2008年4月14日月曜日

学校教育について(1)

「地頭力」に対する反響のすごさ(コメント2つでってか?)には、やはり現在の日本の教育方針に対しての庶民の憂いを反映してますよね。

私も今の日本の教育に対して、思うこと、言いたいこと、たくさんある。政治に対しても同様。そして、私の言うこと=多くの人が思っていること、であるにもかかわらず、なーんにも変わらない。そして人々は安直に、公立学校を離れ、私学に向いてしまう。私学に入れるにはお金がかかる。だから子供の数も一人、二人が限度。よって少子化スパイラルは止まらない。

先日、NHKで、公立高校で「塾」を導入している例が紹介されていた。ちらちTVを見ていただけなので、詳しい内容は知らないけれど、放課後や休日に別途費用を払えば、塾の授業を安く学校で受けられるのだとか。はぁぁぁ?? それって学校の先生が教えられないから、代わりに塾の先生に教えてもらっているってこと、つまり自分たちの能力のなさを認めているってこと?

今の教育の現場を見れば、一概に教師ばかりを責められない。先生が悪いというよりは、システムそのものが機能していない。もうずいぶん前から言っていることだけれど、教育を改善するためには、まず最初に教師の給料をうんと高くすることだ。「教師」という職を魅力のあるものにし、良い人材を確保することが、すなわち教育の質を向上させることにつながる。

私の偏見を容赦してもらえるなら、今現在、教職に身をおいている人たちの中で、本当に「教師になりたい」と熱望してなった人たちがどのくらいいるだろう。私が大学生だったころ、教職課程を取っていた友人たちは、教師になりたいからではなく、万一のときのオプションとして、教職を取っていた。そして就職活動時期が近づき、当時は就職難でもあったから、多くの人がその「オプション」を行使したことは間違いない。

何故、教師がオプションなのか。それは明らかに収入の点で魅力が少ないからだ。ただし教師になって気づいた。「恩給」というオイシイ手当てがあったし、お互いを「XX先生」と呼び合う同列社会で、「上司」といえるのは、せいぜい教頭と校長くらい。評価したりされたりする上下関係も、同僚との間で競争もない、独立独歩の世界。法律を犯すようなことさえしなければ「解雇」の憂き目にあうこともなし。

よりよき教師になるための努力をするかしないかは、あくまで本人次第。努力を仕向けるプレッシャーもインセンティブもない中では、幾ら心がけの良い人々でも、怠けてしまうのは責められない。また、より良い教師になるべく努力しても、その努力はほぼ評価されず、逆に生徒の親から非難を浴びたときの負のインパクトは大きい。そんな中でとにかく「事なかれ主義」に走り、大胆な方針も打ち出せないでいるのではないだろうか。

シナコは中学1年の夏休みから2年の夏休みの1年間だけ、日本の学校に在籍した。帰国直後はすぐ近くの公立中学に編入。両親とも公立で12年間を過ごしたので、実際に公立の状況を体験するまでは、当時の日本の公立に対して、今ほどの偏見も憂慮もなかった。しかし入ってみると、日本の教育経験がゼロの娘に対して、勉強の点におけるフォローはゼロ。アメリカの公立では、授業に遅れのある子どもには、多少のヘルプがあっただけに、余りの何もなさに唖然とした。テストの点数のつけ方も、往々にして一元的だった。テストの最中、問題の意味がわからずに聞いたシナコの質問は無視された。答えはわかっていただけに、解説が受けられなかったことを親子で悔しがった。中には英語で書いた答えに丸をくれた先生もいたのだが。

編入後まもなく、授業参観と学年懇談会に参加した。授業内容は私たちの頃と変わらない、先生が当てた子だけが答える、生徒参加型とは到底言いがたいもの。一方的に先生のペースで授業が進められていく。オハイオの補習校の授業のほうがずっと和気藹々としていた。これは生徒がアメリカナイズされいるからだろう。

懇談会では、1時間の予定のうち50分間は、ずっーと運動会と音楽会のビデオを見させられた。ふたつの行事は家族も見学できたので、どちらも既に生で見ている人たちがたくさんいたはず。私は音楽会を見てなかったとは言え、何が悲しくて、硬い教室の椅子に座って、わが子を数分見るために、よその子のパフォーマンスを延々見なくちゃいけないのか・・・と思っていた。ようやくビデオが終わり、教室に電気が灯り、学年主任のお話だ。ところが、彼が話したのは、「この学校では、互いに友人の家に泊まりあうことを禁じていますが、夏休みにそのルールを破った生徒がいたようです」に始まり、「携帯電話で変なサイトが送られることがあるので気をつけるように、という注意だけで終わってしまった。

私が期待していたのは、今年はどんなことを学習していくかという教育の中身についての説明だった。それがまったくなし、生活面の話だけで終わるなんて。生活は家庭での教育でしょ、学校は勉強を教えるところじゃないの。こんな懇談会でみんな満足しているわけ? よその家庭はそんなことを学校に期待しているわけ?

