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2010年8月31日火曜日

カナダから帰りました

やっぱりカナダは遠い。

帰りはアパラチアの山越えを避けるルートで、ピッツバーグとリッチモンドを経由するルートだったのですが、ペンシルバニアはアパラチアの麓だから全くの平野ではなく丘陵地帯。ま、これは別に良かったのですが。

トロント郊外のニューマーケットと言う町を出発したのが朝7時。早めの出たものの、やはりトロントへの通勤ラッシュにしばし巻き込まれ、バッファローへ抜ける国境(Peace Bridge)には2時間半後に到着。平均的な所要時間かもしれませんけど。

その後は順調だったものの、4時半ごろからワシントンDCの近くに差し掛かり、帰宅ラッシュに巻き込まれ、ようやく渋滞を抜けるまで2時間。これは疲れた・・・。

当初の予定では8時半には帰宅できるはずが、結局は9時半の到着と相成りました。しばらく遠距離運転はしたくない気分です。

あと60マイルほどで家という85号線という高速道路(Interstate)を走っておりました。とっぷり日も落ちて真っ暗。車も少ない。私は左手の追い越し車線におり、右斜め前の車を抜かそうとしておりました。すると突然、その車がブレーキを踏む。

警察かと思って私もブレーキを踏みながら目を凝らすと、前方に雌鹿。その車の前を横切って私の車線へ。運よく、そのまま渡り切ってくれましたから良かったけど、道の真ん中で止まったりしてたら・・・とぞっとしました。鹿が渡り切ったときには、私の車との距離はもう5メートルくらいしかなかったですから。

だけどあの鹿、渡りきった先は中央分離帯。どうなっちゃったでしょう・・・。

と言うことで、カナダで何してきたか書きますと、カナダに着いた翌日、キニコのアパートへ荷物を搬入に行きました。ところがまだ大家さんが掃除中。しばらく待っていてということで、近所の餃子屋さんへ出かけ腹ごしらえ。ワンブロックで中華街のあるSpadinaです。

キニコのアパート・・・と言うか、3階建ての一軒家のそれぞれのフロアが貸し出されて居るのですが・・ここはトロント大学が目と鼻の先。しかもキニコの授業がある学舎が最も近いので、大変便利。大家さんは中国人のご夫婦。2日前まではこの家の一階に住んでいたそうですが、奥さんの方は毎朝5時に起きてScarboroughに住む息子さん夫婦の家に孫の世話に通い、帰宅は11時を回る生活をしていたそうで、それが辛くなってきたのでScarboroughに家を買ったそう。と言うことで今年からは1階も貸し出し。

アパートの前から見た大学の学舎    
テラスがある3階がキニコたちのユニット
背後にトロント名物CNタワーが見える       
         
キニコとルームメイトのリア(中国系カナダ人)の住居は3階。テラスが付いていてなかなか良さそう。契約は9月1日からなので、キニコは特別に先入れてもらうのですが、まだ前の住人の一人が住んでいて・・・、正直言ってこんなに汚く暮らしているの??と驚くほど、台所も冷蔵庫もトイレも部屋も汚かったです。(大家さんの奥さんも眉をひそめながらも、「彼女たちは医学生で実験とか一杯あって忙しかったから、仕方ないのよ。大丈夫、私がきれいに掃除するから」と言っていましたが・・・そう言う問題か?? キニコとリアには、くれぐれも清潔に生活しなさいと言い渡しておきましたが・・・。)

リアはキニコより1学年下。でも、話した限りキニコよりずぅーーっとしっかりしている。大家さんにもあれこれ確認していたし。

キニコの部屋に荷物を運び込んだ後、私は一路、友人の住むトロント郊外へ。トロントから1時間弱のところ。のどかと言えばのどかですが・・・オハイオを彷彿とさせる田舎でありました・・・。

友人Mちゃんには3歳の娘がいます。去年の5月にキニコのオリエンテーションでトロントに来た時に一緒に食事をしたのですが、その時はまだ「赤ちゃん」で、人見知りもするし、顔を見た程度で終わっちゃったのですが、今回は最初は人見知りしていたものの、しばらくするとなついてくれ、ちゃんと私の話し相手にもなって、めっちゃくちゃ可愛かったです。

私が「お父さんとお母さんとどっちが優しい?」と聞いたら、
「ジョダコちゃんが一番優しい」だって。
子供はなんて正直なんだ!

