2007年2月9日
長らくお待たせいたしました。(全然待ってへん、ちゅうねん)
あまりにもブランクが空きすぎて、あれは初版にて廃止になったと思われた方も多いでしょう。
私もそう思いました。
日本では、新型インフルエンザが今にも勃発しかねないと不安を煽る食品会社とスーパーの策略の下に、買いだめが奨励されているようですが、アメリカではそういう噂を聞かないのは何故だ?
ああ、そうだ。アメリカ人の家にあるフードパントリー(食料貯蔵用の棚)や、ガレージにある2台目の大型冷凍冷蔵庫の中には、恐らく2ヶ月やそこらは十分に持つだけの食品が常に詰まってますからね。量は2か月分でも、不二家じゃないけど賞味期限の切れたものを除くと大してないかも。
いや、しかし。数年前にアメリカのおばあちゃん(留学時代のホストファミリーの祖母)が老人専用マンションに移ったので、元いた家の冷凍庫をお母さんと大掃除した時のこと。2年前の牛肉の塊とかワンサカ出てきた。捨てるのかなと思いきや、立派にその夜の食卓を飾っていた・・・。恐るべしアメリカ人。
コネチカット通信 その2
次回は9月ごろなどと言っていたのに、あれよあれよと言ううちに月日は流れてしまった。では、8月からの3ヶ月を振り返ってみよう。
(げじげじ)
ゲジゲジなる生物を皆様はご存知だろうか? ゲジゲジ眉などと「可愛く」表現されたりするが、実物は初めて出会ったときには心臓が止まるかと思うようなグロテスクな様相。ここに来て間もないある日、例の怪しげな地下室に続くドアを開けた途端、右手の壁をさ、さ、さっとすばやく動くグレーの物体が目の隅に止まった。一瞬蜘蛛かなと思ったのだが、その目にも止まらぬスピード(止まってるがな)、何百本もあろうかという足の数(ほんまは30本)・・・ゲ、ゲジゲジではないか!
なぜか私はムカデとゲジゲジの違いを知っていた。その昔、一度だけどこかで見た気がする。が、断じて自分の居住空間の中ではなかった。夫が帰宅するや否や、「ゲジゲジが出てん!」(なんでこんな家借りてん!という意味。) 夫曰く、「あ、この前テレビ見てたら、足下を走ってたわ。」 冗談やない!
その夜、シナコが寝室で悲鳴をあげた。あんまりきゃーきゃーうるさいので覗いてみると、「へ、変なものが走った!」 見てみるとゲジゲジではないか! 夫を呼んで処分してもらう。日夜ゲジゲジの恐怖におののいていなければならないなんて、絶対にこんな家には住めない!
蜘蛛の巣だらけで、乱雑に不用品が置かれ、湿気に混じって、えも言われぬ臭気が漂っている地下室。回りの壁に沿ってありとあらゆる不用品と見受けられるものが放置されているガレージ。ファミリールームの壁と床の間には1センチほどの隙間があり、「虫様熱烈歓迎」状態。ファミリールームは後から増築された部分で、その昔はパティオだったらしい。床はレンガ。そのレンガのあちこちが欠けて、石ころのように転がっている。案の定、隙間からは蜘蛛が入り放題で、部屋の周りには蜘蛛の巣がいっぱい。ようやく掃除機は買ったものの、自分は気持ち悪いものだから、お小遣いあげるとそそのかし、キニコに掃除機をかけさせた。掃除機の先に蜘蛛の巣が団子になった・・・。しかしその甲斐なく間もなくまた新しい蜘蛛の巣が・・・。
引き渡された家の状態に不満を抱いていた私は、危険なゲジゲジが出没するような家など許せない!大家がちゃんと掃除しなかったからだ!と憤慨し、直接大家に電話で抗議。しかし、「ゲジゲジや蜘蛛なんてこの辺りでは当たり前の生物。共存できないようなら、出て行くしかないですね。僕は広島に住んでたことあるけど、日本にも蜘蛛はいましたよ」と高飛車な(?)大家の態度。
