2008年4月19日土曜日

アメリカの大学事情17 浪人

シンガポール商人(あきんど)さんより、「受験浪人」というものはアメリカにないのか?という質問が寄せられたので、お答えします。

答えは「ない」です。ただ、違った意味での浪人は存在します(後述)。

私の偏見を許してもらえるなら、日本の受験とアメリカの受験、と言うより、現在の日本の教育の中身とアメリカの教育の中身は、何に焦点を当てているか、その大きな違いを考えると、日本の場合は、「良い大学に入り、良い就職先を得る」こと。アメリカの場合は、「何を勉強するか」だと思う。

意図的に現状が生み出されたわけではないだろうが(さりとて、現状を改革しようという意気込みも感じられない)、事実上、日本の場合は大学に入ることができるなら、小・中・高の授業を通して、何を学ぶかなんて中身はどうでもいい。とにかく受験に成功するための事項をひたすら覚え、コツを学ぶべはそれでいい。ここで学んだ内容が、どう役に立つのかは示されず、学ぶ課程の面白さなんて無視されている。

私の偏見は、自分の高校時代の記憶に基づくものだが、決して高校時代が楽しくなかったとは言わない。むしろめちゃくちゃ楽しかった。それは、授業の外での活動や友達づきあいのこと。

授業は、「面白い」「興味深い」と感じたものは、唯の一つもなかった。授業を通して学んだことは殆どないんじゃないか。日本史なんか、その最たるものだった。授業中、席順に当てられていく。内容は、教科書にそった質問。「XX年に起きたのは、次、Aさん。」「でその次に起きた事件が、はい、次、Bさん。」「その事件で殺されたのが、はい、Cさん」・・・という具合。

私は日本史専攻じゃなかったし、こんな授業で興味をそそられるはずもない。自分の番が回ってくるまでは、せっせと隣のミーコに手紙を書き、ときどきフトシが入れる茶々に耳を済ませて、笑いは逃さぬようにし、日本史の教科書を立てて、その下で世界史の勉強をした。自分の順番が近づくと、にわかに教科書に目をやり、取り合えず答える準備。わかりませんと言わずに、答えようとする辺りが、根がまじめと言うか、小心者と言うか。

一方、アメリカの学校の授業は、知識を授けられるところであり、様々な見方や考え方を学ぶことから、自分なりの考えを打ち出して、それを人に伝える方法を学ぶところ。

同じ歴史の授業でも、ひたすら過去の出来事とその年代を暗記することに終始した授業とは違い、一般にアメリカでは、何故そういう事件が起きたのかその背景を考え、それが他のどの出来事にどう影響を与えたか、これらを自分なりに考察することに重きが置かれている。それ故、教科書から離れて、その出来事に関連する書物を読み、エッセイやレポートを提出する宿題が多く出される。(狭く深い授業であるから、石器時代から現代までをすべて網羅することがないのが不足する点かも。)

高校時代、アメリカに留学していた時のこと。当時の英語力はかなり未熟だったので、歴史で、第2次世界大戦に関連する書物を読まねばならず、あらすじを知っているからと、選んだのは、アンネの日記。それでも読むだけで一苦労だった。American Governmentという社会の授業では、生徒全員がNews Weekを購読せねばならず、その中の記事が授業のトピックとなった。当時の私には難しすぎて太刀打ちできず、殆ど読みもせず放っていたので、もっぱらホストファーザーが読んでたなぁ。確かこの授業の成績は、「評価できず」で、単なるP(パス)をもらったっけ。

数学もしかり。日本の場合は、与えられた問題をひたすら解く。たいていの場合、答えはひとつ。アメリカの一歩進んだ授業では、問題の解き方を、様々な角度から考え、発言する。数学の時間でさえディスカッションが重視されるのも、驚くべきポイントではないだろうか。

こうして学ぶ課程を重要視するからこそ、一度のテストの点数で、大学入学が左右されることはない。4年間の高校生活で、いったい(1)何を学び、(2)何を習得し、(3)どんな活動をしてきたか。その結果、(4)大学で何を学びたいのか。つまり、大学のアプリケーションには、これらを推し量ることのできる(1)と(2)に当たる履修科目とそれに対する評価(成績)、(3)に当たる課外活動、スポーツ、学校外での活動の内容、そして(4)は主にエッセイの形で提示する。


(1)の履修科目にしても、同じ数学の授業でも、卒業単位として最低必要な数学は確か代数まで。数学に更に興味があれば、微積分や統計学なども取ることができる。ただ同じ代数や微積分の授業でも、レベルの違うクラスが用意されており、通常のクラスのほか、一歩進んだAdvanceやHonorsクラス、そしてAPクラスなどがある。これは数学に限らず、音楽さえ含む殆どすべての授業にあてはまる。APはAdvance Placementの略で、大学レベルの授業。このクラスを履修すると、学年末に行われる全米標準のAPテスト(任意)を受験して、結果があるレベルをクリアしていると、進学先の大学においては、既履修単位として認められる場合もある。大学のアプリケーションには、APテストの結果も添える。ちなみに履修クラスの希望は常に通るわけではなく、それなりの成績を収めていなければ入れてもらえない。


