの散歩中。

常夏?のフロリダから戻ったらすっかり紅葉も終盤に。

実際にはフロリダ滞在中、10℃前半の日があって凄く寒かった。フロリディアンたちはこの時とばかりにクローゼットの奥からブーツやニットを取り出して嬉しそうに着込んでいましたが。フロリダ出身の友達にメールで知らせたら、慌てて冬服買ったりしないでもすぐに元の気温に戻るよと言われた。そしたら彼女の言う通り、2日後には20度後半に戻った。

今日のグリニッチは暖かで、散歩再開です。フロリダ太を解消しなくちゃ。

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2009年10月17日土曜日

ワニ

エバーグレーズでワニを見るツアーに出かけた。

ワニは夜行性で、特に暑い夏場は昼間に姿を現すことがない。だからスペースセンターに行ったときも、冬場にここを訪れた人はワニがウヨウヨいたと言っていたのに、私たちが行った時は「1ヶ月前から姿を見なくなった」とガイドに言われた。

今週半ばまでフロリダにいた出張者は、2週間前に同じツアーに参加したけど、ワニに出会えることはなかった。あくまでも本人は何かの陰か波かを、あれはワニだったと主張していたけど。証拠写真もないからねぇ。

と言うことでワニに出会えるとはあまり期待せずに出かけたのだが。
今日は珍しく気温が低く、20度台だった。日中もずっと曇っていて、風が吹くと冷たいと感じるほど。

エアボートに乗って湿地帯に出て行く。この人が船長のチャーリーさん。
エアボートと言うのは大きな扇風機みたいなのを回してその力で推進する。湿地帯では水中のスクリューだと植物が絡まってしまうから。この船はほぼ水面をかすめて走る。

こんな景色の中をボートは結構なスピードで進む。音がうるさいので、乗客には耳栓が配られる。

しばらく行くとチャーリー船長がボートを止め「今朝はこの辺にいたからなぁ・・・お、いたいた。コイツは慣れてて、寄ってくるんだ」と一匹のワニを指差した。


これは目の錯覚なんてことのない、正真正銘のワニでしょ。

さて今度は赤ちゃんワニのいる所へ案内してあげよう、と船長が船を動かした。
「ほらあそこに頭だけ出てるでしょ、あれは2歳くらいの赤ちゃんワニ」
残念ながら私たちの目では確認できず。

すると船長が、ボートの後手に別の大きなワニを発見。
「お、コイツはここで見たことない。あの赤ちゃんワニが見つかったら食べられてしまう・・・。悲しいかな、そう言う世界なの。僕は11年この仕事をしているけど、赤ちゃんワニが食べられるのを2回見たことがあるよ」だそうです。

あまりにあっさりワニが見られて拍子抜け。
ツアー後、ここが飼っているワニの赤ちゃんを抱くことも出来たのだが、ちょっと気持ち悪いのでパス。

この後アウトレットでお買い物して、日本食レストランで海鮮丼を食べて帰りました。

2009年10月12日月曜日

フロリダ

昨日から再びフロリダにやって来た。
出発前にウェブでフロリダの気温を調べたら、最高気温はいまだに30度以上ある。
短パンやビーサンはもう要らないか、と思っていたけど、やっぱり荷物に追加。

ところが、車の温度計は外気温が30度以上であることを示しているけれど、やはり1ヶ月前に比べると随分暑さは和らいだ。昼食で外に出ても、もわっと襲う、あのすごい熱気はもう感じないし、夕方はそれなりに涼しい。

ホテルの前の大通り沿いに植えられた街路樹もピンクの花をつけていたし、高速道路沿いの果樹園はオレンジの実をつけていた。黄色く色づいていたので、それがオレンジだと気がついた。雲も、何ていう名前なのか、薄くたなびいたいかにも秋の雲みたいな感じ。(かすみ雲って言うらしい。)

相変わらず暑いけれど、確実に季節は巡りつつあるよう。

2009年10月8日木曜日

陳先生と新聞配達

シナコのことを書いてきたけど、私があの子の歳のこの時期に何をしていたのかなぁと思いを馳せて、ふと思い出した。既にどこかで書いたかもしれないが、高校3年生の秋、私は朝刊を配達していた。

1年間の交換留学プログラムを終えて帰った夏、元の公立高校の2年生に復学した。私学から留学した人たちの中にはそのまま3年生に進級させてもらった人や、すごく頭の良い人はアメリカの卒業証書を使って翌春には大学(しかも東大)に進学した人もいたけど、たいていの公立高校からの留学生は留学期間は休学の扱いとなり留年する。

