2009年1月5日月曜日

パリ <感動編>

<感動編>

1.うまい!

ほんと、おいしかった! おいしくて、おいしくて、おいしかった!
何がって、何もかも。特にパン。バター。フォアグラ。

<パンとバター>

フランスのパンとバターはどうしてこんなに美味しいのだろう。小麦が違うのだろう。牛が違うからだろう。とにかく美味しい。バターは輸入してこの近所でも売っているけれど、パンだけはフランスでないと食べられない。

パンは各パン屋さんが毎朝自分のところの炉で焼いている。だからおいしい。到着の翌日。近所のパン屋さんがクリスマス続きで閉まっていて、その先に見つけたチェーン店のパン屋「Paul」でパンを買った。日本でも展開しているPaul。高価だけどおいしいと、有難がって買っていたけれど、今回食べ比べてみて、やっぱパンは普通のパン屋さんに限る。ルーブルの庭にも屋台を出したり、手広くやっているPaulのパンはイマイチだった。

我が家の朝は、近所のカフェで始まった。大人はカフェクレーム(=カフェオレ)、子供たちはショコラショーに、タルティーヌを注文。タルティーヌとは、名前は優美だが、単にバゲットにバターを塗っただけのもの。それにジャムが付いて来る。これをカフェクレームに浸して食べるのが、なんとも美味しい。

シナコはすっかりパンとバターに惚れ込み、レストランでもどこでも、それさえあればOK。おかわりまでするので、注文の品が運ばれる前にお腹が一杯になっている。

カフェにはタルティーヌかクロワッサンしかない。周りの人を見ると、パン屋で買ったパンを持ち込んで食べている。なんだ、こうすればいいのか。

次からは、私はりんごの入ったショソン・オ・ポムを、キニコはシュッーケットを買ってカフェに入る。コイオとシナコはタルティーヌがお気に入り。シューケットと言うのは、シュークリームの皮に砂糖が付いただけのシンプルなお菓子。ヴァレリーと会社に行っていた頃、朝のバスの中で2人でよく食べた。


<クレープ>

町のあちこちでクレープ屋の屋台がある。クレープにはまったのはシナコ。クレープ+Nutella(日本でも売っているへーゼルナッツとチョコのペースト)+パナナの組み合わせがお気に入り。

<クロックマダム>

カフェ・カルーセルで注文したクロックマダム。


2.パタパタ

観光客の集まるところパタパタ有り。これは20余年後の現在も変わらなかった。

パタパタとは、私たちが名づけた鳥のおもちゃ。飛ばすとパタパタするから。パリに旅行したことのある人は恐らくアフリカ人が売っているこれを目撃してるでしょ。相変わらず、サクレクール寺院の前、トロカデロ広場などで、飛ばしていた。一度も買ったことないけど、20年以上も続いているってことは、ヒット商品なのかなぁ。


3.日本語

な、な、なんと、ノートルダム寺院に日本語の表示があった!

まず、入り口に、Bienvenue! Welcome! Wellkommen! Benvenuto! 欢迎! などの各国語に混じって日本語で、「よこそ!」

よーく見ると、「よ」と「こ」の間に無理やり小さく「ぅ」が挟まれ、一番最後に書かれていたと思しき「う」が塗りつぶされている。どうやら、もともとは「よこそう」だった模様。

中に入ると、またしても各国語で注意書き。日本語は、
「あなたがあなたの帽子を脱ぐことを望んでください」
静かな聖堂の中で、笑いをこらえるのに苦労した。


4.フランス語

自分のフランス語に感動! 英語で返答されても、めげずにしつこくフランス語を使う度胸は大したもの。すっかり忘れていると思っていたけれど、聞くと結構思い出すじゃないの。蚤の市では、娘に代わって交渉。8ユーロの手袋は6ユーロになるし、この時だけはママのフランス語も感謝された。

それがどうだ。パリにいる間は話さ(せ)ないくせに、家に帰ってからのキニコの言い草。「ママより私の方が絶対フランス語わかってると思う」だって。ふん、言葉なんて、使ってナンボなのだ。へたくそでも何でもちゃんとコミュニケーションできればいいのだ。

負けを認めるのは残念だが、実力ではコイオに劣る。当たり前だ。あっちはフランス語研修生で、会社のお金をたくさん使って、いろんな学校に通って、びっしり勉強していたんだから。こっちは、日本語ペラペラのフランス人の同僚がいる日本の会社で、仕事にフランス語なんて殆ど要らない。駐在前に私だけフランス語研修に行かせてもらえず、後になって頼み込んで3ヶ月だけベルリッツに通わせてもらったのみ。そんなで、必要最低限はなんとか言えるんだから、立派なもんだ! あ、発音だけは、私の方がましだ。コイオのRなんてHになっちゃって、ひどいものだ。わっはっはー!

