2009年2月10日火曜日

ガザとイスラエル

父親がテレビに向かって意見しているのを横目に見ながら育ったせいか、私も国会中継、報道番組、討論会なんかを観ると、気がつくとテレビに向かって叫んでいる。

しかし、このところの報道は、どれを取っても何を見ても--銀行救済、役員のボーナス・給与、解雇、製造業の苦境・倒産--私の目からは理不尽で、腹が立つよりも気分の滅入ることが多い。しかも私が一生懸命考えたって、ちっとも世の中が良くなるわけじゃないし、考える事によって、自分の気が滅入ってしまう。下手な考え休むににたり。もう考えるのはよそうと思った矢先。

知人がブログにイスラエルのガザ攻撃について書いていた。もう数週間も前の話。当時書き入れた私のコメントに対して、すっかり忘れた今頃になってメールが来た。知人はユダヤ系。(ちなみに彼もテレビに向かって叫ぶタイプ。)アラブに住んだことのある私は、アラブ人に親近感を抱いている部分がある。(また後から知ったことだが、一般的に日本のメディアはパレスチナ寄りの報道が多いらしい。・・・って言うか、アメリカがイスラエル寄りか。)

それからが大変。私の返信に、矢のように私を諭す、或いは挑戦するメールがやって来る。彼は歴史的政治的な知識も豊富だし、浅学の私の意見に対して細かく付いてくる。確かにハマスのやり方は汚い。でもどうしても、ガザとイスラエルの犠牲者数を単純に比較すると、イスラエルの行動を肯定することはできないのだ。

そんなわけで、何度メールを往復させても、私たちの意見はすれ違い。友人である私たち2人が合意しないのに、パレスチナ問題が解決するはずもない。どうすればいいのかって聞かれたって、そんなこと知っていたらノーベル平和賞ものだ。

こうなると、そのことばかり考え出す。本を読んでいても、気がついたら文字を追っていなくて、ガザのことを考えている。不可能とは思いつつ、できるものなら、イスラエルと言う国はあきらめてもらって、ユダヤ人とアラブ人が共存するイスラチナかパレラエルという国を建国して、国土は出来る限り細かいモザイク状に分割。アラブ人なら、必ずお隣がユダヤ人になるように、ユダヤ人なら必ずお隣はアラブ人になるように、極力両者が混合して住むようにする。

世界のよその地域、例えばニューヨークやロンドンやパリでは、ユダヤ人もアラブ人も共存しているじゃないか。互いがグループを構成するから、もめるんじゃない。

考えてみたら、何でも、徒党を組んだ途端に揉め事に至っている気がする。政党でも、宗教でも、特定の理念を掲げた組織でも。

その昔、クリントン政権の時に、米軍内の同性愛者に関するポリシーとして「Don't Ask Don't Tell」というのがあったなぁ。考えの違いに基づく全ての微妙な問題にはこのポリシーは賢いかもしれない。あ、でも、こうしていると問題は内包されたままで、やっぱり解決しないのか。

・・・と愚にもつかぬ事を果てしなく考え始めるのである。

あ~、せっかく、世の中の理不尽なことには余計なエネルギーは使わないぞと決めたのに・・・。

コイオはこのところ、私がテレビに向かって意見するたびに、「な、そんな怒らんとき。もっと楽しいこと考え」と言う。ほんま、そうやと思う。思うねんけど・・・。

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