3年生に進級する前に受けた模擬試験。何故か英語と国語を合わせた成績がすごく良かった。生まれて初めてレベルに良かった。これまで英語の成績だけはずっと良かったけれど、元々頭のいいほうではなく、全般には中から中の上と言うところだった。だがその模擬試験の結果は学年で2番。

そこでちょっと欲が出た。

中学時代から憧れ続けた帰国子女のM子ちゃん。私が留年したので、1級上になった彼女は、その春ガイガイへ進学が決まった。

ガイダイ。それは何と魅力的な響きだったろう。そうだ、私もガイダイに行きたいと思った。でもガイダイはコッコーリツだった。共通一次試験を受けなくちゃいけない。但し配点の比率が、1次と2次で、1対5。つまり2次の英語(150点)と小論文(50点)に対して、共通一時の配点は5分の1になる。

それでも当時の私の成績と言えば、2年生だったか1年生だったか忘れたが、数学、化学、生物が5段階評価の2だった。なんせ理数系はさっぱりなのである。国語だって古文や漢文は超苦手。

自力では共通一時は太刀打ちできないと思い、親に頼みこんで家庭教師を雇ってもらう事になった。中学時代の塾の先生にお願いして、紹介されたのが陳先生だった。

陳先生は私の憧れのガイダイの、しかも「輝く」英語科の卒業生で、当時は神戸大学の大学院で中国関連の何かを勉強していた。苗字からわかる通り彼女は華僑。高校までは神戸にある中華同文と言う中国系の人だけの学校に行っていた。

陳先生は、こんなに賢い人知らないと言うくらい賢かった。家庭教師の科目は、共通一時の全科目に渡った。それら全てについて、相応しい問題集を知っていて、宿題を出し、進捗を確認しながら、わからないことは解説してくれた。英語と数学くらいなら誰しも家庭教師は出来そう。でも陳先生は、化学も古文も漢文もよーくわかっていて教えてくれた。数学も得意。英語も「発音だけはいいわねぇ」とほめてくれたけど、私の文法や語彙はお粗末なものだった。

陳先生と一緒に初めてまともに数学を勉強した気がする。化学もちょっとだけわかった。世界史は範囲を決めて覚えるように言われ、毎回テストされた。古文や漢文はちっともわからなかったけど、それでも問題集はこなした。英語も関西で当時「シケタン」「シケジュク」と呼ばれた暗記本で語彙を増やした。(関東では「デルタン」と言うのか?)これは後々結構役に立ったと思う。

そうして夏休みも終わりに近づいたある日。
父と私は大喧嘩をした。原因はもう覚えていないから、取るに足らぬ事に違いない。
怒り心頭した父は、「もうえー! お前のことは知らん! 家庭教師の金も出さん!」
売り言葉に買い言葉。
「結構です。家庭教師は自分で雇いますっ!」

興奮するその足で、私は駅前の朝日新聞へ向かった。我が家は朝日を取っていた。
「おじさん、新聞配達に雇ってください!」

そして翌朝から新聞配達を始めた。
黒縁眼鏡をかけた30歳くらいの雇われ配達員のおじさん(お兄さん?)が、それから2日間、私と一緒にルートを回って教えてくれた。自転車にどうやって新聞をくくりつけるか、どうすれば効率よく回れるか。
彼が言った。「どうせ、お嬢さんの気まぐれやろ」

それほど部数は担当していなかったので、毎朝5時に起きて7時前まで、家の近所を配った。

誤配があっても足りるように、新聞は必ず3部余計に持って回るのだが、最後に3部以上残ると困った。配って回ったルートを再び回り、記憶をたどる。ひょっとして、ここに入れ忘れたかなぁと、ポストを覗く。既に取り込んでいる可能性もあるけど、とりあえず新聞が入ってなければ入れておく。そして翌朝、おじさんにしかられる。「XXのあの家、忘れたやろ」

広告の裏紙を閉じたて作った配達先を書いたリストを持たされているのだが、慣れてくると、いちいちそんなものは見てられない。
長期で不在の場合には「止める」家とかあったり、朝日の他に日経も取ってたり、英字新聞を取ってたり、新聞配達も結構頭を使った。

