話が前後しますが、義母は私が家の中を片付けたり、掃除したりするのも嫌がるので、義母が家にいる限り私は何もできません。家を片付けることが出来たのは、デイサービスに出かけていた間と、苦肉の策として義母を美容院に行かせた間だけでした。
デイサービスのことを書いていませんでした。前日、ケアマネさんが来てくれて、一応デイサービスに行く事に義母も合意し、翌日はデイサービスに行くことを紙に書いて、私は帰りました。
紙に書いて置かないと全て忘れてしまうのです。だから、毎日私が帰宅するときは、「明日(X月X日)はX時にジョダコは家に来ます」と書いて帰ります。それでも、その紙が目に入らないと忘れていますし、だいたい今日が何月何日かもわからなくなるのです。
そこでデジタルの置時計で、日付が表示されるものを買ってテレビの上の目に付きやすい所に置きましたが、これも新しいものなので、そこを見る習慣がないのです・・・。果たして、日付を間違えて「これは、昨日のことだよね」とか、勘違いしていることもしょっちゅうでした。
その日は朝起きて「今日はデイサービスに行く」と言うことは紙を見て理解したようですが、デイサービスの何たるかを忘れてしまっており、104に電話して片っ端からデイサービスの電話番号を聞いて問い合わせをしたようです。その話がデイサービスから市の高齢福祉課に連絡が入り、ケアマネさんに連絡が入り、「おかあさんは相当混乱されているようです」と私にも電話がありました。
電話が入ったときには、私は既に義母と話しており、そのときにはすっかり落ち着いてデイサービスに行く気になっていたようです。私が家に到着した時はすっかり支度をして待っていました。
義母を送り出して、家の掃除と片付けに取り掛かりました。冷蔵庫の中にはお惣菜の山。もう料理はできなくなっているので、とにかく毎日お買い物に行って、食べ物を買ってくるのですが、買ってきたことを忘れて、再び買ってくるのですから・・・。賞味期限の切れたものを片っ端からゴミ袋に詰め、ごみの回収日だったので、慌てて外に持って出ました。
そこで初めてご近所の人と話をしました。母よりひとつ年上のその人も、「おかしい」と去年辺りから気付いていたとのこと。ただ義母の「強い性格」のため、手助けもできない。・・・どうやら、ご近所にもいろいろとご迷惑をかけていた模様。私が来てほっとされている様子でした。近所のある2軒のお宅(母より年上のご夫婦と、もう1軒もはやり高齢者)だけには義母も頼っているようで、そこの家の方が、義母がぐちゃぐちゃにしているごみを分別したり、「電話がかからなくなった!」とかパニックしているときに助けてくれたりしてしているようです。私がお話した方は、昔からずっと仲良くしていたのに、5年前から、面と向かって悪口を言われ、もうお付き合いはできない・・・と思っていたら、今になって認知症だとわかった、とのこと
その日、デイサービスから戻った義母は、別に楽しかったとも楽しくなかったとも言いません。翌日私がケアマネさんを訪ねたときに言われたのは、「あそこは皆さんが楽しむために行かれているところなのですが、おかあさんの場合は、周りの人に『貴方は何の目的でこれに参加しているのか? どういう意義を見出しているのですか?』と、それもしつこくしつこく質問するので、周りの方が嫌がって、席替えを申し出られました」とのこと。つまり、そのデイサービスからはお断りを受けたということ。
その時までに、既に私ももう入院しか手立てがないことを悟っていました。デイサービスの一件は、入院しかないことを更に裏づけたに過ぎません。
木曜日、母を無理やりパーマをかけに美容院へ送り出しました。先日私と一緒にカットに行ったところです。既に義母の病気については説明してあり、本当にとても良くしてくださいました。義母はすっかりそのお兄さんが気に入り「おつりは要らないから取っておいて」だって。事前に説明してあると、奇妙なことを言っても、上手に対応してくださいます。
義母がどうしても私に何か買いたいと連日言っていましたので、先週の金曜、私たちは梅田(大阪)にでかけました。家を出るところで、先日お会いしたご近所さんが外にいたので、私がご挨拶すると「何で、あいさつするの!私は大嫌いなの!」と、何故その人が嫌いなのか延々と話し始めました。
ただ、嫌いという理由が全然理にかなっていなかったので、認知症患者に反論してはいけないのは、わかっていたのですが・・・ついつい私もちょっと我慢できなくて、反論してしまいました。それが義母の気に障ったのでしょう。そこからは怒りがどんどんエスカレート。駅に着いた頃には、義母は非常に興奮していました。
駅で、義母は梅田までの回数券を購入すると言います。(これから何回梅田に行くと言うのだ・・・。回数券は1800円。一番安い磁気カードなら1000円。)そう思って「このカードにすれば、梅田以外でもどこでも行けるし、便利だから」と、私がさっさかカードを買ってしまうと、
「私は回数券が買いたいのっ! こんなもの使ったことないし、わからない!」
「大丈夫、簡単だから、私が説明する」
「ちゃんと説明して! わたしはいい加減なことが大嫌いなの! 回数券と交換してっ!」
大きな声で叫びます。
ちょうど駅員さんが近くにいて、義母は駅員さんにむかって、
「回数券に換えてください! こんなカード使ったことない!」と怒鳴ります。
私は必死で駅員さんにウィンクしながら、
「ね、回数券ってもうないんですよね? みんなこのカードに替わったんですよね? ね?」
すると、駅員さんは、
「・・・そ、そうです。全てこのカードに替わりました」
最後までぶつぶつ言っていたものの、このカードしかないと諦め、ようやく電車に乗ることが出来ました。
認知症患者が怒りっぽいのはよく聞きますが、義母のこの怒りっぽさの土台には性格も大いに寄与していると言うのが、私や家族、ご近所さんの見解です。しかしコイオを見ると、そう言う性格は見られなくて、どちらかと言うと私の方がずっと義母寄りの性格なのですが・・・。友人に話すと、「姑に似ない嫁はいないって言うからな」だって。え、そんな諺あったっけ?
