2010年1月29日金曜日
シナコの大学事情 (4)
通常の確定申告の締め切りは4月15日。重ねてコイオの会社はIRS(国税庁)に特別な延長申請を提出していて、毎年6月に申告を行なっています。そこを無理を言って我が家だけ特別に早く確定申告の準備をしてもらい、今日やっと数字が出揃いました。その数字を元に、2月1日の締め切りに間に合うように本日申請を終えました。
わかってはいたことですが、駐在員として付加的な手当てを得ているコイオの去年の収入では連邦政府の奨学金は望めません。けれど4月にはほぼ帰国が決まっているコイオなので、本年度の収入は激減することは目に見えています。こうした事情は私大の奨学金の判定のベースになるCSS PROFILEで一生懸命訴えましたが、どこまで受け入れてもらえるやら。
我が家のこうした悩みは、やはり贅沢な悩みと映るのでしょうね。確かに子供を大学に行かせたくても行かせられない人も大勢いる中で、確かに贅沢な悩みなのだと思います。
おまけに、シナコには我が家の経済事情は何度説明しても理解できないようで、本人は「合格すれば何が何でも行きたい」と息巻いています。
私は密かにシナコには公立大学に行ってもらい、その上で来年度は「州内の学費」に振り返られるような計画を立てているのですが、公立大学は景気低迷から今まで以上に応募が殺到していますから狭き門となっていますし、たとえ受かってもシナコが素直に納得してくれるのやら。
合格発表が出揃うのは4月の初めです。さてどうなりますやら。
2010年1月27日水曜日
ものみの塔
11時前に目が覚めて、そろそろ起きるかな~と思ったら、玄関チャイムが鳴った。宅配便かな。
パジャマだし髪はくしゃくしゃだけど、宅配便のお兄ちゃんだったらええわい、と階下に下りてドアを開ける。
日本人の女性が2人、にこやかに立っている。
出た・・・。
咄嗟に、「具合が悪くて、寝ております。」(パジャマでよかった)
「あら、そうですか、ではこのパンフレットだけ置いてまいりますので・・・お大事に」
パンフレットには日本語で「目ざめよ!」「働きすぎていませんか」
(寝てたのがばれてたか? 朝寝してるくらいだから、どう考えても働きすぎとは言えませんでしょ・・・。)
もうひとつのパンフレットは、「ものみの塔」「飲酒、神はどうみておられるか」
しかし、アメリカまで、ご苦労様なことです。
あっ、それとも、こっちが発祥の地か?
2010年1月22日金曜日
シナコの大学事情 3
シナコが一体どこの大学を受けているのか、SATの得点を大学に送ったメールのCCがSATから私に送られてきた12月の終わりに初めて知ったわけだけれど、その後も敢えてどこの大学がどんなレベルで学費や奨学金の申込みがどうなっているのか調べずにいた。
ようやくその作業を昨日やり・・・ため息が出た。
アメリカの大学の学費が高いことは、再三再四書いてきたし、私自身も、もうよくよくわかっていたけれど、昨日一覧表を作って、改めてその学費の高さに驚かされた。わかっていても、何故ここまで高いのかと言う思いを払拭することができない。
シナコが同じ大学を受けているということじゃないが、比較のためにキニコが受験した大学の一部を交えて表を作成した。キニコの時から、たった2年しか経っていない。なのに軒並こんなに学費が上がっている。
ミシガン大学(公立、州外からの生徒の学費)$30,154 ⇒ $34,230
ウィリアム&メアリー(公立、州外からの生徒の学費)$25,725 ⇒ $30,592
ジョーンズホプキンズ (私立)$35,900 ⇒ $39,150
コロンビア (私立) $35,516 ⇒ $41,316
ディキンソン (私立)$35,450 ⇒ $40,114
