2010年6月13日日曜日

サウジ徒然記 Vol.3

大方の皆様はここへ来る前にこの国のことについていろいろと本を読んだり、勉強して来はるのに、私は「外国に行ける」と喜ぶ以外何もしなかった。アバヤは知っていたけど、リヤドの空港で初めて頭の先から足の先まで黒づくめの装束をみて驚いた。顔までとは知らんかった。

そのせいで、余計にここに来てからのすべてが、見るもん、聞くもんおもしろかった。

嫌なはずのムタワ(宗教警察)さえ、会うのを楽しみにしていた。でもその機会はなかなか訪れなかった。

4月も半ば、ジャナドリアフェスティバルと言うのがあった。ライフスタイル(コンパウンドの刊行誌)で知って、レディースデーに皆でバスで行った。

バスが着くなり、運転手が慌てて「頭を覆え」と言うから、なんやと思って外を見たらムタワがいる。しかもリヤド中のムタワを集めて来たんちゃうかと思うほどウヨウヨ。

バスを降り、何も悪いことをしてへんのにドキドキしながら彼らの前をすり抜けようとした時、むんずと鞄をつかまれた。スカーフをしていたつもりが、ずり落ちて前髪があらわになっていたのだ。それを正しても、私の大きな鞄を見て「カメラ?」と聞く。カメラも大丈夫と聞いてたから、カメラどころかビデオまで持ってきていた。親切な私は、ご丁寧にかばんが小さくて自分のカメラが入らない友人のカメラまで預かっていた。

嘘ついて捕まるんも怖いし、とりあえず私のカメラだけ差し出したら(自分のを出すところが偉い)お預かりとなってしまった。

気がつくと友人二人も、カメラ所持とストレッチのスパッツ着用のかどで、お咎めを食らっていた。スパッツでは中に入れない、車へ戻れと言われている。(アバヤの丈が少し短く、スパッツに覆われた足首の線が見えていた。)

後からカメラが無事に戻ってくるか心配やったし、何と言ってもスパッツ一人を残されへん。ここは中に入らないでバスに戻る事にした。イカマ(サウジ政府発行の身分証明書)を見てフィリピーノやないとわかってから幾分優しくなった気がするムタワは、すんなりとカメラを返して、私たち3人を解放してくれた。

バスの所にまで戻ったけれど、そこにはバスはいなかった。ピックアップの時間までどこかに行ってしまったらしい。駐車場には女性を待つトーブ姿の男性たちがヤンキー座りをしてたむろしている。

彼らの容赦ない視線に戸惑った私らは再度中に入ることを試みた。

(次号へ続く)

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<補足>
サウジで暮らしたのは今から15年ほど前のこと。
アメリカのアフガニスタン攻撃やイラク戦争で、中東やムスリムの生活がメディアを通して報道されるようになり、今や誰だってムスリムの服装や習慣、伝統についてはある程度の知識を持つようになったと思うのですが、当時はまだまだ知られていなかったと思うのですよね。私の無知もかなりのものでしたが。

今のサウジアラビアがどのくらい変わったのか良くわかりませんが、当時は建設ラッシュだったので、恐らく外観は大きく変化していると思います。でも人々の生活はどうなんでしょう。

再びあの地を訪れてみたいと思っても、観光ビザが発行されない国なので遊びに行くことはできません。特に女性にはその機会はほぼないでしょう。(時折ビジネスにかこつけた観光ツアーがあって女性も行けたりするのですけれどね。)

サウジには出稼ぎ者が多く、単身でパキスタン、フィリピン、インド、スーダン、イエメンなどからの大勢の男性が働きに来ていました。メイドや看護婦として働く単身の女性たちはフィリピン、マレーシア、エリトリア人が多かったように思います。空港では出稼ぎの人たち用の特別の入国の列があり、彼らは階層的にも下に見られ、そのような扱いを受けていました。多分今でもそれは変わらないのじゃないでしょうか。ムタワ(宗教警察)に嫌がらせを受けるのも、圧倒的にこうした国から来ていた人々でした。

サウジアラビアでは基本的に外での写真撮影、ビデオ撮影は禁止でした。

サウジ全土で最も締め付けが厳しいのがリヤドでした。紅海沿いのジェッダや湾岸のアルコバールあたりもっと開放的でムタワも少なく、スカーフなしで出歩けたのですけれどね。

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