2008年5月2日金曜日

わたしのペット史

実家では、イヌもネコも飼っていた。犬は常に外犬でオス、猫は常にメスだった。

最初のイヌはシェパードと柴犬の混血で、ラッキーと言う名の不幸なイヌだった。子犬でもらわれて来たが、訓練もされずに「あほ犬」呼ばわりされ、気がついたら保険所行きになっていた・・・。これまたアホな三人娘がまだ小学生になる前の話。

余談だが、ラッキーにまつわる三女の話。ある日母は、庭の七輪で魚を焼いていた。ラッキーが盗まぬよう、「見張っていてね」と三女に頼んで家の中へ。しばらくして戻ると、七輪に乗っていたはずの魚が消えている。思わず「ラッキー!」と叱る。ふと横を見ると、口の周りにこげた魚の皮をいっぱいつけた三女が満足気に微笑んでいた。

次が最初のネコのミミコ。これまた三人娘、特に次女に「猫かわいがり」と呼ばれる虐待を受けていた。ネコが落ちるときは必ず足から降り立つと聞き、好奇心旺盛な次女は、塀の上(屋根の上だったか)からネコを落とし、ちゃんと足から落ちるか実験した。また2本の前足と2本の後ろ足を、両の手にそれぞれ握って、自分の首の周りにぐるりと巻きつけ「ネコのえりまき~」と、得意げに友達に見せた。

三人娘が小学生の頃、実家を建て替えるために、3ヶ月ほど近所のアパートに引越した。ミミコはこれ幸いとアパートにはついて来ず、そのまま実家に残ったので、母が毎日餌を運んだ。そのうち、お向いの人が、「食事はうちであげますよ」とミミコに餌を与えてくださるようになった。3ヵ月後、ミミコは我が家に戻らなかった。お向いのお姉さんの香水の香りを漂わせ、あちらの家の塀から見下ろしている。呼んでもフンという顔。次女の虐待から解放され、ミミコは幸せに暮らしましたとさ、めでたし、めでたし。

次女が中学1年生のとき、近所の家で子犬が産まれた。毛がむくむくして可愛かった。我が家にやってきて、ムクと名づけられた。この頃より次女はようやく動物愛に目覚め、虐待はしなくなった。長女、三女がいい加減な散歩にしか連れ出さない中、次女は頻繁に散歩に連れて行ってやった。シャンプーしたり、毛を刈ったり、時にはマジックでメガネや眉毛を書き込んで、おしゃれもさせてやった。

1年ほどして、長女がチビと言う名の、長女と同じく貧相でチビな子犬を拾ってきた。ムクとチビは馬が合い、兄弟のように暮らした。

次女が高校2年生のとき、学校に迷いネコがやってきた。とても人懐こいネコで、帰宅する次女について来た。「ステやん」と呼ばれた。「捨て猫」だから、と思われていたが、本名が「ステファニー」と言うことは余り知られていない。超人懐こく、とっても可愛がってあげたのに、ある日誰かについていってしまったのか、帰ってこなかった。

しばらくして、弟(そう、この三人娘には年の離れた弟がいた)が雨の中、段ボール箱の中に捨てられて弱りきった子猫を拾ってきた。よったり、よったりとしか歩けなかった。そのネコはヨッタリと呼ばれた。よっちゃんは、拾い主に似て、あまり利発ではなかった。しかもやきもち焼きだった。来客があると、来客の持ち物にいたずらしたり、洗いたての洗濯物におしっこをするなどの、嫌がらせをした。余りの悪態ぶりに母も常に頭を悩ませていた。ある日、結婚した長女が、初めての出産で帰省することになり、赤ん坊にいたずらをしたら・・・と恐れた母は、よったりを自転車に乗せて遠いところに捨ててしまった。赤ん坊の顔を観るまで、生まれた子の顔が「猫面」だったら・・・とずっと母は怯えていた。

2年後、長女は近所で黒猫を拾い、飼えないからと実家に押しつけた。ヨッタリへの罪滅ぼしと、再び飼うことに。名前はクララ。アルプスの少女ファンの母は、ハイジの友達のクララから取ったという言うが、クロ猫だからクララという単純な発想だということは明らか。その1年後、クララがモモを生んだ。母は、「山口百恵が好きだから」と言うが、クララにモモと言うなんの脈略もない名づけに、母のセンスが推し量られる。

この後、相次いで次女も三女も実家を出て、残ったのは両親、利発でない弟、ムク、チビ、クララにモモ。

母は、ペットが死ぬ度に、遠方に住んでいた次女に黒い縁取りのある手紙を送った。初めて受け取ったときは、どなたが・・・と思って封を切ったが、中身は、「ムク逝去」、「チビ臨終」、「クララ死去」のお知らせだった。