毎朝お経をあげている家があって、暗がりにお経の声が聞こえてくると怖かった。
寝坊して、電話で起こされる日も一度や二度はあった。

11月に入って、だんだん寒くなってきた。おまけに配り終わっても真っ暗だ。
寒いのは苦手だ。怖いのも苦手だ。

とうとう父が言った。
「もうええ。家庭教師代だしたるから、やめてええ」

待ってましたとばかり、11末を最後にすっぱり止めた。
最後の日に、あの黒縁眼鏡の人が言った。彼は明日から私の担当していた所もカバーしなければならない。
「な、やっぱり、お嬢さんの気まぐれや言うたやろ」
苦労人のオーラをかもし出していた彼に返す言葉はなかったけど。
(お嬢さんやないけど、寒いのも怖いのも苦手やもん・・・)

陳先生は、私を教え始めた当初には彼氏がいた。ところが日本人との結婚を許さないご両親に反対された。
私を教えている最中に、どうやら同じ華僑の人とお見合いをしたようだった。ある日、「お見合いってバカにしてたけど、案外悪くないかもしれないわねー」と言っていたから。
しばらくすると、ほのかにタバコの臭いがするようになった。

共通一時の結果が出た。点数を見た陳先生は、「インドネシア語も面白いよ。『走る』っていうのは、『歩く』を2回言うと走るになるんだよ」
これが本当かどうか真偽の程はわからない。(多分、本当は『歩く』を2回言うと、『散歩』って意味になるんじゃないかと思う)

陳先生の勧めは無視して、私の共通一時の点数で入れそうなイタリア語を選んだ。別にイタリアに興味があったわけでも何でもない。ヨーロッパ系は、言語も文化も英語と変わりないだろうと思ったからだ。これは後になって大きな間違いだったと気付く。が、時既に遅し。

春が来て、私はめでたくガイダイに合格した。
父は狂喜乱舞した。我が家は後にも先にも「コッコーリツ」なんて人間は輩出していないのだから、父のこの喜びようもうなづける。

陳先生が私にお祝いを言いに来た日、父は先生に「お礼」と書いた封筒を押し付けていた。
「いや、もう、気持ちだけでっさかい」
中味は10万円だったと記憶している。

陳先生なしでは、ガイダイ入学は絶対に有り得なかったと私も確信しているし、姉も妹も四捨五入して授業料100万円ののM短大やK短大だったのだから、10万円は安いものだ、と私も思う。

陳先生はその後、例の華僑のお見合い相手であるお医者さんと結婚し、彼の研究のためにニューメキシコに渡った。その後、音信普通になってしまった。

陳先生、どうしておられるのかなぁ。すっごい才媛だったけど、今はどうしておられるのか。懐かしく、しばしば思い出すのである。

続・物理プロジェクト

夕方、クラブが終わったシナコを迎えに行った。

「プロジェクト出来たん?」
「ん、もー信じられない! どこの世界にバカ正直に別の授業の宿題をするのに、他の授業を休みますなんて言う人がいるの! そんなの容認してもらえないの、あったりまえじゃないの!」

勿論、シナコが「容認」なんちゅう高度な日本語を知るわけがなく、ここでの会話はシナコは全て英語、私は関西弁である。

「じゃあ、他の二人はお母さんが上手いこと言って休めたん?」
「あったりまえじゃん。あ、ゾイは休んだけど、ポリアナは気分が悪くなって家に帰った・・・」
「ふーん、じゃあさ、何て言ったら良かったんよ?」
「もう、頭使ってよ。歯医者のアポがありますとか言えばいいんでしょ」
「そんな、嘘を思いつかないよ。そしたらそう言う風に言うって言ってくれないと。だから聞いたでしょうが、何て言ったらええんって。そしたら5時間目の英語の授業休みますでいいって言ったやん」
「もう、うるさい!」
「で、いつやったん?」
「昼休み」
「で、プロジェクトは出したん?」
「出した」
「ほんまー、出きたんや」
「出来てない! 未完成のまま提出した」
「ぎりぎりまでやらんと放っとくからやん」
「うるさい! 今朝は朝ごはんも食べてないのに、昼もランチ食べてない!」
「別にママが食べんといてって頼んだわけでもないでしょ」
「朝から何にも食べずに走ってきて、お腹空いて機嫌が悪いから話しかけないで!」
「シナコ等だけなん、未完成で提出したの?」
「違う。クラスの全員が、昨日は2時までやってて、全員が終わってなくて未完成で提出したの」
「そうか、そら、良かったやん」
「全然良くない! もういいから黙って!」

