2007年6月29日金曜日

疲れました(欠航)

先週の水曜から1週間、シンシナチに出稼ぎに行ってた。

キニコがいるので、安心して家を空けられる。

シナコは夕食を用意して冷蔵庫に入れ、チンしたら食べられる状態にして出かけても、夜10時過ぎに私が帰宅しても食べていない。チンするのが面倒だから、という理由で。

キニコに比べ、シナコのほうが外見も中身も私に似ている。

小さいときに高野豆腐をスポンジのごとく、おつゆを吸っては、再び鉢の中の汁に漬けて食べているのを発見した時には、我が目を疑った。・・・私が小さかったときと同じことをしている・・・。

ちなみに、姉の長男も私と似ているとよく言われていた。何と彼も同じように高野豆腐を食べていた・・・。

話は逸れたが、家族フリーの快適な1週間をシンシナチで過ごし、帰りの飛行場でのこと。7時のフライトに間に合うべく、途中で会議を抜け、空港へ。途中渋滞していたものの、なんとか間に合った。

出発までは30分。ゲートの側のMax & Ermaのカウンターに腰掛け、「取りあえずビール」を注文。「何でもいいからすぐに出来るものは?」

で、フレンチフライをあてに(「あて」って、関西弁だそう。つまみのことよ)、ビールを素早く流し込む。これで機内でグーグー寝られる。今日の席は3人掛けの真ん中。寝るでもして、さっさと時間が過ぎて欲しい。

15分前にゲートに戻る。しかし、私の目の前で出発予定時刻が8:30に変更。その後、8:50に。

しかし、お約束どおり8:50にはボーディングが始まり、エンジンが掛かり、滑走路へ向けて動き出した。早くも睡魔が襲ってくる。

が、しかし。これでは書くに値しないストーリー。

パイロットのアナウンスが入る。「ニューヨークが悪天候のため、ゲートに戻ります。次の状況アップデートは10時半です。空港の飲食店などは既に閉店していますが、希望とあれば一旦降りていただいても結構です。」

果たして、乗客の8割は機外に出て行った。私は3人席を独り占めし、斜め座りして本を読む。ニューヨークでお迎えを頼んでいたリムジン会社や自宅に連絡。

11時過ぎ、とうとうフライトは欠航に。

馬鹿な私は、一旦チェックインした荷物を戻してもらい、郊外のホテルに泊まろうと思った。翌日の予定は特にないし、ゆっくりと帰れば良いと思ったからだ。

とっころが、2時間待たされた挙句、「やっぱり一旦チェックインした荷物は、取り出せません」とのこと。しかたがない、空港の側のホテルに泊まるか・・・と、心を決めたのに、それから電話したホテルは全て満室。じゃ、レンタカーでも借りて、ちょっと離れたところのホテルに泊まろう、と思ったのだが、私の考えは甘かった。レンタカーは全て借りられていて、一台も残っていない。考えてみたら、そりゃそうだ。欠航で目的地にたどり着けなくなった人々が真っ先に考えるのは、陸路でたどり着くと言う事。

てな訳で、私は空港に足止めとなり、一夜を明かすことに。

しかし、驚いたのは、テレビで放映されている「空港の床に寝そべった人々」に私も成り下がるのかと覚悟を決めていたのに、空港側は手馴れたもので、簡易のキャンプ用寝台(多分、その上に寝袋を置く台座)、毛布、枕をたんまりと用意していて、床に寝ずに済んだのです。

最近のアメリカは、飛行機の欠航や遅れは日常茶飯事で、どうやら空港も慣れっこで、準備態勢が整っているよう。

しんどかったながらも、ユニークな体験で、私の好奇心を満たしてくれました。

2007年6月1日金曜日

コネチカット通信 その5

「ニューヨーク駐在妻ってさぞかし優雅な生活をおくっているんでしょう、レポートしてください」とのリクエストが何人からかあった。

ニューヨークの駐在員社会が華やかかりし頃は、きっと数十年前くらいまでで、最近は不況で人数は減ったとは言え、依然としてかなりの数の駐在者とその家族が住み、駐在層も幅広くなって、読んだことはないけれど、一昔前の本に描かれていた雰囲気とは全く違う、と思う。

逆にあまりの付き合いのなさに、驚いてしまうほど。

14年前にリヤドに夫が駐在となったときは、社内では5家族ほど、リヤド市内の日本人も100人程と、とても小さな日本人社会だったし、多くが同じ敷地内に住んでいたから、何かにつけ集まりがあり、それが楽しくもあり、場合によってはうっとおしくもあった。

オハイオ時代は、私自身は駐在員ではなく、単なる傍観者だったけれど、赴任家族に対しては会社が現地でオリエンテーションを行ったり、家族が利用できるセンターがあって、サポートが受けられる。まさに至れり尽くせり(と私の目には映った)の環境だった。

ま、そこまでのフォローはなくても、夫の会社は駐在員の数も、私が勤めたオハイオの会社と同程度だし、何らかの会社との係わりがあるのだろうと思っていたら、大きく予想が外れてしまった。

夫の転勤は4月。私たち家族が到着したのは8月。以降、会社からのコンタクトは一切なし。「ようこそ、いらしゃいました」も、「いかがされていますか」も、全くなし。

ま、これがめんどくさくなくていいって言う意見もあるでしょう。でも、なんちゅうか、本中華。「帯同家族には、ご主人をサポートしてほしい、それゆえ、これだけの補償しているんですから」なんて、人事に言われたんだから、そんなに私たちのサポートに期待しているなら、ちょっとくらい、ご機嫌伺いしてくれてもいいんじゃないの、なーんて思うのは私だけか。

つまり、家族が当地に馴染むも馴染まないも、全て夫の手腕にかかっている。我家の場合はたまたま私も娘も言葉には不自由しない。夫は着任直後から、週の殆どは出張している状態だし、こんな中で言葉の出来ない家族だったらどうなってたんだろう、と思ってしまう。それとも、そういう家族なら、ちゃぁんと会社のほうから、様子伺いとかあったのかしら。

でも、裏を返せば、強制的に参加しなくちゃいけないイベントもないわけで、超お気楽でもあるのだ。リヤド時代は、リヤドに住む全ての夫人を対象に、定期的に行われる食事会としての「婦人会」があり、当番制の準備も大変ながら、内容が充実していなければ文句を言う人すらいた。そんな中で、「婦人会に出たくありません!」なんて、所長夫人に訴えて、なだめられたこともあったっけ。

とにかく、こちらでは放ったらかしの中で、ちょっとぶつくさ言っていた9月ごろの話。ある奥様からお電話が。夫がそれなりの年齢に達したから、彼の肩書きには、ナンタラ長というものがついていて、会社の中で、この「ナンタラ長」という人たちの配偶者だけが集まる、花の名前を冠した会があるそうな。近々私ともう1人の歓迎会を開く、とのお知らせだった。

ナンタラ長は単身赴任者も多く、集まったのは5-6人。私は社内結婚じゃないし、夫の会社の奥方は上品でハイソな人が多いのではと、勝手にイメージして、緊張して参加したのだけど、なんかみんな、普通の人たちで安心してしまった。偶然1人は私と同じ大学だったし、もう1人はコロンビア大学で修士を取った人で、ふたりとも外国好きそうで、嬉しくなってしまった。って言っても、それ以降、特に深くお付き合いしているわけじゃないんですけど。

てなわけで、〇〇ざーますのよ、おほほほほ・・・なんてやらずに済んで、良かったぁ。その昔のリヤドの所長夫人は、そんな感じのとーってもお上品な方で、話すときには、私は緊張して、舌をかみそうになっていた。

お料理しました

交換留学生時代、南部出身の家族と暮らしたせいか、私は結構、南部料理が好き。

ってことで、昨日はブラックビーンスープを見よう見まねで作ってみた。一昨日マンハッタンで入ったパン屋さんが、ランチスペシャルでブラックビーンスープを出していたのだが、それを食べて自分でも作りたくなった。適当に作ったけれど、これがとても美味しかったのだ! おぜんざいが大好きなシナコも、美味しい美味しいと言ってた。ブラックビーンズは、お砂糖入れて作れば、立派なおぜんざいになる食感。

勿論スープには豆だけじゃなくて、ベーコン、トマト、人参、たまねぎ、オクラなんかも入っていたよ。これに、コーンミールを衣にしたオクラのフライも作った。もしもこれに、ナマズのフライやコーンブレッド、デザートにピーカンパイが付いたら、立派な南部ディナーになったなぁ。

でも夫が食べられるものも用意しなくちゃってことで、昨日はこれに、フライパンで作った牛フィレのたたき風+おろし醤油ソース、りんごとくるみ・レーズン・セロリのサラダ。おまけにポテトサラダやコロッケまであって、超豪勢だった。

ただ、シナコが、「ママって、豪勢なのはいいけど、なんかコンビネーションが悪いというか・・・。」生意気な。コロッケとポテトサラダは残っていたから、仕方なかったのさ。

その前日はって言うと、マンハッタンからの帰りに、チヨダ寿司ってところで、私とシナコにお寿司とお弁当を一つずつ買って、それでシナコが足りなかったら困るから、ポテトサラダとコロッケも買ったのに、お寿司だけでおなか一杯になっちゃって、残っちゃったんだよね。

夫の分? 夫はいつものように、白いご飯と鮭フレーク。嘘。彼はいつものように出張でした。

たまに、まともに料理したときくらい自慢しとかなくちゃ、私の株は下がる一方だからさ。

で、今夜のメニューはって? 勿論、ブラックビーンスープですがな。

インビジブル・フェンス

先日、ママちゃんがボクのためにInvisible Fenceを購入しようかと思い立ち、説明のためにセールスの人を家に呼んだ。このフェンスは、その名の通り目に見えないフェンス。Invisible Fenceは登録商標で、他にも類似品はたくさんある。類似品ではトラブルが起きていることもあり、ママちゃんは本家本元の会社の製品を購入しようとしたのだ。

説明を聞くと、家の四方を囲むようにワイヤを地中に埋め込み、ボクは特別な首輪をする。ワイヤに2mくらい近づくと、まずは首輪から警告音が出て、更に近づくと首輪の内側の電極の突起が僕の肌にビリビリってショックを与える仕組みらしい。

何でママちゃんがこのフェンスを買おうと思ったかというと、ボクのためというよりは、本当は自分のためなのだ。裏庭には木製のフェンスが張り巡らされているけれど、フェンスの下には隙間が空いているし、ある部分ではフェンスとフェンスの間にも隙間がある。ボクがこの隙間を見逃すはずはない。最初の頃はおとなしく庭の中にいたけれど、だんだん庭にも飽きちゃったし、隣の庭にはリスもウサギも走っているし、どうしても後を追いたくなるんだよね。

で、何度も庭からエスケープを繰り返していたら、業を煮やしたママちゃんは長~い綱にボクを繋ぐようになった。ところが庭には木が生えてるし、2段になった庭の、上の段のタイルとタイルの間の隙間に、しょっちゅうボクの綱が入り込んで、動けなくなってしまう。そのたびにボクは「く~ん」と悲しげな鳴き声をあげて、助けを求めるんだけれど、どうやら僕を助けに外に出て行くのがママちゃんはメンドクサイらしい。

Invisible Fenceの広告が入り、今なら599ドル!という文句に、興味をそそられて、早速電話したらしい。599ドルで2エーカーまでらしいけれど、うちの家の土地なんて1エーカーもないちっぽけなものだから、裏庭のみならず前の庭も全部カバーできる。自分でまがい物を買ってきて取り付けてもいいのだが、前庭にはアスファルトのドライブウェイがあり、ワイヤを埋め込むには、このアスファルトを切り込んでワイヤを埋めてから再びカバーするという作業が必要。これはなかなか素人じゃ難しい。

インビジブル・フェンスを導入しても、その後きちんと犬を訓練しなくちゃならないんだって。たいていの犬はすぐに学習するらしい。一番訓練が難しいのが、ジャックラッセルやビーグルの類。つまり、ジャックラッセルの親戚であるラットテリアのボクは、一番訓練が難しいタイプらしい。動物を見ると、どうにも我慢できなくなっちゃうんだもん。でも訓練用のビデオも付いているし、「99%の犬は、大丈夫です」とセールスのおばちゃんは自信を持っていた。「この子は頭はいいんですよ」と、決してキニコやシナコを褒めないくせに、僕のことは褒めていたので嬉しかった。

説明を聞いてすっかり買う気になったママちゃんだったが、そこはパパちゃんに相談してからと、一応パパちゃんを立てて、その時は契約にはサインしなかった。

夜、パパちゃんに話をしていた。パパちゃんは、だいたい元々ボクのことがあんまり好きじゃない。「ファミリールームのカーペットを敷きたいと思いながら、お金がないから我慢しているのに、このクソ犬のために600ドルだと。俺は反対だね」と冷たい。最近は自分の稼ぎがなくて、発言権が弱まったママちゃんは、あきらめきれないまでも、もう少し待つかって雰囲気。

そしたら、今日、アメリカのお母さんから電話があって、話しているのを聞いてしまった。「600ドルもするから、夫も二の足を踏んでいるのよ」とママちゃんが言うと、「それじゃあ、あの犬よりも高いじゃない!」 それを聞いて、「ほーんとだ、もったいない」と、ママちゃんはすっかり納得してしまったみたい。

ちぇ・・・。

でもさ、去年の暮れ、獣医に連れて行かれて予防接種を打たれたら、ひどいアレルギー反応で目が開かなくなるまで顔は腫れるわ、熱は出るわで、あわてて再び獣医に連れて行かれて、中和剤を打たれて、赤ちゃん用のアレルギーの飲み薬まで飲まされて。あの時の予防接種と中和剤・薬の値段がしめて400ドルだったから、ボクの価値は、もう800ドルは優に越えているんだけどなぁ。

コネチカット通信 その4 レス

いやはや、コネチカット通信その4の「ぐうたら主婦」に対する反響はそこそこ大きかったですね。私を知ってくれている人は、笑い飛ばしてくれるかと思いきや、意外に真面目に怒られたりして。
知人から寄せられた数々のコメントをここでご紹介します。青字は私のコメント。

事実に基づくものの、ちょっとしたアレンジが面白く、家内にも読まそうと思いましたが、これを読むと強気になりそうなので家内には見せませんでした。(50代会社役員)

なんだかサウジで一緒にすごしたあの頃がよみがえってきたわ。いまだにシナコは食欲がないの? いっぱいのシリアルを、オエオエいいながら食べてたもんね。(30代専業主婦、子供小学生2人)
*そう言えば当時は、「霞を食って生きている」と言われてましたっけ。今は育ち盛りか、結構食べます。なのに、まだ151センチの私より背が低い。私も154センチの母を抜けなかった。母娘三代徐々に身長が縮んでいるなんて、今のご時世にうちくらいのものでしょう。かわいそ。(シリアル晩御飯じゃ、背が伸びるはずもないか・・・。)

私の゛多忙な゛毎日を彷彿とさせる内容で、夫に読ませたいな。英語版の予定はないのですか? (40代フリーランス)

楽しく読ませていただきましたが、貴女のイメージがもろくも崩れ去った感じです。ダンナ様に優しい愛人が出来ないことを祈っております。(50代エンジニア)
*あらら、どんなイメージだったんでしょ。

私はこんな娘に育てた覚えはないと、あれを読んで情けなくなりました。もし、お義母さんがあれを読まれたら、どんなに息子が可哀相だと思わはるかしら・・・。私も合わす顔がありません。このごろ、我が家でも私が働きに行っている間にパパが掃除機をかけて、お茶碗を洗ったり、大分賢くなったはります。でも、私が帰ってくると玄関に仁王立ちして、今日は掃除をした、洗濯物も干したとうるさく言います。だから「パパが会社へ行ってた時、帰るなり、私が『今日は料理した掃除した洗濯した』というたか?」といってやります。(70代主婦・シルバーセンター派遣員・ボランティアワーカー)

長すぎるっちゅうねん、が感想。正直、おもろい。ちょっとずつ(くすぐり)がはいってておもろいねんけど、目で読むだけにな。もうちょっと短めで笑かして。(50代 会社社長)
*短くすることできひんのがわかったから、ブログにしました。これで、もう強制的に送りつけられることもなく、時間があって、読みたいときに読めるでしょ。あ、でも、メールのときは仕事の振りして読めたけど、仕事中にブログにアクセスは難しいねぇ・・・。希望者には、引き続きメールで送りますよ。

ビッグな主婦してるなあ。羨ましい限り。だけどさあ、主婦の仕事って、なあんにもなかったかのごとくにしておくことが仕事なんだよね。お料理して、食べさせて、洗って、片つけて。。。 汚れた衣類等を洗濯して、たたんで、しまって。。。 皆が帰ってくるころにはなあああんにもここでは起こってなかったということになっているんだよね。なんと生産性のないことか。。。といつも嘆いておるしだいです。(40代ワーキングマザー、子供3人)

「人生それでいいじゃん!」と感じました。旦那さんもお子さんも犬も理想の主婦像への期待は諦めているみたいで 、貴女の強さがとても現れています。(50代エンジニア)

まあ、、、何と言うか。…私のほうが、よっぽど主婦をしているのでは。。と安心しました。私の先週1週間は、平均睡眠時間が4時間。仕事とプライベート(主に運動と通訳学校での勉強)で時間がないので、週1度はお手伝いさんが来ていますが、それでもどなたかよりは…主婦しているかも。(40代ワーキングマザー、子供小学生1人)

「起きないとしらないよ」というフレーズは関西のおばさんのフレーズだそうです。関東では木に登っている子供を見たら「落ちると怪我するよ」と言って子供をいたわるそうですが、関西では「落ちても知らんで」と言って子供を脅すそうです。(40代会社社長) 
   
専業主婦だった頃は、家の事は全て私がやるのが当たり前になっていたので、あの当時、もうちょっと夫が家事を助けてくれるか、「ありがとう」の一言を言ってくれていたら、喧嘩も少なくてすんだんじゃないかと思います(笑)。コネチカット通信の冒頭にもありましたが、ほんっと、働けど働けど、お金はもらえるわけじゃないし、感謝されるわけでもないしで、全然うかばれないのが主婦の仕事ですよね。(20代ワーキングマザー、子供幼児2人)

貴方の旦那に『喝』を入れたい気分です。 接待も有り夜遅く疲れて帰って来たのに、食器が流し台に放置してあったら当たり前の様にそれを洗う??? 麦茶がなかったらそれを作る??? その行動が気に入らない、許せない。日本男児としてあるまじき行為。専業主婦ならいくら遅くなっても旦那が帰った時に 労いの気持ちで迎えて上げるそんな優しさが欲しい。私の妻なら既に三行半を突きつけていますね。(50代エンジニア)

面白おかしく優雅な生活を教えてくれてありがとう。『貧乏暇無し』生活を続けている私としてはうらやましい限り。それにしても、旦那さん、色々としてくれるんやね~。ほんまうらやましいなあ。読んでいると、あなたは何にもしてないようで、実はタイムキーパーであり、全体を見ている統括マネージャー。主婦としては一番大切なポイントだと思うよ。(40代ワーキングマザー、子供中学生1人)
*そっか。これからは自分のことを家事統括者って言おう。英語では、さしづめHouse choir managerかな。

12-13年前のサウジ時代のお宅の様子と全く変わらないですね。もう、そのままって感じです。旦那さんは、相変わらずポロシャツのボタンを一番上までキッチリとしめているのでしょうか? あなたのパジャマは、やはり相変わらずベローンって伸びちゃった大きいTシャツのことですか? そういえば、サウジに居たときに、家の前で育っていたバナナを狙っていたあなたが、ワーカーのフィリピン人に取られちゃって、相当な時間悔しがっていたのを、何故か突然思い出しました。「パパの仕事はテレビ」とキニコちゃんに幼稚園の作文で書かれた旦那さんも、相変わらずテレビ好きなんですね!本当に変わってないんだなぁ。うちでも洗濯や食器洗いは僕がやらされます・・・。平気でやってしまう自分がとても悔しい。何で、世の中の女どもは楽しているのに、洗濯や食器洗いをさせられなあかんねん。うちのこの生活習慣はお宅から輸入されたものであることも、思い出しました。(40代 起業家)
*あれはベローンって伸びたTシャツじゃないよ。オーバーサイズとお呼び。今はもう少し身体にフィットしたセクシーな感じの古びたTシャツです。そうそう、あのバナナ、もう少しで黄色く熟れるぞって、楽しみにしてたら、ある日突然消えてたんだよね。でも、その後で、同じく家の近くのナツメヤシの木から落ちた実を、エリトリア人だか、エチオピア人のメイドさんたちと一緒になって拾って食べていたら、通りかかった日本人の奥さんに、「すっごい量の害虫駆除の薬を撒いてるから、食べちゃダメだよ!」って言われて、あのバナナもきっと農薬の塊だったと、先に食ってくれたフィリピン人に感謝したよ。
                         
