今年もUS News & World Reportがアメリカの公立高校のランキングを発表した。
それを見て気付いたこと。トップにランキングしている高校のほとんどがチャータースクールやマグネットスクールになってしまったこと。
2006年にアメリカに引越すに当たって、2人もPrep schoolには行かせられないし(シナコも興味なし)出来るだけ学力レベルの高い高校のある学区に住居を構えようと色々調査した。その時に参考にしたのがUS Newsのランキングだった(当時はNewsweekだったかも)。
幸いNY近郊にはトップ100にランキングされている公立高校がたくさんあった。その中でコイオの通勤の便も考え、真っ先に候補に挙げたのがScarsdaleのEdgemont高校とScarsdale高校。Rye高校も考えたが、スクールバスがなく親の送り迎えだったので却下。Edgemontは越境も認めていたが、その場合は年間に1万ドルの費用負担と言われた。
残念ながらScarsdaleの学区内では手ごろな物件が見つからず、範囲を広げて、遂にはTop 100のランキング外のGreenwichに落ち着いたのだった。
その時じっくりリストを見ていたので、どういう高校が名前を連ねていたかよく覚えている。Topは企業と公費の両方で運営されているVirginia州のThomas Jefferson Science & Techonology。これは今年も変わらない。サウジの小学校でキニコと机を並べていたライヤーンは飛び級してこの高校に入り、キニコより1年早く高校を卒業してハーバードへ。その後スタンフォードへ編入。そう言う超優秀な選りすぐりの生徒が通う高校だ。
当時はトップ100に「普通の公立高校」がまだまだたくさん入っていた。それが徐々に少なくなって、今年はとうとうTop100に入っているのは28校。トップ50だとわずかに5校だ。2006年当時にNY近郊ではトップだったJericho高校もジリジリ下がって今年は48位。
参考までに、今年、1年前、2年前、3年前、4年前、6年前の順でデータを見ると、
Jericho, NY 48位、20位、35位、27位、14位、5位
Edgemont, NY 162位、92位、43位、56位、26位、16位
Scarsdale, NY 748位、283位、247位、174位、208位、77位
Rye, NY 64位、87位、86位、42位、688位、45位
これはどうしたものか?? ランキングの計算方法が変わったわけじゃないと思う。
代わりに、リストはチャータースクールとマグネットスクールのオンパレード。その数は年々増えている。
チャータースクールと言うのは公立学校のレベルがどんどん低下したためにその対策として考案された「公費」により運営される私設学校。つまり運営費は税金で学校に通う側に学費負担はないが、市などの学区ではなく別の独立した組織により運営される。学校側の責任は、規定の「憲章」(チャーター)を守ること。憲章にはたいてい学力レベルが規定されている。責任が果たせない場合は運営権が剥奪される。家庭側はチャータースクールに入れるか、公立校に入れるか通常選択することができるが、たいていの場合、チャータースクールの方がウェイティングリストがあるほど人気が高い。
マグネットスクールと言うのは特殊コースを設けた公立校で、通常の学区を越えて広範囲から「磁石のように引き寄せられて」学生が集まる学校。数学強化コースや科学強化コースがあったり、はたまた芸術を中心とする高校があったりする。たいていは入学に際しては審査があるので、誰でも入れるわけではない。
学業熱心な子供、あるいは熱心な親の子供たちがこうした学校に入るために、自ずとレベルが上がってくるということは想像できるけれど、それにしても普通の公立とは差が広がるばかりのよう。
ちなみにシナコの通うGreenwich高校のランキングは、上記の順序で、
917位、694位、600位、748位、628位、521位となっています。
(でも1000位以内だからデータが出るだけまだましか・・・)
2009年2月20日金曜日
再会 & 日本の大学
一昨昨日(さきおととい、と書いたらこんな変換やった)のヨワシとの再会。25年以上振りでありました。待ち合わせのホテルのロビーで、相手がわからへんかったらどうしよう・・・と、家を出る前にヨワシの大学のホームページに掲載されているプロフィールで、再度写真を確認。
ホテルのロビーは広くて、メガネをかけていなかった私は、これじゃあ相手が見つからない。メガネを出そうかと思った瞬間、「ジョダコ!」と声をかけられた。見上げると、「昔のまま」の彼をワイドスクリーンに映し出して、ちょっと頭髪を薄くした姿が目に入りました。(あ、ヨワシもこのブログを読んでるんやった。くわばら、くわばら。でも、ヨワシは紅顔の美少年だったから、ギャップは仕方ないやろ。)
「全然、変わらへんやん」と言うヨワシの声にも、嘘と言うトーンがはっきり表れておりました。
まぁいい。一応2人ともお互いが確認できる程度の変貌振りだったと言うことである。
45丁目のホテルから、32丁目の韓国街まで歩いた。どこに行くにも行き先での楽しみ方を下調べしている彼(さすが先生)が、ここぞと調べてきてくれたコリアンレストラン。
コリアンに行くと、注文した料理とは別に、最初にキムチだの何だのって、小皿がたくさん並べられる。カルピと石焼ビビンバと全ての小皿を全部平らげたら、後から頼んだ豆腐チゲが来る前に、また全ての小皿が再び登場。よっぽどお腹空かせてるって思われたか? ヨワシ曰く、韓国では、全部平らげないほうが礼儀らしい・・・。そうだったの? でも、おいしかったよ。特に豆腐チゲ。家に帰って体重を計ったら、2-3日前の2キロ増しだった・・・。(運動せぃ!)
ここからは、ヨワシに聞いたへぇーの話。
彼には日本の大学で教える・教えていた友人がたくさんいる。彼らが一様に、最近の日本の大学生について嘆いていると言う。ヨワシとアメリカの大学院で同窓だったある超有名私立大(名前は伏せます)で教えていた女性はストレスから体調を壊し、結局は15年勤めた大学を辞めてしまった。ストレスの原因は学生。とにかく全く授業にならず「子守り」だったと言う。「学級崩壊」と言う言葉は、小・中学校だけの話と思いきや、大学でもそうだと言うのだ。
この大学の講義は70分。その70分の授業で学生の集中力が続かない。途中で休憩を挟まなければ奇声を発する者までいるらしい。(ちなみにヨワシのカナダの大学は2時間ぶっ続け。)抗議の途中でふらっと出て行く学生も多い。授業に来ないから、電話で生徒を呼び出すのも先生の仕事。また、心の病を持っている生徒が非常に多いらしい。
ひょっとしてこの人の授業が下手なのじゃ・・・と思ったが、この現象は彼女のクラスだけでも、この大学に特有なものでもないらしい。他の大学で教鞭を取る同僚たちが、一様にそんなことを言っているらしく、東大やその他の優秀な公立大、私大の多くで、こんな現象が起きているらしい。
「じゃ、そう言う生徒は落とせばいいじゃない」
だが、少子化の現在はそうは行かないらしい。何故なら生徒の4割がこんならしいのだ。4割を落としていたら学校経営が成り立たない、という大学側の事情。
学生の親も、「先生、大学で躾けて下さい」と言うんだって。大学で躾? いった何を?
「敬語とか」
「みんな、ため口で話すわけ?」
「生活態度とか」
勉強のほうも、
「大学の1,2年生って言ったら、まだ何も知らん赤ちゃんやで。そいでやっと3年になってこれからと言うときに、就職活動が始まるねんで」
「だからアメリカの大学の方が、勉強と言う意味ではよかってんで」と私を慰めてくれるが、
「そやけど、それに授業料が4万ドル。誰が払えるねん。それに、ほんまに4万ドルの値打ちあるん?」
日本で大学生のお子さんを持つ方で、「いや、そんなことない!」とおっしゃる方もいるでしょう。そうじゃない学生がいるのも確かです。
でも私の甥の話なんか聞くと、まさにこの通り。甥は関西ではそこそこの大学だけど、彼はアイスホッケー以外は大学では何もやってない。何せ、クラブの練習の時間帯が、夜の11時12時から、2時3時までとか。この大学はリンクを持っていないので、よそのリンクを借りていて、空いている時間となるとこんな時間帯になる。
しかもリンクの場所が大学(=下宿)から離れている。家に帰るのは毎朝3時4時。ホッケーの練習までの時間は当然アルバイトをしている。これで授業に出るのだから、クラブのメンバーは、殆どの授業でいつも寝ていると言うのだ。で、先日は「あかん、英語を落としそうやから、おばあちゃんの知り合いのセンセに頼んでくれない」と母に言って来た。母の知り合いがこの大学の英語の先生。勿論、そんな融通が利くわけない。
彼の望みは、成績はどうあれ、とにかく普通に卒業して就職すること。
この話、別に何もめずらしいことのない、本当に「普通の大学生」の様子。私たちの頃ともちっとも変わってない。
やっぱり、ヨワシ、根本的に日本とアメリカ(及び諸外国)との大学のあり方が違うんじゃないかな。日本の大学は学びの場とは見なされていないんだよ。社会経験を積む場なのかもしれない。一部の勉強熱心な人を除いては、日本のお勉強は大学の受験勉強で終わるんじゃないかしら。中には、大学で信じられないくらい勉強している友人の息子も知っているけど、やっぱり少数派なんだろな。
私はこういう普通の日本人の大学生活を自分自身が経験しているから(非常に勿体なかったと思うが)、これもアリかと思えるけれど、諸外国で勉強した人には信じられない光景なのかもしれない。
うーん。100万円の授業料で日本か、400万円でアメリカか・・・どちらに価値があるか、まさに究極の選択。
あっ、カナダの200万円があった! コレだっ!
ホテルのロビーは広くて、メガネをかけていなかった私は、これじゃあ相手が見つからない。メガネを出そうかと思った瞬間、「ジョダコ!」と声をかけられた。見上げると、「昔のまま」の彼をワイドスクリーンに映し出して、ちょっと頭髪を薄くした姿が目に入りました。(あ、ヨワシもこのブログを読んでるんやった。くわばら、くわばら。でも、ヨワシは紅顔の美少年だったから、ギャップは仕方ないやろ。)
「全然、変わらへんやん」と言うヨワシの声にも、嘘と言うトーンがはっきり表れておりました。
まぁいい。一応2人ともお互いが確認できる程度の変貌振りだったと言うことである。
45丁目のホテルから、32丁目の韓国街まで歩いた。どこに行くにも行き先での楽しみ方を下調べしている彼(さすが先生)が、ここぞと調べてきてくれたコリアンレストラン。
コリアンに行くと、注文した料理とは別に、最初にキムチだの何だのって、小皿がたくさん並べられる。カルピと石焼ビビンバと全ての小皿を全部平らげたら、後から頼んだ豆腐チゲが来る前に、また全ての小皿が再び登場。よっぽどお腹空かせてるって思われたか? ヨワシ曰く、韓国では、全部平らげないほうが礼儀らしい・・・。そうだったの? でも、おいしかったよ。特に豆腐チゲ。家に帰って体重を計ったら、2-3日前の2キロ増しだった・・・。(運動せぃ!)
ここからは、ヨワシに聞いたへぇーの話。
彼には日本の大学で教える・教えていた友人がたくさんいる。彼らが一様に、最近の日本の大学生について嘆いていると言う。ヨワシとアメリカの大学院で同窓だったある超有名私立大(名前は伏せます)で教えていた女性はストレスから体調を壊し、結局は15年勤めた大学を辞めてしまった。ストレスの原因は学生。とにかく全く授業にならず「子守り」だったと言う。「学級崩壊」と言う言葉は、小・中学校だけの話と思いきや、大学でもそうだと言うのだ。
この大学の講義は70分。その70分の授業で学生の集中力が続かない。途中で休憩を挟まなければ奇声を発する者までいるらしい。(ちなみにヨワシのカナダの大学は2時間ぶっ続け。)抗議の途中でふらっと出て行く学生も多い。授業に来ないから、電話で生徒を呼び出すのも先生の仕事。また、心の病を持っている生徒が非常に多いらしい。
ひょっとしてこの人の授業が下手なのじゃ・・・と思ったが、この現象は彼女のクラスだけでも、この大学に特有なものでもないらしい。他の大学で教鞭を取る同僚たちが、一様にそんなことを言っているらしく、東大やその他の優秀な公立大、私大の多くで、こんな現象が起きているらしい。
「じゃ、そう言う生徒は落とせばいいじゃない」
だが、少子化の現在はそうは行かないらしい。何故なら生徒の4割がこんならしいのだ。4割を落としていたら学校経営が成り立たない、という大学側の事情。
学生の親も、「先生、大学で躾けて下さい」と言うんだって。大学で躾? いった何を?
「敬語とか」
「みんな、ため口で話すわけ?」
「生活態度とか」
勉強のほうも、
「大学の1,2年生って言ったら、まだ何も知らん赤ちゃんやで。そいでやっと3年になってこれからと言うときに、就職活動が始まるねんで」
「だからアメリカの大学の方が、勉強と言う意味ではよかってんで」と私を慰めてくれるが、
「そやけど、それに授業料が4万ドル。誰が払えるねん。それに、ほんまに4万ドルの値打ちあるん?」
日本で大学生のお子さんを持つ方で、「いや、そんなことない!」とおっしゃる方もいるでしょう。そうじゃない学生がいるのも確かです。
でも私の甥の話なんか聞くと、まさにこの通り。甥は関西ではそこそこの大学だけど、彼はアイスホッケー以外は大学では何もやってない。何せ、クラブの練習の時間帯が、夜の11時12時から、2時3時までとか。この大学はリンクを持っていないので、よそのリンクを借りていて、空いている時間となるとこんな時間帯になる。
しかもリンクの場所が大学(=下宿)から離れている。家に帰るのは毎朝3時4時。ホッケーの練習までの時間は当然アルバイトをしている。これで授業に出るのだから、クラブのメンバーは、殆どの授業でいつも寝ていると言うのだ。で、先日は「あかん、英語を落としそうやから、おばあちゃんの知り合いのセンセに頼んでくれない」と母に言って来た。母の知り合いがこの大学の英語の先生。勿論、そんな融通が利くわけない。
彼の望みは、成績はどうあれ、とにかく普通に卒業して就職すること。
この話、別に何もめずらしいことのない、本当に「普通の大学生」の様子。私たちの頃ともちっとも変わってない。
やっぱり、ヨワシ、根本的に日本とアメリカ(及び諸外国)との大学のあり方が違うんじゃないかな。日本の大学は学びの場とは見なされていないんだよ。社会経験を積む場なのかもしれない。一部の勉強熱心な人を除いては、日本のお勉強は大学の受験勉強で終わるんじゃないかしら。中には、大学で信じられないくらい勉強している友人の息子も知っているけど、やっぱり少数派なんだろな。
私はこういう普通の日本人の大学生活を自分自身が経験しているから(非常に勿体なかったと思うが)、これもアリかと思えるけれど、諸外国で勉強した人には信じられない光景なのかもしれない。
うーん。100万円の授業料で日本か、400万円でアメリカか・・・どちらに価値があるか、まさに究極の選択。
あっ、カナダの200万円があった! コレだっ!
2009年1月7日水曜日
賢いかアホか
小さな子供を持つある友達が、「子供が頭が良いかどうか、小さいころからわかるもの?」と聞いてきた。
私は「わからない」と答えた。だって、小さいころ賢そうだったのに、やっぱり大したことないと判明したわが子の例もあるし、だいたい賢いかどうか判断している私の基準が低かったわけだし。自分があまり頭が良くないものだから、ちょっと賢いことを言った娘をうっかり頭が良いと思ってしまったのである。これは世間的にはかなり低い物差しで計っていたことになる。が、それに気づかないでいた。しかし、人生長いし、これからひょっとしたら頭角を現すかもと、わずかな期待を込めて「わからない」と答えたのだ。
ところが、別の友人の年賀状で、息子さん2人がそろって京大・東大と言うのを知った。ひぇー、ぶったまげた。その友人も頭脳明晰。今は博士課程で勉強している。ご主人も頭が良い。彼女は「仕事が忙しくって、ロクな子育てをしてこなかった」と言う。じゃ、子育てのスタイルはうちと全く同じじゃない。(私の場合は、自分が楽しむのに忙しくて、だが。)なんで結果が違うのよ!
