2010年2月26日金曜日

昨日の夜から降り始めて、今日はかなり積もった。学校もおやすみ。

今週は水曜を除いてずっと雨。(水曜日は久々に1時間散歩した。)昨日はジョダコも庭に出るのを躊躇するくらいの雨。

それが昨日の夜からは雪に変わり、今朝起きたら20センチくらい積もってました。更に雪は降り続け、大家さんが雪かきしてくれる側から積もっていく。
食料品の買い物に行くのが嫌いで、普段は週末にコイオが行ってくれてるのだけど、先週末はシナコのキャンパスツアーでお出かけだったため買い物をしていない。

今日まで家にある物でしのいで来たけど、牛乳が切れて3日になるし、食材も底をついて来た。

仕方がない、観念して買い物に行くか。

そこで車の周りの雪かきと、車の上に積もった雪を降ろした。
作業に小一時間かかりました。雪も結構重いし、除雪した雪を置く場所が既にうず高い山になっているから、その上に雪を載せるのは結構な力仕事。お陰で今は背中が痛い・・・。

雨から雪に変わったことと、気温が高めだったから湿った雪で、木や枝の上にたくさん乗ってしまい、重みで木がお辞儀をしてしまっている。セントラルパークでは雪の重みに耐えかねた大きな枝が落ちてきて、下にいた人が亡くなったそう。このあたりの枝もみんな低く下がっている気がする。これ以上降って、木が折れたり架線が切れたりしないで欲しいなぁ。

2010年2月25日木曜日

恥の上塗り

昨日の続編。

あの後、シナコはやおら起きて、「今からAPスコア出しても間に合いますか?」と大学に問い合わせた模様。しかし「もう審査に入っていますから遅いと思います」と言われたと言う。

「何でそれで諦めるの。何でそれでも送りますって言わなかったの」と腹が立った。私だったらダメ元でもできるだけのことはするだろう。しかも「遅い」と言われたわけじゃなく遅いと「思います」だよ。

シナコに言っても動かないし、この大学は一番学費が安いところ。全部不合格でも、ここだけは受かって欲しいところ。

だから今朝シナコの名前で大学にスコアをFAXした。本来はCollege Boardというテスト機関から直接正式な成績表が送付されなくちゃいけない。でも今からそれを手配していたのでは遅いから、シナコの手元にあった学生用のコピーを送った。手遅れかもしれないし、正式なものじゃないからダメかもしれない。それでもやれるだけのことはすべきと思うから。

SATのスコアを送っていなかったという別の大学からは、実は1月付けの消印で封書が届いていた。昨日初めて気づいたのだが、まだ封も切ってなかった。開けてみると「スコアが届いていません」と言う内容。ってことは先週見たのは2度目の催促だったのか!?

これに関しては「もうとっくにやった!」と昨日豪語していたが、ほんとは私が言っても聞かないから、火曜日に会社にいるコイオからテキストメッセージを送ってもらったんだよね。前日にやってんだから、「とっく」でもないでしょうが。

この学校の奨学金の手続きだけが未だ何もされないでテーブルの上に放置されている。必要なものは全て揃えて、あとはシナコが署名するのみにしてある。週末までに郵便局から出さないとだめだけど、もう黙って放置しておこう。勝手にしろだ。

シナコは今、恒例で12年生が公演する演劇の音楽担当のチーフだとかで、毎日夜7時~10時の練習に行っている。練習が始まったのは今週の月曜日。公演は3月4日~6日らしい。(部活やこういう事にだけは積極的で熱心だから私には不可解。)

昨日は、体操の後、学校に送るのはやめた。だって体操やっているところから学校までは歩いても10分。雨も降ってないし「もう自分で歩いて行ってね」と伝えた。何が悲しくて、その10分の距離を送るために、私が車で往復せにゃならんのだ、と思って。そして10時のお迎えはコイオに行ってもらった。

昨日のブログを読んだ母から「胸中お察しいたします。シナコのことに関しては、もうブログを読むのも嫌と言う心境です。昔は勘当という手もありましたが。いつも何とか後始末をしてきたからでしょう。もっと、楽しいブログを読みたいおばあちゃんです」とメールが届いた。

そうか、勘当という手があったか・・・。

母に同情してもらえるってことは、私はここまでひどい娘じゃなかったってこと? それとも「胸中お察し」って言うのは「母も歩いた道」ってことでしょうかね?