さんざん騒ぎまわっていた頃、日本の知人からゲジゲジについての知識を入手。判ったこと。まずゲジゲジは滅多に人間を攻撃しないし、毒はない。そ、怖がることはないのだ。また他の虫を食べることから、益虫とも言える。暗いところ、湿ったところを好む。つまり我が家、特に地下室はゲジゲジの恰好の棲家なのだ。適度な湿度(自動設定になっている除湿機が24時間休む間もなく稼動している!)、暗い、餌となる蜘蛛やカマドウマが豊富。最後の餌が豊富なのは、大家がちゃんと掃除しなかったせいだ! 自分ではどうしても怖くて気持ち悪くて掃除する気にもならない。そこでとうとう業者を雇って地下室を掃除してもらうことに。そして交渉の末、その掃除代だけは大家さんに持ってもらった。
しかし、その直後、私たちの寝室にゲジゲジが、シナコの寝室にも、バスルームにも出没。先日はベッドカバーをめくるとあわてて走り去った。ふん、またゲジゲジか、とティッシュでつまんでポイっとトイレに流せるくらい、私も成長したもんだ。
大家が言ったとおり、蜘蛛やゲジゲジなんてどこの家にも出るらしい。
「あら、ゲジゲジなんていいですよ。うちなんて、蛇が出ます」と、ある日本人の奥様。良かった、うちに蛇がいなくて。でも屋根裏でカサコソ音がするから、多分ねずみが住んでいると思う。でも毒を撒いちゃいけないらしい。毒を食べたねずみが、壁の間や屋根裏で死んで腐って・・・大変になるそう。ねずみはネズミ捕りを仕掛けて捕まえるらしい。ってことは、捕まえたら誰かがそれを捨てなければならない・・・。我が家には、我こそはと名乗りを上げる勇者がいないので、今のところねずみは飼っていると思うことにしている。あ、そう言えばジョダオはラットテリアだ。ジョダを屋根裏に放すべきか・・・。
ゲジゲジについてもっと知ってみたいという方は、「ウィキペディア」でお調べください。
(家)
掃除のあと、地下室の臭気は消え、ガレージも夫に不用品を納屋に押し込んでもらって、すっきりした。そうしてみると築80年と古いけど、うん、この家悪くないじゃない。なんと言っても一番のメリットは駅に至近と言うこと。
日本ではバス停まで徒歩8分、駅までバス20分、東京駅まで快速なら40分弱・・・、乗り継ぎを入れると通勤に2時間近くかかっていたわけだから、駅まで徒歩2分、快速でマンハッタンまで45分、鈍行で1時間と言うこの家の立地は素ん晴らしい!
しかも駅に近いと言うとごちゃごちゃした繁華街を想像すると思うけれど、まず駅は無人。(ちなみに沿線の駅はみんな無人駅、検札は乗車後に車掌さんが回ってくる。) 沿線のほかの駅前はにぎやかなところも多いが、私の知っている限り、うちの最寄駅とひとつ手前の駅は、駅の周りにはなーんにもない。静寂そのもの。あるのはただホームと、ホームの周りに駐車スペースがあるだけ。券売機は下りホームにひとつ。コンビニはおろか、飲み物の自販機すらない。(自販機はそもそもアメリカの街角ではほぼ皆無。きっと盗み目的で壊されるのが落ちだからでしょ。)だから逆に夜は怖い。外灯すらほとんどない真っ暗な中を家まで2分の道のりは、ちょっと不気味。
ところで初っ端はお互いけんか腰になったものの、その後大家さんとは和解。この大家さん、家の手入れを人に任せるのが嫌なのか、お金を払うのが嫌なのか(多分かなりの確率で後者)、何でも自分でやる。車で5時間かかるニューハンプシャーに住んでいるので、何かが壊れたと言ってもすぐに走ってきてくれる距離ではないのだが、言えばたいていのものは自分で修理してくれる。だいたい1ヶ月に1回の割合でやってきて、あちこち修理したり、樋の掃除をし、植木を切って帰って行く。
先日、私たちの寝室のバスルームのシャワーの切り替えがバカになった。湯は蛇口からしか出ない。大家が着てくれるまでの数日間、夫と私は、這いつくばってバスルームの蛇口に頭を突っ込んで髪を洗ったのである。丁度、キニコが友達を連れて帰宅していたときで、もう一つのバスルームは子供たちに占領されていたから。この時も、大家はシャワーのハンドルを外して、中のナントカという部品が磨耗している・・・とか専門的な話をしながら修理してくれた。彼は元パイロット。今はなきアメリカの某民間航空のパイロットだった当時、通勤に近いようにこの家を買ったらしい。大金持ちなんだから、自分で何でもやらなくても、人任せにできるはずなのに、屋根の上に登って樋に詰まった落ち葉や枯れ枝を掃除し、風呂場の隙間にコーキング剤を塗って水漏れを防ぎ、台所のコンロの横のカウンタートップが水を含んで波打ってしまったのを万力で抑えて、その上から自分で削ってきた棒を打ち込んでまっすぐに伸ばしているのを見て、とても感心してしまった。きっとこの家は彼にとってはプラモデルの延長なのだろう。
