2007年10月29日月曜日

友人2

頭が$$$$になり過ぎて、少し疲れたので、ここらでまた私のお友達を紹介しよう。

その名を、Cちゃんと言う、マンハッタンに住む彼女とは、ウン十年来のお付き合い。大学生だった頃、KDDのオペレーターという、とても待遇の良いアルバイトをしていた。当時は、国際電話はKDDの独占市場。電話代も今とは比較にならないほど高く、それゆえ家から直接電話をかける人も少なかった。間違い電話だったり、相手が出るまでに時間がかかったりしても、すべてが電話料金に跳ね返るからだ。

記憶があいまいだけれど、当初はアメリカへの直通電話(単に番号を繋ぐだけ)で、3分間、3400円くらい、指名通話で5400円くらいしていたように思う。それも私がオペレーターとして仕事をしていたわずか3年間に、どんどん安くなっていった。最終的には、直通で1000円台、指名で3000円台まで下がったようにに思うけれど・・・。今、ネットで当時の国際電話料金を調べたけれど、出てこなかった。誰か、覚えていない?

ついでに、もう少しKDDのバイトの話をすると、当時KDDは独占がゆえに儲かって儲かって仕方がなかった。そこで、私たちアルバイトの身分も、「短時間制職員」と言うもので、ちゃんと厚生年金手帳ももらい、会社の福利厚生施設も、社員と同様に利用できた。毎年ひとつ配ってくれた、中に乾パンや非常時のグッズが詰まった銀色の「非常袋」。嬉しがりの私は、お出かけ時の鞄に使っていたっけ。あと、年に1-2回、レクリエーションと称して、高級レストランでご飯が食べられたり、ハイキングがあったり、六甲山荘でお泊りしたり・・・。

私の就業時間は午後8時から12時。別に9時から午前1時というシフトもあった。3日制と5日制のアルバイトがあり(6日もあったっけ?)、私は月水金の3日制。お給料も普通のバイトより全然良いので、学生のみならず、今で言うフリーターのような人もいました。今のフリーターと違うところは、彼らは昼間は、司法試験や弁理士になるための勉強をしていたな。また、昼間は別の仕事をしている人もいました。

深夜に仕事が終わるのだが、帰りは全員タクシー。相乗りだったけれど、楽チンでした。

C ちゃんとは、入社の時期は少しずれていたし、シフトも違っていたように思うけれど、休憩やレクリエーションで一緒になって、仲良くなった。確か90分に1回の休憩があったので、1日2回は休憩。休憩は15分だったっけ? そうそう、会社にはお風呂も食堂もあったので、クラブを終えて来る学生や、下宿にお風呂がない学生は、KDDをもっぱら銭湯代わりにしてたよね。私も時々お風呂に入りました。結構立派な浴場だったと思う。

まあ、類は友を呼ぶって言うか、お互い英語が好きだし、アメリカが好きだし、ってことで仲良くなり、一時は一緒に教会にも足を運んだね。カナダから宣教師が来ていて、彼らと話すのが楽しかった。

私はKDDのほかに、ポスターの輸入をしている小さな会社の輸入事務兼社長秘書みたいなバイトもしていた。大学を卒業するに当たり、このアルバイトの後任として、Cちゃんを紹介。

私がパリに駐在になった年、彼女も日本での仕事をやめて、ニューヨークの大学に留学することになった。アメリカに渡るとき、パリ経由で、私のパリのアパートに1週間ほどいたっけ。その時ヴァレリーにも紹介した。(今月Cちゃんはパリに旅行に行き、そこでヴァレリーとマリアに会った。私はまだ1度もマリアに会ったことないのに!)

以来、彼女は日本に戻ることなく、ニューヨークで結婚し、現在に至っている。これまでは、殆ど手紙やカード(電子革命以降はEメール)のやり取りに加え、お互いが、アメリカや日本にいるときに、2年に1度会う程度だったけれど、去年8月に私がコネチカットに来てからは、2週間と空けず、会っている。

私がモントレーに留学したのは、実は彼女がきっかけ。彼女は私が入学する1年前にこの学校を卒業した。

私がここにCちゃんのことを挙げようと思ったのは、実は、Cちゃんと言うよりは、ご主人のMのことを紹介したいと思ったから。とにかくスゴイ人物だと思う。いろんな意味で。

CちゃんがMと出会ったのはNYCに到着して直後。彼らは私と夫が結婚した翌年に結婚したが、当時Mは60歳を越えていた。Cちゃんのお父さんよりも年上。私もびっくりしたもん。実は、その前年だったかな、イギリスにいるもう一人の友人が、55歳の男性と結婚。その時もびっくりしたけれど、Mはそれより10歳近く年上だったから。結婚するって聞くまでは、Mと付き合っていることは知らなかったように思う。確かずっと「下宿先のオジサン」という風に聞いていたよね?