日本の国立は、その昔は入学した時の学費が卒業するまで固定だったが、アメリカの場合は、公立も私立も授業料は年々上がっていく。ここ2年で、どの大学も5000ドル上がったことになる。奨学金がもらえずにキニコはホプキンズを断念したけれど、あの時無理して行かせていたら・・・とぞっとする。2年前、ディキンソンからは約10,000ドルの奨学金をもらった。この場合、大学側は我が家の支払い可能な金額が約25,000ドルと見なしたわけなので、学費が40,000ドルにスライドしても、値上がりした分は奨学金でカバーされていたと思われる。少なくともキニコがHotchkiss高校からもらっていた奨学金は、毎年の値上がり分は奨学金でカバーされており、我が家の支出は4年間変わらなかった。
それだけに入学時にどれだけの奨学金を確保できるかは、かなり重要な問題なのだ。
何度も書いてきたけれど、大学の奨学金には2種類ある。ひとつは経済状況を考慮したFinanicial Aid。もうひとつは学力だけに焦点を当てたMerit Scholarship。
我が家の場合、前者のFAを獲得することはかなり難しいと予想される。アメリカで生活費が最も高い地域に駐在するコイオの所得はべらぼうに高い。何故なら税金の高いアメリカなので、会社が生活費を保証するために、形式的には私たちが税金を納めているが、実際は税金分を考慮した給料の支払いになっているからだ。つまりグロス所得が高額になってしまう。そうなると高所得者になり、FAを取得するのが非常に難しい。2年前のキニコの時には、その事情と、我が家の実際の家計の状況を家計簿のコピーまで提出して、とくとくと説明した。
シナコの場合は一家に大学生が2人となることで多少は望みがあるものの、本当にもらえるのか。幾らもらえるのか・・・。
今年、コイオはどうやらNYから離れる事になりそうで、今後所得が大幅に減少するのは目に見えている。なのに恐らく一生のうちで一番多いであろうと思われる現在の所得で判断されるということも・・・我が家にとってはとてもアンラッキーだ。勿論この辺の事情は奨学金の申込みの際に説明はするつもりだけれど・・・。
ならば、シナコが頑張ってMerit Scholarshipをもらえるようにしたらいいでしょう、と思われるでしょうね。どうやらそれを狙った学校を2校ほど受験しているようだけれど、私が調べた限りはその2校もかなりランキングでは高い・・・。作戦失敗じゃないの・・・と思ってしまう。
後悔先に立たず。今更「たら、れば」の話をしても仕方ないのだけれど、10年前の私の大学院の学費が18,000ドルだった。(自慢するわけじゃないけど、いえ、自慢してるんでしょうけど、私はMeritをもらっていたから学費は更にこの半額だった。)そこから学費がここまで上がるとは、想像していなかった。キニコの受験に際して初めて学費がこんなに高いことに呆然としたのだけれど、時既に遅し。
私の反省に立って、もしももしも子供をアメリカの大学に行かせようと思っていらっしゃる方がいたら、お金が増えて増えて困っているというなら話は別だけれど、そうでなければその考えは改めたほうがいいです。アメリカ在住であれば、地元の公立大学、日本在住であれば日本の大学に行き、更に学業を極めたい場合にアメリカの大学院を考慮されるのがいいんじゃないかと思います。
一般的にアメリカの大学のほうが勉強させられる。だからアメリカの大学のほうが良いと思った。少しばかり勉強ができたために、地元の公立大学を対象外にしてしまった。
だけどだけど、この学費で、私立や州外の公立大学に行かせるだけの値打ちがあるのか?
嗚呼、時計を10年間戻して、教育方針を変えて出直したい・・・。
コイオにも私にも老後の蓄えなどあり得ません。ひとりずつそれぞれの娘の世話になるとしよう。
2010年1月18日月曜日
2010年1月17日日曜日
新型インフルエンザ闘病日記 <終章>
今朝は爽快な目覚めで、体温も平熱に。ばんさーい!
咳も随分収まったし。ただ、まだ声がかなりかすれてるんだけど・・・。え、元からって? いえ、今は森進一もびっくりレベルです。
お医者さんもゆっくり休んでとおっしゃったことなので、元重病人は大事を取って、今日も一日ベッドで過ごすと宣言。で、その通りにした。
流石に明日も元病人の権利は通用しそうにないので、諦めて潔く家事をするかな。明日の朝にまで、巧い口実が思いつかなければね。
と言うことで、恐らく私の闘病日記はこれにておしまい(の、はず)!
