2009年4月13日月曜日

義母 (1)

昨日、アメリカに戻りました。金曜日の夕方まで入院先が決まらない状態でしたので、滞在を延ばす覚悟でいましたが、入院先が見つかってよかったです。入院は来週の月曜です。明日、夫が帰国してその段取りをし、母を千葉に連れて行きます。

福祉機関に紹介された病院や、インターネットで調べたところなど、全てに当たってみましたが、受け入れが決まった病院以外は、全てに断られました。救急で担ぎ込まれない限りは、満床で断られるのが殆どです。

入院を受け入れてくれた病院は、断られた別の病院に紹介してもらったのですが、丁度その時、義母が当初大阪で入院する予定だった病院に、わたしが紹介状を貰いに行っていて、直接その病院から千葉の病院へ紹介状をファックスしてもらいました。電話での問い合わせだけでなく、同時に紹介状を病院から送ってもらえたことが功を奏したのだと思います。

初めて認知症病棟の様子を見て、ショックを受けた私でしたが、義母と数日を過ごし、やはりこの状態では入院するしか手立てがないと感じていました。私の姉に入院することになったと報告すると、こんな返事が来ました。

「あのまま、大阪の病院にお母さんを入院させてしまっていたら、一緒に病院を見に行った者として、責任を負うことになるんじゃないかと、躊躇する気持ちが強くて。頼りない態度で申し訳なかったけど、今となっては、本当にホッとしています。認知症病棟を見たら、コイちゃんもショックを受けることになるけど、自分の目で確かめて結論を出して、入院してもらうのと、入っているところを見てショックを受けるのとでは、全然違うから。今後のジョダコ夫婦の関係にも影を落とすことになるんじゃないかと心配でしたし、その片棒を担いでしまうのは困ると思って。あのケアマネさんが、自分からは説得しないと言ったのもそこです。当事者の自己決定にしておかないと、責任を問われかねないからね。今回は、お母さんのことで、しんどかったとは思うけど、最後の親孝行になったんじゃないかな。もう、梅田の町に食事に行くなんて、できなくなるんだから。コイちゃんも大変だけど、一緒に千葉へ行くのがコイちゃんでよかったね。お母さんも、コイちゃんを独り占めできて、嬉しいと思うよ。男の子は、母親にとって、永遠の恋人ですから。」

コイオが今の母の様子を見て、病院も見て、自分たち兄弟の手で入院させることになったのは、本当に良かったと思います。確かに見るのと聞くのでは大違いです。義兄や義兄嫁から断片的に話を聞いてはいたものの、今回義母の状況を見るまでは、ここまで認知症が進んでいたとは私も気がつきませんでした。

こちらに帰って電話をしてみると、「銀行からおろしてきたはずのお金がないから、家捜ししている」とのこと。お金を最後に下ろしたのは4月8日で、それから私と何度も出かけ、食料品や、孫へのお土産、私へのプレゼント、自分の靴・・・と、殆どそのお金を使ってしまっており、お財布にはもう数千円しか残っていないのは知っていました。そのことを話すと「使ったことなんて全然覚えていなかった・・・もう私の頭はダメなの。何も覚えていられないの」と泣き出してしまった。「コイオがあと3日で帰るから、楽しみにしていてね」と言っても一向に泣き止まず、とうとう電話は切られてしまいました。

本人もこれからの生活に非常に不安を覚えているのです。ただ入院のことはプライドの高い義母には告げられません。もし説明して拒否されても困るので、今はどうやって母を千葉にまで連れて行くか、これが大きな問題です。夫に出来るのかな・・・と心配。

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