2009年11月13日金曜日

趣味は読書

昨日、受けていた翻訳の仕事が終わって、今日は丸一日暇だった。
いやー、子育ての終わった主婦って、本当にすることがない。

そんなことないでしょって?
そりゃ、やらなきゃいけないことはたくさんありますよ。掃除に洗濯、食事の支度。
だけど家事には納期はないのであります。絶対に今しなくちゃいけない訳じゃない。ちいっと散らかってるのや汚いのを我慢して、ちょっと粗食を我慢し、そして文句を聞き流しておけば良いのであります。

と言うことで、こんな塊で暇な時間ができた時に私が何をするかと言うと、本を読むのであります。暇つぶしにゲームをするときもありますけど。最近のマイブームは数独ですが、このところ記録が上がらないので飽きてきた。

何故かあまりテレビは観ない。連ドラとか見出したら、はまることもあるのだけど、とっかかりがないとだめ。もっとアメリカの番組を見て英語力を伸ばせば、と思ってはみるのだが、なんしかチャンネルが100くらいあって(実際にウチが視聴できるのは40くらいと思う)200番台のチャンネルとかもあって、覚えられない。記憶できるチャンネルは、子供時代から刷り込まれている12止まりなのだ。

暇な折に見ようと映画やドラマのDVDも買ってあるのだが、ここだけの話、どうやればリビングのテレビでDVDが見られるのかワカランのである。DVDは挿入できても、チャンネルをどうやって切り替えるのか・・・。リモコンだって2つも3つもあって、どれがどれだか、どのボタンを押すのやら・・・。

別に読書家と言うほどたくさん本も読んでないし、文学少女だったわけでもない。フリーの仕事をはじめてから、塊で暇な時間が出来ることが多いし、移動時間も多く、手っ取り早い暇つぶしとして、本に手が伸びるようになった。だいたい、本と言うのは時と場所を選ばない。テレビは、お風呂やトイレまで持って行けないもんね。という訳で、私の蔵書には波打っている本が何冊かある。うち一冊はトイレの中に落とした・・・そのタイトルも、インザプール。

しかも本を読んでその時は感動したり、含蓄があるなーとうなったり、私もこうしよう!と心に誓ったりするのだが、それも束の間。1年もすればそのとき感じたことはおろか、読んだ内容もすっかり忘れて、何も残っちゃいない。

その証拠に、しばらく前に実家に帰ったときに、すごく暇で、母に「なんか面白い本ない?」と聞くと、「じゃあこれは。世田谷の一家殺人事件をモデルにした本やけど・・・」と推理小説を手渡してくれた。なんかデジャヴのようだった。これと同じようなセリフを前に聞いたことがあるような。そう思いながら、小説を読み進んで行った。途中で何度か読んだことがある気がしながらも、結末が思い出せない。推理小説だから、結末が知りたい。知らないってことは、やっぱり読んだことないのだろう。で、最後まで読んで、あ、やっぱり読んだわ、これ。・・・まるで「かりんとうの話」を地で行くようなエピソード。(かりんとうの話、知ってますよね? 最後に舐めてみて、「あー、踏まなくて良かった」って奴です。)

長~い前置きでしたここからが本題。

今日読んだ本はブログのタイトルの「趣味は読書」。
読書をする人と言うのは、いまや人口的にはマイナーな存在らしい。でもそのマイナーな中でのメジャー(大衆)が読むのがベストセラー。そのベストセラーを辛口文芸評論家の斎藤美奈子が読んで中味を解説・批評したのがこの本。

この本は1999年から2002年までに雑誌に連載されていたものなので、対象となった本も当時のベストセラーでちょっと古いのだけれど、私が単純に感動した本もばっさり切られていたりして、いやぁ面白かった。また、「ああこんな見方もあるのね」と感心させられたり。

なかなかユーモラスな皮肉がおかしくて結構笑えるのだ。一人でキッチンのテーブルでお茶を飲みながら、何度声を出して笑ったか。私のような暇人には是非お勧めの一冊である。

