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2010年8月31日火曜日

カナダから帰りました

やっぱりカナダは遠い。

帰りはアパラチアの山越えを避けるルートで、ピッツバーグとリッチモンドを経由するルートだったのですが、ペンシルバニアはアパラチアの麓だから全くの平野ではなく丘陵地帯。ま、これは別に良かったのですが。

トロント郊外のニューマーケットと言う町を出発したのが朝7時。早めの出たものの、やはりトロントへの通勤ラッシュにしばし巻き込まれ、バッファローへ抜ける国境(Peace Bridge)には2時間半後に到着。平均的な所要時間かもしれませんけど。

その後は順調だったものの、4時半ごろからワシントンDCの近くに差し掛かり、帰宅ラッシュに巻き込まれ、ようやく渋滞を抜けるまで2時間。これは疲れた・・・。

当初の予定では8時半には帰宅できるはずが、結局は9時半の到着と相成りました。しばらく遠距離運転はしたくない気分です。

あと60マイルほどで家という85号線という高速道路(Interstate)を走っておりました。とっぷり日も落ちて真っ暗。車も少ない。私は左手の追い越し車線におり、右斜め前の車を抜かそうとしておりました。すると突然、その車がブレーキを踏む。

警察かと思って私もブレーキを踏みながら目を凝らすと、前方に雌鹿。その車の前を横切って私の車線へ。運よく、そのまま渡り切ってくれましたから良かったけど、道の真ん中で止まったりしてたら・・・とぞっとしました。鹿が渡り切ったときには、私の車との距離はもう5メートルくらいしかなかったですから。

だけどあの鹿、渡りきった先は中央分離帯。どうなっちゃったでしょう・・・。

と言うことで、カナダで何してきたか書きますと、カナダに着いた翌日、キニコのアパートへ荷物を搬入に行きました。ところがまだ大家さんが掃除中。しばらく待っていてということで、近所の餃子屋さんへ出かけ腹ごしらえ。ワンブロックで中華街のあるSpadinaです。

キニコのアパート・・・と言うか、3階建ての一軒家のそれぞれのフロアが貸し出されて居るのですが・・ここはトロント大学が目と鼻の先。しかもキニコの授業がある学舎が最も近いので、大変便利。大家さんは中国人のご夫婦。2日前まではこの家の一階に住んでいたそうですが、奥さんの方は毎朝5時に起きてScarboroughに住む息子さん夫婦の家に孫の世話に通い、帰宅は11時を回る生活をしていたそうで、それが辛くなってきたのでScarboroughに家を買ったそう。と言うことで今年からは1階も貸し出し。

アパートの前から見た大学の学舎    
テラスがある3階がキニコたちのユニット
背後にトロント名物CNタワーが見える       
         
キニコとルームメイトのリア(中国系カナダ人)の住居は3階。テラスが付いていてなかなか良さそう。契約は9月1日からなので、キニコは特別に先入れてもらうのですが、まだ前の住人の一人が住んでいて・・・、正直言ってこんなに汚く暮らしているの??と驚くほど、台所も冷蔵庫もトイレも部屋も汚かったです。(大家さんの奥さんも眉をひそめながらも、「彼女たちは医学生で実験とか一杯あって忙しかったから、仕方ないのよ。大丈夫、私がきれいに掃除するから」と言っていましたが・・・そう言う問題か?? キニコとリアには、くれぐれも清潔に生活しなさいと言い渡しておきましたが・・・。)

リアはキニコより1学年下。でも、話した限りキニコよりずぅーーっとしっかりしている。大家さんにもあれこれ確認していたし。

キニコの部屋に荷物を運び込んだ後、私は一路、友人の住むトロント郊外へ。トロントから1時間弱のところ。のどかと言えばのどかですが・・・オハイオを彷彿とさせる田舎でありました・・・。

友人Mちゃんには3歳の娘がいます。去年の5月にキニコのオリエンテーションでトロントに来た時に一緒に食事をしたのですが、その時はまだ「赤ちゃん」で、人見知りもするし、顔を見た程度で終わっちゃったのですが、今回は最初は人見知りしていたものの、しばらくするとなついてくれ、ちゃんと私の話し相手にもなって、めっちゃくちゃ可愛かったです。

私が「お父さんとお母さんとどっちが優しい?」と聞いたら、
「ジョダコちゃんが一番優しい」だって。
子供はなんて正直なんだ!

嘘です。間違ったことを覚えちゃいけないから、ちゃんと、「ジョダコちゃんは、本当はめっちゃくちゃ怖いんだよ」って正しておきました。

そうそう、はーちゃんには、おばちゃんと呼ばれないように、「ジョダコちゃん」と最初に釘をさしておきました。すると「あの・・・おばちゃ・・・あの・・・ジョダコちゃん・・・」と最初は言ってたけれど、そのうちすんなりジョダコちゃんと呼んでくれておりましたわ。ほほほ。

「おばちゃん」と呼ばれたくなくなったら、本物の「おばちゃん」になった証拠でしょうね~。そのうち「おばあちゃん」と絶対に呼ばれたくないと思うんでしょうね。それがシニアになった証拠なんでしょう・・・。

はーちゃんに対する私の心境は、正直言って「孫」に接する気持ちに近かったかも。
あな悲しや・・・。

Mちゃんも旦那さんのSさんも、忙しい中、歓待してくれて感謝感激。 Mちゃんはお料理上手で、美味しいご馳走を一杯作ってくれて、私は引越で2キロも体重が落ちて喜んでたのに、K家に滞在したわずか2日間ですっかり元に戻ってしまった・・・。どうしてくれる。

帰る日はお弁当まで用意して持たせてくれて、涙がちょちょぎれるほど嬉しかったです。

そうそう、今回カナダで気付いたカナダの違い。

まず、カナダでは(オンタリオ州では?)、生ゴミは他の生活ゴミと分別しなければなりません。キニコのアパートでも大家さんの奥さんが小さなバケツを台所のシンクの下から出してきて、「生ゴミは分別してここへ入れて、下の生ごみ用のゴミ箱へ入れてね」と言ってました。Mちゃんの家でも生ゴミは別。紙類は分解するから生ゴミと一緒でもOK。だけど週に1回しか収集に来ないそうだから・・・早くからゴミ箱に入れると臭いそうだよな~。私だったら生ゴミも収集日まで冷蔵庫に保存するかも・・・。

その次は、ビニール袋に入った牛乳が売っている! 
勿論紙パックに入った牛乳(1L,2L入り)も売っているのですが、それは割高で、Mちゃんの家ではビニール袋入り(4Lが3つの袋に分けてある)を買っていました。勿論中身を全部別容器に空けても良いのですが、ビニール袋の先をちょんと切ってそのまま容器にスポンと入れて使用するのがカナダ流。

おお! こんなのをYoutubeで見つけました。ミルクバッグの説明どす(英語どすが)。
http://www.youtube.com/watch?v=VTPgd4HUk4w

話はそれますが、上のミルクバッグを説明しているYoutubeのビデオを作った人が、メープルシロップで飴を作る作り方を説明しているクリップもありました。面白そうだから、カナダにお住まいの方、是非お試しあれ!
http://www.youtube.com/watch?v=CVycchqwlac&feature=channel

2009年8月15日土曜日

バイバイ

おまけの1日が追加になって、今朝は二人はゆっくり寝て、ランチには隣町のシーフードレストランに行った。以前にチカエとマビオと一緒に行った河沿いのレストラン。食事もおいしかったから、ヴァレリーも連れて行きたいと思っていたんだけど、いろいろ忙しくてチャンスがなかった。毎日バイトで忙しかったキニコも入れて家族全員とヴァレリーとマリアで揃って出かけられたのも、結局これが初めてだった。ってことで、終わり良ければ、すべて良し、かな。

ヴァレリーのお父さんは鬱病で、実は今回ヴァレリーがアメリカに来ている間に入院。これは既に決まっていたことなのだけど。マリアのお父さんが、郊外の家に住むお父さんをパリの病院に入院させるために車で連れて行ってくれた。(ヴァレリーとアルノーは、別れたものの、マリアのために結構仲良くしている。アルノーはやり直す気があるみたいらしいけど、ヴァレリーはその気ゼロなのだそう・・・。)