嘘です。間違ったことを覚えちゃいけないから、ちゃんと、「ジョダコちゃんは、本当はめっちゃくちゃ怖いんだよ」って正しておきました。

そうそう、はーちゃんには、おばちゃんと呼ばれないように、「ジョダコちゃん」と最初に釘をさしておきました。すると「あの・・・おばちゃ・・・あの・・・ジョダコちゃん・・・」と最初は言ってたけれど、そのうちすんなりジョダコちゃんと呼んでくれておりましたわ。ほほほ。

「おばちゃん」と呼ばれたくなくなったら、本物の「おばちゃん」になった証拠でしょうね~。そのうち「おばあちゃん」と絶対に呼ばれたくないと思うんでしょうね。それがシニアになった証拠なんでしょう・・・。

はーちゃんに対する私の心境は、正直言って「孫」に接する気持ちに近かったかも。
あな悲しや・・・。

Mちゃんも旦那さんのSさんも、忙しい中、歓待してくれて感謝感激。 Mちゃんはお料理上手で、美味しいご馳走を一杯作ってくれて、私は引越で2キロも体重が落ちて喜んでたのに、K家に滞在したわずか2日間ですっかり元に戻ってしまった・・・。どうしてくれる。

帰る日はお弁当まで用意して持たせてくれて、涙がちょちょぎれるほど嬉しかったです。

そうそう、今回カナダで気付いたカナダの違い。

まず、カナダでは(オンタリオ州では?)、生ゴミは他の生活ゴミと分別しなければなりません。キニコのアパートでも大家さんの奥さんが小さなバケツを台所のシンクの下から出してきて、「生ゴミは分別してここへ入れて、下の生ごみ用のゴミ箱へ入れてね」と言ってました。Mちゃんの家でも生ゴミは別。紙類は分解するから生ゴミと一緒でもOK。だけど週に1回しか収集に来ないそうだから・・・早くからゴミ箱に入れると臭いそうだよな~。私だったら生ゴミも収集日まで冷蔵庫に保存するかも・・・。

その次は、ビニール袋に入った牛乳が売っている! 
勿論紙パックに入った牛乳(1L,2L入り)も売っているのですが、それは割高で、Mちゃんの家ではビニール袋入り(4Lが3つの袋に分けてある)を買っていました。勿論中身を全部別容器に空けても良いのですが、ビニール袋の先をちょんと切ってそのまま容器にスポンと入れて使用するのがカナダ流。

おお! こんなのをYoutubeで見つけました。ミルクバッグの説明どす(英語どすが)。
http://www.youtube.com/watch?v=VTPgd4HUk4w

話はそれますが、上のミルクバッグを説明しているYoutubeのビデオを作った人が、メープルシロップで飴を作る作り方を説明しているクリップもありました。面白そうだから、カナダにお住まいの方、是非お試しあれ!
http://www.youtube.com/watch?v=CVycchqwlac&feature=channel

2010年4月20日火曜日

シイナの大学事情 (12)

今夜は疲れているので手短に。

今朝6時にチャペルヒルを出発して、2時半に帰宅しました。10時間あまりを想定していただけに、恐れていた渋滞も殆どなく、ジョージワシントン橋さえスイスイ渡れて、8時間半で戻って来ました。超ラッキー。

出発してからの6時間をノンストップで走り、ガソリンランプが点灯したのが念願通りニュージャージー州に入ってから。だってニュージャージーが一番ガソリンが安い上に、州の法律でセルフサービスがなく、全てフルサービスなのよね。給油・トイレ・食べ物の買い物で30分休んだので、正味は8時間の道のりでした。ニュージャージーで止まるまで、シナコは6時間ずぅーーーっと寝てました。全く、よく眠れるよ。

11日に大学めぐりを始めてから今日までで合わせて2000マイル余を走行。明日は仕事でボストンに車で行くので、明後日に戻ってくると、約10日間で総計2500マイルを走った事になります。我ながら、よくやると思う。

今夜の12年生の保護者対象のミーティングの話の中で、進学する大学を決定するに当たって、子供が迷っているなら、「何も進学する大学で将来が決まるわけではない、あくまでひとつのステップに過ぎない、色んな事情で希望の大学にいけないこともあるでしょう、でもどこの大学に行っても、そこで何を学ぶか、得るかが大切、本当の人生が試されるのは大学の後から…」というお話がありました。

このお話の後に「何か質問はありますか?」と聞かれたので、思わず手を挙げて、「お願いですから、今おっしゃったことを私たちにではなく生徒に話してもらえませんか」と言ってしまった。私が言っても聞く耳持たないもん。「勿論、話しますよ」っておっしゃったけど、マジでASAP大至急、明日にでも話して欲しんですけど。

今日は帰ってからお昼寝もしたけれど、疲れてるので早々と就寝いたします。

2010年2月15日月曜日

ゲイビーチ?

同性愛者に対して偏見がないかと言ったら嘘になってしまう。やっぱり理解できない部分はあるし、自分がなれるかと聞かれれば、多分無理。
でも家族が同性愛者になったら・・・恐らく受け入れられるかなぁ、理解はできなくても。

アメリカでゲイのカップルはたくさん目の当たりにするけど(うちのお隣さんもそうだし)極々普通の人たちだし、とっても優しい人が多い。

とは言え、こうしてゲイの人が集まっているところを見ると、やはり面白がってしまう私。

フォートローダーデールのビーチを歩いてると、100メートルくらいの幅の一画だけ、何故か男性ばかりが寝そべっていて、思わずカメラを向けてしまった。

2009年7月25日土曜日

ここはどこ?





さて、ここは一体どこの国でしょう?

なんだかアフリカか南米のどこかの国に来たみたいに異国情緒たっぷりだけれど、実はこれはFt. Lauderdaleにあるフリーマーケット。仕事場のおじさんが、運動靴で行きなよと注意してくれたくらい、まぁ広かった(ビーサンで行ったけど)。外だけじゃなくて、かなり広い建物の中にもたくさん店があった。正直言って、あまりろくな物は売ってなかったけど。
洋服、楽器、香水、動物、紐(ザイル?)専門店に至るまで、ありとあらゆるお店があった。





ちょっとー、あんたたちの店は、ポリシーがなさ過ぎじゃないの?

おいおい、どこかの備蓄のトイレットペーパーをくすねて来たでしょ。
白昼堂々とアダルトビデオは買いにくいんじゃないか?
新品が全部1ドルだって。
こちらは何でも50セント。バーゲン品をあさっていた人が、手を止めてポーズをしてくれた。このショットの後、私も彼らに混じり、一緒に来た人のことをすっかり忘れて、しばし掘り出し物探しに没頭。子供の土産にアクセサリーをゲット。1ドル50セント也。

ねぇ、この下着、全然機能してないでしょ。
FBIってそう言う意味だったの・・・。右側のTシャツの方は、「両親は、大きくなったら何にでもなれるよって言っていたので、僕は大バカ野郎になりました」

そして何故か車の博物館とか称して、スポーツカーがたくさん置いてあった。
帰り際に気がついた。ここは夜はドライブイン・シアターになるのだ。なるほど、昼間はフリマで、夜はシアターと、土地を有効利用しているのね。
後ろにスクリーンが見えるでしょ。

それにしても、あの車の博物館は何だったんだ。よく訳のわからぬフリマでありました。

2009年6月30日火曜日

ビーチ

今日は、曇っていたのであまり暑くないし、仕事の後、そのままビーチにドライブに出かけた。

海に着いてびっくり。ペリカンがたくさんいたから。

この辺りは、ウミガメが産卵に来る所らしく、幾つも産卵箇所がマーキングされて保護されていた。


3週間ほど前にFort Lauderdaleの海に行ったときも、同じくウミガメの産卵場所がマーキングされていた。

街灯に変な帽子が被されていると思ったら、灯りがビーチに当たってウミガメに影響が出ないようにするためらしい。

しかし、フロリダは海があって空が広くて、本当に気持ちがいい。
但し、長くい過ぎると、脳みそが完璧に弛緩してしまいそう。

2009年6月29日月曜日

飛行機でお隣だった子

ミューヨークからフロリダへ戻る飛行機で、隣の席になった女の子。フロリダ出身のジャマイカ系で、イェール大学に学校訪問に行っていたそうな。自主的な学校訪問ではなく、大学から招待を受けてのカンファレンスという形式の学校訪問だって。シナコと同い年で、9月から12年生。選抜の学生ばかりの公立のマグネットスクールに通っている。