この懇談会で私が結論付けたことは、とにかく3年間、問題さえ起こさずにいてくれれば、たとえ何も学ばずに卒業しても、学校はそれで満足なのだ、と言うこと。残念ながらこの教育方針とも呼べぬこの方針に私は非常に不満を覚えた。とにかくシナコを「学ばせたい」と思った私は、まずは家庭教師を探すべく、近所の人たちに相談を始めた。その時に、ある人から、近くの私学が帰国子女を受け入れていること、とても教育熱心な学校であることを教えてもらった。

果たして、シナコは3学期からはその私学に編入した。私学に編入後、学長のお話があった。彼の話は、まさに彼の「教育方針」についての話であり、いかに子供たちを学ばせるかということに対する彼の情熱が伝わってきた。あぁ。「やり方に文句があれば、別の学校に行ってください」と言える私学でないと、教える側も自由に教えることができないのだと、そのとき感じた。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

シンガポールから、お久しぶりです。皆さんのお話を拝見していて、あることを思い出してしまい、腹立たしくなったので、その気持ちをぶつけるべく、久々に投稿を決意しました。

ウチのボウズは現在小学校6年生です。(シナコさんに抱っこされたこともあったボウズは今や体重60Kgの巨漢になってしまいました。)小学校5年生の途中から日本人学校に編入しました。それまではInternational Schoolに通わせていました。Gr.6からMiddle Schoolとなる為、再度入学金を払わなければならなかったことや、中学受験をしたいと言い出したので、それならば日本人学校がよかろうということで編入させたのです。

でも、編入後しばらくしてから、呆れるような事件が起こりました。ボウズはインター校で「自分の長所」を積極的にアピールするように教育されていましたので、算数の授業で「僕は算数が得意」と言わんばかりに先生の質問に対して何度も挙手回答をしようとしたらしいのです。それが先生のお気に召さなかったらしく、母親が呼び出され、自分だけが回答しようとする行為は、けしからんと叱られたそうです。

そこはかつてJodakoさんの弟子だったウチのカミサン、当然先生に反撃します。「ウチの子は算数が好きだし、得意だし、だから聞かれたら挙手して回答しようとするのは当然ですよね?何がいけないんですか」と。

すると「他人と協調できない行為が行けない」と更なるお叱りを受け、それでも納得できないカミサンは「でも長所をアピールしようとすることは良いことではありませんか」と食い下がったそうです。

先生はため息混じりに「お母さん、あなたは全くお分かりになっていない。"皆と一緒"が一番重要なことであり、正しい姿なのです。テストでは平均点を取る子が一番良い子なのです。ですから、成績が良くたって評価しませんよ。いいですか、お母さん、僕は出る杭は徹底的に叩きます。覚悟しておいて下さい。」と言われたそうです。

カミサンは「コイツと話をしていてもダメだ」と諦めたとのこと。それ以降、ボウズには学校では出来るだけ目立たないように行動するように指導し、その分、ボウズは塾で思い切り鬱憤を晴らしているようです。

日本の教育そのものの問題もあるでしょうけど、滑り止め的に職業を選択した変な教師が多いのも実態だと思います。少なくとも僕が教育を受けた先生達の中にそこまで変なヤツはいなかったと思います。嫌いな先生は沢山いたし、思い出せば小学校から中学卒業まで全ての担任にビンタと拳骨くらっていますが、それでも現在のような変な教師はいなかったように記憶します。

匿名 さんのコメント...

eriさんのコメント

おはよう。
うちは長男がいまのところ完全公教育のみ(塾もほぼなし)、次男は中高私学(それも別の(T0T))。私もJodakoさんと同じようにずっと公教育しか受けてこなかったので中高一貫私学に行ってた旦那の「私学のほうがいいに決まってる」という言葉に「はぁ?」と思ってたけど、長男の授業参観を見て「こら、あかんわ」って思ったわ~。

小学校に身を置く私、小学校の先生方は基本的には頑張ってらっしゃると思う。高校は生徒がふるいにかけられてるからそれ相応の対応がなされているのでOK。問題は中学・・・(先生だけのせいじゃないんだけどね)。中学から小学校に異動になった先生は二度と中学に行きたがらないもんね。内部的にもそういうことなんじゃないのかな・・・子供を私立に通わせる公立中学教師もかなりいるもんなぁ。

和田中については当然賛否両論あるんだけど、「変えようとして実際に変えられる」ってところをみせつけただけでも意味あると思うんだよね。ほとんどの地域で「どうせ、何も変わらないよ」って3年間ひたすら我慢してるんだから。

Jodako さんのコメント...

シンガポールの企業家殿、
カミサンはそれでは私の弟子とは呼べないよ! 私の弟子なら、そこであきらめず、絶対に校長に談判したよ!

確かに「協調性」というのは日本人の美徳であるとも思う。だからといって、まったくの横並びと言うのはどうかと思うけれど。中庸っていうのは、とても微妙で判断が難しいところだけれどね。行き過ぎても、足りなくても、今風に言えばKYってことになるんだろうけどね。

帰国子女が英語をわざとアクセントをつけて話すとか、なるべく目立たないようにするというのは良く聞く話ですよね。

Eriちゃん。私も個人的には、先生方の中で、とても熱心な人たちがいるのは知っている。逆に親の中で、しょっちゅう先生の悪口を言っている人たちがいて(私の印象としてはかなり多かった)、しかも平気で子供の前で先生の批判をするの。そんな中でどうやって、まともに子供たちを指導していけるのか、先生方も本当に気の毒だと思います。

親と学校の役割分担がめちゃくちゃだと思うよ。親が親としての義務を果たさず、学校を非難し、学校はその非難を真に受けて小さくなってしまっている・・・。そんな気がする。

もっと先生方が自分の方針に基づいて、堂々と教育ができる環境があればいいのになぁと思います。