他の友人たちを見渡して、なるほど、やっぱり親が頭が良いと、やっぱり子供も同じようにお勉強が出来るケースが多い気がする。なんだ。なんでこんな簡単なことに早く気づかなかったのか!
そこで先の質問に対しての答えが出たような気がした。
子供が賢い(勉強が出来る)かどうかは、DNAが決めることなのだ!
トンビがタカを産んだのは昔のこと。それは勉強したくてもできない時代の話で、実はトンビだと思われていた人は、そもそもタカのDNAを持った、中味はタカだったに違いない。
と言うことで、皆さん悩むのはやめましょう。カエルの子はカエルです。自分たちのDNA以上の子はできないので、勉強のことはなるようになるから無駄なことは考えず、義理人情に厚く、礼儀正しく、他人を思いやれる子供に育てる努力をしましょう。
子供の躾に失敗した者からのアドバイスであります。
ちなみに質問した友達は賢いので、彼女の子たちも同様にお勉強ができるでしょう。
私は「わからない」と答えた。だって、小さいころ賢そうだったのに、やっぱり大したことないと判明したわが子の例もあるし、だいたい賢いかどうか判断している私の基準が低かったわけだし。自分があまり頭が良くないものだから、ちょっと賢いことを言った娘をうっかり頭が良いと思ってしまったのである。これは世間的にはかなり低い物差しで計っていたことになる。が、それに気づかないでいた。しかし、人生長いし、これからひょっとしたら頭角を現すかもと、わずかな期待を込めて「わからない」と答えたのだ。
ところが、別の友人の年賀状で、息子さん2人がそろって京大・東大と言うのを知った。ひぇー、ぶったまげた。その友人も頭脳明晰。今は博士課程で勉強している。ご主人も頭が良い。彼女は「仕事が忙しくって、ロクな子育てをしてこなかった」と言う。じゃ、子育てのスタイルはうちと全く同じじゃない。(私の場合は、自分が楽しむのに忙しくて、だが。)なんで結果が違うのよ!
他の友人たちを見渡して、なるほど、やっぱり親が頭が良いと、やっぱり子供も同じようにお勉強が出来るケースが多い気がする。なんだ。なんでこんな簡単なことに早く気づかなかったのか!
そこで先の質問に対しての答えが出たような気がした。
子供が賢い(勉強が出来る)かどうかは、DNAが決めることなのだ!
トンビがタカを産んだのは昔のこと。それは勉強したくてもできない時代の話で、実はトンビだと思われていた人は、そもそもタカのDNAを持った、中味はタカだったに違いない。
と言うことで、皆さん悩むのはやめましょう。カエルの子はカエルです。自分たちのDNA以上の子はできないので、勉強のことはなるようになるから無駄なことは考えず、義理人情に厚く、礼儀正しく、他人を思いやれる子供に育てる努力をしましょう。
子供の躾に失敗した者からのアドバイスであります。
ちなみに質問した友達は賢いので、彼女の子たちも同様にお勉強ができるでしょう。
2008年6月5日木曜日
2008年6月4日水曜日
卒業式
で、肝心の卒業式の話を書くのを忘れた。
式の前日の夜、学校のスケートリンクの上でディナーが催された。
「リンクの上でディナー?」と尋ねるシナコに、「そうだよ。寒いから厚着していかなきゃだめだよ。食事はウェイトレスがスケートしながら運んで来る」と言ったら信じた。簡単なヤツだ。
まさか。リンクでのディナーは本当だけど、氷が張ってるわけないでしょ。
10人掛けのテーブルが幾つも用意され、家族単位で席に着く。給仕は下級生のボランティア。招待客は卒業生一人に対して原則6人までで、あらかじめ申し込まなければならない。それでベッツーとアンドリューには遠慮してもらって、私たち夫婦、シナコの他、お母さん、オースティンで申し込んであったのに、見回すとみんな6人以上人を連れて来ている。代々この学校って人は事情を心得ているのだ。
ディナーの後は表彰式。スポーツ、芸術、いろんな活動、学業面での優秀さが認められた生徒たちが様々な賞を受賞する。全部で60以上の賞があり、177人が卒業するのだから、ざっと3人に1人が受賞する計算になる。
スポーツから始まり、生徒の名前が呼ばれる。キニコはスポーツでの受賞はありえない。芸術、これも関係ないな。このあたりから、同じ子の名前が呼ばれるようになる。次第に「え、またあの子?」って具合。これじゃ3人に1人どころか10人に1人にもならないかも。もらっている子は何度も何度も名前が呼ばれるのだ。
「キニコ、呼ばれないね・・・。あ、この賞くらいはどう。『教職員・生徒共に認めるみんなを盛り上げた人』っての。いや、やっぱりアンタは成績優秀者への学長賞で決まりだね」なんて冗談を言いながらも、内心はやっぱり穏やかでない。
そしてとうとう最後の賞。これはもう15個は賞をもらったと思われるキャロリン・リーが受賞。彼女は全米レベルのスピーチコンテストでも優勝していたし、これまでも何度も学校が発行する雑誌で名前が掲載されていた。キニコの仲良しエレンも7~8個は貰っていた。「最も学業優秀」っていう賞もその中にあった。ベッカも写真の賞と、学校生活に貢献した人への賞だった。ベッカのママのリンダは、「あー、ようやく3人目にして日の目を見たわ。ジョシュもザックも何もなしだったからね。ザックなんか、俺だって写真やってたし、全然ベッカよりうまいのにって、怒ってたわ。は、は、は。」
ディナーの後、エレンに会い、
「ねぇ、エレン。そんなにたくさんもらったんだから、1個ぐらいキニコにあげてよ」って言ったら、
「でも私はキニコみたいに、お母さんにミュージカルを捧げたりできないから。」と私を慰めてくれるじゃないの。なんと優しい子なのだ。ちなみに、エレンには1週間前にハーバードから合格通知が届いた。本当に良かったね!