コイオは根がええかっこしいなので(=恥をかきたくない)、英語が通じれば敢えてフランス語を使おうとしない。相手が英語を解するのがわかると、するりと英語に切り替える。フランス語を話すの楽しくないのかなぁ。それとも単に私が嬉しがり?


5.犬のフン

フランスに住む友人が、「パリもきれいになったよ。随分ウンコも減ったし」と言っていたので、そりゃ良かったと思っていた。20余年前、飼い主が犬の糞を拾わない場合は罰金500フランという条例が出来、みんなで期待したのに、有名無実化。それが最近また条例だか法律ができて、改善していると言っていたのだ。

が、感動するほど、全然変わってなかった! とにかく、町に出たら、足元見ながらしか歩けない。うっかりほかの事に気を取られていると、いつ踏むかわからない。観光客の多い場所は、あまり心配しないでよかったけど、(つまり、犬が少ない割りに、踏む人数が多いので、すぐに形跡がなくなる)けど、アパートの近くやヴァレリーの家の周辺では油断ならない。歩道が特に危険なので、車が来なければ選んで車道を歩いた。

犬が落とした1箇所に留まらず、踏み広げられて、危険箇所が大幅に拡大して点在しているのだ! アパートを一歩出てから戻るまで、全く気が抜けない。子供たちにも「ウンコ踏んだら罰金だからね!」と常に注意を促す。

友達の言を鵜呑みにするほど私もパリを甘く見てはいなかった。各自にスリッパの持参を強要。室内に一歩入ると、外履きの靴はさっさと脱ぐルールを徹底した。だって目に見えていなくても、その断片はどこかに付いているに違いないもの。

「日本人は神経質だね。フランス人が健康なのは、あのばい菌と共に暮らして免疫性を高めているからだ」とその昔ヴァレリーは豪語してたけど。流石に子供ができて、「私もあのフンは何とかして欲しいわ」と今回は言っていた。

キニコが1歳半のとき、ヴァレリーのところに3週間ほど遊びに行ったのだが、公園に行く道で転んで、手を付いたところに・・・。あーおぞましかった!


6.エレベーター

パリの建物は古い。とっても古いから、そもそもはエレベーターなんて付いていなかった。そこへ5階以上はエレベーターが必要という法律でも出来たのか、はたまた単なる利便性の追求か、螺旋階段の真ん中の空いているスペースに、後付で無理やりエレベーターを設置しているところが多い。

私たちが借りたアパートも細い螺旋階段(階段のステップ部分は木で出来ていて、主に人が歩く外側は磨り減って凹んでいる)の真ん中に、無理やりエレベーターが取り付けてあった。

写真じゃ判り難いが、幅50センチほど、奥行き80センチほどのスペースしかない。コイオの体の幅で一杯、かろうじて3人が縦一列に並べる。二つ折りのドアが閉まるときには、中の人間は更に奥に身を寄せないと、ドアが人につかえて閉まらない。

パネルには、「3名・225キロまで」ってあるけど、典型的なオハイオの人だったら、エレベーターに体が入らないだろうな・・・。


7.ヴァレリー

なんたって、今回の最高の感動はヴァレリーに会えたこと!

待ち合わせの地下鉄の駅の階段を上がると、上でヴァレリーが待っていた。第一声は、最初にシナコの顔を見て、「わー、本当に全然変わってない、と思ったら、シナコだった。そっくりやん!」

抱き合って再会を喜び合った後、
「やぁ、ヴァレリーも変わってないやん。昔から老け顔だったから、それが幸いしたね~!」
「ほんと、相変わらずひどいこと言うね」

昼食を近くのイタリアンレストランでみんなで食べた。

食事中、ヴァレリーがつくづくと言う風に言う。
「あー、ジョダコちゃんがキレイでよかったー」
「はぁ?」
「だって、ジョダコちゃんは、可愛くなかったやんか」そして、わが娘たちとコイオを見て、
「だってほんまやん。ね、コイちゃん? 昔はあんまり可愛くなかったよね?」
コイオは嬉しそうに大きく首を振っている。

私のこと毒舌って言うけど、どっちが毒舌だか。でもヴァレリーの言うことはホント。フランスにいた時代がきっと私の人生で最も醜く、体重も妊娠時を除いて最高だった頃である。ついでに言うなら当時の夫も今よりもっと太っていて、ダサい格好だし、お互いこれ以上にないくらい醜かった。フランスと言う不毛の地(つまり他に適当な相手が誰もいない)でなければ、恐らく付き合ってなんていなかったと思う。当時の証拠写真をお見せしたいところ。そのうち、笑いのネタに事欠いたら登場させようかな。

その後ヴァレリーのアパートへ。
「ここは、子供の家なの」とヴァレリー。見渡すと、すべてマリア仕様のデコレーション。「マリアがもっと小さかったときにやったから、そろそろ変えないと行けないんやけどね」と言いながら見せてくれたトイレはこんなの。壁にはマリアが覚えるようにと50音表が貼ってあったが・・・。

「このクリスマスツリー可愛いでしょ?」
「えー、趣味悪~!」
「ほんとに、ひどいこと言うね~」
「だって、ホントだもん」


翌日の夜は、未だまともなフランス料理を食べていないと言ったら、ヴァレリーがFLOを予約してくれた。マリアはパパとお留守番。日本の表参道にもFLOがあったけれどまだあるのかな。今、調べたら、やはりレストランはなくなっていてケーキやお惣菜だけの展開らしい。ヴァレリーもFLOは10年ぶりと言っていたが、もてはやされた一時期と比べれると、ずっと庶民的になっていた。レストランではなくブラッセリーなので、もともと庶民的な雰囲気なのだが。

次の日、ヴァレリーのオフィスへ行った。ヴァレリーは古着を日本に輸出している。クリニャンクールの蚤の市のすぐ側にオフィスと倉庫がある。中を見てびっくり。倉庫には、袋に入った古着がうずたかく積まれている。景気の良いときは「トン」単位で日本に輸出していたらしいけれど、景気が悪化して、最近はめっきり減ったらしい。

「何でも欲しいものを持っていっていいよ」と言われ、女三人はがつがつと物色し、ハイエナのごとく獲物を頂戴した。「そんなに取ったら悪いやろ」とコイオはサッカーサポーター様のマフラー一本のみ。キニコは同じくマフラーと手編みのカーデガン。シナコはセーターと帽子とベルト。一番浅ましかったのが私。皮のロングコートとフリフリのナイトガウンをせしめた(いつ着るねん?)

ランチは近くのカフェでクスクスを食べ、仕事のあるヴァレリーと一旦別れて、夜はヴァレリーの家の近くの中華料理店に行った。あとから、マリアとマリアの友達、そしてマリアのパパのアルノーが加わり、にぎやかだった。

アルノーのことをマリアのパパと書くのは、ヴァレリーとアルノーが別れているから。そもそも2人は結婚していなかった。フランスの場合は結婚していなくても結婚に順ずる共同生活者の形式が認められている。2人はそう言う形で一緒に住んでいた。マリアが1歳のころに別れ、養育権を争って裁判までした2人だが、今はとても仲が良いそうだ。「マリアのために、いいでしょ」とヴァレリー。

時々アルノーはヴァレリーの家にも泊まっている。このときもそうだった。但し寝るのはマリアの部屋で。仲のいい2人を見て、元の鞘に収まればいいのにと思ったりもするが、恐らくある程度の距離が保たれているから良いのだろう。再び「家族」として生活するには、面倒なことがたくさんある。その面倒を越えられるだけの愛情があるかどうかが、一緒になるかどかを決めるのでしょう。お互いに彼氏彼女ができると、今の関係を持続するのは難しくなるだろうな。

最後の晩餐の中華料理店では、お互いに不自由な言葉で話す。私は下手なフランス語、コイオもフランス語、アルノーは英語、ヴァレリーも下手な英語。だって自分が流暢な言語で話すと、必ず置いてきぼりを食らう者が出るから。フランス語だと私がわからない、英語だとヴァレリーがわからない、日本語だとアルノーが分からない。このへんてこりんな会話が非常に楽しかった!


8.エグゼルマンス

24 Exelmans これがわたしが20余年前に住んでいたアパートの住所。パリの16区の端のほうにある。ヴァレリーのアパートからも徒歩5分。

今回訪れてみて、殆ど変わっていなかったのにびっくり。ただアパートの入り口にはコードが設けられ、中には入れなかった。昔はそのまま入れる無防備なところだったんだけど。

建物の1階のカフェも、並びにあるお惣菜やさんやアラブ人の果物屋さんもそのまま。その横にあった自動車修理屋さんが、「大阪」と言う名の、なんちゃって日本飯屋になっていたが。

アパートの目の前の駐車スペースもそのまま。駐車する時や車を出す時は、前後の車のバンパーを付きながら徐々にスペースを広げていたんだけど、今でもそんなことやってるのかなぁ。

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