フロリダから帰宅して1週間。
帰宅するなり、翻訳のお仕事が舞い込んで、しかも結構な量と内容に対して納期が4日後。長期で家を空けていた後ろめたさがあるだけに、帰るなり机に向かって作業するのもなと、一瞬迷ったのだが、このご時勢にお仕事がいただけるだけでもありがたい。それに4日後の納期のうち2日は土日。私が断ったら(この段階で日本は既に金曜日)別の人に当たるのも大変だろうし、お受けする事にした。
てなわけで、ほぼ、ただいまと言うや否や一心不乱にパソコンに向かい続け、ようやく納期までに提出。そこまでは大げさか。一応、荷物は片付けたし、途中でお茶飲んだり食事したり、ジョダの散歩には出かけた。それでも土日は14時間ずつ作業してた。
提出して、ようやく一昨日、家中に掃除機をかけてシーツやソファーのカバーを洗濯してちょっとすっきり。帰るなり水周りはちょっと掃除したけど。コイオも娘も水周りが汚くなっても気にならないと思し召す。毎日見てると気がつかないのかなぁ。気がついてもやろうって思わないのかなぁ。まぁ自慢じゃないけど、私も両親と住んでいた頃、家の掃除も料理も洗濯もやったことなかったからな。誰もする人がいなくなって必要に駆られたらやるんでしょう。
ということで昨日は一日放心。
フロリダは帰るまで毎日30度台だったのに、ニューヨークの空港に着いたらみんなジャケットを羽織っていた。今朝のグリニッチは12度。シナコが早朝に学校に行く用事があったので送って行ったけど、暖房が必要だった。車のエアコンを、朝は暖房、午後は冷房に切り換える季節がしばらく続くのかな。
ところで私の留守中に、友人がCDを送ってくれた。
「手紙~親愛なる子供たちへ~」と言うタイトルの樋口了一という無名の歌手によるもの。
NHKで紹介されて彼女は知ったらしいけれど、「もう、泣ける泣ける」というコメント付きで。
歌詞は、もともとはポルトガル語でe-mailで回覧されていた詩を日本語訳したもの。
CDをPCに取り込み、MP3ファイル形式にしてメールに添付して人に送ることができることを発見したので、早速、母や友達にも送った。
立場によって反応は様々。CDを送ってくれた友人のお父さんも認知症で、お母さんが一人で面倒を見ている。母はおばあちゃんを思い出して泣いたと言っていた。母が、友人で、義父母を同居して見送り、父を施設で見送り、現在お母さんを施設に預けている人に聞かせたところ、「重い」とのコメント。渦中にいる人には、あまりにも重過ぎるかもしれない。
シナコに聞かせて、「よろしくね!」と言ったら、「えっ? これってそう言う歌なの? なんだ、夫婦の歌かと思ってた。そっか~、道理で『絵本』とか出てきておかしいと思った」
その後、キニコにもメールで送った。「シナコにもよろしくって言ってたけど、アンタにも言っておくね、よろしく」とコメントを付けて。
しばらくすると、シナコが「ママ~、キニコにもあの曲送ったの? キニコからメッセージが来たよ」と言って見せに来た。内容は、
「シナコも聞かされたの? 私にも来たけど、一体なんて返事すればいいんだ? ありがとうってか?」
更にしばらくしてから、キニコから私へ短いメール。
「・・・thank you?」
これがつぼに入って、しばらく笑い転げていた。
ご希望の方に、ファイル送りますよ~。ちなみにYoutubeでも聴けます。
2009年9月17日木曜日
2009年1月5日月曜日
パリ <感動編>
<感動編>
1.うまい!
ほんと、おいしかった! おいしくて、おいしくて、おいしかった!
何がって、何もかも。特にパン。バター。フォアグラ。
<パンとバター>
フランスのパンとバターはどうしてこんなに美味しいのだろう。小麦が違うのだろう。牛が違うからだろう。とにかく美味しい。バターは輸入してこの近所でも売っているけれど、パンだけはフランスでないと食べられない。
パンは各パン屋さんが毎朝自分のところの炉で焼いている。だからおいしい。到着の翌日。近所のパン屋さんがクリスマス続きで閉まっていて、その先に見つけたチェーン店のパン屋「Paul」でパンを買った。日本でも展開しているPaul。高価だけどおいしいと、有難がって買っていたけれど、今回食べ比べてみて、やっぱパンは普通のパン屋さんに限る。ルーブルの庭にも屋台を出したり、手広くやっているPaulのパンはイマイチだった。
我が家の朝は、近所のカフェで始まった。大人はカフェクレーム(=カフェオレ)、子供たちはショコラショーに、タルティーヌを注文。タルティーヌとは、名前は優美だが、単にバゲットにバターを塗っただけのもの。それにジャムが付いて来る。これをカフェクレームに浸して食べるのが、なんとも美味しい。
シナコはすっかりパンとバターに惚れ込み、レストランでもどこでも、それさえあればOK。おかわりまでするので、注文の品が運ばれる前にお腹が一杯になっている。
カフェにはタルティーヌかクロワッサンしかない。周りの人を見ると、パン屋で買ったパンを持ち込んで食べている。なんだ、こうすればいいのか。
次からは、私はりんごの入ったショソン・オ・ポムを、キニコはシュッーケットを買ってカフェに入る。コイオとシナコはタルティーヌがお気に入り。シューケットと言うのは、シュークリームの皮に砂糖が付いただけのシンプルなお菓子。ヴァレリーと会社に行っていた頃、朝のバスの中で2人でよく食べた。

<クレープ>
町のあちこちでクレープ屋の屋台がある。クレープにはまったのはシナコ。クレープ+Nutella(日本でも売っているへーゼルナッツとチョコのペースト)+パナナの組み合わせがお気に入り。
<クロックマダム>
カフェ・カルーセルで注文したクロックマダム。

2.パタパタ
観光客の集まるところパタパタ有り。これは20余年後の現在も変わらなかった。
パタパタとは、私たちが名づけた鳥のおもちゃ。飛ばすとパタパタするから。パリに旅行したことのある人は恐らくアフリカ人が売っているこれを目撃してるでしょ。相変わらず、サクレクール寺院の前、トロカデロ広場などで、飛ばしていた。一度も買ったことないけど、20年以上も続いているってことは、ヒット商品なのかなぁ。
3.日本語
な、な、なんと、ノートルダム寺院に日本語の表示があった!
まず、入り口に、Bienvenue! Welcome! Wellkommen! Benvenuto! 欢迎! などの各国語に混じって日本語で、「よこそ!」
よーく見ると、「よ」と「こ」の間に無理やり小さく「ぅ」が挟まれ、一番最後に書かれていたと思しき「う」が塗りつぶされている。どうやら、もともとは「よこそう」だった模様。
中に入ると、またしても各国語で注意書き。日本語は、
「あなたがあなたの帽子を脱ぐことを望んでください」
静かな聖堂の中で、笑いをこらえるのに苦労した。
4.フランス語
自分のフランス語に感動! 英語で返答されても、めげずにしつこくフランス語を使う度胸は大したもの。すっかり忘れていると思っていたけれど、聞くと結構思い出すじゃないの。蚤の市では、娘に代わって交渉。8ユーロの手袋は6ユーロになるし、この時だけはママのフランス語も感謝された。
それがどうだ。パリにいる間は話さ(せ)ないくせに、家に帰ってからのキニコの言い草。「ママより私の方が絶対フランス語わかってると思う」だって。ふん、言葉なんて、使ってナンボなのだ。へたくそでも何でもちゃんとコミュニケーションできればいいのだ。
負けを認めるのは残念だが、実力ではコイオに劣る。当たり前だ。あっちはフランス語研修生で、会社のお金をたくさん使って、いろんな学校に通って、びっしり勉強していたんだから。こっちは、日本語ペラペラのフランス人の同僚がいる日本の会社で、仕事にフランス語なんて殆ど要らない。駐在前に私だけフランス語研修に行かせてもらえず、後になって頼み込んで3ヶ月だけベルリッツに通わせてもらったのみ。そんなで、必要最低限はなんとか言えるんだから、立派なもんだ! あ、発音だけは、私の方がましだ。コイオのRなんてHになっちゃって、ひどいものだ。わっはっはー!
コイオは根がええかっこしいなので(=恥をかきたくない)、英語が通じれば敢えてフランス語を使おうとしない。相手が英語を解するのがわかると、するりと英語に切り替える。フランス語を話すの楽しくないのかなぁ。それとも単に私が嬉しがり?
5.犬のフン
フランスに住む友人が、「パリもきれいになったよ。随分ウンコも減ったし」と言っていたので、そりゃ良かったと思っていた。20余年前、飼い主が犬の糞を拾わない場合は罰金500フランという条例が出来、みんなで期待したのに、有名無実化。それが最近また条例だか法律ができて、改善していると言っていたのだ。
が、感動するほど、全然変わってなかった! とにかく、町に出たら、足元見ながらしか歩けない。うっかりほかの事に気を取られていると、いつ踏むかわからない。観光客の多い場所は、あまり心配しないでよかったけど、(つまり、犬が少ない割りに、踏む人数が多いので、すぐに形跡がなくなる)けど、アパートの近くやヴァレリーの家の周辺では油断ならない。歩道が特に危険なので、車が来なければ選んで車道を歩いた。
犬が落とした1箇所に留まらず、踏み広げられて、危険箇所が大幅に拡大して点在しているのだ! アパートを一歩出てから戻るまで、全く気が抜けない。子供たちにも「ウンコ踏んだら罰金だからね!」と常に注意を促す。
友達の言を鵜呑みにするほど私もパリを甘く見てはいなかった。各自にスリッパの持参を強要。室内に一歩入ると、外履きの靴はさっさと脱ぐルールを徹底した。だって目に見えていなくても、その断片はどこかに付いているに違いないもの。
「日本人は神経質だね。フランス人が健康なのは、あのばい菌と共に暮らして免疫性を高めているからだ」とその昔ヴァレリーは豪語してたけど。流石に子供ができて、「私もあのフンは何とかして欲しいわ」と今回は言っていた。
キニコが1歳半のとき、ヴァレリーのところに3週間ほど遊びに行ったのだが、公園に行く道で転んで、手を付いたところに・・・。あーおぞましかった!
6.エレベーター
パリの建物は古い。とっても古いから、そもそもはエレベーターなんて付いていなかった。そこへ5階以上はエレベーターが必要という法律でも出来たのか、はたまた単なる利便性の追求か、螺旋階段の真ん中の空いているスペースに、後付で無理やりエレベーターを設置しているところが多い。
私たちが借りたアパートも細い螺旋階段(階段のステップ部分は木で出来ていて、主に人が歩く外側は磨り減って凹んでいる)の真ん中に、無理やりエレベーターが取り付けてあった。
写真じゃ判り難いが、幅50センチほど、奥行き80センチほどのスペースしかない。コイオの体の幅で一杯、かろうじて3人が縦一列に並べる。二つ折りのドアが閉まるときには、中の人間は更に奥に身を寄せないと、ドアが人につかえて閉まらない。
パネルには、「3名・225キロまで」ってあるけど、典型的なオハイオの人だったら、エレベーターに体が入らないだろうな・・・。
7.ヴァレリー
なんたって、今回の最高の感動はヴァレリーに会えたこと!
待ち合わせの地下鉄の駅の階段を上がると、上でヴァレリーが待っていた。第一声は、最初にシナコの顔を見て、「わー、本当に全然変わってない、と思ったら、シナコだった。そっくりやん!」
抱き合って再会を喜び合った後、
「やぁ、ヴァレリーも変わってないやん。昔から老け顔だったから、それが幸いしたね~!」
「ほんと、相変わらずひどいこと言うね」
昼食を近くのイタリアンレストランでみんなで食べた。
食事中、ヴァレリーがつくづくと言う風に言う。
「あー、ジョダコちゃんがキレイでよかったー」
「はぁ?」
「だって、ジョダコちゃんは、可愛くなかったやんか」そして、わが娘たちとコイオを見て、
「だってほんまやん。ね、コイちゃん? 昔はあんまり可愛くなかったよね?」
コイオは嬉しそうに大きく首を振っている。
私のこと毒舌って言うけど、どっちが毒舌だか。でもヴァレリーの言うことはホント。フランスにいた時代がきっと私の人生で最も醜く、体重も妊娠時を除いて最高だった頃である。ついでに言うなら当時の夫も今よりもっと太っていて、ダサい格好だし、お互いこれ以上にないくらい醜かった。フランスと言う不毛の地(つまり他に適当な相手が誰もいない)でなければ、恐らく付き合ってなんていなかったと思う。当時の証拠写真をお見せしたいところ。そのうち、笑いのネタに事欠いたら登場させようかな。
その後ヴァレリーのアパートへ。
「ここは、子供の家なの」とヴァレリー。見渡すと、すべてマリア仕様のデコレーション。「マリアがもっと小さかったときにやったから、そろそろ変えないと行けないんやけどね」と言いながら見せてくれたトイレはこんなの。
壁にはマリアが覚えるようにと50音表が貼ってあったが・・・。
「このクリスマスツリー可愛いでしょ?」
「えー、趣味悪~!」
「ほんとに、ひどいこと言うね~」
「だって、ホントだもん」

翌日の夜は、未だまともなフランス料理を食べていないと言ったら、ヴァレリーがFLOを予約してくれた。マリアはパパとお留守番。日本の表参道にもFLOがあったけれどまだあるのかな。今、調べたら、やはりレストランはなくなっていてケーキやお惣菜だけの展開らしい。ヴァレリーもFLOは10年ぶりと言っていたが、もてはやされた一時期と比べれると、ずっと庶民的になっていた。レストランではなくブラッセリーなので、もともと庶民的な雰囲気なのだが。
次の日、ヴァレリーのオフィスへ行った。ヴァレリーは古着を日本に輸出している。クリニャンクールの蚤の市のすぐ側にオフィスと倉庫がある。中を見てびっくり。倉庫には、袋に入った古着がうずたかく積まれている。景気の良いときは「トン」単位で日本に輸出していたらしいけれど、景気が悪化して、最近はめっきり減ったらしい。
「何でも欲しいものを持っていっていいよ」と言われ、女三人はがつがつと物色し、ハイエナのごとく獲物を頂戴した。「そんなに取ったら悪いやろ」とコイオはサッカーサポーター様のマフラー一本のみ。キニコは同じくマフラーと手編みのカーデガン。シナコはセーターと帽子とベルト。一番浅ましかったのが私。皮のロングコートとフリフリのナイトガウンをせしめた(いつ着るねん?)
ランチは近くのカフェでクスクスを食べ、仕事のあるヴァレリーと一旦別れて、夜はヴァレリーの家の近くの中華料理店に行った。あとから、マリアとマリアの友達、そしてマリアのパパのアルノーが加わり、にぎやかだった。
アルノーのことをマリアのパパと書くのは、ヴァレリーとアルノーが別れているから。そもそも2人は結婚していなかった。フランスの場合は結婚していなくても結婚に順ずる共同生活者の形式が認められている。2人はそう言う形で一緒に住んでいた。マリアが1歳のころに別れ、養育権を争って裁判までした2人だが、今はとても仲が良いそうだ。「マリアのために、いいでしょ」とヴァレリー。
時々アルノーはヴァレリーの家にも泊まっている。このときもそうだった。但し寝るのはマリアの部屋で。仲のいい2人を見て、元の鞘に収まればいいのにと思ったりもするが、恐らくある程度の距離が保たれているから良いのだろう。再び「家族」として生活するには、面倒なことがたくさんある。その面倒を越えられるだけの愛情があるかどうかが、一緒になるかどかを決めるのでしょう。お互いに彼氏彼女ができると、今の関係を持続するのは難しくなるだろうな。
最後の晩餐の中華料理店では、お互いに不自由な言葉で話す。私は下手なフランス語、コイオもフランス語、アルノーは英語、ヴァレリーも下手な英語。だって自分が流暢な言語で話すと、必ず置いてきぼりを食らう者が出るから。フランス語だと私がわからない、英語だとヴァレリーがわからない、日本語だとアルノーが分からない。このへんてこりんな会話が非常に楽しかった!

8.エグゼルマンス
24 Exelmans これがわたしが20余年前に住んでいたアパートの住所。パリの16区の端のほうにある。ヴァレリーのアパートからも徒歩5分。
今回訪れてみて、殆ど変わっていなかったのにびっくり。ただアパートの入り口にはコードが設けられ、中には入れなかった。昔はそのまま入れる無防備なところだったんだけど。
建物の1階のカフェも、並びにあるお惣菜やさんやアラブ人の果物屋さんもそのまま。その横にあった自動車修理屋さんが、「大阪」と言う名の、なんちゃって日本飯屋になっていたが。
アパートの目の前の駐車スペースもそのまま。駐車する時や車を出す時は、前後の車のバンパーを付きながら徐々にスペースを広げていたんだけど、今でもそんなことやってるのかなぁ。
1.うまい!
ほんと、おいしかった! おいしくて、おいしくて、おいしかった!
何がって、何もかも。特にパン。バター。フォアグラ。
<パンとバター>
フランスのパンとバターはどうしてこんなに美味しいのだろう。小麦が違うのだろう。牛が違うからだろう。とにかく美味しい。バターは輸入してこの近所でも売っているけれど、パンだけはフランスでないと食べられない。
パンは各パン屋さんが毎朝自分のところの炉で焼いている。だからおいしい。到着の翌日。近所のパン屋さんがクリスマス続きで閉まっていて、その先に見つけたチェーン店のパン屋「Paul」でパンを買った。日本でも展開しているPaul。高価だけどおいしいと、有難がって買っていたけれど、今回食べ比べてみて、やっぱパンは普通のパン屋さんに限る。ルーブルの庭にも屋台を出したり、手広くやっているPaulのパンはイマイチだった。
我が家の朝は、近所のカフェで始まった。大人はカフェクレーム(=カフェオレ)、子供たちはショコラショーに、タルティーヌを注文。タルティーヌとは、名前は優美だが、単にバゲットにバターを塗っただけのもの。それにジャムが付いて来る。これをカフェクレームに浸して食べるのが、なんとも美味しい。
シナコはすっかりパンとバターに惚れ込み、レストランでもどこでも、それさえあればOK。おかわりまでするので、注文の品が運ばれる前にお腹が一杯になっている。
カフェにはタルティーヌかクロワッサンしかない。周りの人を見ると、パン屋で買ったパンを持ち込んで食べている。なんだ、こうすればいいのか。
次からは、私はりんごの入ったショソン・オ・ポムを、キニコはシュッーケットを買ってカフェに入る。コイオとシナコはタルティーヌがお気に入り。シューケットと言うのは、シュークリームの皮に砂糖が付いただけのシンプルなお菓子。ヴァレリーと会社に行っていた頃、朝のバスの中で2人でよく食べた。
<クレープ>
町のあちこちでクレープ屋の屋台がある。クレープにはまったのはシナコ。クレープ+Nutella(日本でも売っているへーゼルナッツとチョコのペースト)+パナナの組み合わせがお気に入り。
<クロックマダム>
カフェ・カルーセルで注文したクロックマダム。
2.パタパタ
観光客の集まるところパタパタ有り。これは20余年後の現在も変わらなかった。
パタパタとは、私たちが名づけた鳥のおもちゃ。飛ばすとパタパタするから。パリに旅行したことのある人は恐らくアフリカ人が売っているこれを目撃してるでしょ。相変わらず、サクレクール寺院の前、トロカデロ広場などで、飛ばしていた。一度も買ったことないけど、20年以上も続いているってことは、ヒット商品なのかなぁ。
3.日本語
な、な、なんと、ノートルダム寺院に日本語の表示があった!
まず、入り口に、Bienvenue! Welcome! Wellkommen! Benvenuto! 欢迎! などの各国語に混じって日本語で、「よこそ!」
よーく見ると、「よ」と「こ」の間に無理やり小さく「ぅ」が挟まれ、一番最後に書かれていたと思しき「う」が塗りつぶされている。どうやら、もともとは「よこそう」だった模様。
中に入ると、またしても各国語で注意書き。日本語は、
「あなたがあなたの帽子を脱ぐことを望んでください」
静かな聖堂の中で、笑いをこらえるのに苦労した。
4.フランス語
自分のフランス語に感動! 英語で返答されても、めげずにしつこくフランス語を使う度胸は大したもの。すっかり忘れていると思っていたけれど、聞くと結構思い出すじゃないの。蚤の市では、娘に代わって交渉。8ユーロの手袋は6ユーロになるし、この時だけはママのフランス語も感謝された。
それがどうだ。パリにいる間は話さ(せ)ないくせに、家に帰ってからのキニコの言い草。「ママより私の方が絶対フランス語わかってると思う」だって。ふん、言葉なんて、使ってナンボなのだ。へたくそでも何でもちゃんとコミュニケーションできればいいのだ。
負けを認めるのは残念だが、実力ではコイオに劣る。当たり前だ。あっちはフランス語研修生で、会社のお金をたくさん使って、いろんな学校に通って、びっしり勉強していたんだから。こっちは、日本語ペラペラのフランス人の同僚がいる日本の会社で、仕事にフランス語なんて殆ど要らない。駐在前に私だけフランス語研修に行かせてもらえず、後になって頼み込んで3ヶ月だけベルリッツに通わせてもらったのみ。そんなで、必要最低限はなんとか言えるんだから、立派なもんだ! あ、発音だけは、私の方がましだ。コイオのRなんてHになっちゃって、ひどいものだ。わっはっはー!
コイオは根がええかっこしいなので(=恥をかきたくない)、英語が通じれば敢えてフランス語を使おうとしない。相手が英語を解するのがわかると、するりと英語に切り替える。フランス語を話すの楽しくないのかなぁ。それとも単に私が嬉しがり?
5.犬のフン
フランスに住む友人が、「パリもきれいになったよ。随分ウンコも減ったし」と言っていたので、そりゃ良かったと思っていた。20余年前、飼い主が犬の糞を拾わない場合は罰金500フランという条例が出来、みんなで期待したのに、有名無実化。それが最近また条例だか法律ができて、改善していると言っていたのだ。
が、感動するほど、全然変わってなかった! とにかく、町に出たら、足元見ながらしか歩けない。うっかりほかの事に気を取られていると、いつ踏むかわからない。観光客の多い場所は、あまり心配しないでよかったけど、(つまり、犬が少ない割りに、踏む人数が多いので、すぐに形跡がなくなる)けど、アパートの近くやヴァレリーの家の周辺では油断ならない。歩道が特に危険なので、車が来なければ選んで車道を歩いた。
犬が落とした1箇所に留まらず、踏み広げられて、危険箇所が大幅に拡大して点在しているのだ! アパートを一歩出てから戻るまで、全く気が抜けない。子供たちにも「ウンコ踏んだら罰金だからね!」と常に注意を促す。
友達の言を鵜呑みにするほど私もパリを甘く見てはいなかった。各自にスリッパの持参を強要。室内に一歩入ると、外履きの靴はさっさと脱ぐルールを徹底した。だって目に見えていなくても、その断片はどこかに付いているに違いないもの。
「日本人は神経質だね。フランス人が健康なのは、あのばい菌と共に暮らして免疫性を高めているからだ」とその昔ヴァレリーは豪語してたけど。流石に子供ができて、「私もあのフンは何とかして欲しいわ」と今回は言っていた。
キニコが1歳半のとき、ヴァレリーのところに3週間ほど遊びに行ったのだが、公園に行く道で転んで、手を付いたところに・・・。あーおぞましかった!
6.エレベーター
パリの建物は古い。とっても古いから、そもそもはエレベーターなんて付いていなかった。そこへ5階以上はエレベーターが必要という法律でも出来たのか、はたまた単なる利便性の追求か、螺旋階段の真ん中の空いているスペースに、後付で無理やりエレベーターを設置しているところが多い。
私たちが借りたアパートも細い螺旋階段(階段のステップ部分は木で出来ていて、主に人が歩く外側は磨り減って凹んでいる)の真ん中に、無理やりエレベーターが取り付けてあった。
写真じゃ判り難いが、幅50センチほど、奥行き80センチほどのスペースしかない。コイオの体の幅で一杯、かろうじて3人が縦一列に並べる。二つ折りのドアが閉まるときには、中の人間は更に奥に身を寄せないと、ドアが人につかえて閉まらない。
パネルには、「3名・225キロまで」ってあるけど、典型的なオハイオの人だったら、エレベーターに体が入らないだろうな・・・。
7.ヴァレリー
なんたって、今回の最高の感動はヴァレリーに会えたこと!
待ち合わせの地下鉄の駅の階段を上がると、上でヴァレリーが待っていた。第一声は、最初にシナコの顔を見て、「わー、本当に全然変わってない、と思ったら、シナコだった。そっくりやん!」
抱き合って再会を喜び合った後、
「やぁ、ヴァレリーも変わってないやん。昔から老け顔だったから、それが幸いしたね~!」
「ほんと、相変わらずひどいこと言うね」
昼食を近くのイタリアンレストランでみんなで食べた。
食事中、ヴァレリーがつくづくと言う風に言う。
「あー、ジョダコちゃんがキレイでよかったー」
「はぁ?」
「だって、ジョダコちゃんは、可愛くなかったやんか」そして、わが娘たちとコイオを見て、
「だってほんまやん。ね、コイちゃん? 昔はあんまり可愛くなかったよね?」
コイオは嬉しそうに大きく首を振っている。
私のこと毒舌って言うけど、どっちが毒舌だか。でもヴァレリーの言うことはホント。フランスにいた時代がきっと私の人生で最も醜く、体重も妊娠時を除いて最高だった頃である。ついでに言うなら当時の夫も今よりもっと太っていて、ダサい格好だし、お互いこれ以上にないくらい醜かった。フランスと言う不毛の地(つまり他に適当な相手が誰もいない)でなければ、恐らく付き合ってなんていなかったと思う。当時の証拠写真をお見せしたいところ。そのうち、笑いのネタに事欠いたら登場させようかな。
その後ヴァレリーのアパートへ。
「ここは、子供の家なの」とヴァレリー。見渡すと、すべてマリア仕様のデコレーション。「マリアがもっと小さかったときにやったから、そろそろ変えないと行けないんやけどね」と言いながら見せてくれたトイレはこんなの。
「このクリスマスツリー可愛いでしょ?」
「えー、趣味悪~!」
「ほんとに、ひどいこと言うね~」
「だって、ホントだもん」
翌日の夜は、未だまともなフランス料理を食べていないと言ったら、ヴァレリーがFLOを予約してくれた。マリアはパパとお留守番。日本の表参道にもFLOがあったけれどまだあるのかな。今、調べたら、やはりレストランはなくなっていてケーキやお惣菜だけの展開らしい。ヴァレリーもFLOは10年ぶりと言っていたが、もてはやされた一時期と比べれると、ずっと庶民的になっていた。レストランではなくブラッセリーなので、もともと庶民的な雰囲気なのだが。
次の日、ヴァレリーのオフィスへ行った。ヴァレリーは古着を日本に輸出している。クリニャンクールの蚤の市のすぐ側にオフィスと倉庫がある。中を見てびっくり。倉庫には、袋に入った古着がうずたかく積まれている。景気の良いときは「トン」単位で日本に輸出していたらしいけれど、景気が悪化して、最近はめっきり減ったらしい。
「何でも欲しいものを持っていっていいよ」と言われ、女三人はがつがつと物色し、ハイエナのごとく獲物を頂戴した。「そんなに取ったら悪いやろ」とコイオはサッカーサポーター様のマフラー一本のみ。キニコは同じくマフラーと手編みのカーデガン。シナコはセーターと帽子とベルト。一番浅ましかったのが私。皮のロングコートとフリフリのナイトガウンをせしめた(いつ着るねん?)
ランチは近くのカフェでクスクスを食べ、仕事のあるヴァレリーと一旦別れて、夜はヴァレリーの家の近くの中華料理店に行った。あとから、マリアとマリアの友達、そしてマリアのパパのアルノーが加わり、にぎやかだった。
アルノーのことをマリアのパパと書くのは、ヴァレリーとアルノーが別れているから。そもそも2人は結婚していなかった。フランスの場合は結婚していなくても結婚に順ずる共同生活者の形式が認められている。2人はそう言う形で一緒に住んでいた。マリアが1歳のころに別れ、養育権を争って裁判までした2人だが、今はとても仲が良いそうだ。「マリアのために、いいでしょ」とヴァレリー。
時々アルノーはヴァレリーの家にも泊まっている。このときもそうだった。但し寝るのはマリアの部屋で。仲のいい2人を見て、元の鞘に収まればいいのにと思ったりもするが、恐らくある程度の距離が保たれているから良いのだろう。再び「家族」として生活するには、面倒なことがたくさんある。その面倒を越えられるだけの愛情があるかどうかが、一緒になるかどかを決めるのでしょう。お互いに彼氏彼女ができると、今の関係を持続するのは難しくなるだろうな。
最後の晩餐の中華料理店では、お互いに不自由な言葉で話す。私は下手なフランス語、コイオもフランス語、アルノーは英語、ヴァレリーも下手な英語。だって自分が流暢な言語で話すと、必ず置いてきぼりを食らう者が出るから。フランス語だと私がわからない、英語だとヴァレリーがわからない、日本語だとアルノーが分からない。このへんてこりんな会話が非常に楽しかった!
8.エグゼルマンス
24 Exelmans これがわたしが20余年前に住んでいたアパートの住所。パリの16区の端のほうにある。ヴァレリーのアパートからも徒歩5分。
今回訪れてみて、殆ど変わっていなかったのにびっくり。ただアパートの入り口にはコードが設けられ、中には入れなかった。昔はそのまま入れる無防備なところだったんだけど。
建物の1階のカフェも、並びにあるお惣菜やさんやアラブ人の果物屋さんもそのまま。その横にあった自動車修理屋さんが、「大阪」と言う名の、なんちゃって日本飯屋になっていたが。
アパートの目の前の駐車スペースもそのまま。駐車する時や車を出す時は、前後の車のバンパーを付きながら徐々にスペースを広げていたんだけど、今でもそんなことやってるのかなぁ。
パリ <感心編>
<感心編>
1.無料地図
シャルルドゴール空港に到着し、荷物が出てくるのを待っていたとき、ふと見るとエッフェル塔の形をしたものが。近づくとパリの地図が各国語で用意されている。おー、なんと気の効くこと。私の持っていたパリの地図は20年前のもので、地下鉄の路線図は大幅に変わっていたので、実際この地図が非常に役立った。案外、フランスって親切じゃない。(仏語、英語、中国語、アラビア語だけで、日本語はなかったけど。)
2.18歳未満無料
美術館や歴史的建造物への入場料は、全て18歳未満は無料。ユーロが高くて、入場料もとても高く思えたのだが、この制度は素晴らしい! 無論とっくに18歳のキニコもパリでは18歳未満に早代わり。身分証明の提示もないから、ひょっとしたら私も無料で行けたかも?
3.各国ニュース
パリで借りたアパートでは、ケーブルか衛星か知らないけれど、かなりの数のテレビチャンネルを見ることが出来た。普段あまりテレビを見ない私がチャンネルを回すことはなかったけれど、テレビっ子のコイオはアパートにいる間はずっとテレビをつけている。CNNとBBC以外はフランス語チャンネルだったので、当然娘たちはTVに見向きもせず、もっぱらインターネット。(驚いたことに、ちゃんと繋がった!)
最もよく見ていたチャンネルはユーロニュース。ユーロという名前ながらも、ヨーロッパのみならず、アジア、中東、アフリカと、世界各国のニュースをやっていた。アメリカのニュースはアメリカ中心の報道しかないので、日本同様、ヨーロッパも広範囲をカバーしているのだなぁと改めて思った。アメリカの偏狭な報道にしかさらされていないアメリカ人が偏狭になるのも仕方ないか。
4.英語
20年前のパリと現在のパリとの最大の違いは、今やどこへ行っても英語が通じると言うこと!
フランスがフランス語を守るために多大な努力を払っていることは知られている。20年前のフランス人の態度は、悔しかったらフランス語を話せと言わんばかりに、たとえ英語を理解しても、フランス語でしか答えないというものだった。けれどEUになって人の動きが加速し、もはやフランス語だけで諸外国と対応することに限度を感じたのか。いや、自然と「共通語」としての英語なくしては、機能しないので、必然的に皆が英語を習得したのだろう。いまやタクシーの運転手から、駅の窓口の人に至るまで、流暢でないにしろ、誰でも英語を話す。
逆にこれはショックだった。嬉しがりの私は、下手ながらも一生懸命フランス語で話そうとするのに、答えがみんな英語で返って来るのだ。娘たちのフランス語の練習になればと思っていたのに、あえてフランス語を話さなければならない場がない。つまんない!
<タクシー>
フランスのタクシーは通常3人までしか乗れない。安全のため、基本的に助手席には人を乗せないからだ。だから4人の私たちは街中の移動は全てメトロかバス。しかし帰りの空港まではタクシーが必要。荷物もあるし、ミニバンのタクシーでなければならない。
到着時に手配していたリムジンは、貸しアパートのエージェンシーが紹介してくれたところ。到着後にすぐにアパートにも連絡してくれると言うことで、お願いした。料金は、通常は95ユーロのところ、割引で80ユーロ。
アパートを管理しているおばさんが教えてくれたのが英語のできるタクシー会社。ちゃんとした英語で受付をしてくれる。料金は通常のタクシー料金なのでCDG空港まで、荷物料とチップを入れても45~60ユーロ。前もって乗客4人に荷物が4個なのでミニバンガ必要と言って予約すれば、手配してもらえる。
便利なので、パリに行かれる方はご利用どうぞ。英語の通じるタクシー会社の電話番号は、01.41.27.66.99 です。
5.レストラン
フランス料理にしても、イタリア料理にしても、コースで食べることはご存知の通り。
レストランと言うところでは、少なくとも前菜とメインを注文しなければならない。軽く食べたいなら、レストランに来るなと言うわけである。
駐在員だった頃、日本からのお客様や出張者と一緒に食事に行くことがよくあった。当然のことながら、日本から来た人はみんな本格的なフランス料理が食べたい。そこでレストランに行くが、食前酒に始まり、ワインも飲んで、前菜、メイン、デザート、コーヒーと注文する。特に典型的あるいは珍しい料理やデザートは自分が率先して注文して、他の人にも味合わせてあげるというサービス精神を発揮するが故、さほど食べたくなくても、無理やり食べる。しかも、出張者やお客様の来る時期というのは偏っていて、レストラン通いが連日続くと言うこともあった。汚い話だけれど、あまりに食べすぎて苦しくて、何度家に帰ってから吐いたことか・・・。
ところが、今はフランスのレストランでも、前菜だけ注文したり、メインだけ注文したりしても、大丈夫なようだ。余りおなかが空いていなかったので、レストランに入る際に「前菜だけでも大丈夫?」と確認したら、「どうぞ、どうぞ。心配しないで」と言うお言葉。その後、ヴァレリーとランチを食べたときも、彼女もハナから一品だけ注文するつもりで、「全然問題ないよ」と言っていた。おお、これで気が楽になった!
余談だが、フランス語の前菜は、導入部と言う意味の「Entree」。なのに、昨今のアメリカのレストランのメニューにある「Entree」は、メインコースと言う意味。ヴァレリーも最初アメリカに来たときに間違えたと言っていたが、一体誰が前菜をメインにしちゃったんだ??
1.無料地図
シャルルドゴール空港に到着し、荷物が出てくるのを待っていたとき、ふと見るとエッフェル塔の形をしたものが。近づくとパリの地図が各国語で用意されている。おー、なんと気の効くこと。私の持っていたパリの地図は20年前のもので、地下鉄の路線図は大幅に変わっていたので、実際この地図が非常に役立った。案外、フランスって親切じゃない。(仏語、英語、中国語、アラビア語だけで、日本語はなかったけど。)

2.18歳未満無料
美術館や歴史的建造物への入場料は、全て18歳未満は無料。ユーロが高くて、入場料もとても高く思えたのだが、この制度は素晴らしい! 無論とっくに18歳のキニコもパリでは18歳未満に早代わり。身分証明の提示もないから、ひょっとしたら私も無料で行けたかも?
3.各国ニュース
パリで借りたアパートでは、ケーブルか衛星か知らないけれど、かなりの数のテレビチャンネルを見ることが出来た。普段あまりテレビを見ない私がチャンネルを回すことはなかったけれど、テレビっ子のコイオはアパートにいる間はずっとテレビをつけている。CNNとBBC以外はフランス語チャンネルだったので、当然娘たちはTVに見向きもせず、もっぱらインターネット。(驚いたことに、ちゃんと繋がった!)
最もよく見ていたチャンネルはユーロニュース。ユーロという名前ながらも、ヨーロッパのみならず、アジア、中東、アフリカと、世界各国のニュースをやっていた。アメリカのニュースはアメリカ中心の報道しかないので、日本同様、ヨーロッパも広範囲をカバーしているのだなぁと改めて思った。アメリカの偏狭な報道にしかさらされていないアメリカ人が偏狭になるのも仕方ないか。
4.英語
20年前のパリと現在のパリとの最大の違いは、今やどこへ行っても英語が通じると言うこと!
フランスがフランス語を守るために多大な努力を払っていることは知られている。20年前のフランス人の態度は、悔しかったらフランス語を話せと言わんばかりに、たとえ英語を理解しても、フランス語でしか答えないというものだった。けれどEUになって人の動きが加速し、もはやフランス語だけで諸外国と対応することに限度を感じたのか。いや、自然と「共通語」としての英語なくしては、機能しないので、必然的に皆が英語を習得したのだろう。いまやタクシーの運転手から、駅の窓口の人に至るまで、流暢でないにしろ、誰でも英語を話す。
逆にこれはショックだった。嬉しがりの私は、下手ながらも一生懸命フランス語で話そうとするのに、答えがみんな英語で返って来るのだ。娘たちのフランス語の練習になればと思っていたのに、あえてフランス語を話さなければならない場がない。つまんない!
<タクシー>
フランスのタクシーは通常3人までしか乗れない。安全のため、基本的に助手席には人を乗せないからだ。だから4人の私たちは街中の移動は全てメトロかバス。しかし帰りの空港まではタクシーが必要。荷物もあるし、ミニバンのタクシーでなければならない。
到着時に手配していたリムジンは、貸しアパートのエージェンシーが紹介してくれたところ。到着後にすぐにアパートにも連絡してくれると言うことで、お願いした。料金は、通常は95ユーロのところ、割引で80ユーロ。
アパートを管理しているおばさんが教えてくれたのが英語のできるタクシー会社。ちゃんとした英語で受付をしてくれる。料金は通常のタクシー料金なのでCDG空港まで、荷物料とチップを入れても45~60ユーロ。前もって乗客4人に荷物が4個なのでミニバンガ必要と言って予約すれば、手配してもらえる。
便利なので、パリに行かれる方はご利用どうぞ。英語の通じるタクシー会社の電話番号は、01.41.27.66.99 です。
5.レストラン
フランス料理にしても、イタリア料理にしても、コースで食べることはご存知の通り。
レストランと言うところでは、少なくとも前菜とメインを注文しなければならない。軽く食べたいなら、レストランに来るなと言うわけである。
駐在員だった頃、日本からのお客様や出張者と一緒に食事に行くことがよくあった。当然のことながら、日本から来た人はみんな本格的なフランス料理が食べたい。そこでレストランに行くが、食前酒に始まり、ワインも飲んで、前菜、メイン、デザート、コーヒーと注文する。特に典型的あるいは珍しい料理やデザートは自分が率先して注文して、他の人にも味合わせてあげるというサービス精神を発揮するが故、さほど食べたくなくても、無理やり食べる。しかも、出張者やお客様の来る時期というのは偏っていて、レストラン通いが連日続くと言うこともあった。汚い話だけれど、あまりに食べすぎて苦しくて、何度家に帰ってから吐いたことか・・・。
ところが、今はフランスのレストランでも、前菜だけ注文したり、メインだけ注文したりしても、大丈夫なようだ。余りおなかが空いていなかったので、レストランに入る際に「前菜だけでも大丈夫?」と確認したら、「どうぞ、どうぞ。心配しないで」と言うお言葉。その後、ヴァレリーとランチを食べたときも、彼女もハナから一品だけ注文するつもりで、「全然問題ないよ」と言っていた。おお、これで気が楽になった!
余談だが、フランス語の前菜は、導入部と言う意味の「Entree」。なのに、昨今のアメリカのレストランのメニューにある「Entree」は、メインコースと言う意味。ヴァレリーも最初アメリカに来たときに間違えたと言っていたが、一体誰が前菜をメインにしちゃったんだ??
パリ <驚き編>
今日からコイオの会社もシナコの学校も始まり、ようやく平常に戻った。とは言え、それはコイオとシナコに関する話で、私とキニコはまだまだ冬休みモード。ずっとパジャマ姿でだらだら。当分仕事の予定もなさそうだし、しばらくはこのダラダラが続きそう。
みんなが家にいると独りPCに向かうのもはばかられ、ブログも更新できず。今日からやっとブログだけは心置きなく書けます。
さて冬休みのパリ旅行について。
これほど堪能できた旅行はここしばらくなかったかも。予定したことも殆ど出来たし。また、常にブログねた探索モードになっているから、いろいろと観察して、驚いたり、感心したり、感動したり。
と言うわけで、10余年ぶりのパリの感想を項目別にご紹介しましょう。
<驚き編>
1.人が多い!
こんなにも人が多かったパリは初めて。夏休みのパリの観光客の多さは知っていたし、20年余り前ではあるが、パリのクリスマスや年末時期だって体験している。しかし、今回のパリの混雑ぶりは前代未聞。何故こんなに?
~ディズニー~
到着した25日はどこもお休みなので、確実に開いているディズニーランドへ。パリまで来て、何が悲しくてディズニーランド、とお思いでしょうが、そもそも我が家はディズニー好き。今回は中でも一番ディズニーびいきのキニコのたっての願い。少々の混雑なら想定内だったけれど、ファストフードを買うにも45分ほど並び、挙句に座る場所にさえ苦労する。シナコがうるさいので、乗りたくもないスペースマウンテンに、北風吹きすさぶ寒空の下80分間並び、挙句にジェットコースターに老体が揺さぶられ、気分も悪くなる。それにもめげず、次は予めファストパスを取ったロッキーサンダーマウンテンへ。しかし向かう途中にパレードとなり、どうにもこうにも反対側に渡れない。他のディズニーランドなら、随所にパレードの切れ目で渡してくれる箇所が設けてあるのに、そんな合理的なシステムはなかった。仕方なくパレードが終わるのを待つが、その後の混みようは空前絶後。ありとあらゆる方向に一斉に動き出す群集に恐怖を感じるほど。子供とはぐれた母親が子供の名前を呼び続ける悲愴な声がこだまする。
寒さと人の多さにぐったりして、22時の閉園よりずっとずっと早くパークを後にした。ま、25日は何処も閉まっているから、みんな考えることは同じなのだ、と思っていたが、あにはからんや。混んでいたのはディズニーばかりではなかった。
ところで開園当時はユーロディズニーと呼ばれていたのが、いまや名称はディズニーランド・パリに(フランス語風に言うならデスネロン・パリ)。「ユーロ」のイメージが貨幣になっちゃったからか。
~アンジェリーナ~
勤めていた会社の事務所があったリボリ通り。そこにある「アンジェリーナ」は、今回どうしても行きたかった場所のひとつ。日本では銀座プランタンに入っている。目的はここのモンブランとショコラショー(ホットチョコレート)。モンブランの底のメレンゲが、なんとも言えず美味しい。その昔、私がパリを離れる時、ヴァレリーがここのモンブランを握って空港に見送りに来てくれた。飛行機の中で涙を流しながら食べたなぁ。
アンジェリーナの前に来てびっくり。店の前に長蛇の列! 数人並んでいることは過去にもあったけれど、店の外に溢れているなんて。しかもその長さたるや10メートルはある。うっそー! でもここであきらめるわけにはいかない。30分ほど待ってようやく席に案内される。
以前、欲張ってモンブランとショコラの両方を一人で注文する過ちを犯した。あまりに濃厚な味に一人じゃ絶対に両方を制覇するのは無理。日本では日本人向けにハーフサイズのモンブランを置いているが、パリにはオリジナルのでかいサイズしかない。今回は4人なので、ショコラ1つにモンブラン2つを注文。おなかが空いていたからクロックマダムも2つ注文。クロックマダムはクロックムッシュー(いわばgrilled cheese sandwitchにハムを挟んだもの)の上に目玉焼きが乗ったやつ。私一人でモンブラン1つをペロリと食べたが、残りの3人は苦しそうであった。
私の記憶にあるショコラショーはもっともっと濃厚だった。でも出てきたものは意外にゆるかった。これだとマックス・ブレナーで一番濃いイタリアンホットチョコレートくらい。昔は冷えたショコラがカップにべとっと引っ付いて垂れないくらいだったと思うんだけど。
帰宅してから日本で買った旅行書を見ていたら、濃厚なのは「ショコラ・アフリカン」と言うらしい。昔はそう言う区分けはなかったのに・・・。
実は、いつものように、バカバカで、「文字ばかりのアメリカの旅行書よりガイドブックは日本に限る」と、せっかく日本で買って来たガイドブックを忘れて出かけたのである。飛行機の中で見ようと思っていたから、殆ど内容も把握せず・・・。ショコラ・アフリカン、飲みたかったなぁ。
~ベルサイユ~
ここでもチケットの購入に長蛇の列。それより、何より、中の混雑がすごかった。ベルサイユはコの字型をしているので、一方の端からもう一方の端までぞろぞろ歩く事になるのだが、外側が回廊、内側に部屋が広がり、その前にはロープは張ってある。つまり歩くところが狭い上に、皆が一方方向に進まねばならない。前の人が展示物や説明に見入って、はたまたオーディオガイドに聞き入って立ち止まると、後ろは動けない。部屋の随所に係員がいて、「立ち止まらないでくださ~い」「前進してくださ~い」と叫んでいる。背が低い私に見えるのは前の人の背中ばかり。幸い、ここの場合は建物の壁や天井にも見るべきものはたくさんある。が、どのみち、芸術音痴の私は一生懸命見る気もないのだが。
~ルーブル~
今回の混雑の最高はルーブル。入館に際してセキュリティーを通らねばならないのだが、その入り口前の列の長さたるや・・・。ディズニーランドのスペースマウンテン80分待ちに相当する長さだった。幸い中は広いので、混んではいても一方方向にしか進めない訳ではなく、他は飛ばして、目玉だけをちょこちょこ見て回ることができた。
モンマルトルでも、「こんなに人がおったんは初めて」とコイオと顔を見合わせるくらい。百貨店ギャラリーラファイエットも、あまりの人に、そそくさと出る。
マドレーヌ近くにあるお菓子屋さんラデュレ。マカロンがおいしい。買いたかったけれど、長蛇の列であきらめた。アンジェリーナのモンブランは唯一無二だけど、マカロンは他でもおいしいし。翌日アパートの近所のお菓子屋でマカロンを買って食べた。おいしかった。
それにしても何故ゆえこんなに人が? 景気が悪いと言っている割りには観光客が増えていることは確実。昔も並んだ場所はたくさんあった。しかし「元旦の初詣か!」と思うほどの混み具合は初めて。さらに日本人観光客は、過去と比べるととても少ない。その昔はどこもかしこも日本人だったのが、いまやチラホラ。英語もあまり聞こえてこない。驚いたことに最も頻繁に聞こえてくる言語はフランス語だった。ヨーロッパ人の観光客も多かったのが印象的。ユーロになってヨーロッパ内の旅行がし易くなったと言うのは頷ける。でもフランス人が多いと言うのがなんとも不思議だった。
2.高い!
~ユーロ~
とにかく何でも高い! 高くて、高くて、買い物好きな私も何にも買えなかった。ほんとに。
金遣いの荒いキニコですら、結局使ったのは、クリニャンクールの蚤の市での5ユーロのみ。
そもそも5つで10ユーロだったブレスレットを、私が「6つで10ユーロ」と頼んだら、お兄さんが「じゃ、7つにしてあげる。」「いえ。戦争になります。6つで10ユーロ」 お兄さんは不思議そうな顔でOKと言った。娘たちが選んでいる間、私は下手くそなフランス語を駆使しお兄さんとしゃべっていた。お兄さんが、「さっき戦争になるって言ったけど、どういう意味?」「だって7つじゃ、3と4になって、2人で割り切れない。だから戦争」「あーそう言うことか。じゃ、8つにしてあげるよ」「ありがと!」私はけんかになると言いたかったんだけど、そんな表現知らないし、guerre(戦争)しか思いつかなかったのだ。
一方シナコのほうは、普段は財布の紐が硬いのに、クリスマスプレゼントに2人それぞれに与えた100ユーロを全部使い切った。「せっかく来たんだから」と一見賢そうな意見だけど、どうやらコイツはこの頃買い物に目覚めたらしい。一昨日もお年玉握り締めてマンハッタンに友達と買い物に行ってたし。
本来は円高なので日本人なら少し前と比較して随分買い物しやすいと思うのかもしれない。でも我々はドルベース。ドルとユーロの交換レートは1.5対1.0。つまり1.5倍。でも物価を見みると、どう考えても1ユーロ=1ドルが妥当と言うところ。1.5倍にするとあまりの高さに手が出なくなってしまう。
アメリカを出る前に盗難対策にドルのトラベラーズチェックを作った。そもそもはユーロで作ろうと思ったのだが、アメリカの銀行は外貨の旅行小切手を扱っていないらしい。パリでの両替レートは、1ユーロ当たり1.5ドル以上。対してパリのATMでアメリカの銀行口座から直接現金を引き出す場合のレートは、手数料を入れても1.44ドルくらいだった。それに気づいて、結局小切手は使わず。
~税金~
フランスの消費税にあたる付加価値税のTVA(テーベーアー)。20余年前も10%以上だったと思うのだが、今やそれが19.6%! 日本で消費税の引き上げに反対とか言っているけど、元がたったの5%なんだから、どんなに上げても10%以上にはならないでしょうに。ちなみに、私は引き上げに賛成。財源がないのなら、借金するより消費税を上げればいい。但し、加工品や嗜好品を除く食品は非課税にすべき。
他国の付加価値税を調べてみてびっくり。19.6%なんて驚くに値しないんだ。20%以上もワンサカあるし、大半の国が15%以上。一桁の国の方がめずらしい。そんな希少な国をリストアップすると、最低がイランの3%。次いで日本とカナダ、パナマ、マレーシア、カナリア諸島の5%。7%台がシンガポール、タイ、スイス、だって。
~チップ~
な、な、なんと、フランスのレストランやカフェでの請求書が、いつの間にかチップ込みになっていた! ユーロ導入以来のことか? しかし請求書のどこを見ても「サービス料込み」の言葉は見つからない。知る人ぞのみ知る慣習か。
確かにカードで支払う際に、アメリカなら、食事代金とは別にチップを加える欄があるのに、それがなかった。あるレストランでウェイトレスに「チップはどうやって加えるの?」と質問すると、「現金にして。金額に加えるには、前もって言ってくれないと。でもそうすると経営者側に行くだけで、私たちはもらえないの。だから現金にしてね」
ヴァレリーに教えてもらうまで、請求額に加えてチップを払っていたのだから、道理で何処に言っても「メルシー」だけじゃなく「ボクー」が付くはず。本当にサービスが良くて心づけを払いたいときは、「気持ち」の金額を現金で残せばいいんだって。
みんなが家にいると独りPCに向かうのもはばかられ、ブログも更新できず。今日からやっとブログだけは心置きなく書けます。
さて冬休みのパリ旅行について。
これほど堪能できた旅行はここしばらくなかったかも。予定したことも殆ど出来たし。また、常にブログねた探索モードになっているから、いろいろと観察して、驚いたり、感心したり、感動したり。
と言うわけで、10余年ぶりのパリの感想を項目別にご紹介しましょう。
<驚き編>
1.人が多い!
こんなにも人が多かったパリは初めて。夏休みのパリの観光客の多さは知っていたし、20年余り前ではあるが、パリのクリスマスや年末時期だって体験している。しかし、今回のパリの混雑ぶりは前代未聞。何故こんなに?
~ディズニー~
到着した25日はどこもお休みなので、確実に開いているディズニーランドへ。パリまで来て、何が悲しくてディズニーランド、とお思いでしょうが、そもそも我が家はディズニー好き。今回は中でも一番ディズニーびいきのキニコのたっての願い。少々の混雑なら想定内だったけれど、ファストフードを買うにも45分ほど並び、挙句に座る場所にさえ苦労する。シナコがうるさいので、乗りたくもないスペースマウンテンに、北風吹きすさぶ寒空の下80分間並び、挙句にジェットコースターに老体が揺さぶられ、気分も悪くなる。それにもめげず、次は予めファストパスを取ったロッキーサンダーマウンテンへ。しかし向かう途中にパレードとなり、どうにもこうにも反対側に渡れない。他のディズニーランドなら、随所にパレードの切れ目で渡してくれる箇所が設けてあるのに、そんな合理的なシステムはなかった。仕方なくパレードが終わるのを待つが、その後の混みようは空前絶後。ありとあらゆる方向に一斉に動き出す群集に恐怖を感じるほど。子供とはぐれた母親が子供の名前を呼び続ける悲愴な声がこだまする。
寒さと人の多さにぐったりして、22時の閉園よりずっとずっと早くパークを後にした。ま、25日は何処も閉まっているから、みんな考えることは同じなのだ、と思っていたが、あにはからんや。混んでいたのはディズニーばかりではなかった。
ところで開園当時はユーロディズニーと呼ばれていたのが、いまや名称はディズニーランド・パリに(フランス語風に言うならデスネロン・パリ)。「ユーロ」のイメージが貨幣になっちゃったからか。
~アンジェリーナ~
勤めていた会社の事務所があったリボリ通り。そこにある「アンジェリーナ」は、今回どうしても行きたかった場所のひとつ。日本では銀座プランタンに入っている。目的はここのモンブランとショコラショー(ホットチョコレート)。モンブランの底のメレンゲが、なんとも言えず美味しい。その昔、私がパリを離れる時、ヴァレリーがここのモンブランを握って空港に見送りに来てくれた。飛行機の中で涙を流しながら食べたなぁ。
アンジェリーナの前に来てびっくり。店の前に長蛇の列! 数人並んでいることは過去にもあったけれど、店の外に溢れているなんて。しかもその長さたるや10メートルはある。うっそー! でもここであきらめるわけにはいかない。30分ほど待ってようやく席に案内される。
以前、欲張ってモンブランとショコラの両方を一人で注文する過ちを犯した。あまりに濃厚な味に一人じゃ絶対に両方を制覇するのは無理。日本では日本人向けにハーフサイズのモンブランを置いているが、パリにはオリジナルのでかいサイズしかない。今回は4人なので、ショコラ1つにモンブラン2つを注文。おなかが空いていたからクロックマダムも2つ注文。クロックマダムはクロックムッシュー(いわばgrilled cheese sandwitchにハムを挟んだもの)の上に目玉焼きが乗ったやつ。私一人でモンブラン1つをペロリと食べたが、残りの3人は苦しそうであった。
私の記憶にあるショコラショーはもっともっと濃厚だった。でも出てきたものは意外にゆるかった。これだとマックス・ブレナーで一番濃いイタリアンホットチョコレートくらい。昔は冷えたショコラがカップにべとっと引っ付いて垂れないくらいだったと思うんだけど。
帰宅してから日本で買った旅行書を見ていたら、濃厚なのは「ショコラ・アフリカン」と言うらしい。昔はそう言う区分けはなかったのに・・・。
実は、いつものように、バカバカで、「文字ばかりのアメリカの旅行書よりガイドブックは日本に限る」と、せっかく日本で買って来たガイドブックを忘れて出かけたのである。飛行機の中で見ようと思っていたから、殆ど内容も把握せず・・・。ショコラ・アフリカン、飲みたかったなぁ。
~ベルサイユ~
ここでもチケットの購入に長蛇の列。それより、何より、中の混雑がすごかった。ベルサイユはコの字型をしているので、一方の端からもう一方の端までぞろぞろ歩く事になるのだが、外側が回廊、内側に部屋が広がり、その前にはロープは張ってある。つまり歩くところが狭い上に、皆が一方方向に進まねばならない。前の人が展示物や説明に見入って、はたまたオーディオガイドに聞き入って立ち止まると、後ろは動けない。部屋の随所に係員がいて、「立ち止まらないでくださ~い」「前進してくださ~い」と叫んでいる。背が低い私に見えるのは前の人の背中ばかり。幸い、ここの場合は建物の壁や天井にも見るべきものはたくさんある。が、どのみち、芸術音痴の私は一生懸命見る気もないのだが。
~ルーブル~
今回の混雑の最高はルーブル。入館に際してセキュリティーを通らねばならないのだが、その入り口前の列の長さたるや・・・。ディズニーランドのスペースマウンテン80分待ちに相当する長さだった。幸い中は広いので、混んではいても一方方向にしか進めない訳ではなく、他は飛ばして、目玉だけをちょこちょこ見て回ることができた。
モンマルトルでも、「こんなに人がおったんは初めて」とコイオと顔を見合わせるくらい。百貨店ギャラリーラファイエットも、あまりの人に、そそくさと出る。
マドレーヌ近くにあるお菓子屋さんラデュレ。マカロンがおいしい。買いたかったけれど、長蛇の列であきらめた。アンジェリーナのモンブランは唯一無二だけど、マカロンは他でもおいしいし。翌日アパートの近所のお菓子屋でマカロンを買って食べた。おいしかった。
それにしても何故ゆえこんなに人が? 景気が悪いと言っている割りには観光客が増えていることは確実。昔も並んだ場所はたくさんあった。しかし「元旦の初詣か!」と思うほどの混み具合は初めて。さらに日本人観光客は、過去と比べるととても少ない。その昔はどこもかしこも日本人だったのが、いまやチラホラ。英語もあまり聞こえてこない。驚いたことに最も頻繁に聞こえてくる言語はフランス語だった。ヨーロッパ人の観光客も多かったのが印象的。ユーロになってヨーロッパ内の旅行がし易くなったと言うのは頷ける。でもフランス人が多いと言うのがなんとも不思議だった。
2.高い!
~ユーロ~
とにかく何でも高い! 高くて、高くて、買い物好きな私も何にも買えなかった。ほんとに。
金遣いの荒いキニコですら、結局使ったのは、クリニャンクールの蚤の市での5ユーロのみ。
そもそも5つで10ユーロだったブレスレットを、私が「6つで10ユーロ」と頼んだら、お兄さんが「じゃ、7つにしてあげる。」「いえ。戦争になります。6つで10ユーロ」 お兄さんは不思議そうな顔でOKと言った。娘たちが選んでいる間、私は下手くそなフランス語を駆使しお兄さんとしゃべっていた。お兄さんが、「さっき戦争になるって言ったけど、どういう意味?」「だって7つじゃ、3と4になって、2人で割り切れない。だから戦争」「あーそう言うことか。じゃ、8つにしてあげるよ」「ありがと!」私はけんかになると言いたかったんだけど、そんな表現知らないし、guerre(戦争)しか思いつかなかったのだ。
一方シナコのほうは、普段は財布の紐が硬いのに、クリスマスプレゼントに2人それぞれに与えた100ユーロを全部使い切った。「せっかく来たんだから」と一見賢そうな意見だけど、どうやらコイツはこの頃買い物に目覚めたらしい。一昨日もお年玉握り締めてマンハッタンに友達と買い物に行ってたし。
本来は円高なので日本人なら少し前と比較して随分買い物しやすいと思うのかもしれない。でも我々はドルベース。ドルとユーロの交換レートは1.5対1.0。つまり1.5倍。でも物価を見みると、どう考えても1ユーロ=1ドルが妥当と言うところ。1.5倍にするとあまりの高さに手が出なくなってしまう。
アメリカを出る前に盗難対策にドルのトラベラーズチェックを作った。そもそもはユーロで作ろうと思ったのだが、アメリカの銀行は外貨の旅行小切手を扱っていないらしい。パリでの両替レートは、1ユーロ当たり1.5ドル以上。対してパリのATMでアメリカの銀行口座から直接現金を引き出す場合のレートは、手数料を入れても1.44ドルくらいだった。それに気づいて、結局小切手は使わず。
~税金~
フランスの消費税にあたる付加価値税のTVA(テーベーアー)。20余年前も10%以上だったと思うのだが、今やそれが19.6%! 日本で消費税の引き上げに反対とか言っているけど、元がたったの5%なんだから、どんなに上げても10%以上にはならないでしょうに。ちなみに、私は引き上げに賛成。財源がないのなら、借金するより消費税を上げればいい。但し、加工品や嗜好品を除く食品は非課税にすべき。
他国の付加価値税を調べてみてびっくり。19.6%なんて驚くに値しないんだ。20%以上もワンサカあるし、大半の国が15%以上。一桁の国の方がめずらしい。そんな希少な国をリストアップすると、最低がイランの3%。次いで日本とカナダ、パナマ、マレーシア、カナリア諸島の5%。7%台がシンガポール、タイ、スイス、だって。
~チップ~
な、な、なんと、フランスのレストランやカフェでの請求書が、いつの間にかチップ込みになっていた! ユーロ導入以来のことか? しかし請求書のどこを見ても「サービス料込み」の言葉は見つからない。知る人ぞのみ知る慣習か。
確かにカードで支払う際に、アメリカなら、食事代金とは別にチップを加える欄があるのに、それがなかった。あるレストランでウェイトレスに「チップはどうやって加えるの?」と質問すると、「現金にして。金額に加えるには、前もって言ってくれないと。でもそうすると経営者側に行くだけで、私たちはもらえないの。だから現金にしてね」
ヴァレリーに教えてもらうまで、請求額に加えてチップを払っていたのだから、道理で何処に言っても「メルシー」だけじゃなく「ボクー」が付くはず。本当にサービスが良くて心づけを払いたいときは、「気持ち」の金額を現金で残せばいいんだって。
2008年12月24日水曜日
メリークリスマス! & 書き納め
今日の午後、パリへ出発です。
滞在先のアパートは、一応インターネット環境を条件に探したので、多分インターネットは使えるのでしょうが、フランスだし、余り信用しておりません。(それともしばらくご無沙汰している間に、フランスにも文明開化の灯がともったのかなぁ。)
おそらく落ち着いて座ってブログを書く時間もなさそうですので(そもそも、自分のPCは持って行きません、娘は持っていくらしいので、いざとなったら借ります)これで今年のブログをおしまいにしたいと思います。
長ったらしい文章にも関わらず、今年1年、ご愛読ありがとうございました。
来年も、オモロイ、楽しい、為になる、愚にもつかぬことを書き綴りたいと思います。
Have a Merry Christmas and a Happy New Year!
PS. Blackberryはフランスでも使えるようにしましたので、メールは確認できます。
滞在先のアパートは、一応インターネット環境を条件に探したので、多分インターネットは使えるのでしょうが、フランスだし、余り信用しておりません。(それともしばらくご無沙汰している間に、フランスにも文明開化の灯がともったのかなぁ。)
おそらく落ち着いて座ってブログを書く時間もなさそうですので(そもそも、自分のPCは持って行きません、娘は持っていくらしいので、いざとなったら借ります)これで今年のブログをおしまいにしたいと思います。
長ったらしい文章にも関わらず、今年1年、ご愛読ありがとうございました。
来年も、オモロイ、楽しい、為になる、愚にもつかぬことを書き綴りたいと思います。
Have a Merry Christmas and a Happy New Year!