1週間で作ったのは、カレーとトーストだけ、ということですね... (40代ワーキングマザー、子供5人) *違います。ちゃんとチャーハンも作ってるでしょ。

かなりオーバーに書いてあって、そんなに怠けた主婦のはずはないと思うけど、なんていい旦那様なのでしょう!と思いました。(40代エンジニア)
*いえ、それほどオーバーでもないです。

相変わらず、だんな様がマメで優しいわね。羨ましいです。私は、ブリッジ、お茶のお稽古、ヨガ、と、お気楽主婦をしています。(40代主婦、子供大学生2人)

兼業主婦より専業主婦のほうが精神的にきついと言ったけれど、通信4を読んで前言撤回。やっぱり専業主婦(*就学前の子供がいる家庭を除く)のほうがず~~~~っと楽だと思う・・・。(30代ワーキングマザー、子供幼児1人)

コネチカット通信 その4

前回のコネチカット通信3は、かなりの反響を呼びました。

皆様から寄せられたコメントを少し取り上げてみましょう。
  • そういう半分に切ってつなげた車は、「ニコイチ」って言うねん。
  • 私もドライブウェイをバックして、積み上げた雪の山に泥よけが当たり、泥よけが取り付けられたバンパーが破損。泥よけをぶつけただけで、バンパー全体を交換なんて、どんな設計をしているのか!
  • バックセンサーは車の後部の死角部分の障害物を見つけるためのもの。相手がトラックなら、そんなものなくたって・・・。後ろを見ないでバックするような人のことまで考えて設計できないよ。
  • (フランス人の乾杯に関して)それなら、君も新たな犠牲者みつけて、乾杯すればよかったのに。
  • 運転しないほうがいいんじゃないか、と思ったのは私だけでしょうか・・・??
  • 非常に男勝りと思っていましたが、過去の失敗談を知り、普通の女性であったと言う事を痛感しました。

など、など。

では、その4をお届けします。今回は「専業主婦」ということにスポットライトを当ててみました。

アメリカに来て、専業主婦となり早9ヶ月。
最近、富に感じるのは、「専業主婦って、なーんて報われない職業なんだろう」ってこと。

先日、藤棚の腐った枝やツタを全部取り払った。踏み台に乗って見上げて作業すること3時間。取り除いた枝は、ゴミ箱に入るように細かく折らねばならない。そしてたっぷり大型のゴミ箱2杯分。ずっと上向きの作業で、顔から頭から埃を被り、翌日は筋肉痛。その日は、前庭、裏庭のタンポポの撲滅に奮闘すること3時間半。昼食も忘れ、もくもくと働いた。翌日、またあちこちにタンポポが。何とか引っこ抜き、その後、来る日も来る日もタンポポと格闘。こんなにすっきりさせているのに、だーれも何も言っちゃあくれない。料理をしてもあたりまえ。掃除をしてもあたりまえ。出来てない時だけ文句を言われる。

勤めていたときは、ちょっと早く作業ができたり、上手にこなしたときは、「助かります、ありがとう」とか、「今日もすばらしい出来だったね」とか、大げさに褒められて感謝される。おまけにお金までもらえるのだ。

世の夫諸君、ちゃんと奥様に感謝していますか? 例えお給金が出なくとも、「ありがとう」の一言で、どれだけ報われた気持ちになり、明日への活力に繋がるか。しっかり肝に銘じて、奥様をねぎらって欲しいと思う今日この頃です。

と言うことで、私の「典型的な主婦の一週間」をご紹介することで、皆様の専業主婦に対するご理解を深めて頂きたいと思います。

月曜日
午前6時に目覚ましが鳴る。ベッドを出て、娘の部屋のドアを開け、「6時だよ、起きなさい! 起きないと知らないよ。ママはまた寝るからね」と声をかける。再びベッドに戻る。
6時15分。再びベッドから出て、「起きなさい!」と声をかける。「わかった!うるさい!」と、娘の感謝の声。その声を子守唄に、再びベッドへ。
6時半。ベッドから、「シナコ、6時半だよ!」と叫ぶ。 「知ってる!」と洗面所から声。ああ、起きていると安心し、再び眠る。
6時40分。夫がベッドから出る。それを合図に、5分遅れて私もベッドを離れ、居間のソファーへ場所替え。テレビをつけ、横になる。6時46分。「シナコ、あと2分!」と優しい怒鳴り声をかける。
6時48分。娘がシリアルバーを手に、走って玄関を出る。「いってらっしゃーい!」と叫ぶ私の声が居間にこだまする。自分の声に元気付けられて起き上がり、主寝室の夫の様子を見に行く。夫は朝の支度を終え、自分でベッドメークしたベッドに腰かけて靴下を履いている。「じゃ、コーヒーを入れるね。」台所へ戻る私。朝の大仕事、朝食の準備に取り掛かる。コーヒーを入れトーストを焼く。
7時。コーヒーとパンの用意が整った頃、夫が食卓へ。TVジャパンで日本のニュースを見ながら、「今日は接待で遅くなるから夕食は要らないからね」と言う。朝食を終え、空になったマグとお皿を台所に下げ、洗う、夫。
7時26分。夫が出かける。私はつきっぱなしのTVをBGMに再び心地よい眠りに落ちる。
9時か10時ごろ。これ以上眠っていてはいけない。主婦は忙しいのだ、と日ごろの疲労がたまった身体に鞭打ち、コンピュータの前に陣取る。友人知人からのメールにさっと目を通し、返事を送る。コネチカット通信もちょっと書いてみる。コンピュータは切らないで、読みかけの推理小説を手に取る。面白い。横になって続きを読む。やたらと犬がクンクンうるさい。あ、おしっこに庭に出してあげるのを忘れていた。餌もまだだった。愛情を込めて、犬の世話をする。
2時。横になって本を読んでいたと思ったら、いつの間にか本が床に。家の中を見渡す。今日は特にすることもない。一週間のうちこんな日が一日くらいあってもいいだろう、と、床にあった本を拾い上げ、続きを読む。
3時。ちょっと肩が凝ってきた。伸びをしてから、コンピュータをチェックすると、メールがまた数通入っている。なんだ、ジャンクメールだ。削除。生きているのか死んでいるのか音沙汰のない長女キニコにメールを出す。
4時過ぎ。今日のシナコのお迎えは、お友達のお母さんの日。クラブ活動後のお迎えがない日は心からリラックスできる。
5時。シナコが学校から帰宅。「ピアノの前に、犬の散歩に行ってあげなさいよ。」と声をかける。子供の躾も忘れない。
6時。ピアノの先生が到着。「今日は、出かけることがありませんでしたので、パジャマで失礼します」と先生にご挨拶。「まあ、優雅でよろしいわね」と、先生の嫌味のない羨望のお言葉。ピアノのレッスン中、カレーを作る。
7時過ぎ。夕食。一日一所懸命働いた自分への労いに、ビールを一本つける。
9時。お風呂に入り、きれいなパジャマに着替える。「シナコ、早くお風呂に入って寝なさい。ママはもう寝るからね。」と愛情のこもった声をかけ、ベッドに入り熟睡。
深夜。夫が帰宅し、流しに残っている夕食のカレーの器などに気付き、洗う。また麦茶が減っているのを確認し、新たに水出しの麦茶を作って冷蔵庫へ。明日からの2泊3日の出張の用意を自分で整えて、夫も就寝。月曜日が幕を閉じる。

火曜日
いつもと同じ朝。
昼、着替えて化粧もする。たまったワイシャツをクリーニング屋へ。交換に先週出したワイシャツを受け取る。夫の身だしなみに気を配るのも妻の務めだ。
夕刻、今日は私がシナコを学校に迎えに行く当番。今夜から木曜の夜まで夫は出張で不在だ。夕食は、昨日のカレーを温める。今日も一日の疲れを癒すため、ビールを一本。いつもと同じ夜。キニコからの返信なし。

水曜日
いつもと同じ朝。しかし夫が不在なので私がベッドメークをするしかない。
いつもと同じ昼。
晩御飯のメニューはカレー。シナコの帰宅後、「今夜はカレーだよ」と言うと、「カレーはもう嫌だ!」と、だだをこねる。自分でも3日連続は辛いが、今日食べきればなくなる。2人でカレーを囲んだ和やかなディナー。今日は、ビールは休肝日にしよう。グラスに赤ワインを注ぐ。いつもと同じ夜。相変わらずキニコからは返信なし。

木曜
いつもと同じ朝。洗濯かごの蓋を開けて中を覗く。夫の分がないので、洗うにはちょっと量が少ない。蓋を閉じる。家の中を見渡す。掃除機は・・・まだ、2日は持ちそうだ。
今日はマンハッタンでお友達夫婦とランチの約束。12時半にイタリアンレストランで待ち合わせ。カウンターに腰掛けて、ワイン片手にルッコラのサラダ、アーティチョーク、この季節にしか出回らないランプというネギの一種が乗ったピッツァなどをつつきながら、おしゃべり。デザートにはオリーブオイルのジェラート。これが本当に美味! 1時間半後、ご主人は「じゃ、僕はお先に」と帰る。それまで頑張って英語で会話していた私たちだが、「あ~これで関西弁で思いっきりしゃべれるわぁ~。」カプチーノ1杯でぺちゃくちゃ。ぺちゃくちゃ。バーテンのフランクが、いつのものことと思いつつも、半分本気で嫌な視線を投げる。ぺちゃくちゃ。時計を見る。5時半。「あかん、もう帰らな。」後ろ髪を引かれる思いで、店を出る。地下鉄と電車でコネチカットへ戻る。
帰宅後。「ママは、今日は全然お腹空いてないんだよね。シリアル晩御飯でいい?」「え~、まったぁ。いやだよー。」と、忙しい母を思いやって、シナコは快諾。
今日もキニコからは音沙汰なし。夫は、飛行機が延着で、夜中の2時に帰宅。ドアが開き、犬が嬉しそうに彼を出迎える気配に、私は時計だけ確認して再び夢の世界に。夫はスーツケースの中身を空にして、シャワーを浴びて就寝。

