で、肝心の卒業式の話を書くのを忘れた。
式の前日の夜、学校のスケートリンクの上でディナーが催された。
「リンクの上でディナー?」と尋ねるシナコに、「そうだよ。寒いから厚着していかなきゃだめだよ。食事はウェイトレスがスケートしながら運んで来る」と言ったら信じた。簡単なヤツだ。
まさか。リンクでのディナーは本当だけど、氷が張ってるわけないでしょ。
10人掛けのテーブルが幾つも用意され、家族単位で席に着く。給仕は下級生のボランティア。招待客は卒業生一人に対して原則6人までで、あらかじめ申し込まなければならない。それでベッツーとアンドリューには遠慮してもらって、私たち夫婦、シナコの他、お母さん、オースティンで申し込んであったのに、見回すとみんな6人以上人を連れて来ている。代々この学校って人は事情を心得ているのだ。
ディナーの後は表彰式。スポーツ、芸術、いろんな活動、学業面での優秀さが認められた生徒たちが様々な賞を受賞する。全部で60以上の賞があり、177人が卒業するのだから、ざっと3人に1人が受賞する計算になる。
スポーツから始まり、生徒の名前が呼ばれる。キニコはスポーツでの受賞はありえない。芸術、これも関係ないな。このあたりから、同じ子の名前が呼ばれるようになる。次第に「え、またあの子?」って具合。これじゃ3人に1人どころか10人に1人にもならないかも。もらっている子は何度も何度も名前が呼ばれるのだ。
「キニコ、呼ばれないね・・・。あ、この賞くらいはどう。『教職員・生徒共に認めるみんなを盛り上げた人』っての。いや、やっぱりアンタは成績優秀者への学長賞で決まりだね」なんて冗談を言いながらも、内心はやっぱり穏やかでない。
そしてとうとう最後の賞。これはもう15個は賞をもらったと思われるキャロリン・リーが受賞。彼女は全米レベルのスピーチコンテストでも優勝していたし、これまでも何度も学校が発行する雑誌で名前が掲載されていた。キニコの仲良しエレンも7~8個は貰っていた。「最も学業優秀」っていう賞もその中にあった。ベッカも写真の賞と、学校生活に貢献した人への賞だった。ベッカのママのリンダは、「あー、ようやく3人目にして日の目を見たわ。ジョシュもザックも何もなしだったからね。ザックなんか、俺だって写真やってたし、全然ベッカよりうまいのにって、怒ってたわ。は、は、は。」
ディナーの後、エレンに会い、
「ねぇ、エレン。そんなにたくさんもらったんだから、1個ぐらいキニコにあげてよ」って言ったら、
「でも私はキニコみたいに、お母さんにミュージカルを捧げたりできないから。」と私を慰めてくれるじゃないの。なんと優しい子なのだ。ちなみに、エレンには1週間前にハーバードから合格通知が届いた。本当に良かったね!
さて、翌日の朝11時より卒業式。卒業式といえばキャップ&ガウンといういでたちが通常だが、この学校は伝統的に男子はブレザーに白のパンツ、女子は白のドレスと決まっている。卒業式のスピーカーとして招待されていたのは、Carry Me Home: Birmingham, Alabama—The Climactic Battle of the Civil Rights Revolutionと言う本でピューリッツァー賞を取ったDiane McWhorterと言う女性。残念ながらマイクがひとつの方向に向いていて、彼女があっちこっちを向きながら話すので、声がきれいに入らず何を言っているのか聞きづらかった。(ちなみに、今年から学長となった南アフリカ出身のマッケンジー先生もアクセントがあって、彼の祝辞もわかりにくかった。アパルトヘイトの中で育った学長ならではのスピーカーの人選と言う気がした。)
続いて卒業証書の授与。卒業生の人数の多い公立高校なら、次々に生徒の名前を読んで、列になって順序良く証書を受け取るのだろうか、たかだか177人の学校なので、一人ひとりが壇上に上がって、学長から証書を受け取る。呼ばれる際に、成績が良いと名前の後に「cum laude クムラウディー」つまり「成績優秀者」と付く。
当然エレンも前述のキャロリンもクムラウディー。30人弱はいたんじゃないだろうか。通常、クムラウディ、スンマクムラウディ(最優秀)なんて呼ばれるのは大学の卒業式。公立高校じゃ通常はやらないらしい。
さて、キニコの順番だ。耳を澄ます。
案の定、名前の後には静けさだけが漂っていた・・・。
あとでベッツィーが「キニコのとき、クムラウディって言うの忘れてたじゃない」と言うと、
「そうなの。先生に聞いたら、手違いで間違えたって言ってたよ」とキニコはジョークで返していた。
さあて、式の後はカフェテリアでランチョン。1時半ごろ食事を終え、キニコの寮へ向かう。部屋から荷物を出して、4時までにはキャンパスを出なければならないのだ。キニコの部屋を見た皆は愕然とした。あれだけ前々から少しずつ整理しておけって言っていたのに、何もしてないどころか、ものすごい有様。ま、想定内だったけれど。アンドリュー、オースティンにも手伝ってもらい、3階(実質は出口が地下なので階段の数から言えば4階と同じ)から何往復もして全ての荷物を下ろす。汗だくになり、無事4時にはキャンパスを後にした。
帰りにベッカの家に寄る約束をしていたので、そこでみんなでデザートをいただいた。
で、キニコはこれで一緒に帰るのかと言えばそうではないのだ。その夜は学校から10マイルほどの距離にあるマサチューセッツ州のある子の家で、卒業生全員を招いたパーティーが催される予定で、ベッカもキニコも参加する予定。それだけでなく、その後来る日も来る日も色々な子の家で、卒業パーティーが予定されており、キニコはパーティー梯子をするので、今週の土曜日までは帰宅しない。本当にはじけまくっている。
で、ベッカの家にキニコを残して私たちは辞去した。
キニコの荷物は今もまだ車の中に積んだまま。(当然卒業式にはそれを覚悟で車2台で行った。)オデッセイの助手席まで荷物で一杯。車が沈んでいる。でも、どうして私たちが荷下し作業しなくちゃいけないのだ、とむかつくので放置することにした。今週末、帰ってきたら片付けてもらおう。それにしてもあの大量の荷物を一体どこに置くのか。ゲジゲジの館の地下にでも放り込んでおいて貰おう。
そうそう、ディナーの席でキニコが言った。
「もうギャップイヤーするの辞めた。申し込んだプログラムからは何も言ってこないし、遅すぎたんだと思う。秋からはディキンソンに行きます。」
じゃ夏休みはしっかりバイトでもしてお金を稼いでもらおう。
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