(グリニッチの裕福さ)
「あの、天文台があるところ?」と、わが母が言ったグリニッチはイギリス。マンハッタンにもグリニッチビレッジと呼ばれる地区があるけれど、これも別物。コネチカット州のグリニッチは富裕な地域として知られている。想像を絶するようなお金持ちがいっぱいいて、みんな何げに金持ちで、私には不思議で仕方がない。羨ましいというのではなく、ただ茫然としてしまう。
特に山側、海側に大きなお屋敷がたくさんあり、ほんまにお金持ちーという人たちがわんさかいる。ウィキペディアで調べたら、「古くからの高級住宅地で数多くのスターがここに住んでいる」とあった。
シナコをお友達の家に送っていった時のこと。山の手へ向かう道の両側には、広大な敷地にゲートがあるような家々が立ち並ぶ。お友達の家は巨大な御殿である隣家と比べると小さく見えたが、それでも我が家の数倍はありそう。ドアが開いて中からお母さんが出迎えてくれた。一体どこへお出かけなのかしらと思う、私のスタンダードでは明らかに「よそ行き」の出で立ち。休日の午後のこと。送って行った私たち夫婦は、Tシャツにジーパン。開いたドアの向こうに見えるのは、玄関ホール。猫足の腰掛や絵画のかかったホールのある家は、この界隈では普通らしい。
夕方、シナコが興奮して帰ってきた。「めっちゃ大きい家だった。お父さんはもうリタイアしてるんだって。」 そのお父さんは夫より年下。「ファイナンシャル何とかという仕事をしてたんだって。クリスティーナが今度はうちに遊びに来たいって言ったけど、うちは狭くて汚くて恥ずかしいから、来ないほうがいいよって言っといた。」 「呼ばないと呼んでもらえなくなるよ。」といったものの、私がことあるごとに「うちはビンボーだから」と冗談めかして言っていたのがいけなかったか。
夏休みにキニコが遊びに行ったクラスメートの家も豪邸だったそうな。「ガレージが4台分あってね、家の中にはDVDを見るシアタールームがあったの。テニスコートもあった。3人のお兄さんがみんな家を出てしまって家が広すぎるってお母さんが言うので、新しい家をリバーサイドの海の見えるところに建設中なんだって。」 その家は売りに出していると言う。一体そんな豪邸が幾らするのか、興味本位で不動産広告を調べてみた。どのくらいの値段から始めていいのか検討がつかなかったので地道に100万ドル(1億円余り)から始めたのだが、この金額だとガレージが1台あるかないか。しかも膨大な数の売り物件があって、途中で疲れて500万ドルまで飛ばした。が、これでも2台止まり。しつこく調べていると、700万ドル台で初めて4台分のガレージ付の家が1軒出てきた。875万ドルまで行ったところで、メディアルーム(正式にはこう呼ぶらしい)有り、テニスコート付きという家を見つけた。このあたりからこの手の家が頻出。それにしても、どの家もため息が出るほどゴージャス。室内の写真は、ホワイトハウスか、迎賓館か。いったい何人使用人が要ることやら。
誤解のないように書くと、グリニッチにある家が全て豪邸というわけではないし、我が家のように小さい家もたくさんある。我が家の大きさは今のアメリカの標準に照らし合わせるとかなり小さい。しかも1920年代に建てられたそうでかなり古い。
シナコは「日本人駐在員」の家というものは、オハイオ時代の日本人のお友達の家みたいなところと想像していたものだから、それとのギャップに納得が行かないようだ。「ママ、お願いだから引っ越そうよー」と目に涙を溜めて嘆願する。引っ越すたって支払可能な額が決まってるんだからアップグレードはできないのだ、ということが理解できないらしい。我が家はこの辺りの日本人駐在員の住宅事情とサイズといいレベルといい似たり寄ったり。アメリカ人の友達の家と比較して「恥ずかしい」と感じてしまうのも、うちの子だけではないらしい。
