2007年6月1日金曜日

コネチカット通信 その3

(車)
11月の半ばに買い物に出かけようと、ドライブウェーからバックで前の通りに車を出した際、普段は何もないはずの向いの家の路肩に、庭師(夏は芝刈り、秋は落ち葉集めをしてくれる業者)のトラックが停まっていて、オデッセイのバンパーをぶつけてしまった。コネチカット通信1で、バンパーをこするのも時間の問題と予想したけれど、こするくらいで済まなかった。

うちのオデッセイにはバックアップセンサーが搭載されているので、後方に障害物があるとアラームが鳴って注意を促す仕組みになっている。ドライブウェーから通りに出るときは、我が家の植木が視界を遮断しているため、必ず通りの往来を確認しながらそろそろと下がる。その時も例に漏れず、どちらの方向からも車が来ていないのを十分確認した後、一気にバックしたら・・・ピ、ピ、ピピピピ、ドン。その間わずか2秒。つまりセンサーが鳴っていると認識した途端にぶつかったから、センサーは全然役に立たなかった。センサーが役に立つのは「何かあるかも・・・」とそろそろと後退しているときだけで、大丈夫と一気に下がった時にはセンサーが鳴ってもぶつかるのを止められない。(と、自分のミスは棚に上げて、まずはセンサーの役立たず振りを非難。)
 
教訓1 バックアップセンサーは安心しきっている時には役立ちません。

すぐさま車を降りて、相手のトラックと自分の車をチェック。ドッジのいかついトラックは全く無傷。一方、私のバンパーは幅20センチ縦10センチばかりが陥没し、中央に5センチ幅くらいの「かぎ型」の亀裂が生じている。・・・ああ。周りを見渡すと、様子に気付いたおじさんが近寄ってくる。
「ぶつけちゃったの?」 

庭師のおじさんは、さらっと自分のトラックを確認して、「なんともなってないな。ま、あんたに怪我がなくてよかった。」
「あのぅ、保険会社に電話しないといけないと思うんですが・・・」
「僕の車は大丈夫だから、別にいいよ。」
念のためと、彼の名刺をもらった。「あんたの連絡先は別にいらないよ。だってここに住んでるんだろ。」 と我が家のほうを見やる。
ああ、なんて気のいいおじさんだ。

保険会社の連絡先もわからないし、早速会社にいる夫に連絡し、ぶつけたと伝えた。庭師のおじさんみたいに、「君が無事でよかった」なーんて優しい言葉をかけてくれるどころか、非常に不機嫌になる。
「このくらいの傷、別に修理しないでも大丈夫だよ。だいたいバンパーなんてぶつけるためにあるんだもん」と、神経を逆なでするような私の言葉に、不機嫌を通り越して怒りも露わに。とにかく彼に保険会社に連絡してもらう。

数日後、スーパーの駐車場で偶然、同じ車種の似たような箇所に、かぎ裂きの亀裂を伴う類似の陥没を発見。
(なぁるほど。この箇所は軽くぶつけただけで亀裂が生じるようになっているのだ。つまりバンパーの裏側に突起があり、この箇所に当たると衝撃で内側から切れてしまうのだ!つまりこれは設計ミスなのだ!ぶつけるためにあるバンパーの裏側にぶつかったら亀裂が生じるものをそのままにしておくとは、設計ミスじゃないか。断じて私の運転ミスではないのだ!訴訟を起こすと勝てるかもしれない・・・!) という考えが頭をよぎった。数年前にマクドナルドで買ったコーヒーをこぼして火傷した人が、「コーヒーが熱すぎた!」とマクドナルドを相手取って訴訟を起こしたことがあった。自分のミスを棚に上げて相手を非難するという考えが、どうやら私の頭をも蝕み始めたらしい。

しかし訴訟にかける時間とエネルギーを考えると、バンパーの修理費を払ったほうが早い。ま、「コネ通」を強制的に送りつけられてしぶしぶ目を通している読者の中には、自動車専門家が少なくない。彼らに私の一方的な意見が届けばそれでよしとしよう。

バンパーと言えば、その昔は金属で出来ていて頑丈だったのに、最近はプラスチックで柔になってしまった。バンパーの役割は今では車を守るだけでなく、頑丈すぎて衝突時にむやみに歩行者を傷つけないように、歩行者に対する安全性も確保しなければいけない。まさに相反する二つの役割を果たさなきゃいけないのだから、中途半端になってしまうのも仕方ないよなぁ・・・と、ひとり納得。

「ぶつけるためのバンパー」という私の考え方はパリに住んでいた時代に培われた。私のお決まりの駐車スポットは自宅アパート前の通りの路肩。路肩には延々と縦列路上駐車が続く。路上駐車上のマナーは「ギヤをニュートラルに入れてサイドブレーキを引かない」こと。一台分ぎりぎりのスペースを見つけたら、迷うことなくバックで進入し、そろりと後ろの車を押しやりながら、我が車の身を沈める。同じように他の車も入ってくるものだから、翌朝には前後の車とのスペースがほとんどなくなっている。どうやって脱出するかって? 入ったときと同様に、前後に軽く当てながらどんどんスペースを広げていくのだ。