PS. Blackberryはフランスでも使えるようにしましたので、メールは確認できます。
2008年12月4日木曜日
日本滞在記
今日はようやく腹痛も収まった。けど昨夜はお腹が痛かったから睡眠導入剤を飲まなかったら、2時半に目が覚めて4時半まで寝る努力をしたけれど寝付けず、とうとう起き出した。
ボストンの仕事が終わったらゆっくりしようと思っていたのに、帰宅するなり有難いことに、翻訳の依頼が舞い込んで、しかも「簡単に終わる内容です」と言われて受けたら、蓋を開けてみると結構細かくて時間がかかる。おまけに期日も厳しくて、日曜日一杯に仕上げなければならない・・・。
腹痛で体力を消耗し、寝不足でしんどい身体に鞭打って、翻訳もしなくちゃならぬ。留守の間に家も散らかっている・・・。だからブログなんて書いてる暇などないのだ。
と言いながら、古くならないうちに・・・。
まず、今回の帰国で痛感したのが、日本の少子高齢化の現実。10月に両親が遊びに来たとき、出かける度に「アメリカはほんまに子供が多いのう」と父が言っていたが、逆に日本に帰って、なんて老人が多いんだと思った。
特に実家の芦屋は顕著。スーパーに買い物に行くと、白髪頭かごま塩頭しか目に入らない。レジではカートに乗ったカゴをレジの台に移すのが専門のおじさんが巡回している。老人には重たい作業だからだ。(乗せ換えてくれるおじさんも、結構老人だったんだけど。)
またレジの横には別の列がある。何の列かと思いきや、母が「今日はお米を買ったから配達してもらう」と買ったものを持って、その列に並びなおす。65歳以上は配達無料なんだそう。へぇー。
私がうろうろしていた時間帯が子供たちが学校に行っている時間なのかどうかわからないけど、確かに関西でも関東でも、あまり小さい子を見かけなかった。本当に子供が減っているんだなぁ。
今回、急遽関西に戻ることにした理由は義母。最近言動がおかしいと気づき始めた。夫を亡くして25年間一人暮らし。自分でも一人暮らしの限界を感じて、最近は同居を口にし始めた。当初は義母がまだまだしっかりしていると思っていたので、なんとしても阻止せねば・・・と思っていたのだが、帰国して義母の様子を見て、あぁこれは一人では無理かもしれないと感じた。
かと言って長男であるコイオの兄も住居は千葉だし、さほど広くもないマンションに二人の息子のうち、まだ一人が住んでいるし、今すぐにと言うのは難しい。うちも海外だし。住み慣れた大阪を離れるというのもどうなんだろう。
私の姉がケアマネージャをしていて、独居老人で支援が必要な場合は介護保険を利用して色んなサービスが受けられるから申し込めばと助言してくれ、取りあえず義兄が申し込んでくれた。最近はちょっとしたお手伝いに来てもらったりしているよう。
確かにそう言う年齢に自分が達して来たきたのだとも言えるけれど、高齢化の問題を身近に感じる今日この頃。
さて、関東に移動して数日仕事したあと、中学時代からの友人の家に転がり込んだ。彼女は私がフランスに住んでいた時に半年あまり私のアパートにいた。以来あだ名はイソウロウ。今度はイソウロウのアパートに私が居候。しょっちゅう会っている訳ではないけど、会えばすぐに昔の2人に戻る。こういうのを腐れ縁って言うのかな。
再び地方巡業に出た後、今度は大宮の友達の家に転がり込む。大宮に滞在中は、大いに笑い転げた。お寿司を食べに行ったり、1日はオハイオからの友達がもう一人加わって、3人で盛り上がった。噂に聞いていた「豆乳鍋」も食べられたし、お仕事を通して知り合った別の友人に、私のたっての願いで「博多一風堂」のラーメンを食べに上野に連れて行ってもらった。
残念だったのは友達が風邪を引いていて、あまり引っ張り出すこともできず、日中は我が身の癒しの時間にしようと、毎日マッサージやらフェイシャルらに勤しんだ。
この辺りだけなのか、今じゃ日本のどこでもそうなのか、オイルマッサージ、タイ式マッサージ、岩盤浴、サウナ、スパ、フェイシャル、整体、ネイルケア・・・ありとあらゆるお店が至る所にある。大宮・浦和界隈のこうしたお店の割引券がホットペッパーという無料誌にたくさんついていて、それらを駆使して毎日違う店に通った。
1日目は友達も一緒に行ってくれたオイルマッサージと足の角質除去。足はつるつるになるし、マッサージは垂涎もの。
2日目は岩盤浴・ボディーマッサージ・フェイスマッサージのセット。安っぽい外観とは異なって、中は高級リゾートホテルのような造り。小鳥のさえずりが聞こえる。ドーム型の岩盤浴に45分のあとは60分のマッサージ。「強くお願いします」と言ったら、本当に結構な力でマッサージしてもらって、時々痛いくらい。最後はフェイスマッサージ。思っていたのとは違い、ボディーマッサージの続きで、顔の筋肉とか頭皮のマッサージ。これもちょっと痛かった。
3日目。これぞ今回のハイライト。顔のしみ取り体験。若い頃から好んで思い切り太陽を浴び、お化粧だって30過ぎまでしていなかったことがたたって、お気づきの通り私の顔はシミだらけ。どうしたものか。今回も資生堂のお姉さんに「騙されたと思って」と言って騙されて、高いHAKUのローションを購入させられ、カバーマークのお店でも、「これで隠せます」とコンシーラーを買わされ、挙句の果てに、自らこんなお店に飛び込んでしまった。
お店では、まずカウンセリングと称して30分もお姉さんとお話。そのあと150分の施術が待っているのである。広告では「メラニンのお土産をお持ち帰りいただけます」とあった。ところがイオンの力だかなんだかでメラニンを除去するというトリートメントは1回では無理。何回も通って徐々に取っていくため、私のような一元さんには無理だと言う。その代わり、「今日はお顔の汚れを取りましょう」ってことで、ありとあらゆることをされた。
極めつけはこれ。顔中ぐるぐるにさせられたあと、お姉さんが鏡を持ってきて、「はい、見てください。」
目まで覆われているのに、見えるか・・・と思いながら鏡をかざすと、ガーゼの隙間から見える。思わず爆笑。何やこれ! 仮面ライダーのショッカーの一味か。何でも電気を通して顔にはりとつやを与えるとか。
あんまり面白いから、お店のお姉さんに写真を撮ってとせがんだ。「じゃ、お客様の携帯のカメラで」と言われ、「いえ、私は持ってないんです。貴方ので取って送ってください」と厚かましいお願いをする。だってあんまり面白いんだもん、皆さんにシェアしない手はない。(羞恥心ちゅうもんがアンタにはないんか?)

この後、お願いだからメラニンのお土産持って帰らせてと食い下がり、ちょっとだけメラニン除去をやってもらった。半径1ミリにも満たないほ~んの小さい点の部分のシミの上に、金属の突起物を当ててグルグルすると、あーら不思議、黒いメラニンが少し取れる。でもその下部にもまだまだあるので、実際は時間をあけて、少しずつ取っていくそうな。この日取ったメラニンは、言ってみれば、地球上の全陸地が私のシミとすると、淡路島の表面の部分をちょっと剥がしたくらい。全部取るには、かなりの投資と忍耐が要求されそうだ。
あーつくづく、人の弱みに付け込んだ商売だ。
ボストンの仕事が終わったらゆっくりしようと思っていたのに、帰宅するなり有難いことに、翻訳の依頼が舞い込んで、しかも「簡単に終わる内容です」と言われて受けたら、蓋を開けてみると結構細かくて時間がかかる。おまけに期日も厳しくて、日曜日一杯に仕上げなければならない・・・。
腹痛で体力を消耗し、寝不足でしんどい身体に鞭打って、翻訳もしなくちゃならぬ。留守の間に家も散らかっている・・・。だからブログなんて書いてる暇などないのだ。
と言いながら、古くならないうちに・・・。
まず、今回の帰国で痛感したのが、日本の少子高齢化の現実。10月に両親が遊びに来たとき、出かける度に「アメリカはほんまに子供が多いのう」と父が言っていたが、逆に日本に帰って、なんて老人が多いんだと思った。
特に実家の芦屋は顕著。スーパーに買い物に行くと、白髪頭かごま塩頭しか目に入らない。レジではカートに乗ったカゴをレジの台に移すのが専門のおじさんが巡回している。老人には重たい作業だからだ。(乗せ換えてくれるおじさんも、結構老人だったんだけど。)
またレジの横には別の列がある。何の列かと思いきや、母が「今日はお米を買ったから配達してもらう」と買ったものを持って、その列に並びなおす。65歳以上は配達無料なんだそう。へぇー。
私がうろうろしていた時間帯が子供たちが学校に行っている時間なのかどうかわからないけど、確かに関西でも関東でも、あまり小さい子を見かけなかった。本当に子供が減っているんだなぁ。
今回、急遽関西に戻ることにした理由は義母。最近言動がおかしいと気づき始めた。夫を亡くして25年間一人暮らし。自分でも一人暮らしの限界を感じて、最近は同居を口にし始めた。当初は義母がまだまだしっかりしていると思っていたので、なんとしても阻止せねば・・・と思っていたのだが、帰国して義母の様子を見て、あぁこれは一人では無理かもしれないと感じた。
かと言って長男であるコイオの兄も住居は千葉だし、さほど広くもないマンションに二人の息子のうち、まだ一人が住んでいるし、今すぐにと言うのは難しい。うちも海外だし。住み慣れた大阪を離れるというのもどうなんだろう。
私の姉がケアマネージャをしていて、独居老人で支援が必要な場合は介護保険を利用して色んなサービスが受けられるから申し込めばと助言してくれ、取りあえず義兄が申し込んでくれた。最近はちょっとしたお手伝いに来てもらったりしているよう。
確かにそう言う年齢に自分が達して来たきたのだとも言えるけれど、高齢化の問題を身近に感じる今日この頃。
さて、関東に移動して数日仕事したあと、中学時代からの友人の家に転がり込んだ。彼女は私がフランスに住んでいた時に半年あまり私のアパートにいた。以来あだ名はイソウロウ。今度はイソウロウのアパートに私が居候。しょっちゅう会っている訳ではないけど、会えばすぐに昔の2人に戻る。こういうのを腐れ縁って言うのかな。
再び地方巡業に出た後、今度は大宮の友達の家に転がり込む。大宮に滞在中は、大いに笑い転げた。お寿司を食べに行ったり、1日はオハイオからの友達がもう一人加わって、3人で盛り上がった。噂に聞いていた「豆乳鍋」も食べられたし、お仕事を通して知り合った別の友人に、私のたっての願いで「博多一風堂」のラーメンを食べに上野に連れて行ってもらった。
残念だったのは友達が風邪を引いていて、あまり引っ張り出すこともできず、日中は我が身の癒しの時間にしようと、毎日マッサージやらフェイシャルらに勤しんだ。
この辺りだけなのか、今じゃ日本のどこでもそうなのか、オイルマッサージ、タイ式マッサージ、岩盤浴、サウナ、スパ、フェイシャル、整体、ネイルケア・・・ありとあらゆるお店が至る所にある。大宮・浦和界隈のこうしたお店の割引券がホットペッパーという無料誌にたくさんついていて、それらを駆使して毎日違う店に通った。
1日目は友達も一緒に行ってくれたオイルマッサージと足の角質除去。足はつるつるになるし、マッサージは垂涎もの。
2日目は岩盤浴・ボディーマッサージ・フェイスマッサージのセット。安っぽい外観とは異なって、中は高級リゾートホテルのような造り。小鳥のさえずりが聞こえる。ドーム型の岩盤浴に45分のあとは60分のマッサージ。「強くお願いします」と言ったら、本当に結構な力でマッサージしてもらって、時々痛いくらい。最後はフェイスマッサージ。思っていたのとは違い、ボディーマッサージの続きで、顔の筋肉とか頭皮のマッサージ。これもちょっと痛かった。
3日目。これぞ今回のハイライト。顔のしみ取り体験。若い頃から好んで思い切り太陽を浴び、お化粧だって30過ぎまでしていなかったことがたたって、お気づきの通り私の顔はシミだらけ。どうしたものか。今回も資生堂のお姉さんに「騙されたと思って」と言って騙されて、高いHAKUのローションを購入させられ、カバーマークのお店でも、「これで隠せます」とコンシーラーを買わされ、挙句の果てに、自らこんなお店に飛び込んでしまった。
お店では、まずカウンセリングと称して30分もお姉さんとお話。そのあと150分の施術が待っているのである。広告では「メラニンのお土産をお持ち帰りいただけます」とあった。ところがイオンの力だかなんだかでメラニンを除去するというトリートメントは1回では無理。何回も通って徐々に取っていくため、私のような一元さんには無理だと言う。その代わり、「今日はお顔の汚れを取りましょう」ってことで、ありとあらゆることをされた。
極めつけはこれ。顔中ぐるぐるにさせられたあと、お姉さんが鏡を持ってきて、「はい、見てください。」
目まで覆われているのに、見えるか・・・と思いながら鏡をかざすと、ガーゼの隙間から見える。思わず爆笑。何やこれ! 仮面ライダーのショッカーの一味か。何でも電気を通して顔にはりとつやを与えるとか。
あんまり面白いから、お店のお姉さんに写真を撮ってとせがんだ。「じゃ、お客様の携帯のカメラで」と言われ、「いえ、私は持ってないんです。貴方ので取って送ってください」と厚かましいお願いをする。だってあんまり面白いんだもん、皆さんにシェアしない手はない。(羞恥心ちゅうもんがアンタにはないんか?)

この後、お願いだからメラニンのお土産持って帰らせてと食い下がり、ちょっとだけメラニン除去をやってもらった。半径1ミリにも満たないほ~んの小さい点の部分のシミの上に、金属の突起物を当ててグルグルすると、あーら不思議、黒いメラニンが少し取れる。でもその下部にもまだまだあるので、実際は時間をあけて、少しずつ取っていくそうな。この日取ったメラニンは、言ってみれば、地球上の全陸地が私のシミとすると、淡路島の表面の部分をちょっと剥がしたくらい。全部取るには、かなりの投資と忍耐が要求されそうだ。
あーつくづく、人の弱みに付け込んだ商売だ。
2008年10月29日水曜日
人気ブログ?
本当はブログなんてかいているバヤイじゃないのですが。
と言うのも、引き受けた翻訳の仕事の納期が今週末。日曜から今朝まで出張に出かけていてその間手付かず。予めわかっていたことなので、出発前に必死になって大部分の翻訳を済ませ、帰って残りを仕上げればいいだけの状態にしていた。なのに、なのに、それなのに、一昨日になって、依頼された内容に大幅に変更が生じ、かなりやり直さなくちゃいけなくなった。しかも納期は殆ど延長されず。
でもこの出張中の出来事を書かいでか、とPCに向かう。(納期延長してくださいまし!)
(その1)
出張の行き先は、以前に社内通訳として仕事をしていた頃に訪れたことのある会社。懐かしさも相まって、更に楽しかった。
今回もエンジニア関連の通訳だったけれど、技術関連の仕事は、話を聞いていて面白いので大好き。勿論、中味は2割もわかってないのだが。エンジニアという人たちの頭の中ってどうなっているんだろう。知識と経験に基づいて、頭の中で連鎖反応が起きているみたい。
「ここがAだと、Zってことだよね。」
「え、Zですか? あぁ、AだとBになるから、CとDがEになって、FがGでしょ・・・ふん、ふん、Zになりますねぇ。」
トーシロウの私には何が何だかわからないけれど、取りあえず聞いたまま言ってると、みんなが、ふんふん頷いている。いつも一人取り残されるけど、そう言うやり取りが面白い。
また、特記すべきは、日本から来られた2人のエンジニアのうちのお1人。初対面であるにもかかわらず、開口一番「いつも、ブログ読ませてもらってます」だって!
うっそー!? 何で~!? ホントびっくり。滅多なことは書けないわ。
この方、「エンジニア」のステレオタイプとは大きくかけ離れた方でありました。つまり、とてもおしゃれ。一緒に出張に来られていた方にも、「お前ももっととがった靴をはかんと」と、レクチャー。ご本人の出で立ちは、ピンストライプの黒のスーツに、ベージュのスエードのベスト。シャツは衿が、大きめのボタンでおしゃれに留まったエンジ色に、濃い同系色に黒っぽい柄のネクタイ。靴はテーパー状でつま先は四角い黄褐色。夕食に出かけた時は、滑らかな皮(カーフ)の黒のジャケット(革ジャンじゃないよ)。バックパックはオレンジ系茶色の皮製。
足りなかったのは、太い金のネックレスに、金のローレックスかしら。
滅多なこと書けへんって言うて、書いてるやない!
(読んではりますよね・・・ネタにして、すみません。)
失礼を承知で、「あの、間違われたことないですか?」と聞いてしまったら、
「ないです。僕はどこから見ても立派なサラリーマンでしょ。本物はもっと怖いです」とおっしゃってましたが・・・。(ちなみに髪型もジャパニーズマフィア風でした。)
(その2)
帰りの飛行機。前のほうの席で、たくさんの荷物を頭上のコンパートメントに入れようと立っているおじさん。似てるなぁ・・・。でも、ガイジンってみんな同じ顔に見えるし。でも、やっぱり似てる。本人じゃないかな。でも自信がないから、前の席に座っているお兄さんをつついて、
「ね、あの人、David Gergenじゃない?」
と確認したら、やっぱりそう。
CNNのコメンテーターとして、よくAnderson Cooperのニュース番組に出てる人です。テレビで見ると、頭が薄くって貧相な感じだったのに、実物は飛行機の天井に頭が届くので、前かがみにならなくちゃいけないほどの長身。ダンディーでかっこよかった。きっと真正面から捕らえるカメラアングルが悪いのね。
(その3)
飛行機で隣合わせた50がらみの韓国人のおじさん。釜山にある国立大学の教授。コロンバスで学会があったそうな。専門はコミュニケーションサイエンス。通信科学ってテレパシーの勉強か(アホか)。名詞を見たら、マスコミ学科だそうです。それで日本の新聞の質問をしたのね。
「どうして日本人はそんなにたくさんの新聞を読むのか?」
「だって、うちのお父さん、毎朝新聞持ってトイレに30分こもってるの。どこのお父さんも新聞ないとトイレで困るのよ。そうするとお母さんは自分が読むものがなくなるものだから、別に神戸新聞取ってるよ。」
果たして、私のジョークは通じていたか。
「日本にはどうしてそんなに新聞が多いのか?」
「多いって、全国紙は赤旗と聖教新聞除いたら、3紙だよ。朝日、読売、サンケイ」
「そうだっけ。じゃ韓国の方が多いな。全国紙は5紙はあるし、小規模なところを入れると9紙ある。一時は購読者の争奪戦が激化しててね。」
「日本でも、契約欲しさにいろいろ物くれるよ。私は読売を6ヶ月契約してた。だって洗剤とかビール券くれるから。6ヶ月ごとに契約するとその度にくれるんだもん。」
「洗剤? せこいなぁ。韓国なんて、一時は自転車とかくれてたよ。ある新聞は壁にかける鳩時計のクックークロックを配っていて、クックー新聞なんて揶揄されていたよ」
「え、じゃ韓国紙を取ろうかしら」
「ね、ところで私って好奇心旺盛なんだけど、質問していい?」
「どうぞ」
「一般の韓国人は、やっぱり過去のことで日本人が嫌いと思っているの?」
「いや、それは僕たちより上の世代のこと。確かに、こんなことがあったと聞くと、愛国心から腹は立つけれど、だからと言って今の日本に対して嫌悪感を持ったりはしていない。」
「ふ~ん。それはよかった。じゃ、竹島についてはどう思う?」
「あれは、日本は放棄したんだ。そして韓国が領土だと宣言したんだから、韓国だよ。」
「え、放棄なんてしてないよ。」
「1945年に、日本が日本の領土とした中には入っていなかった。だから放棄したってことだよ。対馬と同じこと。対馬も以前は王国で、対馬の王が朝鮮に入れてくれと言って一時は朝鮮になったけれど、維持費がかかりすぎて、朝鮮は放棄したんだ。その後日本に併合された。」
「対馬の話は知らなかったけど、その場合は朝鮮が放棄したんでしょ。日本は竹島を放棄してないよ。少なくとも日本政府は放棄したとはみなしていない。」
「でもそれ以前に朝鮮が竹島を領土としていた。19XX年・・・」
「日本は竹島をもっと早くから領土としているよ、そんな文献があるんだよ」
「それは知らなかった」
「じゃあ、私の意見聞いてくれる? 私はね、物事の見方が平行線をたどっている限りは解決しないから、いっそ竹島を半分こにすればいいと思うのよ。」
「半分こ・・・。そう言えば、朴大統領時代の副大統領XXが、竹島を爆破しちまったらいいって言ってたな。爆破するよりは、半分このほうがいいか。」
かくして竹島は、日韓それぞれの代表により、半分ずつに分割される事になりました。めでたし、めでたし。
「それにしても、キミ、日本人にしたら、はっきり物を言う人だね」
「どうも、アメリカに長く住み過ぎたらしいわ」
と言うのも、引き受けた翻訳の仕事の納期が今週末。日曜から今朝まで出張に出かけていてその間手付かず。予めわかっていたことなので、出発前に必死になって大部分の翻訳を済ませ、帰って残りを仕上げればいいだけの状態にしていた。なのに、なのに、それなのに、一昨日になって、依頼された内容に大幅に変更が生じ、かなりやり直さなくちゃいけなくなった。しかも納期は殆ど延長されず。
でもこの出張中の出来事を書かいでか、とPCに向かう。(納期延長してくださいまし!)
(その1)
出張の行き先は、以前に社内通訳として仕事をしていた頃に訪れたことのある会社。懐かしさも相まって、更に楽しかった。
今回もエンジニア関連の通訳だったけれど、技術関連の仕事は、話を聞いていて面白いので大好き。勿論、中味は2割もわかってないのだが。エンジニアという人たちの頭の中ってどうなっているんだろう。知識と経験に基づいて、頭の中で連鎖反応が起きているみたい。
「ここがAだと、Zってことだよね。」
「え、Zですか? あぁ、AだとBになるから、CとDがEになって、FがGでしょ・・・ふん、ふん、Zになりますねぇ。」
トーシロウの私には何が何だかわからないけれど、取りあえず聞いたまま言ってると、みんなが、ふんふん頷いている。いつも一人取り残されるけど、そう言うやり取りが面白い。
また、特記すべきは、日本から来られた2人のエンジニアのうちのお1人。初対面であるにもかかわらず、開口一番「いつも、ブログ読ませてもらってます」だって!
うっそー!? 何で~!? ホントびっくり。滅多なことは書けないわ。
この方、「エンジニア」のステレオタイプとは大きくかけ離れた方でありました。つまり、とてもおしゃれ。一緒に出張に来られていた方にも、「お前ももっととがった靴をはかんと」と、レクチャー。ご本人の出で立ちは、ピンストライプの黒のスーツに、ベージュのスエードのベスト。シャツは衿が、大きめのボタンでおしゃれに留まったエンジ色に、濃い同系色に黒っぽい柄のネクタイ。靴はテーパー状でつま先は四角い黄褐色。夕食に出かけた時は、滑らかな皮(カーフ)の黒のジャケット(革ジャンじゃないよ)。バックパックはオレンジ系茶色の皮製。
足りなかったのは、太い金のネックレスに、金のローレックスかしら。
滅多なこと書けへんって言うて、書いてるやない!
