2007年9月28日金曜日

友人1


私にはユニーク、あるいは著名な、あるいはその両方の友達や知り合い、知り合いの知り合いというのが比較的多い。


昔、同僚たちと知り合いの知り合いも含めた、「有名人自慢」というリストを作成したところ、ダントツで私が一番だった。(って言っても、参加者は私以外にはひとりだったけどさ。) このリストのルールは、どんなしょうもなくても、その有名人とちょっと関わりがあればOKだった。


私のリストの中には、今井美樹、岸恵子、もんたよしのり、萬田久子、トミースナイダー(ゴダイゴ)、舘ひろし・・・なーんて名前もあったのです。勿論、向こうは私のことなんか多分ぜーんぜん知らないか認識していないでしょ。(今井美樹は私の友達の従妹で、舘ひろしには「英語、お上手ですね」と言われたことがあった。)


そんなことは、さておき、私のユニークなお友達を少しずつ紹介していきましょう。


トップを飾るのは、私のフランス人の親友ヴァレリーちゃん。彼女とはパリで知り合った。当時私が勤めていた会社で働いていた。私より3歳くらい年下だったが、ずっと大人びていた。逆に、私は超子供に見えたので、二人でレストランに入った時に、「ボンジュール、レゾンフォン」(こんにちは、子供たち!)と言われて、「あんたがいるから、子供って言われた!」と憤慨していた。(あんたが老け顔なんだよ!)と、私は心の中で毒づいた。


ヴァレリーは、今で言う日本オタク。ソルボンヌ大学で日本語を専攻した後、日本は名古屋に留学。と言っても、昼間、語学学校で学ぶ傍ら、夜はバーで接客。殆ど実践的な日本語はこの夜の稼業を通して学んだという。お陰でヴァレリーの日本語は、名古屋弁。「~だで」というのが口癖で、私にもうつって、パリで私たちが話していた日本語は、「あかん、あかん。〇〇だでー」ってな調子だった。


ヴァレリーが会社で日本語を話すお陰で、私のフランス語はちっとも上達しないというのが私の不満だった。ある時、お役所に行かねばならない仕事があって、「私がいると上達しないって言うんだったら、ひとりで行ってくれば」と突き放された。よし、ここぞ、と頑張ってひとりで出かけたのだが、例によって例のごとく、お役所の中で、たらい回しにされ、結局目的は果たせず。事務所に戻って悔し泣きして、ヴァレリーに慰められたこともあったっけ。


会社ではライバル的存在でもあったのだけれど、夜は2人でよく飲んで遊んでしゃべった。お互い一人暮らしで、アパートが歩いて5分しか離れていなかったこともあり、ワインとお惣菜を買い込み、しょっちゅうどちらかの家で、飲んだり、そのまま泊まったりした。一緒に出かけて、家についてから電話でぐだぐおしゃべりし、気がついたら受話器を握り締めたまま、朝だったってことも。


2人の会話? 勿論関西弁と名古屋弁のちゃんぽん。1年後にヴァレリーが別の会社に移るまでは、私は殆どフランス語を話す機会がなかった。ヴァレリーが移ったきっかけのひとつも、私がこのままじゃフランス語が上手くならないと文句を言ってたからなのだけれど、明らかにヴァレリーのせいではなかったことは、後にしっかり証明されましたね。


ヴァレリーのアパートにはシャワーしかなく、冷蔵庫も洗濯機もなかった。フランスの家には通常ビデがついている。ヴァレリーは、「ビデって本当に便利!」と言って、家に帰ってまず、汚れた足をビデで洗い、その後ビデに水を張って、買ってきたワインを冷やし、寝る前には洗濯物をビデでつけ置き洗い。当初は、ぎょえっと思っていたけれど、慣れると「便利」と思えるのが不思議だ・・・。


ヴァレリーには、娘がひとりいる。この秋、娘のマリアが入学。嬉しそうに送ってきたマリアの背中には。


相変わらずのオタクぶり。夏休み、マリアを連れて日本に行ったらしいが、どうやら2代目オタクの誕生らしい。(ちなみにヴァレリーは現在、会社を興し、日本の顧客を相手にビジネスをしている。)

飛行機4

私はブラックベリーという携帯を使用しているのだけれど、これは通常のEメールを携帯上で見られる機能があるため、アメリカのビジネス人の多くがこれを使用している。

夫も例に漏れず。お陰で、いつでもどこでもEメールが確認できることから、24時間7日間、仕事から逃れることが出来ない。

かく言う私も、ブラックベリーを枕元で充電しながら、朝は目覚ましにも使用。目覚めると同時に、メールをチェックしたりして。

今朝も6時に目覚ましが鳴った。眠たくて、眠たくて・・・とりあえず、目覚ましを止めて、後5分、再び眠りにつこうかと思いながらも、一応メールをチェック。

すると、「コネ通」にアラレちゃんからの投稿あり、とお知らせが入っているじゃないか。ブログの設定で、誰かから書き込みがあると、メッセージ・メールが送られてくることになっている。

早速、そのコメントを、眠さのあまり、半分しか開かない目で読んだ。
アラレちゃんのコメントは、ブログの投稿欄からも読めるけれど、敢えて下に掲載します。

「飛行機つながりで、先日こんなことがありました。 出張で伊丹から羽田まで飛行機に乗ったところ、その便の羽田到着が遅れてしまいました。 到着時のアナウンスで「本日は羽田到着が遅れたことお詫びいたします。 なお、羽田空港からお乗り継ぎのお客様で、関西空港にご出発のお客様、出発の時間が迫っておりますので、地上係員へお申し出下さいませ。」と言ったの聞いて、私は、「いま伊丹から来てんで、何が悲しくて関空便に乗り継がなあかんねん」と思ったのでした。(これって機内での何らかの隠語なのかなあ?) 」