「ほかにどんな大学を考えているの?」と興味津々のわたし。
「一番は、エモリー。アトランタだから一番近いし。コロンバスとプリンストンも考えている。ポモナは遠いので、母がそれはちょっと無理じゃないと言うの」
どれも優秀な大学ばかり。

さらに彼女が付け加える。
「でも、どこの大学に行くかが重要じゃなくて、何を勉強したいかだと思う」

「何を勉強したいの?」
「憲法学」
「???」
「中学で憲法を習ってから、憲法に魅せられてしまったの。はっきりと明確に定義されている一方で、解釈には幅があって。すごいと思う。将来は何になるかわからないけど。今は判事になりたいかな」

一通りいろんなおしゃべりのあと、わたしが本を読み出すと、彼女はニューヨークタイムズを読みはじめた。しばらくすると、黄色い色鉛筆を取り出して、ある記事の一部をハイライトしている。
「ディベートの資料に必要そうだから」

これでシナコと同い年? キニコより全然しっかりしてる・・・。

飛行機はフロリダに向けて夕刻飛び立ったので、上手く行けば窓から日没が見えるはず、と、その子にも話して、ニューヨークを飛び立ってから2人でずっと窓の外をちらちらと眺めていた。着陸直前になって、日が沈み始めた。

「フロリダは空が広いよね。日本じゃこんなに広い空は見えないんだよ、ビルが一杯で。それに、ここではしょっちゅう二重の虹が見えるでしょ? わたしは生まれて初めてフロリダで二重の虹を見たよ」

「そうなの? わたしたちは当たり前だと思っていたけど、そうなんだ」

「そうだよ。それと、あの2重の虹の色が、一つ目と二つ目で色の配列が逆になっているって知ってた?」

「え、知らなかった? そうなの? 今度しっかり見てみる!」

ははは。にわか知識ながら、この才媛少女を感心させられて、ちょっと嬉しい気分。

2009年6月21日日曜日

キーウエスト

何故か、再びフロリダにおりまして、昨日の土曜日はキーウエストにまで出かけました。キーウエストは、アメリカ本土の最南端にある島です。そこにたどり着くまでに、複数の島の間に橋がかかっていて、橋から景色はとてもきれいでした。

で、カメラで風景を収めようとするんだけど、なんたってデジカメちゅうもんは、シャッターが落ちるのがのろい! よし、と思って押してから、一瞬あってから落ちるものだから、カメラに収まっているのは、要らない鉄柱だったり、電柱だったり。しかも動いている車の中から取るから、焦点がずれる、ずれる。橋が揺れるので車も揺れて、ピンボケするし。かなりの写真を捨て去りました。

これは一番長いセブンマイルブリッジ。横に、その昔(1908~1912年)に鉄道用に作られ、その後自動車用に作りかえられて1982年まで使用されていた古い橋が並んでます。 

途中停車して取った写真。ほら、マングローブ。

この小さな島と雲、きれいでしょ。

潮岬は串本の本州最南端の碑ならず、ここには本土最南端のブイが。しかしこのブイのちょい先には米軍基地があって、そっちのほうがもうちょっと南。更に本当の最南端は、キーウエストの南西にある個人所有の島Ballast Keyだとか。そんなことはともかく、例外なく観光客は嬉しそうにこのブイのところで写真を取るのだ。我々も例に漏れず。

一番の収穫(?)は、USルート1の出発点であり終着点であるところの標識を見たこと。ルート1は東海岸沿いを南北に貫いている全長2000マイルの道。うちの直ぐ近くも走っていて(この辺りでは昔の郵便配達路だったためボストンポストロードって呼ばれてる)、北はメイン州のフォート・ケントが端っこらしい。



しかし、とにかく遠かったし、半端じゃなく暑かった! 100度はあった上に、湿度も高いし、ヘロヘロになりました。

2009年6月7日日曜日

ケネディースペースセンター

フロリダはケープカナベラルにあるケネディースペースセンターに行って来た。
前に、テキサスのジョンソンスペースセンターには行ったことがあるので、似たような所だろうとは思っていたけど、ケネディーには発射台があって、なかなか見ごたえがあった。

発射台には、遠目にもオレンジ色のブースター(?)が見え、シャトルが取り付いているみたい。近々発射があるのかな?

