本を読みながら、何度も何度も本の内容から離れて考え込んでしまった。
日本にいると、いかに日本が男尊女卑的な社会か、半ば感覚が麻痺してわからなくなってしまう。
でも、海外にいると、そんなところが浮き彫りにされ、余計にそれを強く感じるのだ。
一昔前の日本は、ある面それも致し方のない部分もあっただろう。情報もなければ、社会的に受け入れられていた部分があるからだ。それが、徐々にこれではいけないと言う意識と理解が世界的にも得られて来たにも関わらず、生活が近代化し質が向上した日本社会が、精神的な発展を殆ど遂げていないのはどうしてだろう。
それは、社会の中枢にいる男性が、そう言う考えを浸透させないがための制度を維持しようとしているからではないか。女性の進出を妨げ、妨げられたが故に社会的に身分の低い女性を、あざ笑い、あざ笑うことで自分の優位性を誇示しようとする。
このブログを読んでいる男性は、俺はそう言う人間じゃないと思っていることでしょう。でも、果たしてそうでしょうか。きっと多かれ少なかれ、自分が優位な立場にあることから満足感を得ているんじゃないでしょうか。
「妻より稼ぎが良い」と言うのが、優位性を感じる最も大きな要因だと思う。何を隠そう、家の中のことをたくさん手伝ってくれる、一般的にはとても「よく出来た」我が夫ですら、「俺より稼いでから言ってくれ」と言ったことがある。彼にとっては何気ない言葉だったかも知れないが、私はかなり悔しい思いをした。(未だに覚えているほどだもん。)
でも私が彼より稼げないのは、単に私の能力が彼より劣っているからだろうか? そうじゃない。社会のシステムがそうさせているのだ。おそらく私が男だったら全く違っていただろう。(そうじゃ、なかったりして。)
念のため、この本はDVの本だが、肉体的な暴力と言うより、主に精神的な暴力としてのDVについて書かれた本である。だから、被害者である女性にではなく、男性諸君に、是非とも読んで欲しい本である。加害者としての男性には、全く加害者としての意識がないから、この本を読むことで、女性たちがどう感じているのか是非とも気づいて欲しい。
「愛は傷つけない」を読んでみたい方は、下記のサイトからメールにて注文を入れてね。
http://www.caretheworld.com/japanese/books/books.html
私の体験で、こんな例がある。ある日本人管理職男性が、部下に当たるある女性のアメリカ人マネージャーに言った。
「キミは、女性なのに、非常に良くやってくれている。本当に感謝しているよ。」
通訳をしている私は固まった。はて、このまま訳して良いだろうか?
即座の判断は、「女性なのに」を飛ばすことだった。うっかり口が滑ったかも知れないと、良心的に解釈したからだ。
しかし、その後も彼は、たびたび、「女性なのに」を連発した。以降は、きっちり訳させて頂いた。それは彼の考え方の根幹にあるものを、この女性にもしっかり伝える必要があると思ったからだ。
日本人男性の考え方の根底には、無意識にもこんな思いがしみこんでいるのではないだろうか。
もうひとつ、この本にあったある女性の話で共鳴した点がある。私の常々の思いが、その文章に的確に表されていた。そのまま引用させてもらう。
「夫の転勤が決まってから2週間は殆ど家に帰ってきませんでした。その間、私は引越しの手配、学校の手配、など全て自分でしました。企業は子供への教育アドバイザーを設置するものの、妻の今の仕事をどうするか、妻の海外でのキャリア、帰国後の仕事への復帰など考えもおよばないでしょう。これは子供以下の扱いです。彼らは妻が仕事をやめ、夫についていくのは当然と見ています。妻の人生に対する尊敬の念が夫にも、企業側にもありません。」
企業側にすれば、夫についていくのが当然ではなく、夫が単身で行き、妻や子供は残るというオプションも与えている、と言うのでしょう。そう言うことを言っているのではなく、帯同するための便宜をもっと図ってくれてもいいと思うのだ。会社からのフォローは全くなしで、アメリカで働きたければ、これこれこういう憂目に会いますが、それは覚悟の上でね、なんて、余りにあんまりだ。
それと、今回のブログの文頭に書いた海外で初めて浮き彫りになる日本社会の男尊女卑・・・って言うか、女性排他主義と言ったほうがもっと正確かな。
アメリカに来たら、いたるところで夫婦同伴の機会があるだろう、と思っていたら大間違いであった。仮にも日本の有名企業でグローバルに仕事をしている夫の会社。郷に入れば郷に従えで、アメリカ文化を受け入れているのかと思いきや、夫の企業のみならず、どの日系企業もまるっきりドメドメな習慣・文化をニューヨークに持ち込んでいるのだと発見。(オハイオで仕事していた会社は違ったんだけど、日系企業マイナーなオハイオじゃ、地域に溶け込む努力を図っているが、「日本」と言って大きな顔ができるNYでは事情が違うのだと思う。)
何も日本文化を前面的に否定する気はない。でも、夫の仕事と言う点で、家族を排除するような、家族の存在を無視するような、そんな習慣、どうなんだろう。(もちろん、日本にいる間はそれが当たり前で、みんな疑問にも思わないわけだが。)夫の会社も、あたかも自分の会社のように愛したいと思っても、残念ながら、この2年間で私の気持ちは後ろ向きになるばかりだ。
