2007年9月28日金曜日

友人1


私にはユニーク、あるいは著名な、あるいはその両方の友達や知り合い、知り合いの知り合いというのが比較的多い。


昔、同僚たちと知り合いの知り合いも含めた、「有名人自慢」というリストを作成したところ、ダントツで私が一番だった。(って言っても、参加者は私以外にはひとりだったけどさ。) このリストのルールは、どんなしょうもなくても、その有名人とちょっと関わりがあればOKだった。


私のリストの中には、今井美樹、岸恵子、もんたよしのり、萬田久子、トミースナイダー(ゴダイゴ)、舘ひろし・・・なーんて名前もあったのです。勿論、向こうは私のことなんか多分ぜーんぜん知らないか認識していないでしょ。(今井美樹は私の友達の従妹で、舘ひろしには「英語、お上手ですね」と言われたことがあった。)


そんなことは、さておき、私のユニークなお友達を少しずつ紹介していきましょう。


トップを飾るのは、私のフランス人の親友ヴァレリーちゃん。彼女とはパリで知り合った。当時私が勤めていた会社で働いていた。私より3歳くらい年下だったが、ずっと大人びていた。逆に、私は超子供に見えたので、二人でレストランに入った時に、「ボンジュール、レゾンフォン」(こんにちは、子供たち!)と言われて、「あんたがいるから、子供って言われた!」と憤慨していた。(あんたが老け顔なんだよ!)と、私は心の中で毒づいた。


ヴァレリーは、今で言う日本オタク。ソルボンヌ大学で日本語を専攻した後、日本は名古屋に留学。と言っても、昼間、語学学校で学ぶ傍ら、夜はバーで接客。殆ど実践的な日本語はこの夜の稼業を通して学んだという。お陰でヴァレリーの日本語は、名古屋弁。「~だで」というのが口癖で、私にもうつって、パリで私たちが話していた日本語は、「あかん、あかん。〇〇だでー」ってな調子だった。


ヴァレリーが会社で日本語を話すお陰で、私のフランス語はちっとも上達しないというのが私の不満だった。ある時、お役所に行かねばならない仕事があって、「私がいると上達しないって言うんだったら、ひとりで行ってくれば」と突き放された。よし、ここぞ、と頑張ってひとりで出かけたのだが、例によって例のごとく、お役所の中で、たらい回しにされ、結局目的は果たせず。事務所に戻って悔し泣きして、ヴァレリーに慰められたこともあったっけ。


会社ではライバル的存在でもあったのだけれど、夜は2人でよく飲んで遊んでしゃべった。お互い一人暮らしで、アパートが歩いて5分しか離れていなかったこともあり、ワインとお惣菜を買い込み、しょっちゅうどちらかの家で、飲んだり、そのまま泊まったりした。一緒に出かけて、家についてから電話でぐだぐおしゃべりし、気がついたら受話器を握り締めたまま、朝だったってことも。


2人の会話? 勿論関西弁と名古屋弁のちゃんぽん。1年後にヴァレリーが別の会社に移るまでは、私は殆どフランス語を話す機会がなかった。ヴァレリーが移ったきっかけのひとつも、私がこのままじゃフランス語が上手くならないと文句を言ってたからなのだけれど、明らかにヴァレリーのせいではなかったことは、後にしっかり証明されましたね。


ヴァレリーのアパートにはシャワーしかなく、冷蔵庫も洗濯機もなかった。フランスの家には通常ビデがついている。ヴァレリーは、「ビデって本当に便利!」と言って、家に帰ってまず、汚れた足をビデで洗い、その後ビデに水を張って、買ってきたワインを冷やし、寝る前には洗濯物をビデでつけ置き洗い。当初は、ぎょえっと思っていたけれど、慣れると「便利」と思えるのが不思議だ・・・。


ヴァレリーには、娘がひとりいる。この秋、娘のマリアが入学。嬉しそうに送ってきたマリアの背中には。


相変わらずのオタクぶり。夏休み、マリアを連れて日本に行ったらしいが、どうやら2代目オタクの誕生らしい。(ちなみにヴァレリーは現在、会社を興し、日本の顧客を相手にビジネスをしている。)

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