さて、翌日の朝11時より卒業式。卒業式といえばキャップ&ガウンといういでたちが通常だが、この学校は伝統的に男子はブレザーに白のパンツ、女子は白のドレスと決まっている。卒業式のスピーカーとして招待されていたのは、Carry Me Home: Birmingham, Alabama—The Climactic Battle of the Civil Rights Revolutionと言う本でピューリッツァー賞を取ったDiane McWhorterと言う女性。残念ながらマイクがひとつの方向に向いていて、彼女があっちこっちを向きながら話すので、声がきれいに入らず何を言っているのか聞きづらかった。(ちなみに、今年から学長となった南アフリカ出身のマッケンジー先生もアクセントがあって、彼の祝辞もわかりにくかった。アパルトヘイトの中で育った学長ならではのスピーカーの人選と言う気がした。)
続いて卒業証書の授与。卒業生の人数の多い公立高校なら、次々に生徒の名前を読んで、列になって順序良く証書を受け取るのだろうか、たかだか177人の学校なので、一人ひとりが壇上に上がって、学長から証書を受け取る。呼ばれる際に、成績が良いと名前の後に「cum laude クムラウディー」つまり「成績優秀者」と付く。
当然エレンも前述のキャロリンもクムラウディー。30人弱はいたんじゃないだろうか。通常、クムラウディ、スンマクムラウディ(最優秀)なんて呼ばれるのは大学の卒業式。公立高校じゃ通常はやらないらしい。
さて、キニコの順番だ。耳を澄ます。
案の定、名前の後には静けさだけが漂っていた・・・。
あとでベッツィーが「キニコのとき、クムラウディって言うの忘れてたじゃない」と言うと、
「そうなの。先生に聞いたら、手違いで間違えたって言ってたよ」とキニコはジョークで返していた。
さあて、式の後はカフェテリアでランチョン。1時半ごろ食事を終え、キニコの寮へ向かう。部屋から荷物を出して、4時までにはキャンパスを出なければならないのだ。キニコの部屋を見た皆は愕然とした。あれだけ前々から少しずつ整理しておけって言っていたのに、何もしてないどころか、ものすごい有様。ま、想定内だったけれど。アンドリュー、オースティンにも手伝ってもらい、3階(実質は出口が地下なので階段の数から言えば4階と同じ)から何往復もして全ての荷物を下ろす。汗だくになり、無事4時にはキャンパスを後にした。
帰りにベッカの家に寄る約束をしていたので、そこでみんなでデザートをいただいた。
で、キニコはこれで一緒に帰るのかと言えばそうではないのだ。その夜は学校から10マイルほどの距離にあるマサチューセッツ州のある子の家で、卒業生全員を招いたパーティーが催される予定で、ベッカもキニコも参加する予定。それだけでなく、その後来る日も来る日も色々な子の家で、卒業パーティーが予定されており、キニコはパーティー梯子をするので、今週の土曜日までは帰宅しない。本当にはじけまくっている。
で、ベッカの家にキニコを残して私たちは辞去した。
キニコの荷物は今もまだ車の中に積んだまま。(当然卒業式にはそれを覚悟で車2台で行った。)オデッセイの助手席まで荷物で一杯。車が沈んでいる。でも、どうして私たちが荷下し作業しなくちゃいけないのだ、とむかつくので放置することにした。今週末、帰ってきたら片付けてもらおう。それにしてもあの大量の荷物を一体どこに置くのか。ゲジゲジの館の地下にでも放り込んでおいて貰おう。
そうそう、ディナーの席でキニコが言った。
「もうギャップイヤーするの辞めた。申し込んだプログラムからは何も言ってこないし、遅すぎたんだと思う。秋からはディキンソンに行きます。」
じゃ夏休みはしっかりバイトでもしてお金を稼いでもらおう。
式の前日の夜、学校のスケートリンクの上でディナーが催された。
「リンクの上でディナー?」と尋ねるシナコに、「そうだよ。寒いから厚着していかなきゃだめだよ。食事はウェイトレスがスケートしながら運んで来る」と言ったら信じた。簡単なヤツだ。
まさか。リンクでのディナーは本当だけど、氷が張ってるわけないでしょ。
10人掛けのテーブルが幾つも用意され、家族単位で席に着く。給仕は下級生のボランティア。招待客は卒業生一人に対して原則6人までで、あらかじめ申し込まなければならない。それでベッツーとアンドリューには遠慮してもらって、私たち夫婦、シナコの他、お母さん、オースティンで申し込んであったのに、見回すとみんな6人以上人を連れて来ている。代々この学校って人は事情を心得ているのだ。
ディナーの後は表彰式。スポーツ、芸術、いろんな活動、学業面での優秀さが認められた生徒たちが様々な賞を受賞する。全部で60以上の賞があり、177人が卒業するのだから、ざっと3人に1人が受賞する計算になる。
スポーツから始まり、生徒の名前が呼ばれる。キニコはスポーツでの受賞はありえない。芸術、これも関係ないな。このあたりから、同じ子の名前が呼ばれるようになる。次第に「え、またあの子?」って具合。これじゃ3人に1人どころか10人に1人にもならないかも。もらっている子は何度も何度も名前が呼ばれるのだ。
「キニコ、呼ばれないね・・・。あ、この賞くらいはどう。『教職員・生徒共に認めるみんなを盛り上げた人』っての。いや、やっぱりアンタは成績優秀者への学長賞で決まりだね」なんて冗談を言いながらも、内心はやっぱり穏やかでない。
そしてとうとう最後の賞。これはもう15個は賞をもらったと思われるキャロリン・リーが受賞。彼女は全米レベルのスピーチコンテストでも優勝していたし、これまでも何度も学校が発行する雑誌で名前が掲載されていた。キニコの仲良しエレンも7~8個は貰っていた。「最も学業優秀」っていう賞もその中にあった。ベッカも写真の賞と、学校生活に貢献した人への賞だった。ベッカのママのリンダは、「あー、ようやく3人目にして日の目を見たわ。ジョシュもザックも何もなしだったからね。ザックなんか、俺だって写真やってたし、全然ベッカよりうまいのにって、怒ってたわ。は、は、は。」
ディナーの後、エレンに会い、
「ねぇ、エレン。そんなにたくさんもらったんだから、1個ぐらいキニコにあげてよ」って言ったら、
「でも私はキニコみたいに、お母さんにミュージカルを捧げたりできないから。」と私を慰めてくれるじゃないの。なんと優しい子なのだ。ちなみに、エレンには1週間前にハーバードから合格通知が届いた。本当に良かったね!
さて、翌日の朝11時より卒業式。卒業式といえばキャップ&ガウンといういでたちが通常だが、この学校は伝統的に男子はブレザーに白のパンツ、女子は白のドレスと決まっている。卒業式のスピーカーとして招待されていたのは、Carry Me Home: Birmingham, Alabama—The Climactic Battle of the Civil Rights Revolutionと言う本でピューリッツァー賞を取ったDiane McWhorterと言う女性。残念ながらマイクがひとつの方向に向いていて、彼女があっちこっちを向きながら話すので、声がきれいに入らず何を言っているのか聞きづらかった。(ちなみに、今年から学長となった南アフリカ出身のマッケンジー先生もアクセントがあって、彼の祝辞もわかりにくかった。アパルトヘイトの中で育った学長ならではのスピーカーの人選と言う気がした。)
続いて卒業証書の授与。卒業生の人数の多い公立高校なら、次々に生徒の名前を読んで、列になって順序良く証書を受け取るのだろうか、たかだか177人の学校なので、一人ひとりが壇上に上がって、学長から証書を受け取る。呼ばれる際に、成績が良いと名前の後に「cum laude クムラウディー」つまり「成績優秀者」と付く。
当然エレンも前述のキャロリンもクムラウディー。30人弱はいたんじゃないだろうか。通常、クムラウディ、スンマクムラウディ(最優秀)なんて呼ばれるのは大学の卒業式。公立高校じゃ通常はやらないらしい。
さて、キニコの順番だ。耳を澄ます。
案の定、名前の後には静けさだけが漂っていた・・・。
あとでベッツィーが「キニコのとき、クムラウディって言うの忘れてたじゃない」と言うと、
「そうなの。先生に聞いたら、手違いで間違えたって言ってたよ」とキニコはジョークで返していた。
さあて、式の後はカフェテリアでランチョン。1時半ごろ食事を終え、キニコの寮へ向かう。部屋から荷物を出して、4時までにはキャンパスを出なければならないのだ。キニコの部屋を見た皆は愕然とした。あれだけ前々から少しずつ整理しておけって言っていたのに、何もしてないどころか、ものすごい有様。ま、想定内だったけれど。アンドリュー、オースティンにも手伝ってもらい、3階(実質は出口が地下なので階段の数から言えば4階と同じ)から何往復もして全ての荷物を下ろす。汗だくになり、無事4時にはキャンパスを後にした。
帰りにベッカの家に寄る約束をしていたので、そこでみんなでデザートをいただいた。
で、キニコはこれで一緒に帰るのかと言えばそうではないのだ。その夜は学校から10マイルほどの距離にあるマサチューセッツ州のある子の家で、卒業生全員を招いたパーティーが催される予定で、ベッカもキニコも参加する予定。それだけでなく、その後来る日も来る日も色々な子の家で、卒業パーティーが予定されており、キニコはパーティー梯子をするので、今週の土曜日までは帰宅しない。本当にはじけまくっている。
で、ベッカの家にキニコを残して私たちは辞去した。
キニコの荷物は今もまだ車の中に積んだまま。(当然卒業式にはそれを覚悟で車2台で行った。)オデッセイの助手席まで荷物で一杯。車が沈んでいる。でも、どうして私たちが荷下し作業しなくちゃいけないのだ、とむかつくので放置することにした。今週末、帰ってきたら片付けてもらおう。それにしてもあの大量の荷物を一体どこに置くのか。ゲジゲジの館の地下にでも放り込んでおいて貰おう。
そうそう、ディナーの席でキニコが言った。
「もうギャップイヤーするの辞めた。申し込んだプログラムからは何も言ってこないし、遅すぎたんだと思う。秋からはディキンソンに行きます。」
じゃ夏休みはしっかりバイトでもしてお金を稼いでもらおう。
2008年6月3日火曜日
終わった!