もう、おかしくて、おかしくて、ベッドの中で大笑い。一気に眠気が吹き飛んだ!
あんまり面白いから、横で寝ている夫に、
「ねぇ、聞きたい? 聞きたい? めっちゃおかしいねん」
「・・・えぇ・・・別に・・・」と、迷惑そう。
「えー、でも、面白いでぇ。ねぇ、聞いてよ、聞いてよ。」と、強引にコメントを読み上げる。

夫は眠たいし、絶対に笑うもんかと硬く心に決めて聞いていたに違いないが、やっぱり不覚にもブッと噴出してしまっていた。

なんやこれ!ほんまにこんなことあるわけ。これがジョークだったら、日本も粋な国になってきたなぁって話になるのに。それとも、アラレちゃんが言うように、「テロリスト出現」かなんかの隠語やったりして。

しっかし、おもろい。朝からくすぐられて、今日も楽しい1日になりそうや。

2007年8月16日木曜日

飛行機 3

[ラガールディア2]

フランクフルトから帰った翌朝、キニコがオハイオに遊びに行くので、ラガールディアに送りに行くことになっていた。

しかし私が夜に家に帰ると、間もなく航空会社から電話があり、翌朝のキニコの便はキャンセルになったとのこと。その日私も、着陸してから2時間、ルフトハンザの機内で待たされた。空港のシステムがダウンしたとか。きっとその影響でのキャンセルだろう。

夜の便に変更したと言われたが、オハイオ到着が夜中になるので、1日遅らせて、朝の便に変えてもらった。

翌々日の朝のこと。6時半に家を出て、7時に空港に到着、まずはキニコを降ろして、私は駐車場へ。出発時刻は8時半なので、十分に時間はある。車を停めて、キニコのところへ戻ると、すっかり手続きを済ませていると思っていたのに、なぜかまだ長い荷物のチェックインの列の後ろに並んでいる。

「なんで、イージーチェックインしなかったの?」

「やったんだけれど、出来なくて、係りを呼んだら、『便が変更になっているから、ここでは出来ない、こっちに並べ』って言われたの。」
私だったら、便が変更になったのは、そっちのせいでしょ。さっさか、チェックインさせてよ、と交渉するところだが、娘は素直に長い列の後ろに並んだらしい。

暫く待って、ようやくカウンターが目の前に現れた。
「ま、出発は8時半だし、時間はあるね。」

「ママ、何を言ってるの。8時のフライトだよ!」

ぎょえ。時間を勘違いしていた。でも時計を見たら7:25。
大丈夫、ぎりぎり間に合う。

すると、キニコの順番。

「このフライトのチェックインは、もう締め切られました。次もその次の便も満席ですが、とにかく次の便にスタンバイしてください。」

えーっ?!

なんでだよー。自分たちが遅延するときは、幾らだって乗客を待たせるくせに、こっちがちょっと遅れただけで、締め切りだとぉ?

「だって、まだ35分あるんですよ!」
「でも、2時間前に来ることになっています。」
「そんなこと言ったって、あっちに並んでたら、こっちに並べって言われて、1時間前にはここに居たのに!」
「でも、2時間前には来ることになっています。」

「自分たちが遅れるときは・・・。」 ううん、そんなことを言っても始まらない。「どうせスタンバイするなら、この便にスタンバイさせてよ!」

「あなたは、どなたですか? あなたが乗客ですか?」
「私は、この子の母親です!」(こんなときだけは、母親面をする。でも「母」という言葉に、結構アメリカ人は弱い。)

「35分あって、乗れないなんて絶対におかしい!」
「静かにしてください。静かにしなければ、港湾局員を呼びますよ!」
空港は港湾局の管轄で、ここでは警察の役割も果たすのだ。

「むむ。分かったわよ。静かにするけれど、ひとつだけ質問させて。」
「どうぞ。」
「この子の席を、他の乗客に与えたでしょ?」
「いいえ。」
「じゃ、まだ空いているって言うの?」
「そうです。」

大嘘つきめ。絶対にダブルブッキングしていたに決まっている。私が前夜なまけて、自宅からのチェックインをしなかったから、今朝の段階ではもう席がなかったのかも。しかも、キニコのチケットは私のマイレージで取った無料の航空券だし、優先は低いに決まっている。

煮えくり返る腹を抱えて、しかたなく引き下がった。とにかくキニコはスタンバイすると言うので、セキュリティーに向った。スタンバイする場合は、乗れるかどうか分からないので、預ける大きな荷物も持ったまま、セキュリティーを通らなければならない。

キニコは預けるつもりだったので、ローションや洗顔石鹸、歯磨き粉やシャンプーなどの「液体」を、大きなボトルのまま鞄に詰めていた。それらは全て没収となるはずだったが、セキュリティーのお姉さんが優しい人で、「これは、ここに置いておいてあげるから、乗れなかったら戻っておいで。」と言ってくれたそうな。キニコが、「母が空港にいるので、渡したい」と言うと、キニコはもう外には出られないので、お姉さんが自ら、私に手渡しに来てくれた。あー、なんと心温まる話でしょう。

次の便、その次の便まで待って、それでも飛べなかったので、あきらめてキニコは帰ることに。

その間、私はずーっと空港で待っていた。フードコートのプラスチックの硬い椅子に腰掛けて、コーヒーを2杯。お尻が痛くなった。ブックストアを見つけて中に入る。革張りの椅子があるではないか! よし、本を買って、ここで読もう。色々選んでいると、気に入った本が3冊もあって、50ドル近く使ってしまう。ようやく革張りの椅子に腰掛け、リラックス。キニコの様子を探ろうと、携帯を取り出すと、あれれ、ここは電波が届かないじゃないの!