元気になって、めでたしめでたし、です。
2010年1月16日土曜日
続々 新型インフルエンザ
期待したMucinexは殆ど効き目がなく、咳はひどくなるばかり。夕べは結構しんどくて、それまでは昼夜逆転で、夜中まで本を読んでいたのだが、その力もなく12時には明かりを消した。でも咳がひどくて時折うとうとしても直ぐに目が覚め、殆ど眠れない。横隔膜も痛くなってしまった。
2時ごろ寒気がして体温を測ると38度8分。
(何が、明日になると熱は下がりますよだ・・・)
Advilを飲んだら、30分ほどして37度台の後半までにはなった。
今朝もまだ熱があった。
そしてふと気がついた。月曜日に治ってなければ電話くださいって言ってたけど、月曜日は祝日!
火曜日まで待ってまだ良くなってなかったら・・・。再来週の仕事を思うと、そんな悠長に構えていられないと思った。そこで、慌てて近くにある日系の診療所を調べて電話をしてみた。土曜日も診療していたところがひとつあり、今朝の11時に予約が取れた。車で30分のところ。
この診療所はコイオの会社の健康保険のネットワークには入っていないのだが、幸いネットワーク外でも3割負担で済むオプションがついている。ネットワークに入っているホームドクターの場合は1診察あたりに15ドルぽっきりだ。
さて診察してくれたラティーノ系のお医者さんは、お世辞にもパリッとしたお医者さんではなかった・・・。白衣もよれっとしてるし、風采の上がらぬ田舎の町医者風って言うのでしょうか。何しか、身なり、人種、診療、診断、処方に至るまで、ホームドクターとは好対照。ホームドクターの方は、ユダヤ系で白衣の下にYシャツ着て、ネクタイまで締めてる。
さてこのお医者さん、日系の診療所の専属医師だけあって、ところどころ日本語を話す。何故か特定の言葉だけ常に日本語だった: 下痢、溶連菌、オダイジニ。
「今日はどうしてここへ?」
ホームドクターにかかって、豚インフルエンザと診断されたことを説明する。
「で、タミフルは飲みましたか?」
かくかくしかじかで、Advil飲んで水分とってたら大丈夫だと言われたこと、昨日再度診てもらってMucinexを飲み始めたが全く効かないことなどを説明する。
「なるほど。あなたのお医者さんの考えもわかります。普通の場合は5日くらいで治ってしまいますから。ただ、極まれに、その期間では治らず、第2段階にまで進んでしまう場合があります。合併症を引き起こしたりする場合ですね。あなたの場合は、そうなってしまったんですね。細菌性の気管支炎を引き起こしているんでしょう。それには抗生物質が必要です。その前に、まずヨウレンキンもあるか、調べてみましょう」
「いえ、のどは痛くないですし、溶連菌の心配はないと思います・・・。うちの保険はここは7割までしかカバーしませんので・・・」
「最低限のテストしかしませんよ。溶連菌だけは調べておかないと、もし溶連菌がある場合は、出す抗生物質は更に強くて長期間服用するものじゃないといけませんから」
果たして溶連菌のテスト結果は「-」。
「あと肺炎は起こしていなくても、肺炎になりかけている可能性はありますから診ておきましょう。じゃ、診察台に上がって」と聴診器を取り出す。
ホームドクターはいつもセーターの上から聴診器を当てていたんだけど、それでもまあ、聞こえるんだろうけど、そんな医者は初めてだった。
少なくともこのお医者さんは、服をめくって、じかに聴診器を当てていた。普通・・・だよね。
「肺はきれいですね。大丈夫。では、体温を測りましょう」
耳で瞬時で体温が測れる体温計で計る。
「37.8度ですね」
と言うことで、あれよあれよと言う間に3種類の薬の処方箋を書いてくれた。
1. 気管支炎のための抗生物質5日分
2.咳を抑えるためのステロイド5日分
3.同じく咳止めシロップ
そ、処方箋が要る高価な薬だ!
「劇的に良くなりたいんですよね?」
「そうです!」
「大丈夫、これで魔法のように良くなりますよ。お薬飲んで、今週末は安静にしてください」
安静だって? これまたホームドクターと正反対。彼は「この週末は何か楽しい予定があるんですか?」って聞いたくらいだからな。「寝てます」って答えたから、何て柔なヤツって思ったことだろう。でもビョーキだから、アンタの所に来てるのに、なんか間違ってないか?
「ええ、でもこれまで5日間もずっとベッドで安静にしてたんですけど・・・」
「そうなの? あなた、よっぽどこのインフルエンザにやられてたのね」
そうなのだ。ホームドクターは「あなたみたいな健康な人は」ばっかり言ってたけど、実はわたしは「虚弱」だったのだ。なぜこんな繊細そうな私を見て虚弱だって見破られなかったんだ?
と言うことで、3枚の処方箋を手にルンルンした気持ちで診療室を出た。
「オダイジニ!」
帰りに薬局で薬をもらい、昼食後、早速お薬を飲んだ。
お薬を飲むのが楽しみと言う気持ちは生まれて初めて。
12時過ぎに薬を飲んで、既に3時ごろには咳が収まり始めた! 目に見えて咳が減って、横隔膜の痛みも激減。熱も徐々に下がって、今や平熱!
今日、あの診療所にかかっていて本当に良かった。火曜日まで待ってたらどんなに悪化してたか・・・。
今夜はぐっすり休めそう。
2010年1月15日金曜日
新型インフルエンザ 続き
今朝、再度、医者にかかることにした。
「どうですか?」
「気管支炎かなと思うんですけど。咳が出て痰がからんで、声が出なくなりました。再来週仕事があって、声を使う仕事なので、声が出ないと困るんです」とヒソヒソ声で。
「熱は?」
「昨日、一昨日は101(38)度でしたけど、今朝は100(37)度になってました」
「じゃ、取り合えず診察してみましょ」
診察後、
「で、あなたの意見では何が効くと思っているんですか?」
「発症から48時間経ってしまいましたから、タミフルはもうだめでしょ・・・」
「タミフルは虚弱な人や免疫体質に問題のある人以外に出しても意味がないんです。統計を見たらわかりますが、あなたのような健康な人の場合、通常は2日で熱が下がり、あと2日くらい咳をして4日もすれば、長くても1週間で治ります。タミフルを飲んだからと言ってこれ以上早くは治らない。虚弱な人や免疫に問題のある人で、病状がこれ以上長くなってはいけない場合にタミフルを出す。この国ではね。熱も下がってきているし、明日には熱はなくなるでしょう。来週には咳も止まって声も出ますよ。心配することはない。再来週の仕事までにはすっかり良くなっている。」
と言って、またしても処方箋の裏に何やら書いて渡してくれた。
1. 水分
2. スチーム
3. Mucinex
「しっかり水分を取って、スチームはコップや鍋のお湯でもいいけど・・・」
「マグカップにお湯をはって、吸い込んでました」
「それでもいいけど、手っ取り早いのはシャワーですね」
「え!? 熱があるのにシャワーに入っていいんですか?」
「全く問題ない。日に何度入ってもいい」
晴天の霹靂だ。
「日本じゃ、熱があるときはシャワーやお風呂は控えるようにって・・・。私はもうずっと気持ち悪かったんです。ああ、それは嬉しい!」
ぎょっとして、気持ち悪いものでも見るように、
「それは帰ったらすぐにでも入ってください。で、咳と痰には、これ。薬局で売ってる処方箋の要らない薬です。何も処方箋がいる高価な薬を飲む必要はないんです。時間が経って免疫ができたら治るんですから」
「この薬とシャワーに入っていいって教えてもらっただけでも今日は来た甲斐がありました」
「月曜にはすっかり良くなってますよ。もしそうじゃなかったら、そんなことないと思うけど、連絡ください」
と、心配性で神経質で不潔なオバハンと思われて、診療室から追い払われたのでありました。
帰りに薬局で咳と痰用のMucinexを買った。Mucinexには鼻づまり用もあるので注意。咳と痰用にも、「強力・長時間持続」タイプがあったので、それを買って帰ったら、なんとタブレットの大きなこと。喉に引っ掛かって、えづきながらようやくの思いで飲み下した。12時間に一度これを飲まないといけない。