金曜
「今日は早朝の会議がある」と、いつもより一本速い電車で、夫が出かける。それでもベッドメークは忘れない。
11時。夫の洗濯物がたくさん入り、洗濯かごの蓋が少し浮いているのに気付く。蓋を開け、中身をぎゅっと押し込む。蓋が閉まる。
いつもと同じ昼と夕方。シナコに、「今夜のごはんは・・・」と話しかけると、「カレーもシリアルも絶対に嫌だ!」と発言。ああ、一人前の意見を言うようになったものだ、と、娘の成長に目を細める。「大丈夫、カレーはもうなくなったから。ご飯が余っているので、チャーハンにしよう。」 腕によりをかけたチャーハンにシナコは舌鼓を打つ。チャーハンにビールは合う。夫は、今夜も出張者と外食のはず。
9時過ぎ。「出張者との夕食がキャンセルになった。今から帰る」とメールが入る。慌てる。かつかつお茶碗一杯のご飯がある。冷蔵庫を覗くと瓶詰めの鮭フレークもある。
10時過ぎ。夫が帰宅。手際よく、電子レンジでチンしたごはんと鮭フレークを食卓に並べる。サービスでインスタント味噌汁もつける。食後、自分のお皿と、私たちのチャーハンの器を洗う夫。夜遅くまでTVジャパンを見て楽しむ。

土曜日
長かった1週間の疲れを取るために、犬を含む家族全員が昼過ぎまで寝ている。
昼過ぎ、シナコはコーンフレークを食べる。私たちは、今日は夫が用意したコーヒーとトーストだ。だらだらテレビを見る。ふと気がつくと、夫は洗濯かごに一杯になった洗濯物を地下に運び、洗濯を始める。「濃色と淡色はちゃんと分けてね」と、ソファーに寝そべりながらも、主婦らしい助言を忘れない。
夕刻、空っぽの冷蔵庫を覗きながら、「おい、買い物に行かなくていいの?」と夫が尋ねる。「行かないとだめ」と私。「1人で買い物行くの嫌いだから、ついて来て。」 夫婦仲良く、近くのスーパーに出かける。
帰宅後、私が忙しくスーパーで買ったものを仕舞っている間、夫は洗濯物をたたんで片付ける。たまに夫に手伝ってもらうのも悪くない。あ、そういえば、掃除機をかけたい気分。「掃除機をかけたいんだけど・・・腰が痛いんだよね。アメリカの掃除機は重くってさ。」 夫、掃除機をかける。
夜。一週間毎日ずっとお料理をしてきたのだから、今日ぐらい手を抜くのもいいだろう、と、ピッツァのデリバリーを頼む。ピッツァを食べながら娘が、「ママ、今日の晩ご飯は何?」と聞く。「これじゃん」と私。「え、朝ごはんがコーンフレークだったから、これはランチだよ。だってこれが2回目のごはんだもん。」 朝食、昼食、夕食というのは、食べた時間に基づくもので、一日のうちの、最初のごはん、二度目のご飯、三度目のご飯という意味ではない、と娘を諭す。まだ納得していないので、「この後、アイスクリームを食べて、それを晩御飯と思えば」と提言する。
今日、日本食品店で借りてきた日本のドラマのビデオを見て、土曜日が幕れてゆく。

日曜日
同じく遅くまで寝ている。夫は先に起きて、給油と洗車に行く。
だらだらしているうちに、夕方になる。
一週間あくせく働いた妻をねぎらい、今夜は外食だ。近くの中華料理店へ足を運ぶ。
帰宅後、「明日はごみの日だよ」と優しく告げる私。家中のごみを集めて、ごみの容器を外に出し、空になったゴミ箱に新しい袋を入れるのも忘れない夫。
夜、明日からの出張に備えて、夫は荷造りをしている。私はベッドに横になり、本を読みながら、明日からの長い長い主婦の一週間に思いを馳せる。相変わらず音信普通のキニコ。便りのないのは良い便りと、安らかな眠りに就く。

注記: 上記の事柄は全て事実に基づいておりますが、面白おかしくするために、頻発しない事柄も全て一週間に凝縮して描きました。ですから、これが実際の1週間の様子を再現したと、誤解なきようお願いします。つまり、実際には、私がメモを渡して、夫がひとりで買い物に行くこともあります。


・・・うむ。おっかしいなぁ。超多忙を極めている主婦だったはずなのに・・・。これじゃぁ、世の主婦像をゆがめて伝達してるじゃないの。お友達よ、ごめんなさい。でも、ま、これで日頃の我家の様子はわかってもらえましたでしょ。

コネチカット通信 その3

(車)
11月の半ばに買い物に出かけようと、ドライブウェーからバックで前の通りに車を出した際、普段は何もないはずの向いの家の路肩に、庭師(夏は芝刈り、秋は落ち葉集めをしてくれる業者)のトラックが停まっていて、オデッセイのバンパーをぶつけてしまった。コネチカット通信1で、バンパーをこするのも時間の問題と予想したけれど、こするくらいで済まなかった。

うちのオデッセイにはバックアップセンサーが搭載されているので、後方に障害物があるとアラームが鳴って注意を促す仕組みになっている。ドライブウェーから通りに出るときは、我が家の植木が視界を遮断しているため、必ず通りの往来を確認しながらそろそろと下がる。その時も例に漏れず、どちらの方向からも車が来ていないのを十分確認した後、一気にバックしたら・・・ピ、ピ、ピピピピ、ドン。その間わずか2秒。つまりセンサーが鳴っていると認識した途端にぶつかったから、センサーは全然役に立たなかった。センサーが役に立つのは「何かあるかも・・・」とそろそろと後退しているときだけで、大丈夫と一気に下がった時にはセンサーが鳴ってもぶつかるのを止められない。(と、自分のミスは棚に上げて、まずはセンサーの役立たず振りを非難。)
 
教訓1 バックアップセンサーは安心しきっている時には役立ちません。

すぐさま車を降りて、相手のトラックと自分の車をチェック。ドッジのいかついトラックは全く無傷。一方、私のバンパーは幅20センチ縦10センチばかりが陥没し、中央に5センチ幅くらいの「かぎ型」の亀裂が生じている。・・・ああ。周りを見渡すと、様子に気付いたおじさんが近寄ってくる。
「ぶつけちゃったの?」 

庭師のおじさんは、さらっと自分のトラックを確認して、「なんともなってないな。ま、あんたに怪我がなくてよかった。」
「あのぅ、保険会社に電話しないといけないと思うんですが・・・」
「僕の車は大丈夫だから、別にいいよ。」
念のためと、彼の名刺をもらった。「あんたの連絡先は別にいらないよ。だってここに住んでるんだろ。」 と我が家のほうを見やる。
ああ、なんて気のいいおじさんだ。

保険会社の連絡先もわからないし、早速会社にいる夫に連絡し、ぶつけたと伝えた。庭師のおじさんみたいに、「君が無事でよかった」なーんて優しい言葉をかけてくれるどころか、非常に不機嫌になる。
「このくらいの傷、別に修理しないでも大丈夫だよ。だいたいバンパーなんてぶつけるためにあるんだもん」と、神経を逆なでするような私の言葉に、不機嫌を通り越して怒りも露わに。とにかく彼に保険会社に連絡してもらう。

数日後、スーパーの駐車場で偶然、同じ車種の似たような箇所に、かぎ裂きの亀裂を伴う類似の陥没を発見。
(なぁるほど。この箇所は軽くぶつけただけで亀裂が生じるようになっているのだ。つまりバンパーの裏側に突起があり、この箇所に当たると衝撃で内側から切れてしまうのだ!つまりこれは設計ミスなのだ!ぶつけるためにあるバンパーの裏側にぶつかったら亀裂が生じるものをそのままにしておくとは、設計ミスじゃないか。断じて私の運転ミスではないのだ!訴訟を起こすと勝てるかもしれない・・・!) という考えが頭をよぎった。数年前にマクドナルドで買ったコーヒーをこぼして火傷した人が、「コーヒーが熱すぎた!」とマクドナルドを相手取って訴訟を起こしたことがあった。自分のミスを棚に上げて相手を非難するという考えが、どうやら私の頭をも蝕み始めたらしい。

しかし訴訟にかける時間とエネルギーを考えると、バンパーの修理費を払ったほうが早い。ま、「コネ通」を強制的に送りつけられてしぶしぶ目を通している読者の中には、自動車専門家が少なくない。彼らに私の一方的な意見が届けばそれでよしとしよう。

バンパーと言えば、その昔は金属で出来ていて頑丈だったのに、最近はプラスチックで柔になってしまった。バンパーの役割は今では車を守るだけでなく、頑丈すぎて衝突時にむやみに歩行者を傷つけないように、歩行者に対する安全性も確保しなければいけない。まさに相反する二つの役割を果たさなきゃいけないのだから、中途半端になってしまうのも仕方ないよなぁ・・・と、ひとり納得。

「ぶつけるためのバンパー」という私の考え方はパリに住んでいた時代に培われた。私のお決まりの駐車スポットは自宅アパート前の通りの路肩。路肩には延々と縦列路上駐車が続く。路上駐車上のマナーは「ギヤをニュートラルに入れてサイドブレーキを引かない」こと。一台分ぎりぎりのスペースを見つけたら、迷うことなくバックで進入し、そろりと後ろの車を押しやりながら、我が車の身を沈める。同じように他の車も入ってくるものだから、翌朝には前後の車とのスペースがほとんどなくなっている。どうやって脱出するかって? 入ったときと同様に、前後に軽く当てながらどんどんスペースを広げていくのだ。

80年代の後半の話だから、いまだに同じようなことがフランスやヨーロッパで、まかり通っているのかどうか知らないけれど。当時はパニックアラームの付いている車なんてなかった。(いや、あってもその手の高級車はしっかりアパート下のガレージとかに納められていた。) アラームが付いていたら、パリでの縦列駐車用にパニックを切るボタンでも付いていないことには、一晩中うるさくて仕方がないだろう。しかもマニュアル車が9割以上を占めていた時代の話。今でもヨーロッパではマニュアル車が多いのは知っているが、オートマも増えている。オートマでパーキングギヤに入れてしまうと車は動かなくなってしまうから、忘れずに駐車時にはニュートラルに入なきゃならない。