仕方なく柔らかな椅子をあきらめて、再びフードコートの硬い椅子へ。本を読む。でも、どうしてもお尻が痛くなって、お腹は空かないけれど、昼時だし、隣のレストランへ。皮のソファーに腰掛けて、食べたくもないピザを注文。少し手をつけたピザがすっかりさめた頃、キニコから「もう、あきらめた」と電話。

さて、帰ろうと駐車場から車を出すとき、あれれれ・・・、駐車券がない。携帯を出し入れしたときに、落としてしまったみたい。出口で、「失くしました」と言うと、超嫌な顔をされた。当然、最高額の30ドルを支払うことに。でも単に罰金を払うだけじゃ足りないみたいで、免許書や、車の名義証書まで提示しなければならない。手続きに時間がかかり、列を成した後続の車にクラクションを鳴らされる。すみません・・・。

30ドルは悔しいけれど、空港には7時間居たわけだから、まともに駐車代を払っていても24ドルだった。よし、殆ど元は取っている、と、悔しさ半減。

しかし腹が立つなぁ。飛行機に乗れないお陰で、駐車場30ドル、本50ドル、コーヒー10ドル、ピザ20ドル、と散財させられたのだ! 

「そんなの、飛行機のせいじゃないじゃない。だいたい、もともと、ママが30分間違ってた訳だし。」
7時間も待ってあげた優しい母に、娘は手厳しい。

(翌朝、夫の運転で、無事に娘はオハイオへ飛び立ちました。めでたし、めでたし。)

飛行機 2

[フランクフルト]

空港のセキュリティチェックが随分と厳しくなって、X線の手荷物チェックを受けるに当たって、コンピュータは鞄から取り出し、液体は、大きい容器のものは没収されるから、小さい容器に入ったものだけをまとめてジプロック(チャック付いたビニール袋)に入れて、やはり鞄の外に取り出す。自分も靴とジャケットを脱いで、ベルトも外して、チェックポイントを通る、なんてことはもう慣れっこになっていたものの、フランクフルトからの帰りのセキュリティーチェックには、たまげた。

フロリダで休暇をちょっと楽しんだ後、急にフランクフルトでの仕事が出来て、直接出かけたのだが、その帰りの話。

アメリカ国内では、いつも手荷物でOKだったキャリーオンバッグが、「大きすぎる」と言う理由で、ルフトハンザでは持込みが許してもらえない。
「えー、今までずっとキャリーオンでOKだったんですよ。アメリカの航空会社とは違う基準なの?」
「多分。」
「えー。それに、これ、クルー用バッグの規格で、ほら、ほら、あそこのクルーも持ってるでしょ?」と食い下がった。
「でも、あなたは、クルーじゃないでしょう。」
ごもっともで・・・。

渋々、預けることにしたけれど、
「あなたはラッキーよ。今日はエコノミーが満席で、ビジネスにアップグレードされました」と言われて、すっかり機嫌を直した。(やっぱり粘り勝ち?)

で、ゲートに赴くべく、セキュリティーを通る。セキュリティーは長蛇の列。でも私はビジネスだから、みんなよりはずっと短い、別の列に並ぶ。るんるん。

しかし、これが遅々として進まない。勿論、エコノミークラスの列も全然進まない。30分ほど並んで、ようやく自分の番になって、謎が解けた。

コンピュータや液体を外に出し、ジャケットを脱ぐのは、いつもと同じ。ベルトと靴はなぜか、着用したままOKだったけれど、時計は外さねばならない。でも、これがノロノロの原因ではない。

問題はコンピュータ。X線を通ったコンピュータは係員が取り上げ、持ち主が荷物をまとめ、身づくろいするのを待って、別室に連れて行かれる。

そこで、コンピュータの周りの「火薬チェック」が行われるのだ。小さな布をつけたプラスチックの棒で、周りを拭いて、その布だけを特殊な機械に通す。

ビジネスやファーストに乗るビジネスマン・ウーマンは、たいていコンピュータを持っている。故に、どうしても時間がかかる。だいたい、とっくにボーディング時間になっている乗客が殆どなので、あるオジサンは大声で怒鳴りだし、警察に取り囲まれていた。

やっとこさ、セキュリティーを抜けて、出国手続きをする。さて、ゲートは、と見渡すと、ゲートがない。私のゲートを指す矢印の先には、セキュリティーがある。

あれれ、間違った入り口から入ったのかな? 仕方なく、「ゲート28には、どうやって行くのですか?」と尋ねると、「このセキュリティーを通るんだよ。」
「え、だって今さっき、セキュリティーを通ったばかりです。」
「もう1回あるの。」
えー??
 
てな訳で、コンピュータの火薬チェックを除いては、全て同じ手順で再びチェックを受け、ようやくゲートか、と思いきや、その前に再び改札みたいなものがある。航空会社のお姉さんたちがが、乗客のパスポートとボーディングパスを再度チェックしている。

むずむず。
どうしても質問したくなって、聞いてみた。
「ひょっとして、この先のゲートは全部アメリカ行きの便だけ?」
「そうです。」

なぁるほど。アメリカ政府から、「1人たりともテロリストを入れるな!」と厳しく言われて、真面目に対応しているんでしょう。

ゲートに到着したときは、既に出発時間を過ぎていた。でも案の定、遅れている。
私は、無料の飲み物と食べ物にありつこうと、フルトハンザのビジネス用ラウンジに向ったのでした。るんるん。

飛行機 1

昨今は、飛行機の遅れなんて日常茶飯事。遅延もなく、ハプニングもなく、まともに飛んで着陸したら、ラッキー!と思わずにいられない。いや、記憶にある限り、全てスケジュール通りに行ったことなんて、ここのところないなぁ。

と言うわけで、飛行場でのエピソードなんて特筆するほどのこともないけれど、それでもちょっとユニークだった体験を綴りましょう。

[ラガールディア1]

マイアミへ出発する際のこと。空港に着くと、空港の入り口からカウンター前まで、人、人、人で埋まっている。あれほどの混雑は、今までに体験したことがない。まるで感謝祭前の空港のような混み具合。

で、すぐ近くにいた女性に尋ねた。
「はて、今日って、なんか特別の週末でしたっけ?」
「さぁ・・・どうしてこんなに混んでるんでしょうねぇ」と彼女も首をかしげる。

すると、隣にいた男性が、「昨夜の飛行機が、天候で全てキャンセルになったんだよ。」

なるほど、それでこれだけの人が。

私たちは、イージーチェックインだから、何重にも列を成している人たちの後に並ぶ必要はない。

イージーチェックイン(航空会社によって呼び名は異なる)とは、Eチケットを持っている人が、カウンターとは別の場所に設置された、キヨスクと呼ばれる複数のコンピュータディスプレイから、セルフチェックインが出来るシステム。手荷物しかない場合は、ここでボーディングパスがプリントアウトされるので、カウンターへは行かず、そのままゲートに進める。

最近は、数日前に航空会社から、チェックインサイトへのリンクのついたE-mailが送られて来て、自宅でそこからチェックインして、ボーディングパスを印刷しておけば、空港到着後は何もしないで、直接ゲートに赴くことも出来る。

しかし、どちらの場合も、預ける荷物がある場合は、やはりキヨスクにて、預ける荷物の個数を入力し、荷物に付ける目的地のシールが、カウンターにある印刷機からプリントアウトされるので、そこで荷物を預ける必要がある。

私たちは、既に家でチェックインは行っていたものの、預ける荷物があった。見れば、キオスクの周りも人で埋まってはいるけれど、誰も使用していない。そこで、私は人並みをかき分けて、ようやく画面の前に陣取った。

そこまで辿りつくまで、生真面目なシナコは、「ママ、順番抜かししないで! ちゃんと並ばなきゃ!」と背後から叫んでいる。

「違うの、この人たちは、セルフチェックインの人たちじゃないの!」と言っても、シナコには分からない。説明するのももどかしく、とにかく荷物のチェックインを済ませたが、今度はその荷物を実際に預けに、カウンターにまでたどり着かねばならない。

カウンター前は荷物を持った人でびっしり埋まっているので、なかなか近寄れない。それでも強引に前進していると、またもやシナコが叫ぶ。「ママー!ちゃんと並びなさいよ!!」

「違うよ。この人たちは荷物をチェックインする人たちじゃないんだよぉ!」後ろを向いて、叫ぶ。

実際、チェックインする人たちに紛れて、キャンセルされたフライトから、別の便に予約を変更しようと並んでいる人たちがいる。彼らが、ようやくの思いで、カウンターに到達すると、「ここでは予約変更はできません。予約係りに電話するか、あちらのカスタマーサービスに行ってください!」と、つれなく宣言されるのがオチなのだ。

それでも、ここまで並んだのだから、と食い下がる乗客。ここでは、どうにも出来ません、と言い放つ係員との間で押し問答。係員は後ろに並んでいる人たちにも、「ここでは予約変更は出来ませ~ん。予約係りに電話してくださ~い!」と叫ぶけれど、ざわつくカウンター周辺には、その肉声も届かない。

そんな中、私はボーディングパスを振りかざして、「○○(苗字)です。荷物のチェックイン!」と叫ぶ。

後ろから、シナコが「ママ、止めて!ちゃんと待ちなさいよ!」

「待ってたら、いつまでたっても順番が来ないのよ!」

ようやくの思いで、荷物のチェックイン・シールを貼ってもらう。

真横では、若い女の子が泣いている。「ここまで待ったのに・・・。今日中に帰らなくちゃいけないのに・・・。」 気の毒に。

そのまま荷物を預かってくれるかと思いきや、「あちらのカウンターに持って行って下さい」と、遥か向こうの別のカウンターを指差す。

何で?!と思うけれど、しかたなく、再び人と荷物で埋もれたところを、荷物を引きずり、掻き分けて、別のカウンターへ。は~、疲れた。

2007年8月3日金曜日

オーランド

一昨日、マイアミでの仕事を終え、最終の仕事はオーランドなので、お客様と同じ便で移動。

実は、キニコとシナコも同じ便に乗り、私と同じホテルの部屋に泊まる予定。

出張に家族を連れて行くことは、アメリカではそう珍しい話でもないけれど、こんなこと、なかなか日本から来た人には理解してもらえなさそうなので、黙っていたほうが得策かなと、子連れで来ていることは内緒。「他人の振りをすること」と、子供には最初から釘を刺してあった。

当日、私は仕事場から、お客様と一緒の車で直接マイアミ空港へ。キニコとシナコは、ホテルからタクシーで空港へ。

空港のカウンター周辺や、ゲートでも何度も顔を合わせたが、そ知らぬ振りを通す。飛行機に乗り込むと、偶然にも私の横がお客様の1人。もう1人がその真後ろの座席で、何とその隣の2席がキニコとシナコ。

二人は事の成り行きにおかしくて、くすくす笑っているし・・・ひやひやものでした。シナコが私と似ていると言われることもあるので、気付かれるかも・・・と思いつつ。

オーランドの空港からホテルまでも、私はお客様のタクシーに同乗。キニコとシナコも別のタクシーで、無事にホテルにチェックイン。多分ばれてないでしょう。

しかし、今回は普段使い慣れていない言葉が多くて、お客様にしょっちゅう訂正されましたわ。

「地方政府」と言えば、「地方自治体ですね。」

「・・・あのぅ、家の所有者の集まり、あの・・・アソシエーションって言うんですが・・・」
「あ、ホームオーナーズ・アソシエーションね」 (なんだ、知ってるの・・・)

おまけに、「郡」と「軍」って言葉が、しょっちゅう出てきて、私の頭の中には、漢字が浮かんでいるけれど、聞く方にはわからないだろうから、いちいち、「XXXX郡」と長ったらしい名前をいい、「軍隊」と言い直し。おまけに、ついつい「群」って字をノートに書いて、「あらら・・・」と書き直していたら、脳みそがそれに奪われて、聞き逃していたり。

夕食の時、二人のお客様の部署の関係を説明してもらった時、
「二人とも国家公務員で、元は彼女もボクと同じところにいたのですが、今は彼女は東京で仕事しているんです。日本語で出向って言うんですが。」
と、「出向」を説明され、そこまでわたしの日本語って粗末だったのかしら・・・と、愕然。

ま、最後には、「大活躍でしたねー。とっても助かりました。」と、嘘でもいいから言ってもらえて、楽しく仕事を終えた昨日でした。

さ、今日からはバケーションだっ! 今夜、夫もNYから参加し、明日からはパーク巡りの始まりです。

2007年7月31日火曜日

マイアミ2

実は今回の仕事、私はびびりまくって臨んだのでした。
というのは、お客様は政府の方で、しかも参加される方の中に、「内閣府、事務官のNakasoneさん」という女性のお名前があったからなのでした。
何たって、視察を「偵察」なんていう日本語の貧しい私ですから、政府高官だったらどうしよう・・・出来れば逃げたい・・・と思っていたのですが、現れた女性の苗字には「にんべん」がついていました!
どれだけ胸をなでおろしたか・・・。

しかも20代後半か30代前半の「若い」(私の目からは・・・)方で、とっても感じの良い人なのでした。
あー、私っていつもお仕事する相手には恵まれている!って思いました。

お客様は、それほど英語がお得意でもないようで、今のところはボロが出ずにいます。

るんるん! (今のところ)

2007年7月30日月曜日

マイアミ

なぜか、今マイアミにいます。一応、仕事で来ています。

いろいろと背景情報や経緯を説明していると、一向にブログが進まないので、気の向くままに、適当に書くのがいいのかな・・・と、思い始め、とにかく最新の事項を書いていきます。

先日書いた夫の会社の話は尻切れトンボですが、それはまた後日に機会があれば書くと言う事で、今日は今いるマイアミの話を書きます。

マイアミに来るのは初めて。以前にオーランド(もち、ディズニーワールド!)への経由地として空港は利用したことがあるけれど。
来てみてびっくりしたのは、ここは「アメリカじゃない!」と言うこと。

マンハッタンも別の意味で、アメリカの他のところと全く趣を異にしている別世界だけれど、ここマイアミはまるで「外国」です。英語が通じないことすら、しばしばあるのですから。

じゃあ、スペイン語なのか、と言えば、それだけでなく、今朝、ホテルのエレベーターで一緒になった、ホテルのハウスキーピングのスタッフは、全く聞き慣れない言葉をしゃべっていました。何語か聞いてみると(私は好奇心旺盛なので、質問せずにはいられない)、クレオールだそう。彼らはハイチ出身でした。

昨日乗ったタクシーの運転手さんは、もとはコロンビア出身で、その後ベネズエラに移り、その後マイアミに観光ビザで来て住み着き、レーガン大統領の「恩赦」にて、アメリカの市民権を獲得したそう。

以前はキューバ人が、のしていたこのあたりも、今は中南米の人が多いそうです。

今日は、仕事の後、人から聞いた「一押し」のレストラン(Tabel 8)に行ってみました。ところがレストランそのものは日・月とお休みで、外のバーしか開いてなかったのです。でも食事はレストランのメニューの一部を出すということで、バーでカクテルとワインを飲み、食事もしました。

噂どおり、食事はとってもおいしかった!!! (このレストランはRegentホテルの一部です。)

バーテンが、他のお客さんと話していて、彼がオハイオ出身ということを聞きつけた私は、彼に話しかけずにいられませんでした。ロバートという名のバーテンは、オハイオ州のヤングスタウン出身です。ヤングスタウンはオハイオの北東に位置した、工業都市・・・と言ってもいい町だと思います。

オハイオから来て、マイアミがとっても気に入っていると言う彼がちょっと不思議でした。私は、「オハイオほど人が親切なところはないのに、どうしてここが気に入っているの? サービスだってレベルが低いし・・・」なんて言ったら、「貴女の基準をここにあてはめちゃいけないよ。アメリカの一般的な基準はここには当てはまらないんだよ。」と言われてしまいました。確かにそうです。

私は現在、仕事の時に普段は泊まらないような安めのホテルに滞在しているのですが(というのも、クライアントが日本のお役所で、予算がきついらしい・・・)、とにかく唖然とすることが多いのです。一日の仕事を終えて、夕方部屋に戻っても、タオルが一枚もなかったり、朝食の勘定のレシートが他のお客さんのレシートと一緒になっていたり・・・。(私のカードにチャージされているわけじゃないのですが、レシートは1枚で、他のお客さんの払った分まで載っている・・・。ちょっと想像しがたい状況です。)

でも、ロバート曰く、これがマイアミのいいところで、彼の気に入っている点だそうです。

ロバートに、「オハイオには、あんなに親切な人が一杯いたのに、どうしてマイアミのほうがいいの?」と質問したら、「親切と言う意味ではオハイオ以上のところはないだろうけれど、閉鎖的な人々だし、視野が狭い」と言いました。確かに、彼の言う通りではあります。とっても保守的な環境だったから。

そこで、「個人的で政治的な質問だけれど、構わない?」と聞いたら、
彼は、「ぼくも、この会話を楽しんでいるからどうぞ」とのこと。
それで思い切って聞いてみました。
「あなた、民主党でしょ?」
彼の答えは、「Yes」
「やっぱりね。あなたが育った環境も民主党の環境だしね。」と、私。
「確かに」と、ロバート。でも、彼曰く、今の民主党には、共和党ほど方向性が決まっていなくて、足並みも揃っていないとのこと。そして、彼が付け加えたのは、「ボクは、日本の政治方針がとても良いと感じている。長期的なビジョンがあって、それに向って進んでいるから。」

勿論、私は「それは誤解だよ!」と言いましたよ。日本の政治に長期的なビジョンなんてあるものですか!

私が、彼に言ったのは、「少なくとも、アメリカじゃ大統領が変わると方針が変わるよね。でも日本じゃ誰が首相になっても、結局は同じなのよ。」

それに対するロバートの意見は、「アメリカだって、同じようなものだよ」

でも、私は彼に、言いました。「でも、もしも、現在まだクリントンが大統領だったら、イラク戦争は起きていなかったよね?」

「確かに、そうだね」と言うのが彼の答え。

でも、私が何より感銘を受けたのは、日本で、もしもこんな話を私がバーテンに仕向けたなら、多分「政治には興味ない」とか言って、私の会話には乗らなかったでしょう。そのことをロバートに告げると、彼はこういいました。

「意見を持っていることがアメリカ市民の義務なんだよ。市民の意見に基づいてアメリカは成り立っているんだ。民が意見を持っていることが、アメリカの国を支えている原動力で、そうじゃなければ、アメリカは成り立たない。」

いちバーテンダーにこれだけのことを言わしめる国、アメリカを再度見直した体験でした。

これからもっと、夜な夜なバーに出向こうかな。

2007年6月29日金曜日

疲れました(欠航)

先週の水曜から1週間、シンシナチに出稼ぎに行ってた。

キニコがいるので、安心して家を空けられる。

シナコは夕食を用意して冷蔵庫に入れ、チンしたら食べられる状態にして出かけても、夜10時過ぎに私が帰宅しても食べていない。チンするのが面倒だから、という理由で。

キニコに比べ、シナコのほうが外見も中身も私に似ている。

小さいときに高野豆腐をスポンジのごとく、おつゆを吸っては、再び鉢の中の汁に漬けて食べているのを発見した時には、我が目を疑った。・・・私が小さかったときと同じことをしている・・・。

ちなみに、姉の長男も私と似ているとよく言われていた。何と彼も同じように高野豆腐を食べていた・・・。

話は逸れたが、家族フリーの快適な1週間をシンシナチで過ごし、帰りの飛行場でのこと。7時のフライトに間に合うべく、途中で会議を抜け、空港へ。途中渋滞していたものの、なんとか間に合った。

出発までは30分。ゲートの側のMax & Ermaのカウンターに腰掛け、「取りあえずビール」を注文。「何でもいいからすぐに出来るものは?」

で、フレンチフライをあてに(「あて」って、関西弁だそう。つまみのことよ)、ビールを素早く流し込む。これで機内でグーグー寝られる。今日の席は3人掛けの真ん中。寝るでもして、さっさと時間が過ぎて欲しい。

15分前にゲートに戻る。しかし、私の目の前で出発予定時刻が8:30に変更。その後、8:50に。

しかし、お約束どおり8:50にはボーディングが始まり、エンジンが掛かり、滑走路へ向けて動き出した。早くも睡魔が襲ってくる。

が、しかし。これでは書くに値しないストーリー。

パイロットのアナウンスが入る。「ニューヨークが悪天候のため、ゲートに戻ります。次の状況アップデートは10時半です。空港の飲食店などは既に閉店していますが、希望とあれば一旦降りていただいても結構です。」

果たして、乗客の8割は機外に出て行った。私は3人席を独り占めし、斜め座りして本を読む。ニューヨークでお迎えを頼んでいたリムジン会社や自宅に連絡。

11時過ぎ、とうとうフライトは欠航に。

馬鹿な私は、一旦チェックインした荷物を戻してもらい、郊外のホテルに泊まろうと思った。翌日の予定は特にないし、ゆっくりと帰れば良いと思ったからだ。

とっころが、2時間待たされた挙句、「やっぱり一旦チェックインした荷物は、取り出せません」とのこと。しかたがない、空港の側のホテルに泊まるか・・・と、心を決めたのに、それから電話したホテルは全て満室。じゃ、レンタカーでも借りて、ちょっと離れたところのホテルに泊まろう、と思ったのだが、私の考えは甘かった。レンタカーは全て借りられていて、一台も残っていない。考えてみたら、そりゃそうだ。欠航で目的地にたどり着けなくなった人々が真っ先に考えるのは、陸路でたどり着くと言う事。

てな訳で、私は空港に足止めとなり、一夜を明かすことに。

しかし、驚いたのは、テレビで放映されている「空港の床に寝そべった人々」に私も成り下がるのかと覚悟を決めていたのに、空港側は手馴れたもので、簡易のキャンプ用寝台(多分、その上に寝袋を置く台座)、毛布、枕をたんまりと用意していて、床に寝ずに済んだのです。

最近のアメリカは、飛行機の欠航や遅れは日常茶飯事で、どうやら空港も慣れっこで、準備態勢が整っているよう。

しんどかったながらも、ユニークな体験で、私の好奇心を満たしてくれました。

2007年6月1日金曜日

コネチカット通信 その5

「ニューヨーク駐在妻ってさぞかし優雅な生活をおくっているんでしょう、レポートしてください」とのリクエストが何人からかあった。

ニューヨークの駐在員社会が華やかかりし頃は、きっと数十年前くらいまでで、最近は不況で人数は減ったとは言え、依然としてかなりの数の駐在者とその家族が住み、駐在層も幅広くなって、読んだことはないけれど、一昔前の本に描かれていた雰囲気とは全く違う、と思う。

逆にあまりの付き合いのなさに、驚いてしまうほど。

14年前にリヤドに夫が駐在となったときは、社内では5家族ほど、リヤド市内の日本人も100人程と、とても小さな日本人社会だったし、多くが同じ敷地内に住んでいたから、何かにつけ集まりがあり、それが楽しくもあり、場合によってはうっとおしくもあった。

オハイオ時代は、私自身は駐在員ではなく、単なる傍観者だったけれど、赴任家族に対しては会社が現地でオリエンテーションを行ったり、家族が利用できるセンターがあって、サポートが受けられる。まさに至れり尽くせり(と私の目には映った)の環境だった。

ま、そこまでのフォローはなくても、夫の会社は駐在員の数も、私が勤めたオハイオの会社と同程度だし、何らかの会社との係わりがあるのだろうと思っていたら、大きく予想が外れてしまった。

夫の転勤は4月。私たち家族が到着したのは8月。以降、会社からのコンタクトは一切なし。「ようこそ、いらしゃいました」も、「いかがされていますか」も、全くなし。

ま、これがめんどくさくなくていいって言う意見もあるでしょう。でも、なんちゅうか、本中華。「帯同家族には、ご主人をサポートしてほしい、それゆえ、これだけの補償しているんですから」なんて、人事に言われたんだから、そんなに私たちのサポートに期待しているなら、ちょっとくらい、ご機嫌伺いしてくれてもいいんじゃないの、なーんて思うのは私だけか。

つまり、家族が当地に馴染むも馴染まないも、全て夫の手腕にかかっている。我家の場合はたまたま私も娘も言葉には不自由しない。夫は着任直後から、週の殆どは出張している状態だし、こんな中で言葉の出来ない家族だったらどうなってたんだろう、と思ってしまう。それとも、そういう家族なら、ちゃぁんと会社のほうから、様子伺いとかあったのかしら。

でも、裏を返せば、強制的に参加しなくちゃいけないイベントもないわけで、超お気楽でもあるのだ。リヤド時代は、リヤドに住む全ての夫人を対象に、定期的に行われる食事会としての「婦人会」があり、当番制の準備も大変ながら、内容が充実していなければ文句を言う人すらいた。そんな中で、「婦人会に出たくありません!」なんて、所長夫人に訴えて、なだめられたこともあったっけ。

とにかく、こちらでは放ったらかしの中で、ちょっとぶつくさ言っていた9月ごろの話。ある奥様からお電話が。夫がそれなりの年齢に達したから、彼の肩書きには、ナンタラ長というものがついていて、会社の中で、この「ナンタラ長」という人たちの配偶者だけが集まる、花の名前を冠した会があるそうな。近々私ともう1人の歓迎会を開く、とのお知らせだった。

ナンタラ長は単身赴任者も多く、集まったのは5-6人。私は社内結婚じゃないし、夫の会社の奥方は上品でハイソな人が多いのではと、勝手にイメージして、緊張して参加したのだけど、なんかみんな、普通の人たちで安心してしまった。偶然1人は私と同じ大学だったし、もう1人はコロンビア大学で修士を取った人で、ふたりとも外国好きそうで、嬉しくなってしまった。って言っても、それ以降、特に深くお付き合いしているわけじゃないんですけど。

てなわけで、〇〇ざーますのよ、おほほほほ・・・なんてやらずに済んで、良かったぁ。その昔のリヤドの所長夫人は、そんな感じのとーってもお上品な方で、話すときには、私は緊張して、舌をかみそうになっていた。

お料理しました

交換留学生時代、南部出身の家族と暮らしたせいか、私は結構、南部料理が好き。

ってことで、昨日はブラックビーンスープを見よう見まねで作ってみた。一昨日マンハッタンで入ったパン屋さんが、ランチスペシャルでブラックビーンスープを出していたのだが、それを食べて自分でも作りたくなった。適当に作ったけれど、これがとても美味しかったのだ! おぜんざいが大好きなシナコも、美味しい美味しいと言ってた。ブラックビーンズは、お砂糖入れて作れば、立派なおぜんざいになる食感。

勿論スープには豆だけじゃなくて、ベーコン、トマト、人参、たまねぎ、オクラなんかも入っていたよ。これに、コーンミールを衣にしたオクラのフライも作った。もしもこれに、ナマズのフライやコーンブレッド、デザートにピーカンパイが付いたら、立派な南部ディナーになったなぁ。

でも夫が食べられるものも用意しなくちゃってことで、昨日はこれに、フライパンで作った牛フィレのたたき風+おろし醤油ソース、りんごとくるみ・レーズン・セロリのサラダ。おまけにポテトサラダやコロッケまであって、超豪勢だった。

ただ、シナコが、「ママって、豪勢なのはいいけど、なんかコンビネーションが悪いというか・・・。」生意気な。コロッケとポテトサラダは残っていたから、仕方なかったのさ。

その前日はって言うと、マンハッタンからの帰りに、チヨダ寿司ってところで、私とシナコにお寿司とお弁当を一つずつ買って、それでシナコが足りなかったら困るから、ポテトサラダとコロッケも買ったのに、お寿司だけでおなか一杯になっちゃって、残っちゃったんだよね。

夫の分? 夫はいつものように、白いご飯と鮭フレーク。嘘。彼はいつものように出張でした。

たまに、まともに料理したときくらい自慢しとかなくちゃ、私の株は下がる一方だからさ。

で、今夜のメニューはって? 勿論、ブラックビーンスープですがな。

インビジブル・フェンス

先日、ママちゃんがボクのためにInvisible Fenceを購入しようかと思い立ち、説明のためにセールスの人を家に呼んだ。このフェンスは、その名の通り目に見えないフェンス。Invisible Fenceは登録商標で、他にも類似品はたくさんある。類似品ではトラブルが起きていることもあり、ママちゃんは本家本元の会社の製品を購入しようとしたのだ。

説明を聞くと、家の四方を囲むようにワイヤを地中に埋め込み、ボクは特別な首輪をする。ワイヤに2mくらい近づくと、まずは首輪から警告音が出て、更に近づくと首輪の内側の電極の突起が僕の肌にビリビリってショックを与える仕組みらしい。

何でママちゃんがこのフェンスを買おうと思ったかというと、ボクのためというよりは、本当は自分のためなのだ。裏庭には木製のフェンスが張り巡らされているけれど、フェンスの下には隙間が空いているし、ある部分ではフェンスとフェンスの間にも隙間がある。ボクがこの隙間を見逃すはずはない。最初の頃はおとなしく庭の中にいたけれど、だんだん庭にも飽きちゃったし、隣の庭にはリスもウサギも走っているし、どうしても後を追いたくなるんだよね。

で、何度も庭からエスケープを繰り返していたら、業を煮やしたママちゃんは長~い綱にボクを繋ぐようになった。ところが庭には木が生えてるし、2段になった庭の、上の段のタイルとタイルの間の隙間に、しょっちゅうボクの綱が入り込んで、動けなくなってしまう。そのたびにボクは「く~ん」と悲しげな鳴き声をあげて、助けを求めるんだけれど、どうやら僕を助けに外に出て行くのがママちゃんはメンドクサイらしい。

Invisible Fenceの広告が入り、今なら599ドル!という文句に、興味をそそられて、早速電話したらしい。599ドルで2エーカーまでらしいけれど、うちの家の土地なんて1エーカーもないちっぽけなものだから、裏庭のみならず前の庭も全部カバーできる。自分でまがい物を買ってきて取り付けてもいいのだが、前庭にはアスファルトのドライブウェイがあり、ワイヤを埋め込むには、このアスファルトを切り込んでワイヤを埋めてから再びカバーするという作業が必要。これはなかなか素人じゃ難しい。

インビジブル・フェンスを導入しても、その後きちんと犬を訓練しなくちゃならないんだって。たいていの犬はすぐに学習するらしい。一番訓練が難しいのが、ジャックラッセルやビーグルの類。つまり、ジャックラッセルの親戚であるラットテリアのボクは、一番訓練が難しいタイプらしい。動物を見ると、どうにも我慢できなくなっちゃうんだもん。でも訓練用のビデオも付いているし、「99%の犬は、大丈夫です」とセールスのおばちゃんは自信を持っていた。「この子は頭はいいんですよ」と、決してキニコやシナコを褒めないくせに、僕のことは褒めていたので嬉しかった。

説明を聞いてすっかり買う気になったママちゃんだったが、そこはパパちゃんに相談してからと、一応パパちゃんを立てて、その時は契約にはサインしなかった。

夜、パパちゃんに話をしていた。パパちゃんは、だいたい元々ボクのことがあんまり好きじゃない。「ファミリールームのカーペットを敷きたいと思いながら、お金がないから我慢しているのに、このクソ犬のために600ドルだと。俺は反対だね」と冷たい。最近は自分の稼ぎがなくて、発言権が弱まったママちゃんは、あきらめきれないまでも、もう少し待つかって雰囲気。

そしたら、今日、アメリカのお母さんから電話があって、話しているのを聞いてしまった。「600ドルもするから、夫も二の足を踏んでいるのよ」とママちゃんが言うと、「それじゃあ、あの犬よりも高いじゃない!」 それを聞いて、「ほーんとだ、もったいない」と、ママちゃんはすっかり納得してしまったみたい。

ちぇ・・・。

でもさ、去年の暮れ、獣医に連れて行かれて予防接種を打たれたら、ひどいアレルギー反応で目が開かなくなるまで顔は腫れるわ、熱は出るわで、あわてて再び獣医に連れて行かれて、中和剤を打たれて、赤ちゃん用のアレルギーの飲み薬まで飲まされて。あの時の予防接種と中和剤・薬の値段がしめて400ドルだったから、ボクの価値は、もう800ドルは優に越えているんだけどなぁ。