一昨昨日(さきおととい、と書いたらこんな変換やった)のヨワシとの再会。25年以上振りでありました。待ち合わせのホテルのロビーで、相手がわからへんかったらどうしよう・・・と、家を出る前にヨワシの大学のホームページに掲載されているプロフィールで、再度写真を確認。
ホテルのロビーは広くて、メガネをかけていなかった私は、これじゃあ相手が見つからない。メガネを出そうかと思った瞬間、「ジョダコ!」と声をかけられた。見上げると、「昔のまま」の彼をワイドスクリーンに映し出して、ちょっと頭髪を薄くした姿が目に入りました。(あ、ヨワシもこのブログを読んでるんやった。くわばら、くわばら。でも、ヨワシは紅顔の美少年だったから、ギャップは仕方ないやろ。)
「全然、変わらへんやん」と言うヨワシの声にも、嘘と言うトーンがはっきり表れておりました。
まぁいい。一応2人ともお互いが確認できる程度の変貌振りだったと言うことである。
45丁目のホテルから、32丁目の韓国街まで歩いた。どこに行くにも行き先での楽しみ方を下調べしている彼(さすが先生)が、ここぞと調べてきてくれたコリアンレストラン。
コリアンに行くと、注文した料理とは別に、最初にキムチだの何だのって、小皿がたくさん並べられる。カルピと石焼ビビンバと全ての小皿を全部平らげたら、後から頼んだ豆腐チゲが来る前に、また全ての小皿が再び登場。よっぽどお腹空かせてるって思われたか? ヨワシ曰く、韓国では、全部平らげないほうが礼儀らしい・・・。そうだったの? でも、おいしかったよ。特に豆腐チゲ。家に帰って体重を計ったら、2-3日前の2キロ増しだった・・・。(運動せぃ!)
ここからは、ヨワシに聞いたへぇーの話。
彼には日本の大学で教える・教えていた友人がたくさんいる。彼らが一様に、最近の日本の大学生について嘆いていると言う。ヨワシとアメリカの大学院で同窓だったある超有名私立大(名前は伏せます)で教えていた女性はストレスから体調を壊し、結局は15年勤めた大学を辞めてしまった。ストレスの原因は学生。とにかく全く授業にならず「子守り」だったと言う。「学級崩壊」と言う言葉は、小・中学校だけの話と思いきや、大学でもそうだと言うのだ。
この大学の講義は70分。その70分の授業で学生の集中力が続かない。途中で休憩を挟まなければ奇声を発する者までいるらしい。(ちなみにヨワシのカナダの大学は2時間ぶっ続け。)抗議の途中でふらっと出て行く学生も多い。授業に来ないから、電話で生徒を呼び出すのも先生の仕事。また、心の病を持っている生徒が非常に多いらしい。
ひょっとしてこの人の授業が下手なのじゃ・・・と思ったが、この現象は彼女のクラスだけでも、この大学に特有なものでもないらしい。他の大学で教鞭を取る同僚たちが、一様にそんなことを言っているらしく、東大やその他の優秀な公立大、私大の多くで、こんな現象が起きているらしい。
「じゃ、そう言う生徒は落とせばいいじゃない」
だが、少子化の現在はそうは行かないらしい。何故なら生徒の4割がこんならしいのだ。4割を落としていたら学校経営が成り立たない、という大学側の事情。
学生の親も、「先生、大学で躾けて下さい」と言うんだって。大学で躾? いった何を?
「敬語とか」
「みんな、ため口で話すわけ?」
「生活態度とか」
勉強のほうも、
「大学の1,2年生って言ったら、まだ何も知らん赤ちゃんやで。そいでやっと3年になってこれからと言うときに、就職活動が始まるねんで」
「だからアメリカの大学の方が、勉強と言う意味ではよかってんで」と私を慰めてくれるが、
「そやけど、それに授業料が4万ドル。誰が払えるねん。それに、ほんまに4万ドルの値打ちあるん?」
日本で大学生のお子さんを持つ方で、「いや、そんなことない!」とおっしゃる方もいるでしょう。そうじゃない学生がいるのも確かです。
でも私の甥の話なんか聞くと、まさにこの通り。甥は関西ではそこそこの大学だけど、彼はアイスホッケー以外は大学では何もやってない。何せ、クラブの練習の時間帯が、夜の11時12時から、2時3時までとか。この大学はリンクを持っていないので、よそのリンクを借りていて、空いている時間となるとこんな時間帯になる。
しかもリンクの場所が大学(=下宿)から離れている。家に帰るのは毎朝3時4時。ホッケーの練習までの時間は当然アルバイトをしている。これで授業に出るのだから、クラブのメンバーは、殆どの授業でいつも寝ていると言うのだ。で、先日は「あかん、英語を落としそうやから、おばあちゃんの知り合いのセンセに頼んでくれない」と母に言って来た。母の知り合いがこの大学の英語の先生。勿論、そんな融通が利くわけない。
彼の望みは、成績はどうあれ、とにかく普通に卒業して就職すること。
この話、別に何もめずらしいことのない、本当に「普通の大学生」の様子。私たちの頃ともちっとも変わってない。
やっぱり、ヨワシ、根本的に日本とアメリカ(及び諸外国)との大学のあり方が違うんじゃないかな。日本の大学は学びの場とは見なされていないんだよ。社会経験を積む場なのかもしれない。一部の勉強熱心な人を除いては、日本のお勉強は大学の受験勉強で終わるんじゃないかしら。中には、大学で信じられないくらい勉強している友人の息子も知っているけど、やっぱり少数派なんだろな。
私はこういう普通の日本人の大学生活を自分自身が経験しているから(非常に勿体なかったと思うが)、これもアリかと思えるけれど、諸外国で勉強した人には信じられない光景なのかもしれない。
うーん。100万円の授業料で日本か、400万円でアメリカか・・・どちらに価値があるか、まさに究極の選択。
あっ、カナダの200万円があった! コレだっ!