そういえばパリに引っ越して間もなく、車を買おうと思い立ったときに、オートマ車がなくて苦労した。中古車広告の殆どはマニュアルで、オートマにすると選択の余地がなくなる。フランス語もわからないし、フランスのやり方も分からない私は、会社の友人、ヴァレリーに頼んで車を探した。当のヴァレリーは免許も持っていない、車に関してはド素人。彼女が新聞の個人広告で見つけてきてくれた車はルノーサンク(5)。私もこれまでに自分で車を買うなんて行為はしたことがなかった。日本で車を買っていたのは正規のディーラーからで、買主は父。免許を持っていない父は「自分の車」を買いに「運転手」の私を引き連れてディーラーに出向くのだ。一台目は中古のマークII。二台目も同じディーラーで新車のマークII。(ちなみに小柄な私にマークIIは不釣合いで、神戸の会社に通っている頃、「無人のマークIIが前を走っていると驚いたら、やっぱりお前だった」と揶揄された。)

日本のディーラーは世界のディーラーと文化が異なると言ってもいい。1回限りのお付き合いじゃなく、ちゃんとディーラーには「顔」がある。数年に1度しか買わないのに、年末にはわざわざ家までカレンダーや、時にはラジコンのプラモデルも持って来てくれるし、担当者が変わると挨拶に来る。アメリカでは「カーディーラー」と言えば嘘つきの代名詞。これはモントレーで最初に買った車で実証済み。車を持ち帰った翌朝、車の下にグレープジュース色の液体が溜まっているのを発見。間もなくハンドルが異常に重たくなる。パワステシステムのどこかに亀裂があったのだ。

この時は部品がない、とか、取り寄せた部品が違った、とか色々理由をつけて散々待たされた挙句に、「あんたにもっといい別の車を見つけたよ」と、親切ごかしに新たな中古車をあてがわれた。「私じゃ、この車がいいのか悪いのか判断できないから、友達に見てもらいます」と一応乗って帰って、お隣のご主人に見てもらった。早速車の下にもぐってくれて、その下から顔を覗かせた彼が、「これ、前半分と後ろ半分は違う車だよ。真ん中でひっつけてある」。

事故車の使える部分を張り合わせてあるなんて、あんまりだ!何にも知らない女だと思ってバカにしやがって! 何度も掛け合った挙句、ディーラーとのやり取りを録音したウォークマンをちらつかせ、「訴える!」と言うと、ようやくお金を返してくれた。カリフォルニア州にはレモン法(欠陥中古車を売った売主の責任を問う法律)が適用されていないので、勝ち目はなかったのだが、パフォーマンスのつもりだった。知人が調査してくれた結果、「このディーラーは別の顧客とも係争中」ということだったので、そのことを持ち出したら、すんなりあきらめたのだ。(持つべきものはこういう調査をしてくれる友人だ。感謝!)

教訓2 アメリカのディーラーで中古車を購入するとき、保証付きでない車は、まずは疑ってかかりましょう。(だいたい新聞などの個人の中古車販売広告欄に、「XX年型○○。走行距離XXXマイル。○○○ドル。走ります!」なんて堂々と書いてあるのが信じられない。走らないなら、売るな!)

ところで真半分に切った車を繋げるなんて、本当にそんなことあるのだろうか、と、いぶかしく感じていたが、実際にそういうことが行われていることを、なんと弟から知らされた。わが弟は、とある日本の自動車メーカーの関連会社だか下請け会社かに勤めているのだが、その会社が日本の中古車を東欧(だったと思う)に輸出している。輸出の際、車は真っ二つに分断される。そして陸揚げした後に、再び元の形に繋げられるのだ。何故?真っ二つに分断した車は、もはや車とはみなされず、「鉄くずとして課税」されるからだ。

パリの話に戻るが、結局この時も相手のアパートをヴァレリーとたずね、車も見ずに値段交渉もせずに、広告の額面どおりで、「じゃ、買います」と決めた。すぐさま相手夫婦は4つのグラスを出してきて、4人でカンパイをした。「これは交渉成立時のフランスのしきたりよ」と、酒好きのヴァレリーは満足げに解説する。しかしこのカンパイの本当の意味を理解するまでに、さほど時間はかからなかった。帰り道、手にしたルノーサンクを運転しながら、(なるほど、うまく騙せて相手はカンパイする気分になったはずだ・・・)と気付いたが、時既に遅し。もともとオートマは希少だから選択の余地はあまりなかったにせよ、高い買い物だった。と、そのおんぼろぶりを実感したのである。

その数ヶ月後、日本から出張で来た元上司を私の車に乗せた。「悪いこと言わへん。命が惜しかったら、この車すぐに買い換えたほうがええで。」 彼の親切なアドバイスに素直に従い、すぐさま今度はマニュアル車のルノーオンズ(11)に乗り換えた。

教訓3 フランス人が乾杯したいと言う時は、気をつけましょう。

マニュアル車なんて教習所を出て以来、運転したことがなかった。その日ルノーのディーラーを、がっくんがっくんと車を前後に揺らせながら後にして、何とか自宅まで辿り着いた。翌日からはクリスマス休暇。会社を出てそのままノルマンディーへヴァレリーと車を走らせ、続いて日本から遊びに来た友人を空港でピックアップして、ロンドンまで車で行った。高速走行では、なんとなく車がまっすぐに走らず、ハンドルもかなり振れる気がする。

(こりゃ車軸でも歪んでいるのかな、欠陥車かもしれない。休暇が終わったら早速ディーラーに持って行こう・・・)なんて思いながらのロンドンからの帰途。パリのペリフェリック(循環高速道路)に入る直前の急カーブで、速度を十分に落としていなかったためにガードレールに激突。時速40キロくらいで曲がらなくちゃいけないのを、80キロぐらいで突っ込んだんだから無理もない。それまで150キロくらい出していたから、スピードを落とした積もりでも十分じゃなかったのね。エンジンはなんとか掛かり、家には辿りつけたものの、ディーラーに修理に持って行ったら「車軸が歪みましたねぇ」・・・。元々歪んでいたかもしれない車軸の修理に、買った金額の50%くらいの費用がかかってしまった。またしても手痛いレッスンだった。

教訓4 車がおかしいと思ったら、遊んでから点検しようとと思わずに遊ぶ前に点検しましょう。
え、そうじゃないでしょって? じゃ、改めます。
教訓4 カーブに入る前には、十分にスピードを落としましょう。

死にそうな思い、と言えば、もう一件ありました。大学卒業前に、アリゾナに旅行したときの話。アリゾナは私が高校時代に1年間留学していたホストファミリーがいるところ。そこに大学時代の友人二人と遊びに行った。1人は小学校から大学まで、もう1人は交換留学から大学までが同じ友人。後者の友人はスペイン語が専攻で、メキシコをバス旅行した後、アメリカで私たちと落ち合うことになっていた。アリゾナ州とメキシコ国境にあるノーガレスと言う町にバスで着く彼女を、ピックアップする約束になっていた。無事に彼女と会った後、ホストファミリーの住むツーソンまでの帰途のこと。砂漠の中の一本道というのは非常にスピードを出しやすい。向こう何十キロも見渡せるし、対向車もほとんどない。調子に乗って猛スピードで走っていた。すると・・・ワーナーブラザーズの漫画でおなじみのロードランナーが「ウッウウッウー!」という声は上げていなかったと思うが、突然道路を横切った。

ロードランナーと言う鳥は、その名の通り、道を走って横切るのだ。慈悲深い私は、そのまま鳥に向って突っ込むことができず、急ハンドルを切ってしまった。その後、車は我が意に反して、右に左に揺れ、挙句の果てに大きく旋回して、砂漠の中に突っ込んだ。回転しなかっただけめっけもの。同乗の友人たちは生きた心地がしなかったようだ。幸いタイヤも歪まず、砂漠からも脱出でき、我々は無事ツーソンに帰り着くことが出来た。

教訓その5 運転中は殺生も致し方ない。
え、また違うでしょって? そうね、違いますね。もとい。
教訓その5 制限速度プラス20キロ、を守りましょう。

さて、再びオデッセイの話。見積もりの結果、修理費は900ドル弱。免責は500ドルなので我が家の負担は500ドル。幸いなことに修理費の合計が1000ドルを越えない場合は、翌年の保険料に影響することはない。問題の箇所は、バンパーの下の曲がり込んだ部分なので、パッと見では目立たないところなのだ。私としては、これしきのことでバンパー取替えはめちゃくちゃ惜しい。が、ぶつけたのは自分だし、もったいないと主張すると、夫の機嫌を損ねる。夫のご機嫌を500ドルで買うと思って泣く泣く修理することにした。

友人夫婦に、「これしきのことでバンパー取替えを主張するなんて信じらんない!」と訴えると、友人のご主人(アメリカ人)は、「何に価値を置くかは、男と女で違うからね。男性は往々にして車に価値を見出すから。」 妻である友人は、「そんなん、もったいない!でも、何で黙っておかへんかったん? 言わんかったら、わからへんかったのに。」 

そうだ、私が正直すぎたのだ! 駐車してる間にぶつけられた、と言い逃れもできたのに。
今回の最大の教訓。

教訓6 車をぶつけても夫には、知らぬ存ぜぬで通しましょう。

コネチカット通信 その2

2007年2月9日

長らくお待たせいたしました。(全然待ってへん、ちゅうねん)
あまりにもブランクが空きすぎて、あれは初版にて廃止になったと思われた方も多いでしょう。
私もそう思いました。

日本では、新型インフルエンザが今にも勃発しかねないと不安を煽る食品会社とスーパーの策略の下に、買いだめが奨励されているようですが、アメリカではそういう噂を聞かないのは何故だ?