ホテルに戻ってから、ネットで調べてみると、な、な、なんと6月13日の午前7時17分にエンデバー号を発射予定なんじゃないの。(そう言うのは先に調べて行きなさいよ。)

あー残念! 私は12日にフロリダを離れるのだ。ついてないなぁ。

2009年3月18日水曜日

サルバドール (3)

今回の旅行の最大の難関は言葉だった。

マビオさんとチカエは、フランス語も少しできるが、アメリカで個人レッスン、スペインやコスタリカでの休暇中に学校にも通っていたから、かなりスペイン語の素地がある。かなりと言っても、書いてあれば判読できることが多いが、ペラペラとやられると解らないことが多い。

私はスペイン語は皆目ダメ。カビの生える前に殆ど蒸発したイタリア語と、フランス語で、少しは判読できるものの、話しかけられるとダメ。そこで対処法は、こちらから話しかけて、それに対して、イエス・ノーで判別。

チカエとも話していたのだが、言葉がわからないってホント大変。日本に旅行に来ているガイジンはこんな気持ちなのかしら。

メニューを広げても、全然わからん
説明を求めてもわからない。
みごとなくらい、誰も英語を話さないのだから。

Cubanaのメニュー。どれがどのフレーバーなんだか、さっぱり。私は安全パイのココにした。

書いてあれば、結構わかる場合がある。アメリカでも時々見かける「No Shirt, No Service」(上半身裸での入店お断りのサイン)。 

ビールが欲しくて、「ビエッラ」と叫んだけど通じなかった。マビオさんが、世界でもスペイン語とポルトガル語だけが、ビールに似た音を使ってない言語だと教えてくれた。ここではビールは、セルベージャ(Cerveja)。何を置いても、これだけは覚えねばならぬ。

レストランでお勘定を頼むとき。これは、A conta por favor.(家に帰ってから調べた。)スペイン語は、La cuenta, por favor. イタリア語は Il conto per favore. 私とチカエは勝手に、La conta por favorと言っていた。

しかしマビオさんは、お勘定の度にウェイターに向かってスペイン語で「悲しい報せをお願いします」と言うのだ。これはスペイン語で、悲しい報せ=請求書というジョークらしいのだが、同じジョークが通じないのか、マビオさんの発音が悪いのか、通じたためしがない! なのにめげることなく、悲しい努力を毎度毎度繰り返されておりました・・・。
悲しい報せに向けて、精力的にお皿をつつくマビオさん。

マビオさんと私は、マンハッタンで会うときもそうなのだが、基本的には、スリー・ワン・ルールと言うのを設けている。つまり3回に1回は私が食事代を払うということ。3人なので、これはとても公平なルール。でも厳密には、4回に1回くらいしか出してないのだけど。

今回の旅行でも基本はスリー・ワンで行こうと合意。
すると3度目にあたったのは、昼食を食べ過ぎて、夜遅く軽食を食べたレストランだった。するとマビオさんが、「こりゃ、安すぎるからアカン」と大阪弁では言わなかったが、払わしてくれないので、じゃ替わりに翌日のランチを私が払うねと言うことになった。

ところが翌日行ったのは、今回の旅行中、最も高級なレストラン。「不公平やん!」と異議を唱えると、「どうしてもここはワシに払ってくれと主張するなら、払ってもいいぞなもし」と言うから、「どうしても払ってください」とお願いした。