お母さんのほうは、かなり精神を病んでいたお父さんが入院してほっとしたものの、やはりお父さんがいなくなると寂しい。またお母さんは割りと最近、股関節の再手術をしたばかりなので、歩くのも松葉杖。

だからそもそもの予定は、土曜の朝にパリに着いて、郊外のお母さんを訪問し、日曜日は入院中のお父さんをお見舞いに行く予定だった。ところが1日ずれてしまったので、お母さんの訪問は1週間先に繰越。ヴァレリーも月曜日は仕事だから。

昨夜、お母さんに飛行機を乗り遅れたことを伝えると、ちょっとお母さんはオカンムリで「ちゃんと余裕を持って家を出たの? いいわよね、あなたは楽しいのが1日伸びて・・・」と嫌味を言われてたけれど、今朝はわたしにもとても優しい感謝一杯のメールをくれ、一晩寝て気持ちも落ち着いた模様。ヴァレリーはそれが一番気がかりみたいだったから、良かった。

マリア旋風が吹き荒れた10日間。今はひっそり。ほっとするような、でも空港で何度もぎゅっとハグしてくれた可愛いマリアを思い出すと、寂しいような。でも、やっぱり ほっ>寂しい、かな(笑)。

シナコは宿題提出まであと4日なのに、3冊の本を読んで、それぞれにエッセイを書かねばならず、時間がないと半べそかいている。(iPhoneで遊んでばかりいたくせに知るか。今も覗きに行ったら、パソコンで遊んではりました。)キニコもバイトは残す所あと4日。

我が家の夏も終わりつつあります。

結局

乗れなくて、明日の午後6時20分の便に変更。
荷物はもうチェックインしてしまったので、手ぶらで帰る事に。帰りはスムーズで1時間で帰ってきた・・・。

家中のビールとワインはもう飲み干されてしまったから、帰ってすぐに「やけ酒」用にビールでも買おうとスーパーに走ったけれど、ビールの売り場にはビニールカバーが。10時半だったのだが、アルコールの販売は夜9時までらしい。コネチカット州は、日曜日もお酒を売ってくれない。お隣のNY州はOKなのに。

しかたないから家にあったウォッカとオレンジジュースでスクリュードライバー。

明日はちゃんと交通情報を見て家を出ることにしよう。

2009年8月14日金曜日

ごめん、ヴァレリー

今日は二人が帰る日。
夜8時にNewark発なので、4時半に家を出発する予定だった。

出る前にJ. Crewのお店に寄りたいと言うので早めに出て、そのあとシナコはスタバに寄りたいだと。ちょっと遅くなって、高速に乗ったのは5時前。

ところが高速に乗ってものの10分で大渋滞に陥った。ほとんど動かず時間だけが過ぎて行く。高速を降りて、迂回もしたけど、渋滞はジョージワシントン橋まで続いた。ナビの到着時間は7時5分を示している。

その後はスムーズに流れてた。・・・なのに最後に高速の出口を間違った! 正確には、料金所のEZ-Passの出口が一番右と一番左にあったのだが、私は左車線にいたし、左側に行ってしまった。ところがそこは高速のexpress側に続く方で、いくつかの出口を飛ばすルート。空港は次の出口だったから、本来は右のLocal側に行かなければならなかった。で、次の出口で降りることができなかった。

結局空港に着いたのは7:12。ヴァレリーたちは乗ることができなかった。次の9:25発にスタンバイすることになったが、もし乗れなかったら、連れて帰らないといけないから、私たちも空港でスタンバイすることに。

まともなレストランもこのターミナルにはないので、スタンドの食べ物買って、固い椅子に座って(このブログを書きながら)待つことに。無事に乗れるかな。

まだ渋滞になる前に、車の中でマリアが「夜の飛行機は嫌だから、もう一晩泊まって、明日の飛行機にしたい」って言ったけど、計らずとも願いが叶うのかしら。
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2009年8月6日木曜日

お子ちゃまマンハッタンコース

一昨日はマリアにとって、盆と正月とクリスマスと誕生日がいっぺんにやって来たような日だった。

10時半の電車でマンハッタンへ。まずはグッゲンハイム美術館。ヴァレリーがグッゲンハイムのちょっと風変わりな建築物と近代アートをマリアに見せたかったらしい。パリを出る前から話していたようでマリアもグッゲンハイムに行きたいと思っていたみたい。

たまたま目的地が全て5番街沿いだったので、「じゃあセントラルパークの動物園もすぐだし、行こうか?」と提案したら、「動物園は行きたくない」とマリア。動物が閉じ込められている動物園は好きじゃないらしい。

グッゲンハイムは残念なことに、今は特別展示物になっていてモダンアートは殆どなく、フランク・ロイド・ライトの建造物の模型や透視図ばかりだった。予想通り、ちょっと見たら飽きてしまったけれど、それでも最上階まで歩いて約1時間を過ごした。美術館内のみやげ物屋でグッゲンハイムの建物のイラストの付いたバックパックとグッゲンハイムの建物を作るLegoセットを買ってもらった。

マリアが行きの電車の中で、「パンケーキ」が食べたいと言うので、一緒にランチを食べる予定のチカエとマビオに、近くでパンケーキのおいしい店を探してとお願い。そしてLe Parker Meridienホテル内にあるNorma'sと言うレストランに決まった。このお店は変わった店で、夜は営業してなくて、朝食、ブランチ、ランチメニューしかない。

マリアが持ってきたアメリカのことを紹介する本の中で「パンケーキ」に関すること見つけて、是非食べてみたいと思ったらしい。そっか、フランスにはクレープやワッフルはあっても、パンケーキはないのか、と再認識。

残念ながらパンケーキは一口二口食べて「好きじゃない」ってことになり、わたしとヴァレリーのデザートに相成りました。マリアはヴァレリーが頼んだサラダを食べていた。

マビオが、マンハッタンで子供が好きな所といえば、Dylan's Candy Barだよ。それにSerendipity3もいいかもと提案。で・・・目的地が追加に。

次に目指すは5番街と55丁目の角にあるディズニーストア。「ディズニーストアだったらパリにもあるでしょ」と言ったけど、本家本元のアメリカのディズニーストアに行きたいとのこと。

そもそもヴァレリーは昔からディズニー大嫌いと言ってはばからず、ユーロディズニーにさえ未だマリアを連れて行ったこともないくせに、今はマリアが「High School Musical」と「Hannah Montana」にご執心で、このグッズを探して、いざディズニーへ。バッグやヘアブラシ、その他いろいろ買ってもらって、マリアはご機嫌。

予定していた目的地の最後は5番街と49丁目の角にあるAmerican Girls Place。キニコとシナコにサンタからAmerican Girlsの人形が届けられたのは1998年のクリスマス。当時お友達の間で人気だったから、ネットで購入して、年末に日本に帰省するスーツケースに2体を潜ませて帰った。めちゃくちゃ場所を取った。キニコの人形はJosephinaで、シナコのはKirstin。

シナコとキニコの人形を見て、すっかり気に入ってしまっていたので、「アメリカン・ガールズ」だしアメリカのお土産には最適と思い、マリアにプレゼントすることを約束していた。

American Girls Placeに入ってマリアは興奮してしまった。ヴァレリーもかなり喜んだ。ここには自分とソックリに作ってくれる人形や赤ちゃんの人形があるけど、目玉はそれぞれ違った時代的・民族的歴史背景を持つ人形のシリーズ。これがキニコやシナコが持っているもの。マリアはこのシリーズの中からKitと言う人形を選んだ。このコーナーに足を踏み入れて、真っ先にKitが気に入り、わたしとヴァレリーがKitがちょっとブスだと思って、他のを勧めてみたのだが、がんとしてKitがいいとのこと。そこで人形と着せ替え用のお洋服1着をプレゼント。ヴァレリーにも洋服とKitのペットの犬のグレースを買ってもらって大喜び。

ところでマリアはとてもはっきりしている。何が好きで何か気に入らないか。あまり迷ったりしないし、あれもこれも欲しいとは言わない。わがままも言うし、泣いたり怒ったりするけど、長時間ぐずるということはない。上手に育てているのか、そもそもの遺伝子の違いか・・・。

このお店には、他にも人形用のヘアサロンや病院、人形と一緒に入れるティールームがある。以前はお店が全米でシカゴにしかなく、オハイオ時代の冬休みにシナコは人形を連れて行った。シナコがKirstinの髪の毛をぐちゃぐちゃにしてしまっていたので、ヘアサロンで髪をきれいに結いなおしてもらうため。確か、髪を結いなおすか、首から上をすげ替えるかで料金が10ドルくらいしか違わなくて、私は首から上を新品にしたほうが得だと思ったけど、シナコは「かわいそう」と言うので、ヘアサロンを選んだ。昨日もシナコみたいにぐちゃぐちゃの髪になった人形を連れた子がヘアサロンを訪れていた。


その後ティールームで人形と共にアフタヌーンティーを楽しんだ。自分のJosephinaを持ってこなかったキニコには人形を貸してもらった。

次回マンハッタンに行くときは、是非ティールームにマリアを連れて行きたいとヴァレリー。たしかにここは女の子にとって夢のような場所だと思う。

最後に予定外のDylan's Candy Barへ。子供たちには当然知られた場所らしく、シナコもキニコも行ったことがあったけれど、私は存在も知らなかった。ラルフローレンの娘の店で、どこもかしこもキャンディー。めえちゃくちゃ可愛くて、とても楽しい。

普通の観光には飽きてしまったお子様連れには、お勧めのマンハッタンツアーでした。(マリアは未だエンパイアステートビルや自由の女神すら見てません・・・。)

2009年8月4日火曜日

ヴァレリーとマリア

シナコが帰宅し、ヴァレリーとマリアがやって来た。

空港にまで迎えに行った。
車に乗ると、ヴァレリーはシナコとフランス語で話している。

「え、シナコとフランス語で話してるの?」
「そうよ」
「すごいやん」
「上手よ」


日本語で話すとマリアがわからなくて機嫌が悪くなるので、なるべくフランス語と言うことだ。
シナコは、そんなにペラペラじゃないけど、わたしよりは文法はしっかりしてる。語彙は少ないけど。

そしてシナコのみならず、その後はわたしも下手くそなフランス語で話すことを強いられている。でも我ながら結構覚えてるじゃない。かなりめちゃくちゃなフランス語なので、時々マリアに訂正されている。

「シナコはワインも飲んだよ」
「うっそー!」

シナコはクソ真面目で、お酒に対する興味もゼロ。これまでもオトソすら飲むことを拒否。私がちょっとビールを飲むくらいで、人をアル中呼ばわりするほど。だからキニコも「シナコは絶対にワイン飲んでないに違いない」と言っていたのに、びっくり。白ワインをグラスに1-2杯、何回か飲ませてもらったらしい。

フランスの法律で、飲酒は16歳からだったが、この4月に法改正があり18歳以上になったらしい。でもこれは外での飲酒やお酒を買う場合。家庭でなら構わない。

一方、タバコの方は喫煙年齢の法律もない。ヴァレリーは結構ヘビースモーカーなので、アメリカでは非常に苦労している。

法律の話をフランス語していたら、
「お酒の法律はあるけど、タバコとセックスには法律がないの」
とヴァレリーが言ったように思って、大笑いしたら、実は、ヴァレリーが言ったのは、
「お酒は飲んだけど、タバコは吸わなかったし、セックスもしなかったよ(シナコは)」でした。

到着後、グリニッチアーべニューにあるクレープ屋さんへ。何でフランスから来て、わざわざクレープ屋へと思うのだが、シナコがフランスにいた時にマリアにその店の話をしていて、行きたいってことになったのだ。2人は好物の「Nutellaとバナナ」のクレープを注文。大人はお腹が空いていたので軽い昼食。

その後近所のワイン屋さんとスーパーへ。ヴァレリーが来たので、私も公明正大に飲めるってわけ。

昨夜は2本半ワインを空けて、かなり酔っ払った。ヴァレリーなんか今朝全部覚えてないって言うんだから・・・。私は二日酔い。

しかし二日酔いの身体に鞭打って今朝はビーチへ。勿論わたしは泳ぐ気はなし。シナコと日陰で見ていた。

それにしてもヴァレリーの子育てには驚くことや奇天烈なことがたくさん。
まずはとてもとても忍耐強いってこと。全く怒らない。気が長い。偉いなーと思うよ。わたしは直ぐにしかってたからなぁ。

それとこれはフランス風か? マリアが寝るときに哺乳瓶にチョコレートミルクを入れて飲んで寝ている・・・。虫歯になるじゃない?と思うのだけど、「まだなってないよ」。また歯磨きも1週間に一度なんだって。「歯磨きすると余計に歯のいいところもなくなるんだよ」うーん、わからないなー。

お風呂もシャワーも全然入らないよ。これは流石にフランス人って感じ。そう言ったら、「毎日入るのは贅沢じゃないの? それにフランスはお風呂に入る習慣がなかったから」
「そうなの? 日本だって、そんな昔から毎日入ってたわけじゃないよ」
「でも、風呂の文化があったでしょ。フランスは入ってなかったから」
「え、じゃどうしてたの? 身体を拭くだけ?」
「そう」

だから香水が発達したのね。

2009年8月3日月曜日

無事帰宅

昨日はホテルから空港まで送ってもらったのだけど、「2度あることは3度あるって言うからなぁ」と車の中でわたしが呟くと、「いえ、3度目の正直って言葉があります。前向きに考えないと」

ってことで、前向き思考の結果、昨日は珍しくオンタイムの出発で、晴れて家に帰ることができた。

ラガーディアが近づいたときに機長のアナウンス。
「現在数機が着陸を待っています。もう少し近づいてからの状況によりますが、しばらく旋回する可能性もあります。状況に寄っては近くの空港に降りることもあるかもしれませんが、燃料は十分にありますし、XX空港もXX空港もクリアです。順調に行けば、当機のラガーディア着陸予定は1時。遅くとも1時15分」

はっ? そもそもの着陸予定は9時53分だよ。1時まで旋回するの????

5分ほどして、再び機長の声。
「さきほどは失礼しました。つい通常使用しているグリニッチ標準時間で言ってしまいました・・・当機の着陸予定は10時です」

と言うことで、ほぼ予定通りに到着。ブログのネタ的には旋回しまくって、近隣の別の空港にでも降りてくれたら良かった・・・と言えるほどわたしも元気ではありませんでした。

=====

家に帰って。

真っ先にわたしを迎え入れてくれたのは言うまでもなくジョダ。
コイオはジムに出かけて留守。
キニコはソファーに寝そべったまま「お帰り。」しばらくして「お土産は?」

家の中を見渡すと、観葉植物が見るも無残にしなだれている。水分を貯蔵して丸々とした葉っぱであるはずのやつ(名前知らない)も、葉っぱが痩せ痩せになっている。
「ねぇ、これ見て気がつかないわけ?」
「え? あ、そこにあったの知らなかった・・・」

嘘でしょ。目の前にあるじゃない。
慌てて外のポーチに。
プランターに植えていたペチュニアは、半分枯れて伸び伸びになり花が殆ど付いてない・・・。

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さて、今日はシナコのご帰還+ヴァレリー&マリアの来訪日。
帰宅予定が遅れて、掃除が間に合うか気になっていたのだが、土曜日にコイオが家中に掃除機をかけてくれた。感謝感激。お陰で家の中はまあまあ片付いていた。

台所やバスルームはやっぱり汚くて、そのあたりを集中的に掃除。
ジョダもしばらく洗ってなかったので、ジョダも洗濯。
ま、残りは明日やればいいわ、と、あまり熱心に片付けないでさぼってたら、

「おい、あいつらの到着は昼間でっせ」
「え? 夜じゃなかったの?」
「カレンダーに書いてあるの見てみ」

が、がーん。到着は12時半。ニューアーク到着なので2時間ほど前に家を出なくちゃならない。

まぁいい。とりあえずヴァレリー&マリアはシナコの部屋に寝てもらうことにして、シナコの部屋を片付けた。シナコの部屋は引越して以来、1年ぶりに床のカーペットが露になっています。(いつもは物、物、物に埋め尽くされている)