ああ、そうだ。アメリカ人の家にあるフードパントリー(食料貯蔵用の棚)や、ガレージにある2台目の大型冷凍冷蔵庫の中には、恐らく2ヶ月やそこらは十分に持つだけの食品が常に詰まってますからね。量は2か月分でも、不二家じゃないけど賞味期限の切れたものを除くと大してないかも。

いや、しかし。数年前にアメリカのおばあちゃん(留学時代のホストファミリーの祖母)が老人専用マンションに移ったので、元いた家の冷凍庫をお母さんと大掃除した時のこと。2年前の牛肉の塊とかワンサカ出てきた。捨てるのかなと思いきや、立派にその夜の食卓を飾っていた・・・。恐るべしアメリカ人。

コネチカット通信 その2

次回は9月ごろなどと言っていたのに、あれよあれよと言ううちに月日は流れてしまった。では、8月からの3ヶ月を振り返ってみよう。

(げじげじ)
ゲジゲジなる生物を皆様はご存知だろうか? ゲジゲジ眉などと「可愛く」表現されたりするが、実物は初めて出会ったときには心臓が止まるかと思うようなグロテスクな様相。ここに来て間もないある日、例の怪しげな地下室に続くドアを開けた途端、右手の壁をさ、さ、さっとすばやく動くグレーの物体が目の隅に止まった。一瞬蜘蛛かなと思ったのだが、その目にも止まらぬスピード(止まってるがな)、何百本もあろうかという足の数(ほんまは30本)・・・ゲ、ゲジゲジではないか!

なぜか私はムカデとゲジゲジの違いを知っていた。その昔、一度だけどこかで見た気がする。が、断じて自分の居住空間の中ではなかった。夫が帰宅するや否や、「ゲジゲジが出てん!」(なんでこんな家借りてん!という意味。) 夫曰く、「あ、この前テレビ見てたら、足下を走ってたわ。」 冗談やない!

その夜、シナコが寝室で悲鳴をあげた。あんまりきゃーきゃーうるさいので覗いてみると、「へ、変なものが走った!」 見てみるとゲジゲジではないか! 夫を呼んで処分してもらう。日夜ゲジゲジの恐怖におののいていなければならないなんて、絶対にこんな家には住めない!

蜘蛛の巣だらけで、乱雑に不用品が置かれ、湿気に混じって、えも言われぬ臭気が漂っている地下室。回りの壁に沿ってありとあらゆる不用品と見受けられるものが放置されているガレージ。ファミリールームの壁と床の間には1センチほどの隙間があり、「虫様熱烈歓迎」状態。ファミリールームは後から増築された部分で、その昔はパティオだったらしい。床はレンガ。そのレンガのあちこちが欠けて、石ころのように転がっている。案の定、隙間からは蜘蛛が入り放題で、部屋の周りには蜘蛛の巣がいっぱい。ようやく掃除機は買ったものの、自分は気持ち悪いものだから、お小遣いあげるとそそのかし、キニコに掃除機をかけさせた。掃除機の先に蜘蛛の巣が団子になった・・・。しかしその甲斐なく間もなくまた新しい蜘蛛の巣が・・・。

引き渡された家の状態に不満を抱いていた私は、危険なゲジゲジが出没するような家など許せない!大家がちゃんと掃除しなかったからだ!と憤慨し、直接大家に電話で抗議。しかし、「ゲジゲジや蜘蛛なんてこの辺りでは当たり前の生物。共存できないようなら、出て行くしかないですね。僕は広島に住んでたことあるけど、日本にも蜘蛛はいましたよ」と高飛車な(?)大家の態度。

さんざん騒ぎまわっていた頃、日本の知人からゲジゲジについての知識を入手。判ったこと。まずゲジゲジは滅多に人間を攻撃しないし、毒はない。そ、怖がることはないのだ。また他の虫を食べることから、益虫とも言える。暗いところ、湿ったところを好む。つまり我が家、特に地下室はゲジゲジの恰好の棲家なのだ。適度な湿度(自動設定になっている除湿機が24時間休む間もなく稼動している!)、暗い、餌となる蜘蛛やカマドウマが豊富。最後の餌が豊富なのは、大家がちゃんと掃除しなかったせいだ! 自分ではどうしても怖くて気持ち悪くて掃除する気にもならない。そこでとうとう業者を雇って地下室を掃除してもらうことに。そして交渉の末、その掃除代だけは大家さんに持ってもらった。

しかし、その直後、私たちの寝室にゲジゲジが、シナコの寝室にも、バスルームにも出没。先日はベッドカバーをめくるとあわてて走り去った。ふん、またゲジゲジか、とティッシュでつまんでポイっとトイレに流せるくらい、私も成長したもんだ。

大家が言ったとおり、蜘蛛やゲジゲジなんてどこの家にも出るらしい。
「あら、ゲジゲジなんていいですよ。うちなんて、蛇が出ます」と、ある日本人の奥様。良かった、うちに蛇がいなくて。でも屋根裏でカサコソ音がするから、多分ねずみが住んでいると思う。でも毒を撒いちゃいけないらしい。毒を食べたねずみが、壁の間や屋根裏で死んで腐って・・・大変になるそう。ねずみはネズミ捕りを仕掛けて捕まえるらしい。ってことは、捕まえたら誰かがそれを捨てなければならない・・・。我が家には、我こそはと名乗りを上げる勇者がいないので、今のところねずみは飼っていると思うことにしている。あ、そう言えばジョダオはラットテリアだ。ジョダを屋根裏に放すべきか・・・。

ゲジゲジについてもっと知ってみたいという方は、「ウィキペディア」でお調べください。

(家)
掃除のあと、地下室の臭気は消え、ガレージも夫に不用品を納屋に押し込んでもらって、すっきりした。そうしてみると築80年と古いけど、うん、この家悪くないじゃない。なんと言っても一番のメリットは駅に至近と言うこと。

日本ではバス停まで徒歩8分、駅までバス20分、東京駅まで快速なら40分弱・・・、乗り継ぎを入れると通勤に2時間近くかかっていたわけだから、駅まで徒歩2分、快速でマンハッタンまで45分、鈍行で1時間と言うこの家の立地は素ん晴らしい! 

しかも駅に近いと言うとごちゃごちゃした繁華街を想像すると思うけれど、まず駅は無人。(ちなみに沿線の駅はみんな無人駅、検札は乗車後に車掌さんが回ってくる。) 沿線のほかの駅前はにぎやかなところも多いが、私の知っている限り、うちの最寄駅とひとつ手前の駅は、駅の周りにはなーんにもない。静寂そのもの。あるのはただホームと、ホームの周りに駐車スペースがあるだけ。券売機は下りホームにひとつ。コンビニはおろか、飲み物の自販機すらない。(自販機はそもそもアメリカの街角ではほぼ皆無。きっと盗み目的で壊されるのが落ちだからでしょ。)だから逆に夜は怖い。外灯すらほとんどない真っ暗な中を家まで2分の道のりは、ちょっと不気味。

ところで初っ端はお互いけんか腰になったものの、その後大家さんとは和解。この大家さん、家の手入れを人に任せるのが嫌なのか、お金を払うのが嫌なのか(多分かなりの確率で後者)、何でも自分でやる。車で5時間かかるニューハンプシャーに住んでいるので、何かが壊れたと言ってもすぐに走ってきてくれる距離ではないのだが、言えばたいていのものは自分で修理してくれる。だいたい1ヶ月に1回の割合でやってきて、あちこち修理したり、樋の掃除をし、植木を切って帰って行く。

先日、私たちの寝室のバスルームのシャワーの切り替えがバカになった。湯は蛇口からしか出ない。大家が着てくれるまでの数日間、夫と私は、這いつくばってバスルームの蛇口に頭を突っ込んで髪を洗ったのである。丁度、キニコが友達を連れて帰宅していたときで、もう一つのバスルームは子供たちに占領されていたから。この時も、大家はシャワーのハンドルを外して、中のナントカという部品が磨耗している・・・とか専門的な話をしながら修理してくれた。彼は元パイロット。今はなきアメリカの某民間航空のパイロットだった当時、通勤に近いようにこの家を買ったらしい。大金持ちなんだから、自分で何でもやらなくても、人任せにできるはずなのに、屋根の上に登って樋に詰まった落ち葉や枯れ枝を掃除し、風呂場の隙間にコーキング剤を塗って水漏れを防ぎ、台所のコンロの横のカウンタートップが水を含んで波打ってしまったのを万力で抑えて、その上から自分で削ってきた棒を打ち込んでまっすぐに伸ばしているのを見て、とても感心してしまった。きっとこの家は彼にとってはプラモデルの延長なのだろう。

(グリニッチの裕福さ)
「あの、天文台があるところ?」と、わが母が言ったグリニッチはイギリス。マンハッタンにもグリニッチビレッジと呼ばれる地区があるけれど、これも別物。コネチカット州のグリニッチは富裕な地域として知られている。想像を絶するようなお金持ちがいっぱいいて、みんな何げに金持ちで、私には不思議で仕方がない。羨ましいというのではなく、ただ茫然としてしまう。

特に山側、海側に大きなお屋敷がたくさんあり、ほんまにお金持ちーという人たちがわんさかいる。ウィキペディアで調べたら、「古くからの高級住宅地で数多くのスターがここに住んでいる」とあった。

シナコをお友達の家に送っていった時のこと。山の手へ向かう道の両側には、広大な敷地にゲートがあるような家々が立ち並ぶ。お友達の家は巨大な御殿である隣家と比べると小さく見えたが、それでも我が家の数倍はありそう。ドアが開いて中からお母さんが出迎えてくれた。一体どこへお出かけなのかしらと思う、私のスタンダードでは明らかに「よそ行き」の出で立ち。休日の午後のこと。送って行った私たち夫婦は、Tシャツにジーパン。開いたドアの向こうに見えるのは、玄関ホール。猫足の腰掛や絵画のかかったホールのある家は、この界隈では普通らしい。

夕方、シナコが興奮して帰ってきた。「めっちゃ大きい家だった。お父さんはもうリタイアしてるんだって。」 そのお父さんは夫より年下。「ファイナンシャル何とかという仕事をしてたんだって。クリスティーナが今度はうちに遊びに来たいって言ったけど、うちは狭くて汚くて恥ずかしいから、来ないほうがいいよって言っといた。」 「呼ばないと呼んでもらえなくなるよ。」といったものの、私がことあるごとに「うちはビンボーだから」と冗談めかして言っていたのがいけなかったか。

夏休みにキニコが遊びに行ったクラスメートの家も豪邸だったそうな。「ガレージが4台分あってね、家の中にはDVDを見るシアタールームがあったの。テニスコートもあった。3人のお兄さんがみんな家を出てしまって家が広すぎるってお母さんが言うので、新しい家をリバーサイドの海の見えるところに建設中なんだって。」 その家は売りに出していると言う。一体そんな豪邸が幾らするのか、興味本位で不動産広告を調べてみた。どのくらいの値段から始めていいのか検討がつかなかったので地道に100万ドル(1億円余り)から始めたのだが、この金額だとガレージが1台あるかないか。しかも膨大な数の売り物件があって、途中で疲れて500万ドルまで飛ばした。が、これでも2台止まり。しつこく調べていると、700万ドル台で初めて4台分のガレージ付の家が1軒出てきた。875万ドルまで行ったところで、メディアルーム(正式にはこう呼ぶらしい)有り、テニスコート付きという家を見つけた。このあたりからこの手の家が頻出。それにしても、どの家もため息が出るほどゴージャス。室内の写真は、ホワイトハウスか、迎賓館か。いったい何人使用人が要ることやら。

誤解のないように書くと、グリニッチにある家が全て豪邸というわけではないし、我が家のように小さい家もたくさんある。我が家の大きさは今のアメリカの標準に照らし合わせるとかなり小さい。しかも1920年代に建てられたそうでかなり古い。

シナコは「日本人駐在員」の家というものは、オハイオ時代の日本人のお友達の家みたいなところと想像していたものだから、それとのギャップに納得が行かないようだ。「ママ、お願いだから引っ越そうよー」と目に涙を溜めて嘆願する。引っ越すたって支払可能な額が決まってるんだからアップグレードはできないのだ、ということが理解できないらしい。我が家はこの辺りの日本人駐在員の住宅事情とサイズといいレベルといい似たり寄ったり。アメリカ人の友達の家と比較して「恥ずかしい」と感じてしまうのも、うちの子だけではないらしい。

まだ住む家を探していたとき、条件は良い学区であることだった。子供さえいなければ、マンハッタンにでも住んで、にわかニューヨーカーの生活を満喫できたのに・・・。しかしニューヨーク市の普通の公立校はいろいろ問題があるから高校生になるシナコを通わせるには心配があるので、私のわがままを通すわけには行かない。ニューヨーク市には実は有名なところで3校、アイビーリーグに卒業生をたくさん送り込んでいる優秀な公立高校もある。しかし入学資格は厳しい上、前年の11月には入試が終了している。

州によって多少事情は異なるが、基本的にアメリカの公立学校の資金の殆どは、地域の固定資産税でまかなわれている。学校の施設も先生の給与もそうだから、必然的に「不動産の高いところ=良い学区」という等式が成り立つ。

夫の通勤の便と安全性、教育レベルを考えると、絞られた地区は自ずと日本人駐在員の多い地区になる。良い学区に住むためには、高い家賃を払わねばならないことは覚悟していたものの、ピークは過ぎたと言えまだバブル頂点の価格がまかり通っているニューヨーク近郊で、予算内で気に入った物件を見つけるのは至難の業。せっかくいい家が見つかっても、ガレージがないとか(冬場に困る)、スクールバス圏外で親が送り迎えしないといけない(そんなのは真っ平ゴメン)とか、たまに「おっ、理想的・・・」と思ったら勿論予算オーバー、などなど、なかなかこれはと思える物件が見つからなかった。(おまけにうちには犬がいる。) 当初はマンハッタンにより近いNY州のウェストチェスター郡を考えていたが良い物件が見つからず、範囲をコネチカットにまで広げた。電車で20分程遠くなる。

グリニッチは裕福な学区ゆえ教育施設は申し分ないものの、何故か学力的には、決して低くはないものの、先の地区に比べると少し劣る。それは何故か。私なりに考えた理由はふたつ。ひとつは学区内の勉強のできるお金持ちの子供達は、プレップスクールに行ってしまうこと。現にキニコの学校にも住所がグリニッチという生徒がかなりいるし、シナコの友達で兄弟姉妹がプレップスクールという子も多い。ふたつ目はグリニッチ校区には、所謂グリニッチ地区とは雰囲気の違う地区があり、その辺りは街の雰囲気もがらりと違う。グリニッチ高校で、無料ランチを食べている生徒の比率が数パーセントあったが、当初希望していたスカースデール高校もエッジモント高校も無料ランチの生徒はゼロだった。両校のあるスカースデール市も、グリニッチに負けず劣らず富裕層が多いのに、不思議なことに、少なくとも新季の学校に関する限り、スカースデール出身の生徒はゼロ。公立校のレベルが高いからプレップスクールに入れるまでもないのだろう。

まだ日本にいたときスカースデールの不動産担当者と電話で話したことを思い出した。彼女曰く、「スカースデールに住まなくても学校に入れることは可能ですよ。うちの娘もエッジモント校ですけれど、越境なんです。住民じゃない場合は、月額1000ドル払わないといけないの。」 なんと私学並みの費用。そんな余分なお金がないから適当な家が見つからないと言うのに・・・。

ということで、ゲジゲジの館をめでたく夫が見つけてくれたことには、感謝こそすれ、文句を言ってはいけないのであった、と反省。

(シナコの学校)
入学にはありとあらゆる予防接種の証明を学校に提出しなければならない。馬鹿な私は、何を考えたか、母子手帳を船便の荷物に入れてしまった。これがないと予防接種の記録がないので、シナコは入学できない!幸いオハイオの学校からもらっていた成績証明書などの書類一式の中に、当時の予防接種証明のコピーが入っていて難を逃れた。これがなければ、船便が到着した9月半ばまで、シナコは学校に行けなかったのだ。つまり彼女が毎日家にいるという、拷問のような日々を私は送らねばならないところだったのだ!

シナコの健康診断の結果と予防接種証明を、学校の看護婦に提出に行った夏休みのある日。看護婦と話をする女性の声がする。
「バージン諸島はアメリカの領土なんですよ。そこで受けた健康診断が有効じゃないなんて、おかしいじゃないですか」
「そうは言われましても、規定では50州内となっていますし、前例がありませんので・・・。」と看護婦。
「わざわざ地元の医者に出向いて、このために健康診断を受けて来ましたのに」と先ほどの女性。生徒の母親らしい。
「あの、私の一存では何とも。市の方と相談しましてから・・・。」

なるほど、休暇でバージン諸島に行ってそこで健康診断を受けたらしい。オハイオでも同じだったが、放課後の運動クラブに入るには、医師の健康診断書が必要。これがないと部活ができないのだ。夏休みの後半から練習は始まるので、この頃学校の看護室は証明書を届ける人たちでにぎわっていた。

それにしても休暇でバージン諸島か。後に詩奈が社会の時間に、「海外に行ったことのある人?」という質問に、クラス全員が挙手したと言う。「オハイオのときはオハイオ州から出たことないって子もいたのに、びっくりした。」 看護婦の部屋から出てきたお母さんも見るからにリッチそうな人。何かとすぐにオハイオと比較してしまうが、標準的なアメリカとも言えたオハイオとグリニッチを比較するのは間違っているのだろう。それにしてもこの辺りの人はみんな、どこ行くのだろう、と思うほど普段からおしゃれしている。犬の散歩をしている人ですら、着飾っているように私には見えるのだ(あんたが、小汚いねん)。

10月のある夜、シナコが通う高校のオープンハウス(親が各教室を回って教科の先生たちと会う日)があった。オハイオ時代、学校の懇談会や演奏会には、トレーナーやTシャツにジーパンと相場が決まっていた。しかしそれではまずいんではないか・・・・そんな気がした私たち夫婦は、浮かないように精一杯小奇麗な恰好で学校に出かけた・・・。果たして正解。男性はドレスシャツにスラックス、女性はスカートにパンプスというところが主流であった。

シナコの高校は2700人の生徒がいるマンモス校。それゆえ全校を5つの「ハウス」に縦割りにして、それぞれにハウスマスターというハウスごとの主任の先生がおり、ハウス専属のカウンセラーがいる。4年間ハウスは変わることがない。こうすることによって、友達も出来やすくなり、先生のほうも生徒を覚えやすくする、というのが大前提だが、全ての授業を各ハウスごとに設けるわけには行かないので、特殊なクラスは全てハウスを超えることになる。果たして詩奈の場合は、英語と社会以外は全部ハウスを超えた生徒が交じり合ったクラスになり、5分の休憩時間に学校の端から端まで必死で移動せねばならず、トイレに行く時間もないらしい。

(ビーチパス)
グリニッチに住む得点のひとつにビーチがある。夫も不動産会社に、「ここはビーチがありますから」としきりに勧められたそう。町には3つのパブリックビーチがある。シーズン中はお金を払えば入場できるが、市民でなければならない。もしくは市民と一緒でなければ入れない。1回の入場料は10ドルだから決して安くない。しかし市民ならシーズンパスを買うことができ、これが1シーズン大人1人27ドル、15歳未満は5ドル。しかし、たかかビーチパスと侮ってはいけない。これは市民の特権であるのだから、そう易々と手には入れられないのである。

引っ越して間もなく、ビーチに行くためにビーチパスを買いに市役所に行った。市民であることを証明するために、賃貸契約書、光熱費などの領収書2通が必要なのは知っていた。だが、賃貸契約書には私の名前は掲載されていないので、その場合は自分の名前と住所の入った身分証明書が別途必要とのこと。つまり免許書が必要になる。

きょうびアメリカで免許書を取るのは至難の業。コネチカット州では日本の免許書や国際免許からの書き換えは出来ず、ペーパーテストと運転テストを受けて新たに免許を取得することになる。またビザ関連の書類も提出しなければならない。手続きがたいへんなので半年以上経ってもまだ国際免許で運転している人すらいる。私の場合は、オハイオ州の免許証が有効だったので、テストなしで免許の書き換えが可能だった。ビーチパス欲しさに、翌日早速免許証を取りに出かけた。だが配偶者の雇用証明が必要、と門前払い。ようやく雇用証明を手に再び免許を取りに行った頃は、夏休みも終わりに近づいており、晴れてビーチパスを手にした時は既にシーズンも残りあとわずか。パスを手にすることに必死になっていたけど考えてみたらもったいないことした(考えんでもわかるやろ。) そこで少しでも元を取ろうと、パスが有効の最後の週末に夫と必死でビーチ巡りをした。(翌週からは無料で誰でも入れるのだ・・・。)

賃貸契約、住所の入った光熱費の請求書2通と言えば、シナコの入学手続き時にも必要だった。越境入学対策なのだろう。少なくともオハイオでは編入手続きにそこまで厳格な要求はされなかったように思う。そういえばオハイオの大家さんは賃貸契約すら作らなかった。「あんた、信用してるから、別にそんなもの要らんでしょ?」でおしまい。でもこれはオハイオというよりあのおじさんの気質だったのだろう。

