2007年6月1日金曜日

コネチカット通信 その5

「ニューヨーク駐在妻ってさぞかし優雅な生活をおくっているんでしょう、レポートしてください」とのリクエストが何人からかあった。

ニューヨークの駐在員社会が華やかかりし頃は、きっと数十年前くらいまでで、最近は不況で人数は減ったとは言え、依然としてかなりの数の駐在者とその家族が住み、駐在層も幅広くなって、読んだことはないけれど、一昔前の本に描かれていた雰囲気とは全く違う、と思う。

逆にあまりの付き合いのなさに、驚いてしまうほど。

14年前にリヤドに夫が駐在となったときは、社内では5家族ほど、リヤド市内の日本人も100人程と、とても小さな日本人社会だったし、多くが同じ敷地内に住んでいたから、何かにつけ集まりがあり、それが楽しくもあり、場合によってはうっとおしくもあった。

オハイオ時代は、私自身は駐在員ではなく、単なる傍観者だったけれど、赴任家族に対しては会社が現地でオリエンテーションを行ったり、家族が利用できるセンターがあって、サポートが受けられる。まさに至れり尽くせり(と私の目には映った)の環境だった。

ま、そこまでのフォローはなくても、夫の会社は駐在員の数も、私が勤めたオハイオの会社と同程度だし、何らかの会社との係わりがあるのだろうと思っていたら、大きく予想が外れてしまった。

夫の転勤は4月。私たち家族が到着したのは8月。以降、会社からのコンタクトは一切なし。「ようこそ、いらしゃいました」も、「いかがされていますか」も、全くなし。

ま、これがめんどくさくなくていいって言う意見もあるでしょう。でも、なんちゅうか、本中華。「帯同家族には、ご主人をサポートしてほしい、それゆえ、これだけの補償しているんですから」なんて、人事に言われたんだから、そんなに私たちのサポートに期待しているなら、ちょっとくらい、ご機嫌伺いしてくれてもいいんじゃないの、なーんて思うのは私だけか。

つまり、家族が当地に馴染むも馴染まないも、全て夫の手腕にかかっている。我家の場合はたまたま私も娘も言葉には不自由しない。夫は着任直後から、週の殆どは出張している状態だし、こんな中で言葉の出来ない家族だったらどうなってたんだろう、と思ってしまう。それとも、そういう家族なら、ちゃぁんと会社のほうから、様子伺いとかあったのかしら。

でも、裏を返せば、強制的に参加しなくちゃいけないイベントもないわけで、超お気楽でもあるのだ。リヤド時代は、リヤドに住む全ての夫人を対象に、定期的に行われる食事会としての「婦人会」があり、当番制の準備も大変ながら、内容が充実していなければ文句を言う人すらいた。そんな中で、「婦人会に出たくありません!」なんて、所長夫人に訴えて、なだめられたこともあったっけ。

とにかく、こちらでは放ったらかしの中で、ちょっとぶつくさ言っていた9月ごろの話。ある奥様からお電話が。夫がそれなりの年齢に達したから、彼の肩書きには、ナンタラ長というものがついていて、会社の中で、この「ナンタラ長」という人たちの配偶者だけが集まる、花の名前を冠した会があるそうな。近々私ともう1人の歓迎会を開く、とのお知らせだった。

ナンタラ長は単身赴任者も多く、集まったのは5-6人。私は社内結婚じゃないし、夫の会社の奥方は上品でハイソな人が多いのではと、勝手にイメージして、緊張して参加したのだけど、なんかみんな、普通の人たちで安心してしまった。偶然1人は私と同じ大学だったし、もう1人はコロンビア大学で修士を取った人で、ふたりとも外国好きそうで、嬉しくなってしまった。って言っても、それ以降、特に深くお付き合いしているわけじゃないんですけど。

てなわけで、〇〇ざーますのよ、おほほほほ・・・なんてやらずに済んで、良かったぁ。その昔のリヤドの所長夫人は、そんな感じのとーってもお上品な方で、話すときには、私は緊張して、舌をかみそうになっていた。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

よく作った! エライ!
コネ通を更新したよ、というお知らせメールは今後も欲しいね。
ちなみに、最初から全部読んだぞ。
オハイオのか~ちゃん

Jodako さんのコメント...

オハイオのかーちゃん、
コメントありがとう!
ブログを続ける勇気と希望を与えてくれたよん!