(読んではりますよね・・・ネタにして、すみません。)
失礼を承知で、「あの、間違われたことないですか?」と聞いてしまったら、
「ないです。僕はどこから見ても立派なサラリーマンでしょ。本物はもっと怖いです」とおっしゃってましたが・・・。(ちなみに髪型もジャパニーズマフィア風でした。)
(その2)
帰りの飛行機。前のほうの席で、たくさんの荷物を頭上のコンパートメントに入れようと立っているおじさん。似てるなぁ・・・。でも、ガイジンってみんな同じ顔に見えるし。でも、やっぱり似てる。本人じゃないかな。でも自信がないから、前の席に座っているお兄さんをつついて、
「ね、あの人、David Gergenじゃない?」
と確認したら、やっぱりそう。
CNNのコメンテーターとして、よくAnderson Cooperのニュース番組に出てる人です。テレビで見ると、頭が薄くって貧相な感じだったのに、実物は飛行機の天井に頭が届くので、前かがみにならなくちゃいけないほどの長身。ダンディーでかっこよかった。きっと真正面から捕らえるカメラアングルが悪いのね。
(その3)
飛行機で隣合わせた50がらみの韓国人のおじさん。釜山にある国立大学の教授。コロンバスで学会があったそうな。専門はコミュニケーションサイエンス。通信科学ってテレパシーの勉強か(アホか)。名詞を見たら、マスコミ学科だそうです。それで日本の新聞の質問をしたのね。
「どうして日本人はそんなにたくさんの新聞を読むのか?」
「だって、うちのお父さん、毎朝新聞持ってトイレに30分こもってるの。どこのお父さんも新聞ないとトイレで困るのよ。そうするとお母さんは自分が読むものがなくなるものだから、別に神戸新聞取ってるよ。」
果たして、私のジョークは通じていたか。
「日本にはどうしてそんなに新聞が多いのか?」
「多いって、全国紙は赤旗と聖教新聞除いたら、3紙だよ。朝日、読売、サンケイ」
「そうだっけ。じゃ韓国の方が多いな。全国紙は5紙はあるし、小規模なところを入れると9紙ある。一時は購読者の争奪戦が激化しててね。」
「日本でも、契約欲しさにいろいろ物くれるよ。私は読売を6ヶ月契約してた。だって洗剤とかビール券くれるから。6ヶ月ごとに契約するとその度にくれるんだもん。」
「洗剤? せこいなぁ。韓国なんて、一時は自転車とかくれてたよ。ある新聞は壁にかける鳩時計のクックークロックを配っていて、クックー新聞なんて揶揄されていたよ」
「え、じゃ韓国紙を取ろうかしら」
「ね、ところで私って好奇心旺盛なんだけど、質問していい?」
「どうぞ」
「一般の韓国人は、やっぱり過去のことで日本人が嫌いと思っているの?」
「いや、それは僕たちより上の世代のこと。確かに、こんなことがあったと聞くと、愛国心から腹は立つけれど、だからと言って今の日本に対して嫌悪感を持ったりはしていない。」
「ふ~ん。それはよかった。じゃ、竹島についてはどう思う?」
「あれは、日本は放棄したんだ。そして韓国が領土だと宣言したんだから、韓国だよ。」
「え、放棄なんてしてないよ。」
「1945年に、日本が日本の領土とした中には入っていなかった。だから放棄したってことだよ。対馬と同じこと。対馬も以前は王国で、対馬の王が朝鮮に入れてくれと言って一時は朝鮮になったけれど、維持費がかかりすぎて、朝鮮は放棄したんだ。その後日本に併合された。」
「対馬の話は知らなかったけど、その場合は朝鮮が放棄したんでしょ。日本は竹島を放棄してないよ。少なくとも日本政府は放棄したとはみなしていない。」
「でもそれ以前に朝鮮が竹島を領土としていた。19XX年・・・」
「日本は竹島をもっと早くから領土としているよ、そんな文献があるんだよ」
「それは知らなかった」
「じゃあ、私の意見聞いてくれる? 私はね、物事の見方が平行線をたどっている限りは解決しないから、いっそ竹島を半分こにすればいいと思うのよ。」
「半分こ・・・。そう言えば、朴大統領時代の副大統領XXが、竹島を爆破しちまったらいいって言ってたな。爆破するよりは、半分このほうがいいか。」
かくして竹島は、日韓それぞれの代表により、半分ずつに分割される事になりました。めでたし、めでたし。
「それにしても、キミ、日本人にしたら、はっきり物を言う人だね」
「どうも、アメリカに長く住み過ぎたらしいわ」
2008年8月26日火曜日
ご近所
この家に引っ越して、すでに1ヶ月以上が過ぎた。
これ以上片付かないから、さっさか写真でも撮ったらいいんだけれど・・・そのうちにね。
家が繋がっていたり、小さな敷地内なので、よく近所の人に会う。生垣を挟んでお向かいの敷地にもまたデュプレックスがある。先日、そこに住むトミーと言うおじいさんが、お庭で栽培したトマトときゅうりとバジルを届けてくれた。ほーんとに新鮮で美味しかった。
我が家のすぐお隣は、グレッグとシェリルと言う40歳くらいのご夫婦。ご主人にはしょっちゅう会うのに、奥さんには会ったことなくて、別居か離婚でもしたのかと思ってたら、おととい初めて会った。出かけようと、玄関の鍵をかけていたら、「パーティーするから、車が一杯駐車するけど、ごめんなさいね」と言いに出てきた。感じのいい人だった。
その横にある棟は1階が車庫。2台分あって、ひとつは上の住人である学校の体育の先生をしているスーザンという60歳のオバサンが、もうひとつは大家さんが物置に使用している。
2週間ほど前、郵便を取りに出たら、スーザンが外出から戻って、車から荷物を降ろしているところだった。休暇に行っていたのと聞くと、「休暇は、来週から。今回は訓練。」
スーザンは予備兵士として登録しているので、半年に一度くらいは訓練があるらしい。2月には退役するそうだが。実際に戦地に召集されたことがあるのかと聞いたら、イラク戦争の一番最初に派遣されいたそう。それは大変だったね、と言うと、「いや、逆にあの時はまだゲリラ戦になっていなかったのでラッキーだった。最初に派遣されたグループだったので、何もなくて大変だったけど。随分してバーガーキングが出来たときは、ものすごいご馳走に思ったよ。それまでずっと保存食だったから。」
当初はバグダッド、しばらくして、悪名高きアブグレイブに移ったそう。虐待で逮捕された例の女性は、彼女の部隊だったそう。「あの子が食らったのは3年だったけど、ボーイフレンドと同じ位の刑期じゃないとおかしい。自分の仕事でもないのに、わざわざ虐めに出向いて行っていたのだから。」
まぁ、良くしゃべるオバサンで、気がついたら45分くらい経っていた。最後のほうはどうやって話を切り上げようか悩んでいたら、うまい具合に彼女の携帯が鳴った。ほっ。
反対側のお隣にある棟にも2軒住んでいて、一番向こうが日本人の家族。小学生と幼稚園の男の子がいる。ご主人のほうは、下見に来たときに会っていたが、ようやく最近になって、奥さんに会った。「駐在員夫人」と言うイメージぴったりの小奇麗にした美人だった。(どうせ、汚らしい格好でうろうろしているのは私くらい。)
我が家に近い側には、クリス(だったと思う)とジェームスという男性が二人で住んでいる。多分ゲイのカップル? 家の周りにきれいにお花を植えて、クリスが、感心するほど朝晩まめに水をやって世話をしている。大きな犬もいて、これもクリスの犬。
昨日、ジョダの散歩に出ようとしたら、スーザンが休暇から戻って荷物を下ろしていた。ボートをどこかに持っていて、それで海に行っていたそう。また、話が長くなりそうだから、ジョダに引っ張られるふりをして早々にその場を離れました。
これ以上片付かないから、さっさか写真でも撮ったらいいんだけれど・・・そのうちにね。
家が繋がっていたり、小さな敷地内なので、よく近所の人に会う。生垣を挟んでお向かいの敷地にもまたデュプレックスがある。先日、そこに住むトミーと言うおじいさんが、お庭で栽培したトマトときゅうりとバジルを届けてくれた。ほーんとに新鮮で美味しかった。
我が家のすぐお隣は、グレッグとシェリルと言う40歳くらいのご夫婦。ご主人にはしょっちゅう会うのに、奥さんには会ったことなくて、別居か離婚でもしたのかと思ってたら、おととい初めて会った。出かけようと、玄関の鍵をかけていたら、「パーティーするから、車が一杯駐車するけど、ごめんなさいね」と言いに出てきた。感じのいい人だった。
その横にある棟は1階が車庫。2台分あって、ひとつは上の住人である学校の体育の先生をしているスーザンという60歳のオバサンが、もうひとつは大家さんが物置に使用している。
2週間ほど前、郵便を取りに出たら、スーザンが外出から戻って、車から荷物を降ろしているところだった。休暇に行っていたのと聞くと、「休暇は、来週から。今回は訓練。」
スーザンは予備兵士として登録しているので、半年に一度くらいは訓練があるらしい。2月には退役するそうだが。実際に戦地に召集されたことがあるのかと聞いたら、イラク戦争の一番最初に派遣されいたそう。それは大変だったね、と言うと、「いや、逆にあの時はまだゲリラ戦になっていなかったのでラッキーだった。最初に派遣されたグループだったので、何もなくて大変だったけど。随分してバーガーキングが出来たときは、ものすごいご馳走に思ったよ。それまでずっと保存食だったから。」
当初はバグダッド、しばらくして、悪名高きアブグレイブに移ったそう。虐待で逮捕された例の女性は、彼女の部隊だったそう。「あの子が食らったのは3年だったけど、ボーイフレンドと同じ位の刑期じゃないとおかしい。自分の仕事でもないのに、わざわざ虐めに出向いて行っていたのだから。」
まぁ、良くしゃべるオバサンで、気がついたら45分くらい経っていた。最後のほうはどうやって話を切り上げようか悩んでいたら、うまい具合に彼女の携帯が鳴った。ほっ。
反対側のお隣にある棟にも2軒住んでいて、一番向こうが日本人の家族。小学生と幼稚園の男の子がいる。ご主人のほうは、下見に来たときに会っていたが、ようやく最近になって、奥さんに会った。「駐在員夫人」と言うイメージぴったりの小奇麗にした美人だった。(どうせ、汚らしい格好でうろうろしているのは私くらい。)
我が家に近い側には、クリス(だったと思う)とジェームスという男性が二人で住んでいる。多分ゲイのカップル? 家の周りにきれいにお花を植えて、クリスが、感心するほど朝晩まめに水をやって世話をしている。大きな犬もいて、これもクリスの犬。
昨日、ジョダの散歩に出ようとしたら、スーザンが休暇から戻って荷物を下ろしていた。ボートをどこかに持っていて、それで海に行っていたそう。また、話が長くなりそうだから、ジョダに引っ張られるふりをして早々にその場を離れました。
2008年8月10日日曜日
引越し(4)
この家に引越しして既に1ヶ月近くになろうとしている。引越し後、丸2日かけて、以前の家を隅々まで磨きたて――ホント、住んでいるときにこれくらい掃除しろよと思うのに、出るに当たってそこまでやらなくていいだろうと思うほど、半ば意地になって掃除した――その後はインディアナポリスでの仕事まで連日「地方巡業」に出ていたものだから、殆どこの家で寝ることがなかった。
一連の巡業が終わり、この先しばらくは「失業」状態で毎日この家にいるのだから片づけを再開すればいいのだが、一旦勢いがそがれてしまうと、再び取り掛かる気にならない。
ってことで、新しい家の写真を掲載しようにも、散らかった状態で写真が撮れないのよね。
さて、住み心地ですが、何と言っても日当たりが良くて明るい。これがとっても嬉しい。
日当たりの良い家というのは万人に好まれるのかと思いきや、世の中にはそうでない人もいることを、2、3日前に発見。友人のCちゃんは、昔から陽に当たるのが大嫌い。お出かけのときも、長袖、帽子もしくは日傘。最近ならこういう装束の人も珍しくないけれど、彼女は20歳の頃からコレ。対して当時の私は巷の大学生と同じく、日焼けを好み(どうせ地黒で色白にはなれないから、いっそのこともっと黒くなろうという発想)、Cちゃんと連れ立って歩くときは、彼女が日陰、私は日向と、道の両側を別々に歩くということがしばしばあった。そのCちゃんが住むマンハッタンのマンションは南向き。彼女は「北向きやったらええのに・・・」と、信じられないことを言う。彼女いわく、芸術家も北向きの家・オフィスを好むそうな。日光が入らないので作品の色目を正しく判断できるから、だって。作品も色褪せないしね。
ま、私は芸術家でもないし、凡人なので、明るいこの家が気に入っている。ただし大家さんも言っていた通り、この家はちょっと安普請。「僕らはこの家を前の大家から買ったんだけれど、とても安っぽく建ててられているんだ。ちょっとずつ改善しているんだけれど。」
引っ越してまもなくブレーカーが毎日何度も飛ぶ事件が起きた。そもそもこの家に引っ越すことに心から賛成していなかった夫は、それみたことか、と、とても機嫌が悪かった。電気屋さんが来てくれて、「配線が緩んでいた」ってことで、修理したらすぐに直ったのだけれど・・・。
次は玄関のドア。ドアが閉まらない。無理して閉めると、外から鍵で開かない。困って大家さんに連絡すると、既に新しいドアが注文されていた。大家さんもドアの締りが悪いことに気づいていて、我が家とお隣のドアを既に注文済みだったのだ。早速翌日に取り付けてくれた。さらにストームドア(玄関のドアの外側に入るガラスのドア)も新たに発注してくれていた。ドアは別棟の家と色調を合わせるために、近々緑色に塗るのだそう。
最後にこれだけは大家さんにも直せないのが水道の音。昼間は気にならないのだが、ある時、翌朝早いので私は早くから休んでいた。そこに夫が夜遅く帰宅してシャワーを浴び始めた。すると水道管に水の流れる音がベッドルームにとても大きく響き、思わず目が覚めてしまった。
これだけ我慢すればOKなんだけれど・・・。安普請というのは否めないなぁ。ただし、大家さんのフットワークは軽いし、本当にいい人たち(親子)なので、我慢しよう。こんなにいい大家さんって、そうなかなかいないと思うから。
昨日も庭の雑草をみんな抜いて帰ってくれた。大家さんの仕事にしろ、放置していた自分がちょっと恥ずかしかった。せっかく色々やってくれるから、もうちょっとこの家を整えないと。
一連の巡業が終わり、この先しばらくは「失業」状態で毎日この家にいるのだから片づけを再開すればいいのだが、一旦勢いがそがれてしまうと、再び取り掛かる気にならない。
ってことで、新しい家の写真を掲載しようにも、散らかった状態で写真が撮れないのよね。
さて、住み心地ですが、何と言っても日当たりが良くて明るい。これがとっても嬉しい。
日当たりの良い家というのは万人に好まれるのかと思いきや、世の中にはそうでない人もいることを、2、3日前に発見。友人のCちゃんは、昔から陽に当たるのが大嫌い。お出かけのときも、長袖、帽子もしくは日傘。最近ならこういう装束の人も珍しくないけれど、彼女は20歳の頃からコレ。対して当時の私は巷の大学生と同じく、日焼けを好み(どうせ地黒で色白にはなれないから、いっそのこともっと黒くなろうという発想)、Cちゃんと連れ立って歩くときは、彼女が日陰、私は日向と、道の両側を別々に歩くということがしばしばあった。そのCちゃんが住むマンハッタンのマンションは南向き。彼女は「北向きやったらええのに・・・」と、信じられないことを言う。彼女いわく、芸術家も北向きの家・オフィスを好むそうな。日光が入らないので作品の色目を正しく判断できるから、だって。作品も色褪せないしね。
ま、私は芸術家でもないし、凡人なので、明るいこの家が気に入っている。ただし大家さんも言っていた通り、この家はちょっと安普請。「僕らはこの家を前の大家から買ったんだけれど、とても安っぽく建ててられているんだ。ちょっとずつ改善しているんだけれど。」
引っ越してまもなくブレーカーが毎日何度も飛ぶ事件が起きた。そもそもこの家に引っ越すことに心から賛成していなかった夫は、それみたことか、と、とても機嫌が悪かった。電気屋さんが来てくれて、「配線が緩んでいた」ってことで、修理したらすぐに直ったのだけれど・・・。
次は玄関のドア。ドアが閉まらない。無理して閉めると、外から鍵で開かない。困って大家さんに連絡すると、既に新しいドアが注文されていた。大家さんもドアの締りが悪いことに気づいていて、我が家とお隣のドアを既に注文済みだったのだ。早速翌日に取り付けてくれた。さらにストームドア(玄関のドアの外側に入るガラスのドア)も新たに発注してくれていた。ドアは別棟の家と色調を合わせるために、近々緑色に塗るのだそう。
最後にこれだけは大家さんにも直せないのが水道の音。昼間は気にならないのだが、ある時、翌朝早いので私は早くから休んでいた。そこに夫が夜遅く帰宅してシャワーを浴び始めた。すると水道管に水の流れる音がベッドルームにとても大きく響き、思わず目が覚めてしまった。
これだけ我慢すればOKなんだけれど・・・。安普請というのは否めないなぁ。ただし、大家さんのフットワークは軽いし、本当にいい人たち(親子)なので、我慢しよう。こんなにいい大家さんって、そうなかなかいないと思うから。
昨日も庭の雑草をみんな抜いて帰ってくれた。大家さんの仕事にしろ、放置していた自分がちょっと恥ずかしかった。せっかく色々やってくれるから、もうちょっとこの家を整えないと。
2008年7月8日火曜日
引越し(3)
今日は引越しは中休み。朝一にピアノの運送業者が来て、ピアノだけは新居に持って行った。
あとはお掃除。私は地下に掃除機をかけた。その間に娘たちには、家中の高いところ、出っ張ったところに掃除機をかけて拭き掃除をしてって頼んだのに、30分もしないうちに、「疲れた、明日でいいでしょ?」 何だか怒るのも疲れた。自分でやったほうが、よっぽどきちんとできるし、効率もいい。アイツらに任せると、結局私がもう一度やらなくちゃいけない羽目になりそうだ。
ところで、引越しの度にワンサカ処分しているように思うのに、あるわ、あるわ、山のような荷物。普段は使わないものを、新居の地下に運んだけれど、大家さんが用意してくれた4つのラックはもう一杯になり、それでも入りきらないものが外に溢れている。
現在、こちらの家には最低限の物しか残っていないんだけれど、はっきり言って、それだけで十分生活できている・・・。
実は、私は普段は「捨てられない」人。つい「もったいない」精神が出て、「捨てる」と言う行為がなかなかできない。ならば買わなきゃいいんだけど、こっちは「もったいない」精神が働かず、つい買ってしまう。それで物は増える一方なのだ。・・・使わないのに。
日本の場合は、「捨てる」しかオプションがなくて、おまけに、処分するのにお金まで払わなくちゃならない。それでなかなか処分できないでいた。
思い起こせば、サウジ時代は良かったなぁ。誰かが帰国をするたびに開くガレージセールに便乗させてもらって、我が家の不要品を一緒に売るのだ。こうして処分すると、罪悪感は感じないし、おまけに結構いいお小遣いになったし。(売っている側から、すぐ横で誰かが処分しているものを買って帰ったりするんだけど・・・。) 3ヶ月に1度はガレージセールに参加していたような気がする。
お客さんには、コンパウンド内でメイドや作業者として働いている人たちが多く混じっていて、本当にありとあらゆるものが売れるのだ。最後に売れ残っても、貰ってくれるし。ありがたい処分方法だった。
アメリカでもガレージセールは出来るけど、結構その準備が面倒。そこで、私はもっぱら「寄付」と言う手段に訴える。サルベーションアーミーやグッドウィルと言ったところが、不要品をみんな引き取ってくれる。だから同じく罪悪感をあまり感じずに処分できる。
お金はくれないけど、その代わり「寄付」したものの領収書をくれる。価値は自己申告。一体どのくらいで申告すれば良いのかわからなかったので、物知りのMに相談したら、「売れる価格の4分の1くらい」だそう。なるほど。寄付した金額は、減税の対象になるのだ。
今も我が家の地下に、不要品が堆く積まれている。いや、減税対象の宝の山だ。
あとはお掃除。私は地下に掃除機をかけた。その間に娘たちには、家中の高いところ、出っ張ったところに掃除機をかけて拭き掃除をしてって頼んだのに、30分もしないうちに、「疲れた、明日でいいでしょ?」 何だか怒るのも疲れた。自分でやったほうが、よっぽどきちんとできるし、効率もいい。アイツらに任せると、結局私がもう一度やらなくちゃいけない羽目になりそうだ。
ところで、引越しの度にワンサカ処分しているように思うのに、あるわ、あるわ、山のような荷物。普段は使わないものを、新居の地下に運んだけれど、大家さんが用意してくれた4つのラックはもう一杯になり、それでも入りきらないものが外に溢れている。
現在、こちらの家には最低限の物しか残っていないんだけれど、はっきり言って、それだけで十分生活できている・・・。
実は、私は普段は「捨てられない」人。つい「もったいない」精神が出て、「捨てる」と言う行為がなかなかできない。ならば買わなきゃいいんだけど、こっちは「もったいない」精神が働かず、つい買ってしまう。それで物は増える一方なのだ。・・・使わないのに。
日本の場合は、「捨てる」しかオプションがなくて、おまけに、処分するのにお金まで払わなくちゃならない。それでなかなか処分できないでいた。
思い起こせば、サウジ時代は良かったなぁ。誰かが帰国をするたびに開くガレージセールに便乗させてもらって、我が家の不要品を一緒に売るのだ。こうして処分すると、罪悪感は感じないし、おまけに結構いいお小遣いになったし。(売っている側から、すぐ横で誰かが処分しているものを買って帰ったりするんだけど・・・。) 3ヶ月に1度はガレージセールに参加していたような気がする。
お客さんには、コンパウンド内でメイドや作業者として働いている人たちが多く混じっていて、本当にありとあらゆるものが売れるのだ。最後に売れ残っても、貰ってくれるし。ありがたい処分方法だった。
アメリカでもガレージセールは出来るけど、結構その準備が面倒。そこで、私はもっぱら「寄付」と言う手段に訴える。サルベーションアーミーやグッドウィルと言ったところが、不要品をみんな引き取ってくれる。だから同じく罪悪感をあまり感じずに処分できる。
お金はくれないけど、その代わり「寄付」したものの領収書をくれる。価値は自己申告。一体どのくらいで申告すれば良いのかわからなかったので、物知りのMに相談したら、「売れる価格の4分の1くらい」だそう。なるほど。寄付した金額は、減税の対象になるのだ。
今も我が家の地下に、不要品が堆く積まれている。いや、減税対象の宝の山だ。
2008年7月7日月曜日
引越し(2)
世間は独立記念日の3連休と言うのに、我が家はまさに引越しに明け暮れた3日間だった。
お陰で、家の中の殆どの物は新居に移動。残るは大物と、日々必要な細々とした物。案外この細かいやつが最後に面倒なことになりそうだ。
新居は、改めて狭いと痛感。でも地下がとてもきれいなので、かなりの物が収納できそう。バスルームにタオルをしまえるようなキャビネットもないし、キッチンの収納も今と比べると少なくなるので、普段使わないものは全て地下に収納することになりそう。
今の大家さんもいい人だったけれど、どうやら今度の大家さんはスーパーナイスみたい。そもそも、地下室に新しいタイルを敷いて壁をきれいに塗ってくれるとは、聞いていたけれど、実際はそれだけでなく、地下室のメーターがむき出しになっていたところはクローゼットを付けて隠してくれ、窓にはブラインドを付けてくれた。「シナコちゃんが、地下にソファーを入れたいって言っていたから、この方がいいでしょ」と大家さん。また収納用のラックも、新しいのを4つ入れてくれていた。
しかも2階のカーペットは新しいものが敷かれて、ブラインドもほぼ全部が新品に変わっていてびっくり。鍵を貰いに行った日には、古いゴミ箱とリサイクルの容器を見て、「新しいものを買ってあげる」と言われ、2階のマスターベッドルームのドアも、締りが悪いうえにガラス戸(変なの)だったので、新しいドアに換えてくれると言う。
不動産屋さんの人も、あの大家さんは普通では考えられないくらい親切、と言っていた。そして「つまりは、それだけきれいに住んで欲しいってことですよね」と釘を刺された。ジョダコの毛が落ちるし・・・すぐに汚れそうだけれど、ちゃんときれいにしなければ・・・とプレッシャーがかかる。
各ベッドルームの大きさは変わらないけれど、現在あるリビングとファミリールームを合わせた広さが、リビングひとつになって、3分の1になる。今のファミリールームに2枚敷いてあるラグが、新しいリビングでは1枚で用が足りてしまった。余った1枚を地下の反面に敷き、ソファーを2つ置く。リビングには取り合えずソファーはひとつ。お金に余裕が出来たら、一人がけのソファーを買おうかと話している。リビングには更にピアノも入るし、それで一杯になるだろう。
困ったのが私のどでかいデスク。今はリビング(ダイニング)に置いているけれど、行き場がない。そこでシナコの小さなデスクと交換してもらい、小さなデスクのほうをキッチンに置いて私のオフィスとすることにした。キッチンも、テーブルに加え、このデスクと本箱、ファイルケースなどが入って、一杯一杯になる。
でもひとつ嬉しいのが、メインベッドルームのクローゼットはウォークインで、今まで別のところに溢れていた洋服がみんなクローゼットに収まったの! 超嬉しい。
ま、狭くはなるけれど、その分光熱費も安くなるはずだし、掃除の時間も少なくて済むはず。あ、でも、今度はセントラルエアコンなので、一日中エアコンつけていると、やっぱり電気代高くつくのかなぁ・・・。
明日ピアノを運送して、10日に残り全てを運ぶ。11日、12日で、この家をお掃除して・・・おしまい!