とうとうキニコの卒業式が終わった。
振り返って、結構感慨深いものがある。
ただ、娘が成長したと思う感慨深さではなくて、まったく自分勝手な感傷だが、キニコがホッチキスを受験し、入学して卒業するまでの5年間に本当に様々なことがあったなぁという思い。
5年前、私たちはオハイオ州に住んでいた。オハイオでの生活3年目のこと。夫に約束した帰国期限を既に3年も過ぎ、毎年のように来年は帰国するとふれ回っていたから、狼オバハン扱いされて久しかったし、ここらが潮時。そこで本気で帰国準備にかかろうとしていた。娘たちにもその旨伝えると、キニコは絶対に帰りたくないと言う。無理やり連れ帰って、グレられたりしてもと思い、プレップスクールを奨学金付で合格したら残っても良いと条件を出した。
「レイコ@チョート校」を読み、こんな学校があったのかと興味深く思っていたし・・・正直に言うと、そのときは愚かにもまだ「末はハーバードかイェールか」なんて夢を描いていた。
それから受験までのプロセス、入学、ビザ切り替えの手続きなど、面倒な手続きを経ながらも、普通だったら知り得なかった世界を覗き見、体験をした。キニコの学生ビザの切替えのために、本末転倒ながら、3年で終わるはずのオハイオ滞在が5年まで延長された。
そして帰国。今度はシナコの編入、日本の学校への適応。新婚時代の再来の予定だった夫婦は、独身生活に慣れ過ぎた中年には、再び生活を共にすると言うのは思いのほか苦であった。おまけにキニコの学費を払い続けるために、帰国直後からフル回転で仕事を始め、それが更に夫婦関係の摩擦に拍車を掛けた。あーこのままでは崩壊か・・・と思った矢先に夫の転勤。
帰国してたった1年で再びアメリカへ。その先の話はコネ通に書いてきたからご存知の通り。本当に目まぐるしい歳月だった。
ホッチキスの学費に関しては、そんな学校を娘に紹介したのは私だっただけに、責任を感じていたし、それがストレスでもあった。大学進学に関しては同じ状況に陥りたくなかったので、私は意図的に決定には介入しなかった。だから今後の大学の学費の支払いは夫と娘に頑張ってもらおう。ま、二人とも私に優しくしてくれるなら、ちょっとくらいなら協力してやってもいいよ。(あ、それであのふたり、誕生日に花をくれたり、ミュージカルを母に捧げますなんてセリフが易々と口から出たか?)
とにかく終わった!
そっか。この解放感は結局、自分が金銭的な義務から解き放たれた喜びなのかも知れない。
やけに納得。
振り返って、結構感慨深いものがある。
ただ、娘が成長したと思う感慨深さではなくて、まったく自分勝手な感傷だが、キニコがホッチキスを受験し、入学して卒業するまでの5年間に本当に様々なことがあったなぁという思い。
5年前、私たちはオハイオ州に住んでいた。オハイオでの生活3年目のこと。夫に約束した帰国期限を既に3年も過ぎ、毎年のように来年は帰国するとふれ回っていたから、狼オバハン扱いされて久しかったし、ここらが潮時。そこで本気で帰国準備にかかろうとしていた。娘たちにもその旨伝えると、キニコは絶対に帰りたくないと言う。無理やり連れ帰って、グレられたりしてもと思い、プレップスクールを奨学金付で合格したら残っても良いと条件を出した。
「レイコ@チョート校」を読み、こんな学校があったのかと興味深く思っていたし・・・正直に言うと、そのときは愚かにもまだ「末はハーバードかイェールか」なんて夢を描いていた。
それから受験までのプロセス、入学、ビザ切り替えの手続きなど、面倒な手続きを経ながらも、普通だったら知り得なかった世界を覗き見、体験をした。キニコの学生ビザの切替えのために、本末転倒ながら、3年で終わるはずのオハイオ滞在が5年まで延長された。
そして帰国。今度はシナコの編入、日本の学校への適応。新婚時代の再来の予定だった夫婦は、独身生活に慣れ過ぎた中年には、再び生活を共にすると言うのは思いのほか苦であった。おまけにキニコの学費を払い続けるために、帰国直後からフル回転で仕事を始め、それが更に夫婦関係の摩擦に拍車を掛けた。あーこのままでは崩壊か・・・と思った矢先に夫の転勤。
帰国してたった1年で再びアメリカへ。その先の話はコネ通に書いてきたからご存知の通り。本当に目まぐるしい歳月だった。
ホッチキスの学費に関しては、そんな学校を娘に紹介したのは私だっただけに、責任を感じていたし、それがストレスでもあった。大学進学に関しては同じ状況に陥りたくなかったので、私は意図的に決定には介入しなかった。だから今後の大学の学費の支払いは夫と娘に頑張ってもらおう。ま、二人とも私に優しくしてくれるなら、ちょっとくらいなら協力してやってもいいよ。(あ、それであのふたり、誕生日に花をくれたり、ミュージカルを母に捧げますなんてセリフが易々と口から出たか?)
とにかく終わった!
そっか。この解放感は結局、自分が金銭的な義務から解き放たれた喜びなのかも知れない。
やけに納得。
2008年4月14日月曜日
学校教育について(2)
私はマンハッタンに住むA子さんという美容師にいつも髪を切ってもらっている。先日、久しぶりにA子さんのもとを訪れ、ヘアカラー(ふん、早い話が、白髪染めさ)とカットをしてもらった。A子さんにはナイジェリア出身のご主人との間に小学生と幼稚園の二人の息子がいる。二人ともマンハッタンの公立に通っている。マンハッタンの公立教育は、Pre-Kから始まる。日本流に言えば、Pre-K(年中)、 K(年長)、 1年生となる。
A子さんから面白い話を聞いた。マンハッタンの彼女の学区では、ほとんどの小学校がひとつの建物を二つの学校で使用しているとのこと。つまり、ひとつの建物に別々の小学校があり、校長も二人、職員室も別々、教室も別々。ただし、体育の教師と保健室は共同で使用しているとのこと。
別々の学校というのは、単に便宜上二つに分けられているのではなく、教育方針も違うとのこと。また、彼女の住む学区内には10余りの小学校があり、この中のどの学校にも通うことができるそうだ。人気の高い学校の場合は、希望が通らないこともあるそうだが、基本的には、親の方針に合わせて、学校を選ぶができるのだそうだ。
A子さんの息子たちは、アートに力を入れた学校を選んだそうである。もうひとつの理由は、他の学校の幼稚園は午前中に終わってしまうが、ここは小学生の授業が終わる3時まで、幼稚園も見てくれるので、仕事を持つA子さんに取って、重要な要素でもあった。さらに、在籍する生徒の人種や民族の種類も一番豊富で、これも大きな要素であったらしい。同じ学区の中にはかなり勉強熱心な学校もあり、そちらには中国系の生徒が多いとか。
公立学校で学校により方針が違うこと、また学区内で選択肢があるなんて驚きだ。親の方針も子供たちの特性も違う中で、こうした選択肢の幅の広さも日本の学校に反映してもいいんじゃないかなぁ。スポーツに重きを置いた学校とか、演劇とか、音楽とか・・・。基本的な勉強時間を犠牲にしないで、余った時間を特別な学習や練習に当てることは十分に可能だと思うんですけど。関西だったら、お笑いに焦点を当てた小学校ってのもいいなぁ。
A子さんから面白い話を聞いた。マンハッタンの彼女の学区では、ほとんどの小学校がひとつの建物を二つの学校で使用しているとのこと。つまり、ひとつの建物に別々の小学校があり、校長も二人、職員室も別々、教室も別々。ただし、体育の教師と保健室は共同で使用しているとのこと。
別々の学校というのは、単に便宜上二つに分けられているのではなく、教育方針も違うとのこと。また、彼女の住む学区内には10余りの小学校があり、この中のどの学校にも通うことができるそうだ。人気の高い学校の場合は、希望が通らないこともあるそうだが、基本的には、親の方針に合わせて、学校を選ぶができるのだそうだ。