80年代の後半の話だから、いまだに同じようなことがフランスやヨーロッパで、まかり通っているのかどうか知らないけれど。当時はパニックアラームの付いている車なんてなかった。(いや、あってもその手の高級車はしっかりアパート下のガレージとかに納められていた。) アラームが付いていたら、パリでの縦列駐車用にパニックを切るボタンでも付いていないことには、一晩中うるさくて仕方がないだろう。しかもマニュアル車が9割以上を占めていた時代の話。今でもヨーロッパではマニュアル車が多いのは知っているが、オートマも増えている。オートマでパーキングギヤに入れてしまうと車は動かなくなってしまうから、忘れずに駐車時にはニュートラルに入なきゃならない。

そういえばパリに引っ越して間もなく、車を買おうと思い立ったときに、オートマ車がなくて苦労した。中古車広告の殆どはマニュアルで、オートマにすると選択の余地がなくなる。フランス語もわからないし、フランスのやり方も分からない私は、会社の友人、ヴァレリーに頼んで車を探した。当のヴァレリーは免許も持っていない、車に関してはド素人。彼女が新聞の個人広告で見つけてきてくれた車はルノーサンク(5)。私もこれまでに自分で車を買うなんて行為はしたことがなかった。日本で車を買っていたのは正規のディーラーからで、買主は父。免許を持っていない父は「自分の車」を買いに「運転手」の私を引き連れてディーラーに出向くのだ。一台目は中古のマークII。二台目も同じディーラーで新車のマークII。(ちなみに小柄な私にマークIIは不釣合いで、神戸の会社に通っている頃、「無人のマークIIが前を走っていると驚いたら、やっぱりお前だった」と揶揄された。)

日本のディーラーは世界のディーラーと文化が異なると言ってもいい。1回限りのお付き合いじゃなく、ちゃんとディーラーには「顔」がある。数年に1度しか買わないのに、年末にはわざわざ家までカレンダーや、時にはラジコンのプラモデルも持って来てくれるし、担当者が変わると挨拶に来る。アメリカでは「カーディーラー」と言えば嘘つきの代名詞。これはモントレーで最初に買った車で実証済み。車を持ち帰った翌朝、車の下にグレープジュース色の液体が溜まっているのを発見。間もなくハンドルが異常に重たくなる。パワステシステムのどこかに亀裂があったのだ。

この時は部品がない、とか、取り寄せた部品が違った、とか色々理由をつけて散々待たされた挙句に、「あんたにもっといい別の車を見つけたよ」と、親切ごかしに新たな中古車をあてがわれた。「私じゃ、この車がいいのか悪いのか判断できないから、友達に見てもらいます」と一応乗って帰って、お隣のご主人に見てもらった。早速車の下にもぐってくれて、その下から顔を覗かせた彼が、「これ、前半分と後ろ半分は違う車だよ。真ん中でひっつけてある」。

事故車の使える部分を張り合わせてあるなんて、あんまりだ!何にも知らない女だと思ってバカにしやがって! 何度も掛け合った挙句、ディーラーとのやり取りを録音したウォークマンをちらつかせ、「訴える!」と言うと、ようやくお金を返してくれた。カリフォルニア州にはレモン法(欠陥中古車を売った売主の責任を問う法律)が適用されていないので、勝ち目はなかったのだが、パフォーマンスのつもりだった。知人が調査してくれた結果、「このディーラーは別の顧客とも係争中」ということだったので、そのことを持ち出したら、すんなりあきらめたのだ。(持つべきものはこういう調査をしてくれる友人だ。感謝!)

教訓2 アメリカのディーラーで中古車を購入するとき、保証付きでない車は、まずは疑ってかかりましょう。(だいたい新聞などの個人の中古車販売広告欄に、「XX年型○○。走行距離XXXマイル。○○○ドル。走ります!」なんて堂々と書いてあるのが信じられない。走らないなら、売るな!)

ところで真半分に切った車を繋げるなんて、本当にそんなことあるのだろうか、と、いぶかしく感じていたが、実際にそういうことが行われていることを、なんと弟から知らされた。わが弟は、とある日本の自動車メーカーの関連会社だか下請け会社かに勤めているのだが、その会社が日本の中古車を東欧(だったと思う)に輸出している。輸出の際、車は真っ二つに分断される。そして陸揚げした後に、再び元の形に繋げられるのだ。何故?真っ二つに分断した車は、もはや車とはみなされず、「鉄くずとして課税」されるからだ。

パリの話に戻るが、結局この時も相手のアパートをヴァレリーとたずね、車も見ずに値段交渉もせずに、広告の額面どおりで、「じゃ、買います」と決めた。すぐさま相手夫婦は4つのグラスを出してきて、4人でカンパイをした。「これは交渉成立時のフランスのしきたりよ」と、酒好きのヴァレリーは満足げに解説する。しかしこのカンパイの本当の意味を理解するまでに、さほど時間はかからなかった。帰り道、手にしたルノーサンクを運転しながら、(なるほど、うまく騙せて相手はカンパイする気分になったはずだ・・・)と気付いたが、時既に遅し。もともとオートマは希少だから選択の余地はあまりなかったにせよ、高い買い物だった。と、そのおんぼろぶりを実感したのである。

