とうとうキニコの卒業式が終わった。
振り返って、結構感慨深いものがある。
ただ、娘が成長したと思う感慨深さではなくて、まったく自分勝手な感傷だが、キニコがホッチキスを受験し、入学して卒業するまでの5年間に本当に様々なことがあったなぁという思い。
5年前、私たちはオハイオ州に住んでいた。オハイオでの生活3年目のこと。夫に約束した帰国期限を既に3年も過ぎ、毎年のように来年は帰国するとふれ回っていたから、狼オバハン扱いされて久しかったし、ここらが潮時。そこで本気で帰国準備にかかろうとしていた。娘たちにもその旨伝えると、キニコは絶対に帰りたくないと言う。無理やり連れ帰って、グレられたりしてもと思い、プレップスクールを奨学金付で合格したら残っても良いと条件を出した。
「レイコ@チョート校」を読み、こんな学校があったのかと興味深く思っていたし・・・正直に言うと、そのときは愚かにもまだ「末はハーバードかイェールか」なんて夢を描いていた。
それから受験までのプロセス、入学、ビザ切り替えの手続きなど、面倒な手続きを経ながらも、普通だったら知り得なかった世界を覗き見、体験をした。キニコの学生ビザの切替えのために、本末転倒ながら、3年で終わるはずのオハイオ滞在が5年まで延長された。
そして帰国。今度はシナコの編入、日本の学校への適応。新婚時代の再来の予定だった夫婦は、独身生活に慣れ過ぎた中年には、再び生活を共にすると言うのは思いのほか苦であった。おまけにキニコの学費を払い続けるために、帰国直後からフル回転で仕事を始め、それが更に夫婦関係の摩擦に拍車を掛けた。あーこのままでは崩壊か・・・と思った矢先に夫の転勤。
帰国してたった1年で再びアメリカへ。その先の話はコネ通に書いてきたからご存知の通り。本当に目まぐるしい歳月だった。
ホッチキスの学費に関しては、そんな学校を娘に紹介したのは私だっただけに、責任を感じていたし、それがストレスでもあった。大学進学に関しては同じ状況に陥りたくなかったので、私は意図的に決定には介入しなかった。だから今後の大学の学費の支払いは夫と娘に頑張ってもらおう。ま、二人とも私に優しくしてくれるなら、ちょっとくらいなら協力してやってもいいよ。(あ、それであのふたり、誕生日に花をくれたり、ミュージカルを母に捧げますなんてセリフが易々と口から出たか?)
とにかく終わった!
そっか。この解放感は結局、自分が金銭的な義務から解き放たれた喜びなのかも知れない。
やけに納得。
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