梅田のデパートの上のレストランで食事をしているとき、ふと義母が、
「で、あなたのところはどこの人なの?」
「わたしのところって、私の夫の話?」
「ふん」
「うちは、大阪の○○(義母の町)です」
「えっ!? ○○のどこ?」
「○○西町4丁目」
「ええー!? ほんまに?」と、すごくびっくりしている。
「うちの夫は、○○コイオって言いまんねん!」と私がふざけた調子で言うと、
「あー、コイちゃんの・・・」と、そこで初めて私がコイオの妻であると気付いたよう。一瞬私が誰かわからなくなっていたようです。(駅で興奮させたからかな。)
その後、私は義母に靴を買ってもらいました。これまでも、私に何かを買うと言ってくれたことは何度もあったけれど、年金暮らしだし、ずっと断り続けていました。買ってもらうとしても、食べ物とか、小さなものばかり。でもこれが最後になると思うと、甘えるのも本人を喜ばせることになるだろう。欲しくない安いものを買ってもらうよりも、本当に欲しいものを買ってもらおうと、今回帰国したら自分で買おうと思っていた靴を買ってもらう事にしました。
その後、喫茶店で一休みしていたときの話。千葉の病院の受入れの可否がわかることになっていたので、電話をするために、私は席を立ちました。その間に、義母はその喫茶店で売られているイチゴと生クリームの大きなケーキを丸ごと買っていました。
「これ、キニコちゃんとシナコちゃんに、持って帰って」
私は唖然としましたが、言うと可哀相なので
「わぁ、ありがとう、喜ぶわ」
義母は二人が日本にいると思っていたのでしょうか。それとも生クリームのケーキをアメリカまで持って帰れると思っていたのでしょうか。
非常に優しいところもある義母。入院させることを可哀相だと思わないわけではありませんが、独りで生きていくこともできないですし、今の気性のままでは、同居のみならず施設での共同生活も無理なのです。
入院することで全てが解決したわけではありません。
これが、始まりなのかもしれません。
4 件のコメント:
jodakoへ
今回は本当にお疲れ様でした。
もうアメリカに帰っていたのね。遅ればせですみません。
きっと今頃、コイちゃんの心中を察すると胸がいっぱいになります。
ひとつ、敢えて訂正があります。
「姑に似ない嫁は(その家に)いられない」というのが、正しい諺です。
つまり、姑の気性に似てくるくらい、お嫁さんが姑に合わせて生活できないと、
その家には一緒に住めないということです。
でも、合わせて何年、何十年も生活していると、
実は気がつかないうちに似てくるんじゃないかな。
jodakoとお義母さんがそうとはいいませんが、
(本来、もともと似ている性格かもしれない!)
一緒に暮らすということは、そういうことなんでしょうね。
ともあれ、今のお義母さんにとって、
jodakoは優しい救いの天使だったと思うよ。
私もケアマネさんや医師に言われたことがあります。
勿論、これは病気の場合はまた少し違うかもしれませんが。
「お年寄りの頭の中はコップの水と同じです。
何十年間もかけて、既にコップに水がいっぱい入っている。
だから、後から入れた新たな水はその都度こぼれてしまう。
それは仕方のないことなんです。」
でも、忘れてしまうということが、
ご本人にとって、どれだけ不安で怖くて絶望の淵に立たされる気持ちか。
入院されることで、少しでもお義母さんの心が安らかになられることを願ってやみません。
うぐぐ・・・。コイオよりは私の方が義母の気質に近いと思いつつも、本当は似てるとなると非常に抵抗を感じますです・・・。その家にいられなくていいから、似たくはないなぁ。
記憶がなくなっていくことに不安と恐怖を覚えているのは、全くその通り。その事に気付かずに記憶がなくなっていくのならいいのに、自分で分っているとは本当に可哀相です。
昨夜(日本の火曜日の朝)電話した時はとても明るくて、「お昼にお弁当を配達してもらうことになった」と言っていました。私がいた時にはそんなことなかったので、「いつから?」と聞くと、「昨日から」。
昨日の記憶があると知って嬉しかったです。私がいた時の方が、記憶力が悪かったような気がする。一人だと、しゃんとしようとして、力が出るのかしら?
今朝、コイオを空港に送っていきました。アイツ「あんまり、がんばらんとこ」とか言うねんで。案外冷たいヤツなのかも。
いやいや、きっとコイちゃん、ぶってるだけじゃないかなぁ。
わが親のそういう姿を、想像できる人はいないよ。
ましてや自分で対処しなければならないんだから。
しばらくは心配だね。
でも、こういうことを一緒に経験して、
自分達も夫婦になっていくんだなとわが事を通じて感じます。
きっと、コイちゃんが帰って来たら、
何か違っているんじゃないかな。
優しくしてあげてね。
おいおい、私たちはここでチャットしてるんですか。
・・・優しくするねぇ、それって私が最も苦手とする技だわ。幾らでも厳しくできるのにさ(笑)。
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