お陰で、家の中の殆どの物は新居に移動。残るは大物と、日々必要な細々とした物。案外この細かいやつが最後に面倒なことになりそうだ。
新居は、改めて狭いと痛感。でも地下がとてもきれいなので、かなりの物が収納できそう。バスルームにタオルをしまえるようなキャビネットもないし、キッチンの収納も今と比べると少なくなるので、普段使わないものは全て地下に収納することになりそう。
今の大家さんもいい人だったけれど、どうやら今度の大家さんはスーパーナイスみたい。そもそも、地下室に新しいタイルを敷いて壁をきれいに塗ってくれるとは、聞いていたけれど、実際はそれだけでなく、地下室のメーターがむき出しになっていたところはクローゼットを付けて隠してくれ、窓にはブラインドを付けてくれた。「シナコちゃんが、地下にソファーを入れたいって言っていたから、この方がいいでしょ」と大家さん。また収納用のラックも、新しいのを4つ入れてくれていた。
しかも2階のカーペットは新しいものが敷かれて、ブラインドもほぼ全部が新品に変わっていてびっくり。鍵を貰いに行った日には、古いゴミ箱とリサイクルの容器を見て、「新しいものを買ってあげる」と言われ、2階のマスターベッドルームのドアも、締りが悪いうえにガラス戸(変なの)だったので、新しいドアに換えてくれると言う。
不動産屋さんの人も、あの大家さんは普通では考えられないくらい親切、と言っていた。そして「つまりは、それだけきれいに住んで欲しいってことですよね」と釘を刺された。ジョダコの毛が落ちるし・・・すぐに汚れそうだけれど、ちゃんときれいにしなければ・・・とプレッシャーがかかる。
各ベッドルームの大きさは変わらないけれど、現在あるリビングとファミリールームを合わせた広さが、リビングひとつになって、3分の1になる。今のファミリールームに2枚敷いてあるラグが、新しいリビングでは1枚で用が足りてしまった。余った1枚を地下の反面に敷き、ソファーを2つ置く。リビングには取り合えずソファーはひとつ。お金に余裕が出来たら、一人がけのソファーを買おうかと話している。リビングには更にピアノも入るし、それで一杯になるだろう。
困ったのが私のどでかいデスク。今はリビング(ダイニング)に置いているけれど、行き場がない。そこでシナコの小さなデスクと交換してもらい、小さなデスクのほうをキッチンに置いて私のオフィスとすることにした。キッチンも、テーブルに加え、このデスクと本箱、ファイルケースなどが入って、一杯一杯になる。
でもひとつ嬉しいのが、メインベッドルームのクローゼットはウォークインで、今まで別のところに溢れていた洋服がみんなクローゼットに収まったの! 超嬉しい。
ま、狭くはなるけれど、その分光熱費も安くなるはずだし、掃除の時間も少なくて済むはず。あ、でも、今度はセントラルエアコンなので、一日中エアコンつけていると、やっぱり電気代高くつくのかなぁ・・・。
明日ピアノを運送して、10日に残り全てを運ぶ。11日、12日で、この家をお掃除して・・・おしまい!
2008年6月12日木曜日
引越し(1)
さて、さて、昨日いらしたB子さんよりメールがあり、めでたくIKEAもマッサージチェアも卓球台も、お引取り願えるみたい。嬉しいなぁ。
今回はプライベートな引越しなので、もちろん費用は全て自分持ち。運送業者の見積もりは数社から取ったけれど、アメリカの業者はウェブサイトから運ぶ予定の荷物をインプットして計算する方法。それで行くと、作業者3人で、1250ドルと出た。後でいくつか入力し忘れたアイテムもあったし、これはあくまで見積もりで、実際の費用はその日にどれくらいの時間がかかったかで計算される。
もちろん日系の業者にもお願いした。この時期は日本向けと日本からの引越しのピークで、Y社には、鼻も引っ掛けられず、「一杯です」と即座に断られた。でももともと本命はN社。これまでに引越しは全てN社だったし、その昔、会社勤めで貿易業務に関わっていたときも、N社だったし、ついでにBFもN社だったしで、常に親近感を感じていたから、やっぱりここが一番かなと思っていた。
お願いすると、いつでも空いてますと言われた。実は、後で聞いたのは、夫の会社と取引があるから、特別に便宜を図ってくださったらしい。悲しいけれど、会社の名前を盾にしないと、物事はスムーズにはかどらないのね・・・。早速見積もりに来てくれて、見積額は上記の金額より高い1480ドルだけれど、作業者は4人だし、頑張って運ぶアイテムを減らして当日少しでも早く終われば安くなるかも。
今日、確認の電話があった時に、何時間での見積りか聞いてみると、8時間だとのこと。ところが、よくよく聞くと、この8時間はトラックがNJにあるオフィスを出発してからの時間なんだって。えー、それってないよ~。だってNJからCTへは必ず橋をわたらなければならなくて、この橋が混むのだ! 悪名高きジョージワシントン・ブリッジを越えてくるのか、北へ回ってタッパンジー・ブリッジを越えてくるのか知らないけど、渋滞ひどい時には2時間くらいかかるのよ。
そこで、我が家の台所事情をアピールしておいた。
「わかります、うちも大学生の子がいますから、大変ですよねぇ」と、事務のオバサンとは心が通じ合ったが、とにかく請求書にそれを反映してね。
「担当の者に伝えておきますが、理不尽な額を請求することはありません」と言ってくれたから、大丈夫よね?
家にあるピアノも卓球台も、日本に帰国される方から買い受けたものだけれど、先方の引越しの一部として無料で運んでもらった。ついでだから親切で運んでくださるのだと思っていたけど、かかった時間分の費用は、しっかり会社側に請求されていたのね・・・。
きっと今回の規模の引越しだったら、アメリカ人なら、いや、オハイオに住むアメリカ人なら、自分でトラック借りてきて、友達数人に頼んで自分たちでやっちゃうんだろうなぁ。
あ、ところでKDDの話。B子さんは、85年入社の8運で8時出勤。3年ちょっといらしたそう。私が80年入社で83年まで。同じく8時出で、記憶が正しければ8期だったと思う。(すごい、8時出勤の8運の8期。888だわ。) B子さんと重なって、共通の知り合いがいるんじゃないかと思うんだけれど。エリちゃん、Cちゃん、知らない? サザエさんが残っていたかも。あ、スーパーで、山下さんってオバサンいたよね、結構怖い感じの。でも何故か私は彼女に気に入られていたんだけど・・・。
今回はプライベートな引越しなので、もちろん費用は全て自分持ち。運送業者の見積もりは数社から取ったけれど、アメリカの業者はウェブサイトから運ぶ予定の荷物をインプットして計算する方法。それで行くと、作業者3人で、1250ドルと出た。後でいくつか入力し忘れたアイテムもあったし、これはあくまで見積もりで、実際の費用はその日にどれくらいの時間がかかったかで計算される。
もちろん日系の業者にもお願いした。この時期は日本向けと日本からの引越しのピークで、Y社には、鼻も引っ掛けられず、「一杯です」と即座に断られた。でももともと本命はN社。これまでに引越しは全てN社だったし、その昔、会社勤めで貿易業務に関わっていたときも、N社だったし、ついでにBFもN社だったしで、常に親近感を感じていたから、やっぱりここが一番かなと思っていた。
お願いすると、いつでも空いてますと言われた。実は、後で聞いたのは、夫の会社と取引があるから、特別に便宜を図ってくださったらしい。悲しいけれど、会社の名前を盾にしないと、物事はスムーズにはかどらないのね・・・。早速見積もりに来てくれて、見積額は上記の金額より高い1480ドルだけれど、作業者は4人だし、頑張って運ぶアイテムを減らして当日少しでも早く終われば安くなるかも。
今日、確認の電話があった時に、何時間での見積りか聞いてみると、8時間だとのこと。ところが、よくよく聞くと、この8時間はトラックがNJにあるオフィスを出発してからの時間なんだって。えー、それってないよ~。だってNJからCTへは必ず橋をわたらなければならなくて、この橋が混むのだ! 悪名高きジョージワシントン・ブリッジを越えてくるのか、北へ回ってタッパンジー・ブリッジを越えてくるのか知らないけど、渋滞ひどい時には2時間くらいかかるのよ。
そこで、我が家の台所事情をアピールしておいた。
「わかります、うちも大学生の子がいますから、大変ですよねぇ」と、事務のオバサンとは心が通じ合ったが、とにかく請求書にそれを反映してね。
「担当の者に伝えておきますが、理不尽な額を請求することはありません」と言ってくれたから、大丈夫よね?
家にあるピアノも卓球台も、日本に帰国される方から買い受けたものだけれど、先方の引越しの一部として無料で運んでもらった。ついでだから親切で運んでくださるのだと思っていたけど、かかった時間分の費用は、しっかり会社側に請求されていたのね・・・。
きっと今回の規模の引越しだったら、アメリカ人なら、いや、オハイオに住むアメリカ人なら、自分でトラック借りてきて、友達数人に頼んで自分たちでやっちゃうんだろうなぁ。
あ、ところでKDDの話。B子さんは、85年入社の8運で8時出勤。3年ちょっといらしたそう。私が80年入社で83年まで。同じく8時出で、記憶が正しければ8期だったと思う。(すごい、8時出勤の8運の8期。888だわ。) B子さんと重なって、共通の知り合いがいるんじゃないかと思うんだけれど。エリちゃん、Cちゃん、知らない? サザエさんが残っていたかも。あ、スーパーで、山下さんってオバサンいたよね、結構怖い感じの。でも何故か私は彼女に気に入られていたんだけど・・・。
2008年6月11日水曜日
こんなことってあるんだなぁ・・・
この家の新たな借り手となるご夫婦が、再度家を見たいからと、今朝うちに来られることになっていた。不動産屋のエージェントも来られることになっていたが、おそらくマンハッタンに宿泊中のご夫妻(日本人)は電車で直接来られるので、この家で落ち合うことになっていた。
ご主人は既に赴任され、奥様は家探しのために短期でNYに来られている模様。
今朝、「で、結局どの人に決まったの?」夫にと聞かれ、
「私が日曜日に出かけていた間に来たご夫婦だって。ほらね、やっぱり、ちゃんと奥さんが来て一緒に家探しするんだよ!」と、未だに2年前の事を根に持っている私。
夫が毎週末、熱心に家探しをしてくれていることは知っていたけれど、学区のことなどかなり詳しく調査していた私としては、自分の目線で家を見たかった。だってその家に一番長い時間いるのは私じゃない。だから、ちょっとだけ私もNYに行きたいと言ったら、
「誰がシナコを見るんだよ。どうせお前は遊びに来たいだけだろ」みたいに言われてかなり憤慨した。確かにシナコの問題があったから、私にしては珍しく素直にあきらめたものの、この家の掃除が行き届いてなくて、おまけにゲジゲジの館だと判明したときは、「ほら、私が見てたら、ちゃんとお掃除してもらってたのにぃ!」と、めちゃくちゃ怒った。
それはさて置き、この家を借りることに決めた人が、私が留守のときに訪ねて来た人たちだったということも、少々ショックである。だって、それまでとっかえひっかえ家を見に来る人たちに、まるで大家さんのスポークスマンのごとく、この家がどんなに素晴らしいか、大家さんがどれほどナイスな人か、宣伝していたのに、こともあろうに私の努力の成果とは全く関係ないところで決まってしまうとは。宣伝能力のなさを思い知らされたというか、当日家にいた夫に軍配が上がったようで、ちと悔しいのだ。
で、今朝は先にエージェントの方が到着された。
「きっと奥様の方からいろいろご質問されると思いますので、よろしくお願いします。」
「あ、任せてください。絶対ポジティブなことしか話しませんから。契約不成立になったら悪いですからね。ネガティブな話は口が裂けても言いませんよ。は、は、は・・・。」
まもなく、そのご夫婦が到着された。仮にA男さんとB子さんご夫妻としよう。
今朝も、エージェンシーの方を迎えるため外に出たとき、ピーターが庭に居た。丁度のその話をしていたところだった。
そこで、「ここね、ウサギが居るんですよ!」
日本から来られる人に、「ウサギがお庭にいるお家なんて素敵でしょ」というアピールであった。
すると、A男さんとB子さんが口を揃えて、
「知ってます。」
「へ・・・?」
「あ、ブログで読みました。」
どっひゃー!
「え、嘘。ホントですか!? 嘘。え、じゃ、みんなばれてる? みんな。ゲジゲジの話も?」
「はい、ばれてます。」
A男さんはコネチカット州の運転免許のことを調べたいと思い、ネットで検索していたそうだ。すると私のブログのページがヒットしたそう。見てみると、自分たちが借りようとしている家にソックリの写真が出ているではないか。しかも昨日のブログには、ご丁寧に番地付きの郵便受けの写真まで。
「はれ~。いえね、今ね、絶対にポジティブな話しかしないで置こうって話していたところなんですよ。そうですか、全部ばれてますか・・・。」
B子さんはご主人にブログの存在を教えてもらって、何時間もかけて隅々まで読んでくださったようだ。そこには、私たちの宿替えの理由もちゃんと書いてあるし、最近はこの家に対する未練と愛着の情も書き綴っていたし、契約が流れる要素はないと思う。でも一応念押しもしておいた。ブログのせいで契約不成立にはしないですよねって。(でも、にわかに不安になって、ご夫妻が帰られたあと、私も何時間もかけて自分のブログを読み直しましたよ。どんなこと書いたか覚えてないし。家はともかく、なんかマズイこと書いてなかったかと・・・。今のところセーフ。)
お二人も関西ご出身で、にわかに親近感も湧き、またB子さんは私の「後輩」でもあった。そ、KDDの短時間制職員をされていたそう。これも驚き。何かご縁を感じてしまいました。
「新しい入居者が決まりました」と書いた数日前のブログに、「それは私です」と思わずコメントしようかと思ったとか。そうしてもらったら、ますますびっくりだったのに。
試しに「コネチカット、免許」と入れてグーグルで検索してみたら、上から4つ目に出てきた・・・。
悪いことはできませんね(やってないけど)。ブログでアイデンティティーは隠しているつもりだったけれど、最近は、じいちゃん・ばあちゃんが孫たちの写真も見たかろうと、娘たちの写真も掲載し始めたし、どこでどうなっているか解らないので、気をつけねばなりません。口が裂けても、人様の悪口とか中傷とか書いてはいけませぬ。あ、夫は別。ま、夫はこのブログのアドレス知らないから。興味もないらしいし。読んだらムカつくだけと知っていて、避けているか。義母もPCないから、読めないし(ほっ)。
親近感を感じて、早速、A男さんとB子さんに、ご相談を持ちかけた。
実は、我が家には1年半前に購入したIKEAの洋服ダンスがある。夫イメルダの洋服と靴が、備え付けのクローゼットには収まり切らないからです。
イメルダってのも死語かな。フィリピンの元独裁者マルコスの妻、イメルダ。彼女はものすごい数の靴を持っていたと言う。今なら、お洒落にSex and the Cityのキャリーってところか。オハイオから帰国したとき、玄関の靴箱は全て夫の靴に埋め尽くされ、ウォークインクロゼットの中にも大量の服。箪笥も同様。私のものを入れる隙がなかった。渡米前にかなり処分してもらい、こっちに来て洋服が入りきらないと気づいて、再び処分。そしてつい先日も大きな紙袋に9袋分の古着をSalvation Armyに持っていったところ。但しこの9袋のうち7袋までは私と娘のものだったけど。
本当は夫ばかりも責めらない。私に散々文句を言われて、可哀そうに彼は、NYに赴任してから、いや、正確には私が到着してから、洋服も靴も一切買っていない。一方、私のほうは、日本に帰国してから仕事着が必要となり、かなりの数の洋服を買い込んだ。だってオハイオ時代はユニフォームだったから、洋服要らなかったんだもん。パジャマとまでは行かないが(サウジ時代にはアバヤの下はパジャマで外出したが)、どうでもいいTシャツを来て出勤していた。たまに上着を脱ぐ必要があったときには焦った。
ところが、かなり投資した上等の服も、アメリカに来てからあれよあれよと言う間に入らなくなった。日本じゃ結構歩くし、自然と食べるものも健康的。ところがこっちじゃ動かないし、しばらくは立派な専業主婦をしていたから、あの生活で太らないわけがない。(「2007年のコネチカット通信その4」をご覧あれ。)今も家にいるときは大差のない生活。加えて、何を隠そう私のバックグラウンドはアパレル業界なのだ。また父親も繊維関係、主に婦人服の問屋業を営んでいたから、小さい頃から、洋服の数だけは多かった。娘たちにもその昔は必要以上に洋服を買い、また貰い受け、シナコなんて一時はワンピースだけで60着持っていた。(まさにイメルダ状態。)今にして思えば、あのお金を大学資金に貯蓄しておくべきだった・・・。
限りなく話は逸れたが、IKEAの話。
それでIKEAの組み立て家具のクローゼットを買い、夫と二人でほぼ1日かかりで組み立てた。大きな家具で、リビングで組み立ててからベッドルームに運ぶことはできないので、設置場所であるキニコの寝室の中で組み立てた。立派なものができて、かなり満足。
昨日、引越し業者さんに見積りに来てもらった。お金をセーブするために、大物の家具だけを頼み、残りは全て自分たちで運ぶことにしている。「自分たち」と複数で書いたけれど、正味は私一人だ。夫にも「引越しは独りでやるから」なんて大見得を切ってしまったし。とほほ・・・。
で、IKEAのタンスを見て、「これは分解しておいてくださいね。それで運んでからもお客さんが再組立てしてください。」
「え、やってもらえないんですか?」
「もちろんやりますよ。でも分解する時間がかかりますし、IKEAの家具って組み立てるの結構大変なんですよ。その時間分全部チャージされちゃいますよ。」
そうなのか。確か組立てるのに1日かかったし、大きかったからかなり苦労した。ならば、新しく入居される方に相談して、できれば買っていただこうと思っていたのだ。この家は築が古いから、クローゼットも小さい。他に押入れがあるわけでもないし、洋服が入れられるスペースは限られている。地下には物が置けるスペースはたくさんあるけれど、毎日必要な物を置くには不便だ。
と言うことで考えていただくようにお願いした。家計簿を調べると購入時457.87ドルのあのクローゼットも、私たち二人の工賃も入っているから、えーっと、このあたりの車のディーラーのLaborが時間90ドル。そこまで専門的じゃないから、半額として45ドル。掛ける2人。掛ける5時間としても・・・、これだけで450ドル。A男さんとB子さん、買って下さらないかなぁ・・・。
ご主人は既に赴任され、奥様は家探しのために短期でNYに来られている模様。
今朝、「で、結局どの人に決まったの?」夫にと聞かれ、
「私が日曜日に出かけていた間に来たご夫婦だって。ほらね、やっぱり、ちゃんと奥さんが来て一緒に家探しするんだよ!」と、未だに2年前の事を根に持っている私。
夫が毎週末、熱心に家探しをしてくれていることは知っていたけれど、学区のことなどかなり詳しく調査していた私としては、自分の目線で家を見たかった。だってその家に一番長い時間いるのは私じゃない。だから、ちょっとだけ私もNYに行きたいと言ったら、
「誰がシナコを見るんだよ。どうせお前は遊びに来たいだけだろ」みたいに言われてかなり憤慨した。確かにシナコの問題があったから、私にしては珍しく素直にあきらめたものの、この家の掃除が行き届いてなくて、おまけにゲジゲジの館だと判明したときは、「ほら、私が見てたら、ちゃんとお掃除してもらってたのにぃ!」と、めちゃくちゃ怒った。
それはさて置き、この家を借りることに決めた人が、私が留守のときに訪ねて来た人たちだったということも、少々ショックである。だって、それまでとっかえひっかえ家を見に来る人たちに、まるで大家さんのスポークスマンのごとく、この家がどんなに素晴らしいか、大家さんがどれほどナイスな人か、宣伝していたのに、こともあろうに私の努力の成果とは全く関係ないところで決まってしまうとは。宣伝能力のなさを思い知らされたというか、当日家にいた夫に軍配が上がったようで、ちと悔しいのだ。
で、今朝は先にエージェントの方が到着された。
「きっと奥様の方からいろいろご質問されると思いますので、よろしくお願いします。」
「あ、任せてください。絶対ポジティブなことしか話しませんから。契約不成立になったら悪いですからね。ネガティブな話は口が裂けても言いませんよ。は、は、は・・・。」
まもなく、そのご夫婦が到着された。仮にA男さんとB子さんご夫妻としよう。
今朝も、エージェンシーの方を迎えるため外に出たとき、ピーターが庭に居た。丁度のその話をしていたところだった。
そこで、「ここね、ウサギが居るんですよ!」
日本から来られる人に、「ウサギがお庭にいるお家なんて素敵でしょ」というアピールであった。
すると、A男さんとB子さんが口を揃えて、
「知ってます。」
「へ・・・?」
「あ、ブログで読みました。」
どっひゃー!