ところが、こんな超高級レストランなのに(トイレの便座には電動で替わるビニールシートがあり、トイレの壁には、なんとデンタルフロスの自動ディスポーザーもある)、メニューを見たら、意外や意外、ニューヨークの普通のレストラン並みなのだ。物価が安いって素晴らしい。で、結局は私が払うと最後に申し出た。「そんなんやったら、シャンペン注文したのに」とマビオ。そうは問屋が卸さねぇ。

チカエも私も生まれて初めて見たデンタルフロスの自動ディスポーザー。レストランのロゴ入り。

サルバドール (2)

サルバドールの朝は遅い。
(懐かしのネスカフェのCMのパロディーと誰が気が付いてくれるだろう・・・)

まあ自分たちがいつまでも寝ていただけなのですが。9時ごろ一応目は覚めるものの、もうちょっと・・・と思って気がつくと、10時とか11時。

それから朝食。
「手伝おうか?」と、その気がない癖に、一応チカエに声をかける。
「いいよ、いいよ、座ってて」と言われ、「そう、悪いねぇ」と全く済まなさそうに聞こえないセリフを吐く。このやり取りを毎朝繰り返していた。

朝食のメニューは、たいていがオレンジジュース、マンゴ、フルーツにヨーグルトかシリアル、またはその両方をかけたもの、パンと紅茶。

「こんなんでごめんね」とチカエ。
毎日自宅で食べている朝食よりよっぽど豪勢なんですけど。

ブラジルで苦労したのは、オレンジジュースとパン。
スーパーに行っても、普通のオレンジジュースが売ってないのだ。パック入りのオレンジジュースは飲まないのだろうか?? 求めていたのはトロピカーナのような100%ものなのだが、何故か買ったものは、ちょっと水で薄めたような人工的な味のするヤツ、次は何故か豆乳入りだった。(後でパックを見たら、確かにソヤ(大豆)と書いてあった。これは、懐かしのフルーツ牛乳の味がした・・・。)

日本語の語源のパンがポルトガル語のパンなのは周知の話。なのにブラジルのパンはまずいのよ。何ででしょう。滅多においしいパンに当たらなかった。どれも、ぽそぽそしている。小麦粉が悪いのか。

日本でも有名なポンデケージョ(ポン=パン、ケージョ=チーズ)。生協の共同購入にもありました。もちもちしておいしかった。なのに、スーパーで買ったポンデケージョはイマサンだった。空港のコーヒースタンドで買ったものはおいしかったけど。

そう言えば、サウジ時代、フランス人は「サウジの小麦粉ではおいしいものが作れない!」と言って、わざわざフランスから輸入された小麦粉を買っていた。小麦粉説は、大いに説得力あり。

朝食が終わる頃には、たいてい12時を回っている。これから出発のための身づくろいが始まる。準備が整うのはたいてい2時ごろ。

マビオさんの毎日の日課は、「今日のランチをどこで食べるか」を詳しく調べること。ブラジルの旅行書(2冊)を隅々まで読み、更にインターネットで調べた結果、「今日のランチは、XXにある○○に行く事にしよう。ここは・・・」と、そのレストランがどのように傑出しているか説明してくれる。あるいは、「今日は、△△か□□に行く事にしたいが、どちらがいいか」と私たちに意見を求める。

ここだけの話だが、どっちもブラジル料理だし、私もイマイチどっちがいいか判らないのだが、ここは意見を述べるべしとばかり、「そうですねぇ、昨日はアレを食べたので、今日は是非コレを食べたい」と厳かに己の意思を表示する。「では、△△に決まりだ」と、レストランに予約を入れてくれる。言葉が通じれば晴れて予約成立。予約は3時とか3時半。この時間に昼食である。

直接レストランに行くこともあれば、少し広場のあたりをうろうろしてからのことも。ルートは大抵はマビオさんが決めてくれる。「XX美術館があるので、そこに寄ってから行こう」「XX画廊を覗いてから」「アメリカ人が経営しているレコードショップに寄ってから」など。レストランのあとは、マビオさんだけ先に帰ってお昼寝し、私たちで広場をうろうろすることもあった。ランチが遅いため、たいてい夜はお腹が空かないので、バーで何かをつまんで飲む程度。はたまた家に帰って、紅茶とパンとオムレツ、とか。