ある日、老猫となったモモが、実家のガレージで寝そべっていた。仕事から戻ったあまり利発でない弟が、バックで車をガレージに入れようとすると、のそのそと、ガレージを離れるモモだった。が、その日は耳も聞こえなくなっていたのか、モモはその場を動かなかった。「ギャー!」と言う声に驚いて見ると、モモが車に轢かれていた。利発ではないが人一倍優しい弟は慌てふためき、急いで獣医へ。何とか一命は取り留めたものの、下半身不随に。

あわや寝たきり老猫かと思ったが、数ヶ月の母のマッサージとリハビリの甲斐あり、モモはみごとに普通の生活ができるまで復活した。それからしばらく生きていたが、数年前、17歳?で息を引き取った。

+++++

実はこのほか、シマリス、セキセイインコ、亀も飼っていた。

シマリスのポリーには、籠から指を入れた時に血が出るくらい深くかまれて、思わず籠を蹴っ飛ばした。籠が上下さかさまになって扉が開き、逃げ出してしまった。さようなら、3000円!(1975年の話)。

セキセイインコのチー子は、真夏に、風通しが良いように庭の木の枝に籠をぶら下げてあげた。が、すっかり忘れて、気がついたときは籠の床に転がっていた。炎天下の日光にさらされて、水入れも空っぽだった・・・。哀れなチー子には、自作の哀悼歌を歌ってお別れした。

金魚鉢で金魚と共存していた亀。ところが突如、金魚が尾ひれの溶け出す恐ろしい病気にかかってしまった。日に日に尾ひれが小さくなって、ついには泳げなくなり、水槽に浮かんでしまう病気だ・・・と思っていたら、ある日、亀が金魚を食べているのを目撃。急遽、亀を小学校の池に放しに行った。

+++++

さて、長女と三女は、現在ネコを飼っている。実家では常に犬は外で、ネコは家の中で飼っていたから、身近な動物のほうが可愛くて、二人はネコ派だ。

次女もずっとネコ派だった。が、娘たちにせがまれて、6年前にとうとう犬を飼った。気分屋なところが可愛いと思っていたネコだったが、家の中で犬を飼ってみて、ころっとイヌ派に寝返った。つれなくされても、叱られても、常にぴたっと寄り添って来て、気分屋のところがなく、いつでも大喜びでいそいそと主人を迎える犬の可愛いこと!

それとも、あまりに憎たらしい娘たちの反動で、従順な犬が可愛く思えるのだろうか。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

こんばんは。
まずは娘さんの進路ほぼ決定おめでとうございます。
勝手に(!)自分のブログからリンクしていたため(ごめん)、妹も真剣に読ませていただいていたようで、今日妹とあった時に「それにしてもアメリカの大学って大変やなぁ」と言っておりました。

さて、私がジョダコさんのおうちにお伺いしたとき、まだ弟さんはかなりちっちゃかったような記憶がありますが、それとともに鮮明な記憶は

一部屋丸々がタンス(衣装?)部屋
ネコちゃんがいっぱい(子猫もいたよな)

です。何で泊めてもらったのかは全然記憶にないんですが、その節はお世話になりましたm(_._)m

Jodako さんのコメント...

eriちゃん

えー、うちに遊びに来たことがあったなんて、私の記憶も欠落していました。子猫がいたってことは、ちょうどモモが生まれた時だね。クララに避妊手術をしようとしていた矢先に御懐妊で、5匹も産んだのです。そのうちクララにそっくりの1匹を・・・名前が思い出せないんだけど、KDDの同僚(多分えりちゃんの同期)で関学で淡路島出身の・・・彼女にもらってもらったのです。実家のネコが死んじゃったからちょうどいいって。あー、彼女の名前、なんて言ったっけ・・・。あの時、可愛い子ネコはすぐに貰い手が見つかったんだけど、どこにも貰い手がなかったのがモモでした。
一部屋がダンスだらけ? 2階の客間のことかな。死んだ曾祖母の桐の箪笥が二つあったから。だーれも着ない着物とか入ってた。そう言えば、震災後建て替えた実家に、あの箪笥は見当たらない・・・。どこに行ったんだろう?

匿名 さんのコメント...

O島さんだね。なぜだかもう一人のOか安さんとともによーく覚えてるわ~。

タンス部屋・・・じゃなくてベッド部屋だったのかなぁ?とにかく「不思議な部屋だなぁ」って思ったのよ。

あれが後にも先にも一回きりのA屋だったわ~。

Jodako さんのコメント...

O島るり子ちゃんだったね!そうだった、そうだった。

ベッド部屋かぁ。それは2階の子供部屋かな。ここには作りつけの2段ベッドがあったから。作りつけのベッドなんて普通ないから、それじゃないかな。多分当時は弟の部屋だったと思う。