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惨めな植物の様子と、見違えてシナコの部屋の写真を公開しようと思ったのだが、カメラのケーブルをホテルに忘れてきたのに気がついた。ショック。

2009年7月7日火曜日

独立記念日の連休 (2)

5日は、夏季休暇でマンハッタンを訪れている、現在アトランタに駐在している友人家族と会った。

実はわたしたち夫婦が彼らの結婚式の仲人だった。仲人ったって、そんな大層なお役目ではなかったんだけど。彼らは「人前結婚」というスタイルで、とりあえずの仲人として、高校時代から付き合っていた彼らの同級生である私と、偶然新郎の大学時代のクラブの先輩であったコイオに白羽の矢が立った。

私たちの仲人も、私の大学の先輩であり、コイオの会社の同期だった(但し、私たちの場合は実際にこの人が紹介したから、その責任を取ってもらったまで)ので、こうしたカジュアルな仲人にも免疫があったため、引き受けることにしたのだ。

夫婦4人が揃って会うのは、実際問題、結婚式以来かもしれない。それに、転勤族であちこちに行っていた彼らより、A子ちゃんのお母さんが母の仲良しだから、私はおばちゃんのほうと、よっぽど頻繁に会っているなぁ。

1週間、ニューヨークにいるそうだが、7月4日に再開した自由の女神の冠にまで上がれるツアーに参加するそう。何でも、ニューヨーク側からのツアーは既に満員だったそうだけれど、ニュージャージー側から出る船でのツアーにはまだ空席があったらしい。911以来ずっと閉鎖されたままだったので、私たちも行ったことない。ほぼ一番乗りで、自慢できるね。

それにしても彼らに会っての私の一番の感想。
A子ちゃん、若い! 私と1つ違いとは思えない。
何でや! 

2009年6月28日日曜日

秘密

昨日、マンハッタンのA子さんのところで髪を切ってもらった。

1時の予約に先立って、チカエとマビオとポーランド料理屋さんでお昼を食べて、マビオさんにはお帰りいただいて、チカエと2人で行って来た。わたしはヘアカラーもするから、途中の待ち時間が入るので、その間にチカエの髪を切るというアレンジ。

A子さんとチカエとくっちゃべって、あっという間の2時間だったわ。

「最近、めっきり物忘れがひどくなってね」とA子さん。
これまで、忘れたり失くしたりは、ご主人の専売特許で、A子さん自身はそんなことを絶対しなかったと言う。ところが、先日、長男のサッカーの練習に行ったときのこと、靴などサッカー用の一式を入れている鞄を、鞄ごと忘れて来たらしい。

「それも、思い出したのが1週間後なのよ!」

勿論見に行っても鞄はなかった。でも、問題は鞄をなくしたことでも、1週間後に思い出したことでもない。

「実は、そのなかに息子が一生懸命集めたポケモンカードが150枚入ってたのよ。サッカーしている間に、息子のバックパックに入っていたのを、わたしがわざわざサッカーの鞄のほうに移したの。息子はそれは知らないから、ポケモンカードがなくなったって探し回ってるの。でも絶対にそのことだけは言えないから、『ベッドの下かなぁ』とか言うと、『そうじゃないの、部屋を汚くしてるから、わからないんじゃないの』とか言ってるんだけど・・・」

「ひどーい! それ、ひどすぎ」

「だけど、言えないわよ。もうすぐ日本に遊びに行くから、『おじいちゃんがまた買ってくれるわよ』って言ってるんだけど、交換した最強なカードとかあったらしくて、『どこに行ったんだろう、どこかに置き忘れたのかな』って言うから、『そうじゃない、ぼーっとしてるから』とか言って・・・。ダンナは知っているから、『お前、それはひどすぎる』って言うんだけど・・・言えないわ、これだけは墓場まで持っていかなくちゃ」

実は、A子さんには、同じく長男についた嘘で、今更訂正できなくなっている嘘がある。それは、自分の年齢。長男がまだ20までしか数えられない時に、自分の年齢を20歳だと言ったらしい。以降、毎年ちゃんと1歳ずつ歳を取っていて、なんと彼女は今、25歳なのだそうだ。

「友達のお母さんが、40歳とか聞い来て、『○○のお母さんって、年取ってるんだね』とか言うのよ。『今日は、XXのお母さんの45歳の誕生日なんだって。僕のお母さんなんて25歳なのにって言ったら、XXは僕のお母さんも同じくらいの歳に見えるけどっとか言うんだよ。お母さん若いのに』とか言われて・・・。信じ切っているから、訂正のしようがなくて・・・」

あまりに面白くて、ブログねたにもらう事にしました。

2009年5月27日水曜日

トロント (2)

トロントは遠かったっす。
連休だったために、行きも帰りも国境を越える所で渋滞して45分~1時間待たされました。

ところで月曜日がカナダの祝日と言うのは嘘で、キニコが「週末は大学は休み」と言ったのを私が勝手にこの週末は休み(=3連休はカナダも休み)と誤解していたのでした。

結果から言うと、Revisit Dayのイベントには何とか参加することができました。でも、1時から開始と言うのはキニコは知っていたけれど、どこで行なわれるのかはわかっておらず、朝から広~いキャンパスを2時間ほどうろついて、いろんな人に聞きまくって(私が!)ようやくイベントの行なわれる場所を特定。そして、設営をしている人に事情を話したら「本当に今日は満員だけど、実際には欠席する人もいるかもしれないので空きがあれば入れてあげるのでスタンバイしてください」と言われました。

1時にそこへ行き、2階でスタンバイしておりました。私たちより先にも一家族が待っており、そうこうするうちに「飛び入り参加」組みが十数組になりました。きっとうちのような馬鹿娘のケースではなく、何かの事情で当初は参加できないと思っていたけど参加できるようになった人とか、ギリギリで参加する事にした人たちでしょう。

結局最後に空きがあったために、私たちも説明会に参加できました。最後に会場に入ったために、扇状の階段教室の一番上の席だったのですが、そこから前を眺めると参加している家族の大半の髪が黒い。つまり恐らく8割方は中東も含めたアジア人、黒人、ヒスパニック系。白人はわずかに2割ほど。白人だからと言って必ずしも欧米人とは限らないので、説明会に来ていた人たちに関する限りは、大方がマイノリティーでした。

トロント大学の大学院に行った友人が「人種のるつぼ」と言ってましたが、まさしくその通りでした。説明会に参加したのが、不安の多い「外国人たち」が多かったという見方も可能ではありますが。

キニコが去年1年間を過ごしたディキンソンとは180度違う環境と言えるでしょう。ディキンソンはほとんどが白人で、黒人は殆ど見かけない。マイノリティーは東洋人くらいのものでしたから。人数もディキンソンが2400人に対して、トロント大は5万2000人。ディキンソンの場合は大半が裕福な家庭の子女。対してトロントは公立なので家庭の経済事情も様々でしょう。キニコはそもそも都会にある大規模な大学を望んでいたから、本人の希望に沿ったものになるのでしょう。(今度こそは文句を言わせない!)

学校の直ぐそばに中華街があり、東洋人にはありがたい環境。美容院だって中国人の美容院なら「ザンバラ頭」に散髪されることもないでしょうし。

見学の後は、友人家族と会いました。1年半ぶりの再会でしたが、とっても懐かしくて楽しかった。友人の子供は可愛く大きく成長していたし、お互いの家族が、それぞれ成長しているのを見比べるのも楽しいです。まさかカナダで再会を果たそうなんて思ってもいなかったので、不思議、と同時に感動。

2009年4月28日火曜日

ガールズナイト

昨日は2ヶ月ぶりのガールズナイト。今回は全員(たって4人しかメンバーがおりませんが)揃って、グラセン(グランドセントラル駅)近くのperaと言う名の地中海料理屋さん。お野菜一杯だったし、ラムも含めて、どの料理もおいしかった!

シナコのコーラスの練習が、学校で夜にあったのだが、こちとらはレストランで7時前に待ち合わせなもんだから、早く学校に連れて行った。

送っていく車内で、
「アンタ、練習何時からだっけ?」
「6時半だよ」
「えー、えらい早う行くんやね」
「・・・って、ママが早く行けっていったんじゃん!」
その時5時15分。

だって一旦家に戻って、車を置いて駅まで歩くから、仕方ないのだ。5時58分の電車で、グラセンに着くのが6時45分。頑張って7時前に入れば、ハッピーアワーで、グラスワインかカクテルが安く飲める。急がなきゃ。(8時半のシナコの迎えは、コイオの役目)

女3人寄るとかしましいと言うが4人じゃどうなるかと言うと、6時45分から10時半過ぎまでみんなでカクテル一杯ずつとワインを2本空けて、おしゃべりに興じた。

グリニッチ駅に帰り着いたのは12時過ぎ。「酔っ払って家の前の坂を上がるのしんどい」とコイオ・タクシーを呼びつけた。

さて、Y子さんから聞いたオモロイ話。
英語があまり得意でないアメリカ育ちの若い日本人男性に、Y子さんが職場で言われた言葉。Y子さんが疲れた顔をしていたので、彼は多分、You look like a zombie と言いたかったと思われるのだが、
「化け物みたいですね~」

また、ある時、誰かが会社を辞めるに当たって、
「草葉の陰から応援していま~す」

2009年4月19日日曜日

久々のマンハッタン

昨日、何ヶ月ぶりかで(大げさ)マンハッタンに行った。
ほんま、いつ振りだろう・・・? なんだ、よく考えたら、キニコが春休みで帰ったときに「アヴェニューQ」を見に行って以来だから1ヶ月か。たいしたことなかった。

でもマンハッタンでチカエとマビオに会うのは、なんと去年の10月以来!
ま、2月にブラジルで会ったけど。

追加でお願いしたブラジルからの戦利品をチカエから受け取り(シナコのスカート、10ドル也)、私が日本から持ち帰った頼まれ物を渡し、アパート近くのレストランにブランチに出かける。

その後、チカエたちのアパートに戻る。マビオさんが、なかなか私たちを2人きりにしてくれない・・・。しばらーくして、静かになったなぁと思って見たら、椅子の上で口をあけて居眠ってた。おぉ、これで心行くまで大阪弁でしゃべれるわ。

しかし、昨日はコイオが母親を大阪から千葉に連れ出す日。なかなか「うん」と言ってくれないことや、尿失禁だけでなく便失禁も時々あることで、どうなるのか心配だったし、連絡があったときに私がマンハッタンで遊んでいるというのも、何となく罪悪感を感じて、日本の朝が始まる頃には私も帰宅。ちょっとしゃべり足りなかった・・・。

マビオさんの最も新しい著書は「Old Age ain't for Wimps」(弱みそは年とるな!、とでも訳すか)。ブラジルにいた時に原稿を読ませてもらった。年寄りの辛さを面白おかしく書いたもの。現在、出版社を探しているところ。最近は本が売れなくなっているので、出版先を探すのは至難の業らしい。見つからなければ自費出版すると言ってた。

年取るってほんまに大変なことなんやなぁとしみじみ思う。

2009年4月9日木曜日

鶯ボール

関西では良く知られた「鶯ボール」は友人の会社の製品。これまで関東では販売されていなかったのだが、去年11月に「ケンミンショー」に取り上げられてからは、関東でも問い合わせが増えて、おかげでイトーヨーカドーやサンクスでも置いてくれるようになったそうだ。

ケンミンショーのあと、鶯ボールを是非食べてみたいという人からの問い合わせが増えて、通販も開設し、直接取り寄せることが可能になった。近くにヨーカドーやサンクスのない方はこちらへ。
http://www.uegaki-beika.co.jp/frame2.html

上はどちらかと言うと自宅用。鶯ボールの製造元では、進物に使えるネット販売会社として、弥奈刀屋(みなとや)があるのだけれど、ここでは「鶯ボール」は買えないのだ。今日は、進物用の「鶯ボール」も用意せぃと友人にアドバイスしておいた。(弥奈刀屋の名前の由来だが、神戸に湊川という川がある。その昔は弥奈刀川と書いたそう。)
http://www.kobe-minatoya.com/

アメリカにも輸出はしているそうだが、子供のころから親しんだなつかしの「鶯ボール」は、アメリカの家の近くにある日本食品店では売っていない。すしを代表とする日本食が人気のアメリカだが、海苔や醤油のにおいが苦手だと言うアメリカ人はまだまだたくさんいる。その点、この二つを使っていない「鶯ボール」なら一般受けすると思うのだが。

ところで、「あられ、おかき、おせんべい」の違いをご存知だろうか?

業界での分類は、
あられとおかきは、もち米で出来ているもの。
おせんべいは、うるち米で出来ているもの。
そして、あられとおかきの違いは、サイズ。つまり、あられは小粒で、おかきは大きめのもの、
…だそうだ。

2009年3月18日水曜日

サルバドール (3)

今回の旅行の最大の難関は言葉だった。

マビオさんとチカエは、フランス語も少しできるが、アメリカで個人レッスン、スペインやコスタリカでの休暇中に学校にも通っていたから、かなりスペイン語の素地がある。かなりと言っても、書いてあれば判読できることが多いが、ペラペラとやられると解らないことが多い。

私はスペイン語は皆目ダメ。カビの生える前に殆ど蒸発したイタリア語と、フランス語で、少しは判読できるものの、話しかけられるとダメ。そこで対処法は、こちらから話しかけて、それに対して、イエス・ノーで判別。

チカエとも話していたのだが、言葉がわからないってホント大変。日本に旅行に来ているガイジンはこんな気持ちなのかしら。

メニューを広げても、全然わからん
説明を求めてもわからない。
みごとなくらい、誰も英語を話さないのだから。

Cubanaのメニュー。どれがどのフレーバーなんだか、さっぱり。私は安全パイのココにした。

書いてあれば、結構わかる場合がある。アメリカでも時々見かける「No Shirt, No Service」(上半身裸での入店お断りのサイン)。 

ビールが欲しくて、「ビエッラ」と叫んだけど通じなかった。マビオさんが、世界でもスペイン語とポルトガル語だけが、ビールに似た音を使ってない言語だと教えてくれた。ここではビールは、セルベージャ(Cerveja)。何を置いても、これだけは覚えねばならぬ。

レストランでお勘定を頼むとき。これは、A conta por favor.(家に帰ってから調べた。)スペイン語は、La cuenta, por favor. イタリア語は Il conto per favore. 私とチカエは勝手に、La conta por favorと言っていた。

しかしマビオさんは、お勘定の度にウェイターに向かってスペイン語で「悲しい報せをお願いします」と言うのだ。これはスペイン語で、悲しい報せ=請求書というジョークらしいのだが、同じジョークが通じないのか、マビオさんの発音が悪いのか、通じたためしがない! なのにめげることなく、悲しい努力を毎度毎度繰り返されておりました・・・。
悲しい報せに向けて、精力的にお皿をつつくマビオさん。

マビオさんと私は、マンハッタンで会うときもそうなのだが、基本的には、スリー・ワン・ルールと言うのを設けている。つまり3回に1回は私が食事代を払うということ。3人なので、これはとても公平なルール。でも厳密には、4回に1回くらいしか出してないのだけど。

今回の旅行でも基本はスリー・ワンで行こうと合意。
すると3度目にあたったのは、昼食を食べ過ぎて、夜遅く軽食を食べたレストランだった。するとマビオさんが、「こりゃ、安すぎるからアカン」と大阪弁では言わなかったが、払わしてくれないので、じゃ替わりに翌日のランチを私が払うねと言うことになった。

ところが翌日行ったのは、今回の旅行中、最も高級なレストラン。「不公平やん!」と異議を唱えると、「どうしてもここはワシに払ってくれと主張するなら、払ってもいいぞなもし」と言うから、「どうしても払ってください」とお願いした。

ところが、こんな超高級レストランなのに(トイレの便座には電動で替わるビニールシートがあり、トイレの壁には、なんとデンタルフロスの自動ディスポーザーもある)、メニューを見たら、意外や意外、ニューヨークの普通のレストラン並みなのだ。物価が安いって素晴らしい。で、結局は私が払うと最後に申し出た。「そんなんやったら、シャンペン注文したのに」とマビオ。そうは問屋が卸さねぇ。

チカエも私も生まれて初めて見たデンタルフロスの自動ディスポーザー。レストランのロゴ入り。

サルバドール (2)

サルバドールの朝は遅い。
(懐かしのネスカフェのCMのパロディーと誰が気が付いてくれるだろう・・・)

まあ自分たちがいつまでも寝ていただけなのですが。9時ごろ一応目は覚めるものの、もうちょっと・・・と思って気がつくと、10時とか11時。

それから朝食。
「手伝おうか?」と、その気がない癖に、一応チカエに声をかける。
「いいよ、いいよ、座ってて」と言われ、「そう、悪いねぇ」と全く済まなさそうに聞こえないセリフを吐く。このやり取りを毎朝繰り返していた。

朝食のメニューは、たいていがオレンジジュース、マンゴ、フルーツにヨーグルトかシリアル、またはその両方をかけたもの、パンと紅茶。

「こんなんでごめんね」とチカエ。
毎日自宅で食べている朝食よりよっぽど豪勢なんですけど。

ブラジルで苦労したのは、オレンジジュースとパン。
スーパーに行っても、普通のオレンジジュースが売ってないのだ。パック入りのオレンジジュースは飲まないのだろうか?? 求めていたのはトロピカーナのような100%ものなのだが、何故か買ったものは、ちょっと水で薄めたような人工的な味のするヤツ、次は何故か豆乳入りだった。(後でパックを見たら、確かにソヤ(大豆)と書いてあった。これは、懐かしのフルーツ牛乳の味がした・・・。)

日本語の語源のパンがポルトガル語のパンなのは周知の話。なのにブラジルのパンはまずいのよ。何ででしょう。滅多においしいパンに当たらなかった。どれも、ぽそぽそしている。小麦粉が悪いのか。

日本でも有名なポンデケージョ(ポン=パン、ケージョ=チーズ)。生協の共同購入にもありました。もちもちしておいしかった。なのに、スーパーで買ったポンデケージョはイマサンだった。空港のコーヒースタンドで買ったものはおいしかったけど。

そう言えば、サウジ時代、フランス人は「サウジの小麦粉ではおいしいものが作れない!」と言って、わざわざフランスから輸入された小麦粉を買っていた。小麦粉説は、大いに説得力あり。

朝食が終わる頃には、たいてい12時を回っている。これから出発のための身づくろいが始まる。準備が整うのはたいてい2時ごろ。

マビオさんの毎日の日課は、「今日のランチをどこで食べるか」を詳しく調べること。ブラジルの旅行書(2冊)を隅々まで読み、更にインターネットで調べた結果、「今日のランチは、XXにある○○に行く事にしよう。ここは・・・」と、そのレストランがどのように傑出しているか説明してくれる。あるいは、「今日は、△△か□□に行く事にしたいが、どちらがいいか」と私たちに意見を求める。

ここだけの話だが、どっちもブラジル料理だし、私もイマイチどっちがいいか判らないのだが、ここは意見を述べるべしとばかり、「そうですねぇ、昨日はアレを食べたので、今日は是非コレを食べたい」と厳かに己の意思を表示する。「では、△△に決まりだ」と、レストランに予約を入れてくれる。言葉が通じれば晴れて予約成立。予約は3時とか3時半。この時間に昼食である。

直接レストランに行くこともあれば、少し広場のあたりをうろうろしてからのことも。ルートは大抵はマビオさんが決めてくれる。「XX美術館があるので、そこに寄ってから行こう」「XX画廊を覗いてから」「アメリカ人が経営しているレコードショップに寄ってから」など。レストランのあとは、マビオさんだけ先に帰ってお昼寝し、私たちで広場をうろうろすることもあった。ランチが遅いため、たいてい夜はお腹が空かないので、バーで何かをつまんで飲む程度。はたまた家に帰って、紅茶とパンとオムレツ、とか。

さて、ブラジル料理だけど、私は非常に気に入った。そもそもアメリカの南部料理は好きだし、ニューオーリンズのケイジャン料理やクレオール料理も大好き。ブラジルの料理はこれらに似通ったものが多く、大抵は煮込み料理。海産物も豊富で、海老、蛸、牡蠣、魚などの料理がメニューに並んでいる。

何日も食べていると、料理の名前は違うのに、どれも似通っていることにも気が付く。色もたいてい黄色。この色は、どうやら椰子油(パーム油)から来ているらしい。多くの料理に椰子油が使われているのだ。

サルバドールのあるバイーア地方の料理として、特に知られるモケカはまさにパーム油たっぷり。

写真は同じくバイーア地方の料理、ボボ。はっきり言って、モケカもボボも違いがようわからん。言ってみれば、インドのカレーとコルマとマサラの違いみたいなものか。違いはあるけど、寿司とラーメンほどの違いはない・・・。それともガイジンにとっては、寿司とラーメンも、違いがわからぬのか?

ブラジルの国民食と言われているのがフェイジョアーダ。こちらはアメリカの南部料理にも見られる黒豆と肉を煮込んだ料理。おいしかった!

シュラスコ(バーベキュー)はあまり興味がなかったので、候補に挙がったときにも却下したのだが、肉好きのコイオは「あれがウマイのに~」と言っていた。前にアメリカで食べたことあるけど、あまり感激しなかったんだもん。

この辺りのレストランのサービスで嬉しいのが、ビールを注文すると必ず冷えたビールがぬるくならぬような工夫が凝らされていること。バーだと、ビール瓶が発泡スチロールなどのスリーブに入っているし、レストランだと、まるで白ワインのごとく、氷の入ったバケツに入っている。ま、お店に冷房が入ってない場合が多いし、入っていても効いてないから、直ぐに生ぬるくなるわけですが。

Cubanaと言う名のアイスクリーム屋があったのだが、ここのアイスクリームがおいしかった。最初はメニューを解明するのが大変で、マンゴと思って頼んだマビオさんが受け取ったのは、トロピカルフルーツの一種だった。チカエはスペイン語と同じだから解読できたパイナップル。私は安全パイのココ(ココナツだとわかった)。

このココナツが大ヒットだった。その後もココナツを目指して足繁くこの店に通った。グリーンコーンってのもあって、これもなかなか美味だった。濃さは丁度イタリアのジェラートのような、さっぱりとした口当たり。しかも安い! 座って食べて、ひとつ2.7レアル。100円ちょっとだよ。

エネルギーの殆どは「食」に向けられ、残りはお土産ショッピングにあてがわれたのでありました。アクセサリー、ゴムゾウリ(チカエはビーサンと主張したが。ネットで調べたら、「ハワイアナス」は国際的ブランドらしい http://www.havaianas.jp/index2.html)、しわしわドレス、Tシャツなど。

2009年3月11日水曜日

サルバドール (1)

ブラジルに出発した時は、雪で気温もマイナス。でも1週間経ったら随分暖かくなっていた。雪でどうなることやらと随分心配したけど、行きの飛行機は、遅れたものの、どうにかマイアミに到着。乗り継ぎ時間があまりなく、次のゲートが離れていたので焦った。ゲートに着いたら、とっくにボーディングは始まっていたけど、ぎりぎりで乗れた。しかしチェックイン荷物は、積み残しになったかも・・・と恐れていたけど、それも起きず、トラブル無しでサルバドールの土を踏めたなんて、ホント奇跡に近い! 日頃の行いがええからやな。

サルバドールは、ブラジルでも特にアフリカ系の人が非常に多い所で、マビオさんいはく75%はアフリカ系と言うことだったが、私たちが滞在していた旧市街や、買い物にでかけた市街地でも、ローカルの人の99%はアフリカ系だった。それゆえ、街の雰囲気も随分とリオやサンパウロのような他の大都市とは趣を異にしていた(行ったことないくせに!)。まさに異国情緒たっぷりでとっても楽しめた!

町を見渡すと、窓にガラスの入っていない、一見して貧困層が住んでいると思われる居住地が至る所に見られる。ひょっとしてここは気候が良いから、窓が要らないのかな、中流の人でもこんな家なのかしら、と一瞬思ってしまうくらい、それくらい、こんな家が建っている場所がたくさんある。しかもその直ぐ隣にはまともなアパート群があって、貧困層と普通の人たちが何食わぬ顔して共存している・・・そんな風に見えた。

いや、「普通の人」と言うのも、貧富の差が激しいこの国では恐らく下層階級に属するのだとは思うが。サルバドールに住む人の多くは中流から中の下じゃないかな。金持ちは郊外の、もっとセキュリティーの高い、壁に囲まれた大邸宅に住んでいるのでしょう。

でも、この一見して貧しい人たちの、何て明るくて親切なこと! 人の親切さでは、この国の人の右に出るところはないんじゃないか、とチカエと何度も感心した。

2年ほど前までは、まさにバイタリティーの塊で、私たち3人の中では一番元気だったマビオさんも、よる年波には勝てず、ここのところめっきり歩くのが遅くなり、腰も少し曲がって、まさに老人然となってしまった。見るからに弱々しい歩きの彼を見て、町の人たちが至るところで救いの手を差し伸べてくれる。段差があれば、手を取り、ちょっと待っていると、どこからか椅子を持ってきてくれる。誰もが道を譲ってくれる。大人も子供も一様に。(ただし、物乞いの子達の場合には、その後で小銭頂戴って言われるのだが。)

ある時、タクシーの停まりにくい往来で、手を挙げていたら、近くの出店のお兄さんが、ここで待っててという手振りをして、車道の中に飛び出して行った。タクシーに向かって両手を振って、私たちの居るところに導いてくれる。

とにかく一時が万事この調子。親切を絵に描いたような人ばかり。「体の不自由な人は、ブラジルに住んだらええんちゃうか」とチカエ。ところで、なぜか町行く人は、みんな元気で若い。車椅子も老人も見かけなかった。なんでやろ。平均寿命は短いのやろか。

もうひとつの驚きは、観光客相手のお店の人が全然しつこくないこと。あまり値段の交渉にも乗ってくれない。ちょっとは安くしても、それ以上は下げないし、じゃあと店を出ても、誰も追いかけて来ない。また、通りで何かセールスされても、要らないって言うと、すんなりあきらめる。本当にさらっとしているのだ。これは楽でいい。

唯一ちょっと困ったのが、小銭を頂戴と寄ってくる裸足の子供たち。勿論、洋服も汚れている。何も敷かずに直接地面に横になって熟睡しているのを見かけたから、家もなく、子供だけで通りで生活しているのかも知れない。この汚い身なりの子供たちも、地元のお店の人に邪険に扱われることもなく、カフェのおじさんも、彼らの背に手をやって、何か言葉をかけている。お店のお客さんにはしつこくするなよ、と言っているような気がした。

出かける前は、「危ないから気をつけろ」「絶対気ぃ抜くな」とコイオに何度も言われた。しかし拍子抜けするほど何もないし、警察は至る所にいるので、その旨をメールに書くと、「その油断が危ない! ブラジルは知らんけど、メキシコなんか、警察が一番危ないねんで」と返って来た。最後まで気は抜かなかったものの、やっぱり思ったほど危なくなかった、かな。

私たちが泊まっていたアパートは、旧市街の広場のひとつに面していた。広場が幾つか連なっているこの辺りが歴史的な地区でもあり、観光の中心。地元の人の話では、この広場とそれを囲む部分は安全だとのこと。それを越えて出かける場合は、気をつけろって言われた。マビオさんの足のこともあり、私たちの行動範囲は殆どこの範囲を超えることはなかった。

アパートの窓からの景色

2009年2月25日水曜日

エリザベス・カラー

先週金曜日は、予告どおりガールズナイト。
誰や、おばはんのくせに何がガールズや、なんて言っている人。

母なんて、ほぼ月1で小学校の同窓会を開いて、70も半ばのジジババが集まって、「ちょっと男子」とか「じゃあ女子が」という会話を交わしている。

幾つになっても、ガールズで女子なのさ!

ブラジルに行っているチカエは欠席。今回参加は私を含め3人。実はみんな同業者。

カウンター席に3人並んだのだが、端に座った私には、反対側の端のY子さんの声が時々聞こえない。何度も耳に手をかざして聞きかえす。このところ、家でも夫の言うことがよく聞こえないことがあり、「医者に診てもらったら」と言われる始末。

するとY子さん、
「エリザベス・カラー付けたら?」

何だそりゃ?
「ほら、犬とかが治療した所をなめないように、獣医さんが付けてくれるあのプラスチックのやつ」

あー、あの開いたメガホンみたいなやつ。エリザベス・カラーって言うのか。
言われて見れば、肖像画のエリザベス1世とかは、スゴイ襟(カラー)の服を着てる。あれにちなんだ名前なのね。

ウィスパリングで通訳する時、スピーカーの声が聞こえにくいことがよくあるの。
あの時もエリザベスカラーを装着したらどう?
「こんにちは、通訳のXXです」って言いながら、エリザベスカラーをつけて登場したら・・・。
想像して爆笑。

それに、ウィスパリングの時には、通訳の要らない近くの人に「うるさい」って言われるときあるじゃない。だから、口には長い筒のようなものを、耳にゴムか何かで留めて・・・。
再び爆笑。

そんなしょうもない話をしながら、ガールズナイトの夜は更けて行きました。
ついでにガールズも老けて行きました。

2009年2月20日金曜日

再会 & 日本の大学

一昨昨日(さきおととい、と書いたらこんな変換やった)のヨワシとの再会。25年以上振りでありました。待ち合わせのホテルのロビーで、相手がわからへんかったらどうしよう・・・と、家を出る前にヨワシの大学のホームページに掲載されているプロフィールで、再度写真を確認。

ホテルのロビーは広くて、メガネをかけていなかった私は、これじゃあ相手が見つからない。メガネを出そうかと思った瞬間、「ジョダコ!」と声をかけられた。見上げると、「昔のまま」の彼をワイドスクリーンに映し出して、ちょっと頭髪を薄くした姿が目に入りました。(あ、ヨワシもこのブログを読んでるんやった。くわばら、くわばら。でも、ヨワシは紅顔の美少年だったから、ギャップは仕方ないやろ。)

「全然、変わらへんやん」と言うヨワシの声にも、嘘と言うトーンがはっきり表れておりました。
まぁいい。一応2人ともお互いが確認できる程度の変貌振りだったと言うことである。

45丁目のホテルから、32丁目の韓国街まで歩いた。どこに行くにも行き先での楽しみ方を下調べしている彼(さすが先生)が、ここぞと調べてきてくれたコリアンレストラン。

コリアンに行くと、注文した料理とは別に、最初にキムチだの何だのって、小皿がたくさん並べられる。カルピと石焼ビビンバと全ての小皿を全部平らげたら、後から頼んだ豆腐チゲが来る前に、また全ての小皿が再び登場。よっぽどお腹空かせてるって思われたか? ヨワシ曰く、韓国では、全部平らげないほうが礼儀らしい・・・。そうだったの? でも、おいしかったよ。特に豆腐チゲ。家に帰って体重を計ったら、2-3日前の2キロ増しだった・・・。(運動せぃ!)

ここからは、ヨワシに聞いたへぇーの話。

彼には日本の大学で教える・教えていた友人がたくさんいる。彼らが一様に、最近の日本の大学生について嘆いていると言う。ヨワシとアメリカの大学院で同窓だったある超有名私立大(名前は伏せます)で教えていた女性はストレスから体調を壊し、結局は15年勤めた大学を辞めてしまった。ストレスの原因は学生。とにかく全く授業にならず「子守り」だったと言う。「学級崩壊」と言う言葉は、小・中学校だけの話と思いきや、大学でもそうだと言うのだ。 

この大学の講義は70分。その70分の授業で学生の集中力が続かない。途中で休憩を挟まなければ奇声を発する者までいるらしい。(ちなみにヨワシのカナダの大学は2時間ぶっ続け。)抗議の途中でふらっと出て行く学生も多い。授業に来ないから、電話で生徒を呼び出すのも先生の仕事。また、心の病を持っている生徒が非常に多いらしい。

ひょっとしてこの人の授業が下手なのじゃ・・・と思ったが、この現象は彼女のクラスだけでも、この大学に特有なものでもないらしい。他の大学で教鞭を取る同僚たちが、一様にそんなことを言っているらしく、東大やその他の優秀な公立大、私大の多くで、こんな現象が起きているらしい。