A子さんの息子たちは、アートに力を入れた学校を選んだそうである。もうひとつの理由は、他の学校の幼稚園は午前中に終わってしまうが、ここは小学生の授業が終わる3時まで、幼稚園も見てくれるので、仕事を持つA子さんに取って、重要な要素でもあった。さらに、在籍する生徒の人種や民族の種類も一番豊富で、これも大きな要素であったらしい。同じ学区の中にはかなり勉強熱心な学校もあり、そちらには中国系の生徒が多いとか。
公立学校で学校により方針が違うこと、また学区内で選択肢があるなんて驚きだ。親の方針も子供たちの特性も違う中で、こうした選択肢の幅の広さも日本の学校に反映してもいいんじゃないかなぁ。スポーツに重きを置いた学校とか、演劇とか、音楽とか・・・。基本的な勉強時間を犠牲にしないで、余った時間を特別な学習や練習に当てることは十分に可能だと思うんですけど。関西だったら、お笑いに焦点を当てた小学校ってのもいいなぁ。
学校教育について(1)
「地頭力」に対する反響のすごさ(コメント2つでってか?)には、やはり現在の日本の教育方針に対しての庶民の憂いを反映してますよね。
私も今の日本の教育に対して、思うこと、言いたいこと、たくさんある。政治に対しても同様。そして、私の言うこと=多くの人が思っていること、であるにもかかわらず、なーんにも変わらない。そして人々は安直に、公立学校を離れ、私学に向いてしまう。私学に入れるにはお金がかかる。だから子供の数も一人、二人が限度。よって少子化スパイラルは止まらない。
先日、NHKで、公立高校で「塾」を導入している例が紹介されていた。ちらちTVを見ていただけなので、詳しい内容は知らないけれど、放課後や休日に別途費用を払えば、塾の授業を安く学校で受けられるのだとか。はぁぁぁ?? それって学校の先生が教えられないから、代わりに塾の先生に教えてもらっているってこと、つまり自分たちの能力のなさを認めているってこと?
今の教育の現場を見れば、一概に教師ばかりを責められない。先生が悪いというよりは、システムそのものが機能していない。もうずいぶん前から言っていることだけれど、教育を改善するためには、まず最初に教師の給料をうんと高くすることだ。「教師」という職を魅力のあるものにし、良い人材を確保することが、すなわち教育の質を向上させることにつながる。
私の偏見を容赦してもらえるなら、今現在、教職に身をおいている人たちの中で、本当に「教師になりたい」と熱望してなった人たちがどのくらいいるだろう。私が大学生だったころ、教職課程を取っていた友人たちは、教師になりたいからではなく、万一のときのオプションとして、教職を取っていた。そして就職活動時期が近づき、当時は就職難でもあったから、多くの人がその「オプション」を行使したことは間違いない。
何故、教師がオプションなのか。それは明らかに収入の点で魅力が少ないからだ。ただし教師になって気づいた。「恩給」というオイシイ手当てがあったし、お互いを「XX先生」と呼び合う同列社会で、「上司」といえるのは、せいぜい教頭と校長くらい。評価したりされたりする上下関係も、同僚との間で競争もない、独立独歩の世界。法律を犯すようなことさえしなければ「解雇」の憂き目にあうこともなし。
よりよき教師になるための努力をするかしないかは、あくまで本人次第。努力を仕向けるプレッシャーもインセンティブもない中では、幾ら心がけの良い人々でも、怠けてしまうのは責められない。また、より良い教師になるべく努力しても、その努力はほぼ評価されず、逆に生徒の親から非難を浴びたときの負のインパクトは大きい。そんな中でとにかく「事なかれ主義」に走り、大胆な方針も打ち出せないでいるのではないだろうか。
シナコは中学1年の夏休みから2年の夏休みの1年間だけ、日本の学校に在籍した。帰国直後はすぐ近くの公立中学に編入。両親とも公立で12年間を過ごしたので、実際に公立の状況を体験するまでは、当時の日本の公立に対して、今ほどの偏見も憂慮もなかった。しかし入ってみると、日本の教育経験がゼロの娘に対して、勉強の点におけるフォローはゼロ。アメリカの公立では、授業に遅れのある子どもには、多少のヘルプがあっただけに、余りの何もなさに唖然とした。テストの点数のつけ方も、往々にして一元的だった。テストの最中、問題の意味がわからずに聞いたシナコの質問は無視された。答えはわかっていただけに、解説が受けられなかったことを親子で悔しがった。中には英語で書いた答えに丸をくれた先生もいたのだが。
編入後まもなく、授業参観と学年懇談会に参加した。授業内容は私たちの頃と変わらない、先生が当てた子だけが答える、生徒参加型とは到底言いがたいもの。一方的に先生のペースで授業が進められていく。オハイオの補習校の授業のほうがずっと和気藹々としていた。これは生徒がアメリカナイズされいるからだろう。
懇談会では、1時間の予定のうち50分間は、ずっーと運動会と音楽会のビデオを見させられた。ふたつの行事は家族も見学できたので、どちらも既に生で見ている人たちがたくさんいたはず。私は音楽会を見てなかったとは言え、何が悲しくて、硬い教室の椅子に座って、わが子を数分見るために、よその子のパフォーマンスを延々見なくちゃいけないのか・・・と思っていた。ようやくビデオが終わり、教室に電気が灯り、学年主任のお話だ。ところが、彼が話したのは、「この学校では、互いに友人の家に泊まりあうことを禁じていますが、夏休みにそのルールを破った生徒がいたようです」に始まり、「携帯電話で変なサイトが送られることがあるので気をつけるように、という注意だけで終わってしまった。
私が期待していたのは、今年はどんなことを学習していくかという教育の中身についての説明だった。それがまったくなし、生活面の話だけで終わるなんて。生活は家庭での教育でしょ、学校は勉強を教えるところじゃないの。こんな懇談会でみんな満足しているわけ? よその家庭はそんなことを学校に期待しているわけ?
この懇談会で私が結論付けたことは、とにかく3年間、問題さえ起こさずにいてくれれば、たとえ何も学ばずに卒業しても、学校はそれで満足なのだ、と言うこと。残念ながらこの教育方針とも呼べぬこの方針に私は非常に不満を覚えた。とにかくシナコを「学ばせたい」と思った私は、まずは家庭教師を探すべく、近所の人たちに相談を始めた。その時に、ある人から、近くの私学が帰国子女を受け入れていること、とても教育熱心な学校であることを教えてもらった。
果たして、シナコは3学期からはその私学に編入した。私学に編入後、学長のお話があった。彼の話は、まさに彼の「教育方針」についての話であり、いかに子供たちを学ばせるかということに対する彼の情熱が伝わってきた。あぁ。「やり方に文句があれば、別の学校に行ってください」と言える私学でないと、教える側も自由に教えることができないのだと、そのとき感じた。
私も今の日本の教育に対して、思うこと、言いたいこと、たくさんある。政治に対しても同様。そして、私の言うこと=多くの人が思っていること、であるにもかかわらず、なーんにも変わらない。そして人々は安直に、公立学校を離れ、私学に向いてしまう。私学に入れるにはお金がかかる。だから子供の数も一人、二人が限度。よって少子化スパイラルは止まらない。
先日、NHKで、公立高校で「塾」を導入している例が紹介されていた。ちらちTVを見ていただけなので、詳しい内容は知らないけれど、放課後や休日に別途費用を払えば、塾の授業を安く学校で受けられるのだとか。はぁぁぁ?? それって学校の先生が教えられないから、代わりに塾の先生に教えてもらっているってこと、つまり自分たちの能力のなさを認めているってこと?