(体型)
ついつい何でもオハイオと比較してしまうけれど、カリフォルニアからオハイオに引っ越したときは地理的、気候的な差は感じても、それほど二つの州の地域差を感じることはなかった。しかしオハイオと東海岸はかなり様子が違う。

まず、なんと言っても体格。オハイオはアメリカ中で一番肥満度が高い中西部にある。あまりに太っている人が多いので、日本から持ってきた洋服が入らなくなった後も、私を含め日本人は自分が痩せていると勘違いしてしまう。ウォルマートなどのスーパーでは、体重が重くて歩けない人たちが、電動カートにまたがり、運転席の前に取り付けられたカートに山と盛られたインスタントフード、ソフトドリンク、ドーナツ、スナック菓子に前方の視界を遮られながら通路を移動している。

それがここではウォルマートは10マイルほど北のノーウォークまで行かないとない。しかも電動カートがうようよなんてしていない。あっても1,2台だ。

東海岸の町では人々が歩いている。オハイオじゃ「歩くために歩いている人」以外は見かけなかったのに、ここでは「目的地に到達するための手段」として歩いている人がいる。日本じゃ当たり前の風景だけれど、車社会であるアメリカではちょっと不思議に思った。そういえばオハイオで歩いていた人達は、だいたい別に歩かなくてもいい種類の人達で、電動カートにまたがっていた人たちこそ、ちっとは歩けば、という体型だったな。

(スターバックス)
以前に雑誌で読んだことがある。スタバの方針として、いかに儲けが期待できても、「おしゃれ」じゃない場所には出店はしない。逆におしゃれな場所なら、通りの反対側に既に一店あったとしても、向い側にもう一店舗を出すこともいとわないと言う。な~るほど。オハイオ在住中は、最寄のスタバに行き着くまでに最低40分かかった。千葉のマンションの時も悲しいかな近隣にはなかった・・・。ところがグリニッチはどうだ。車で5分以内の距離に2軒、10分以内だと少なくとも4軒はあるではないか。(この「車で10分」の距離がオハイオとコネチカットでは大いに違う。オハイオで10分と言う距離は、ここでは実に30分かかるのだ!)

(秋)
紅葉の季節もとうの昔に終わり、落葉もそろそろ一段落するかという今日この頃。このところの週末の仕事は落ち葉集め。落ち葉が散り始めたある週末、夫と二人でサラエで掃き集めたのだが、我が家の庭は決して広くはないのに、前の庭だけで作業に2時間も要してしまった。おまけに夫の手には豆ができ、「もう毎週こんなことやってらんない。ブローワーを買おう。」 

というわけで、早速ハードウェアストアにブローワーを買いに行った。ブローワーとは掃除機の逆の原理で風を吹くことで落ち葉を寄せ集めていく。集めた落ち葉は、家の前の道路脇に固めておけば、そのうち市が回収に来ることになっている。そのうち、が何時なのか、実はよく知らないのだが。1ヶ月に1度くらいは来るのかな・・・。うちが落ち葉を外に出してからそういえば未だ一度も来ていない。もう2回分の山なのに。でも暫くすると徐々に嵩が減って行くし、意外に再び風で飛ばされないものなのだ。

以上をもって今回のコネチカット通信はおしまい。オハイオとの比較に終始してしまったようだが、オハイオをご存じない方にはあんまり良く分からなかったかも。ひとくちにアメリカと言っても広いと言うことです。

コネチカット通信 その1

2006年8月(到着直後)

4月に夫がニューヨーク駐在となり、オハイオから戻ったのが去年の8月7日だったから、1年に2日足らずで再びアメリカに引っ越したことになる。

8月5日に無事アメリカに到着。午後4時過ぎに成田を出発し、同日の午後5時過ぎに到着たのでとても得した気分。心配した愛犬ジョダオも元気だが、どうやら彼が一番時差ぼけに悩まされている模様。毎朝2時ごろに目覚め、皆を起こしにやって来る。

生まれて初めて乗る長距離のファーストクラスはやはり快適だった。しかしどうしたら手元のランプが付くのか判明するまでかなり時間がかかり(結局スッチーに聞いた)、椅子が前に移動するのがわかったのは着陸直前。 それまでずっと「私みたいに小柄な人には全部遠くて不便やなー」と思ってた。と、子供達に話して馬鹿にされた。赴任は通常ビジネスクラスなのだが、夫の無料アップグレード券でアップグレードしてもらった。

お陰で空港でも至れり尽くせり。超過荷物に犬までいてどうなる事やら心配していたが、万事スムーズに運んだ。犬はチェックインぎりぎりまで手元に置き、出発間際に散歩にも連れ出せた。ファーストクラス用ラウンジでは、ナプキンに包んで食べ物を持ち帰ることこそしなかったが、足繁く食べ物のあるところに通った。子供達がファーストクラスのキャビンの席についた途端、前の席の乗客が嫌そうな顔で振り返ったので、「えぇとこの子みたいに静かにしぃや」とカツを入れるのも忘れなかった。心配には及ばず、席と席の間の程よい距離のかいあって、二人とも喧嘩をすることもなく、ビデオを見ながら爆睡。静かなものだった。

ところで成田空港内に最近ペットホテルがオープンしたのをご存知だろうか。引越しの都合で最後の2泊は成田だったから、犬もペットホテルに預けなければならなかった。ペットホテルの人はスーツ姿で犬を受け取ったり引き渡したり。そこいらのホテルを凌ぐ丁寧な物腰に言葉遣いで、お客が出て行くまで慇懃に頭を下げて見送られたりすると、正直言って奇異に感じた。ペットホテル用の駐車スペースには車が一杯だったので、ここに預けて海外旅行をしている人が多いのだろう。中型犬のジョダオで一泊4000円。下手すると人間様の旅費より犬のほうが高くついたりして。ドッグランやペット用エクササイズルームなんかもあって、目に入れても痛くないほどペットを可愛がっている人にとっては嬉しいだろう。ちなみに隣が獣医で、出国前に必要な健康診断もここでお願いできたから、我が家のようにペットを伴った引越しにも便利だ。

「ニューヨークに引っ越す」と豪語しておりましたが、こちらでもまたまた都落ち。都内ならずNY州内には手ごろな物件が見つからず、お隣のコネチカット州に家を借りた。しかし駅まで徒歩2分、電車でマンハッタンのグランドセントラル駅まで快速で45分(鈍行で1時間)と、バス停まで徒歩8分、バス20分、快速で東京まで35分の稲毛のマンションに比べると、当然今の立地の方に軍配があがる。

新しい我が家は3ベッドルームにリビングとファミリールームがある、築80年の平屋。日本と比較すると決して狭いとは言えないが、現在のアメリカの標準に照らし合わせると小さい家だ。日本の倉庫に預けられる荷物の量に限度があり、はたまたアメリカの一戸建てを想定して膨大な量の荷物を送ったのだが、稲毛のマンションより収納スペースが少ないのは誤算だった。9月頭に到着予定の船便116箱をいかに収めるかが、目下の頭痛の種。

主寝室のクローゼットと廊下のクローゼットは、1週間だけ先住民である男イメルダの夫の洋服と靴で既に一杯。これからまだまだ彼の冬物が到着するし、私の服だって結構ある。地下にはコンクリートの壁がむき出し、天井の桟や配線があらわなunfinished(未完成)の地下室があるのだが、収納はこのスペースをどう有効利用できるかにかかっている。しかし湿った臭いが漂い、不用品(古いコンロ、洗濯機、ペンキ、箱類、棚など)が散在する地下室には正直言って余り近寄りたくない。丸く掃除してあるだけで隅々にくもの巣や土埃。絶対に虫はいるだろうし動物の糞もあるにちがいない。

外には塀で囲まれた裏庭があり、ジョダはご満悦。時々ウサギやリスが走って、時差ぼけでだらけた彼を適度に興奮させてくれている。

子供達のほうは日本に居た時と変わらずだらだらしている。立派なベッドルームが出来たにもかかわらず、荷物を片付けるでもなく、相変わらず二人はスーツケースの中から物を取り出し、脱いだものをその周りに散らかしている。アメリカに戻ったので、オハイオ時代に築かれた「自分の物は自分で洗濯」ルールの復活。早速キニコは昨日洗濯していたが、シナコは着る物が底をつくまで粘るのだろう。オハイオ時代シナコは時々洗濯籠から取り出してみては、臭いをかいで、大丈夫と踏んだら再び着たりしていた。(もう年頃なんだから、そんなことやめぃ!)

我が家のあるあたりはこじんまりとした家が多い。が、ちょっと行くと映画に出てきそうな豪邸がたくさんある。Greenwich、特にOld Greenwichはお金持ちの住んでいるところとして知られているようで、キニコの学校にもこのあたり出身の子が多いそう。キニコは家からは通えないので、今迄通り寮生活だ。学費が高いので、シナコが行くことになっている公立高校に替わってくれないかと提案(懇願)したのだが、夫とキニコに却下された。キニコの学校もコネチカット州だが、マサチューセッツ州とニューヨーク州に隣接する北西の隅なので、ここから車で1時間半あまり。JFK空港から我が家までは40マイル(65キロ)ほどだが、東京と同じく渋滞が多く、到着した日も2時間近くかかった。オハイオの40マイル(60キロあまり)なんてすぐそこだったのに・・・と改めて思う。

今朝から夫は一泊のメキシコ出張で、帰宅は明日の夜中だそう。少なくとも2週間に1度は出張に出かける必要があり、日本にいたときより仕事は忙しい。でも日本より通勤の負担は軽減されている。出張も空港と自宅の移動にはハイヤーが家まで迎えに来てくれる。

最後は我が家の車。10年目の車検を5月に通したばかりの愛車オデッセイを、出発前日に手放し(購入先のホンダプリモが8万円で引き取ってくれた)、こちらでも新車のオデッセイを購入。日本のオデッセイより一回り大きく、両側がスライドドアになっている。快適だが、前がどのくらい出っ張っているのかわからなくて恐る恐る駐車している。バンパーをこするのも時間の問題だろう。

好評を博した(?)リヤド通信でしたが、当時の読者より、是非今回もコネチカット通信を書いて欲しいとリクエストがあり、到着のご挨拶を兼ねてコネチカット通信その1です。サウジ時代ほど珍事が起きるとは思えないけれど、気付いた事を書き込むように致します。