私は嫁という言葉が嫌いだ。
なんとなく、無言のうちに主従関係と言うか上下関係が内包されているように感じるから。
同じく「ダンナ」あるいは「主人」という言葉も最近は使わない。
最近はと書いたが、その昔は使っていた。これらの言葉が、やはり、主従関係・上下関係を仄めかしていることは意識しながらも、あまりにも一般的に使われているために違和感がなかったのだ。
しかし結婚してしばらくして気がついた。少数派ではあるものの、自分の配偶者のことを「夫」と呼んでいる人たちがいる。単なる育った環境からの習慣だったのかもしれないが、どちらかと言うと意識的な気がした。何故ならそれらの女性たちは(中には私よりずっと年上の人もいたが)一様に自立している人たちだったから。「ウチの主人は彼じゃなくて私だからさ」と言って退ける人もいた(確かにそんな感じだった)。
そこで私も安易に方便で「ダンナ」とか「主人」と呼ぶことを辞め、「夫」と言うようにした。
しかし「嫁」と言う言葉は、私の育った環境の中では使われることのない言葉だったから、「ダンナ」や「主人」以上に抵抗を感じた。だから結婚して以来、「嫁」と言われることはあっても、自らを「嫁」と称することはなかった。(流石に誰かに「嫁」と言及されて、「嫁と呼ばないで下さい」とは言えませんからね・・・。)
ところが、今回の義母の件に関して、生まれてはじめて自らを「嫁」と名乗ってしまった。
介護に関連する本を何冊も読んだが、その中で当たり前のように使われる「嫁」という言葉。現在の日本の介護の世界では、嫁という言葉(人物)が当たり前のように主体であり、切っても切れない存在なのだと感じずにはおれなかった。
夫婦間での介護以外では、ほぼ「嫁」が中心的な役割を果たし、社会も行政もそれを期待している。当たり前としている。・・・疑問を抱かずにはおれないが、これが今の日本の現状だ。
はたまた、福祉機関、医療機関や役所に対して、私の立場を「次男の嫁」以外に的確に表す言葉がなく、必然的に受け入れなければならなかった。「義理の娘」だけでは不十分だったのだ。場所が大阪(大阪弁)だったからかもしれない。もし敢えて「次男の配偶者」と自称してたとしたら・・・きっと人々の目には奇異に映ったことだろう。ま、私もフェミニストであれば堂々と「次男の配偶者」と名乗ったのかも知れないが、不平等は嫌いでも、フェミニストじゃないし、この場合は「長いものには巻かれろ」と思ったし、抱えている問題のほうが重要で、言葉なんてどうでもいい状態でもあった。
義母は「長男」「次男」と言うことを強く意識し、常に口にする人だった。義兄やコイオも「長男」「次男」と言うことを常に意識しているようだったので、ずっと「有難や~」と傍観していた。信条的には長男も次男もなくフィフティーフィフティーと思うものの、ま「次男」の立場に甘んじてくれているほうがラッキーなので、それならそれで意義ありません! どうぞ、どうぞ。(夫がこの家の長男じゃなくて、ホント良かった。)
7 件のコメント:
そっか!夫といえばいいのか!
そんなことにも、今まで気付きませんでした。でも、私も「旦那」とか「主人」というのには、抵抗ありありだったので、これからは「夫」と呼ぶことにします。
やっぱり、うちの場合、どうみても私が「主人」でしょ(爆笑)
いや、本当に、貴女ほど「ご主人さま」という言葉が相応しい妻もいないほど。「さま」が幾つ付いてもいいくらい!!
jodakoへ
いつも以上に、らしい日記でほくそ笑みつつ読みました。
私は100%専業主婦?にも関わらず、随分前から「主人」とは言わないし、
ご存知のとおり、
わがやのマメオ(夫)も私を名前+ちゃん付けで呼びます。
マメオの母も、私を『嫁』と呼んだことがない。
こういう世間にあっては、
きっと私はありがた~いと感謝すべき立場なんだなと思います。
でも、もう一つ、気になって仕方がないことがある。
子ども達の学校に行った時、保護者同士、学級懇談会などでの自己紹介で、
どのお母さんも99%と言える確立で、「○子の母です」「△介の母です」とだけ自己紹介する。
自分のファーストネームを一切言わないのだ。
(かつて一人だけ、そうじゃない人がいた)
初対面で自らを○子、△介の母とよび、名前を明らかにしないので、
永久にその人のファーストネームがわからず終いということが珍しくない。
だれそれの家内であり、
どこそこの嫁であり、
だれ子ちゃんの母であることを公言する女性自身がいる限り、
こういう世間はなくならない。
小僧の担任の若い男性先生に、
「お母さん」と呼ばれると、
「わたしゃ、アンタのお母さんじゃない」と思ってしまう私は、
やっぱりマイノリティかしらん?