「え、嘘。ホントですか!? 嘘。え、じゃ、みんなばれてる? みんな。ゲジゲジの話も?」
「はい、ばれてます。」
A男さんはコネチカット州の運転免許のことを調べたいと思い、ネットで検索していたそうだ。すると私のブログのページがヒットしたそう。見てみると、自分たちが借りようとしている家にソックリの写真が出ているではないか。しかも昨日のブログには、ご丁寧に番地付きの郵便受けの写真まで。
「はれ~。いえね、今ね、絶対にポジティブな話しかしないで置こうって話していたところなんですよ。そうですか、全部ばれてますか・・・。」
B子さんはご主人にブログの存在を教えてもらって、何時間もかけて隅々まで読んでくださったようだ。そこには、私たちの宿替えの理由もちゃんと書いてあるし、最近はこの家に対する未練と愛着の情も書き綴っていたし、契約が流れる要素はないと思う。でも一応念押しもしておいた。ブログのせいで契約不成立にはしないですよねって。(でも、にわかに不安になって、ご夫妻が帰られたあと、私も何時間もかけて自分のブログを読み直しましたよ。どんなこと書いたか覚えてないし。家はともかく、なんかマズイこと書いてなかったかと・・・。今のところセーフ。)
お二人も関西ご出身で、にわかに親近感も湧き、またB子さんは私の「後輩」でもあった。そ、KDDの短時間制職員をされていたそう。これも驚き。何かご縁を感じてしまいました。
「新しい入居者が決まりました」と書いた数日前のブログに、「それは私です」と思わずコメントしようかと思ったとか。そうしてもらったら、ますますびっくりだったのに。
試しに「コネチカット、免許」と入れてグーグルで検索してみたら、上から4つ目に出てきた・・・。
悪いことはできませんね(やってないけど)。ブログでアイデンティティーは隠しているつもりだったけれど、最近は、じいちゃん・ばあちゃんが孫たちの写真も見たかろうと、娘たちの写真も掲載し始めたし、どこでどうなっているか解らないので、気をつけねばなりません。口が裂けても、人様の悪口とか中傷とか書いてはいけませぬ。あ、夫は別。ま、夫はこのブログのアドレス知らないから。興味もないらしいし。読んだらムカつくだけと知っていて、避けているか。義母もPCないから、読めないし(ほっ)。
親近感を感じて、早速、A男さんとB子さんに、ご相談を持ちかけた。
実は、我が家には1年半前に購入したIKEAの洋服ダンスがある。夫イメルダの洋服と靴が、備え付けのクローゼットには収まり切らないからです。
イメルダってのも死語かな。フィリピンの元独裁者マルコスの妻、イメルダ。彼女はものすごい数の靴を持っていたと言う。今なら、お洒落にSex and the Cityのキャリーってところか。オハイオから帰国したとき、玄関の靴箱は全て夫の靴に埋め尽くされ、ウォークインクロゼットの中にも大量の服。箪笥も同様。私のものを入れる隙がなかった。渡米前にかなり処分してもらい、こっちに来て洋服が入りきらないと気づいて、再び処分。そしてつい先日も大きな紙袋に9袋分の古着をSalvation Armyに持っていったところ。但しこの9袋のうち7袋までは私と娘のものだったけど。
本当は夫ばかりも責めらない。私に散々文句を言われて、可哀そうに彼は、NYに赴任してから、いや、正確には私が到着してから、洋服も靴も一切買っていない。一方、私のほうは、日本に帰国してから仕事着が必要となり、かなりの数の洋服を買い込んだ。だってオハイオ時代はユニフォームだったから、洋服要らなかったんだもん。パジャマとまでは行かないが(サウジ時代にはアバヤの下はパジャマで外出したが)、どうでもいいTシャツを来て出勤していた。たまに上着を脱ぐ必要があったときには焦った。
ところが、かなり投資した上等の服も、アメリカに来てからあれよあれよと言う間に入らなくなった。日本じゃ結構歩くし、自然と食べるものも健康的。ところがこっちじゃ動かないし、しばらくは立派な専業主婦をしていたから、あの生活で太らないわけがない。(「2007年のコネチカット通信その4」をご覧あれ。)今も家にいるときは大差のない生活。加えて、何を隠そう私のバックグラウンドはアパレル業界なのだ。また父親も繊維関係、主に婦人服の問屋業を営んでいたから、小さい頃から、洋服の数だけは多かった。娘たちにもその昔は必要以上に洋服を買い、また貰い受け、シナコなんて一時はワンピースだけで60着持っていた。(まさにイメルダ状態。)今にして思えば、あのお金を大学資金に貯蓄しておくべきだった・・・。
限りなく話は逸れたが、IKEAの話。
それでIKEAの組み立て家具のクローゼットを買い、夫と二人でほぼ1日かかりで組み立てた。大きな家具で、リビングで組み立ててからベッドルームに運ぶことはできないので、設置場所であるキニコの寝室の中で組み立てた。立派なものができて、かなり満足。
昨日、引越し業者さんに見積りに来てもらった。お金をセーブするために、大物の家具だけを頼み、残りは全て自分たちで運ぶことにしている。「自分たち」と複数で書いたけれど、正味は私一人だ。夫にも「引越しは独りでやるから」なんて大見得を切ってしまったし。とほほ・・・。
で、IKEAのタンスを見て、「これは分解しておいてくださいね。それで運んでからもお客さんが再組立てしてください。」
「え、やってもらえないんですか?」
「もちろんやりますよ。でも分解する時間がかかりますし、IKEAの家具って組み立てるの結構大変なんですよ。その時間分全部チャージされちゃいますよ。」
そうなのか。確か組立てるのに1日かかったし、大きかったからかなり苦労した。ならば、新しく入居される方に相談して、できれば買っていただこうと思っていたのだ。この家は築が古いから、クローゼットも小さい。他に押入れがあるわけでもないし、洋服が入れられるスペースは限られている。地下には物が置けるスペースはたくさんあるけれど、毎日必要な物を置くには不便だ。
と言うことで考えていただくようにお願いした。家計簿を調べると購入時457.87ドルのあのクローゼットも、私たち二人の工賃も入っているから、えーっと、このあたりの車のディーラーのLaborが時間90ドル。そこまで専門的じゃないから、半額として45ドル。掛ける2人。掛ける5時間としても・・・、これだけで450ドル。A男さんとB子さん、買って下さらないかなぁ・・・。
Salvation Armyにかなり持っていったので、今は結構スペースが空いてるでしょ。
寄付するとレシートがもらえて、その分が税金控除の対象になるのだが、9袋で一体どれくらいの価値かわからず、控えめに300ドルって申告をした。後で知人に聞いてみると、大体、その時点での販売価値(購入価値ではない)の15%が妥当だそうだ。夫のバーバリーのハーフジャケットもあったし・・・きっと価値としてはもっともっとあったはず。残念。
あと処分の対象は、地下の卓球台にマッサージチェア。次の家には当然置く場所がない・・・。日本出国前にマッサージチェアのコンセントがなくなって、わざわざコンセントを取り寄せてくれたRちゃん。ごめんね。やっぱり手放さなければならなさそうです。Salvation Armyに言えば、無料で取りに来てくれるはず。思えばあれも30万円したんだよね。サウジ成金時代の話です。(A男さん、B子さん、ご希望とあれば、差し上げますよ。)
2008年6月10日火曜日
ウサギと花
どうやら、ピーター母子のほかにもいるみたい。
ひょっとしたら親子3人家族かも。
さっき郵便を出しに行こうと外に出たら、2匹が前庭の芝生(って言うか、雑草)の上にチンと座っていた。慌ててカメラを取りに家に引き返し、写真を取った。この2匹は今朝見たピーターより大きくて、2匹ともほぼ同じくらいの体格。ピーターのお父さんとお母さんかな。(ピーターの写真と比べると解ると思うけれど、耳もちょっと長いし、毛並みも悪い。)

数枚写真を撮っていたら、なぜかジョダコが家から飛び出してきて、2匹を追っかけた。どうやら私がドアをちゃんと閉めていなかったらしい・・・。ジョダコより俊足だったと見え、すぐにジョダコは手ぶらで帰ってきた。良かった・・・。
そんなこんなで、すっかり郵便を出しに行くのを忘れ、しばらくしてからまた思い出した。(ところで、日本の皆様、郵便を出しに行くって言っても、自分の家のメールボックスに郵便物を入れておくだけです。郵送物がある時は郵便屋さんへのサインとして旗を立てておきます。10ってあるのは番地。)

で、郵便受まで行ったら、また側の植え込みからピーターが飛び出した。あの大きいほうの2匹はジョダに追いかけられて遠くに行っちゃったみたいだけど、この子はまだ残っていた模様。
ああ、ジョダコに恐れをなして、もう戻ってこなかったら嫌だな。
ついでに花の手入れをしようと、麦藁帽子を被って、ハサミと袋を手に庭に出た。オハイオで教えてもらったペチュニアの手入れ方法。花が咲いた後、すぐに枯れた花を摘み取っておけば、種を作るための栄養を使わないから、もっと元気に花が付くらしい。真っ盛りになると花の数も多くなるから、3日に1回くらい手入れしても、かなりの数の枯れた花を摘み取らなくちゃいけない。今日だけでも100個近く切ったよ。
でもこうして花の世話をしている時間って結構好き。
なんか年寄りじみてきたかなぁ。
でもさ、花もペットも、世話した分だけちゃんと見返りがあって、子供を育てるよりずっと世話のし甲斐あるのだ。だから花やジョダコには自然に優しい声が出るんだけど、振り向いて子供や夫に話す時は自然と声が1オクターブ声が下がるのである。
ひょっとしたら親子3人家族かも。
さっき郵便を出しに行こうと外に出たら、2匹が前庭の芝生(って言うか、雑草)の上にチンと座っていた。慌ててカメラを取りに家に引き返し、写真を取った。この2匹は今朝見たピーターより大きくて、2匹ともほぼ同じくらいの体格。ピーターのお父さんとお母さんかな。(ピーターの写真と比べると解ると思うけれど、耳もちょっと長いし、毛並みも悪い。)
数枚写真を撮っていたら、なぜかジョダコが家から飛び出してきて、2匹を追っかけた。どうやら私がドアをちゃんと閉めていなかったらしい・・・。ジョダコより俊足だったと見え、すぐにジョダコは手ぶらで帰ってきた。良かった・・・。
そんなこんなで、すっかり郵便を出しに行くのを忘れ、しばらくしてからまた思い出した。(ところで、日本の皆様、郵便を出しに行くって言っても、自分の家のメールボックスに郵便物を入れておくだけです。郵送物がある時は郵便屋さんへのサインとして旗を立てておきます。10ってあるのは番地。)
で、郵便受まで行ったら、また側の植え込みからピーターが飛び出した。あの大きいほうの2匹はジョダに追いかけられて遠くに行っちゃったみたいだけど、この子はまだ残っていた模様。
ああ、ジョダコに恐れをなして、もう戻ってこなかったら嫌だな。
ついでに花の手入れをしようと、麦藁帽子を被って、ハサミと袋を手に庭に出た。オハイオで教えてもらったペチュニアの手入れ方法。花が咲いた後、すぐに枯れた花を摘み取っておけば、種を作るための栄養を使わないから、もっと元気に花が付くらしい。真っ盛りになると花の数も多くなるから、3日に1回くらい手入れしても、かなりの数の枯れた花を摘み取らなくちゃいけない。今日だけでも100個近く切ったよ。
でもこうして花の世話をしている時間って結構好き。
なんか年寄りじみてきたかなぁ。
でもさ、花もペットも、世話した分だけちゃんと見返りがあって、子供を育てるよりずっと世話のし甲斐あるのだ。だから花やジョダコには自然に優しい声が出るんだけど、振り向いて子供や夫に話す時は自然と声が1オクターブ声が下がるのである。
未練
あと少しで引越しと思うと、だんだんこの家にも未練が出てくる。
ゲジゲジの館の地下室や、レンガ敷きで、くもの巣が至るところにすぐできるファミリールームとおさらばできるのは嬉しいけれど、春になると次々と花をつける表と裏庭の木々を来年は見られないと思うと寂しい。
これまで植物なんか全然興味はなかった。オハイオ時代のコンドミニアム時代(と言うと小洒落た響きだが、何のことはない洋風長屋だ)、ネコの額より狭いねずみの額ほどの中庭があり、中央には人工芝が敷いてあったが、塀に沿っての少しの部分が土だった。その少しの部分を、ジョダと分かち合って、半分はジョダのトイレ、残りを私の花壇とし、ペチュニアやインパシャンスを植えた。
周りの人々が花を植えて綺麗にしているから、半ば義務感から始めたものの、育ててみると案外可愛いかった。チェリートマトは次々と、余りにたくさん実を付けるものだから、食べないままに腐って行ったっけ。ジョダの有機肥やしで育っていると思うと、食欲をそそらぬと言うことでもあったのだが。
そして今年も、この家の付加価値を上げて大家さんから感謝され、できるだけたくさん敷金を返してもらおうと、ペチュニアを植え、他にもいくつかの花を買ってきて、裏庭と表に投資した。
ペチュニアは、少し花が出てきたところで、全て頭をちょん切ってやると、横に広がって行く・・・とオハイオの補習校で、春の花植えのお手伝いをした時に教わった。そこで少し花がついたところで、ちょんちょんと花を切って行った。
ところが、いつまで経っても殆ど花がつかない。なかなか暖かくならなかったから、お天気のせいかな・・・と思っていたのだが、先日、間近で見てみると、花が弁のところまで食べられてなくなっていることに気づいた。
実は我が家の庭にはウサギが2匹住んでいる。大きいのと小さいコットンテール(茶色で尻尾が白い)で、おそらく母子。小さいのは15センチくらいの大きさ。植え込みの中に巣があるのか、中でがさごそ音がしているし、しょっちゅう芝生にも出てきている。1メートルくらいまで近づいても逃げない。
今日も郵便を取りに出ると、ポストの下の植え込みの中から、チビが飛び出して行った。丁度お向かいの小学生の男の子たちが下校してきたところだった。
「ここにウサギが住んでるの知ってる?」
「うん、知ってるよ。家の花をみんな食べちゃったもん。」
「やっぱり。うちのだけじゃなかったんだ。」
「レタスを植えてるんだけれど、それもやられちゃった。」
「はは~ん。最近になってようやくうちの花が育ち始めたと思ったら、もっといいものを見つけたんだ。」
ここ2-3日、ヒートウェーブで猛暑となり、今日も気温は99度(37度!)。信じられない暑さ。(もったいないけれど、昼間からエアコンかけてます。)おまけに、2日前は夜中に嵐で、翌朝は学校の始業は1時間遅れ。嵐で木がたくさん折れて、通行が妨害されたため。太陽と雨がたくさんで、裏庭の雑草も思いっきり元気よく伸びたし(もう新しい入居者が決まったから、庭の手入れは怠慢しよう・・・)、それでペチュニアもたくさん咲き出したのかと思ったけど、どうやらウサギちゃんたち、もっと美味しいものを見つけたらしい。

子供のウサギ。コットンテールだし、ピーターって呼ぼう。
ゲジゲジの館の地下室や、レンガ敷きで、くもの巣が至るところにすぐできるファミリールームとおさらばできるのは嬉しいけれど、春になると次々と花をつける表と裏庭の木々を来年は見られないと思うと寂しい。
これまで植物なんか全然興味はなかった。オハイオ時代のコンドミニアム時代(と言うと小洒落た響きだが、何のことはない洋風長屋だ)、ネコの額より狭いねずみの額ほどの中庭があり、中央には人工芝が敷いてあったが、塀に沿っての少しの部分が土だった。その少しの部分を、ジョダと分かち合って、半分はジョダのトイレ、残りを私の花壇とし、ペチュニアやインパシャンスを植えた。
周りの人々が花を植えて綺麗にしているから、半ば義務感から始めたものの、育ててみると案外可愛いかった。チェリートマトは次々と、余りにたくさん実を付けるものだから、食べないままに腐って行ったっけ。ジョダの有機肥やしで育っていると思うと、食欲をそそらぬと言うことでもあったのだが。
そして今年も、この家の付加価値を上げて大家さんから感謝され、できるだけたくさん敷金を返してもらおうと、ペチュニアを植え、他にもいくつかの花を買ってきて、裏庭と表に投資した。
ペチュニアは、少し花が出てきたところで、全て頭をちょん切ってやると、横に広がって行く・・・とオハイオの補習校で、春の花植えのお手伝いをした時に教わった。そこで少し花がついたところで、ちょんちょんと花を切って行った。
ところが、いつまで経っても殆ど花がつかない。なかなか暖かくならなかったから、お天気のせいかな・・・と思っていたのだが、先日、間近で見てみると、花が弁のところまで食べられてなくなっていることに気づいた。
実は我が家の庭にはウサギが2匹住んでいる。大きいのと小さいコットンテール(茶色で尻尾が白い)で、おそらく母子。小さいのは15センチくらいの大きさ。植え込みの中に巣があるのか、中でがさごそ音がしているし、しょっちゅう芝生にも出てきている。1メートルくらいまで近づいても逃げない。
今日も郵便を取りに出ると、ポストの下の植え込みの中から、チビが飛び出して行った。丁度お向かいの小学生の男の子たちが下校してきたところだった。
「ここにウサギが住んでるの知ってる?」
「うん、知ってるよ。家の花をみんな食べちゃったもん。」
「やっぱり。うちのだけじゃなかったんだ。」
「レタスを植えてるんだけれど、それもやられちゃった。」
「はは~ん。最近になってようやくうちの花が育ち始めたと思ったら、もっといいものを見つけたんだ。」
ここ2-3日、ヒートウェーブで猛暑となり、今日も気温は99度(37度!)。信じられない暑さ。(もったいないけれど、昼間からエアコンかけてます。)おまけに、2日前は夜中に嵐で、翌朝は学校の始業は1時間遅れ。嵐で木がたくさん折れて、通行が妨害されたため。太陽と雨がたくさんで、裏庭の雑草も思いっきり元気よく伸びたし(もう新しい入居者が決まったから、庭の手入れは怠慢しよう・・・)、それでペチュニアもたくさん咲き出したのかと思ったけど、どうやらウサギちゃんたち、もっと美味しいものを見つけたらしい。
子供のウサギ。コットンテールだし、ピーターって呼ぼう。
仕事と引越し
4月、5月と割合に暇で、このまま開店休業状態が続くのかなぁ・・・と不安になっていたら、キニコの卒業式の後、にわかに忙しくなり始めた。アイツの学費も稼がにゃならんし、スケジュールの許す限り予定を入れ始めた。
おまけに7月10日に引越しを決めたから、その準備もある。
金曜日1件、土曜日3件、日曜日1件、そして今日も1件の訪問客と、立て続けに、この家を見に来る人が続き、うんざりし始めていた。これまでは、なるべく部屋を片付けていたけれど、シイナのひどく散らかった部屋を毎回片付けるのもアホらしくて、今日の訪問者には、ありのままの姿をご覧入れた。
で、夕方に嬉しいニュース。新たな借り手が見つかったとのこと。(無論、あのシイナのとっ散らかった部屋を見た人ではない。)良かった! これで落ち着いて生活できる。
さあ、頑張って働くぞ。キニコが帰ってきたので、気楽に家を空けられる。シナコは全く料理をしない(電子レンジのチンですら、めんどくさがってやらない)から、何か準備して出かけなくちゃいけないけれど、キニコがいればご飯のことは心配しなくていいし、ジョダが朝からご飯をもらっていないなんてことも起きない。
まだ免許がないから、買い物とシナコのピックアップができないのが残念。早く免許取って欲しいな~。(運転試験の予約の希望を出して、指定された日にしか試験を受けられないのだ。)
ということで、しばらく忙しくなります。
おまけに7月10日に引越しを決めたから、その準備もある。
金曜日1件、土曜日3件、日曜日1件、そして今日も1件の訪問客と、立て続けに、この家を見に来る人が続き、うんざりし始めていた。これまでは、なるべく部屋を片付けていたけれど、シイナのひどく散らかった部屋を毎回片付けるのもアホらしくて、今日の訪問者には、ありのままの姿をご覧入れた。
で、夕方に嬉しいニュース。新たな借り手が見つかったとのこと。(無論、あのシイナのとっ散らかった部屋を見た人ではない。)良かった! これで落ち着いて生活できる。
さあ、頑張って働くぞ。キニコが帰ってきたので、気楽に家を空けられる。シナコは全く料理をしない(電子レンジのチンですら、めんどくさがってやらない)から、何か準備して出かけなくちゃいけないけれど、キニコがいればご飯のことは心配しなくていいし、ジョダが朝からご飯をもらっていないなんてことも起きない。
まだ免許がないから、買い物とシナコのピックアップができないのが残念。早く免許取って欲しいな~。(運転試験の予約の希望を出して、指定された日にしか試験を受けられないのだ。)