4 件のコメント:
今朝、Fジテレビの某美人アナがレポートしてたんだけど、あんまりアホなんで「あほ丸出しやな。でもこの人確かKオウ?」なんて言ってたら旦那が「まぁ、所詮そんな程度の学生しかおらんってことや」って言ってました(トホホ)。天下のKでもそれですかぃ、みたいな。
もうあとは推して知るべし。
大学の授業の質が動向よりも学生の質がどんどん低下していて・・・教員も大変だと思う、そのレベルまで下がっていくのが。
日本の学生だって勉強してるよ、って以前書きましたが、うーん、やっぱり違うよね・・・同じTESOLでもアメリカのTESOL出ている人と私じゃやっぱりやってきたことも違うと激しく思う・・・
てことで、やっぱ、カナダ~(そうきたか)。
日本の学生の質が落ちているとすれば、その原因は何だろう? 遺伝子が劣ってきているわけじゃないから、これは環境でしょう。
そうなるとやっぱり、家庭の質、学校の質、しいては社会の質が落ちているとしか言いようがないんじゃないかな。
子供たちに対する期待が低すぎると、うちの子たちが学齢期になったころからずっと思ってた。子供たちはもっとやれば出来るのに、全然やらせないって思ってた。
学校のカリキュラムは甘すぎる。それゆえ皆、塾に通う。私が大臣になったら(なれるか!)塾は禁止にするね。(eriちゃんごめんよ~!)で、塾で教えている内容を学校に組み込むよ。授業時間を増やして、宿題も山のように出して、塾に行っている時間なんかなくなるようにするわ。学校がやることぜんぶやってくれたら、塾なんか要らないわけじゃない。授業のレベルも子供のレベルに合わせて色々に工夫するべきやと思う。成長によって能力も違うし、生まれながらの能力差もある。それはある程度は仕方ないこと。出来る子には更にやらせて、出来ない子は出来るように頑張らせるしかないでしょ。
それと、学校は勉強するところって意識が、親にも子供にも低すぎるんとちゃうかな。日本の学年懇談のときに、授業の話はゼロで、生活態度の話だけで終わったときは、唖然としたもん。生活は家庭でのことでしょ・・・って言いたいけど、そうした家庭に求められている責任を果たせていない家が実は多いんやろうね。(家のこと?)
でも大学院は違うでしょ? みんな勉強したくて大学院に行くと思ってたけど、この頃は院生も増えてるから、案外、そうでもないのかな・・・。
ジョダコさんと全く同じことを思っているよ。塾は必要悪?学校で事足りるなら塾なんかなくていいと思う。
私だって最初は(学校のフォローを行う)塾じゃなくて学校では教えないことを教えたかった。ところが、何年かやっていくうちに子供たちの自律学習能力が(全員じゃないけど)あまりに低くて学校のフォローをせざるを得なくなったという経緯もあり・・・
それでも今でも「学校で事足りるならそれに越したことはない」と思っているよ。
一方、学校で過ごす時間が多くなって、親の教育力のなさ、教員の(言っちゃ悪いが)「学校は勉強だけ教えるところではない」と思っている人の多さに驚くばかり。
そう、勉強以前のことができない子供が恐ろしく多いのよ~。
どうなってんの?日本。
かつて、中学校での英語の成績が正規分布じゃなくてフタコブラクダ型(できること出来ないこが多くて真ん中がいない)だと言われていたけれど、学力自体がそうなっている気がするし、その二つこぶが徐々に数値の低い方に移動している気もします・・・
ほんと、どうなっていくんやろなぁ。。。
そやけど、その質が落ちていると言われる生徒を大学で教えるべく、努力しているeriちゃんは偉いなあ。特殊な教科だと、学生が学ぶ姿勢の者ばかりかもしれない。そうだといいのにね。
現状は塾が必要悪と言うのはその通りと思う。学校自体が塾に依存している。出発地点が「塾ありき」なんだもんね。
とどのつまりは日本の政治が悪いってことに話が行き着く。教育システムそのものがなってないんだから。
あー、政治に腹を立て始めたら、留まる所を知りません・・・。
コメントを投稿