義母と会ってから、私も精神的な落ち着きを失っているようです。
一人でいると涙が止まりません。会った初日、帰りの道で涙があとからあとから溢れました。
昨日からは、義母のことを考えるたびに涙が出ます。なぜ泣いているのかそれすらわかりません。この病気は、患者と周りの者の双方が精神的に磨り減る病気のようです。大病はどれもそうかもしれませんが。
帰国に先立って実家に取り寄せておいた認知症に関する本を、帰るなり読み、私たちが取っていた対応は、全て認知症患者にやってはならないことばかりでした。知識不足から義母の病状を悪化させていたのかもしれません。
昨日会ったときは、前日に行くと伝えていたにも関わらず、すっかり私が来ることを忘れていました。「来ると知ってたら準備していたのに」と言って中にあげてくれましたが、家の中の様子は足の踏み場もないほど物が溢れて散らかっていました。この病気になると片付けられなくなるのです。靴下がありとあらゆるところに脱ぎ捨てられており、キッチンの棚にもありました。
去年の11月にあったときより確実に、格段に病状は進んでいました。もう5分前のことも忘れてしまうこともあるのです。目の前に日付を確認できるものがなければ(新聞とか)、いつかわからなくなって不安に陥るのです。5分おきに何曜日か私に聞きます。私はあたかも初めてその質問がされたように答えます。「さっきも聞いた」などと言って、相手が物忘れしていることを思い出させないように。
一緒に昼食を食べて、夕方まで義母の家にいて、その後私は実家に戻りました。
翌朝は義母のケアマネージャーと約束があり、そこに実姉とともに電車で向かっていました。義兄嫁から電話が入り、義母から電話があり取り乱している、義兄にも電話があり、絶叫しているとのこと。すぐに義母に電話を入れましたが出ません。乗り換えの駅の都度、電話を入れますが誰も出ません。様子を見るべく、途中下車して義母の家に行きました。
果たして、家にいましたが、髪も服装もぐちゃぐちゃで、寂しくて寂しくてどうしていいかわからないので泣いていた、息子に見捨てられたので、それならば死にたいから私が死ねる薬を送ってくれと息子に伝えたのだ、と言って。姉が上手に話を聞いてくれ、落ち着きを取り戻しました。何度かあっている姉のこともすっかり忘れ、近所の誰かだと思っているようでした。
今朝の一件を含め、ここのところの義母の様子をケアマネージャーに話した末、今の状態ではヘルパーを入れての自宅介護も、何処かの施設への入所も困難とのことでした。まず非常にプライドの高い義母は他人に頼るのをよしとせず、ヘルパーの受け入れをずっと拒んでいます。ケアマネージャーがこれまで4回訪ねても、がんと中に入れてはくれないのだそうです。私たちがいろいろと勧めても、これまで一度も首を縦には振りません。
また攻撃的になることが多く、医師の診断のときも、医師に食って掛かったそうです。お医者さんも、これくらいでかっとなるのでは、難しいねと仰っていたそうです。
義母の場合は、脳血管性認知症とアルツハイマーの混合型だそうです。
精神的にもう少し落ち着けるようにするために向精神薬とアルツハイマーの進行を抑えるためのアリセプトとを処方したい所だけれど、今は自分で薬をきちんと飲めていない(服薬管理ができていない)ので、服薬調整(自分にあった薬のタイプと量を設定する)ことができないので、処方していないのだそう。特に向精神薬を飲んだ場合はふらふらするので、独居の人では夜間ヘルパーがいない限り難しいし、夜間ヘルパーはほとんど見つからない、とのことでした。
そこで最善のオプションとして入院が勧められました。朝の母の残像が頭にちらついていた私も、姉もそれがいいのではないかと思い、家族の合意が取れたらその方向で話を進めることになりました。帰りに、入院する予定の認知病棟を見学しました。
・・・果たして、非常にショックでした。そこにいる人たちはみんなぼーっとして生きているのか死んでいるかわからない老人ばかり。もちろんここは暫定的に入院するための機関で、みんな服薬して余計にぼーっとなっていることもあるのでしょうが・・・。