今の教育の現場を見れば、一概に教師ばかりを責められない。先生が悪いというよりは、システムそのものが機能していない。もうずいぶん前から言っていることだけれど、教育を改善するためには、まず最初に教師の給料をうんと高くすることだ。「教師」という職を魅力のあるものにし、良い人材を確保することが、すなわち教育の質を向上させることにつながる。
私の偏見を容赦してもらえるなら、今現在、教職に身をおいている人たちの中で、本当に「教師になりたい」と熱望してなった人たちがどのくらいいるだろう。私が大学生だったころ、教職課程を取っていた友人たちは、教師になりたいからではなく、万一のときのオプションとして、教職を取っていた。そして就職活動時期が近づき、当時は就職難でもあったから、多くの人がその「オプション」を行使したことは間違いない。
何故、教師がオプションなのか。それは明らかに収入の点で魅力が少ないからだ。ただし教師になって気づいた。「恩給」というオイシイ手当てがあったし、お互いを「XX先生」と呼び合う同列社会で、「上司」といえるのは、せいぜい教頭と校長くらい。評価したりされたりする上下関係も、同僚との間で競争もない、独立独歩の世界。法律を犯すようなことさえしなければ「解雇」の憂き目にあうこともなし。
よりよき教師になるための努力をするかしないかは、あくまで本人次第。努力を仕向けるプレッシャーもインセンティブもない中では、幾ら心がけの良い人々でも、怠けてしまうのは責められない。また、より良い教師になるべく努力しても、その努力はほぼ評価されず、逆に生徒の親から非難を浴びたときの負のインパクトは大きい。そんな中でとにかく「事なかれ主義」に走り、大胆な方針も打ち出せないでいるのではないだろうか。
シナコは中学1年の夏休みから2年の夏休みの1年間だけ、日本の学校に在籍した。帰国直後はすぐ近くの公立中学に編入。両親とも公立で12年間を過ごしたので、実際に公立の状況を体験するまでは、当時の日本の公立に対して、今ほどの偏見も憂慮もなかった。しかし入ってみると、日本の教育経験がゼロの娘に対して、勉強の点におけるフォローはゼロ。アメリカの公立では、授業に遅れのある子どもには、多少のヘルプがあっただけに、余りの何もなさに唖然とした。テストの点数のつけ方も、往々にして一元的だった。テストの最中、問題の意味がわからずに聞いたシナコの質問は無視された。答えはわかっていただけに、解説が受けられなかったことを親子で悔しがった。中には英語で書いた答えに丸をくれた先生もいたのだが。
編入後まもなく、授業参観と学年懇談会に参加した。授業内容は私たちの頃と変わらない、先生が当てた子だけが答える、生徒参加型とは到底言いがたいもの。一方的に先生のペースで授業が進められていく。オハイオの補習校の授業のほうがずっと和気藹々としていた。これは生徒がアメリカナイズされいるからだろう。
懇談会では、1時間の予定のうち50分間は、ずっーと運動会と音楽会のビデオを見させられた。ふたつの行事は家族も見学できたので、どちらも既に生で見ている人たちがたくさんいたはず。私は音楽会を見てなかったとは言え、何が悲しくて、硬い教室の椅子に座って、わが子を数分見るために、よその子のパフォーマンスを延々見なくちゃいけないのか・・・と思っていた。ようやくビデオが終わり、教室に電気が灯り、学年主任のお話だ。ところが、彼が話したのは、「この学校では、互いに友人の家に泊まりあうことを禁じていますが、夏休みにそのルールを破った生徒がいたようです」に始まり、「携帯電話で変なサイトが送られることがあるので気をつけるように、という注意だけで終わってしまった。
私が期待していたのは、今年はどんなことを学習していくかという教育の中身についての説明だった。それがまったくなし、生活面の話だけで終わるなんて。生活は家庭での教育でしょ、学校は勉強を教えるところじゃないの。こんな懇談会でみんな満足しているわけ? よその家庭はそんなことを学校に期待しているわけ?
この懇談会で私が結論付けたことは、とにかく3年間、問題さえ起こさずにいてくれれば、たとえ何も学ばずに卒業しても、学校はそれで満足なのだ、と言うこと。残念ながらこの教育方針とも呼べぬこの方針に私は非常に不満を覚えた。とにかくシナコを「学ばせたい」と思った私は、まずは家庭教師を探すべく、近所の人たちに相談を始めた。その時に、ある人から、近くの私学が帰国子女を受け入れていること、とても教育熱心な学校であることを教えてもらった。
果たして、シナコは3学期からはその私学に編入した。私学に編入後、学長のお話があった。彼の話は、まさに彼の「教育方針」についての話であり、いかに子供たちを学ばせるかということに対する彼の情熱が伝わってきた。あぁ。「やり方に文句があれば、別の学校に行ってください」と言える私学でないと、教える側も自由に教えることができないのだと、そのとき感じた。
2008年4月3日木曜日
地頭力
今、クローズアップ現代で企業が「地頭力」のある人材を求めている・・・という特集をやっていた。
「地頭力」とは、最近話題にされている能力らしい。
私に言わせれば、何も今になって注目される能力でもなんでもなく、要するに、経験に基づいて考える力およびその考えを表現することができる力でしかないと思うのだ。
英語ではRaw ThinkingとかCreative Thinkingとか言われているらしい。前者は新しい言葉だけれど、後者は別に新しい言葉でも何でもない。この二つの言葉の意味が同じということなのだから、求められているものも、やはり新しい素質でもなんでもない。
地頭力を持つ人材を開拓するために、企業の面接試験では、突拍子もない質問が出されているそうだ。日本のマイクロソフトでは、「富士山を動かすにはどうすればよいですか」、別の会社では、「日本では年間何個の鍋が売れますか」「ドラえもんのポケットから何を取り出したいですか」などなど。
正直言って、こんな質問してどないするねん? 会話のトピックとしては面白い。どのように回答するか、答えの内容よりも、これを題材に広がる会話のほうは面白いとは思う。
ニュースの解説の言葉の中に、「学校の成績は関係なく」地頭力のある人材が求められている・・・とか。
この言葉に私は非常に反論したい。学校の成績が関係ないって?