ここで会話は途切れた。

横並び精神が骨の髄まで染み込んでいる私としては、全員が出来てないんんだったら、それでオッケーって感じですけどねー。

物理プロジェクト

シナコねたばかりになってしまうのですが・・・。

今朝、学校のシナコから電話があり、
「今朝の物理のプロジェクト、まだ出来てなくて、5時間目の授業に出ないで、みんなでやることにした」
「そんなことしていいの?」
「うん。ママが学校に電話して、休みますって言ってくれたら大丈夫」
「ホントなの?」
「大丈夫。だから、お願い!」
「・・・わかった。なんて言えばいいの? 5時間目の、何? 英語? 休みますでいいのね?」

と言うことで素直に学校の出欠係に電話をした。
「12年生のシナコ・XXの母親ですが・・・」
「苗字のつづりは?」
「XXXXです」
「で、ご用件は?」
「今日の5時間目の英語を休みます」
「理由は?」
「なんか、他のプロジェクトがあって、そっちをするって言ってました」
「残念ながら、その理由では届出のあった欠席と認められません。無断欠席になりますよ」
「そうなんですか? まあでも、本人は休むって言ってますから・・・」
「わかりました。とりあえず連絡はあったので、学校からの無断欠席を通知する自動メッセージ電話は、今夜は家に掛かりませんけど、扱いは無断欠席になりますから」
「はーい、わかりました」

そうなのだ。無断欠席すると、自動メッセージで「XXXXは本日XXの授業を無断欠席しました。この件に関して質問がある場合は、XXXXへ」と言う電話が掛かってくる。以前に手違いで、この電話が掛かってきたことがあり、無断欠席の記録を消すために、学校に掛け合わなければならなかった。

電話を切って、一応シナコに連絡。でも授業中だからか電話には出ない。
仕方ない、SMSを送っておくか。

「学校に電話したよ。理由を問われたから、プロジェクトをするために休むって言ったら、無断欠席の扱いになりますだって」

すると折り返しのメッセージ。
「えっ! そんなこと言ったの? 信じられん。じゃあもうプロジェクトの作業できないじゃん。まったく、ありがたいよ!」

「じゃあ、最初から理由も教えておいてくれたらいいでしょ。英語に出るなら、自分でやっぱり出席しますって出欠係りに言ってね。もう欠席になってるから」

「一体何考えてんの? 直ぐに電話して、上手く授業に出なくて済むようにするか、さもなきゃ出ますって言って!」

「アンタが出るのか出ないのか、ママは知らないもん。じゃ、今日の英語の授業に出るってことね? もう一度学校にそう言って電話すりゃいいのね?」

「休めるようにしてくれるか、授業に出るって言うか、どっちかしてくれたらいいの!」

「授業を上手く休むなんて無理。先方は本当の理由を知ってるから。授業に出るって言っとくよ」

ってことで、再び出欠係りに電話。同じ女性が電話に出た。
「先ほどの、シナコの母親ですけど、やっぱり英語の授業には出ますって。と言うことで欠席は取り消しておいてください」
「きっとまた電話があると思ってましたから、まだ入力してませんでしたよ。私にも子供がいますから。無断欠席はだめ、授業に出なさいって、恐らくそういうことになるんじゃないかって思ってましたから」

別にそう言う理由でもないけど・・・。
私は学校のシステムもよくわからないし、そもそもシナコと言い争うのが面倒で言われたとおりにしてるだけなんですけど。

義母 (10)

9月に日本に帰るとブログに書いてたけど・・・と、時々尋ねられますが、そう言えば当初はそう考えていたのでした。

義母は8月初めに退院し、グループホームに移りました。その後の様子は義兄や義兄嫁の話からも、8月末にお見舞いで1週間帰国したコイオからも、入院前と同じくらい元気になったと聞き安心しています。勿論、物忘れのほうは進んでいるようですし、体力的にも歩くのにふらついて転んだりということはあるようですが、一人暮らしの時と比較して、精神的には随分と落ち着いているような印象を持ちます。

本人は今のグループホームをまだ病院だと思っているようで、会う度に「退院はいつ?」と聞かれて閉口すると義兄が言っています。「部屋に、退院日X月X日」って2ヶ月先くらいの日付を書いたものを貼って、定期的にその日付をずらしていけば、と提案しましたが、気付かれずに上手くそんなことができるのか、近くにいない私には何とも言えません。義兄嫁は良い考えねと言っていたので、実行したかな。

状況は落ち着いているようなので、コイオが8末に帰ったところなので、続けて9月に私が帰るよりは、もう少し間隔を開けた方がいいだろうと思い、とりあえず今のところは帰国予定はありません。