まだ住む家を探していたとき、条件は良い学区であることだった。子供さえいなければ、マンハッタンにでも住んで、にわかニューヨーカーの生活を満喫できたのに・・・。しかしニューヨーク市の普通の公立校はいろいろ問題があるから高校生になるシナコを通わせるには心配があるので、私のわがままを通すわけには行かない。ニューヨーク市には実は有名なところで3校、アイビーリーグに卒業生をたくさん送り込んでいる優秀な公立高校もある。しかし入学資格は厳しい上、前年の11月には入試が終了している。
州によって多少事情は異なるが、基本的にアメリカの公立学校の資金の殆どは、地域の固定資産税でまかなわれている。学校の施設も先生の給与もそうだから、必然的に「不動産の高いところ=良い学区」という等式が成り立つ。
夫の通勤の便と安全性、教育レベルを考えると、絞られた地区は自ずと日本人駐在員の多い地区になる。良い学区に住むためには、高い家賃を払わねばならないことは覚悟していたものの、ピークは過ぎたと言えまだバブル頂点の価格がまかり通っているニューヨーク近郊で、予算内で気に入った物件を見つけるのは至難の業。せっかくいい家が見つかっても、ガレージがないとか(冬場に困る)、スクールバス圏外で親が送り迎えしないといけない(そんなのは真っ平ゴメン)とか、たまに「おっ、理想的・・・」と思ったら勿論予算オーバー、などなど、なかなかこれはと思える物件が見つからなかった。(おまけにうちには犬がいる。) 当初はマンハッタンにより近いNY州のウェストチェスター郡を考えていたが良い物件が見つからず、範囲をコネチカットにまで広げた。電車で20分程遠くなる。
グリニッチは裕福な学区ゆえ教育施設は申し分ないものの、何故か学力的には、決して低くはないものの、先の地区に比べると少し劣る。それは何故か。私なりに考えた理由はふたつ。ひとつは学区内の勉強のできるお金持ちの子供達は、プレップスクールに行ってしまうこと。現にキニコの学校にも住所がグリニッチという生徒がかなりいるし、シナコの友達で兄弟姉妹がプレップスクールという子も多い。ふたつ目はグリニッチ校区には、所謂グリニッチ地区とは雰囲気の違う地区があり、その辺りは街の雰囲気もがらりと違う。グリニッチ高校で、無料ランチを食べている生徒の比率が数パーセントあったが、当初希望していたスカースデール高校もエッジモント高校も無料ランチの生徒はゼロだった。両校のあるスカースデール市も、グリニッチに負けず劣らず富裕層が多いのに、不思議なことに、少なくとも新季の学校に関する限り、スカースデール出身の生徒はゼロ。公立校のレベルが高いからプレップスクールに入れるまでもないのだろう。
まだ日本にいたときスカースデールの不動産担当者と電話で話したことを思い出した。彼女曰く、「スカースデールに住まなくても学校に入れることは可能ですよ。うちの娘もエッジモント校ですけれど、越境なんです。住民じゃない場合は、月額1000ドル払わないといけないの。」 なんと私学並みの費用。そんな余分なお金がないから適当な家が見つからないと言うのに・・・。
ということで、ゲジゲジの館をめでたく夫が見つけてくれたことには、感謝こそすれ、文句を言ってはいけないのであった、と反省。
(シナコの学校)
入学にはありとあらゆる予防接種の証明を学校に提出しなければならない。馬鹿な私は、何を考えたか、母子手帳を船便の荷物に入れてしまった。これがないと予防接種の記録がないので、シナコは入学できない!幸いオハイオの学校からもらっていた成績証明書などの書類一式の中に、当時の予防接種証明のコピーが入っていて難を逃れた。これがなければ、船便が到着した9月半ばまで、シナコは学校に行けなかったのだ。つまり彼女が毎日家にいるという、拷問のような日々を私は送らねばならないところだったのだ!
