2008年1月6日日曜日

フェミニズム

一昔前はウーマンリブと呼ばれたこの言葉。

今日は、フェミニズムに関する私の考えをちょっと書いてみる。

きっかけは、この前の「予備選挙」に対するMayukoさんからのコメント。コメントとして返答したら、きっと長くなる過ぎると思ったから。

確かにフェミニズム発祥の地でもあるアメリカで、未だに女性の大統領が誕生していないのは少し不思議でもある。イスラムの国、パキスタンですら女性首相がいたことも考えれば尚更。

ウーマンリブ、フェミニズム運動の先駆者たちが、これまでになし遂げた功績は大きいと思う。けれど、これからの時代のフェミニズムは、少し方向性が変わった方がいいんじゃないか。いや変わるべき、変わって欲しい。

私は、女性の敵は女性だと思っている。女性は、自分のことは棚に挙げて、同性に対して厳しくなりがち。あるいは、自分がこれだけやっているのだから、同じことを同性の他人に求めてしまう。同性に対しての思いやりに欠けるというか、採点が辛くなる。こういう傾向があると思う。

だから必ずしも女性の管理者が女性の部下に対して、良い上司とは成り得ない。女性の大統領、首相を持った経験がないので、実際に政治の舞台ではどうなのかわからないけれど、少なくともこれまで日本が輩出してきた女性の政治家で、素晴らしいと思える人はいなかった。少子化対策を担当している大臣(名前も忘れた、あのダサい服装のおばちゃん)も、女性ならではの、女性の立場にたっての手腕を発揮しているかといえば、私の目から見たおばちゃんは、根本的に問題がわかってないんじゃないの、と思ってしまう。(少子化対策の件は、また別の機会に書きたいと思う。)

で、今日は、斬新な?私のフェミニズム哲学を披露したい。

先ほども書いたように、この考えは、先人の功績によって随分と改善された現状を踏まえた上でのものであることを強調しておきたい。改善されたと言っても、まだまだ十分ではない。そこで、今後さらに満足のいく社会を実現するための提言である。

まず男と女は決して平等ではあり得ないこと。肉体的には勿論のこと、精神的にも違っている。世の中には、男の役割と女の役割が存在する。それは、社会的な仕組みがあるから存在するものではなく、人間としての、動物としての本能として、分担が存在しているということ。

つまり、女には相手の男性と子供たちの世話をしたい、しなければならないと言う気持ちが、男には外で働いて、家族を支えたい、支えなければならないという気持ちが自然に強くある。また女には守られたいという気持ちがあり、男は守りたいという気持ちがある。それに逆らって生きると、どこかしらストレスを感じるものなのである。

但し、その本能だけが満たされれば満足出来るかと言えばそうじゃない。仕事などを通して、家庭内のみならず、社会的にも認められたいという欲求もある。現在の社会のシステムでは、家庭内と社会で認知を得るには、まだまだ女性の方にハードルが高い。女性がより容易にこれを達成するにはどうすれば良いか。

それは、このような本能的役割分担を前提とした平等を達成すれば良いのだ!

つまり、女性が外で仕事をする時間は男性の5分の3でよい。残りの5分の2は、自分の家庭で、家族のために費やしてよい。しかし、この5分の2の時間も、家族、強いては社会を支えている「労働時間」であるからして、この分の社会的役割の報酬をも給与に含むのである。

つまり、100%会社で仕事をしている男性と、60%会社で仕事をしている女性は、同じ給与をもらうのだ。あるいは100%仕事をしても、60%の仕事でも同じ役職に就くことが出来る。40%分はサポートの人員をつけることを会社が保証すればいい。または、100%の仕事をする女性には、家庭を犠牲にしているストレスに対する対価として、40%増の報酬を与える。


社内では、「女性なのに」とか「女性の癖に」という言葉は禁物。代わって頻繁に使われる言葉は、「女性だから」、「女性なので」となる。

用例は、
「女性なので、有給休暇も1.4倍ですよ。」
「女性だから、無理しないでね。」
「女性なので、労わってあげましょう。」
などである。


ドアは勿論、男性社員が率先して開ける。重たい荷物は男性社員が運ぶ。椅子は引いてあげる。

こうやって、優しく労わられると、自然と「ま、お茶でも入れてあげるかな」と、「なんで、女がお茶汲みさせられるのよっ!」といった、強いられた労働としてのお茶汲みではなく、本能として、男性を労わる気分が沸いてくるのかもしれない。(その保証はないが・・・、ひょっとしてらそういう気分になる可能性もなきにしはあらず。)

これでパートの主婦の時給も上がる。パートをしている主婦の仕事は社会的にも家庭内でも軽く見られがちである。これが彼女たちのストレスをさらに高めているのではないだろうか。時給が男性より1.4倍であるのは、言ってみれば当たり前。パートに出るために、家庭の仕事を能率的にこなす努力をしたり、あるいはやらねばならないことが出来ずにいるストレスは、目に見えないながらもかなりある。それなのに、一般的には、「お前がパートで稼ぐ金なんか・・・」と、夫には見られがちなのである。

社会的弱者である女性を、社会的に平等な立場にするのではなく、社会的弱者という立場を認めてそれに対する保証を支払って、「君は弱者のままでいいのだよ」と優しく労わる。それが、ジョダコ式フェミニズムである。

異論は?

追記:
但し、この社会的弱者としてのフェミニズムの対象者は、あくまで「家族のいる」女性に対してのみ与えられる特権であるべきだ。つまり、配偶者、子供、あるいは世話をしている家族(親、兄弟など)のいる女性である。独身でお気楽な女性は、独身男性と同じく、家庭における役割はなさそうなので、その必要はないだろう。それと、男性でも、何かの事情で中心的に家族の世話をしている人は、やはりこの制度に甘んじることができるべきだ。
うん、こうすれば結婚するメリットも子供を生むメリットもあるから、少子化対策にもなるよ、猪口さん。

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