2010年6月19日土曜日

サウジ徒然記 Vol.5

私たちが迎えのバスに乗り込むと、日本人は全員戻っていたけれど、ガイジンのほとんどはまだやった。1時間後の便に乗るんやろ。それにしても、こんな何もないところで、ようそんなに長時間すごせるなぁ。感心する私らを乗せてバスは出発。

翌朝、そんな物好きなガイジンの一人に出くわした。
「昨日は遅いほうのバスで帰ったの? そんなに見るものあったっけ?」と聞けば、すごい剣幕で、
「あんな何もないところで誰が! バスの時間に合わせて戻ってみたら、出口でムタワに捕まって、お祈りの時間になったから終わるまでここを出てはいけないって言われたのよ! ようやくお祈りが終わって外に出たら、バスが5分早く出て行くところだった。あんな所に誰も長時間いるはずがないと想像して、皆が戻るまで待つべきだったのよ!」と、逆に私が責められてしまった。

そんなん知らんやんね。

ジャナドリア・フェスティバルの話はこれでおしまい。

壁の中で暮らす普段の私たちの生活からは推し量れないこの国の素顔に振れ、「極楽」とばかり笑ってられへんことを実感。しかもちょうどこの時、この国に関するある本を読んでいて、そこに書かれたことからの恐怖心も重なって、自分の考えを少し改めた。知りたいはずのヴェールの向こうも、知らずに帰るほうが幸せなのかも知れん。でも、私の好奇心はそれを許しそうにもない。

ここへ来て9ヶ月。いまだにまともにサウジの人と出会ったことがない。外国に住んで、その地の人と直接接することがない国も珍しい。彼らを良く知っているある人は、「知り合わんでえぇ」なんて言うけれど。

周りで話されていることが分からへんのもじれったい。そこで3ヶ月前からアラビア語を習い始めた。最初の授業で、今まで一体どこで切れているんかさえ分らなかったあの文字が、あれでも1文字と分って、目の前が明るくなった。でも、それも一瞬。後が続きまへん。

まず、使う機会がない。カタカナでもアルファベットでも表すことのできないあの発音も問題。30を越えると覚えも悪い。

私がアラビア語を習っているのを面白がっている運転手のマヒューブが、車に乗るたびに熱心に指導してくれる。この時は心行くまでリピートしても、車を降りてものの2,3分ですっかり忘れてしまう。このごろは彼の方から、「ほれ、書け」とばかりに、紙と鉛筆を差し出して来る。

あと言い訳にならへんけど、忙しすぎる。もっとちゃんと復習せなあかんのに、それを阻む、お茶、子供、買い物ツアー、刺繍。そしてこのライフスタイル(刊行誌)・・・。

それでもスークで覚えたての言葉を繰り返すだけで、相手は態度を軟化させる。2つで10リヤルのスイカが、3つで10リヤルになる。絶対負けへんと頑張っていたゴールドスークのおっちゃんが、私の差し出す額で折れてくれたりする。

投資の授業料の元が取れるまでは、まだまだ時間はかかりそうやけど、何とか帰るまでに片言で会話ができるようにならへんかなぁ。

+++++

と言うことで、ひとまずサウジ徒然記は終わります。実際にこれはVol.17まで、サウジアラビアやイスラムの起源について書いたり、休暇の出来事を書いたりして続きました。途中の6回は飛び入りでコイオの会社の所長さんが書いたものを挟んだから(執筆料はあげるから、代わりに編集してと言われた)正味私が書いたのは11回でしたが。

上記で触れた「この国について書かれていたある本」とは、Princess: A True Story of Life Behind the Veil in Saudi Arabia (邦題:プリンセス・スータナ)でした。サウジアラビアでは発禁だったため、私たちはそのコピーを回し読みしていました。当時はまだ翻訳本も出ていない、出版されて間もないころでした。

その内容や、本当に恐ろしかったです。例えば(記憶が正しければ)スータナと友人2人は、若いころ好奇心から内緒で男性と会い、それが家族にばれ、一人の友人は自宅牢に閉じ込められて発狂、もう一人は父親の手で家のプールに沈められて殺されました。こうした父親は正しいことをしたと褒め称えられるのだそうです。

華やかなロイヤルファミリーの暮らしと同時に、厳しい戒律と私たちの目には不公平、時には非道とも映る女性たちの暮らしが浮き彫りにされていました。

スータナはこの後2冊の本を出版しますが、3冊目は既に母親になった彼女が描くサウジのロイヤルファミリーの生活で、彼女自身がだんだん保守的になっていることがわかります。

既に発行されて20年近くの月日が経っていますので、現在のサウジアラビアや中東諸国の実情とはマッチしない部分も出て来てはいると思うのですが、まだまだここに描かれた儀式や伝統・しきたりが今も息づいている地域や家庭がたくさんあると確信しています。

さて、私が多くのお金を投資したアラビア語は、結局モノにはならず、今や1から10までの数と、「こんにちは、こんばんは、ありがとう、Let's go、ゆっくり(少し)、No problem、神のご意思があれば」これくらいしか覚えてません。

この最後の「神のご意思があれば」ですが、アラビア語で「インシャアッラー」と言います。

ムスリムは決して約束事をしません。

例えば、クリーニング屋さんに洋服を持って行って、「これは火曜日までに要るんですけど、大丈夫?」とお願いすると(サウジーはクリーニング屋さんで働いてませんが、働いているパキスタンの人はムスリムですから)
「火曜日ですね、インシャアッラー」
「つまり、火曜日は大丈夫なの?」
「だから、インシャアッラー」
てな具合。

何事も自分が決めるのじゃなくて、神様のご意思によってそうなるってことだから、勝手に決められないって言うんでしょうか・・・。私たちに取っては、とっても都合のいい方便に聞こえるのですよねぇ。

さてサウジネタも、面白いことを思い出すまでは、ひとまずおしまい。

さ、今日と明日で、家を整理するぞ!
インシャアッラー!

0 件のコメント: