2009年3月30日月曜日

認知症

突然ですが、日本に一時帰国します。
4月1日に出て、2日の夜に到着。12日までいる予定。

ブラジルから戻って、ブラジルのことも書きつくせぬまま、嬉しいことに立て続けに仕事の予定があり、そうこうしているうちに、義母の様子が悪化し、急遽帰ることに。

義母はもともと片目の視力がないところに、大阪で一人暮らし。2人兄弟の夫の兄は関東に住んでいる。少なくとも夫よりはずっと優しいと思われる兄は、年末年始や夏休みには義母を関東に呼び寄せていたし、義母の様子がおかしいと感じ始めてからは、1-2ヶ月に一度は大阪に様子を見に出掛けていた。

去年2月に私たちが帰ったとき、やはり義母の物忘れが激しいことには気付いてはいた。でも年齢からして多少の物忘れは仕方がないし、私だってこのところめっきり記憶力が悪くなって、コイオにもお前大丈夫かと言われるくらいだから、あまり深刻には考えてなかった。

でも夏辺りから、ちょっとこれは・・・と思うようになり、去年11月に会った時には、やっぱり一度見てもらったほうが良いし、一人暮らしは心配なので、何らかの介護サービスを入れたほうが良いと感じた。

たまたま私の実姉がケアマネージャーをしている。お陰で、どんなサービスがあり、どう手続きするのかを詳しく教えてもらい、義兄が手続きを始めていた。

実姉はかなり昔、メークアップアーチストになる!と、大枚をはたいて学校に通い始めていたが、何の事情か行けなくなって、挫折。義兄(姉の夫)にも「お金をドブに捨てよった」と言われていた。それからしばらくたって、ケアマネージャーになる!と資格試験を受け、何度目かの挑戦で合格。私は、つくづく、あの時お金をドブに捨ててくれて良かったと感じている。だって、メークアップアーチストで私たちが受けられる恩恵は、せいぜい、キニコとシナコの結婚式に、田舎臭いお化粧をしてもらうのが関の山。義母のことでは、姉に相談に乗ってもらって、ほんに心強い。

サービスを導入するための手続きとして、介護度の認定手続きや、認知症があるかどうかの医師の診断手続きを始めた。認定前でも仮でサービスを受けることができるので、そのように勧めたかったが、義母の抵抗がすごかった。本人としては、他人の手助けは必要ないと思っているのだ。

その反面、「もう一人では暮らしたくない」と義兄に同居を懇願。義兄もその心積もりはあるものの、今すぐ実行できる環境が整っていない。去年の夏休みには、まずは練習とばかり、義母を呼び寄せたものの、義母の家族に対する暴言、暴力はひどく、「こんな所では暮らせないから帰る!」と怒り出し、すぐに大阪に戻す事になった。もともと気の強い義母だっただけに、当時は、これが認知症の影響だとは思っていなかった。

ちなみに、暴言、暴力などの周辺症状が、認知症で一番困る部分なのだ・・・と言うことも、私は徐々に理解するようになる。

お正月も同じような結果に終わった。その後、正式に介護度1の認定と、医師の診断で認知症と診断された。診断結果に動揺したのか、義母の状態は加速的に悪化している。先週は、義兄を孫だと思って話し掛けたそうだ。白髪頭だから、孫に間違うはずがない。

大阪で一人でいるときは、義兄の携帯に昼夜を問わず毎日のように電話があり、一人にしないでと泣く。またATMの暗証番号を忘れ、義兄に再発行の手続きを細かに説明されて、指示を書いたメモを持って銀行に行きながら、何故か通帳の再発行の手続きを始めたり。このときは、義兄が銀行に電話して発覚。実は通帳はちゃん持って銀行に行ってるのだ。コイオの会社にも息子と連絡が取れなくなりました、と電話。うちの電話番号を書いた紙が見当たらず、直ぐに電話したかったらしく、東京の本社に電話をしていた。認知症の進行防止の薬を飲むのも忘れてしまう。

毎日の電話攻撃に辟易し、一週間前、義兄は母親を一時的に呼び寄せた。
しかし・・・また、同じことの繰り返し。家族に対する罵倒。そして誰かが誰かをかばうと、「みんなで私を敵にして」と激昂し、つかみかかったりする。そして、「もう帰る!」となり、昨日は既に大阪に帰宅していた。

今度と言う今度は義兄も疲れ果て、兄嫁にいたっては、夏から体重が激減。私としては彼女の精神状態のほうが心配なくらい。

本人が大阪で暮らすと言うからには(きっとまたすぐに気が変わるに違いないが)、とにかく一人暮らしできるように整えねばならない。たった10日ほどで何が出来るのかもわからないが、とりあえず帰国して様子を見てきます。

アマゾンとブックオフで認知症に関する本も一杯注文したし、勉強します。

しかし、友人にこの話をしたら、家族が認知症だという人の何と多いこと。
高齢化日本をしみじみ感じるのであります。

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