言ってやれば、その若僧先生に、アンタのオカンやないって(笑)。
そう言えばお互いに駐妻だった頃、何かの集まりがある度に、「XX(夫の会社名)の○○(苗字)です」って自己紹介する慣習について、よく「なんでやねん!」って言い合ったよね。あれだって、そうじゃない。わたしゃ、夫の会社の社員ちゃいますちゅうねん。
社内恋愛で結婚している人が多かったからか、夫の会社=自分の会社って自然に感じられる人が多かったのかも知れんけど、私たちハミゴだったもの。
社会全体が変わることはスグには望めないから、徐々に自分たちの家庭内とか自分の周りから始めないとね。
自己紹介は、「XX○子です。息子はXXです」とか、「夫はXXに勤めています」とかの言い方にしなきゃ。
そやけど、考えてみたら、なんで夫の会社名を名乗らなアカンねん・・・。ま、あれは、ああいう発展途上国ならではの特殊事情なんでしょうね・・・。どうしても会社単位の事情があって、好む好まざるに関わらず、言及せずに済むことがなかったからな。
ニューヨークは逆にあまりに日本人が多すぎて、夫の会社名どころか、個人的なことは殆どそう言う場では語らない・・・っつうか、そういう日本人の集まりがない・・・っつうか、あるのかどうかすら知らない。
所変われば…ということかなぁ。
ニューヨークってそんなに日本人多いの?
でもそんなに集まらんでしょ?
名前に関しては、日本の習慣、日本の文化のような気がするなぁ。
特に既婚女性の場合、名前≠個人の方式。
私だけだもん、「○○(小僧の名前)の母で、テンテンです」なんてフルネームで自己紹介するヤツって。
おかしなもんで『アンタの名前なんか聞いてない』みたいな、かえって妙な雰囲気になる。
そういう母親に育てられた子どもが、
またもやそういう文化を受け継いでいくわけで…
伝承というのは重要だと思うのよね。
NYは日本人が多いから、無理やり何かの会で集まらなくても、簡単に友達が出来るからか、会社の集まりすらないよ。(コイオの会社の話)
当初はすごく当惑した。え、ほんま、これでええん?って。一度目の駐在国での対応を「標準」と思ってしまったから、私たちが到着しても、会社からただの一度もご機嫌伺いの電話もなーんもなかくて、びっくりした。どこに誰が住んでいるのか、名簿もないし、未だに知らん。
でも今となってはそれも非常に楽ではある。好きなように好きなことしていていいんだもん。(でも、ここが初めての駐在地で、初めて住む外国で、英語も満足に出来ないという人には、厳しいかも。ただし、そう言う人はマイナー。)
呼び名はまさに日本の文化、アメリカの文化。アメリカは誰でもファーストネームだから、上下関係の意識がより希薄になるよね。でもサウジの時も、自らをミセスXXとか名乗ったこともあったよね。コンパウンドの事務所とか、運転手とかメイドとかに対して。悲しいかな階層が存在したからだろうか。それともイギリスの影響やろうか。
この前しょうもない新聞記事読んでたら、アメリカの金持ちマダムが、ある運転手に対して友人がそのマダムをファーストネームで紹介したと憤慨していた。どうしてミセスXXと紹介しなかったのか。けじめは大切とか言って。アメリカでも、そう言う世界はあるにはあるんや。
でも一般的には、義母もファーストネームで呼ぶし、そうなると友達みたいだよ。(が、必ずしも心情的には、友達ではないらしく、「in-law」問題はユニバーサルな問題のよです。
あー、長いコメント。すんまへん。
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