確かに何かを行動するという事に関しては、私は誰に頼ることなく、全て自分で決めて準備し行動して来たように思う。

けど、こと家のお手伝いに関しては見事に何もしなかった。母は忘れているのかも知れないけれど、女3人姉妹なのに(弟もいたけど)、母が頼みごとをするのはいつも姉か妹ばかり。ある時、姉か妹かが母に「どうして私たちにばっかり頼んで、ジョダコには何も頼まないの!?」と抗議したことがあった。その時母は「だって頼んだって、あの子は『嫌っ』って言って終わりでしょ。気分が悪くなるだけ損だけだから頼まないの」と言ったのを覚えている。

うーん、シナコは昔の私と同じってことなのか・・・。

2010年2月24日水曜日

我が家の恥、いえ、こんな娘を育てた自分の恥を曝すだけなのだけれど、ちょっと聞いてもらいましょう。

このところ私のシナコに対するイライラは絶頂に達している。家の手伝いは勿論のこと、私が言うことは一切しないどころか聞く耳を持たない。それがシナコに関することであろうと大事な話であろうと。聞いてないから何度も繰り返すことになり、「ママはうるさい!」となる。

きっかけは奨学金。
先週の木曜日にようやく確定申告書を会社からもらうことが出来た。それで昨日は最後の書類、つまり2009年度の確定申告書のハードコピーを発送。私立大学の奨学金申込みの基本となるCSS Profileでは、2月15日までに数字の入力だけを済ませ、3月1日には更に、署名入りの申告書のコピーをCSS ProfileのIDOCと言うシステム用に提出しなければならない。これでIDOCを利用している大学は提出した書類の閲覧ができるようになっている。個々の大学ごとに書類提出しないで済むのは便利だけれど、全ての学校がこのシステムを利用しているわけではなく、学校により要求される内容も締め切りもバラバラなので非常に煩雑。

そのため、実はシナコは既に2校の奨学金手続きをしそびれている。1校は1月2日の願書提出の締め切りと同時に奨学金の申込みをし、その時に2008年度の確定申告書のコピーも送る必要があった。それに気がついたのは2月1日の連邦政府の奨学金(FAFSA)の手続きに際して、私が各校の要件を見直していた時。「どうするの? 行きたければ今からでも間に合うか問い合わせたら?」と言ったけれど、結局何もしなかった。

2月15日のCSSの入力準備をしていたときに、別の1校も、実は締め切りが2月1日で、2008年度の確定申告書のコピーを送らなければいけなかったことがわかった。このときも直ぐに大学に連絡しなさいというのに、何もしなかった。

現在も尚1校、直接2009年の確定申告のコピーを提出しなければならない大学があるけれど、受験番号を書かなければならない。そんなの私は知らないから「教えて」と言っているけど、もう3日が経つ。締め切りは3月1日だよ。今週中に出さないと間に合わないんだよ。(あーまたムカムカしてきた。)

これらの大学に行きたくないわけ? 

先週はある大学からSATのスコアが提出されていませんので処理できませんとの手紙が届いた。私が話しかけてもそっぽ向いている。

週末はある州立大学のキャンパスツアーにコイオと3人で参加。この直前に「ここにはAPテストのスコアを送ってない」と言う。「どうして?」と聞くと、「別に提出するようには書いてなかったから。」 シナコはAPのスコアはかなり良かったので、良いスコアを提出すると有利になるのはわかっているのに何で? 大学の受付で「今からでも遅くないか聞けば?」と言ってもそっぽ向いている。私が聞くと、嫌そうな顔をしていた。受付のお姉さんは「勿論皆さん提出されてますよ。今からでも遅くありません」と、手取り足取りどうやって提出するか説明してくれた。なのに、今日に至ってもまだ提出していない。

この週末に、上記で触れた1月2日と2月1日が奨学金が締め切りだった2校から、それぞれ1月の初めと2月の初めに「奨学金の手続きが未完です」というメールが来ていたと言う。「今気がついた」と言うの。

いったいどうなってるの? 大学に行きたくないのか? 奨学金もらえないと行けないってことがわかってないの? 私には不可解。

更に頭に来るのは、私が言うことは一切聞かない。なのに、あの子の要求、即ちどこに何時に連れて行けという要求にだけはこたえなくちゃ行けない。それが腹が立つのです。

昨日も夕方の体操の練習に行く時間になって、「あ、体操終わったら、その後学校に行くから6時50分に迎えに来て。そして10時に学校に迎えに来て」だよ。直前になって言われるのも腹が立ったので、「これからは予定がわかった時点で言うこと。少なくとも前日には予定を言うこと、じゃないと送って行かない!」と宣言した。

そして今朝のこと。
「今日は1時間目の授業がないんだった。ゆっくり行くから、送ってって」
「昨日言ったでしょ、直前になって言われても送って行きませんって。でもリビングに掃除機かけたら送ってあげてもいい」って言ったら、
「じゃお小遣いでタクシーで行くから」と、タクシーを呼んで学校に行った。

今日は友達が泊まりに来るかもしれないと聞いていたし、家も散らかっていたので、私は主婦らしく家を磨き上げた。シナコにイライラしてたから気分もスッキリした。

シナコが帰ってきて、片付いている家を見て、
「言っておくけど、イヴォンヌは来ないよ」
なんて言い草。

ええ加減な子育てをしたツケガ回っているのだと思って我慢せねばならないのでしょうか・・・。

来週からしばらく出稼ぎに出ます。しばらくシナコの顔を見ないで済むと思うと本当に嬉しい。

・・・我慢しきれなくなって、様子を見に行ったら、寝てた。もう4時半だよ。体操は5時からだし、学校に電話するにもSATに電話するにも事務所は閉まると言うのに・・・。思わず声を荒げてしまった。あーもうイヤだ!!!!

2010年2月19日金曜日

亀の病院

今年のフロリダは例年よりずっと気温が低く、1月23日24日には記録的な寒波に見舞われ、北部のオーランドでは雪が降ったり南部のマイアミでも3度まで下がり、観測史上最低気温を更新。

そのため農産物特に柑橘系やイチゴが被害を受け、熱帯魚がたくさん死んだそうです。

ウミガメたちも寒さから肺炎にかかり、浮き袋のコントロールができなくなって思うように海に沈めなくり、挙句に食べ物にありつけなくなって更に弱る。そのため各地にあるウミガメの保護センターも、衰弱した亀で溢れ返ったとのことです。

仕事で度々訪れている所の近くに、私たちが「亀の病院」と呼んでいるウミガメの保護センターがあります。去年9月8日に書いた「ウミガメ(5)」で触れたLoggerhead Marinelife Centerですが、ここにもたくさんの弱ったウミガメが収容されました。通常なら1匹しか入れない水槽にも複数のウミガメが入れられ、点滴につながれていたウミガメもたくさんいたと、1月に仕事でフロリダにいた人から聞きました。

2月にフロリダに仕事で行ったときに、入院していた亀たちがどうなったのか気になり、例の亀の病院に様子を見に行きました。もう気温は上がっていましたので、一時期よりは収容されている亀の数は減っていましたが、まだ肺炎での入院患者はいました。

点滴につながれている亀はもういませんでしたが、点滴の器具はまだそこにあり、奥に亀のレントゲン室も見えます。

病院を訪ねたときに丁度、治療の終わった亀がストレッチャーに載せられて水槽に戻されるところでした。

浮き袋がコントロールできずにずっと海面に浮いているために甲羅が乾いて荒れてしまっている亀が数匹いました。人間と同じように抗生物質を投与されているとのこと。この亀は肺炎の上、栄養失調だそうです。
 
もう一匹同じようなのが。やはり沈めなくなって甲羅が乾いています。

亀の病院の前には、通りを挟んで海が広がっています。久々にビーチの様子を見に行くと、海岸沿いに土管を埋める工事をしている最中。これから埋める土管が横たわっていて、砂浜が掘り返されていました。そんな中に人が数人入り込んで何やらやっています。近づいてみると、貝拾いをしているようです。更に近づいてみると、掘り返した砂の中には普段では見られないきれいな貝殻が一杯! 

そこでしばら貝い拾いに没頭しました。これが戦利品。

2010年2月17日水曜日

寒いから・・・

日本に行ってたり、病気だったり、その後出稼ぎに出てたりで毎日1時間のお散歩を中断していたら、お散歩に行くのがめんどくさくなってしまった。お天気がマシな時は申し訳程度に行ってるけど。週末はコイオが可哀相がって散歩してくれてる。

ここのところはずっと雪。
で、娘たちには厳禁しているんだけど、自分にだけは甘~く、ルールを曲げて裏庭にジョダを出している。
我が家の裏庭は裏木戸と木で一応囲いはしてあるものの、木と木の間から簡単に隣にも行けてしまう。だから通常は長~い綱に繋いで出すのだけれど、その綱が雪に埋もれて、おまけに凍ってしまった。

馬鹿犬だから、すぐお隣に行って、そこから外に逃げてしまうから、どうしたもんかと考えて、「そうだ、用を足して戻ってくるたびにご褒美をあげよう」と思い立った。

パンの一番端をジョダのおやつ用に細かく切って取ってあるので、それをジョダが帰ってくる度にあげることにした。そしたら賢いことにさっと戻ってくるようになった。よーし!

・・・と喜んだのも束の間。
今日は、裏庭へ出るガラス戸の前でクンクン鳴くから外に出してあげたら、出た途端に外で座って待っている。

こやつ、おやつが欲しくなったらクンクン言うようになったな。んも~!! 

2010年2月15日月曜日

ごね得?

日本のクレジットカードはたいてい銀行口座から自動的に引き落としになっているけれど、アメリカのクレジットカードの場合は、毎月請求書が送られて来て、それに対して小切手もしくは銀行からの送金と言う形で支払うことのが通常となっている。自分が銀行口座を持っている銀行のクレジットカードの場合だと、自動支払いに設定にすることもできるが。(ひょっとしたら他のクレジットカードでも銀行からの自動支払いが設定できるのかもしれない。)

でも我が家では敢えてその設定はしていない。と言うのもしばしば関係ない支払いの請求があったり、個人情報が盗まれて誰かにカードを使われるかも知れないから、毎月の請求書が届いてから、必ずレシートと照らし合わせて内容を確認してから、インターネットで自分の銀行口座からカード会社に日付を指定して送金する設定をしている。これは私の仕事。こうしてレシートと請求書を確認していると、案外買い物をしたにも関わらず請求がないことがあったりして、そんなときは一人ほくそ笑んでいる。

昨日はコイオがあるお店で自分の銀行系のカードを使おうとしたら「このカードは現在使えません」とお店の人に言われてしまった。驚いて家に帰ってカード会社に電話すると「前月の支払いがされていません」とのこと。コイオに言われてて調べてみると・・・確かにレシートと請求書を照合してチェックはしたのに、銀行からの支払いの設定を忘れて、そのまま請求書をしまってしまっていたのだ。

数年前に私も自分の銀行のカードで、やはり支払い設定をするのを忘れていたことがあった。その時も銀行に電話して忘れていたと言ったら、初犯だし、いつもは期日までにきちんと払っていたから、支払いが遅れた事による罰金も利息もそっくり返してもらった。

そこでコイオの銀行に電話して事情を説明すると、最初はダメだといっていたお姉さんも「前に他の銀行で取り消してもらった!」と言うと、最後にはしぶしぶ「利息は返せませんけれど、罰金の39ドルはお返しします」と折れてくれた。やったー!

ところが夜になってコイオのところにメールがあり「努力はしましたがやはり罰金の39ドルはお返しできない事になりました」だって。一旦返すって言ったくせにと腹が立ち、「電話するからもう一度カードと電話番号教えて」とコイオに言った。気の弱い?コイオは「もうええよ」と言ってたけど、私は何だか腹の虫が収まらない。

昼間に電話した時は、電話しているのがコイオでなくて配偶者だと言うと、本人じゃないとダメとかで、途中でコイオに代わらないといけなかったりめんどくさかったから、今回は端からコイオ自身になりすました。こっちの人には日本人の名前は男か女かわからないからね。

カスタマーサービスが出るまで、あちこち番号を押したり、めちゃくちゃ時間がかかる。10分程してようやくカスタマーサービスが電話にでた。事情を話すと、私のクレームの内容は担当者は別だそうで、再び回される。新たな担当者が出たあと、再びクレーム内容をまくし立てる。

「残念ですが、やはりお客様の場合は罰金を帳消しするわけにはいかないという結論になりました」
「どうしてなんですか? これまでは毎月期限までにきちんきちんと支払いしてるでしょ。いいですよ、そんなんだったらお宅の銀行やめて、他の銀行に乗り換えるから。数年前に別の銀行のカードでやっぱり支払いするのを忘れたことが1回ありましたけど、気持ちよく罰金も利息も帳消ししてくれましたよ」
「・・・そうですか。残念ながら、お客様の場合はそれはできないということになりましたので・・・すみません」
「ねえ、あなたじゃなくて、もう少し上の方とお話できますか? あなたの上司と話せますか?」
「勿論です。少々お待ちください」

と言うことで、スーパーバイザーが電話口に出てくる。
「どういうご用件でしょうか?」

そこで再び最初から説明をする。
「わかりました。39ドルの罰金は直ぐに取り消しましょう」
「ああ、そうこなくちゃ! 今回初めてだったんですもの。ありがとう!」

やっぱりこの国はごね得なのです。皆様も直ぐに諦めてはいけませぬ。

ゲイビーチ?

同性愛者に対して偏見がないかと言ったら嘘になってしまう。やっぱり理解できない部分はあるし、自分がなれるかと聞かれれば、多分無理。
でも家族が同性愛者になったら・・・恐らく受け入れられるかなぁ、理解はできなくても。

アメリカでゲイのカップルはたくさん目の当たりにするけど(うちのお隣さんもそうだし)極々普通の人たちだし、とっても優しい人が多い。

とは言え、こうしてゲイの人が集まっているところを見ると、やはり面白がってしまう私。

フォートローダーデールのビーチを歩いてると、100メートルくらいの幅の一画だけ、何故か男性ばかりが寝そべっていて、思わずカメラを向けてしまった。

翻訳機

今回の出稼ぎ中の話。

出稼ぎ中はクライアントと同じホテルに泊まっており、夕食の際などにも別会社の人が一緒だったり、ホテルのスタッフが話しかけてきたりすると通訳することも多い。だからホテルのスタッフは、クライアントには通訳・翻訳が必要だと認識している。

で、あるクライアントの部屋にホテルのセールスマネージャーからカードが届けられていた。
そのカードを開いて、一体これは何語じゃ!とびっくりされたそう。

全てアルファベットの小文字で綴られたもので、よくよく読めばローマ字で書かれた日本語のメッセージ。
翻訳機で日本語を英語に書き換えたものらしいのだが、余りにその内容が珍妙で。
話を聞いたわたしは「お願いそのカード下さい」ともらってきてしまった。

ローマ字は読みづらいので、カタカナに換えてご披露いたします:
(XXはそのクライアントの名前)

+++++

シンアイナル シ XX
 
エ ヨウコソ
ワレワレワ ココ ヲ タノシミ ニ シテ イマス。
ココデワ、ソーゴニ ユーエキナ カンケイヲ カイゼン スルニワ、
2010

ガ アル バアイワ ワタシタチデ ヨリ オークノ カイテキナ ゴタイザイヲ ナニカ デキル コトワ、ゴレンラク スル コトヲ チューチョ シナイデ クダサイ シッテイル。

ケイグ
○○○○
セールス ディレクター


多分なんとなく解読できると思うのですが、英語の文体を想像しながら日本語に置き換えると恐らくこうなるのでしょう:

親愛なるXX氏

2010年も相互に有益な関係へと改善するのために、お客様をこのホテルで歓待できますことを喜んでおります。

お客様の滞在を更に快適にするために私どもで何かできることがございましたら、お客様なら遠慮なく申し付けてくださることでしょう。

敬具

+++++

恐らくこのクライアントが去年ホテルに対して改善をお願いしたことから、このカードが届けられたと思うのです。

それにしても、ホテルなりに努力しているのはよ~くわかるのですが、奇怪な文章に大いに笑わせてもらいました。

2010年2月12日金曜日

欠航

しばらく出稼ぎにでており、ブログの更新が遅れました。

本当は一昨日帰宅する予定が、ワシントンからボストンにかけて東海岸は大雪に見舞われ、欠航が続出。何でも9.11以来の大型欠航で全部で5700便がキャンセルになったそう。私のフライトも前日から欠航となり延泊を余儀なくされました。

昨日は14時発のフライトに乗るため、ホテルを12時少し前にチェックアウトし、フロント前でタクシーが来るのを待ちながら、再度運行状況を確認しようとUSエアのウェブサイトを確認したら、少し前まで「オンタイム」と表示されていたフライトは「遅延 17時15分発」に変わっているではありませんか!

昨日は通常乗っているニューヨークへの直行便ではなく、一昨日の業務終了時間に合わせたフィラデルフィアでの乗り継ぎ便。遅延になったのはフィラデルフィアまでの便でこのままだと乗り継ぎ便に全く間に合わない。

直ぐにUSエアに電話して変更をお願い。すると出発が19時20分でフィラデルフィアで乗り継いだ後、ニューヨークへの到着は23時半という非情なフライトしかない。別ルートのオプションも全て満席でなし。泣く泣くこれで我慢。

迎えに来たタクシーのお兄さんに、申し訳ないけど再び夕方5時に迎えに来てと帰ってもらい、チェックアウトしたホテルには延長をお願い。まだお掃除に入ってなかったから、そのまま元の部屋へ入れてもらいました。

今回の出張は元々は13日までの予定が、急遽短縮されたために、新たにフィラデルフィア経由の航空券を買い直したのです。と言うのも私が購入している航空券は最も安い類なので、基本的に変更不可。ただし150ドルの変更料を払えば変更できる場合があります。よって新たな航空券が150ドルより安ければ、購入済みの航空券を変更するよりは、買っちゃったほうが安いのです。今回はそのケース。

ホテルの部屋で再びインターネットで調べると、デルタの直行便にはまだまだ空席があります。新たに購入するには250ドルに値上がりしてました。そこで150ドル払って、最初に買った13日の便を11日に変更してもらおうと、電話をかけました。「変更理由は天候ですか?」と聞かれたので、デルタが悪いわけじゃないけど、確かに変更理由は天候だから「Yes」と答えると、「天候理由の場合は1度に限り無料で変更可能です」だって。わざわざ13日のフライトを天候で混乱している今日に変更する奇特な人もいないだろうから、電話に出たお姉さんがこの矛盾に気付かぬまま変更手続きを終えてくれることをひたすら祈りながらどきどきして待つこと30分。ようやく無事に16時20分発、19時15分着の直行便に変更終了。やったー! タクシーの時間を変更して、人心地つきました。

出発前に再度デルタのウェブサイトを見ると・・・出発は16時40分に遅れている。ブルータスお前もか。USエアの19時20分発は取りあえずオンタイム。両方ともインターネットでチェックイン済みだし、とにかく両方キープして、飛ぶほうに乗ろうとホテルを出発。

空港に着くとデルタは更に遅れて16時53分発。

幸いそれ以上に遅れることなく、実際に出発したのは17時半ごろでしたが無事離陸。到着もさほど遅くなることもなく、9時には帰宅。

ニューヨークはさほど雪は積もらなかったと見え、自宅周辺もきれいに雪かきがされていたし、車にも雪は積もっているものの、埋もれていることはありません。タクシーの運転手さんがドアの前まで荷物を運んでくれて「鍵はあるの?」と聞かれ、「鍵はないけど娘が家にいるから」と呼び鈴を鳴らしました。出稼ぎに出かける前日にシナコに鍵を貸して、返してもらうのを忘れてたのです。

しかし何回呼び鈴を鳴らしても、ドアをノックしても全く応答なし。空港から電話したときも家の電話にも携帯にも出なかったから、寝てるのか? 内側からジョダがドアをカリカリやってるけど、使えないし。私は南国帰りの装束だったからめちゃ薄着。寒空の下このまま「今夜は外食」と言っていたコイオの帰りを待ってたら凍死しそう。

ついに何度目かの正直でシナコが携帯に出る。
「ドア開けてよ! ずっと玄関で待ってるんだよ」
「は? シナコは家にいないの。今学校にいるの。コンサート聴いてる」
「家にいない? じゃあ、裏に隠してあるスペアキーある?」
「・・・ない。この前使って返すの忘れた」
「そんな・・・」

私が家に入るのを見届けてからと、帰らずに待っていてくれていた優しいタクシーのおじさんにお願いして、学校まで鍵を取りに行く。ついでにシナコも連れて一緒に戻って、9時半過ぎにようやく家に入ることができました・・・。

あーどうしてこう何もかもスムーズにいかんのだ? 

でもブログネタが出来たから、終わりよければ全て良しってことにしようっと。