その代わり電話をなるべく頻繁にしようと心がけてはいるのですが、最初に電話した時に「午前中は忙しいから午後にして欲しい」と言われ、そうなるとなかなかタイミングが合いません。確かに午前中は入浴などがあったり、慌しい模様。午後は割に自由にしているらしいのです。

たまたま午前1時過ぎまで起きている時には電話をすることにしていますが、そこまで起きていることが滅多になくて。

昨夜はそんなたまたまの日。
シナコには提出期限が今日の1限目と言う物理のプロジェクトがあり、友人3人でやっているらしく、最後の仕上げ(か、どうか知らん)に昨日は夕方から3人で図書館で作業しておりました。ところが閉館時間の9時になっても終わらない。
「これから友達の家に移動するから。終わったら迎えに来て」とのこと。
「えー、何時ごろになるのよ?」
「うーん、11時ごろかな、とにかく電話するから」

しかし待てど暮らせど電話はない。と言うのは嘘で、私もすっかりシナコのことを失念しておりました。はっと気がついて時計を見ると12時を回っている。慌ててシナコの携帯に電話するけど、鳴らしても鳴らしても留守電に繋がるだけ。おかしい、電池切れか、寝てしまったか・・・。友達の家に電話するにも、だいたいどこの誰の家に行っているのかすら知らない。
どうせ寝てしまったのだろうから、朝の早くから迎えに来いと起こされるに違いないから、私も寝よう・・・と思ったところで、ようやく電話が鳴りました。
「迎えに来て」
「何度も電話してたのに、なんで出なかったの? 寝てたの?」
「違うよ、バイブレーションモードにしてたから気がつかなかった」
ってことで、迎えに行って、家に戻ったら1時半。

と言うことで久々に義母に電話をしました。
前回電話したときも、「今日はパーティーがあるので、みんなでお菓子を作っているの。ケーキ」と言いましたが、昨日もまた、パーティーがあるのでお菓子作りをしてるそう。入居者が多いので頻繁にお誕生日会があるのでしょう。その度にみんなでお菓子作りをしているのじゃないかな。昨日はスイートポテトとお饅頭。

「ごめんね、時差があるから頻繁に電話できなくて」と言うと、
「いやぁ、こっちも仕事場やから、昼休みに電話もらったほうがいいからね」と、何故か急に、勤めをしている義母の会社の昼休みに電話をかけたことになっています。前回も同じようなことを言ってました。
「長電話して仕事をサボってたら怒られるね」と言うと、
「いいの、いいの。アメリカから電話やってわかってるから」とも。
コイオは出張中だと言うと、どこにと聞くから、テキサスと答えたら、「わぁ遠いねー」
しばらくして、コイオは、と聞くから、「出張に行っているよ。」また、どこって聞くので、「今回はテキサス」「わぁ遠いねー」

義兄の息子のことで「そろそろ就職だね、でも不況だから大変だね」と話をすると、不景気なこともわかっているし、「今日は日本は台風だったんだって」と言えば、「そうなの、今はもう風は止んででいる」と言うし、「今週末は体育の日で3連休だね」と言えば、「この前から連休ばっかりよ」と、シルバーウィークのこともわかっている。

電話で話している限り、声ではとっても元気そうでした。

2009年10月7日水曜日

約束

昨日の朝、シナコを車で学校に送って行ってやった。
最近は、私がしばしば不在でシナコにしわ寄せが行っているので、寝坊したからと言って昔ほど頑なに「送りません!」とは言わずに、結構優しい母親をしている。
でも、昨日は例外。

夜中にトイレに立つと(年ですなぁ)、シナコの部屋から煌々と灯りが漏れていた。
覗いてみると、いつものように、洋服のままベッドで丸まっている。隣にはパソコンが開き、教科書もノートも開いたまま。

「シナコ、寝るんだったら寝なさい」
「・・・ちょっと考えてるだけ・・・」
「はぁ? 寝てるじゃない」
「・・・寝てない・・・」
「よだれ垂れてるよ」
ズルズルズル(とよだれをすする音)「・・・うるさい!」
「うるさいって親切で言ってあげてるのに」
「うるさい、あっち行って!」
「ふん、知らないからねっ」と、私は自分のベッドに戻った。

5時半。コイオの目覚ましで目が覚めたので、シナコを見に行く。
案の定そのまま寝ていた。
「シナコ、5時半だよ。宿題できてないんでしょ?」
「あぁーーー! あーどうしよう!」
「どうしようって、知るかさ。夜中に起こしてあげたのに」
「あー! 今からやるけど、あー、ママ、お願い送ってって!」