シナコの健康診断の結果と予防接種証明を、学校の看護婦に提出に行った夏休みのある日。看護婦と話をする女性の声がする。
「バージン諸島はアメリカの領土なんですよ。そこで受けた健康診断が有効じゃないなんて、おかしいじゃないですか」
「そうは言われましても、規定では50州内となっていますし、前例がありませんので・・・。」と看護婦。
「わざわざ地元の医者に出向いて、このために健康診断を受けて来ましたのに」と先ほどの女性。生徒の母親らしい。
「あの、私の一存では何とも。市の方と相談しましてから・・・。」
なるほど、休暇でバージン諸島に行ってそこで健康診断を受けたらしい。オハイオでも同じだったが、放課後の運動クラブに入るには、医師の健康診断書が必要。これがないと部活ができないのだ。夏休みの後半から練習は始まるので、この頃学校の看護室は証明書を届ける人たちでにぎわっていた。
それにしても休暇でバージン諸島か。後に詩奈が社会の時間に、「海外に行ったことのある人?」という質問に、クラス全員が挙手したと言う。「オハイオのときはオハイオ州から出たことないって子もいたのに、びっくりした。」 看護婦の部屋から出てきたお母さんも見るからにリッチそうな人。何かとすぐにオハイオと比較してしまうが、標準的なアメリカとも言えたオハイオとグリニッチを比較するのは間違っているのだろう。それにしてもこの辺りの人はみんな、どこ行くのだろう、と思うほど普段からおしゃれしている。犬の散歩をしている人ですら、着飾っているように私には見えるのだ(あんたが、小汚いねん)。
10月のある夜、シナコが通う高校のオープンハウス(親が各教室を回って教科の先生たちと会う日)があった。オハイオ時代、学校の懇談会や演奏会には、トレーナーやTシャツにジーパンと相場が決まっていた。しかしそれではまずいんではないか・・・・そんな気がした私たち夫婦は、浮かないように精一杯小奇麗な恰好で学校に出かけた・・・。果たして正解。男性はドレスシャツにスラックス、女性はスカートにパンプスというところが主流であった。
シナコの高校は2700人の生徒がいるマンモス校。それゆえ全校を5つの「ハウス」に縦割りにして、それぞれにハウスマスターというハウスごとの主任の先生がおり、ハウス専属のカウンセラーがいる。4年間ハウスは変わることがない。こうすることによって、友達も出来やすくなり、先生のほうも生徒を覚えやすくする、というのが大前提だが、全ての授業を各ハウスごとに設けるわけには行かないので、特殊なクラスは全てハウスを超えることになる。果たして詩奈の場合は、英語と社会以外は全部ハウスを超えた生徒が交じり合ったクラスになり、5分の休憩時間に学校の端から端まで必死で移動せねばならず、トイレに行く時間もないらしい。
(ビーチパス)
グリニッチに住む得点のひとつにビーチがある。夫も不動産会社に、「ここはビーチがありますから」としきりに勧められたそう。町には3つのパブリックビーチがある。シーズン中はお金を払えば入場できるが、市民でなければならない。もしくは市民と一緒でなければ入れない。1回の入場料は10ドルだから決して安くない。しかし市民ならシーズンパスを買うことができ、これが1シーズン大人1人27ドル、15歳未満は5ドル。しかし、たかかビーチパスと侮ってはいけない。これは市民の特権であるのだから、そう易々と手には入れられないのである。
引っ越して間もなく、ビーチに行くためにビーチパスを買いに市役所に行った。市民であることを証明するために、賃貸契約書、光熱費などの領収書2通が必要なのは知っていた。だが、賃貸契約書には私の名前は掲載されていないので、その場合は自分の名前と住所の入った身分証明書が別途必要とのこと。つまり免許書が必要になる。
きょうびアメリカで免許書を取るのは至難の業。コネチカット州では日本の免許書や国際免許からの書き換えは出来ず、ペーパーテストと運転テストを受けて新たに免許を取得することになる。またビザ関連の書類も提出しなければならない。手続きがたいへんなので半年以上経ってもまだ国際免許で運転している人すらいる。私の場合は、オハイオ州の免許証が有効だったので、テストなしで免許の書き換えが可能だった。ビーチパス欲しさに、翌日早速免許証を取りに出かけた。だが配偶者の雇用証明が必要、と門前払い。ようやく雇用証明を手に再び免許を取りに行った頃は、夏休みも終わりに近づいており、晴れてビーチパスを手にした時は既にシーズンも残りあとわずか。パスを手にすることに必死になっていたけど考えてみたらもったいないことした(考えんでもわかるやろ。) そこで少しでも元を取ろうと、パスが有効の最後の週末に夫と必死でビーチ巡りをした。(翌週からは無料で誰でも入れるのだ・・・。)