会社の集まりは、男だけか、妻だけ。だれがよその奥さんに会って楽しいのだ。(いや、楽しい時もあるけど。)でも、私が会いたいのは、夫が一緒に仕事をしている人の奥さんではなく、一緒に仕事をしている人そのものだ。その人たちを知れば、共通の知人も増える。「xxさんの奥さんの○○さんは・・・」なんて話をしても、夫は上の空だもん。
日系人社会が小さかったサウジ時代は、家族ぐるみでお付き合いが出来た。夫婦共通の友人ができた。正直言って、我が家が最も輝いていた、最も楽しかった時代だ。
ところが、NYに来てからは、日本人社会がデカ過ぎるから、そう言う集まりはなくなった。同時に妻の存在も無視されるに至った。(無視はされても、簡単には自由にはさせてくれないのだ。)
先日も、夫だけが、日系企業とニューヨークにある日本人関連組織、および日本と利害のある米国企業の出席するディナーパーティーに出た。何でもブラックタイ(正装)で出席を要求される立派なディナーパーティーである。それに、夫が一人で出席すると言うのだ。ブラックタイで男だけ? 私はのけぞった。
夫が持ち帰ったパーティーの出席者リストを、早速色分けしてチェック。(私も暇と言うか、こだわると言うか。)ざっと見て400名くらいの出席者の中で、出席者の内訳は下記の通り:
日本人のカップル: 18組
アメリカ人カップル: 23組
日本人女性(単身): 19人
アメリカ人女性(単身):68人
野郎の単身: 約230人 (多分4分の1は日本人)
出席者の大半が単身の男性と言うのを見て、いかに考え方に隔たりがあるか、上記の数は如実に伝えている。思うにアメリカ人男性で単身で出席した人の中には、「どうせ日本人はみんな単身で参加するんだから、釣り合いが取れない」と、妻を伴うことをやめた人も多いだろう。
このディナーは1972年から続いている伝統的なものらしく、40年近くたったNYでもこの状態だなんて、日本での「女性排他主義」は、おそらく止むことはないんだろう。
ちなみに、「なんで、私は招待されないのよ~! ブラックタイで男だけなんて馬鹿みたい!」という言葉に対して、夫は、
「俺かて、行きたいわけやない。それに、高いディナーなんやで。」
行きたくなきゃ私が行ってやるのに。女には高いディナーを食べる値打ちもないってわけ?
4 件のコメント:
jodakoちゃん、ここではおひさ~。
ちょっと見ないうちに、マッハで更新していたのね。相変わらずパワフルで感服。
ノーラさんとの出会いが、
jodakoの人生でいいポイントになっているようで、本当によかった。
確かにご縁って、ともすると突拍子もなかったりして不思議だけれど、
実は出会うべき理由や背景が、ちゃんとあるんじゃないかと私も思う。
だから、やっぱり出会いやご縁は大切にしたいね。
それにしても、マッサージチェア、嫁入り先が見つかってよかったわ。
我が家のマッサージチェアは、ギィギィ声を出しながらもまだ現役でがんばってます。
キニコもシナコも素敵な女性になったね。
お互い、今度は自らのオンナを磨きましょ♪
tentenちゃん
なんだか忙しいときのほうが、色々とやりたくなるみたい。超暇という時ほど、何にもやってないときのほうが多い。
最近、肩こりましなんだよな~。どうしてだろう。
オンナを磨くには、まずはシェイプアップだけど、エクササイズだけはアカン(続かん)。
一昨日、Wiiスポーツをキニコとシナコとやって、私はテニス、野球、ボーリングとゴルフを1回ずつやっただけやのに、今日は手が筋肉痛です・・・。
ジョダコ
「愛は傷つけない」についての感想、ありがとうございました。感想を読ませていただき、さらに私自身、書いたものとして、またまた考えさせられました。そうか、私は他の人とはちょっと違う視点を持っているのかもしれないということ。そう、日本の外に出て、日本の様子を見ていることがあるのかもしれない。いや、きっと両方見えてるのでしょう。そういう点では、海外にいてこそ見えてる点が多々あると思います。特にアメリカ人の男性と接していると、respect をしている人、ってこういう人のことをいうんだろうなと驚くことがあります。なかなかそういう状況を日本ではみかけないのが現実。日本ではまだまだ ladies first という概念がないし、それが浸透しているアメリカで感じることがいっぱいあります。それでも崩れてきたと言えども、まだまだ残ってます。男性の本当のやさしさとか、強さってそういうことじゃないかな?自分に自信があるからこそでてくるものなのでしょう。すごく抽象的に、半分自分の頭の中で理解していることw書いてしまいました。あしからず。 ノーラ・コーリ
西洋じゃ当たり前にレディーファースト。本当にリスペクトを感じてやっている人ばかりじゃないでしょう。半ば習慣ですから。でもドアをあけてもらったり、行く手をさっと譲られたりすると、素直に嬉しいですよね。
そう言う対応に慣れてしまっていて、仕事で、日本人のお客さんと一緒のときに、思わず自分が先頭に立ってエレベーターを一番に降りたりして・・・思わず言い訳するときもあります。
アメリカの会社では女性の上司や同僚が多いですよね。見ていると男性のほうも素直に上下もしくは対等の関係を保てているようです。
日本でも職種に寄ってはこんな関係が当たり前になっているところもあるでしょう。でも伝統的に男性優位、男性が多数を占める企業や政界では、まだまだ道のりは通そうですね。
コメントを投稿