スクールバスは色々な所を回るので学校に着くまで30分かかる。車だと10分で着くから、その分宿題をする時間が稼げるということなのだ。

「やだ」
「なんで、どうして送っててくれないの? お願い」
「言ったでしょ、部屋が散らかってる限りは送りませんって」
「片付けるからー! 絶対。今週末片付ける。お願い!」
「だめ」
「お願い! 部屋きれいにする!」
「じゃ、部屋も片付けて、そして二度と『うるさい』って言わなければ送ってあげる」
「えー、それは無理!」
「何で無理よ。お母さんやお父さんに向かって『うるさい』なんて、おかしいでしょうが」
「でも、それは無理」
「何が無理なの?」
「そんな出来ない約束はできない。絶対言っちゃうもん」

・・・出来ない約束は出来ないか。シナコの言うことも一理ある気がして、簡単にギブアップ。
「じゃ、いいよ。その代わり今週末部屋を片付けて、そのあとずっときれいなままにキープすること。汚くなったら罰金」
「わかった。そうするから、送ってって!」

ってことで成約。ようやく、あの部屋が週末きれいになるらしい。そのあとはきれいにキープされるらしい。
楽しみだなー。(ほんまかなぁー・・・)

今の部屋の写真をお見せしたいところだが、普通の人間の部屋とは思えぬ凄まじさに、さすがの私も親として恥ずかしく、お見せするわけには参りません。

2009年10月5日月曜日

お寿司屋さんの隠語

土曜日、コイオとシナコと三人でマンハッタンにお寿司を食べに行った。
水曜のヤンキーズの試合と言い、シナコが付いてくるというのは珍しい。
とうとうシナコも脱ハンコーキか!?

お寿司屋さんに着いて、カウンターに腰掛ける。

私はウニとトロが好き。
昔からこれから始めて、これで終わることにしてる。
中トロを注文すると、

「今日はボストンのいいのがありますよ」とカウンターで握ってくれているおじさん。
「そうそう。日本じゃ生のマグロは食べれらないけど、アメリカは生なんですよね」
「そうですよ。日本は冷凍して持ってかなくちゃいけないけど、こっちは生ですからね。ボストン沖のマグロが一番おいしいの」

と言うことなのです。日本の皆さん、残念だねー。
ウニもカリフォルニアのやつ。東海岸のよりずっと大きくておいしい。

ところでマグロも牛肉のように、取れたては味がなくておいしくないそう。
「Aged beef(熟成牛肉)の方がおいしいでしょ。マグロも一緒なの。ちょっと日が経ったほうがおいしいんだよ」
多分、酸化して分解が始まると柔らかくなり、味も出るのでしょう。牛肉もそうだから。

そのとき、誰かが何かを注文した。するとおじさんは、
「はーい、XXヤマね!」
すると、並んで握っているほかのおじさんたちもリレーするように、
「XXヤマですー!」
「はーい、XXヤマ!」

「ヤマって、もうなくなりましたってことですか?」
「そう。ほら、寿司は海の物でしょ。山に行ったらないでしょ、だから」
「ふーん!! それは面白い」
「これはどこの寿司屋でも共通」
「へー、じゃあトイレに行くって言うのは? デパートとかじゃムラサキとかって言うらしいですけど」
「あー、うちの店では4番だな、これは共通じゃないけど。4番行って来ますとか言うんだよね。あ、でも数字は共通だよ、どこの寿司屋でも」
「数字? お勘定の?」
「そうそう」

ってことで、これは覚えきれないのでメモした。
1はピン。これは他でも言うね。
2はリャンコ。中国語みたい。
3はゲタ。ゲタは鼻緒を止めている所が三箇所だからだって。
4はダリ。このあたりから、おじさんにも語源がわからないのが出てくる。
5はメノジ。碁盤の目の地から来た。
6はロンジ。
7はセーナン。7は西南の方向だから。
8はバンド。昔のバンド(ベルト)は、ベルト穴が8つ空いてたそうな。
9はキワ。際だから。
10はピンマル。ピン(1)とマルだから。

