2010年1月11日月曜日

戻りました

今回はパソコンを持っていかなかったので、ネットとは離れた生活をしておりました。ブラックベリーでブログを更新するほどの時間もなく、慌しく過ぎて行きました。

結局、飛行機の中でエッセイを書くと豪語していたシナコは、パソコンを開いたのも束の間、しばらくするとそのまま爆睡。幕張のホテルに2泊し、ラッキーな事に無料でインターネットが使えたので、ちょっとは作業していたらしいけれど、殆ど出かけていたのでホテルにいた時間は短い。当然、申し込みは終わらず。

28日の夜遅く、私の実家に到着。アメリカ時間で1月1日の11:59PMが申し込み締め切りだったのだけど、アメリカに戻る当日の出発2時間前(アメリカ時間で1月1日の午後7時)まで、延々ずぅーーーっと作業。なんとかギリギリ間に合った模様。

てなわけで、紅白も見ず、初詣にも行かず、かるたにも花札にもトランプにも参加せず、ひたすらパソコンに向かったシナコのお正月でありました。

コイオと娘たちは一足先に1月2日に帰宅し、キニコは翌朝トロントに戻りました。1月2日の夕方6時半ごろに家に着くなり、コイオはその日の真夜中が締め切りという奨学金の申込み作業をさせられ・・・。これでシナコに「うるさい!」と言われるのは許せんでしょ。

後は、今日が締め切りの1校と(現在2階で作業中)と15日が締め切りの1校があるらしい。どうして締め切り当日まで何もしないのか。一体誰に似たんでしょ。

さて、私はと言いますと、家族がアメリカに戻った後、一人日本で羽を伸ばし、昨日帰宅しました。帰りの便は空席待ちが出るほどエコノミーは満席。ラッキーなことに私はビジネスファーストにアップグレード。コンチネンタル航空はファーストとビジネスが一緒になったクラスしかないらしく、ビジネスより更にサービスが良くて、フライトアテンダントは自己紹介しに来るし、食事も前菜からひとつずつ運んでくれるし、座席は長く延びてベッドになるし、隣は空席だったし、快適そのものでありました。

初詣で生まれて始めて「凶」を引いてショックだったけど、どうやら既にそこから運気は上向きに転じた模様。よしよし。

日本で、ユニクロ、MUJI、デパ地下、そしてカラオケで弾けました。カラオケは子供たちと一緒に行こうと誘ったのに、ママと一緒じゃ嫌だと言われ、結局コイオと2人で3連ちゃん。(1日目はキニコも一緒だったけど、キニコは歌わずコイオも途中で帰り、2日目は子供たちとは別の部屋、3日目はとうとう子供たちにも断られた。) コイオも私もレパートリーが狭く、同じ歌ばっかり繰り返し歌っておりました。

コイオと子供たちが帰ってからは、毎日のように友達と会っておりました。考えてみると、日本でこれだけゆっくりできたのは初めてかも。いつも仕事があったり、前回は義母の入院の手続きとかで、殆ど自由時間がなかったから。

義母のグループホームに年末と帰国前にお見舞いに寄りましたが、日に寄って波があるようで、初日はわりとしっかりして、話すこともはっきりしていたのが、翌日は呂律もまわらずぼーっとしていました。帰国前に寄った時も、身体が真っ直ぐに保てないようで、すぐに右に傾いてしまいます。健康面では心配はないようなのですが、お薬のせいなのか、それとも病気のせいなのか、ぼーっとしていることが多いです。

ホームでの介護日誌を見せてもらうと、トイレに行った時間、出たか出なかったか、義母の言動や行動が細かく記されていて、1日で大学ノート1ページから1ページ半に渡ってぎっしり書き込みがありました。足元がふらつくこと、洋服の脱ぎ着が一人ではできないので、今ではトイレも介助が必要になっています。ホームの人たちが細やかに対応して下さっているように見受けられたので、離れていても安心できます。義母はいまだに自分は入院中だと思っていて、義兄にはいつ退院できるのかとしきりに尋ね、気持ち的に落ち着かないのがかわいそうですが、常に誰かの目があって介護されていると思うと、子としてはホームに入れたことは良かったと思います。

日本にいた間はずーっとお天気がよく、行きも帰りも富士山がばっちり見えました。
フロリダでワニやカワウソ注意の看板を見て喜んでいたけど、日本でも阪急芦屋川の駅のそばで、こんなの見つけました。確かに山のほうでは時々いのししが出るし、芦屋川の上流のほうで私もウリボウを見たことがあります。
以上、帰宅速報でした。

0 件のコメント: