もう義母のことは「負のパワー」を撒き散らすだけなので書かないで置こうかとも思ったのですが、書き続けて欲しいという声もあったし、赤裸々に綴って、実際はこんなことが起きているのだと知ってもらったほうがいいのかもしれない、とも思います。書くことで自分の醜さを懺悔する気持ちもなきにしもあらず、です。
但しかなりおどろおどろしいので、こんな話を聞いて、気持ちが沈みたくないと言う方はこのタイトルのブログを飛ばして読まれることをお勧めします。
入院時の話を書いていませんでした。それは余りに壮絶だったからです。
認知症病棟と言うのは、ご存じない方もいらっしゃるかと思いますが、精神科に属します。義母が大阪で入院を予定していたのも、いわゆる精神病院でしたし、千葉の病院もそうです。ただし今は語弊があるので「精神病院」と言う言葉はどこも使っていませんが。ちなみに後で知ったのですが、大阪のほうの病院は、この手の病院では、西日本一と呼ばれているところだったそうです。
入院の日も義母には検診だと言って連れて行きました。認知症のテスト(長谷川式)ではかなりの高得点(14点=中度)を取り、「本来はここに入るべき人ではない」と医者にも言われたそうです。これは認知症のレベルが重度ではないと言う意味で、母の精神状態が安定していれば、と言う意味です。
母の精神状態が安定していない理由は、私たち子供たちにあることは間違いありません。ずっと独りで住まわせて、寂しい思いをさせて、それにちゃんと対応してやらなかった。認知症に対する知識不足から、母に対する対応も、実はやってはいけないことばかりをやっていた。その結果として、母の状態が不安定になってしまった。そして誰の手にも負えない状態になり、母を病院に送ったのです。
医者が義母に入院するように説得しましたが、納得するはずはありません。「今日は一旦大阪に帰って、また明日来ます」などと最初は言っていたようです。そのうち大声を張り上げ泣き叫び、最終的には医師の判断で5人の看護師に押さえつけられながら、安定剤を注射されました。そして病室に運ばれ、ベッドにくくりつけられたのです。
30分後、夫と義兄が部屋に行き、眼を覚ましましたが、2人を見ると再び興奮状態に陥ったので看護師に任せて、二人は病院を後にしました。
その翌日に夫が行ったときは、ぼーっとしていて、他の重度の入院患者と変わらぬ様子だったそうです。大阪にいた間も夫は毎日病院に電話はしていましたが、残念ながらこちらからの電話は患者に繋いでもらえず、看護師から様子を聞くことしかできません。患者のほうから公衆電話で電話をかけて来る以外は、電話で話すことはできないそうです。アメリカに戻った後のことを考えると、これはちょっと困ります。
義母は「息子が来るまで食べない」と言って、食事を拒否したりしているようですが、しばらくしてお腹が空くと食べているようです。夫がおとなしくなりましたかと尋ねると、おとなしくはないが入院時よりはおとなしい、と言われたそうです。
今日、夫は大阪から直接病院に行きました。お薬のせいだと思いますが、今回は自分では歩けない状態で、ひとりでベッドから起きることも出来なかったそうです。「息子さんが来るのを楽しみにしていた」と看護師さんが言っていたそうですが、夫の顔を見ると、夫のジャケットをつかんで急に泣きさけび始めました。「なんて言ってたかはわからなかったけど、寂しかったのでしょう」と夫が言っていました。出てきた夕食も一人で食べるのは難しく、話も要領を得なかったと。「しかたないね」と夫は言いましたが、その心中を思うと私の胸もつぶれそうです。
仕方がない、これしかない、と自分たちで言い訳しながらも、本当はそうじゃないこともわかっているから。本気で母親の面倒を見る気があれば、それこそ転職してでも日本に帰ることも出来る。世の中には実際に親の面倒を見るために仕事を辞めたり変わったりしている人々がいることも事実です。私たちは、いえ、少なくとも私は、そこまでは出来ません。
もしこれが自分の実の両親であれば、また違う話なのかもしれませんが。と、うちのオカンはこのブログを読んでいるから、希望の光を与えなければなりません・・・。
夫はこのブログは読んでいないけれど、私が赤裸々に母親のことを書いていると知ったら、気分を害するのでしょうね・・・。
2 件のコメント:
jodakoへ
入院されたところだから、お義母さんの混乱ぶりは当然でしょうね。
本当にお気の毒です。
ご本人にとったら、何が何やら…
きっと我に返るごとに、
ここはどこなんだろうか、
私は何をしているのだろうかと、
混乱を極め、不安で心がかき乱れていらっしゃるのだろうことが、
容易にお察しできます。
コイオちゃんも辛いだろうね。
お母さんだもの。
でも、jodakoがいうように、
一歩外界に出てしまった者は、またいつもの生活に戻る。
笑い、お腹がすき、あくびをし、買い物に行き、いつもの生活を続ける。
決して忘れてしまっているわけじゃないのだけれど、
24時間その人のことを考えてあげるわけにはいかないから。
私も父が入院していた時、見舞うたび、可哀相で涙が出るのだけれど、
「じゃぁ、また3日後にね」などと言っては、
病棟のドアのところで別れる。
父は僅かに涙声で私に手を振る。
職員が父の前でドアを閉め、鍵をかける。
(認知症病棟の出入り口は必ず施錠される)
ドアの磨りガラス越しに父がまだそこに立っているのがわかるのだけれど、
私は踵を返し駐車場に向かう。実は少しほっとして…
車に乗ったら気持ちは既に切り替わっていて、
今晩のおかずは何にしようかと考えているのだ。
まさにそう。
でも罪悪感を抱えてずっとそのことばかり考えてはいられない。いえ、考えていたらこちらまでおかしくなってしまう。
冷たいようだえど、やはりどこかで気持ちを切り替えて生きていかなくちゃいけないのだと思います。
ただ、幸いにもこんな状況になっていない人へ私がアドバイスするなら、こうなってしまってはもう何もしてあげられない、何をしても効果もない。
後になって楽しいことをたくさんしてあげるべきだった、思うんじゃなくて、今何かしましょうってことかな。
とは言え、やはり毎日自分たちのことで忙しくそのまま時間が流れてしまうのですが。
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