だから、たとえオールAでも、易しいクラスばかり取っている場合には、それなりの評価しか得られない。また履修の授業数(単位数)も考慮の対象になる。

キニコの場合、確かにBのオンパレードに加えて、1年の時にはCすらあったのだが、通常は一学期に5教科履修するところを、4年間を通してずっと6教科、さらに授業も殆どがHonorsかAdvanceレベルのものを履修してきた。だが、いくら難しい授業を取っていても、授業について行けなければ意味がない。「そんなに無理しないでも・・・」と言う先生もいたが、キニコは強引に難しい授業を取り、四苦八苦。今年の「AP統計学」に至っては、後期はとうとうこの授業をドロップした。(大学のアプリケーションが終わったから、もう落としてもいいだろうという、ずるい計算があったに違いない。)

上記(1)~(4)の項目とは別に、標準テストとしてのSATまたはACTテストの結果を提出することがほぼ義務付けられている。学校のレベルには格差がある上、成績のつけ方には教師の主観が影響するので、客観的な判断材料も必要だからだ。だがSATやACTの合否への影響は限定的である。

更に、SATもACTも1回のテストの結果ではなく、何度でも受験することができる。テストはほぼ毎月行われており、たいていは11年生以降にテストを受け始める。ACTの場合は、最も良い成績を提出することができる。SATの場合は、これまで受けたすべてのテスト結果が自動的に受験大学に送られる。

高校の4年間の自分の活動すべてが、大学入試に繋がっているアメリカと、一発のテストだけで判断される日本。それゆえ学校の授業でどれほど頑張ろうと、推薦入学ででもない限り、殆ど意味がないなんて。日本の高校生は、人生で一番頭が柔らかい高校3年間の貴重な時期に、なんて無駄な時間を過ごすはめになっているんだろう。

キニコの高校も「プレップ」スクールであるから、大学進学を前提とし、それなりに進学に照準を合わせた勉強内容だ。だけどそれは、「入試」に備えた勉強ではなく、大学での学習に結びつく可能性のある授業内容なのだ。9年生から12年生の4年間は、自分がどんなものに興味があり、大学でどのようなことを勉強したいか、それらを模索し、追及するための過程としての4年間と位置づけられていると思う。

その割には、情けないことに、キニコはちゃらんぽらんだし、もひとつ大学で何を学ぼうとイメージしているのか、よくわからない。でもキニコの周りの子達を見れば、しっかりしたビジョンを持っている子が結構多い。もちろん大学で学ぶ内容が、必ずしもその先の将来を支配するわけではない。いずれにせよ、興味のあるものを見つけて、自分なりの将来を考え始める最初のステップが高校であると言えよう。

ところで、ここで日本の浪人とは少し違う意味での浪人がアメリカに存在することをご紹介しよう。ひとつはPost Graduate。もうひとつはキニコの学校でGap Yearと呼ばれているもの。

Post Graduateは公立には存在しないプレップスクール独特のコース。他の高校を卒業後(=Post Graduate)のコースで、これに編入して、1年間大学進学に向けて勉強するもの。日本の浪人の概念に極めて近い。ただこんなことをする・できるのは一部の限られた者のみ。こんなコースが存在することを知っている人も少ない。キニコの学校にPost Graduateの生徒が何人いるのだろう。12年生に組み込まれていると思われるので表立ってわからないが、いたとしても1-2人程度だと思う。

Gap Yearとは、高校卒業後にすぐには大学に進学せず、何かをすること。仕事の場合もあれば、ボランティアやインターンの場合もある。留学する生徒もいる。1年間を丸々休まず、半年だけという場合もある。たいては合格した大学に入学時期をずらせてもらう。去年卒業したキニコの友人スティーブも、大学合格後、夏休みから12月までスペインに留学し、1月から入学。キニコの学校も、「4年間猛勉強をしてきたのだから、すぐに大学に入って再び猛勉強せずに、一息つくことも大切」として、Gap Yearを奨励している。

ああ、違いはここなんだな。

アメリカでは、高校も大学も「猛勉強するところ」と位置づけられている。一方日本では、どちらも「遊ぶところ」なんだもん。少なくとも、私の場合(時代)はそうだったわ。頭が柔らかくて吸収力のあるあの時にもっと勉強していたら。そう言う思いが、私を教育ママにしていると思う。

今は、日本の大学も「勉強の場」に変わりつつあるのでしょうか。 そうだといーなー。専攻も、変更できたり、他校への編入が容易になっているといいのに。大学に入学後すぐさま、やっぱりイタリア語には興味が持てないと気づいたけれど、一からやり直す勇気もなく、未だに無駄な4年間を過ごしたと思ってます。

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

他校への編入はいまだ難しいけれど、別学科へ編入の道は私らの頃よりはずいぶん柔軟になってるよ。
それから、大学生はおもに二手に分かれてる。ダブルスクールして弁護士とか会計士とかになる猛勉強派と私たちのころからいる楽して4年を過ごそう派。それから、結構レベルが高いとされている大学でも学生の質が下がっているような気はします・・・学力もさることながら生活態度って言うか、人間として大人じゃない、幼稚な人が結構いるわ。

高校生まで来てくれてた私の元生徒はほとんどまじめに勉強、将来を見据えてる子がおおいなぁ。私なんか、大学のころなーんも考えてなかったから素直に感心しています。

わが子を振り返ると。。。お兄は要領よくやる従来の大学生だわ(汗)。次男は1年生になりたてなのに(私から見れば)猛勉強で「あんまりこんつめんときや~」と勉強しすぎるな攻撃(変な親)。

次男のいた高校はいわゆる有名進学校だけど、受験に特化したような授業はしてないよ(変な学校ですけどね。生徒もやんちゃが多いし)。私立だからかな。

Jodako さんのコメント...

Serenaへ

いやぁ、私から見たらSerenaはとってもまじめに勉強してたし、目的もあったように思うよ。成績も良かったしさ。私なんか試験の直前にノンコのノートをいつも貸してもらってた。ノンコがいなければ、進級も卒業も危うかったと思う。

シナコのいた私学も有名進学校で、何名東大に入ったかを自慢していた反面、通常の授業そのものは面白そうだったよ。ま、シナコは当時中学生だったから、大学受験を目前にした高校生のほうはどうだったか知らないけど。

でもその前にいた公立のほうは、髪の長さは云々、ピアスは云々・・・と、やたら校則が厳しかったのに、編入した私学は自由で、みんな部活も熱心だったし・・・。学校のポリシー「自調自考」(自分で調整する、自分で考える)通りの校風だった。

親の考えも家庭環境もある意味で均質な私学ならではのことなんでしょうね。公立は大変だと思うけど、それでも改善できるはずだと思うんだけど・・・。

匿名 さんのコメント...

つい、serenaってハンドル名を書いてたね、ごめん。

公立はねぇ、自分らが努力して面白い授業をして生徒に刺激を与えようって気はほとんどないみたいだよ・・・私立にとっての生徒&保護者は顧客、公立にとって生徒はだまってても来てくれる存在だから・・・

長男の高校は田舎の進学校で、ひたすら進学するためのお勉強だったね~(たぶん、うちの子はよくさぼってたし、まじめにテストとかも受けてないし、困ったもんで)。国立に何人いれたかが自分たちの存在価値というか。ただ、ある程度の融通をきいてくれた(センター模試なんかしても意味ねーし、とかいって全員参加なのに全パスしたりして、それでも許してもらえたから~。あれで大学落ちてたらただの笑いものだったでしょうが)高校の先生方には感謝してるの。一方、中学の先生、ゆるさん!!!(笑)

長男まで、大学院はアメリカに行こうかなとかほざき始めたので、「勘弁してよ」攻撃中です。(何のためにあの大学にはいったのか・・・って私は思ってしまう)

匿名 さんのコメント...

アメリカには受験浪人は存在しない…、背景も含めてよく分かりました。ありがとうございました。考えてみると、そもそも学校って勉強に行くところなんだし、希望する大学に行く為には高校時代もちゃんと勉強しなければいけないんだよ、と最初から分かっていれば勉強する奴はしますよね。

どうしても自分自身が日本式の詰め込み教育しか受けていないし、今は息子が受験勉強しているのを毎日みているので、上手く言えないんですけど、「試験で頑張りさえすれば何とかご褒美が貰える」みたいな制度がないのは受験生がかわいそう、みたいな気がしてしまったのだと思います。

米国式が良いのかどうか人によって意見は分かれるでしょうが、何だか充実した学生生活が送れそうな気がします。いいな。

Jodako さんのコメント...

エリちゃん

アメリカは大学院のほうが学部より若干安いし、本人が親の扶養を外れていれば、自身の収入ベースになるので、奨学金も増えます。キニコにもこの手を使いたい・・・。仕事を始めたら、親の扶養から外すという手はあるのだよ。そうすること親の扶養手当と税金を比較してどっちが得かってところだけど、現状の学費だときっと後者。

アメリカも今や日本と同じく大学進学はほぼ当たり前。となると、大学院に進む者も大幅に増えています。今や学部の学歴ではなく、どの大学院を出ているかが重視されているとか。

でも私個人の意見を言うと、社会勉強せずにすぐさま大学院へ行くのは、医者か学者でとどめるべき。将来企業で働くことを考えているなら、一旦少しでも社会経験を積んでから大学院に行ったほうが幅広い視野を持って勉強できると思います。

シンガポールあきんどさん、

ユーペーが受験? 彼はどこにいっちゃうの? まさか単身で日本に帰らせてしまうの?