2008年9月30日火曜日

両親の訪米

今週、日本から両親が遊びにやってくる。3日~20日までの2週間半。当初、父から電話があり、
「お前のところに3週間ほど遊びに行こうと思ってな。」

私が、「3週間も?」と言うと、父は私が「来てくれるの?」という語尾をはしょったと勝手に理解して、「おお、ちょっと長めに行っちゃるわ」と嬉しそうだった。(父は長州出身である。)

カリフォルニアの大学院の卒業式に来てくれたので、今回でアメリカは2度目。東海岸は初めて。せっかく来てくれるのだから、メジャーな観光スポットを案内しようと、とりあえずナイアガラの滝へ連れて行く事にした。

アメリカのお母さん(以下、長いので、ラクイサと言う)は、前々からうちの両親に会いたいと言っていた。だが丁度両親がアメリカに来る時期に、オーストラリアへ旅行に行く事になっていて、今回は会えなくて残念と言っていた。

その彼女から、1ヶ月ほど前に電話があり、「オーストラリアはキャンセルした。ひょっとしたらそちらに行けるかも。」

と言うのも、ラクイサの妹のパトリシアが急遽大動脈の手術が必要になり、オーストラリアに行っている場合時じゃなくなったと言うのだ。2年前に心臓近くの大動脈解離でバイパス手術を受けたのだが、ずっと出血が続いていて、度々輸血を受けていた。

「術後の経過がよかったら、そちらに遊びに行く」と言う。来てくれるのは非常に嬉しいし、これまでずっと話に出てきたお互いの存在を、お互いに紹介できるのはとてもいい機会だと思う。

しかし、実現するとなれば、正直言って頭も痛い。


・・・果たして、手術は成功した。

手術はヒューストンでハリケーンアイクが襲う2日前に行なわれた。片側の肋骨の下を背中からお腹にかけて真横に切って、大動脈を30センチ「修理」したそう。その後、ハリケーンの被害で町中は停電。病院には自家発電があるので大丈夫だったが、2日間は病院のドアが閉じられ院内立ち入り禁止。面会もできなかった。町の人たちが病院を避難所として利用するのを避けるための対処だ。

当然ラクイサの宿泊していたホテルも停電。シャワーも浴びられない、トイレも流せない。病院が関係者にのみ解放された後も、ホテルの停電は続いていた。気の毒に思った看護婦が、内緒でホテルに泊まっていいと言ってくれたので、退院するまで夕方6時から朝6時までは、パトリシアの病室に隠れて過ごしたらしい。手術から8日目に退院となり、傷口をホッチキスで止めた状態で、パトリシアとラクイサは車で700キロ余りの道のりをオクラホマまで帰った。途中知人の家に2泊したらしいけれど、それにしても、出産で1週間入院する日本人と違って、こんな大手術でも1週間で退院させられて、しかも車で700キロも移動するアメリカ人てつくづく逞しい。

ここで私の悩みは現実性を帯びてくるわけだ。まず両親に断らねばならない。「来はるって言うものを、来るなとは言えないでしょう。アンタがお世話になってるんやから、そりゃ頑張るしかないでしょう。お父さんにはちゃんと話しておくわ」と母。

そうなんだけど、我が家は狭い。キニコの部屋にエアマットレスを入れて、両親には寝てもらおうと思っているのだけれど、ラクイサはどこに寝ればいいのだ。「私はどこだっていい」と言うけれど・・・。地下のソファーかな。ソファーベッドは壊れているし。でも地下は寒いのだよね。夫が出張なら、私がソファーで、ラクイサにベッドを明け渡すか。出張に行ってもらうか・・・。

寝るところは何とかなるとして、母はともかく、父とどんな会話が成立するというのだろう? しかもそれを誰が通訳するわけ? 父の通訳不可能な駄洒落、ラクイサの日本人が興味を持ちそうもない話題、トイレに新聞を持って入り風呂上りは裸で歩く父、所とかまわず物を出しっぱなしで足をどこにでも上げるラクイサ・・・この2人が同じ屋根の下に数日間暮らすことになるなんて。おまけに食べ物の嗜好は全く違うし・・・うぐぐぐ・・・。

「で、2人が来たら、何をするの?」とラクイサ。
「マンハッタン観光と、あとナイアガラに連れて行こうと思う」
「ナイアガラは誰が行くの?」
「シナコは学校だし、夫も仕事だから、私と3人だけで。」
「あ~ら、4人はどう?」

かくして、4人でナイアガラに行く事になったのである。

ラクイサはナイアガラ出発前日にやってくることになった。ナイアガラから戻った翌日にはキニコが休みで帰ってくるので、ラクイサにはベッツィーのところに移ってもらうようにお願いした。案外彼女も、ベッツィーのところに行かなくてはならない口実ができて良かったのかもしれない。(以前に書いたが、実の娘たちとの関係がこじれているのである。)

両親とラクイサが一緒に過ごすのはナイアガラも含めて4泊。さて、どうなりますやら。

加えて、前回父がカリフォルニアに来た時に、つまらぬことで私とケンカになり、「わしゃ帰る!」「どうぞ、帰れば!」と言う応酬があった。母が間に入って仲を取り成したわけだが、果たして今回は揉め事もなく終わるのでしょうか。乞うご期待であります。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

jodakosanの言うた「え、三週間も・・・?」のところを お父さんが早とちりしたくだり、笑えた。 いい方に解釈してもらって、それで良かったのと違うかな? マンハッタンでの出動要請があれば参上します(一人でも大丈夫よ)ので、いつでも言うてね!  でもいいなあ、お父さんとお母さんが来てくれはるなんて。またとない機会、せいぜい親孝行してください。

Jodako さんのコメント...

10月12日(日)ですが、総勢11名がZagatで見つけたOcean Grillっていうシーフードレストランに集う予定。キニコが参加するかもと12名で予約は入れたけれど、キニコは友達と会うのに忙しく来ないんだって。来る? Brunchメニューなので、シーフード、シーフードしてません。そのあとは、Lion Kingまでセントラルパークをうろつくか、と考えてます。
その他のマンハッタン散策は、二人が来てから予定を組むから、連絡するね。