ということで、しばらく忙しくなります。
キニコのお戻り
パーティーを転々として、ようやく昨日キニコが帰宅した。
いや、金曜の夜のパーティーに行くのをやめて、一旦予定より1日早く帰宅したのだが、それは体を休めるためで、翌日土曜日に再びニュージャージーでのパーティに出かけて行き、日曜日に帰ってきた。
パーティーはどんな内容だったのか聞くと、招待客は殆ど生徒たちだけで、他の招待客がいてもそれは親の友達か親戚くらい。
どのパーティーでもお酒が出て、キニコも飲んだらしい。法律では飲酒は21歳からだけれど、高校を出たら飲酒くらい普通になるのだろう。これは日本と変わらない。
あ、日本じゃ高校生も飲酒するよね。私が高校生のときは、頻繁ではないにしろ、もう友達と外で飲んでいたからな。ボトルキープしている子もいたよ。
さて、帰るなり、「夏休み、日本に帰りたいんだけど」と言う。
「バイトしてお金稼いでからにして。あ、それか、大阪のおばあちゃんが独りで寂しがっているし、片付けとか大変って言っているから、そこで掃除とか手伝ってあげたら?」って言うと、
「え? ホント? じゃ、そこから韓国に行ってもいい?」
やはり。本当の狙いはコレなのだ。韓国人の後輩ヘイの家に遊びに行きたいのだった。
ほんと、遊ぶことしか考えていない。夏休みくらいバイトして、学費の一部でも稼ぎ出せってんだ。
いや、金曜の夜のパーティーに行くのをやめて、一旦予定より1日早く帰宅したのだが、それは体を休めるためで、翌日土曜日に再びニュージャージーでのパーティに出かけて行き、日曜日に帰ってきた。
パーティーはどんな内容だったのか聞くと、招待客は殆ど生徒たちだけで、他の招待客がいてもそれは親の友達か親戚くらい。
どのパーティーでもお酒が出て、キニコも飲んだらしい。法律では飲酒は21歳からだけれど、高校を出たら飲酒くらい普通になるのだろう。これは日本と変わらない。
あ、日本じゃ高校生も飲酒するよね。私が高校生のときは、頻繁ではないにしろ、もう友達と外で飲んでいたからな。ボトルキープしている子もいたよ。
さて、帰るなり、「夏休み、日本に帰りたいんだけど」と言う。
「バイトしてお金稼いでからにして。あ、それか、大阪のおばあちゃんが独りで寂しがっているし、片付けとか大変って言っているから、そこで掃除とか手伝ってあげたら?」って言うと、
「え? ホント? じゃ、そこから韓国に行ってもいい?」
やはり。本当の狙いはコレなのだ。韓国人の後輩ヘイの家に遊びに行きたいのだった。
ほんと、遊ぶことしか考えていない。夏休みくらいバイトして、学費の一部でも稼ぎ出せってんだ。
2008年6月5日木曜日
2008年6月4日水曜日
卒業式
で、肝心の卒業式の話を書くのを忘れた。
式の前日の夜、学校のスケートリンクの上でディナーが催された。
「リンクの上でディナー?」と尋ねるシナコに、「そうだよ。寒いから厚着していかなきゃだめだよ。食事はウェイトレスがスケートしながら運んで来る」と言ったら信じた。簡単なヤツだ。
まさか。リンクでのディナーは本当だけど、氷が張ってるわけないでしょ。
10人掛けのテーブルが幾つも用意され、家族単位で席に着く。給仕は下級生のボランティア。招待客は卒業生一人に対して原則6人までで、あらかじめ申し込まなければならない。それでベッツーとアンドリューには遠慮してもらって、私たち夫婦、シナコの他、お母さん、オースティンで申し込んであったのに、見回すとみんな6人以上人を連れて来ている。代々この学校って人は事情を心得ているのだ。
ディナーの後は表彰式。スポーツ、芸術、いろんな活動、学業面での優秀さが認められた生徒たちが様々な賞を受賞する。全部で60以上の賞があり、177人が卒業するのだから、ざっと3人に1人が受賞する計算になる。
スポーツから始まり、生徒の名前が呼ばれる。キニコはスポーツでの受賞はありえない。芸術、これも関係ないな。このあたりから、同じ子の名前が呼ばれるようになる。次第に「え、またあの子?」って具合。これじゃ3人に1人どころか10人に1人にもならないかも。もらっている子は何度も何度も名前が呼ばれるのだ。
「キニコ、呼ばれないね・・・。あ、この賞くらいはどう。『教職員・生徒共に認めるみんなを盛り上げた人』っての。いや、やっぱりアンタは成績優秀者への学長賞で決まりだね」なんて冗談を言いながらも、内心はやっぱり穏やかでない。
そしてとうとう最後の賞。これはもう15個は賞をもらったと思われるキャロリン・リーが受賞。彼女は全米レベルのスピーチコンテストでも優勝していたし、これまでも何度も学校が発行する雑誌で名前が掲載されていた。キニコの仲良しエレンも7~8個は貰っていた。「最も学業優秀」っていう賞もその中にあった。ベッカも写真の賞と、学校生活に貢献した人への賞だった。ベッカのママのリンダは、「あー、ようやく3人目にして日の目を見たわ。ジョシュもザックも何もなしだったからね。ザックなんか、俺だって写真やってたし、全然ベッカよりうまいのにって、怒ってたわ。は、は、は。」
ディナーの後、エレンに会い、
「ねぇ、エレン。そんなにたくさんもらったんだから、1個ぐらいキニコにあげてよ」って言ったら、
「でも私はキニコみたいに、お母さんにミュージカルを捧げたりできないから。」と私を慰めてくれるじゃないの。なんと優しい子なのだ。ちなみに、エレンには1週間前にハーバードから合格通知が届いた。本当に良かったね!
さて、翌日の朝11時より卒業式。卒業式といえばキャップ&ガウンといういでたちが通常だが、この学校は伝統的に男子はブレザーに白のパンツ、女子は白のドレスと決まっている。卒業式のスピーカーとして招待されていたのは、Carry Me Home: Birmingham, Alabama—The Climactic Battle of the Civil Rights Revolutionと言う本でピューリッツァー賞を取ったDiane McWhorterと言う女性。残念ながらマイクがひとつの方向に向いていて、彼女があっちこっちを向きながら話すので、声がきれいに入らず何を言っているのか聞きづらかった。(ちなみに、今年から学長となった南アフリカ出身のマッケンジー先生もアクセントがあって、彼の祝辞もわかりにくかった。アパルトヘイトの中で育った学長ならではのスピーカーの人選と言う気がした。)
続いて卒業証書の授与。卒業生の人数の多い公立高校なら、次々に生徒の名前を読んで、列になって順序良く証書を受け取るのだろうか、たかだか177人の学校なので、一人ひとりが壇上に上がって、学長から証書を受け取る。呼ばれる際に、成績が良いと名前の後に「cum laude クムラウディー」つまり「成績優秀者」と付く。
当然エレンも前述のキャロリンもクムラウディー。30人弱はいたんじゃないだろうか。通常、クムラウディ、スンマクムラウディ(最優秀)なんて呼ばれるのは大学の卒業式。公立高校じゃ通常はやらないらしい。
さて、キニコの順番だ。耳を澄ます。
案の定、名前の後には静けさだけが漂っていた・・・。
あとでベッツィーが「キニコのとき、クムラウディって言うの忘れてたじゃない」と言うと、
「そうなの。先生に聞いたら、手違いで間違えたって言ってたよ」とキニコはジョークで返していた。
さあて、式の後はカフェテリアでランチョン。1時半ごろ食事を終え、キニコの寮へ向かう。部屋から荷物を出して、4時までにはキャンパスを出なければならないのだ。キニコの部屋を見た皆は愕然とした。あれだけ前々から少しずつ整理しておけって言っていたのに、何もしてないどころか、ものすごい有様。ま、想定内だったけれど。アンドリュー、オースティンにも手伝ってもらい、3階(実質は出口が地下なので階段の数から言えば4階と同じ)から何往復もして全ての荷物を下ろす。汗だくになり、無事4時にはキャンパスを後にした。
帰りにベッカの家に寄る約束をしていたので、そこでみんなでデザートをいただいた。
で、キニコはこれで一緒に帰るのかと言えばそうではないのだ。その夜は学校から10マイルほどの距離にあるマサチューセッツ州のある子の家で、卒業生全員を招いたパーティーが催される予定で、ベッカもキニコも参加する予定。それだけでなく、その後来る日も来る日も色々な子の家で、卒業パーティーが予定されており、キニコはパーティー梯子をするので、今週の土曜日までは帰宅しない。本当にはじけまくっている。
で、ベッカの家にキニコを残して私たちは辞去した。
キニコの荷物は今もまだ車の中に積んだまま。(当然卒業式にはそれを覚悟で車2台で行った。)オデッセイの助手席まで荷物で一杯。車が沈んでいる。でも、どうして私たちが荷下し作業しなくちゃいけないのだ、とむかつくので放置することにした。今週末、帰ってきたら片付けてもらおう。それにしてもあの大量の荷物を一体どこに置くのか。ゲジゲジの館の地下にでも放り込んでおいて貰おう。
そうそう、ディナーの席でキニコが言った。
「もうギャップイヤーするの辞めた。申し込んだプログラムからは何も言ってこないし、遅すぎたんだと思う。秋からはディキンソンに行きます。」
じゃ夏休みはしっかりバイトでもしてお金を稼いでもらおう。
式の前日の夜、学校のスケートリンクの上でディナーが催された。
「リンクの上でディナー?」と尋ねるシナコに、「そうだよ。寒いから厚着していかなきゃだめだよ。食事はウェイトレスがスケートしながら運んで来る」と言ったら信じた。簡単なヤツだ。
まさか。リンクでのディナーは本当だけど、氷が張ってるわけないでしょ。
10人掛けのテーブルが幾つも用意され、家族単位で席に着く。給仕は下級生のボランティア。招待客は卒業生一人に対して原則6人までで、あらかじめ申し込まなければならない。それでベッツーとアンドリューには遠慮してもらって、私たち夫婦、シナコの他、お母さん、オースティンで申し込んであったのに、見回すとみんな6人以上人を連れて来ている。代々この学校って人は事情を心得ているのだ。
ディナーの後は表彰式。スポーツ、芸術、いろんな活動、学業面での優秀さが認められた生徒たちが様々な賞を受賞する。全部で60以上の賞があり、177人が卒業するのだから、ざっと3人に1人が受賞する計算になる。
スポーツから始まり、生徒の名前が呼ばれる。キニコはスポーツでの受賞はありえない。芸術、これも関係ないな。このあたりから、同じ子の名前が呼ばれるようになる。次第に「え、またあの子?」って具合。これじゃ3人に1人どころか10人に1人にもならないかも。もらっている子は何度も何度も名前が呼ばれるのだ。
「キニコ、呼ばれないね・・・。あ、この賞くらいはどう。『教職員・生徒共に認めるみんなを盛り上げた人』っての。いや、やっぱりアンタは成績優秀者への学長賞で決まりだね」なんて冗談を言いながらも、内心はやっぱり穏やかでない。
そしてとうとう最後の賞。これはもう15個は賞をもらったと思われるキャロリン・リーが受賞。彼女は全米レベルのスピーチコンテストでも優勝していたし、これまでも何度も学校が発行する雑誌で名前が掲載されていた。キニコの仲良しエレンも7~8個は貰っていた。「最も学業優秀」っていう賞もその中にあった。ベッカも写真の賞と、学校生活に貢献した人への賞だった。ベッカのママのリンダは、「あー、ようやく3人目にして日の目を見たわ。ジョシュもザックも何もなしだったからね。ザックなんか、俺だって写真やってたし、全然ベッカよりうまいのにって、怒ってたわ。は、は、は。」
ディナーの後、エレンに会い、
「ねぇ、エレン。そんなにたくさんもらったんだから、1個ぐらいキニコにあげてよ」って言ったら、
「でも私はキニコみたいに、お母さんにミュージカルを捧げたりできないから。」と私を慰めてくれるじゃないの。なんと優しい子なのだ。ちなみに、エレンには1週間前にハーバードから合格通知が届いた。本当に良かったね!
さて、翌日の朝11時より卒業式。卒業式といえばキャップ&ガウンといういでたちが通常だが、この学校は伝統的に男子はブレザーに白のパンツ、女子は白のドレスと決まっている。卒業式のスピーカーとして招待されていたのは、Carry Me Home: Birmingham, Alabama—The Climactic Battle of the Civil Rights Revolutionと言う本でピューリッツァー賞を取ったDiane McWhorterと言う女性。残念ながらマイクがひとつの方向に向いていて、彼女があっちこっちを向きながら話すので、声がきれいに入らず何を言っているのか聞きづらかった。(ちなみに、今年から学長となった南アフリカ出身のマッケンジー先生もアクセントがあって、彼の祝辞もわかりにくかった。アパルトヘイトの中で育った学長ならではのスピーカーの人選と言う気がした。)
続いて卒業証書の授与。卒業生の人数の多い公立高校なら、次々に生徒の名前を読んで、列になって順序良く証書を受け取るのだろうか、たかだか177人の学校なので、一人ひとりが壇上に上がって、学長から証書を受け取る。呼ばれる際に、成績が良いと名前の後に「cum laude クムラウディー」つまり「成績優秀者」と付く。
当然エレンも前述のキャロリンもクムラウディー。30人弱はいたんじゃないだろうか。通常、クムラウディ、スンマクムラウディ(最優秀)なんて呼ばれるのは大学の卒業式。公立高校じゃ通常はやらないらしい。
さて、キニコの順番だ。耳を澄ます。
案の定、名前の後には静けさだけが漂っていた・・・。
あとでベッツィーが「キニコのとき、クムラウディって言うの忘れてたじゃない」と言うと、
「そうなの。先生に聞いたら、手違いで間違えたって言ってたよ」とキニコはジョークで返していた。
さあて、式の後はカフェテリアでランチョン。1時半ごろ食事を終え、キニコの寮へ向かう。部屋から荷物を出して、4時までにはキャンパスを出なければならないのだ。キニコの部屋を見た皆は愕然とした。あれだけ前々から少しずつ整理しておけって言っていたのに、何もしてないどころか、ものすごい有様。ま、想定内だったけれど。アンドリュー、オースティンにも手伝ってもらい、3階(実質は出口が地下なので階段の数から言えば4階と同じ)から何往復もして全ての荷物を下ろす。汗だくになり、無事4時にはキャンパスを後にした。
帰りにベッカの家に寄る約束をしていたので、そこでみんなでデザートをいただいた。
で、キニコはこれで一緒に帰るのかと言えばそうではないのだ。その夜は学校から10マイルほどの距離にあるマサチューセッツ州のある子の家で、卒業生全員を招いたパーティーが催される予定で、ベッカもキニコも参加する予定。それだけでなく、その後来る日も来る日も色々な子の家で、卒業パーティーが予定されており、キニコはパーティー梯子をするので、今週の土曜日までは帰宅しない。本当にはじけまくっている。
で、ベッカの家にキニコを残して私たちは辞去した。
キニコの荷物は今もまだ車の中に積んだまま。(当然卒業式にはそれを覚悟で車2台で行った。)オデッセイの助手席まで荷物で一杯。車が沈んでいる。でも、どうして私たちが荷下し作業しなくちゃいけないのだ、とむかつくので放置することにした。今週末、帰ってきたら片付けてもらおう。それにしてもあの大量の荷物を一体どこに置くのか。ゲジゲジの館の地下にでも放り込んでおいて貰おう。
そうそう、ディナーの席でキニコが言った。
「もうギャップイヤーするの辞めた。申し込んだプログラムからは何も言ってこないし、遅すぎたんだと思う。秋からはディキンソンに行きます。」
じゃ夏休みはしっかりバイトでもしてお金を稼いでもらおう。
2008年6月3日火曜日
終わった!
とうとうキニコの卒業式が終わった。
振り返って、結構感慨深いものがある。
ただ、娘が成長したと思う感慨深さではなくて、まったく自分勝手な感傷だが、キニコがホッチキスを受験し、入学して卒業するまでの5年間に本当に様々なことがあったなぁという思い。
5年前、私たちはオハイオ州に住んでいた。オハイオでの生活3年目のこと。夫に約束した帰国期限を既に3年も過ぎ、毎年のように来年は帰国するとふれ回っていたから、狼オバハン扱いされて久しかったし、ここらが潮時。そこで本気で帰国準備にかかろうとしていた。娘たちにもその旨伝えると、キニコは絶対に帰りたくないと言う。無理やり連れ帰って、グレられたりしてもと思い、プレップスクールを奨学金付で合格したら残っても良いと条件を出した。
「レイコ@チョート校」を読み、こんな学校があったのかと興味深く思っていたし・・・正直に言うと、そのときは愚かにもまだ「末はハーバードかイェールか」なんて夢を描いていた。
それから受験までのプロセス、入学、ビザ切り替えの手続きなど、面倒な手続きを経ながらも、普通だったら知り得なかった世界を覗き見、体験をした。キニコの学生ビザの切替えのために、本末転倒ながら、3年で終わるはずのオハイオ滞在が5年まで延長された。
そして帰国。今度はシナコの編入、日本の学校への適応。新婚時代の再来の予定だった夫婦は、独身生活に慣れ過ぎた中年には、再び生活を共にすると言うのは思いのほか苦であった。おまけにキニコの学費を払い続けるために、帰国直後からフル回転で仕事を始め、それが更に夫婦関係の摩擦に拍車を掛けた。あーこのままでは崩壊か・・・と思った矢先に夫の転勤。
帰国してたった1年で再びアメリカへ。その先の話はコネ通に書いてきたからご存知の通り。本当に目まぐるしい歳月だった。
ホッチキスの学費に関しては、そんな学校を娘に紹介したのは私だっただけに、責任を感じていたし、それがストレスでもあった。大学進学に関しては同じ状況に陥りたくなかったので、私は意図的に決定には介入しなかった。だから今後の大学の学費の支払いは夫と娘に頑張ってもらおう。ま、二人とも私に優しくしてくれるなら、ちょっとくらいなら協力してやってもいいよ。(あ、それであのふたり、誕生日に花をくれたり、ミュージカルを母に捧げますなんてセリフが易々と口から出たか?)
とにかく終わった!
そっか。この解放感は結局、自分が金銭的な義務から解き放たれた喜びなのかも知れない。
やけに納得。
振り返って、結構感慨深いものがある。
ただ、娘が成長したと思う感慨深さではなくて、まったく自分勝手な感傷だが、キニコがホッチキスを受験し、入学して卒業するまでの5年間に本当に様々なことがあったなぁという思い。
5年前、私たちはオハイオ州に住んでいた。オハイオでの生活3年目のこと。夫に約束した帰国期限を既に3年も過ぎ、毎年のように来年は帰国するとふれ回っていたから、狼オバハン扱いされて久しかったし、ここらが潮時。そこで本気で帰国準備にかかろうとしていた。娘たちにもその旨伝えると、キニコは絶対に帰りたくないと言う。無理やり連れ帰って、グレられたりしてもと思い、プレップスクールを奨学金付で合格したら残っても良いと条件を出した。
「レイコ@チョート校」を読み、こんな学校があったのかと興味深く思っていたし・・・正直に言うと、そのときは愚かにもまだ「末はハーバードかイェールか」なんて夢を描いていた。
それから受験までのプロセス、入学、ビザ切り替えの手続きなど、面倒な手続きを経ながらも、普通だったら知り得なかった世界を覗き見、体験をした。キニコの学生ビザの切替えのために、本末転倒ながら、3年で終わるはずのオハイオ滞在が5年まで延長された。
そして帰国。今度はシナコの編入、日本の学校への適応。新婚時代の再来の予定だった夫婦は、独身生活に慣れ過ぎた中年には、再び生活を共にすると言うのは思いのほか苦であった。おまけにキニコの学費を払い続けるために、帰国直後からフル回転で仕事を始め、それが更に夫婦関係の摩擦に拍車を掛けた。あーこのままでは崩壊か・・・と思った矢先に夫の転勤。
帰国してたった1年で再びアメリカへ。その先の話はコネ通に書いてきたからご存知の通り。本当に目まぐるしい歳月だった。
ホッチキスの学費に関しては、そんな学校を娘に紹介したのは私だっただけに、責任を感じていたし、それがストレスでもあった。大学進学に関しては同じ状況に陥りたくなかったので、私は意図的に決定には介入しなかった。だから今後の大学の学費の支払いは夫と娘に頑張ってもらおう。ま、二人とも私に優しくしてくれるなら、ちょっとくらいなら協力してやってもいいよ。(あ、それであのふたり、誕生日に花をくれたり、ミュージカルを母に捧げますなんてセリフが易々と口から出たか?)
とにかく終わった!
そっか。この解放感は結局、自分が金銭的な義務から解き放たれた喜びなのかも知れない。
やけに納得。
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