例えば、こんな感じ。

村上春樹の「海辺のカフカ」

<読者がこれをどう読んだのかはわからない。ひとつ言えるのは、これはもともと60万部も売れるようなタイプの小説ではないってことだ。「何がいいたいのか、ぜんっぜんわかんねぇ」とほうっぽり投げるのが全うな反応のはずなのよ。(中略)
とはいえ、「海辺のカフカ」が久々の「村上春樹らしい村上春樹作品」だったのは事実だろう。頻出する謎。とっぴな出来事。果てしないおしゃべり。コンピュータのロール・プレイング・ゲームにも似た、謎解き心をくすぐる込み入った展開。このくらいの大作家(といっていいでしょう、もう)になると、読者を裏切ることよりも「らしさ」がやっぱり重要なのだ。>

私も読んで、ちーーーっともわかんなかったし、感動もクソもなかったから、この批評を読んで嬉しかったね。

でも、斎藤美奈子は「五体不満足」まで切っちゃう。
そりゃないでしょー、って思ったけれど、彼女の視線はちょっと新鮮だった。

<事実、「五体不満足」にはいやになるほどいやな話がない。すばらしい両親と仲間。文武両道に通じた黄金の学校生活。本には「これが青春だっ!」と叫びたくなる逸話の数々が満載だ。>

で、ここで他の障害者がこの本をどう思ったかで、「障害者は全部、頑張ればああいうことができるんだ、と思われると大変だな」と言うコメントが引用されていた。

そうか、乙武洋匡と言う人は障害はあっても、それを上回る特殊な才能を持って産まれた人なのだと、斎藤美奈子の評を読んで改めて気付いた次第。

翻訳ビジネス書の「ザ・ゴール」(550ページの長さらしい。)

<この本の長さを支えているのは、謎かけと思案とディスカッションである。(中略)
そんなこんなで「メーカーの目標は、お金を儲けることである」という大前提に主人公等が気付くまでに90ページ、「工場の生産能力を決定するのは、生産能力が一番低い工程(ボトルネック)である」という原則を発見するまでにさらに110ページが消費され、気がつけば既に本の半分くらいまで到達しているという寸法である。生産性の工場を目指す本にしては、なにかおそろしく生産性が悪い感じである。メイド・インジャパンのビジネス書だったら、こんなの10ページもあれば説明できちゃうのではないか。(中略)
一時が万事、噛んで含めるようなこの調子。噛み砕きすぎて、かえってわかりにくい気もする。アメリカ人の頭の回転速度が、最大のボトルネックじゃないだろうか。>

なかなか笑えるでしょ。

最後は、そもそもは電子メールのチェーンメールが本になった「世界がもし100人の村だったら。」
持つものと持たざるもの、南北の差を数字で訴えるやつ。
「20人は栄養が不十分だが15人は太りすぎ、富の59パーセントを6人のアメリカ人が持っている、エネルギーの80%を20人が消費している・・・」というやつです。

私も確かにこの本を読んで、単純に世の中間違っとると正義の心に燃えましたとも。

で、斎藤美奈子はこう書く。

<ここから導かれる感情は「ああ、わたしはめぐまれていてよかった」ではないか? ネットにアクセスできるのは、元々北の連中だ。
(中略)
この本の読者を100人の村に縮めるとどうなるでしょう。8人が自らの豊かな生活を反省し、5人が悲惨な国の人々に胸を痛め、4人が反戦メッセージと受け取り、3人が反感をおぼえました。残る80人は心が癒され「私はまだまだ幸せだ」「日本人に生まれてよかった」「小さいことにくよくよせずに生きていこう」と思いました。>

ブックオフの1ドルコーナーでゲットしたけれど、その何倍もの値打ちがありましたわ。

2 件のコメント:

eri さんのコメント...

ここにこのコメントを残すことを許して!
今、札幌にいて、ワイアレスのモデム持っているものの、なぜか「書き込みもメールの受信もできるのに」送信だけできない状態なの。ということでメールの返事後一日待って~。(ネット上ではメールを送ることはできるんだけど、メーラーに残らないのが気になるのです)

ところでこの批評面白そうだね。ブックオフには日本の本も置いていたりするの?土地柄??

Jodako さんのコメント...

返事はきにしなくてええのに。札幌から帰ったて時間のある時でいいよ。
私も時間が出来て、まとめてメール書いたり人のブログ読んだりしてたもんで。

マンハッタンのブックオフは1階が洋書(っつうか現地本)とDVDとか。中2階に漫画。地下が和書でございます。ブックオフが近くにあるのは、ほん、ありがたい!