その後は長時間のシャワー。あー極楽だった! とにかく髪を洗いたくて仕方がなかったから。
お風呂から上がってドライヤーをしてると、湯上がりだからと言う訳ばかりじゃなくて、何だか体が熱い気がする。体温を計ったら39.1度。口の中で計っているが、別にお湯を口に含んだ訳じゃないし。でも湯気は吸い込んでるからなー。
お風呂から上がって30分以上経った今、再び体温を計ると38.5度。
うーん、あのお医者さんは名医なのか、やぶ医者なのか・・・。前者であることを祈ろう。
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2010年1月14日木曜日
まだ熱がさがりまへん
コイオが今夜出張から戻るので、キニコのベッドに寝た方がいいだろうと、シーツを掛け換えてきた。一日横になっているからか、だんだん体力を消耗してきたのか、ちょっと起きて作業するとしんどい。
なのに、母親が病気でもなーんにもしないシナコが下から叫ぶ。
「ママー、カレーどこにあるの?」
大きい声が出せないからノロノロと階段の上まで歩いていると、
「ママってば、カレーはどこ?」
ようやく階段の上から、
「いつもの場所にあるでしょ」
「ないよー、ない! あ、あった」
「えー、これ何人分?」
あんたはレトルトカレーも暖めたことはないんか?
「一人前でしょ」
「えー、多すぎ」と言いつつ、おもむろに封を切ろうとする。
「お湯で暖めるんだよ」
「いいじゃん、チンでも」
お好きにどうぞってことで、私は二階の寝室に退散。
しっかしなぁ、ママが病気でも犬の散歩に率先して行くわけでもなく、朝は私がジョダを外に出すのだが、昨夜は夜中に目が覚めて7時前まで起きてて二度寝してしまい、目が覚めたら2時だった。かわいそうなジョダ。夜も再三再四シナコに言って、ようやく10時ごろにちょろっと散歩に連れてくだけ。
「散歩にいかなかったら、あんたの送り迎え絶対にしないからね」という脅し文句を聞いてやっと思い腰を上げる。
そうなのです、熱があろうが、槍が降ろうが、シナコの学校行事の送り迎えだけはついて回る。私が仕事でいないときは、なんとか友達に頼んだり、タクシーに乗ったりしてるんだから、ちょっとくらい考えてくれても良さそうなものなのに。
今日はコーラスの地区大会の練習で午後6時半〜8時半まで学校。私はパジャマのママ、ジャケットを羽織って運転。絶対に警察には捕まれない出で立ちだ。
明日は学校が終わってから直接本番の会場へ行き、9時に学校に戻ってくる。本番は土曜日らしい。(無論、聞きに行かない。来てって言われないし。)
心配は明日の夜が申し込み締め切りの最後の2校。絶対今夜中に終わらせなきゃ無理っしょ。勿論シナコの反応は「うるさい!」の一言。
1校はどうでもいいんだけど、1校は公立だから、是が非でも間に合ってほしい。でも、公立も受付順に合否を出していく学校があるので、こんなギリギリに申し込んでたんじゃ、もうだめかもね。
アメリカの公立も2次募集とかあるのかなぁ。
まあ、どうでもええわい。シナコの一生じゃ、自分でなんとかするっちゃ。(病床で宮本輝の流転の海を読んでるので、松坂熊吾の口調がうつったわい。)
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2010年1月13日水曜日
H1N1型インフルエンザ (4)
昨夜は熱が39度2分まで上がり、ちょっと心細くなったので、お医者さんに行く事に。但し、相変わらず解熱剤を飲むと、素直に熱は下がってくれる。
「熱が101度とか102度で、こんな高熱しばらく出したことないです」
「そうですね、なかなか高いですね。薬は飲んでますか?」
「Advil(イブプロフェイン)飲んでます。飲むと熱は直ぐに下がります」
「他に症状は?」
「あとは体が痛いくらい」
「咳は?」
「咳は出ます」
「鼻水やのどの痛みは?」
「ありません」
「症状を聞いていると、やはりブタインフルエンザですね」
と言って、処方箋の紙に何か書いている。検査もしないで、タミフルくれるのかな?
「検査しないんですか?」
「検査はもう意味がないんです。あれは病気が流行し始めたときに、どんなインフルエンザが流行っているのかをコミュニティーとして把握するためのものですから。これだけ蔓延した今では、もう必要もない。あなたが個人的興味からどうしても知りたいというなら、調べますけど。」
「いえ、別にいいです・・・」
「症状からしてブタインフルエンザに間違いないです。じゃ、はいこれ。」
と、手渡された紙は処方箋ではなく、処方箋の紙に書付けられた注意書き。
1.水分をたくさん取ること
2.熱や痛みにはAdvil
3.咳にはスチーム
インフルエンザには、解熱剤飲むくらいしかできないと言うのは聞いていたけど、やっぱりそうか。
「解熱剤飲んで、おとなしくしてたらいいんですね」
「いえ、別におとなしくする必要もないんですよ。やりたいことは何をやっても良い。家事をやっても、動き回っても」
「・・・別に、家事はしたくないんですけど・・・」
「ただ、熱があるときは人にうつすので、その間だけ他人と接触しないように心がければそれでいいです。このインフルエンザは、高熱が2日ほど続いて、そのあと咳が出て来るけれど、たいてい4日もすればケロッと治る。あなたの場合ももう熱が2日目だから、そろそろ下がってくるでしょう」
実際、お医者さんで熱を測ったときはもう平熱だった。出る前に計った時は38度2分だったんだけど。
ってことで「ブタインフルエンザ」と診断されただけで、帰ってきました。
日本から戻ってからお買い物に一度も出かけていないので、冷蔵庫はすっからかん。帰りにスーパーや日本食品店に寄って、晩御飯の食材を買おうかと思ったけれど、「周りの人にうつしてはいけない」という殊勝な気持ちから、買い物もせずに帰ってきた。
食材がないので、今夜も晩御飯は作れない。ああ、誠に残念じゃ!
今夜はレトルトカレーにしよう。るんるん。
2010年1月12日火曜日
12:20AM
「もう12時過ぎてるから、無駄なんとちゃうん?」
「うるさい!」
「ダメやったら、もったいないやんか」
「うるさい!」
無視してたら、コイオが素直にカードを渡していた。
娘にイケズ言ったからバチが当たったんか、(そやけど、うるさいって言われてええ顔できひんわな)昨日の夜中から熱が出た。38度6分も出た。こんな本格的な発熱は何十年ぶり。症状は熱とちょっと咳が出るくらいで、あまりしんどくない。解熱剤を飲むとすっと平熱に下がるのだが、しばらくするとまた上がってくる。
せっかくの病気なので、これを大義名分にしばらく家事はおやすみさせてもらうことにした。私の正月モードはまだまだ続く。
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2010年1月11日月曜日
只今、PM11:35
今夜締め切りのところは、カリフォルニアだし、私学だし、私としてはどうでもいいところだから間に合わなくてもいいんだけど。いっそ申し込むのやめたらって夕食の時にも言ったんだけどな。
PS.