最初は面食らったし、お金持ちのMだから、Cちゃん、お金に目がくらんだの・・・と思わないこともなかった。でもあれから、ウン十年。オシドリ夫婦の2人を見ていると、本当に幸せそうだ。

驚くのは、Mのバイタリティー。とにかく、寸暇を惜しんで何かをしている。とっくに仕事は辞めているけれど、彼が何もしていない時って全くない。ニュースレターを発行したり、本を書いたり。流石ユダヤ人だけあって、絶対に無料ではくれないけれど。真面目な貢献者の私は、ちゃんとニュースレターも購読したし、彼の著作も何冊か買っています。但し、内容は、面白い。語彙が豊富だから、辞書引かないと読めないんだけれどさ。

とにかく元気で、年に何度も旅行に出かける。ホテルや食事にはお金は惜しまないのに、飛行機のビジネスクラスにお金を使うのはもったいないと、いつもエコノミー。身長も体重もそこそこあるし、あのエコノミーで国際線はしんどいんじゃないかと思うのだけれど・・・。

NY市内でも、いつも地下鉄とバスを利用している。流石に85歳の今年は、ちょっと背中が痛かったり、肩が痛かったりで、医者通いをするようになっているけれど、でも、やっぱり世間の85歳と比較すると元気元気です。

頭がいいだけに、頑固者でもある。こうと決めたら譲らない。それを上手に操作しているのがCちゃんなのだ。いつもMを立ててながら、でも何となく上手に舵取りをしているかな。

最近Mは、こんなことをよく言う。「Cに料理を習えと言ってるんだ、俺が死んだら、どうやって食べていくか心配だから。」

この2人。ほんの数年前までは、毎日、昼と夜を外食していました。本当に毎日だよ! しかも、どちらの食事もしっかり食べるの。朝ごはんも、コーヒーだけなんてことなく、しっかり。

そう言えば、うちの娘たちは、未だに10年以上前に彼らの家に泊まった翌朝にMが用意してくれた朝食を忘れていない。確か、ベーグルにスモークサーモン、シリアルにはブルーベリーやラズベリー、ヨーグルトに、フレッシュオレンジジュース・・・。何たって晩御飯にシリアルを食べているような私たちだから、子供は「すっごーい!」と感激していた。でも、私は、リビングの床のペルシャ絨毯をシナコが汚すのではと、はらはらしていたんだ。

ここ数年は、ようやく1日2回の外食に疲れ、お得なメニューがあり、比較的混まないランチを外食にし、夜はずっとMが料理。私も何回か夕食を一緒にさせてもらったけれど、結構おしゃれなものを作ってくれます。

で、先のMの発言となるわけです。
先週、ランチを一緒にしたときは、最近はCちゃんが時々料理を一緒にしているとのこと。
「Cは、俺が死ぬ話をすると嫌がるんだよ。」
私は、自分もいつ死ぬかわからないし、これだけは娘に知っていて欲しいってことがあるから、一応遺書は作成した。まだプリントアウトして署名してないけれど。
「そうだよね、準備しておかないと、いつ誰が死ぬかは、これだけはわからないもん。私は、お葬式はして欲しくないし、お墓も建てて欲しくない。だって、お金かけたくないし、娘が墓の守をするために、どこに住むかわからないのに、遠路はるばるそのために来なくちゃいけないというのは気の毒だから。」と言うと、
「俺は、火葬してもらうことになっている。で、散骨してもらう。」
アメリカでは、確か高温で焼くから、骨は残らずに灰になる。(日本の場合は、一旦骨になったのを砕くらしい。)
「でも、Cが希望するなら、家に持って帰ってもいいし・・・。」
「そんなん、持って帰って、邪魔にならへん?」
「アパートの窓からNYCに撒いてあげよか?」
「でも、外から風が拭いて、アパート中に灰が散らばったりして」
「そしたら、掃除機で吸うわ。」
「どうせ、掃除機の後ろから一杯出てくるから、家中Mだらけになるなぁ・・・」
三人で大爆笑しました。

私の目にはMは、まだまだ長生きしてくれそうです。案外私たちの方が先かもって思うくらい。

つい最近、Mは本を2冊続けて出版しました。
私はそのうち1冊しか読んでいないけれど、面白かった。2日で読んじゃった。内容は、賛否両論ありそうだけれど、エンターテイニングだと思うし、娘にも読ませたいと思う。(キニコに、読めばと言ったら、今はいいとすげなく断られた。ま、確かに今、学校で読むにはちょっと問題があるかな。教育方針が違うと、よその親御さんに、キニコからこんな本を借りた!と非難されないとも限らないからね。)

興味のある方は、Barns & Noble のサイトで、Womanizer, Knowing wonderful women で検索してください。

私は今、この本を翻訳させてもらおうかなって思ってます。乗り気じゃないCちゃんを無理やり誘って、一緒に。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

Cです。先々月パリに行った際、ヴァレリーには会ったけどマリアちゃんは学校だったので会えませんでした。一応訂正しときます。。。