賃貸契約、住所の入った光熱費の請求書2通と言えば、シナコの入学手続き時にも必要だった。越境入学対策なのだろう。少なくともオハイオでは編入手続きにそこまで厳格な要求はされなかったように思う。そういえばオハイオの大家さんは賃貸契約すら作らなかった。「あんた、信用してるから、別にそんなもの要らんでしょ?」でおしまい。でもこれはオハイオというよりあのおじさんの気質だったのだろう。
(体型)
ついつい何でもオハイオと比較してしまうけれど、カリフォルニアからオハイオに引っ越したときは地理的、気候的な差は感じても、それほど二つの州の地域差を感じることはなかった。しかしオハイオと東海岸はかなり様子が違う。
まず、なんと言っても体格。オハイオはアメリカ中で一番肥満度が高い中西部にある。あまりに太っている人が多いので、日本から持ってきた洋服が入らなくなった後も、私を含め日本人は自分が痩せていると勘違いしてしまう。ウォルマートなどのスーパーでは、体重が重くて歩けない人たちが、電動カートにまたがり、運転席の前に取り付けられたカートに山と盛られたインスタントフード、ソフトドリンク、ドーナツ、スナック菓子に前方の視界を遮られながら通路を移動している。
それがここではウォルマートは10マイルほど北のノーウォークまで行かないとない。しかも電動カートがうようよなんてしていない。あっても1,2台だ。
東海岸の町では人々が歩いている。オハイオじゃ「歩くために歩いている人」以外は見かけなかったのに、ここでは「目的地に到達するための手段」として歩いている人がいる。日本じゃ当たり前の風景だけれど、車社会であるアメリカではちょっと不思議に思った。そういえばオハイオで歩いていた人達は、だいたい別に歩かなくてもいい種類の人達で、電動カートにまたがっていた人たちこそ、ちっとは歩けば、という体型だったな。
(スターバックス)
以前に雑誌で読んだことがある。スタバの方針として、いかに儲けが期待できても、「おしゃれ」じゃない場所には出店はしない。逆におしゃれな場所なら、通りの反対側に既に一店あったとしても、向い側にもう一店舗を出すこともいとわないと言う。な~るほど。オハイオ在住中は、最寄のスタバに行き着くまでに最低40分かかった。千葉のマンションの時も悲しいかな近隣にはなかった・・・。ところがグリニッチはどうだ。車で5分以内の距離に2軒、10分以内だと少なくとも4軒はあるではないか。(この「車で10分」の距離がオハイオとコネチカットでは大いに違う。オハイオで10分と言う距離は、ここでは実に30分かかるのだ!)
(秋)
紅葉の季節もとうの昔に終わり、落葉もそろそろ一段落するかという今日この頃。このところの週末の仕事は落ち葉集め。落ち葉が散り始めたある週末、夫と二人でサラエで掃き集めたのだが、我が家の庭は決して広くはないのに、前の庭だけで作業に2時間も要してしまった。おまけに夫の手には豆ができ、「もう毎週こんなことやってらんない。ブローワーを買おう。」
というわけで、早速ハードウェアストアにブローワーを買いに行った。ブローワーとは掃除機の逆の原理で風を吹くことで落ち葉を寄せ集めていく。集めた落ち葉は、家の前の道路脇に固めておけば、そのうち市が回収に来ることになっている。そのうち、が何時なのか、実はよく知らないのだが。1ヶ月に1度くらいは来るのかな・・・。うちが落ち葉を外に出してからそういえば未だ一度も来ていない。もう2回分の山なのに。でも暫くすると徐々に嵩が減って行くし、意外に再び風で飛ばされないものなのだ。
以上をもって今回のコネチカット通信はおしまい。オハイオとの比較に終始してしまったようだが、オハイオをご存じない方にはあんまり良く分からなかったかも。ひとくちにアメリカと言っても広いと言うことです。
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