確かに、穴埋め式のテストの点数は関係ないかもしれない。大化の改新=645年、関が原の合戦=
1600年、仏教伝来=ゴミヤの拾った仏=538。(情けないが、私の日本史の力はここまで。)
こんなこと覚えていても、こんな風にジョークに使う以外何の役にも立たない。重要なのは、何故この時期にこんなことが起きたか、その背景を理解すること。数式にしても、その数式を使って、現実のどのような問題が解くことができるかわかること、理科の知識も、それが実生活にどのように結びついているかが、面白さの元になると思うのだ。
正直言って、学校に行っている間は、これらの知識が受験以外の何の役に立つのか全然わかっていなかった。誰も教えてくれなかった。実生活との接点が見出せずに、単に勉強のための勉強だと思っていたから楽しくなかった。
ところが大人になって、身の回りの至るところに学校で学んだ知識が役立つ事象が埋もれていた。いや、学校で学んだではなく、学びそびれた知識が役に立つことがわかって愕然としたと言った方が正しい。
通訳として口に糊する身になってから、物理や化学が密接に関係する分野の仕事に携わる機会が多くなった。高校時代、理科と数学は不得意中の不得意。数学と化学は高校入学直後にあった実力考査で順位は全校で下から一桁だった。未だに記憶しているが、数学では、問題を解きながら、因数分解の公式が正しいのかどうかわからなくなって、何でこういう因数分解になるんだっけ・・・と考え始めそれで時間切れ。化学も出題された問題数は多くなく、中でも問題数が多かったのが、「下記の化学式を書きなさい」というものだった。「下記」の中に含まれていたのは、水、酸素、二酸化炭素・・・もっと難しいものも含まれていた。
数学では、簡単な説明の後に公式を覚えて、その後はひたすらその公式に数字を当てはめて解いていくというのが通常の授業。確かに公式を覚えてしまえば手っ取り早いが、何故その公式になるのかを理解していない限り応用力はつかない。ま、私みたいに、不必要なときに、一人で応用力を試そうとする奴は馬鹿でしかないけれど。
化学では「化学式」という言葉がわからなかった。「あ、例の手をつないだ形を書くのかな・・・」と思い、水は「H-O-H」と書いた。知っていたのは、2,3個だったから、書いた「絵」も2-3個だったが。
でも、結果はすべて×。化学式と聞かれたら、H2OとかO2と言う答えを書かなければならなかったのだ。そのときは、「あー私は馬鹿だー。化学は苦手なの~。下から数えて10位にも入らなかったよー」とみんなに自慢して回った。
以降、私は数学も化学も苦手、勉強するに値しないと決め込んだ。私の高校では理科の4科目(生物、地学、化学、物理)のうち、文系の生徒は2教科を1年間勉強するだけで良かったので、私は記憶力だけで何とかなる「生物」と「地学」を取った。文系の生徒はほとんどこの教科を選択するし、先生も「こいつらは理科に興味のない学生」と決め込んでいるものだから、授業も超退屈。たいていは教科書を前に立てて、その陰で、「あいつ(先生)のシャツ、昨日と一緒。どうりで彼女ができないはず」などと、友達に回すメモを書いて過ごしていた。
でも今になって、仕事で化学や物理の世界に遭遇し、なんて面白いのだろう、と思う。当時、この分野の面白さを知っていたら、今頃私はエンジニアになっていたかも・・・と大胆不敵な考えさえ頭をよぎる。
クローズアップ現代のゲストとして出ていた糸井重里氏。彼は「地頭力」をこんな風に解説した:個人が持つ知識の総合、これを元に、協議・検討を繰り返し、さらに新しい考えを生み出していくこと。この言葉に、私は思い切り拍手喝采した。
ゼロからは何も生まれない。多くの経験と背景知識を基に、先のことを考える力や自分の考えを肯定する自信が生まれて来る。そのためには、学校の成績は大切なのだ。いかに真剣に勉強に取り組んだかを表すものだから。
問題なのは、今の日本の教育が大学入試だけに焦点を絞っていること、および成績の評価の仕方。水の化学式と言われて「H2O」と答えることが大切なのではなく、水は水素分子とと酸素の原子(だよね・・・)が結びついていると知っていることのほうが、ずうぅぅぅぅっと大事なのら!
つまり、本日の論点として最も重要なのは、私のあのときの化学の順位は、下から50番目以上であったに相違ないと言うことである!!!
「地頭力」とは、最近話題にされている能力らしい。
私に言わせれば、何も今になって注目される能力でもなんでもなく、要するに、経験に基づいて考える力およびその考えを表現することができる力でしかないと思うのだ。
英語ではRaw ThinkingとかCreative Thinkingとか言われているらしい。前者は新しい言葉だけれど、後者は別に新しい言葉でも何でもない。この二つの言葉の意味が同じということなのだから、求められているものも、やはり新しい素質でもなんでもない。
地頭力を持つ人材を開拓するために、企業の面接試験では、突拍子もない質問が出されているそうだ。日本のマイクロソフトでは、「富士山を動かすにはどうすればよいですか」、別の会社では、「日本では年間何個の鍋が売れますか」「ドラえもんのポケットから何を取り出したいですか」などなど。
正直言って、こんな質問してどないするねん? 会話のトピックとしては面白い。どのように回答するか、答えの内容よりも、これを題材に広がる会話のほうは面白いとは思う。
ニュースの解説の言葉の中に、「学校の成績は関係なく」地頭力のある人材が求められている・・・とか。
この言葉に私は非常に反論したい。学校の成績が関係ないって?
確かに、穴埋め式のテストの点数は関係ないかもしれない。大化の改新=645年、関が原の合戦=
1600年、仏教伝来=ゴミヤの拾った仏=538。(情けないが、私の日本史の力はここまで。)
こんなこと覚えていても、こんな風にジョークに使う以外何の役にも立たない。重要なのは、何故この時期にこんなことが起きたか、その背景を理解すること。数式にしても、その数式を使って、現実のどのような問題が解くことができるかわかること、理科の知識も、それが実生活にどのように結びついているかが、面白さの元になると思うのだ。
正直言って、学校に行っている間は、これらの知識が受験以外の何の役に立つのか全然わかっていなかった。誰も教えてくれなかった。実生活との接点が見出せずに、単に勉強のための勉強だと思っていたから楽しくなかった。
ところが大人になって、身の回りの至るところに学校で学んだ知識が役立つ事象が埋もれていた。いや、学校で学んだではなく、学びそびれた知識が役に立つことがわかって愕然としたと言った方が正しい。
通訳として口に糊する身になってから、物理や化学が密接に関係する分野の仕事に携わる機会が多くなった。高校時代、理科と数学は不得意中の不得意。数学と化学は高校入学直後にあった実力考査で順位は全校で下から一桁だった。未だに記憶しているが、数学では、問題を解きながら、因数分解の公式が正しいのかどうかわからなくなって、何でこういう因数分解になるんだっけ・・・と考え始めそれで時間切れ。化学も出題された問題数は多くなく、中でも問題数が多かったのが、「下記の化学式を書きなさい」というものだった。「下記」の中に含まれていたのは、水、酸素、二酸化炭素・・・もっと難しいものも含まれていた。
数学では、簡単な説明の後に公式を覚えて、その後はひたすらその公式に数字を当てはめて解いていくというのが通常の授業。確かに公式を覚えてしまえば手っ取り早いが、何故その公式になるのかを理解していない限り応用力はつかない。ま、私みたいに、不必要なときに、一人で応用力を試そうとする奴は馬鹿でしかないけれど。
化学では「化学式」という言葉がわからなかった。「あ、例の手をつないだ形を書くのかな・・・」と思い、水は「H-O-H」と書いた。知っていたのは、2,3個だったから、書いた「絵」も2-3個だったが。
でも、結果はすべて×。化学式と聞かれたら、H2OとかO2と言う答えを書かなければならなかったのだ。そのときは、「あー私は馬鹿だー。化学は苦手なの~。下から数えて10位にも入らなかったよー」とみんなに自慢して回った。
以降、私は数学も化学も苦手、勉強するに値しないと決め込んだ。私の高校では理科の4科目(生物、地学、化学、物理)のうち、文系の生徒は2教科を1年間勉強するだけで良かったので、私は記憶力だけで何とかなる「生物」と「地学」を取った。文系の生徒はほとんどこの教科を選択するし、先生も「こいつらは理科に興味のない学生」と決め込んでいるものだから、授業も超退屈。たいていは教科書を前に立てて、その陰で、「あいつ(先生)のシャツ、昨日と一緒。どうりで彼女ができないはず」などと、友達に回すメモを書いて過ごしていた。
でも今になって、仕事で化学や物理の世界に遭遇し、なんて面白いのだろう、と思う。当時、この分野の面白さを知っていたら、今頃私はエンジニアになっていたかも・・・と大胆不敵な考えさえ頭をよぎる。
クローズアップ現代のゲストとして出ていた糸井重里氏。彼は「地頭力」をこんな風に解説した:個人が持つ知識の総合、これを元に、協議・検討を繰り返し、さらに新しい考えを生み出していくこと。この言葉に、私は思い切り拍手喝采した。
ゼロからは何も生まれない。多くの経験と背景知識を基に、先のことを考える力や自分の考えを肯定する自信が生まれて来る。そのためには、学校の成績は大切なのだ。いかに真剣に勉強に取り組んだかを表すものだから。
問題なのは、今の日本の教育が大学入試だけに焦点を絞っていること、および成績の評価の仕方。水の化学式と言われて「H2O」と答えることが大切なのではなく、水は水素分子とと酸素の原子(だよね・・・)が結びついていると知っていることのほうが、ずうぅぅぅぅっと大事なのら!
つまり、本日の論点として最も重要なのは、私のあのときの化学の順位は、下から50番目以上であったに相違ないと言うことである!!!
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