さて、ブラジル料理だけど、私は非常に気に入った。そもそもアメリカの南部料理は好きだし、ニューオーリンズのケイジャン料理やクレオール料理も大好き。ブラジルの料理はこれらに似通ったものが多く、大抵は煮込み料理。海産物も豊富で、海老、蛸、牡蠣、魚などの料理がメニューに並んでいる。

何日も食べていると、料理の名前は違うのに、どれも似通っていることにも気が付く。色もたいてい黄色。この色は、どうやら椰子油(パーム油)から来ているらしい。多くの料理に椰子油が使われているのだ。

サルバドールのあるバイーア地方の料理として、特に知られるモケカはまさにパーム油たっぷり。

写真は同じくバイーア地方の料理、ボボ。はっきり言って、モケカもボボも違いがようわからん。言ってみれば、インドのカレーとコルマとマサラの違いみたいなものか。違いはあるけど、寿司とラーメンほどの違いはない・・・。それともガイジンにとっては、寿司とラーメンも、違いがわからぬのか?

ブラジルの国民食と言われているのがフェイジョアーダ。こちらはアメリカの南部料理にも見られる黒豆と肉を煮込んだ料理。おいしかった!

シュラスコ(バーベキュー)はあまり興味がなかったので、候補に挙がったときにも却下したのだが、肉好きのコイオは「あれがウマイのに~」と言っていた。前にアメリカで食べたことあるけど、あまり感激しなかったんだもん。

この辺りのレストランのサービスで嬉しいのが、ビールを注文すると必ず冷えたビールがぬるくならぬような工夫が凝らされていること。バーだと、ビール瓶が発泡スチロールなどのスリーブに入っているし、レストランだと、まるで白ワインのごとく、氷の入ったバケツに入っている。ま、お店に冷房が入ってない場合が多いし、入っていても効いてないから、直ぐに生ぬるくなるわけですが。

Cubanaと言う名のアイスクリーム屋があったのだが、ここのアイスクリームがおいしかった。最初はメニューを解明するのが大変で、マンゴと思って頼んだマビオさんが受け取ったのは、トロピカルフルーツの一種だった。チカエはスペイン語と同じだから解読できたパイナップル。私は安全パイのココ(ココナツだとわかった)。

このココナツが大ヒットだった。その後もココナツを目指して足繁くこの店に通った。グリーンコーンってのもあって、これもなかなか美味だった。濃さは丁度イタリアのジェラートのような、さっぱりとした口当たり。しかも安い! 座って食べて、ひとつ2.7レアル。100円ちょっとだよ。

エネルギーの殆どは「食」に向けられ、残りはお土産ショッピングにあてがわれたのでありました。アクセサリー、ゴムゾウリ(チカエはビーサンと主張したが。ネットで調べたら、「ハワイアナス」は国際的ブランドらしい http://www.havaianas.jp/index2.html)、しわしわドレス、Tシャツなど。

2009年3月12日木曜日

ちょっとお休み

サルバドールの続きを書こうと思っているのですが、今週末はちょっと仕事が入って家を空けています。
今夜は疲れて、ブログを書くエネルギーが残ってないので、サルバドールの続きはまた後ほど・・・。

サルバドールの写真をちょっとだけ紹介します。

空港に迎えに来てくれるように手配していたタクシー運転手のカシキ。サービスで運転しながらギターを弾いて歌ってくれるのはいいんだけど、膝でハンドルを操っていて、危ない・・。

生まれてはじめてみた、木に成っているマンゴ。

マビオさんたちが借りていたアパートは、観光の中心地である歴史的地区にあり、アパートの入り口には警備員が常に居て、古いながらもサルバドールの基準に照らし合わせると高級なアパートの部類に入ると思われる。ところがそのアパートの真隣には廃墟となったビルがあり、そこに不法占拠者が住んでいる模様。これはアパートの窓から隣のビルを写したもの。ガラスの入っていない窓も幾つもある。でも夜にはちゃんと電気も灯り、一見して、ギャングとかではなく「普通の家族」が住んでいる様子だった。またしても廃墟と普通のアパートが共存している例。

サルバドールの歴史的地区の町並みの写真。

同じ地区にあるペロリーニョ広場