「じゃ、そう言う生徒は落とせばいいじゃない」
だが、少子化の現在はそうは行かないらしい。何故なら生徒の4割がこんならしいのだ。4割を落としていたら学校経営が成り立たない、という大学側の事情。

学生の親も、「先生、大学で躾けて下さい」と言うんだって。大学で躾? いった何を?
「敬語とか」
「みんな、ため口で話すわけ?」
「生活態度とか」

勉強のほうも、
「大学の1,2年生って言ったら、まだ何も知らん赤ちゃんやで。そいでやっと3年になってこれからと言うときに、就職活動が始まるねんで」

「だからアメリカの大学の方が、勉強と言う意味ではよかってんで」と私を慰めてくれるが、
「そやけど、それに授業料が4万ドル。誰が払えるねん。それに、ほんまに4万ドルの値打ちあるん?」

日本で大学生のお子さんを持つ方で、「いや、そんなことない!」とおっしゃる方もいるでしょう。そうじゃない学生がいるのも確かです。

でも私の甥の話なんか聞くと、まさにこの通り。甥は関西ではそこそこの大学だけど、彼はアイスホッケー以外は大学では何もやってない。何せ、クラブの練習の時間帯が、夜の11時12時から、2時3時までとか。この大学はリンクを持っていないので、よそのリンクを借りていて、空いている時間となるとこんな時間帯になる。

しかもリンクの場所が大学(=下宿)から離れている。家に帰るのは毎朝3時4時。ホッケーの練習までの時間は当然アルバイトをしている。これで授業に出るのだから、クラブのメンバーは、殆どの授業でいつも寝ていると言うのだ。で、先日は「あかん、英語を落としそうやから、おばあちゃんの知り合いのセンセに頼んでくれない」と母に言って来た。母の知り合いがこの大学の英語の先生。勿論、そんな融通が利くわけない。

彼の望みは、成績はどうあれ、とにかく普通に卒業して就職すること。
この話、別に何もめずらしいことのない、本当に「普通の大学生」の様子。私たちの頃ともちっとも変わってない。

やっぱり、ヨワシ、根本的に日本とアメリカ(及び諸外国)との大学のあり方が違うんじゃないかな。日本の大学は学びの場とは見なされていないんだよ。社会経験を積む場なのかもしれない。一部の勉強熱心な人を除いては、日本のお勉強は大学の受験勉強で終わるんじゃないかしら。中には、大学で信じられないくらい勉強している友人の息子も知っているけど、やっぱり少数派なんだろな。

私はこういう普通の日本人の大学生活を自分自身が経験しているから(非常に勿体なかったと思うが)、これもアリかと思えるけれど、諸外国で勉強した人には信じられない光景なのかもしれない。

うーん。100万円の授業料で日本か、400万円でアメリカか・・・どちらに価値があるか、まさに究極の選択。
あっ、カナダの200万円があった! コレだっ!

2009年2月17日火曜日

イベント

先週末のバレンタインに始まって、これからはイベントが目白押しで嬉しいジョダコさんです。

バレンタインには、心優しくもコイオ、キニコ、シナコ、アメリカのお母さんにSee'sのチョコレートを贈り、シナコとコイオにあげたやつは、早速自分でパクパク食べて、どんどんお腹が出ています。(エクササイズせぇって!)

コイオからは何も用意されていなくて、「ここはアメリカだよ! アメリカは男のほうから女にくれるのがメインなんだよ! 何か頂戴」と半ば脅迫し、マンハッタンに食事をしに行く事に。シナコは両親とのお出かけは大嫌いなので、一応誘ってやったけど、行かないというから、じゃ適当に冷蔵庫の物を食べておきなさいと言い残してでかけた。

ブックオフにも行きたかったし、少し早めに出た。電車の中で、「お財布ボロイんだよなぁ。お財布がボロイとお金が貯まらないらしいよ」とこぼしたら、「じゃあ、買ってやる」と、お財布も買ってもらうことに。

お買い物の後、なぜか私は無性に焼き魚が食べたかった。炙り屋錦乃介(居酒屋)なら何かしら焼き魚があるだろうと、電話してみたら、「今からですか? そうですねぇ、7時までなら空いてます」そのとき既に6時前。お店に着く頃には6時を回りそう。「7時ちょっと過ぎるくらい大丈夫ですか?」とコイオが聞くと、「えー7時まではいいですが、7時のしばらく前からは、オーダーもストップになりますねー」言い方もすごーく愛想が悪くて、歯切れも悪い。コイオはムカッと来て、「もう結構です」 

そんなんだったら、「生憎今夜は一杯です」って言うべきだよね。やっぱり、トット系列は客対応がなってない。やっぱりもう二度と行かないことにしよう。(って、食べ物がおいしいんだけに、残念。)

なら、どうしようと歩いてたら、「初花」というお寿司屋さんの前を通った。じゃあ、ここにするかと入りました。メニューを見ると、「ハマチのカマの塩焼き」と言うのがあり、早速注文。「あ~、もうこれと、ご飯と味噌汁だけでええわぁ」と言いながら、しっかりお寿司も食べた。おいしかった。

板前さん(って言うのかな?)が、「12月からは日本人のビジネスマンは全然来なくなりました。アメリカ人ばっかりです」と言ってたけど、確かにお店は一杯なのに、周りを見渡すと、殆ど日本人はいませんでした。

さて、今夜はカナダの大学で准教授をしている高校時代の留学仲間とマンハッタンで会う予定。マンハッタンで学会があるので来ているのです。彼と最後に会ったのは確か大学時代。メールのお陰で、こうしてずっと連絡が取り合えています。ただ、お互い写真は見ているものの、実物に会うのは、ウン十年振り。ちょっと怖いなぁ。すぐにわかるかなぁ。今夜のメニューは韓国焼肉です。

そして今週の金曜日はガールズナイトと称して、女の子のお友達とマンハッタンで飲み食いする数ヶ月に一度のイベント。今回は「博多とんとん」と言うお店。コラーゲンたっぷりの食事をして、若返るぞっ!

2009年1月10日土曜日

著名な知人

既にご承知のように、私は非常にミーハー。
で、自分の功績でもないのに、知人の功績を自慢したり、著名な知人を自慢したくなる。

会社勤めをしていた数年前、「著名な知人自慢」と称して、各自が接点のある有名人をリストアップして、誰がスゴイ人を何人知っているかを、同僚と競い合った。知人と呼べなくても、どこかで言葉を交わしたことがあるとか、同じ学校出身とかでもリストに加えることができた。結果はダントツで私が一位。

ま、内容は、緒方洪庵の4代目直系(小学校の同級生)、館ひろし(「英語上手いですねぇ」と言われたことがある)、元ゴダイゴのトミー・スナイダー(1,2回食事したことある)、デザイナーの高田ケンゾー(昼食時にしばしば見かけた)、もんたよしのり(我が家御用達の蒲団屋さんの息子)、デザイナーのマダム花井(彼女の代わりにニナリッチの陶器を買わされた)、萬田久子(彼女の使い走りでディオールの化粧品を買いに行った)とか、全くくだらない内容なんだけど。

そんな中に、アップル社のiPodの生みの親とも言われ、現在はPalm社の取締役会長(Executive Chiarman)を務めるジョン・ルビンスタイン氏がいる。ま、直接知っていると言うより(会ったことはあるけど)、彼はこのブログにもしばしば登場する友人チカエの義理の息子、つまり彼女の夫マビオさんの息子なのである。

そんなわけで、ジョンがメディアに登場すると、マビオさんから連絡があるのだが、今日もそんなビデオクリップのサイトが送られてきた。通訳の練習をするのにも丁度いいので、サイトを紹介します。http://www.palm.com/us/products/phones/pre/palm-pre-ces.html

冒頭でジョンが「メキシコの家でぼーっとしてたら」と言うようなくだりがありますが、まさに今、チカエとマビオさんは、ジョンのそのメキシコの豪邸で休暇中。あ、違った。今はマウイだった。その後メキシコ、ブラジル、ガラパゴスで、チカエは3末まで寒いNYには戻らないのでした。と言うわけで、私は仕事も暇だし、遊び相手もいなくて腐っております。つまんないなーーーー。