そして、11はアサダチ・・・。ピンピンだからだって。
「ご主人、わかりますよねー?」
「私だってわかりますよ。そのままブログに書きますから」

ということで、おじさん、ブログのネタありがと。寿司ネタも新鮮でうまかったです。

2009年10月2日金曜日

微動だに

えーっと、今日で1時間の散歩は何日目だっけ。
16日目だ。
私にしては頑張っている。
まだ1日も休んでない。

なにの体重計の数字は全然減らない。

私のボヤキをブログで見た友人が、ペットボトルを持って歩いたら?と提案してくれた。
あ、そっか、運動負荷を増やせってことね。
ならば、ダンベルを持ってるのよ。その昔、ステップエアロビなんざやってました折に買いましたんざますよ。ウェアも上から下まで揃えたんですけど、3ヶ月ほどで止めてしまいましたわ。

なんたってまずは道具からそろえる主義でございますから。今回もちょっと寒くなってきたからサブゼロ気温用のスペシャルな素材で出来たウェアをゲットしましたですから。「Sugoi」って言うブランドで、「スゴイとは日本語でグレートと言う意味である、な~んて書いてあったけど、冬でも十分に暖かいそうです。今日は十分冬みたいに寒かったし。早速、サブゼロはいて、上はヤンキースタジアムで買ったジャンパー。

片手にジョダの綱、もう一方の手にウンチ袋(しばらくすると中味入り)を持って、その上で両の手にダンベルを持つというのは簡単ではございませんが、ダンベルにはマジックテープも付いてるので、ウンチ袋の手の方はダンベルを手首に巻きつけて歩く事にしました。

別の知人はメタボ解消?はたまた健康作りのために自転車こぎを始めたそうですが、もう随分になるのに、やはり簡単には体重は減らないとのこと。最近は自転車こぎながらフルートを吹いているそうです。
あ、曲芸師じゃないですからね、念のため。室内のエクササイズ用自転車ですから。
フルート吹いているのは、自転車こいでる時間が惜しいから、ついでにフルートの練習もしようと一石二鳥が目的なのか、運動負荷を増やそうとしているのか知らないですが。

ならば私は一石三鳥でございますわ。
自分のウォーキングでしょ、ジョダの散歩でしょ。
加えて、あくまで「運動負荷を増やすため」にですが、iPod聞きながら熱唱しております。
歩きながら日本語で熱唱してるから、きっとおしゃれなグリニッチアベニューを行く人たちは(このところ帰りはグリ・アベを一部歩くことが多い)ちょっと頭のおかしいオバハンが歩いていると思ってることでしょ。そのうちヤンキースのジャンパー着て犬連れて歩いてる人って噂になったりして。一応すれ違う一瞬は声を落とすか、黙るんだけど、すれ違った途端に声を張り上げてるからな。(噂になるまで続くかなぁ。)

でも残念ながら歩いている間中ずっとずっと歌えないのですね。
と言うのも、ナツメロになると考えなくても歌詞が口をついて出てくるのに、最近仕入れたワカモノの歌になると、どう頑張ったって歌詞が覚えられん。一緒になって歌おうとするのに、歌えない。
でも、何とか歌おうとする努力がいじましいでしょ。そうだ、これはきっと記憶力を刺激して脳の運動にも貢献しているに違いない。んじゃ、一石四鳥だな。

で、今日も機嫌よく熱唱して帰ってきたら、万歩計付けていくの忘れてた!
めっちゃ悔しい!
平均歩数が今日でぐっと減ってしまう!
悲しすぎ。

私がしつこい?

10月に再び出稼ぎに出る事になり、今、航空券を手配した。

インターネットで購入したのだが、座席を確認した時は「1席」だけあった。そのまま購入画面に進み、最後に座席を確認したけれど、先ほど示された1席がない。

はて、既にさっきの席があてがわれているのかな?と思い、そのまま購入。
購入後に再びログインして、自分の予約情報を調べると、座席指定されておらず、座席を取ろうにも席が残っていない。

え、これって座席がないってこと? 
オーバーブックなの?
キャンセル待ち?