まだ気丈な義母をこんなところに入れるのは果たして正しいことなのだろうか。また入院すると病気が速く進行するケースも多いとのこと。環境が大きく変わって、自宅でなら勝手がわかるので、できることも、全てが真新しいことになって、できなくなることも多いから。
その後、家族と話し合い、今はそれしかないねと、入院の方向で話は決まりました。
そして、実姉と別れて、義母の家に行きました。夜まで一緒に過ごし、夕食も食べて帰りました。「泊まっていったら」といわれましたが、用意も持ってきていないので実家に帰りました。
実家近くまで来て、今夜のお薬を飲むのを確認しなかったことを思い出し、電話をすると「もう飲みましたよ!」と非常に明るい声。昨日はお風呂にも入っていなかったので、「じゃあ、お風呂に入って暖かくして寝たらいいね」と言うと、「いま、沸かしているところ」とこれも明るい返事。8時過ぎのことでした。
非常に落ち着きを取り戻している義母を思い、本当に入院させるのが正しいことなのだろうか。そう考えると涙が出て止まりません。自分たちの都合で、義母を入院させるということは否めないのです。
かといって、私がずっと義母の下にとどまるわけにも行きません。とどまった所で、今度は私の方がおかしくなってしまうことは見えています。ちょうど義兄嫁がそうなったように。
この病気は回りの理解と対応で、病状がよくも悪くもなる。その知識が欠如していたために、義母の病状が悪化した可能性はあります。でも、義母が認知症になっていることを疑い始めたのはほんの1年前。でも家の中には5年前からの郵便やレシートの一部がばらばらに保管されていて、5年前からその兆候があったことはあきらかです。
10時過ぎ、義兄嫁からメールが入り、9時半と10時に、今朝と同じような電話が自分と義兄にかかってきたとのことでした。すぐに義母に電話を入れて、また明日遊びに行くからねと伝え、落ち着かせましたが、たった30分や1時間で忘れて、不安になってしまうのです。家に泊まってあげなかったことを反省しています。
今夜も、実姉と姪っ子たちが私に会いに来るので義母の所には泊まれません。やはり私は自分のことを最優先しているのです。そう思うと自分勝手な涙が流れてくるのです。
2 件のコメント:
jodakoさんへ
久しぶりにコネ通を読んだので、
今日話をした時は、色々と話が前後してしまいましたね。
ごめんね、とんちんかんで。
お義母さんのこと、お察しします。
急にやってくるものです、こういうことは。
決してjodakoのせいじゃないよ。
近くに住んでいたとしても、
同居していなければきっと殆どわかりません。
ましていわんや、
長年遠い所にいるんだもの。仕方ないよ。
そして、いくら家族でもご本人を目の当たりにしないと、
こればかりは、わからない。
実際に会って、話して、状況をみないと…
だから、jodakoさん、今回帰国してお義母さんに会って、
一緒に時間を過ごして打てる策を精一杯講じているのだから、
これで他の家族が同意しないとしたら、
彼らに任せるしかないかもしれない。
やりたい気持ちとやりたいことは沢山あっても、
自由になる時間がたっぷりあるわけじゃないんだものね。
家族なのだから、それぞれ皆よかれと思ってやるのだけれど、
それぞれの立場や価値感、気持ちによって、
ご本人への対処がものすごく異なる。
これも仕方のないこと。
それぞれの位置からご本人の気持ちにどれだけ添えられるか、
改めて、自分の家族愛を試されているような気持ちになって、
罪悪感と戦わなければならなくなる。
とても辛いことだと思います。
jodakoさんも体と心に、くれぐれも気をつけて。
テンテン、
あなたの言葉がとても私の心の支えになっています。ありがとう。
認知症(3)にも書いたように、今回は入院を見合わせる結果になって、実はとても安堵している自分がいることに気づきました。人の一生を私の判断で決めて良いのか、本当に最善を尽くしたのか、という点で、非常に迷いがあったんだと、今更ながらに気づいています。
ということで、今回は入院はなくなったので、水曜日、会えるよ!
コメントを投稿