今再び覗いたら、申し込み画面に切り替わっていた。必死に入力中の模様。はて間に合いますか? (あ、ひょっとして西海岸時間? じゃあ間に合うかも。)
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戻りました
結局、飛行機の中でエッセイを書くと豪語していたシナコは、パソコンを開いたのも束の間、しばらくするとそのまま爆睡。幕張のホテルに2泊し、ラッキーな事に無料でインターネットが使えたので、ちょっとは作業していたらしいけれど、殆ど出かけていたのでホテルにいた時間は短い。当然、申し込みは終わらず。
28日の夜遅く、私の実家に到着。アメリカ時間で1月1日の11:59PMが申し込み締め切りだったのだけど、アメリカに戻る当日の出発2時間前(アメリカ時間で1月1日の午後7時)まで、延々ずぅーーーっと作業。なんとかギリギリ間に合った模様。
てなわけで、紅白も見ず、初詣にも行かず、かるたにも花札にもトランプにも参加せず、ひたすらパソコンに向かったシナコのお正月でありました。
コイオと娘たちは一足先に1月2日に帰宅し、キニコは翌朝トロントに戻りました。1月2日の夕方6時半ごろに家に着くなり、コイオはその日の真夜中が締め切りという奨学金の申込み作業をさせられ・・・。これでシナコに「うるさい!」と言われるのは許せんでしょ。
後は、今日が締め切りの1校と(現在2階で作業中)と15日が締め切りの1校があるらしい。どうして締め切り当日まで何もしないのか。一体誰に似たんでしょ。
さて、私はと言いますと、家族がアメリカに戻った後、一人日本で羽を伸ばし、昨日帰宅しました。帰りの便は空席待ちが出るほどエコノミーは満席。ラッキーなことに私はビジネスファーストにアップグレード。コンチネンタル航空はファーストとビジネスが一緒になったクラスしかないらしく、ビジネスより更にサービスが良くて、フライトアテンダントは自己紹介しに来るし、食事も前菜からひとつずつ運んでくれるし、座席は長く延びてベッドになるし、隣は空席だったし、快適そのものでありました。
初詣で生まれて始めて「凶」を引いてショックだったけど、どうやら既にそこから運気は上向きに転じた模様。よしよし。
日本で、ユニクロ、MUJI、デパ地下、そしてカラオケで弾けました。カラオケは子供たちと一緒に行こうと誘ったのに、ママと一緒じゃ嫌だと言われ、結局コイオと2人で3連ちゃん。(1日目はキニコも一緒だったけど、キニコは歌わずコイオも途中で帰り、2日目は子供たちとは別の部屋、3日目はとうとう子供たちにも断られた。) コイオも私もレパートリーが狭く、同じ歌ばっかり繰り返し歌っておりました。
コイオと子供たちが帰ってからは、毎日のように友達と会っておりました。考えてみると、日本でこれだけゆっくりできたのは初めてかも。いつも仕事があったり、前回は義母の入院の手続きとかで、殆ど自由時間がなかったから。
義母のグループホームに年末と帰国前にお見舞いに寄りましたが、日に寄って波があるようで、初日はわりとしっかりして、話すこともはっきりしていたのが、翌日は呂律もまわらずぼーっとしていました。帰国前に寄った時も、身体が真っ直ぐに保てないようで、すぐに右に傾いてしまいます。健康面では心配はないようなのですが、お薬のせいなのか、それとも病気のせいなのか、ぼーっとしていることが多いです。
ホームでの介護日誌を見せてもらうと、トイレに行った時間、出たか出なかったか、義母の言動や行動が細かく記されていて、1日で大学ノート1ページから1ページ半に渡ってぎっしり書き込みがありました。足元がふらつくこと、洋服の脱ぎ着が一人ではできないので、今ではトイレも介助が必要になっています。ホームの人たちが細やかに対応して下さっているように見受けられたので、離れていても安心できます。義母はいまだに自分は入院中だと思っていて、義兄にはいつ退院できるのかとしきりに尋ね、気持ち的に落ち着かないのがかわいそうですが、常に誰かの目があって介護されていると思うと、子としてはホームに入れたことは良かったと思います。
日本にいた間はずーっとお天気がよく、行きも帰りも富士山がばっちり見えました。
フロリダでワニやカワウソ注意の看板を見て喜んでいたけど、日本でも阪急芦屋川の駅のそばで、こんなの見つけました。確かに山のほうでは時々いのししが出るし、芦屋川の上流のほうで私もウリボウを見たことがあります。
以上、帰宅速報でした。