その数ヶ月後、日本から出張で来た元上司を私の車に乗せた。「悪いこと言わへん。命が惜しかったら、この車すぐに買い換えたほうがええで。」 彼の親切なアドバイスに素直に従い、すぐさま今度はマニュアル車のルノーオンズ(11)に乗り換えた。

教訓3 フランス人が乾杯したいと言う時は、気をつけましょう。

マニュアル車なんて教習所を出て以来、運転したことがなかった。その日ルノーのディーラーを、がっくんがっくんと車を前後に揺らせながら後にして、何とか自宅まで辿り着いた。翌日からはクリスマス休暇。会社を出てそのままノルマンディーへヴァレリーと車を走らせ、続いて日本から遊びに来た友人を空港でピックアップして、ロンドンまで車で行った。高速走行では、なんとなく車がまっすぐに走らず、ハンドルもかなり振れる気がする。

(こりゃ車軸でも歪んでいるのかな、欠陥車かもしれない。休暇が終わったら早速ディーラーに持って行こう・・・)なんて思いながらのロンドンからの帰途。パリのペリフェリック(循環高速道路)に入る直前の急カーブで、速度を十分に落としていなかったためにガードレールに激突。時速40キロくらいで曲がらなくちゃいけないのを、80キロぐらいで突っ込んだんだから無理もない。それまで150キロくらい出していたから、スピードを落とした積もりでも十分じゃなかったのね。エンジンはなんとか掛かり、家には辿りつけたものの、ディーラーに修理に持って行ったら「車軸が歪みましたねぇ」・・・。元々歪んでいたかもしれない車軸の修理に、買った金額の50%くらいの費用がかかってしまった。またしても手痛いレッスンだった。

教訓4 車がおかしいと思ったら、遊んでから点検しようとと思わずに遊ぶ前に点検しましょう。
え、そうじゃないでしょって? じゃ、改めます。
教訓4 カーブに入る前には、十分にスピードを落としましょう。

死にそうな思い、と言えば、もう一件ありました。大学卒業前に、アリゾナに旅行したときの話。アリゾナは私が高校時代に1年間留学していたホストファミリーがいるところ。そこに大学時代の友人二人と遊びに行った。1人は小学校から大学まで、もう1人は交換留学から大学までが同じ友人。後者の友人はスペイン語が専攻で、メキシコをバス旅行した後、アメリカで私たちと落ち合うことになっていた。アリゾナ州とメキシコ国境にあるノーガレスと言う町にバスで着く彼女を、ピックアップする約束になっていた。無事に彼女と会った後、ホストファミリーの住むツーソンまでの帰途のこと。砂漠の中の一本道というのは非常にスピードを出しやすい。向こう何十キロも見渡せるし、対向車もほとんどない。調子に乗って猛スピードで走っていた。すると・・・ワーナーブラザーズの漫画でおなじみのロードランナーが「ウッウウッウー!」という声は上げていなかったと思うが、突然道路を横切った。

ロードランナーと言う鳥は、その名の通り、道を走って横切るのだ。慈悲深い私は、そのまま鳥に向って突っ込むことができず、急ハンドルを切ってしまった。その後、車は我が意に反して、右に左に揺れ、挙句の果てに大きく旋回して、砂漠の中に突っ込んだ。回転しなかっただけめっけもの。同乗の友人たちは生きた心地がしなかったようだ。幸いタイヤも歪まず、砂漠からも脱出でき、我々は無事ツーソンに帰り着くことが出来た。

教訓その5 運転中は殺生も致し方ない。
え、また違うでしょって? そうね、違いますね。もとい。
教訓その5 制限速度プラス20キロ、を守りましょう。

さて、再びオデッセイの話。見積もりの結果、修理費は900ドル弱。免責は500ドルなので我が家の負担は500ドル。幸いなことに修理費の合計が1000ドルを越えない場合は、翌年の保険料に影響することはない。問題の箇所は、バンパーの下の曲がり込んだ部分なので、パッと見では目立たないところなのだ。私としては、これしきのことでバンパー取替えはめちゃくちゃ惜しい。が、ぶつけたのは自分だし、もったいないと主張すると、夫の機嫌を損ねる。夫のご機嫌を500ドルで買うと思って泣く泣く修理することにした。

友人夫婦に、「これしきのことでバンパー取替えを主張するなんて信じらんない!」と訴えると、友人のご主人(アメリカ人)は、「何に価値を置くかは、男と女で違うからね。男性は往々にして車に価値を見出すから。」 妻である友人は、「そんなん、もったいない!でも、何で黙っておかへんかったん? 言わんかったら、わからへんかったのに。」 

そうだ、私が正直すぎたのだ! 駐車してる間にぶつけられた、と言い逃れもできたのに。
今回の最大の教訓。

教訓6 車をぶつけても夫には、知らぬ存ぜぬで通しましょう。

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