不安になって航空会社に電話。
電話に出た顧客係りの説明。

「ある程度以上の予約が入った時点で、既にチケットを購入している人で、まだ座席を取っていない人がいると、その時点で座席指定はできなくなります。当日空港で座席指定されます」との説明。

でも本当にオーバーブックしてないのか、本当に私はこのフライトに乗れるのか非常に不安になった。

「じゃ、わたしはこの飛行機に座席があることは保証してくれるのね?」
「あなたはこのフライトであると確認されています」
「確認じゃなくて、このフライトに乗れるか保証してくれるのかって聞いてるの」
「航空会社は『保証』という言葉は使いません。あくまで確認されていますとしか申し上げられません」
「そんなこと言うから不安になるんでしょうが。このフライトに乗れるの、乗れないの?」
「あなたはこのフライトに確認されています。オーバーブックはされていません。当日ゲートで座席指定されます」

しつこく延々と、この問答を繰り返して、最後にわたしは、
「わかったわよ、要はわたしはこのフライトに乗れるように祈っておけばいいってことね」と捨て台詞を吐いて電話を切った。

あー、私って短気なのかな。(短気だよ。)

だけど、席が空いてるのにあてがってくれないってどういうことよ、ね。
あてがってくれなくても、あなたの席はありますって保証してよ! 
聞きたかったのはこの一言だったのに。
あームカつく。
ほんとに乗れるのかなぁー。

2009年10月1日木曜日

ヤンキース

コイオがヤンキースの試合のチケットを知人からもらったので、昨夜シナコと3人で観にいった。
別にヤンキースファンでも松井のファンでも何でもないけど、地元だし、球場が新しくなったから一度は行ってみたかった。(コイオは既に接待か何かでバックネット裏で観てる。)

宿題が山のようにあって最後まで行くかどうするか決め兼ねていたシナコも、滅多にない機会と思ったのか、電車の中と球場で宿題すると、教科書の入った大きなバックパックを背負って行く事に。(行きの電車では宿題してたけど、球場ではできず、帰りの電車も混んでいてだめ。宿題はどうなったのやら。)

おおーこれがヤンキーススタジアムか! 
座席は5階建ての4階だからそんなに良い席じゃないけど、こんな感じで見渡せる。

席に着くや否や、コイオにビールを買いに走らせ、持込のおにぎりとお寿司をほおばる。ビールはスーベニアカップ入り。
しかし寒い! ビール飲んだら余計に寒い! 

他の観客も寒そうでしょ。
「寒いからジャケット着て行ったほうがいいよ」と言う賢母のアドバイスを無視して、セーターにビーサン姿のシナコは、
「寒いっ! 寒すぎる! 我慢できな~い!」
ってことで、シナコはパパとスーベニアショップ(みやげ物屋)に着る物を買いに走る。

私も食べたら暖かくなるかも。おでんに熱燗買って来て、と言いたいところだが、仕方ない。
「帰りにホットドッグを買って来て!」

やおらして、ヤンキースのオフィシャル・ヨットパーカーにベースボールキャップと言う、にわかヤンキースファンの出で立ちでシナコが戻って来た。
ホットドッグをほおばる。
でも、まだ暖かくならない。
セーターの上にジャケットを着てるのに。風がなければ寒さはましだったんだろうけど、昨夜は結構風が吹いていた。

我慢できず「私も着るもの買ってくる!」と、同じくスーベニアショップに走る。
ショップには、こんなハッピ姿の日本人の女の子が。
あ、この子たちって、さっき画面に大写しになっていた松井ファンの子達かな。きっと日本からツアーで来てるんだ。

しかしオフィシャルグッズは高い!
ってことで、わたしは子供用(12~14才用)のジャンパーを買って席に戻った。

席に戻ると今度はコイオがポテトフライとポップコーンを買いに。それを食べ終わった後は、コーヒーを買いに。

もうお気づきかと思いますが、食べて、買い物して、また食べて。試合なんて殆ど見ちゃいないのであります。ヤンキースは既に東部地区で優勝してるのに、対戦相手はわたしゃ名前も聞いたこともなかった地区最下位のカンザスシティー・ロイヤルズ。なのに初回からずっと押され気味で、それほど面白くないのよね。

写真だけは撮っておりました。初回、先行のロイヤルズに1点先制されたけど、直ぐ裏の攻撃でジーターがソロホームラン。

私がジーターの名前を知ってたか? まさか。前の観客の服の背中を見て始めて知ったのであります。

このロドリゲツって人は現役選手の中で2番目に本塁打(581本)を打っているらしく、歴代でもマグワイヤ(583本)に次いで9位だって。

松井も全く活躍しなくて、さぞかし日本から来た女の子たちはがっかりしてたことでしょう。




私たちは7回表にロイヤルスが1点追加した後、God Bless AmericaとTake Me Out To The Ball Gameを歌って、裏のヤンキースの攻撃を待たずして球場を後にした。試合はそのまま3対4でヤンキースの負け。

これが松井じゃなくてマリナーズのイチローだったら私も食べ物なんか買いに走らずに寒さもこらえてじっと観戦したんだけどなー。